第12話 友情の進展
その後どうなったかを結論から言えば、あたしが押し倒されるなんてことはなかった。
隣に座った時に体を密着させてきた程度だ。これくらいなら普通のスキンシップだよね。
他には、改めて自己紹介を互いにした。
その延長で色々と知ったことがある。
まずバルトロメアはあたしより二歳年上だということだ。
時間の概念が違うとジリオラさんは言っていたけど、バルトロメアの年齢についてペンダントがそう翻訳したので細かいことは考えないようにする。
今日ここに来ていた理由は話の内容からなんとなくわかっていたけれど、雇い主さんが仕事で出張に行ってしまったからだ。
バルトロメアはついて行こうとしたのだが、諸々の理由で無理になってしまったそうだ。心底残念そうな様子から、雇い主さんへの想いが強いことも推測できた。
出張の間は自分も長期休暇ということにしてもよかったけど、じっとしていられない性分らしい。
だから何か雑用でもすることはないかと、ここに来て相談していたわけだ。
バルトロメアの言葉を借りるなら、そこで運命的な出会いをしたことになる。
あたしにとってもある意味運命的というか衝撃的な遭遇だったけど。バルトロメアみたいな女の人と接するのは初めてだ。
「ナツミちゃんって異世界から来たんだよね。いいなあ、なんか雰囲気が違うもん。アタシが最初の友達って、やっぱり最高に幸せ……」
好意は全力解放しているけど、それはあくまでスキンシップの範囲内だろう。あたしを傷付けるようなことは一切してこなかった。
それが何を意味するのかを深く詮索するようなことをする気はないし必要もない。
正直あたしもこんなに好かれて嬉しい部分もあるし、友達を疑ったりなんてしたくない。
「ナツミちゃん、町の方は歩いてみた?」
「ううん、まだこの中しか見てないし、外は景色を眺めたくらい」
こんな会話をしている最中も手は繋いだままだけど、それがバルトロメアらしさってことなんだろう。
よく考えたら、元の世界にもスキンシップ好きな子っていたもんね。ここが異世界だからって身構える必要はない。
「それなら、アタシに案内させてほしいな。この国のことをもっと知ってもらいたいし、好きになってもらいたいから」
キラキラした眼差しを向けられて、反射的に頭を縦に振りそうになる。
けれど少し考えた。
あたしはバルトロメアから真っ先に教えてもらうべきことがあるはずだ。
そう。リトリエについてのあれこれだ。
「それもいいんだけど、リトリエってのが何か教えてくれないの?」
そのためにバルトロメアが呼ばれたはずだ。自分の役割を投げ出すようには見えないんだけど、あたしの目が曇ってるだけかな。
改めてバルトロメアを見てみると、人差し指を顎につけながら首を傾げるという可愛さとあざとさを兼ね備えた仕草をしていた。
あたしの目が釘付けになるのも当然だよね。うん、変じゃない。
「んー……何をするかってのは人それぞれだし、決めごとも一定じゃないからなあ。でも大丈夫。ナツミちゃんならきっといいリトリエになれるよ」
普通に自信付けられるより、その透き通った声で言われるとなんだか信憑性が増す。
ちょっと照れちゃうな。
じゃなくて。
さっきからバルトロメアのペースに飲まれてるよ。楽しいからいいんだけど。
「でもさ、あらかじめ知っておくべきこととかあるんじゃないかな」
「こういうのは教わるより自分で経験して覚えるようなことだし……説明するの難しいよ」
うーん、と唸りながらバルトロメアは俯いて難しい顔をしている。釣られてあたしも視線を下に向けると豊満な谷間が見えた。
……ふむ。
やっぱり男女関係なく気になっちゃうよね。決してあたしが特殊というわけではない。
女同士だし見てても変質者呼ばわりされることはないだろうからこのまま眼福ごちそうさまでもいいんだけど、それよりも劣等感の方が強くなりそうなので見当外れの方へ顔を向けた。
何を食べたらあんなに育つんだろうか。それこそ環境の違いって奴かもしれないけど。
