アポイントは重要です
私が灰音さん達の仕事を手伝って数日が経過した頃。
「そういえば君ってさ、自分の使えている神にはもう会ったの?」
食堂で朝食を摂り終って後片付けをしていると、いきなり機嫌の悪そうな表情をした那音さんが入ってきたかと思えば突然そんなことを聞いてきた。
「――は? 何さらっと言ってるんですか那音さん。私は分家だからそこまで信仰心は高く無いとはいえ、瀬川家が信仰している神様は月読命様ですよ? そんな簡単に会えるわけ無いじゃないですか。しかも神様が人に会うなんてことがあるんですか?」
「まあ、アポとってないから時間は掛かるだろうけどね」
「…………アポ?」
「アポイントメントだよ。知らない?」
「いえ、意味は分かりますが」
「天帝よりは低いけど、位が高い人に会うんだから当然でしょ?」
まあ、普通なら当たり前というか常識的なことなのだが釈然としないのは何でだろうか。
……そういえば、私が今いる世界は妖怪やら幽霊やら神仏がいる天界だから当然月読命様や天照大神様がいるのか。
「出来れば余り会いたくないんですけど……神なんていないとか言ってたのがバレそうで怖いです」
「本当に神社の娘なんだよね? 柊さん」
「人というのは人生の中のある一時期に意味も無く全てに反抗して、勝手に疑心暗鬼になる時期というものがあるんですよ那音さん」
「ふーん。君は年中無休でそうなんだろうね」
「母さんと同じこと言わないでくれますか」
家で何度も言われた言葉に顔を顰める。
最近だと母だけじゃなくて父にも反抗期だと言われるようになったから困ったものだ。
軽く頭を掻くと、部屋の扉が慌しく開いた。
「ちょい! 那音、お前ちゃんと飯食ってから柊ちゃんのとこに行けってオレ言ったでしょーがっ!!」
「誰……あ、薊さんか」
「あ、柊ちゃん!? おはよう、よく寝てちゃんと朝飯も食った?」
「はい」
「ならよしっ」
勢いよく叫びながら入ってきた見知らぬ黒髪の青年に首を傾げたが、声がよく知っている薊さんだと気付いてポンっと手を打った。
前にも見たことがあるのだが、いつもワックスをつけて撥ねさせている髪やらジャラジャラつけたピアスや鎖がないと誰なのかが未だによく分からない。
頷いた私に満足そうに笑ってから片手に持っていたトレーを那音さんの前に置く。
今週は会議が多いらしく、那音さんや薊さんも組織に近い寮に泊まっているので最近はよく顔を合わせることが多い。
それで色々と分かったことがあるのだが
「ほら、さっさとこれ食って支度する! 月読命様に会うんだったらちゃんと礼装着て身だしなみ整えねえと」
「礼装なんて別にいいでしょ。僕等じゃなくて彼女が会うんだから……あと、朝御飯はいらない」
「その付き添いでオレ達も行くんだからちゃんとしないと駄目だろっ。後、朝飯はちゃんと食べろ!」
那音さんはかなり小食で朝が弱いのと、薊さんが見た目に反して世話焼きだったことだ。
何回か那音さんと食事をしたことがあったが、減量中だからとやけに言いふらしていた同じ組だった寺小屋の子よりも彼は食べる量が少ない。
そのくせ、かなり舌が肥えているから面倒な駄々っ子。
薊さんは気がつけば仁さんと部屋を掃除していたり、那音さんとは逆に何でも食べてしかも大食いな智也さんのご飯を作ったりと何かと誰かの世話を焼いている苦労人。
よく考えてみれば、私も結構お世話になっている。
ご苦労様ですホントに。
第一印象では一番苦手なタイプの人だと思っていたのに、変わるものだな。
ああ、そういえば薊さんといえばこんな事があった。
「あれ、柊ちゃんどうした? 結構夜も更けてきてるから、早く寝ないと次の日しんどいぞー」
「少し眠れなくて。後、どなたですか?」
「ぇえ!? オレだよオレ! 華麗なる組織の看板、スナイパー薊だよ!?」
「なんですかその売れない芸人みたいな名前は――って、薊さんですか!?」
「そうです薊さんですよオレは!」
なんとなく眠れなくて、寮の広間で涼むもうとそこへ向かったら先客の黒髪の優しそうな表情をした青年に聞いたことがあるような声を掛けられて会話をするとその青年はまさかの薊さんだった。
