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終章

雪が降らなくなり、長い長い冬は終わって、積もった雪は豊かな水源へと形を変えた。雪が解けようやく日の目を見た大地からは、地面に染み込んだ水を全身に含ませたつくしが顔を出す。ふきのとうが、よもぎが、タンポポが、冬枯れで殺風景だった大地に新緑を添え、白と灰色に染められていた風景に色彩を加える。そうしてようやく、この雪深い土地にも春が訪れた。

 今日は突き抜けるような快晴だ。僕は冬の間じゅう物置にしまい込まれていた自転車を久しぶりに取り出し、空気を入れ、そのサドルにまたがった。ギシギシと、しばらく乗ってなかったせいで乾いた音がしたが、少し走らせると自転車も春の空気に心躍らせたのか本来の調子を取り戻した。

 家を出て、突き当りを右に曲がり、いつもの道をゆく。思い出してみれば、最初にあそこへ行ったときも自転車に乗っていた。あの時のように、両脇を流れていくすがすがしい風景に目をやる。田んぼには四月の田植えに向けて透き通る雪解け水が流れ込み、一面鏡のようだ。綿をちぎったような雲の浮かぶ鮮やかな青空を映し出し、まるで上下どちらにも空があるかのよう。その田んぼの向こうの山はまだ山頂に少し雪を残していたが、太陽の光に磨かれたその姿は新緑の緑と山頂の白がいいコントラストをなして瑞々しかった。

 そんな、青と緑と白に彩られた世界に、やがてもう一つ色が足される。広々とした青い田んぼの真ん中にポツンと足されたその色は、ほかの色に比べてあまりにも矮小だったが、しっかりと胸を張って自分の存在を誇示していた。それもそのはず、その色は、春の訪れにおいて万人が自分の色を想起するだろうということを知っているのだ。

 いつもの悪路の前で自転車を降り、僕はその色に近づいていく。昨日はまだ七分咲きだったのに、今日の陽気に誘われたのか完全に満開の花を咲かせていた。鮮やかなピンク色が躍る、満開の桜だ。

 たった三本で鎮守の森の顔をしていた境内に生えるひょろひょろの木が、まさか桜の木だったとは僕も驚きだった。夏だってろくな葉も生やさず木陰にもならなかったくせに、どこからこんなに花を咲かせる気力をひねり出したのだろうか。けれど、貧相な体で身に余るほどの花を咲かせたこの桜の木は、まるで僕を祝福してくれているようで僕は感謝の気持ちを込めて三本それぞれの木肌を撫でた。

 小さな境内を一周して、社殿の正面に戻る。僕は賽銭を入れると、相変わらずぼろぼろの鈴緒をもって鈴を鳴らした。

「ああいらっしゃい菅名くん、待ってましたよ」

 いつものように礼をしようとしたところに出鼻をくじかれたものだから、僕は危うく社殿の格子戸に頭をぶつけるところだった。タムケ座衛門さんがその格子戸をがらがらと開けて外に出てくる。もはや神様と言うより近所のおじいさんのノリだった。

「いくら何でもスナック感覚で出てき過ぎじゃないですか、タムケ座衛門さん。お世話になったのであまり言いたくないですけど、さすがに威厳なさすぎですよ」

「いいんですいいんです。どうせあたしゃにゃ威厳なんてこれっぽっちもないんですから。むしろもったいぶって出てこないと腹立つでしょ」

「いや、そこまで思いませんよ……」

 そう、この神社に祀られる神、塞の神タムケ座衛門さんは、あの奇跡的で冗談みたいな邂逅(かいこう)以来、ちょいちょい僕に会ってくれた。あの時はせっかく僕を会場まで送ってくれたのに僕はとんでもない失言をして、しかもスタッフには誰もいない植え込みにわめき散らす頭のイカれた学生だと思われて、危うく別室受験になるところだった。

 次の日にお礼参りに行ったとき、やっぱりあの時だけの奇跡でもう会えないかと思ったのだけれど、タムケ座衛門さんは今日のように何の前触れもなく格子戸をがらがらと開けて登場、僕を驚かせた。

 だから、もうずっと会えるのかと思ったのだけれど、やはり神様のルール的にそう何度も会うのは流石にまずいらしく、翌日からはまた会えなくなってしまった。けれど、二次試験の前日、東京に発つ前にお参りに行ったときにはタムケ座衛門さんはこっそりとまた会ってくれて、僕を激励してくれた。

 そして、いろんな人に、そして神様に助けられて、僕は無事第一志望の大学の合格を勝ち取ることができた。だから、僕は今ここにいる。今日はだから、出来ればタムケ座衛門さんに会いたかったのだけれど、会える確証もなかったから、こうやってちゃんと出てきてくれて本当に嬉しかった。

「もう、今日で最後なんですね」

 そう、タムケ座衛門さんがぽつりと呟いて、僕ははっとした。

「わかるんですか」

「別に神様パワーじゃないですよ。ただ、たまに君の家に様子を見に行ったりしてるうちに、そうなのかなって思っただけです」

「それだって立派な神様パワーですよ」

 しばし沈黙が流れる。桜の木が風に吹かれてさわさわと音を立てた。しばらく風景を眺めてから、僕は改めてタムケ座衛門さんに向き直った。

「まあ、もうタムケ座衛門さんもご存じと言うことですが、一応こういうことはしっかり言っておきたいので。――今日の午後、東京に発ちます。もう向こうでの新居も見つけて、明日からはそこに住みます。だから……まあ、またたぶんすぐ帰ってきますが……今日まで続けさせてもらったお参りは、一応今日で最後です」

