第13話 国内の風景
どれくらい歩いただろうか。
時間としては長くても、距離はそれほどでもないと思う。話しながらだと歩幅が小さくなるからね。
ともかく、何やら周囲が騒がしくなっていたのだ。
もちろん人の数も普通ではない。辺り一帯に活気が溢れ、威勢のいい声があちこちで飛び交っている。
「ねえ、バルトロメア。なんだか賑やかだけど、ここはどんなところなの?」
「ここは市場だよ。色んな人が集まって、いっぱい物を売ってるの。この道が向こうまでずっとそうなんだよ」
バルトロメアが示す先は遥か遠くで、人の波に阻まれて見通すことはできなかった。
けれどおおまかな位置関係はわかる。中央庁の周囲をゆるやかな半円で囲むように続いているようだ。
「それにしても、この人の量はなんとかならないのかな」
「ナツミちゃん、人が多い場所って苦手?」
「あんまり得意じゃない。息苦しいし、歩きにくいし」
「他のところ行く?」
「……ううん、ここも見てどんなところなのか知っておきたいし」
「そっか。じゃあ、はぐれないように気を付けてね」
その言葉と同時に手が繋ぎ直された。
あたしの腕がバルトロメアの体に密着するほど引き寄せられ、柔らかい温もりが強く感じられる。
「……うん、ありがとう」
「どういたしまして。ってお礼言われるようなことしてないんだけどね」
無邪気に微笑むバルトロメアに気付かれないように、繋いでいない方の手を軽く握る。
それは、バルトロメアと一緒なら安心だということを自分にわからせるための儀式みたいなものだ。
根拠なんて自分でも説明できない。
ただ誰かがそばにいる。それだけで十分じゃないか。
「へえ、本当に色々と売ってるね」
「でしょ? ラクスピリア最大の商店街だもん。近いから役所の人なんかも来たりするし、経済の拠点って呼ばれてたりもするんだよ」
店主が熱心なダミ声で売りさばこうとしている商品たちは、なんとなくその用途が想像できる。小物や雑貨、あとは食料品ってところだろう。
見慣れない物も多いけど、度肝を抜かれるようなインパクトがあったりはしない。
あたしの家の近所にもこんな商店街があった。
過去形なのは、今はもうその面影が薄くなっているからだ。
駅前に大型スーパーができたというありがちなお話だ。安くて品揃えが良ければそっちに足が向くのも当然だろう。
この世界には、あたしの周囲から消えてしまったものが変わらずに存在し続けている。
それって、なんだかほっこりする。
「ここ以外にお店ってないの?」
「あるよ。住宅街の方に行けば個人でやってるような小さいお店がいくつかね。でもここに来れば大体の物は揃うから、アタシはこっちをよく使ってるよ」
つまりここが大型スーパーみたいなものってことか。
商店街が強いのはいいことだけど、あたしのほっこりした気持ちが行き先を見失いそうになっている。どこに落ち着かせればいいのだろうか。
着陸先を探すわけじゃないけど、キョロキョロと周囲を見回してみる。
物珍しそうな目をしているあたしは観光客とでも思われてしまうのだろうか。押し売りをふっかけられたりしないよね。
そんな無用の心配をしつつ視線を泳がせていると、不意にバルトロメアと目が合った。何か嬉しいことでもあったのか柔らかく微笑んでいる。
「ナツミちゃん、なんだか楽しそう」
「そうかな?」
「だって、目がキラキラしてるもん。やっぱり違う世界って珍しい?」
「そりゃあ、ね。異世界なんてお話の中だけで、本当にあるなんて思ってなかったし」
「まだまだこんなものじゃないよ。そんなに広い国じゃないけど、まだまだ案内したいところはあるんだから」
手を引かれるままに商店街の人波を抜けていくと、急に視界が開かれた。
この先には高い建物が少ないようで、遠くで国の中と外を区切る塀も確認できる。
今あたしたちが立っているのは中央庁へ伸びる太い道の途中だ。ここが地区を分ける境界線の代わりにもなっているらしい。