暗い部屋に響く焦ったような声は確かに薊さんのもので、かなり驚く。
それがそのまま顔に出ていたのか私の顔を見て薊さんは悲壮感を漂わせながら肩を落とした。
「何でか知らないけど、よく言われるんだよなぁ……オフになったときのオレを見て『お前誰!』って」
「でしょうね」
えー何で何でっと騒ぐ薊さんをよくよく見てみると、私はとあることに気がついた。
「あの、薊さん」
「んー? 何?」
「昼に見かけたとき、結構な数のピアスをつけていたと思うんですけどその割には余り耳に穴を開けてないんですね」
「うっわ、気付いちゃったかぁ……」
髪から覗いた薊さんの赤いピアスが一つ付けられた耳を指差すと、何故か薊さんは罰が悪そうな顔をした。
視線を彷徨わせて、唸った後
「三十年前に開けたのはいいんだけどさ、流石に二つ三つ穴開けるのは仕事に就いてる奴としてどうよと思って開けなかったんだよね」
随分と生真面目な理由を語った。
世の十代の派手な格好をして平気で就活の面接に行く若者に聞かせてやりたいくらいだ。
ちゃんと聞くと、育ての親に貰った赤色の小さなピアス以外は全部下の人の世界で最近購入したマグネットピアスらしい。
育ての親から貰ったピアスはかなり大事にしているようで、貰ったのは数十年前くらいなのに殆ど新品みたいに見える。
見かけだけでは人を判断できないことが良く分かった日だった。
数日前の薊さんに対しての見解を変えることになった出来事を思い返していると、とうとう薊さんに観念したのか那音さんが薊さんが持ってきた朝食をかなりゆっくりと食べ始めていた。
「あともう少ししたら、食堂に飯たかりに行った智也と朝の見回り行ってる仁が戻ってくるから、それまでには食って準備しろよ那音」
「朝から元気だよね皆。僕には何でそんなに元気なのかが分からないよ」
「皆が皆、那音みたいに低血圧なわけじゃないから」
「それどういう意味? 薊……柊さんもそうだよ。そういえば香美から聞いたけど君、毎朝五時起きだって? 普通のニンゲンの君くらいの年の子って昼まで寝てるものじゃないの?」
「他の子は知りませんが、私は日課です。幼少の頃からずっと母に叩き起こされていたので。その分、寝る時間を早めてますよ」
ふーんと、ゆっくり朝食を咀嚼する那音さんから一度も目を離さずに監視していた薊さんが急に私の方に向いて紙袋を差し出した。
「柊ちゃんも、那音が飯食い終わるまでに礼装に着替えておいてくれよ」
「……本当に会いに行くんですか?」
「彼女の協力もないとこれからは厳しいしね」
「そう、ですか」
ばっさりと言い切られて、キリキリと痛んできた胃を労わるように腹を擦りながら別室で礼服に着替える。
すっかり正月くらいしか着る事のなくなった巫女装束を記憶を頼りに纏っていく。
流石に神社の娘が巫女装束を自分で着れないというのは恥ずかしい。
「まあ、こんなものですか……ねっ」
最後に帯を締めると、思いのほか強く力が入って息が詰まる。
微調整をしながら薊さん達のいる部屋に戻ると
「いやいやいや、君等は行かないからね!? 行くのはオレ等特攻隊と後から合流する香美と冬樹だけだからっ」
「えー、折角夜祈から巫女様の話を聞いてここまで来たって言うのにつまんないっす」
「その通りですわ。わたくしも巫女様にお会いしたいです」
「アイツか! 余計なこと言い触らしたのっ」
薊さんと知らない人二人が騒いでいたのと、
「何で柊に会おうとしたらいつも馬鹿犬の方に会うのかニャー。オレって運ナイ?」
「帰れ」
「柊に会うまではヤダ」
絶対零度な修羅場を急ピッチで作り上げている仁さんと夜祈さんがいた。
いきなり現れた急な展開に目眩がする。
部屋の隅に目をやると、ちゃっかりと避難している那音さんと溜息を吐く智也さんがいて迷わず私はそちらに向かった。
「あの、薊さんと話している方々は何方ですか?」
「……何だ、戻ってきたんならアレどうにかしてくれマセンカ巫女サマ」
「無理です。こういうときだけ様づけするの止めて下さい智也さん。めんどくさいって思ってるのがバレバレですから」
