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懺悔  作者: 藤見日菜
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何が罪で、何が罪でないか。



 目が覚めたら、いつもの白い天井が、いつもとかわらずにそこにあった。ベッドと机以外何もない部屋で、今日も、覚めない夢に降り立つ。悪夢という夢に。

 髪を梳き、寝間着から修道服に着替えて部屋を出る。扉をくぐるとすぐに、美しく整えられた中庭が目に映る。大きな噴水からは絶え間なく水がわき出て、それが朝日に光って眩しい。眩しくて見ていられずに、すぐに目を背けて礼拝堂に向かう。朝の祈りのため、すでに半分ほどのシスターが集まっていたが、そこは水を打ったような静けさに包まれていた。とはいえ、お祈りが始まるまではあと15分ほどあり、おしゃべりが禁止されているというわけでもなかった。後ろのほうの席に座ると、隣にいたシスターに声を掛けられる。

「おはよう、シスター サリエル。ご機嫌はいかが?」

「ああ、シスター ミシェル。ええ、とても気持ちの良い朝だわ」

隣にいたのは同じぐらいに入会したシスター ミシェルだった。年は、30後半から40前半。本名はしらない。ここでは、そんな情報はどうでもいいことのひとつだった。ここにいる人は、等しく神に仕える修行者であって、それ以外の何者でもなかった。

「今日は、どうするの?」

「懺悔室にいくわ。最近はずっとそうなの」

シスターには使徒職というものがあり、さまざまな場所へ赴き、キリスト教の教えの元社会に奉仕している。サリエルはもっぱら教会に残り、迷える子羊の悩みを聞くことに従事している。

「そうね、あなたに悩みを聞いてもらうと心が晴れる、という信者さんは多いもの。すばらしいことだわ」

シスター ミシェルはにっこりと笑って、それきり話しかけてくることはなかった。サリエルも前を向いて、ひたすら十字架を眺めてお祈りの時間を待った。

 朝の祈りのあとはミサがある。サリエルは歌が上手くない。聖歌を歌わなければならないこの時間は、どうしても気持ちが沈んでしまう。それでもなんとか最後の一節まで歌い切り、ほっとした気持ちで教会を後にした。このあとは朝食だ。ほかの教会がどうかはしらないけれど、ここの食事はおいしい。質素を極めたシスターの生活のなかで、食事は数少ない楽しみの一つだった。

 食堂では、各々の席は決まっている。決められた席に着き、最後の一人が座るまで待った。全員がそろうと、ここの長であるシスター ルチア・カラヤンが全員に声を掛ける。

「さあ、今日も神に与えられた糧に感謝しましょう」

声に従って、全員手を合わせ、目を閉じる。

父よ、あなたのいつくしみに感謝して、この食事をいただきます。

   ここに用意されたものを祝福し、

   わたしたちの心とからだを支える糧としてください。

   わたしたちの主イエス・キリストによって。 アーメン。

食前の祈りを終え、ようやく食事は始まる。今日の朝食はロールパンが一つと、牛乳、ソーセージ、サラダ。それとオレンジが二切れ。それをゆっくりと噛みしめながら食べる。命の重さを、噛みしめながら食べる。食事中の私語は厳禁のため、フォークと皿がぶつかる音だけが食堂に響く。

 この聖アンナ教会では、20名の修道女が共同生活をしている。年齢は20歳から70歳までと幅広い。彼女たちはここに入ってきて、出ていくことはない。ここで修道女としての人生を始め、そして終えていく。サリエルもその一人だった。

 朝食を終え、再び教会へと向かう。教会の隅に据えられた懺悔室が、サリエルの奉仕の場。ここに来る人は多くはないけれどゼロではない。サリエルはここで、何もしない。ただ、聴くだけ。それを求めて、人々はここを訪れる。誰にも言えない、けれど誰かに言いたい秘密を打ち明けに。

「あの……」

サリエルが懺悔室に入ると同時に、一人の少女がおそるおそるといった様子で近づいてきた。私が来るのを待っていたのだろう。サリエルは部屋の中から、「どうぞ」と声を掛けた。聖職者と、ここを訪れる人が顔を合わせることはない。

「すみません、ここに来るのは初めてで」

「大丈夫ですよ。ここは、すべての迷える子羊に平等に開かれています」

少女はいくらか安心したようで、部屋の中に置かれた椅子に腰かけた。それを見て、祈りの言葉が掛かれた紙を、仕切り越しに差し出した。

「ではまずこれを一緒に唱えましょう。それから、あなたの罪を聞きましょう」

少女はたどたどしく祈りを唱え、それからさらにか細い声で話し出した。

「わたし……あの、浮気、しちゃったんです」

それきり、少女は長い間黙っていた。それで終わりだとは思わなかったけれど、先を促しはしなかった。こちらが彼女の話を聞きたいわけではなく、彼女がこちらに話を聞いてほしくて来ているだけなのだから。

「……彼は、とってもやさしくて、私にはもったいないくらいの人で……でも、なんだか物足りなくなっちゃって。そんなとき、街でナンパされて。……最後まで、やっちゃって」

少女は、今にも泣き出しそうだった。サリエルは、まだ、黙ったまま。少女も、仕切りの向こうの相手が何も言う気がないことを承知して、今度はあまり間を開けずに再び話し出した。

「それが、三か月くらい前で……ずっと、生理来てなくて。この前調べたら、に、妊娠、してるって」

少女はとうとう泣き出してしまった。押し殺したような泣き声だけが、静かな懺悔室を満たす。彼女が落ち着くのを待って、サリエルはようやく口を開いた。

「避妊、しなかったの?」

「しなかった。相手にいやだって言われて……大丈夫だと思ったの。なのにこんなこと……私まだ高校生なのに、彼氏だっているのにっ……」

「それは、自業自得、だわ」

呆気にとられたようだった。彼女は泣くのをやめ、次の言葉を待った。

「それで、あなたはどうしたいの?」

「わたし……降ろしたいんです」

「神は、命を奪うことをお許しになりません」

少女がうろたえたのを感じた。懺悔を聞くときに、私たち聖職者は私見を述べない。だからここを訪れると言う人もいるし、知らずに来て肩を落とす人もいる。少女は前者のようだった。けれど、とサリエルは続けた。

「愛されない子どもが生まれ堕ちることもまた、神は喜ばれないでしょう。あなたはあなたの罪を背負い続け、これからは正しく生きていきなさい」

目の前の少女に、新しい命を育てていくことなど、到底出来そうになかった。そうして生まれた子供の末路を、「私」はよく知っていた。

「それで、私は赦されますか?」

「赦すのは私や、あなたの親や、恋人ではありません。神と、あなたが生み、これから葬る命に赦されるために、あなたは一生をかけて生きていくのです」

最後にまた祈りの言葉を読み、少女は懺悔室を出て行った。サリエルは首にかけた砂時計を机に置き、逆さまにする。たまった砂がさらさらと、上から下へと落ちていく。最後の一粒が落ち切ったのを見て、サリエルも部屋から抜け出した。


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