狩人の女性と、私と死
少し、血等の過激な表現があります。
苦手な方はご注意下さい。
「ここはこんなものか……さあ、次へ行きましょう巫女様」
「分かりました」
仙や霊、妖怪で賑わう市場を見渡して頷いたきつめの金色の髪の女性――灰音さんが歩き出すのに合わせて私も後を追う。
ここ最近、私は実習を兼ねて灰音さんの仕事の補助として着いて来ている。
灰音さんの仕事は基本以上がないか街や市場を見回る、いわば交番の駐在さんのようなもの。
振り分けられた地域を一つ一つ見て周って、何か異常がないか聞き込みをするだけの簡単な仕事なので初めはこれでいいだろうと智也さんが灰音さんに紹介してくれたのだ。
灰音さんは何と言うか、遠まわしに言えばすごく優しい人。
直球で言ってしまえば……男前なのだ。
とても。
「次の場所は少々歩くことになりますが、よろしいでしょうか?」
「私は大丈夫ですよ」
「良かった。――あ、そこは少し道がぬかるんでいるようなのでお気をつけ下さい」
「はい」
言うこと一つ一つが男前な彼女。
ここに来るまでにも雑草に足を取られて転びそうになったときも寸前で私を抱きとめてくれたりと、同姓だと分かっていてもときめいていまうようなことが多々あった。
天界に来てからは顔が整った人達は結構会ったのだが、中身までもが紳士的な人は初めて会う。
いや、仁さんや薊さんもいい人なんだけど他の部分にちょっと問題があるから……
……こんなこと考えている場合じゃないな。
気を引き締めよう。
今は仕事中なんだ、うん。
彼女の忠告通りに足元のぬかるみに気をつけながら、慎重に彼女に着いて行く。
彼女の背で揺れる弓をボンヤリと眺めながら、私は懐に忍ばせた御札を握った。
仕事を手伝って欲しいと那音さんに言われた時に何気なく言われた『護衛の人数の増員』
これの意味は勿論、最初に予定していたものよりも相手の勢力が大きかったということ。
……気をつけないといけないな。
前の時みたいに薊さんが助けてくれたり、香美さんがいてくれたりなんてことなんてそう何度もないだろうし。
御札を握る手に力が篭った。
「巫女様。着きましたよ、あとはここを周るだけで本日の仕事は終わりです」
「はい」
ファインダーを手にして短い髪を揺らす灰音さんの補佐に周りつつも、近くにいた顔に大きい口以外何もないのっぺらぼうの類の妖怪みたいな女性に話しかける。
「こんにちは。少し、お話を窺いたいのですがお時間はよろしいでしょうか」
「ええ、いいわよ」
「ありがとうございます。では、一つ目の質問ですが――」
快くアンケートを引き受けてくれた女性に、精一杯愛想がいいように見えるよう勤めてファインダーに指定されている質問の女性の受け答えを書き込む。
横目で辺りを見ると、私のすぐ真後ろでさりげなく私を気遣いながら初老の足が一本しかない男性に質問をしていた。
大丈夫そう、ですね。
少しだけ安心しながらも快調に質問を進めていく。
女性の答えた質問を一言一句書き残しがないようにぎこちない手付きで書いていると、視線を感じて思わず私は顔を上げた。
「どうかしましたか?」
「うふふ……なんでもないわ。それにしてもあなた、ニンゲンの割には随分力が強いのね」
「あー、まあよく言われますが私は何もできない“ただの”人なんですけどね」
話が変な方向に行きそうになったので、薊さんを思い浮かべて彼のように少しふざけた顔で笑いながら話を逸らす。
出来る限り事情を知っている人以外は私が巫女だと悟らせないほうがいいと香美さんに言われているのだ。
妖怪にとっては妖力ではない、人である巫女が持つ力に惹かれてしまうんだそうで。
本能的に手を伸ばして自分のものにしようとするらしい。
そのやり方は、物理的に喰らったり身体の一部分を身につけたりと様々で危険極まりないから出来る限り私も天界に住んでいる人という設定を演じている。
そんなグロテスクな死に方は絶対にごめんだ。
私の質問に答えている女性はとても丁寧な人だったので、それ以上さっきの話には食い込まずにお陰で人見知りの気がある私でもすらすらと質問を最後まで終わらせることが出来た。
「――以上でアンケートを終了致します。ご協力、ありがとうございました」
深く頭を下げた私に女性は声を上げて笑った。
とても寒気がするほど妖しげに。
「いいのよ、別に。――そうね、お礼が欲しいわ。何にしようかしら」
「……あの、」