「……ッチ」
遠慮のない舌打ちをして、腕を組み直すも動く気配が全くない智也さんに呆れつつ同じように壁にもたれると、智也さんが小柄な少年と私と同じくらいの年の子に見える女の子を指差した。
「ちっこい方が冬樹の隊員帯人で、女の方が夜祈のいる部隊の隊長、アリスだ」
「何故そんな方々がこんな所に?」
「さあ、知らないな。仕事じゃないってことは確かだが」
そんな自由で大丈夫なのか天界。
やいやい騒ぐ彼等を見て何度目か分からないこの言葉が頭の中で回った。
アリスさんと言えば、異国の文化が入ってきた時に母が買ってきた『不思議の国のアリス』のアリスさんなんだろうか。
初めて見た異国の物語たちはどれも不思議な世界でとても面白かった。
その中でも一番好きだった物語の主人公が眼の前にいるということでかなり気分が高揚したのだが、少し前に香美さんから聞いた『白雪姫』の真相を聞いて少々げんなりしたというか想像していたものと違った世界だったので手放しに喜ぶことが出来ない。
「……でも、すごく想像通りの姿なんですけどね」
「何が?」
「いえ、なんでもないです」
楽しげに薊さん達と騒ぐアリスさんは、物語に書いてあった通りの水色のエプロンドレスに長い金髪の顔が整った可愛い少女。
話してみたい。
でも、何を?
ああ、こういう時に自分のコミュニケーションの低さと話し下手なのが嫌になる。
余りのもどかしさに両腕で頭を掻き毟った。
家でやれば母に平手打ちされるが、ここにはいないので何も問題ない。
「柊さん? 何を唸っているの?」
「自分の不甲斐なさがもどかしいんですよ……」
「うわあ、今気付いたの? 遅いね。まあ、気付かないよりはましだけど」
「いちいち腹立ちますね……そういえば、何で那音さんはこんな部屋の隅にというか智也さんの後ろにいるんですか? 隠れているわけでもあるまいし」
「君の方こそ、いちいち余計なことに気付くよね」
隠れてるんだな。
アリスさんからなのか帯人さんからなのかは知らないが。
いつもの姿はどこへやら。
眉を下げて薊さん達の様子を窺う姿は顔どおりの幼い少年に見える。
まあ、ガタイがいいだけに余り見栄えがよろしくないのだが。
「あ、あなたが巫女様っすか?」
「うっわー。ちょぉっとタイミングが悪い時に来ちゃったねー柊さん」
……どうやら、気付かれてしまったらしい。
薊さんとやいやい騒いでいた帯人さんとアリスさんが眩しいくらいの笑顔で駆け寄るのを見て、少したじろいでしまう。
この二人の内どちらかが“あの”那音さんを怯ませている人物なのだ。
那音さんですら手に余るというのに、那音さん以上の人なんて一体どうやって対処していけば……
「お会いしとうございましたわ巫女様! 夜祈から話は窺っております。わたくし、夜祈が所属する情報部隊隊長アリスと申します……あら、那音様!? こんな所におりましたの?」
「げっ」
「女性に向かってげってどうなんですか」
この人か。
額を押さえて低く呻いた那音さんとは裏腹に、目を輝かせて那音さんを身長差があるせいか見上げるように見つめる彼女を見てニヤニヤとした笑いが止まらない。
何でこうなっているのは分からないが、普段強気な人がこういう弱気というか弱っているのを見るのは楽しいってわけじゃないけど何かに勝った気がする。
「おい、考えていることは分かるが顔に出すぎだ。露骨にだすと那音が拗ねてめんどくせえことになるから、控えめにしとけ」
「はーい」
「聞こえてるよ二人共……っ! ちょっと、近すぎだよ君」
「近いだなんてことはありませんわ! これでもまだ足りないくらいですもの」
「それ以上近づくと例え僕より上の地位の人でも、刺すからね」
やっぱり那音さんは那音さんだった。
にじり寄ってくるアリスさんを薙刀の様な槍で牽制しだした那音さんを見て、心底そう思う。
でもまあ、刃を突きつけられても怯まずに恍惚とした目で那音さんを見つめるアリスさんも流石は天界の上級妖怪というべきなのか。
「何騒いでるのアリス? あ、柊。居るなら声掛けてくれたらイイのに」
