鏡の罠 出題編
「私達、見てはいけないものを見てしまったんです」
深刻な顔をして相談に来たカップルの前で、学園探偵倶楽部部長、大崎レイ(おおさきれい)は興味深げに身を乗り出した。
「君達の言っていることは至極当然の事のように思えるが、何が不思議なのかな?」
そう言って大崎レイは、ホワイトボードにペンを走らせた。
「鏡に向かい右手を上げれば、鏡の中にいる自分も右手を上げる。君たちが怖がる理由がわからない」
大崎はペンを置くと、相談にきた後輩のカップルに向き直る。
「大体夜の学園で、君達は何をしていたのかな?」
大崎の鋭い目つきが怯える二人を貫いた。
「他に行くところが、無かったんです……」
カップルは俯き、顔を見合わせた。
二人が学園に忍びこんだのは、昨夜十時過ぎ。体育館裏手のドアから侵入、鍵が壊れていたことを知っていたらしい。一階校舎端の教室は現在使われておらず、鍵も掛かっていない。しかし、その日に限って鍵が掛けてあった。教室のドアには目線の高さに、四十センチ四方の窓が付いている。教室の中の様子を見ようと、二人が窓から覗いたところ、そこで信じられないものを見た。
部室の片隅で、静かにやり取りを聴いていた探偵部員、沢村かごめ(さわむらかごめ)が初めて口を開いた。
「通常、鏡に向かって右手を上げれば、鏡に映った自分は左手を上げませんか? 二人が言いたいことはそういうことですよね?」
それならばと、大崎はもう一度ホワイトボードに向かいペンを取る。
「それは左手に見えるというだけのことで、実際は右手だ。試しに右の手の平に、ペンで右と書いて鏡に映して見るといい」
かごめはポケットから小さな鏡を取り出すと、ボールペンで手の平に右と書き、鏡に映してみた。
「確かに右手だわ。でも文字が反転してる。鏡の世界では左右逆になる? なぜ左右だけが反転するのかしら……。全てを反転させるなら上下だって……。あああ、わからなくなって来た!」
かごめは混乱したように頭を抱えだした。
「かごめくん。難しく考える必要はないよ。答えは単純にして明快」
大崎はそう言うとクスリと笑った。
「鏡の中に見える世界は、上下も左右も反転などしていない。例えば大きな鏡の前に立ったとしよう。その時、鏡の奥に見えるものは何かな?」
「鏡の奥……。自分の背後ですか?」
「その通り。より後ろにあるもの程、遠く前に見える。つまり、鏡の世界で反転しているのは前後だ。鏡像を正しく見たければ、鏡に映った自分ではなく、鏡の中にいる自分の視線に合わせればいい」
「うーん」と唸りながら、かごめは首を傾げた。
「わかったような、わからないような……。鏡の世界って、考えると不思議ですよね」
「昔から鏡が特別な扱いをされてきた背景には、鏡の謎が大きく関わっているからね。ただの反射だと説明されてもすっきりしないのは、錯覚を引き起こしているからとも言われている。なんにしても、鏡は真実を映し出す。決して嘘は付かないというのが、鏡の鉄則なんだ」
大崎はホワイトボードに書いた文字を消し、相談に来たカップルに視線を向けた。
「話が横道に逸れてしまったが、鏡の原理については理解できたと思う。しかし、君達の様子を見るに、まだ納得できてはいないようだね」
話を聞いていた相談者の顔が、更に青ざめていた。
「だとすると……。私達の見た鏡は、やっぱり真実じゃありませんでした」
「ドアの窓から先に教室を覗いたのはどちらかな?」
大崎の問いに、女の子が手をあげた。大崎は頷くと質問を続けた。
「教室の中は当然暗かったはずだ。窓から見えたものが鏡であり、映っている人物が自分だと、確信を持って言えるかい?」
「教室は月明かりで思ったよりも明るかったし、自分の顔を見間違えるはずもありません。ただ、その鏡に映った自分を見た時、ものすごい違和感を感じたんです」
「違和感?」
「私の頭を見ればわかると思いますが、いつも左に髪を結ってます。でも鏡に映った自分は、右に髪を結っていたんです。なんかおかしいと思った私は、左手で結った髪に触れようとしました。そしたら鏡の中の私は、右手で髪を触ったんです!」
彼女の声はしだいに大きくなり、かなり興奮気味だった。
「君も同じ体験をしたのかな?」
身を強張らせた男子生徒は、「はい」と小さな声を上げた。
「うむ。なるほど……。面白い」
大崎はそう言うと、二人に対面しニヤリと微笑んだ―――。