第11話 最初の友達
その時、部屋の扉がコンコンと叩かれた。
「失礼致します。ナサニエルです。手の空いていた者をお連れしました」
「おお、待っておったぞ。入りなさい」
扉が開き、まずナサニエルさんの姿が見えた。頭を下げて入って来る様子を見て、やっぱり背が高いなあと再確認する。
その後ろに誰かがいた。
ちょうど物陰に隠れてよく見えないけど、女性だということはすぐにわかった。
今までの流れから考えると、あの人があたしに色々と教えてくれるのかも。男の人じゃなくてまずは一安心。
「お待たせして申し訳ありません。ほら、君も入りなさい」
ナサニエルさんに促されて、その人が姿を見せる。なんだか甘い香りが漂っているような気がするけど香水か何かだろうか。
「ナサニエル様の命で参りました。バルトロメア・カーライルと申します」
あたしが抱いた第一印象は「美しい」の一言だった。
バルトロメアと名乗った彼女の声は澄んだソプラノで、ハスキー気味なあたしにはない色を持っている。
流れるような栗色の長髪は、きっと心地良い手触りなのだろう。実際に確かめてみたくなる。このいい香りもきっとあの髪から発するものに違いない。
身長はあたしより少し高いくらいで、この場には少し似合わないワンピースのような服を着ている。薄手ながら体の線を強調するような姿は派手としか言いようがない。
そして、そんな服装だから嫌でも目につく部分がある。
そこがあたしと一番の差だと思う。あまり言いたくないけど、わかりやすく単純に表すなら貧相と豊満って感じだ。
たぶん年齢もそんなに離れていないと思うけど、格差社会がここまで深刻な侵食をしているなんて。
「ふむ、バルトロメアよ。話は聞いておるだろうが、改めて頼むとしようかのう。こちらに座る娘なのじゃが」
ジリオラさんの顔がこちらに向けられる。釣られてバルトロメアもあたしを見た。二重瞼の奥にある瞳と目が合って、思わず斜め下を向いてしまう。
だって、あんな綺麗な目で見つめられたらどうにかなっちゃいそうだから。変な意味じゃなくてドキドキする。
いや、変な意味ってなんだ。
あたしはそっち系じゃない。別に否定はしないし抵抗もないけどさ。他意はなく心が揺れちゃうこともあるよね?
「……ジリオラ様。この子は?」
なんだろう。
場の空気というか、様子がおかしい気がする。
バルトロメアがさっきからずっとあたしのことを見ている。
それはもう穴が開きそうなほど興味津々といった具合だから、視線を戻そうにも絡め取られそうでチラチラ盗み見るしかない。
それでもバルトロメアの現状が普通ではないことは把握できた。輝かせた両目を見開いて、瑞々しい唇をわなわなと震わせている。
両手を重ねて胸の前で握り込んでいるのは、まるでそうしていないと心臓が今にも飛び出してしまいそうだからだと言わんばかりだ。
これに似た場面は何度か見たことがある。だからなんとなく想像はできるんだけど進んで認める気分にはならない。
なぜなら、バルトロメアがまるで少女漫画の恋する主人公みたいだからだ。
一目惚れの電撃に打たれたみたいだ、という具体的な言葉は想像しないようにすればするほど頭の中を埋め尽くしていく。
だって、いきなりこんな展開になって受け入れろと言われても無理な話だ。
今までの異世界的な空気はどこへやら。早く戻ってきてください。
「ほう、早速能力の片鱗が見えてきたようじゃな。この世界の空気が良い影響を与えておるのか、あるいは……」
「あ、あのー。ジリオラさん?」
なんか意味深な呟きは後にして、まずは現状に目を向けてほしいんだけど。
ああ、熱視線が刺さる。痛いというよりも温かいと表現した方がしっくりくるのがまたなんとも言えない。
ほんのわずかな救いを求めてナサニエルさんはどうしてるかと見てみるが、直立不動でジリオラさんの横に控えているのがわかっただけだった。
確かに立ち振る舞いは似合っているんだけど、少しくらいは助けてほしい。それともこれは口出しするまでもないことなのだろうか。
「その娘が異世界からの客人じゃ。リトリエの先輩として、バルトロメアには教育係を頼みたい。やってくれるな?」
「はい、もちろんです……」
バルトロメアの返事がちょっと怪しい声色だったのは気にしたらいけないんだと思う。
その頬がうっすら赤くなっているのも、同じく見なかったことにする。
だってさ、唐突なラブコメ的な展開をはいそうですかと受け入れるなんて無理な話じゃないか。
しかも一般的なボーイミーツガールではないときた。そういうのは色々と読んできたつもりだけど、いざ自分がその舞台に立つと変な気分というか形容しづらい。
「うむ。ではあとは若い二人に任せるとしよう。その方が何かとやりやすいじゃろうて」
え、何言ってるのジリオラさん。
杖を持ってどっこらしょ、じゃなくてもう少しフォローとかしてくれてもいいのではないでしょうか。
「バルトロメアよ。教え方はお主に任せるが、不仲になってはいかんぞ。リトリエとは何かを教えるのじゃから親しくせんといかん」
「はい、もちろんです……」