ザワリとした、嫌な空気が肌を撫でた時私は咄嗟に御札を掴んで後ずさる。
女性はアンケートの時のような快活な笑顔ではなく、彼女の特徴でもある赤い紅で縁取られた大きい口を裂けそうな程広げて笑った。
「そうだ。お礼はあなたがいいわ。あなたの魅力的な巫女の肉を頂戴ぃぃいいいい?」
「貴女もですか……っ!」
女性の伸ばした手が肩に掠り、黄ばんだ異臭のする爪が私の肩を浅く切り裂いた。
咄嗟に避けて、灰音さんがいるはずの背後を振り返ると彼女の姿は遥か遠い人だかりの向こう。
「どけっクソッ! 巫女様っお逃げください! ……こっの、低級共がぁっ!」
「灰音さんっ!」
近距離じゃあ弓は使えない。
得意の武器が使えなくて苛立っているのか、棘を含んだ彼女の声はよく辺りに響いた。
小さいナイフのようなもので戦っていても彼女が不利になることはなく、人の原型を似せたような不完全な生き物達や異形の生物――低級妖怪達が次々と空を舞う。
逃げろ、か。
香美さんの家に雨莉さんが来た時にも聞いた言葉だが、どうやら今回も。
「それが出来れば苦労はしませんよ……」
無理みたいだ。
先程までの上品な姿はなんだったのか。
人の姿だった彼女は見る影もなく体中に紅色の唇が浮かび上がっていて、手も本数を増やしていた。
周りを見渡せば、灰音さんには叶わないことが分かった賢い低級妖怪達が私を取り囲んでいて状況が状況なだけに少し泣きたくなる。
「うふふ、うふふふふふっ! いい子ね、低級達。そのまま逃がさないように囲んでなさぁい? そうすれば私のお零れぐらいは恵んであげるわ」
「私を喰う前提で話を進めないでくれませんか……って、うわっ!」
低級妖怪の一匹が飛ばしてきた針のようなものを、ほぼ反射で避ける。
私に退路はない。
頼みの綱である灰音さんが私の元にたどり着くには、もう少し時間がかかりそうだ。
なら、私は
「これでも喰らってみます……?」
時間を稼ぐために全力を捧ごう。
握っていた御札を近くにいた低級妖怪に飛ばして貼り付ける。
初めて真剣に紅さんや恢君の手ほどきを受けて書いた御札は、やはり適当に書いたのとは格別に威力が違った。
「ギギギギギ……」
不愉快な機械音に近い断末魔を上げて燃えてゆく低級妖怪に眉を顰めた。
殺したという実感が妙に現実的に湧いてきて、吐き気がする。
動揺しているのは私だけではなくて、低級を燃やす前まで囃し立てるように騒いでいた他の妖怪達も静まり返っていた。
ただ――楽しそうに笑う彼女以外は。
「うふふふふふふ。強さも申し分なさそうね。あぁ、おいしそう……早く食べたいわぁ」
「冗談言わないで下さい。食べられたりなんかしませんよ私は」
同じ御札を今度は彼女に向かって飛ばす。
だけど
「こんなもの、私には効かないわよ? 残念ね、見習い巫女ちゃん」
「……嘘」
いとも簡単に額に張り付いた御札を剥がして、燃え盛る御札を握りつぶす。
確かに見習いではあるが、こんなにもあっさりと御札を剥がされると思わなかった。
しかも中級の妖怪にすら効かないなんて……
どうしよう。
これは私が思っている以上に大ピンチだ。
「できれば、最終手段なんで使いたくはなかったんですけどね。これ」
「あらぁ。何か面白いことでもしてくれるの?」
「楽しいかどうかは別としてですが」
頼みますよ、母さん!
最後の手段としていた母が書いて術を施した札を手に取り、飛ばす。
何の効果かは、知らない。
知っていたとしても青鬼の時みたく予想外の破壊力で知っていても特に意味がないから。
……声が聞こえないから、成功したのだろうか。
おそるおそる御札を飛ばした方向を見ると、淡い緑色の薄い膜が張ってあってそれを挟んで唇を噛み締めた彼女がいた。
早く動く彼女の唇達からして、かなりなにか叫んでいるようだが何も聞こえないので反応のしようがない。
それにしても、母の書いた今回の御札は結界だったのか。
前回のが過激なものだったから、てっきり今回もそうなのかと少し身構えていた身体を元に戻す。
……あ。
御札というものは本来、自分が書いたものを使うのが一番その御札の力を発揮する。
術者と御札の作成者の相性がよければ、御札もそれなりの効果もを発揮するのだが。
どうやら、私と母の相性は最悪だったようだ。
強固に見えた淡い結界はもう綻びが出来始めていた。
慌てて力を込めても、出来てしまった綻びは広がるばかり。
ここまで相性が悪いって、親子としてどうなのか。
少し複雑な気分になった。
.