「そうだ、いいこと思い付いた!」
「な、なに?」
いきなり顔を上げるからびっくりした。
胸を見ていたのがばれたかと思ったけど違うみたいで一安心。
どんな名案を閃いたのだろうか。
「アタシがナツミちゃんのリトリエになって、実際に体験してみるの! いいよね、これ。うん、間違いない!」
「え、あの」
あたしを置いたままバルトロメアが突っ走っている。
言葉が自己完結してるってことは譲る気ないなこれ。
「うふふ……ナツミちゃんを全力で癒してあげるからね。じーっくり教えてあげる」
「いや、普通でいいんだけど」
「これがアタシの普通だよ? まあ、人にはよく開放的だねって言われるけど自分じゃよくわからないし」
うん、やっぱりバルトロメアはこういう子みたいだ。
恐れずにありのままを出せるってことは、羨ましくて素晴らしいことだと思う。
あたしが素の自分を見せたらどう思われるのだろう。バルトロメアは笑って受け入れてくれるかな。
それを探る勇気をあたしはまだ持っていない。
「それより、早く行こうよ」
「どこへ?」
ブルーになりかけたところで手を引かれた。体勢を崩しかけたあたしに、バルトロメアは満面の笑みでこう告げる。
「案内するって言ったでしょ? これもリトリエの仕事の一環だよ」
「うまいこと言ったつもりかもしれないけど、バルトロメアがそうしたいってのが本音だよね」
「おお、さすがナツミちゃん鋭い」
なんとなく扱い方がわかってきた。
意識なんてせずに接することができれば、それはきっと本当に親しくなれたと言えるよね。
「まあ、いいけどさ。バルトロメアとは長い付き合いになりそうだし、そんなに急がなくてもいいんじゃない?」
「それもそっか。ナツミちゃんとの時間はゆっくり過ごしたいし!」
「なるほど、そう来るわけね」
打ち明けてしまうと、今のあたしは結構きわどいところでグラグラしている。
だって、魅力の塊みたいなバルトロメアがすぐ近くにいるのだから。色気に惑わされるのは男ばかりだとは限らない。
バルトロメアはちょっとオーバーリアクションなところがあるから、絶えず体のどこかを動かしている。
そうすると長い髪も一緒に揺れて、甘い花のようないい香りが漂ってくるわけだ。
これが一番まずい。
油断していると意識なんてすぐ持っていかれそうになる。経験がないからわからないけど、ほろ酔いっていうのが多分しっくりくる言葉なんだろう。
むしろ既に酔っているのかもしれない。だって頬が熱いんだもの。
「ほら、こっちだよ。ここ広いから迷子にならないように気を付けてね」
なんてことを考えながら気を紛らわせているうちに、バルトロメアに連れられて部屋の外に出ていた。もちろん手を繋いだままなので迷子になる心配はない。
違う方向に迷うこともない、はず。
ちょっと突き抜けた部分もあるけど、バルトロメアは今までの子たちとは違う。
なんだかんだ言いつつもどこか安心してしまうのは、心のどこかでそう考えているからだろう。
過去の経験を吹き飛ばしてくれるかもしれない。そんな期待もちらついている。
別段つらい過去ではない。
ただ、色々なことが少しだけ普通ではなかったというだけのこと。
あたしの周囲には常に誰かがいた。それはつまり、女子だけではなく男子もいたということになる。
通っていた高校は公立の共学校だった。偏差値のランクは平均よりわずかに高い。どこにでもあるような普通の学校だ。
高校デビューという言葉に当てはまるのかは知らないが、男子たちは変に浮付いて色恋沙汰に過剰反応する年齢になるらしい。
あたしのような女にも言い寄るような物好きもそれなりにいた。
けれど、その誰に対してもあたしは特別な感情を持つことはなかった。好意を向けられていることは理解できたが、その先にあることが想像できなかったのだ。
あたしもいっぱしの女子高生だから、男性と交際して深い仲になることの意味くらいは知識として持っていた。
でも、それが自分と結び付くと途端に現実味が薄れてしまうのだ。