そう考えたのは前方の景色が明らかに今までと違っていたからだ。
柵で囲まれた広い敷地がそこにはあり、物置みたいな大きさの建物がちらほらと並んでいる。
「こっち側にはアタシたちの生活を支える施設が集まってるんだよ。電気とか、水とか、ないと困るものがここで作られてるの」
「へえ……発電所や浄水場なのかな。でもちょっと意外かも」
「どうして?」
「こういうのって、魔法でパパッと解決してるのかと思ったから」
異世界ファンタジーといったらそれが定番だろう。質量保存とかエネルギーの法則を無視した、科学技術の常識を打ち破るような大魔法でどんな難問もスッキリ解決。
なんてことを考えていたら、バルトロメアがお腹を抱えて笑っていた。あたしはいつの間にギャグを繰り出していたのだろうか。
「あはは、魔法なんて使える人そんなにいないもん。もし使えたとしても、せいぜいちょっとしたことに役立つくらいだよ」
「そうなの? ジリオラさんが色んな魔法を使ってるところばっかり見てたから、それが普通なんだと思ってた」
「ジリオラ様は特別だよ。だってそういう仕事をしてるんだもん」
やけに現実的なことを言われたけど、もう慣れた。こういう世界なんだってことがわかっているからね。
それに、何かで読んだことがある。
魔法よりも科学の方が何倍も効率良く同じことができるって話を。携帯電話や飛行機だって昔の人から見たら魔法に違いないだろう。
でも、せっかく異世界に来たのだから少しくらいは夢を見たい。
「バルトロメアは魔法、使えないの?」
「少しくらいはね。でも、あんまり使わないなあ。別に困ってたりはしてないし、そもそも魔法を使うには色々と準備が必要だからね」
「そっか……」
「それに魔法を使うと疲れちゃうし、そんなことするくらいなら技術でどうにかした方がいいってことで、こういうのが作られたんだよ」
バルトロメアが示す先に点在しているのは、さっき見えた小型の建物たちだ。
そう。小型なのだ。
「ねえ、バルトロメア。なんかどれも小さくない? あれでこの国の生活、ちゃんと支えられてるの?」
「もちろん。昔はもっと大きかったんだけど、ちょっとした技術が開発されてね。こんな見た目でも生産力はすごいんだから」
「その技術ってどんなの?」
「それはね、魔法との融合だよ」
突然出てきたその言葉に胸が躍りそうになる。
そういうファンタジー要素溢れる何かを待ってた。食い気味になりそうな心を自制しながら次の言葉を待つ。
「施設にある機械の内部や材料に魔力が練り込まれていて、そのおかげで効率と生産性が飛躍的に上昇したの。だから施設も小さくすることができたし、そうやって余裕のできた土地を新しく何かに利用することもできるってわけ。まあ、今はこの通り更地だけど」
あたしの家と同じかそれ以下の建物たちが、この国を支えている。振り返った先にある、あの賑わう人々の笑顔を守っているのがここなのだ。
あたしの世界では、こういう施設は大きいものだと相場が決まっている。
それをここまで小さくまとめることができたのは魔法のおかげだ。ファンタジー要素満点の魔法という言葉。
やっぱりここは異世界なんだ。世界が違えば、あたしがやれることも変わるはずだ。
わからないことは多いけど、そんなものは一つずつなくしていけばいい。
歩幅を小さくしたまま、国の基盤を横目に進む。
今まであんなに話題が尽きなかったのに、その間だけはなぜか言葉を交わさなかった。
バルトロメアも何かを感じ取ってくれたのだろうか。一見おちゃらけてるけど、実は意外と気がきいて鋭いってことはもうわかっている。
たまに吹く静かな風を頬に浴びながら、温かい日差しの中を歩く。
遠くから届く人の声に混ざって、鳥の鳴き声のような音が届いてきた。穏やかで平和な国というイメージにぴったりだ。
でも、そう考えると一つ気になることがある。ちょうどその近くまで来たところでバルトロメアに訊ねてみることにした。