「やばい……これじゃあもう、壊れるのも時間の問題ですね」
次第に大きくなってゆく綻びに眉を顰めながらも必死に打開策を探す。
こうなれば自棄だと今私が持っている御札を一つ一つ取り出そうとした時。
ヒビの入ったガラスがちょっとしたことで一気に割れてしまうように。
ほんの少しの衝撃で崩れる雪山のように。
それは突然起こった。
パリーンと高らかな音を立てて割れ去った結界。
心底嬉しそうに笑う彼女。
握り締めた御札の存在を忘れて私はどこか他人事のように、手を伸ばす彼女を見ていた。
「さあ、頂戴?」
避けないと。
そう思っても動かない身体に舌打ちしたい気分になる。
あれだけ仁さんに気をつけろって言われてたのに、この様とは。
恐怖で強張った口が自嘲の笑みを刻んだ。
「うふふふふふ……っ!? きぃやぁあああああああ!!」
「――灰音、さん?」
余裕の笑みで私に腕を伸ばしていた女性の口が苦痛に歪む。
見れば、私に向かって伸ばされた腕を貫通する太い矢が彼女に刺さっている。
後ろを振り返ると、低級妖怪等目にも止めず私達を真っ直ぐに見て弓を構えている灰音さんが見えた。
「灰音さん、助かりましたよ……ん? 様子が、おかしい」
甲高い叫び声を上げ続ける女性が何故か刺さった箇所ではなく、数ある唇の中で一番大きい腹の位置にあるものを必死に抑えているのを見てやっと私も感づく。
あそこが弱点なのか?
そうと分かれば話は早い。
「巫女様、ご無事ですか……巫女様、一体何を!? 危険です、お下がりください」
低級妖怪を薙ぎ飛ばして私を制止する灰音さんの声を振り払って動かない自分の身体に渇を入れ、握り締めた御札を直接目の前に迫ってきていた女性の腹に叩きつける。
「消えろ!」
駄目押しに術の効果を上げる印を組んで叫ぶと、痛みで叫んでいた女性の悲鳴は断末魔へと変わった。
「痛い、痛い痛い痛い! どうして、どうしてこんなにひどいことするの!!?」
「――っ! 私……私、は」
悲鳴の間に悲痛な声で私を責める女性の一言は一つ一つがとても深く私に突き刺さった。
そうだ。
自身を守る為だとはいえ、私はこの人を殺そうとしている。
というか、勢いでもう手遅れなくらいの致命傷を与えてしまった。
そんなこと、本当にしていいのだろうか?
「巫女様を喰い殺そうとしたやつが何を言う……大罪だ。弁論の余地はない。――死ね」
「嫌、嫌よ……止めてぇぇえええ!!」
私の元へ辿りついた灰音さんが低く呟いて新たに弓を番えた。
零距離で放たれた弓矢の行き先は灰音さんに目を塞がれて見れなかったが、一層甲高く鳴ってピタリと止んだ悲鳴と生暖かい何かが頬に付着したのを感じて彼女の末路を悟った。
瞼に当てられた温度が静かに離れて、濃い血の臭いと湿気た雨の臭いを嗅ぎながら私はゆっくりと目を開いた。
大量の血溜まりの中に伏せて身動き一つさえしない彼女は、さっき目を爛々と輝かして襲い掛かってきた人と同一人物だなんて思えない。
「巫女様。この中級が言っていたことはお気になさらないで下さい。元々この類の妖怪は何かしらの恨みで生まれたもの。気をしっかりと保っていないと、いつかは暴走してしまう身。遅かれ早かれ、いつかは組織に討伐命令を下される。今回は丁度暴走するタイミングがあってしまっただけです」
「……はい」
励ますような顔で笑った灰音さんに私はただ、沈んだ声で返事をすることしかできなかった。
頭の中で、中級妖怪の彼女が最後に私に放った言葉を何度も何度も繰り返されていた。