二次元の美形キャラが歯の浮くようなセリフで口説いてくる場面の方がはっきり想像できる。
あたしはどこかズレていたのだ。
そんな内面は誰にも知られることがなく、周囲からは「言い寄る男子どもをバッサリ切り捨てるクール女子」なんて目で見られることになった。
女友達の恋愛話にそっけなくしていたせいで、勝手にミステリアスな雰囲気を背負わされてしまったのだ。
今考えれば、ここに人を引き付ける能力とやらが影響していたのかもしれない。
普通なら人付き合いが悪いと仲間外れにされてもおかしくないのに、逆に好印象を持たれたことになるのだから。
まあ、結局そんな友達もあたしが浪人したのをきっかけに距離を置くようになったけどね。
自分からそうしたとはいえ、あたしの能力は絶対完璧というわけではないようだ。自分で壊そうと思えば叶ってしまう程度ということか。
……と、長々と思考の海を漂っているうちに出口が近付いてきたようだ。
吊り下げ式の城門みたいなのを想像していたけど、押して開く普通の扉だった。ガラス張りのように透き通っており、外の様子もなんとなくわかる。
「ナツミちゃんと一緒だからかな。あっという間に外に出られたね! んーっ、お日さまが眩しい」
室内での長いあれこれを経て、ようやく青空の下に立つことができた。
その広大な空には白い雲がいくつか浮かんでおり、地球と大差ないように見える。太陽らしき眩しい光源も一個だけだ。
気温は過ごしやすい陽気と言えるほどで、日本なら五月後半くらいの暖かさだ。
それと今更だけど呼吸も問題なくできているし、よそ者のあたしが住めない環境ではないようだ。
振り返ると、今まで内部を歩き回っていた中央庁の建物が圧倒的な迫力でそびえ立っている。
かなり高いのだろうと想像していたけど、顎を上げても頂上がよくわからないのは計算外だった。
空を突き抜けるようなそれは、都心に乱立するビジネスビルを連想させた。
天気のいい日には窓が空を映して一体化するようなアレだ。もっと離れた場所から見れば、似たような光景が拝めるかもしれない。
縦に長いだけではなく、横幅も相当なものだ。
出入口もここだけではないと思う。名前からして国の中心にあるわけだし、せめて四方くらいにはないと不便だろう。
「どう? ラクスピリアの中心を見た今の心境は」
バルトロメアがあたしの顔を覗きこんできたけど、それに視線を返すことさえできずにいた。
「……言葉が出ない、ってのが素直な感想かな。こんなに大きな建物はあたしの世界にもそんなにあるものじゃないし」
「へえーっ、そうなんだ。もっとナツミちゃんの世界の話聞きたいな」
「あたしの世界かあ……何から話そうかな」
「どんなところに住んでるとか、何をして過ごしてるとか、どんなことでもいいよ。ナツミちゃんのことならなんでも知りたいから」
「じゃあまず、あたしが住んでるのは日本って国で──」
それからバルトロメアの質問に答えるような形で、あたしの世界について色々と教えた。
会話をしながら行き先を定めずに歩き、気になる点があればあたしから質問をする。
たとえばこんな風に。
「ねえバルトロメア、今の人たちは?」
ケープのような服を着た数人の集団とすれ違った時のことだ。
その誰もが高齢者のような外見で、なんとなく巡礼者という言葉が浮かんだ。振り返ると、彼らが中央庁へ歩いていることがわかった。
「多分、老人組合の人たちだと思う。中央庁でやってる交流会に行くんじゃないかな」
「それってどんな集まりなの?」
「お年寄りの人がお茶を飲みながら雑談したり、地域の子たちに昔話を聞かせたりしてるの。アタシも小さい頃はお世話になったんだよ」
「なかなか充実してるね。あたしの国でも見習ってほしいよ」
「ナツミちゃんのとこはこういうのやってないの?」
「あまり聞かないかなあ。あたしが知らないだけかもしれないけど」
疑問のキャッチボールは途絶えることなく続いていく。
繰り返すごとにこの世界について知識が深まり、バルトロメアとの距離も縮まっていく気がした。