「あの塀ってさ、なんのためにあるの?」
高さはそれほどでもない。二階建ての家より少し低いくらいかな。
その気になれば乗り越えることだってできそうだし、外敵から国民を守るには心細いだろう。
「今はもう国境みたいなものだよ。ここまでがラクスピリアの領土です! ってね」
「今は、ってことは昔はそうじゃなかったってこと?」
「さすがナツミちゃん。今でこそこんなにのんびりした国だけど、ほんの数十年前までは魔族との関係が悪化して大変だったみたい。塀自体はもっと前の戦乱時代から作られてたし、ないよりはあった方が色々と便利だからね」
「魔族って……大丈夫なの?」
魔王討伐という忘れかけていた言葉が再び浮かんでくる。
やっぱり某国民的ゲームのように仲間を集めて悪を倒す物語でも始まるのだろうか。
「心配いらないよ。ちょっとしたすれ違いで仲が悪くなっただけだし、元々は交流とか貿易も普通にしてたんだから。同じ世界に住む共同体だもん。助け合わないとね」
「襲撃があったりしない?」
「魔族にも色々いるからね。世界のどこかにはあるかもしれないけど、ここは大丈夫だよ。もし何かあっても、ほら。ちゃんと警備の人がいるから安心だよ」
塀の一部は関所のようになっており、立派な制服を着た人たちが目を光らせている。
ちょうど外から荷車を引いた行商らしき人が入ってくるところで、色々と厳しそうなチェックをしていた。
そういえば、この世界って乗り物事情はどうなんだろう。
あの行商人は荷車を使っているけど、馬車とか自動車はあるのだろうか。もっと突っ込むなら飛行機の有無とか。
魔法と科学技術を融合させているわけだし、もしかしたらあたしが想像できないような乗り物があるかもしれない。
でも逆にそういうのがあると異世界要素が薄くなりそうだし、あってほしいけどなくてもいいような。
「ナツミちゃん、お腹減らない?」
突然何を言い出すのかと思ったが、漂ってきたいい香りに考えが切り替えられる。
周囲が見たことのある景色に変わっていた。どうやら商店街の方へ戻っていたらしい。
ということは、中央庁の周りをぐるっと一周したことになるのか。そう考えると結構な距離を歩いたことになる。
食欲を誘う匂いの発生源はすぐ近くにあった。屋台が並ぶ一角があり、近くにある広場に人が集まって何かをおいしそうに食べている。
やはり見慣れない食べ物だけど、この深みがある香りにお腹が鳴りそうになる。
「あれってどんな食べ物なの?」
「そっか、ナツミちゃん初めてだもんね。こっちの世界の食べ物、教えてあげる。アタシのおごりでね」
「えっ、そんな」
おごってもらうなんて、と言いかけてあたしは無一文だということに気付いた。
財布ならちゃんと持っている。
けれど千円札がこの世界で使える可能性は限りなくゼロに近いだろう。
むう、異世界め。
「ナツミちゃんの歓迎会ってことでさ。ちょっとちっぽけだけど、アタシの気持ち」
任せなさいと言わんばかりの自信に満ちたバルトロメアの目は、自然と信頼してしまうような輝きに満ちていた。
やっぱりバルトロメアはあたしにはもったいないくらい素晴らしい。
だからこそ、こうやって出会えて仲良くなれたことが嬉しくて心がいっぱいになる。
この気持ちを全部言葉にできるほど、あたしは器用でも強くもない。
「……ありがとう」
だから、その一言にすべてを込めた。
きっと頬は赤くなっているし、変な汗が出てくるし、目が潤んでくるし、喉がきゅっと締まって息苦しいし、声だって小さかっただろう。
バルトロメアは何も言ってこなかったけど、代わりに繋いだ手をぎゅっと握り返してくれた。
汗で滲んでいるはずの、あたしの手を。
それだけで十分な返事だった。
今は食べ物の匂いよりも、近くにいるバルトロメアの甘い香りを強く感じる。
嗅ぎ慣れたはずの芳香は、最初とは違う新鮮さをあたしに届けてくれた。