「良い返事じゃ。ではワシらはこれで失礼させてもらおうかの。ゆくぞ、ナサニエルよ」
「かしこまりました。それではこれで。どうぞごゆっくりご歓談ください」
あ、本当に出て行った。
良い返事じゃ、とか言ってたけど「はい、もちろんです」ってさっきと同じ答えじゃないか。いいのかそれで。
バルトロメアはさっきからこちらを見てくるばかりで声をかけてこない。何か喋ってくれたら少しは気が紛れるんだけど。
「えーっと……はじめまして。よろしくお願いします」
まずは様子見ということで無難な言葉を投げてみる。ある意味で極度の緊張状態なこの雰囲気で冒険をする気にはなれない。
「こちらこそよろしくね!」
とか思っていたら一瞬で場の空気が弾けた。
目にも止まらぬ速さで距離を詰めてきたバルトロメアに、いつの間にか両手を掴まれていた。
その腕をぶんぶんと振られながら、あたしはただあっけに取られるしかない。
「名前はなんて言うの? あ、そうそう。アタシのことはバルトロメアって呼んでね!」
「光浪夏海、です」
「ナツミちゃんね、わかった! 違う世界から来たばかりってことは聞いてるよ。だからアタシが最初の友達だね!」
「そ、そうですね」
「言葉が硬いよ、ナツミちゃん。敬語とかいらないから、もっと砕けた感じで話そうよ。その方がいっぱい仲良くなれるでしょ?」
なんて積極的な子なんだろう。あたしはただ圧倒されるばかりだ。
思えば、今までもあたしからではなく周囲からのアプローチが強い傾向があった。ただ待っているだけで人が集まり、あたしはそれを受け入れるだけで済んだ。
けれどこれはちょっと経験したことのない勢いだった。
繋がれたままの手は絶えず強弱をつけて握られているし、潤んだ瞳で真っ直ぐ見つめてくる。
このままだとあたしが変になりそうなので別のことを考えよう。
バルトロメアもあたしの名前を少し変わった発音で呼んでいたけど、やっぱりこの世界特有の現象なんだろうか。
あたしの目は自然と細くなり、視線は当てもなく泳いでしまう。こういうの、やっぱり少しくすぐったくて恥ずかしいから。
「ナツミちゃん?」
なんてことをぼんやり考えていたら、バルトロメアがちょこんと首を傾げてきたので目が思いっきり開いてしまった。
なんだこの可愛らしさは。
美しくて綺麗で可愛いとか完璧すぎて近寄るのが恐れ多くなりそうだけど手を取られたままなんだよね。すべすべして柔らかい。
じゃなくて。
つまりあたしは逃げられないってことを言いたいわけだ。
いや、逃げる気なんて元々ないけど。
「うん。よろしく、バルトロメア」
好意を向けられて嫌になるほど、あたしの根性は捻じ曲がってない。素直に嬉しいと思う。
こんな子があたしに懐いてくれるなんてさすがは異世界って感じだ。
なんか違うかもしれないけど、まあ人それぞれってことで。異世界にあたしの常識を照らし合わせてもしょうがない。
「ナツミちゃん、慣れない世界に来て大変でしょ? アタシがなーんでも教えてあげるから安心してね!」
勢いと熱意がちょっと過剰だけど、その言葉に嘘偽りは感じられなかった。心の底から好意を持ってくれているのがわかる。
あたしもバルトロメアと仲良くなりたい。
そんなことを思っていたら、繋いだままの手を無意識に握り返していた。
それに気付いたのは手から伝わる温もりが強まってからだった。
上目遣いになりながら窺ってみると、バルトロメアは深い喜びに包まれたような表情をしている。
その目が大きく開かれているおかげで、睫毛の曲線美が見放題だ。ぱっちりとした二重瞼は色気さえも漂わせているようだ。
こんな見た目と性格だから、きっとバルトロメアってモテるだろうな。少なくともあたしがいた世界では。
「アタシが今日ここに来てなかったら会えなかったわけだし、こうやって知り合うこともなかったよね。これってやっぱり運命かな……?」
バルトロメアが何か呟いているけどあえて触れないことにしよう。
ともかく、異世界で独りぼっちなんてことにはならずに済みそうだ。
ちょっと残念な姿を全開にしているバルトロメアだけど、悪い人じゃないってことは見ればわかる。
だって、本当に見境がなくなっていたら今頃あたしは押し倒されてあんなことやこんなことを……これは掘り下げなくていいや。
ちょっと首を傾げたくなるところもあるけれど、バルトロメアと一緒なら楽しく過ごすことができそうだ。少なくとも日々に退屈はしないだろう。
あたしはここで暮らしていける。バルトロメアがその根拠になってくれたんだ。
「えへへ……ナツミちゃんの手、あったかくて柔らかいなあ……」
うん。
なんというか、触り方がねちっこい。
ただ握るだけではなく、指先を摘まんだり手の甲を撫でたりしている。
くすぐったくなるほどではないけど、このまま永遠に離してくれないんじゃないかと本気で思ってしまう。
きっと、こういうのがラクスピリア流の仲良しアピールみたいなものなんだろう。文化の違いってやっぱりあるもんね。
バルトロメアはこういう性格ということだ。だから大丈夫。
……たぶん。




