第1話 始まりの観察
夢を見た。
もしこれが夢じゃなければ、この世は一夜にして豪快な変貌を遂げたことになる。
そこにあたしの意思なんてこれっぽっちも含まれてなんかいない。
どうせ変わるなら、あたしの理想をこれでもかってくらい具現化してほしかった。
想像するだけで欲しい物がなんでも出てくる世界とかいいよね。無から有を生み出すみたいなのって憧れるし、漫画の真似をして独特の仕草をするのは誰もが通る道だ。
さて、話を戻そう。
あたしは現在、そんないきなりの脱線で現実逃避をしたくなるほどの状況に置かれている。
簡単に言うと、あたしは概念みたいな何かになっていたのだ。
目を背けて考えるのを放棄したくなる気持ちがわかってもらえただろうか。
いや、誇張や冗談とかじゃないからね。
透明な存在となったあたしは宙に浮かび、空間の観測者となっていた。この時点で現実じゃないってことがわかるだろう。
そう。だからこれは夢に違いない。
けれど明晰夢にはならないようで、やはりあたしの思い通りに世界は変わってくれない。
念のため言っておくけどあたしは幽霊じゃない。
多少特殊な身の上だけど、れっきとした十八歳女子として生きている。
ついさっきまで布団の中ですやすや眠っていた、と思う。眠りに落ちる瞬間なんてわかるはずないし、気付いたらこうなっていたというのが正確な表現だ。
まさかなんの前触れもなくどこかの賢者様の気まぐれで異世界に転送されたってことはないだろう。
もしそうだとしたらあたしの体を返してほしい。あとヘマをした代償として賢者という肩書きを返上するべきだ。
とりあえず現状の把握はこれくらいでいいかな。
それと今いる場所だけど、これも同じく不明。たぶんどこかの部屋だと思うけど、もちろん見覚えはない。
改めて周囲を見渡そうとしたら、勢いが付き過ぎて視界がグルリと回った。体が消えてしまったせいで、慣れない動きにアタフタする始末だ。
プカプカと不安定に漂いながら、この薄暗い部屋の様子を眺めてみる。広さは八畳くらいだろうか。そんなに狭くはないようだ。
そこまではいい。
けれど、部屋の中にいくつも浮かぶ映像はちょっと普通じゃない。スクリーンも何もない空中に直接映し出されており、どこかのSF映画でも見ている気分だ。
そして、その映像を見上げる人影が二つある。
後ろ姿しか見えないけれど明らかに異国情緒溢れる佇まいだ。
どんな顔をしているのか前に回り込もうとするけど、やっぱり思うように動けない。
そうして手間取っているうちに声が聞こえてきた。
「さてと、次はこちらを見てみようかの」
「目ぼしい者が見付かれば良いのですが」
「そうじゃな。なあに、焦っても仕方なかろうて。どっしり構えてこそじゃよ」
それは今まで聞いたこともない言語だった。
密林の奥に住む原住民の古代語みたいだ、なんてイメージが勝手に浮かぶ。
それなのに、その意味が難なく理解できた。
意味不明の言葉が頭の中で自動的に形を成し、時間差がほとんどなく内容が把握できたのだ。
これで確信した。
やはりこれは夢なのだ。そう考えるのが自然だろう。こんなことが実際にあってたまるか。
最初に聞こえたのは老婆の声だった。どう考えても老人の言葉だったし明らかだ。むしろ型にハマり過ぎていて逆に疑わしいくらいじゃないか。
相当長い年月を生きてきたのだろう。顔にはその証となる皺がいくつも刻まれている。
けれど表情はそれほど険しくなく、言葉通りに余裕たっぷりといった様子だ。
魔法使いですと言わんばかりのローブに包まれた体の背筋は曲がっておらず、まだまだ元気はつらつでイキイキした雰囲気が伝わってくる。精神までは年老いていないってことかな。
さて、もう一人の方もなかなか濃いキャラっぽいぞ。見るだけで圧倒されそうなほど勇ましい肉体を持っているからね。
体にぴったり合うスーツの上から、格闘漫画のボスキャラみたいに隆起した筋肉が明確にわかる。百戦錬磨という言葉はこの人を表すために作られたんじゃないだろうか。
太い眉毛と豊かな髭を備えた彫りの深い顔も勇ましく、いかにも無敵の格闘家といった雰囲気だ。瓦割りをしたら地面まで砕く姿が容易に想像できる。
てか、どうしたあたし。
まるでお話の語り手みたいになっているぞ。夢のせいで人格までどうにかなったのだろうか。
まあ別にいいか。
どうせ夢なんだから流れに身を任せても構わないよね。早めにあるがままを受け入れるのが得策だよ。
ならばそれらしく観察してみようじゃないか。夢は楽しんでこそだよ。
見た目と言葉遣いからわかるように、やはりお婆さんの方が立場は上らしい。ということは格闘家っぽい人はボディーガードかな。
うむむ、どう考えてもファンタジー世界の住人そのものだよね、これ。
夢の内容って普段考えていることが影響するって噂は本当なのかもしれない。
さてと、今のところわかるのはこれくらいかな。どうせあたしが何かできるわけでもないし、もう少し観察を続けてみようか。
おや、魔法使いのお婆さんが杖を掲げているぞ。それに連動して映像の中にいくつか光点が浮かび上がる。
一体何が始まるのかな。せっかくの夢なんだからトンデモ展開期待してるよ。
「ふむ……広い世界のようじゃな。反応のある場所を一つずつ見ていくしかなかろう」
「素質の反応は……全部で十一のようですね」
「予想より数が少なめじゃが、まあよい。それだけ綿密な観察ができるということじゃ」