「あの冷戦状態のお二人に話しかけるという勇気は私には持ち合わせていません。先程智也さんにも聞いたんですが、夜祈さんはどうしてここに?」
「知りたい? 柊」
「……? ええ、まあ」
突然笑顔から真顔になって迫ってきた夜祈さんに思わずアリスさんに迫られた那音さんのように後ずさってしまう。
なんなんだこのよく分からない空気は。
私の手を手を取って顔を後数センチって所まで近づける。
「それはネ……柊に会いに来――痛っ」
「大丈夫ですか夜祈さ……なんでもないです」
「柊に近づくな。消えろ」
私に低く囁いた夜祈さんだったが、顔が引き攣って低く呻いた途端私の視界から消えた。
代わりにといってはなんだが、夜祈さんの真後ろから現れた仁さんが容赦なく倒れた夜祈さんを踏みつけて掠れた声で毒を吐き捨てる。
いつもより細めた目が私の方へ向いたので言いかけた言葉はそのまま飲み込む。
まずい。
仁さんのご機嫌がすこぶる悪いみたいだ。
原因は分かりきっているが。
それで夜祈さんを殴り倒したのか、右手に持っていた鞘を腰に戻していた。
刀が納まったままだから、鈍器で殴られるのと同じくらい痛いだろうし下手をすれば相手が死ぬ可能性もある。
大体これで二人の関係性が分かった気がした。
すぐに起き上がった夜祈さんと仁さんは無言の睨み合いを始めてしまい、またさっきの冷戦状態に。
「ちょっと、それくらいにして下さい二人共……って、聞こえてないですね」
「まあ、あの二人は放っておいた方がいいっすよ巫女様!」
「そうでしょうけど。帯人さんとアリスさんは何故ここに?」
「夜祈から巫女様が月読命様へ謁見すると聞いたので、自分のご挨拶ついでに護衛にと」
「ついでが護衛なんですね」
「ハハハッ」
悪びれもなく快活に笑う帯人さんに少し脱力してしまう。
この人は他の人とはまた違った感じで自由人だ。
そろそろまともな人に援護してほしいところなのだが、生憎香美さんは別の仕事で何日か前に出かけてしまったし……
助けて、薊さん。
「はいはいそこまでっ。そろそろ行かないと時間もないから、さっさと行くぞー。帯人とアリスと夜祈は来てしまった以上仕方ないから護衛手伝ってくれよ」
「もちろんっす! 自分がいるからには巫女様に傷一つ付けさせませんっ」
「それじゃあ、守るためにも近くにいないとね」
「近づきすぎっしょ夜祈」
「ニャッ!?」
軽いノリでかなり接近していた夜祈さんを薊さんが襟首を掴んで止めた。
結構強めに掴んだのか、苦しそうにしている。
初めて会った時は薊さんの方が軽い人に見えたけど、今じゃ夜祈さんの方が軽い人に見えるから不思議。
意気込んでいる帯人さんの隣では
「と、いうことは暫くは一緒ですわ那音様!」
「……そうなるね。至極残念なことに」
「確かに、ずっとではなく暫くの間なのが残念ですわ」
「そういう意味じゃないよ」
珍しくも疲れきった那音さんと眼を輝かせているアリスさんが作り出した異様な空間が作り上げられていた。
微妙に会話が成り立ってないのが少し笑える。
「とりあえず、僕の隊はいつも通り柊さんの周りで護衛。他の三人は先に月読命様の屋敷で待機してて。仕事が片付いたら香美と冬樹も合流するから」
「香美先輩と冬樹隊長も来るんすか……はぁ。また怒られる」
「文句は聞かないよ。香美を怒らせるようなことをする君が悪いからね……じゃ、各自持ち場について」
ばっさりと指示を出していく那音さんにああ、そういえばこの人智也さん達の隊長で結構上の階級だったことに今更ながら思い出す。
普段がいじめっ子みたいな発言をして、まとめるのが智也さんか薊さんだったからすっかり忘れてた。
何をしたのか、青ざめている帯人さん以外は異論は無いらしくアリスさん達は先に出て行く。
「僕達も行くよ。ほら、何呆けてるの柊さん」
「あ、はい。今行きます」
少し苛立っているようで手荒にドアを開けて出て行く那音さんを慌てて追いかけた。
月読命様については……今は考えないでおこう。
信仰心が薄いってばれたらまあ、それまでだ。
サブタイトルが考えつかない・・・単純に数字とかにしとけばよかったと後悔している今日この頃