 僕に横顔を向けて、ぼんやりと風景を眺めていたタムケ座衛門さんも、ゆっくりと僕の方を向く。

「そうですか……ではこれから、――楽しくなりますね」

 しばし沈黙が流れる。……衝撃だった。

「えっ……ええっと。えええっと。え、ごめんなさい。やっぱり、ずっとお参りに来てたのってさすがに迷惑でしたかね……。ごっ、ごめんなさい、タムケ座衛門さん優しいので、そんな、迷惑してるなんて僕全然気がつかなくて」

「え?急にどうしたんですか。……あ、あああ!ちがっ、違うんです!ああもう!どうしてあたしゃってこんなに口下手なんでしょう!そうじゃなくて、菅名くんこれから、新生活が始まって、念願の東京ですし、毎日が楽しいでしょうねって意味ですよ!そ、そんな、菅名くんがいなくなって楽しいはずないじゃないですか!」

 ああもう、この神様とはどうしてこう芸術的なまでにすれ違ってしまうんだろう。本当は相性めちゃくちゃ悪いんじゃないだろうか。思わずはぁ、とため息をついてしまう。しかし、まったく同じタイミングでタムケ座衛門さんもため息をついたものだから、やっぱり僕たちは最高だった。

「神様的に、ばびゅーんって東京まですぐ来れたりしないんですか。この前だって、一瞬で僕を試験会場まで送ってくれたじゃないですか」

「あれは特例中の特例ですよ。そんなに便利だったら、あたしゃだって君のもとまであんなにぼろぼろにならずに行けましたし。……正直、あたしゃもあれよくわかんないんですよね。あたしゃは君を担いで飛ぶつもりだったんですけど、なんか気づいたら会場の目の前で、まああの時は急いでたんでそんなに気にもしなかったんですけど。たぶん(あま)(てらす)さまの力かなんかじゃないのかなぁ」

「神様にもいろいろあるんですね……けど、タムケ座衛門さんみたいに直接会ってくれる神様はそうそういらっしゃらないんですよね」

「そりゃそうですよ。てか本当にこれは奇跡みたいなもので、君があたしゃの神社にほんとうに毎日通い続けて、あたしゃに全幅の信頼を置いてくれてて、そしてあたしゃも君を完全に信用しているからお互い見えてる、話せてるって感じですね。正直すごいことですよ」

「そっかあ……。じゃあ、東京の神様には会えたりはしないんですね」

「まあ絶対とは言い切れませんけど、会えないでしょうねえ。けれど、東京の神様は本当に大勢の人の信仰を集める、あたしゃなんかよりめちゃくちゃすごい神様ばっかりですから、絶対に君の支えになってくれるはずですよ」

 そこまで言うと、急にタムケ座衛門さんはしょんぼりと項垂れた。

「はぁ。まああたしゃもここから君の頑張りを応援しますが、やっぱりあたしゃはこの神社から離れられない以上、東京の神様には敵いませんね……。あたしゃの菅名くんが東京のぽっと出に取られちゃう……。寂しくなるなぁ。明日からはあたしゃ何を糧にして生きていけばいいんでしょう……」

 えええ、まさかの信者ロスによる神様鬱モード。がっくりと項垂れるタムケ座衛門さんの肩に手を添えつつ、けれど僕はピンと閃くものがあった。二人だけの秘密ですと言われてるけれど、お世話になった神様に言う分にはたぶん怒られないだろう。

「あ、実はなんですけど、鮮花って知ってます?よく僕と一緒にいる後輩の女の子なんですけど、彼女、僕と同じ大学の進学を目指すって言ってくれたんです。先輩に出来たんだから、あたしにだって出来るはずですって息巻いてて。だから多分、これから彼女もお世話になると思います。いい子なので、ぜひよろしくお願いしますね」

 どうあがいても絶望、もう人生のどん底です、みたいな様相を呈していたタムケ座衛門さんの顔はみるみる晴れ上がった。

「しっ、仕方ないですね。菅名くんの頼みとあれば、そしてかわいい後輩さんとなれば、その願いは聞き届けないわけにはいかないでしょう。任せてください。これでもあたしゃ、受験の神でもありますので」

 そういって、むん、と胸を張るタムケ座衛門さんに二人で笑って、僕らは再び境内から望む、美しい景観を眺めた。

「ゴールじゃない。むしろこれからが始まりなんですね」

「ええ、そうです菅名くん。これから君は、もっともっといろんな人に会って、いろんなことを経験して、そして大人になっていく。もうあたしゃなんかが言わなくてもわかっていると思いますが、どうかそのすべてを、思いっきり楽しんでください。楽しいことも辛いことも、そのすべてが糧となり、君を創っていくんです。恐れないで。いつだって、君は一人じゃない。あたしゃに限らず、きっととても多くの人、そして多くの神が、君に寄り添ってくれていますから」

 風が一陣、吹いた。

桜の花びらが舞い上がって、青い空のかなた、どこまでもどこまでも、飛んでいった。


(了)


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