両親が留守の日に・水族館で・つむじ風を・この世でいちばん美しいと感じました。
「どこにも行かないで」
それは恋人に言われたのなら熱烈な愛の告白であろうが、年老いて足が脆くなった母に縋られて言うのは束縛である。あるいは、足が脆くない娘への嫉妬であろう。それを振り払い、自我を通すのには苦労する。だが本日はその両親はデイサービスに出かけていて、結婚を何故しなかったか、孫の顔が見たかったとぼやく両親の小言を聞かなくてよくなる。そういう時、私は水族館に行くことにしていた。鏡の前にはくたびれ、両親の介助に枯れたオバサンがいるが、それでも血色をよく見せようと最大限の努力をして、うきうきと出かけることにした。
そもそも私が結婚しなかったのは、一人暮らしを満喫していた30代のころに、戻ってきてくれと父に泣きつかれたからだ。母はプライドがあるのか何も言わなかったが、二人で生活するのが困難になっていたという。おかげで出世コースからは外れてしまったし、こぶ付きの女を誰が見初めるというのか。それなのに、自分の娘には人並み外れた魅力があって、すべてを救う度量を持った金持ちの男性と結婚することを夢想している始末だ。誰のせいで、と口に出したら終わりなので私は言わない。そこを言ってしまったら、私は本当に介護に疲れてくたびれた未婚のオバサンになってしまう。だから今日もぐずる母と黙っている父をとびきりの笑顔で送り出したが、それは良い娘として、施設職員の方の心証をよくするためだ。母は苦労知らずだとののしるけれど、私だって苦労している。誰が貴方のおむつを変えているというのか、ああ、いけない、いけない。今日の私は自由なのだから水族館を満喫しよう。
グチを考えていたら、電車はあっという間に私を最寄り駅に運んでくれた。何気なく動いている電車に感謝の気持ちを述べたい。世界はあらゆる人々の仕事で回ってくれているのだ。出来ることなら介護なんかなげうって、その輪に私だって加わりたい。でも今は出来ないので、ただ感謝して享受するだけである。なんだかとっても情けない。
何はともあれ水族館だ。チケットを買い、中に入るとそこは癒しの空間が広がっている。まるで水中に潜ったかのような照明の中で進むと、ぱっと巨大な水槽が現れる。その水槽だけが外の光を取り込んで明るくて、窓と同じ役目を果たしているのだ。そこに泳いでいるのは、成体のシャチだ。彼らは悠々と水槽を回っており、その泳ぐスピードの早さと雄大さに、私の脳は枷から解き放たれたようで洗われる。心が洗われるというのが正しいが、頭が洗われるのだ。脳にたまった膿のような何もかもが、水槽の水によってどこかへ押し流されていく・・・残ったのは綺麗な私の脳だけである。
まったく、成人して久しいこの身に、どこにも行くなとい言いつけるのは酷だ。もう二本の足でどこだって行ける。子供ではない。すでに強制力を持っていない老人なのに、それを認めない母はいつだって私を所有物扱いしてくる。そのいらだちも、今日ここで流し切ってしまおう。私にはその為の足がある。
水族館に来るのは学生も多い。きっと休みか校外学習なのだろうか、10代らしきうら若い少女が同伴者とはしゃぎながら水槽の前を通り抜けていく。そういえば、もうすぐショーが始まるのだ。だから私も彼女らに倣って、水槽を見るだけの場所から外に出てみることにした。
ぶわっとした風が、来て、前の女学生の髪を、ばっと広げた。細い黒髪が美しく光り、彼女の頭皮の匂いがまるで潮風のように私の顔に吹いてきた。ああ、この若い瞬間。これが一番この世で美しい。もう私には遠ざかっている存在だけれど、今日ここに来て良かったと思った。
お題引用元:一行作家