お婆さんは愉快そうに口元を緩めている。素質とやらがそんなに魅力的なのかな。
当然だが、その素質がどんなものかなんてことはあたしにはわからない。
そのうち話の中に出てくるかな。世界を守る勇者の才能とかだったらそれらしさ爆発でワクワクするんだけど。
おっと、格闘家のおじさんが動いたぞ。
何枚かの書類を持っているようで、光点と手元を交互に見ては真剣な顔つきで唸っている。
「ジリオラ様、こちらなどはいかがでしょうか。東方に位置するこの大陸で、唯一の素質保持者でございます」
「ほほう。ナサニエルよ。お主もなかなか鋭い観察眼を持っておるな」
「とんでもないお言葉でございます」
まずは二人の名前がわかった。魔法使いのお婆さんがジリオラさんで、格闘家の方はナサニエルさんというらしい。
うん。いい感じに情報が揃ってきたよ。
次はどんな展開を見せてくれるのかな。二人の動きが見逃せない。
「では、詳しく見てみようかのう……」
ジリオラさんが杖をその光点に向けると、地図がすごい勢いでズームインを始めた。広域の映像は瞬く間に市街地の風景に変わっていく。
見える景色は滑らかに流れて目的地へ一直線だ。空を飛ぶ鳥はいつもこんな景色を見ているのかな。
……あれ? なんだかこの景色、見覚えがあるような。
ふと浮かんだ疑問が晴れるのを二人が待ってくれるはずもなく、画面に大きく映された家をまじまじと見つめながら話を進めてしまう。
「ここが住居のようじゃな」
「我々の世界と大差ない家屋のようですね」
「似通った文化を持つ世界なのかもしれぬな。こういう発見も醍醐味の一つじゃよ」
住宅街の中にある、なんの変哲もない二階建ての家。外装はレンガ風に塗装され、ベランダには洗濯物が揺れている。
土地開発のついでに整備された場所だけあって、周囲には似たような家が規則正しく並んでいる。ベッドタウンになっていることもあり、夜になればすっかり静まり返ってしまう。
あたしがこんなに詳しく説明できるのも当然だ。
大々的に映し出されているのは、どう見ても自分の家なんだから。さっきから見覚えのある景色ばかりだったのも頷ける。
……ん?
待てよ。話の流れを整理してみよう。
この二人は素質を持つ者とやらを探している。その目標へ向かって進んできた先にあたしの家があった。そこに二人の求める人物がいるのだろう。
なんだろう。この展開。
思考中のあたしを無視して映像はいつの間にか家の中まで入り込んでいる。壁抜けでもしたんだろうか。
いや、それはこの際どうでもいい。
あたしは両親と三人で暮らしているわけなんだけど、この中に素質とかいうよくわからない何かを持った人間がいるってことだよね。
それって……まさか、ね。
「この部屋の中におるようじゃな。ほっほ、外まで素質の光が溢れておるわい」
「これほどまでとは……正直、驚いております」
「じゃろうな。ワシも歓喜の震えを抑えるのでやっとじゃ」
変な予想は当たるというのは何かの法則なんだろうか。
個性が強すぎる二人さえも圧倒させる光を放っているのは、あたしの部屋へ繋がるドアだった。
うん、わかってた。
もう驚かないよ。夢なんだから割り切ってないとバカみたいじゃないか。
さてさて、次はどうしてくれるのかな?
「さあ、ご対面といこうではないか」
ジリオラさんの合図で画面が室内へと進行した。扉の奥は見知らぬジャングル、なんてことはなく普通にあたしの部屋だった。
多少散らかってはいるけど、あたしにとってはこれくらいがちょうどいい。生活感に満ちているって思うし。足の踏み場くらいはあるし、どこに何があるかはしっかり頭の中に入っている。
決して片付けるのが面倒とかいうわけじゃない。断じて。絶対に。
それにしても、部屋を覗かれているというのはなんとも妙な気分だ。
しかもこっそりというわけではなく、あたしの目の前で堂々と見ている。なんというか何もできない自分がもどかしい。
あ、ベッドに誰か寝てる。いや、あたしに決まってるんだけど。
ここで関係ないおじさんとかがいたら夢っぽいんだけど、そんな非現実的なことは許してくれないようだ。夢のくせに。
あたしの寝顔に映像が近寄っていく。寝息までこちらに伝わってきそうなほど安らかな表情をしている。
自分の寝顔なんて見るの初めてだ、なんて感動が消えるくらい恥ずかしい。
そんなにジロジロ見ないでってば!
叫びは声になることなくあたしの中で弾け飛ぶ。
「……この少女が、そうなのですか?」
「そのようじゃな。ほれ、こんなにも素質が溢れておるわい。自身で制御するには至っておらんようじゃが、それでも十分過ぎるほどの逸材じゃ」
あたしもそう思う。
自画自賛じゃなくて、映像の中であたしは目が眩むほどの光に包まれているからだ。
きっと、これが素質の証なんだろう。何ができるのかは知らないけど。
「さあて、この子は一体どんな生活をしておるのかねえ。ちょっと観察してみようじゃないか」
「そうですね。この少女が私たちの世界へ招くに値する人物なのかを見定めなくては」
「等身大の姿を見せてほしいものじゃな」
言い終えると、ジリオラさんはゆっくりと振り返った。宙へ投げられたその視線は、真っ直ぐにあたしへと向けられている。
透明で不可視の存在となっているはずのあたしへ。
……もしかして見えているの?
そんな疑問を持った瞬間、あたしの意識は白く染められて何もわからなくなってしまった。