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幼稚園に行くといっても、そこは教会の隣にある、カトリック系の幼稚園だ。園児たちもたまのお祈りの際はこの教会にくるので、萌子としてもまったくしらない場所に使徒職に行くよりも、よほどましだった。今日は子どもたちに絵本の読み聞かせをする予定だったといことで、萌子は図書室から何冊か絵本を選んでから、子どもたちの待つお遊戯室へと向かった。
「あれー、いつものシスターじゃない!」
「シスター ミーシャはー?」
いつもとは違う顔に、子どもたちはものめずらしそうに口々に話しだす。サリエルはできる限り優しく笑って、答えた。
「シスター ミーシャは体調を崩されたので、代わりに私がきたの。私はシスター サリエル。よろしくね」
「よろしくー!」
エネルギーあふれる子どもたちの姿が、朝見た太陽の光に重なって見えた。サリエルには眩しすぎて近づけない。まともにみることさえもかなわない。ほんの少しだけ目を逸らして、サリエルは明るい声で子どもたちに呼びかける。
「さあ、みんな座って。今日はたくさん絵本をもってきたからね」
「わーい!」
それからサリエルは、そつなく絵本の朗読を終えた。子どもたちを直視することは、一度もなかった。
「ありがとう、シスター。助かりました」
朗読を終えた後、子どもたちが教室に帰ってしまって、一人部屋に残って片づけをしていたサリエルに声を掛けたのは、エプロンをつけた背の高い男だった。男は人のよさそうな笑みを浮かべながらサリエルに近づいた。
「子どもたちもとても喜んでいました」
「それはよかった。私は、こういったことに不慣れなものですから」
サリエルは顔も上げずに答えた。サリエルの生活の中で、男は神父さましかいないからだ。サリエルにとっては、未知の生物と遭遇したも同然の状況だった。しかし、男は意に介した様子もなく、朗らかに話し続ける。
「シスターはもう教会にお帰りになりますか?」
「ええ、仕事がありますから」
「じゃあ、そこまでお見送りしましょう」
サリエルとしては、慣れない人間とこれ以上居たくないという気持ちでいっぱいだったが、それを断るのは失礼であるということぐらいは分かっていたので、何も言わず、先を歩く男に従った。
「シスターは、いつから教会に?」
「生まれた時から」
そう答えて、前にも同じ質問に答えたことを思い出した。
「シスター?」
「ああ、ごめんなさい。少しぼうっとしてしまって」
サリエルの機嫌を損ねたと思ったのか、男は申し訳なさそうに頭を下げた。
「すみません、立ち入ったことを聞いてしまったようで」
「いえ、私自身、物心ついた時から教会にいるということしかわからなくて。お気遣いありがとうございます」
そんなやりとりをしている間に、二人は幼稚園の門についた。サリエルは男に礼を言って、教会に帰ろうとした。しかし男に背を向ける瞬間呼び止められ、サリエルは足を止める。
「あの、今度教会に行ってもいいでしょうか」
男は緊張しているようだった。その理由がわからないまま、しかしサリエルにはどうでもいいことだったので、あえて聞くこともなく彼女は頷いた。
「教会は、神に救いを求めるものすべてに開かれています」
それだけ言い残し、サリエルは今度こそ男に背を向けて歩き出した。
*
「ありがとう、サリエル。助かったわ」
「いえ。ミーシャも、もう具合はいいのですか?」
幼稚園から帰ってきたサリエルは、今日の報告と見舞いを兼ねて、そのままシスター ミーシャの自室に向かった。彼女はもう20年ほどここで生活している。サリエルが物心ついた時から一緒にいる、気の置けないシスターの一人だ。
「ええ、あなたが代わりに行ってくれたおかげで、もうすっかり元気になりましたよ。なにか、変わったことはなかった?」
聞かれて、何もなかったと答えようとしたが、ふと帰り際に出会った男のことを思い出した。そういえば、名前も尋ねなかったと今更ながらに思った。
「帰りに、男の保育士さんに会いました」
「ああ、北川くんね。若いのに、仕事をきちっとやる良い子よ、彼は」
北川。サリエルはその名前を、頭の隅に置いた。彼とはまた、近いうちに会うだろうから。