序章
「それではご登場していただきましょう!「今年最も成功した神ランキング」特別賞に輝き、いま最も注目される神物、塞の神 タムケ座衛門さんです!」
割れるような拍手が会場に巻き起こった。燕尾服に蝶ネクタイをしめた司会が手袋をはめた手を舞台袖に送り、そこにスポットライトが当たる。派手なBGMがなり、会場の視線がスポットライトに集まり――しかし何も起こらなかった。満面の笑みだった司会の顔に、少しだけ不安の色が張り付く。
「えっと……、それでは!タムケ座衛門さんです!」
再びドラムマーチがかかり、ばん!としまる。会場中からごくり、と息を飲む声が聞こえそうなほどの集中が集まったが、しかし変化はない。
さすがに狼狽をあらわにした司会が、再び口を開こうとして――ひょっこりと舞台袖のカーテンから貧相な顔が現れた。貧相としか言いようがない。頭頂部は禿げて、側頭部に未練たらしく生えた白髪はぼさぼさ。ついでに顎に生えた長い白髭もぼさぼさ。白い眉毛は長くて、それだけだと威厳もありそうだが、その下についている二つの眼は落ちくぼんで、おまけにせわしなくぎょろぎょろ動いているものだから、威厳もなにもあったものではない。
突如現れた奇怪な顔に会場中は息をのんだ。間違いなくごくりという音が聞こえた。その音を聞いた奇怪な顔は、不安そうに会場中を見回していた顔を引っ込めようとしたが、突然舞台袖から飛び出してきた。どうやら後ろから突き飛ばされたらしい。衣装なのか、一応立派な袴を着ていたが、なんとも本人の風体と合わなくて滑稽じみていた。
「よ、ようこそご登壇くださいました!こちらタムケ座衛門さんです。皆さん拍手!」
役職を思い出した司会はきょどきょどした不審者の肩を捕まえ、ゲスト席へと導いた。会場も一応再び拍手に包まれ、本来のペースを取り戻しはじめる。
「えー、では改めまして。本日お越しいただいたゲスト、塞の神 タムケ座衛門さんです!タムケ座衛門さん、本日はよろしくお願いします」
「はい、こちらこそ、よろ、よろしくお願いします……」
着席したタムケ座衛門は、ただでさえ小柄らな体を席上で一層小さくしていた。あんなに居心地が悪そうで可哀そうな袴を見たことがない。
「では最初に、私の方から簡単にタムケ座衛門さんのご経歴をご紹介させていただきます。タムケ座衛門さんは、天孫紀元一七九四七〇一年にご神体として高天原にご降臨。高天原第四総合高等学校卒業後、人界勤務を志して出雲天降大学道祖神学部路傍科に入学されます。そこで道祖神の基礎を学び、無事道祖神資格を取得。道祖神採用試験を経て、塞の神第一五七四一分霊として人界勤務に赴かれることになったわけです。いやー、タムケ座衛門さんが人界に降りられた当時は、人界でいう戦国時代にあったわけですよね。勤務開始が一七九四七二三年ですから、人界歴でいう天正一八年。道祖神塚をはじめ多くの神社が破壊されて、人界勤務冬の時代、高天原での安定した勤務を誰もが求めた時代でした。そんな時代にあえて道祖神を選ばれたというのは、そのころから意欲的なチャレンジ精神があったということなんでしょうか」
「い、いや、そんなんじゃないんです。そんな立派なものじゃなくて、成り行きというか……。あたしゃそもそも勉強が苦手でしてね。道祖神学部に入ったのも、定員割れしていて、名前書いたら入っちゃったっていうか、そんな感じなんですよ」
「い、いや、あはは、タムケ座衛門さん、ご謙遜はよしてくださいよ」
会場のあちこちから、大丈夫かよこれ、などのつぶやきが聞こえだした。
「えっとですね!それで、タムケ座衛門さんはそれから三百年以上も道祖神として勤務なされます。有名神社を除いて社殿勤務の流動化が起こっていた中で、三百年以上の継続勤務とはタムケ座衛門さんのひたむきさが伺われますね」
司会は発言を促すようにタムケ座衛門に視線を送ったが、タムケ座衛門は置いてあった水をあらぬ方向を向いてぐびぐび飲んでいた。
「……そして、そんなタムケ座衛門さんに転機が訪れます。天孫紀元一七九五〇七六年、人界歴昭和一八年、それまでの勤務が評価されて、なんと!タムケ座衛門さんに社殿が用意されたんです。まさに道祖神塚での地道な努力が報われた瞬間ですね。当時は感慨深かったのではないでしょうか」
「いや、あれはですね。当時人界で戦争が起こってたでしょ。あれで食料が不足してね。畑作るぞーってなって、あたしゃの道祖神塚が邪魔だっていうのでとっぱらわれちゃったんですよ。この神さん、なんでこんな土地のど真ん中に建ってんだべって言われちゃってねぇ。いやー、あの時は困ったなぁ。それで、さすがに神さん捨てんのはばちが当たるべえってことで、農機具を置いてた掘っ建て小屋に据え置かれたんですよ。こんなみすぼらしい小屋で申し訳ねぇと言われたんですが、こっちは三百年以上野ざらしだったわけで、文句なんかあるわけなくて。むしろこちらこそありがとーって感じで。助かりましたねぇ」
さすがの司会者も言葉を失っていた。口角がひくひくと痙攣し、笑おうとして笑えていない。会場も完全にシラけ、観覧席に座る神たちはあくびをしたり、携帯電話をいじったりしていた。
「あ、あはは、それは助かりましたね……。えっと、どうしようかな。ま、まあそれで見事社殿を獲得したタムケ座衛門さんは、それからその社殿で勤務することになるんですよね」
「そうですねぇ。戦争が終わって、ある程度落ち着いて、二〇年くらい経ってからかな。さすがに掘立小屋のままじゃ失礼だってことで、村の人が鳥居立ててくれましてね。なんか神社っぽくなったんですが、そもそも何の神様だったのか、みんなもう忘れてるんですよ。まああたしゃもそのころはほとんど仕事らしい仕事してなかったんですけどね、あはは。まあそれで、とりあえず何の神様だろうが粗末にはできないだろってことで、年末には村の当番の人が掃除したりしてくれるようになって、それが今までって感じですねぇ。いやあ、もう四百年以上も経っちゃったんですねぇ、早いなぁ」
タムケ座衛門は一人感慨深くぼさぼさの髭をしごきながら、うんうんとうなずいた。もはや司会すら反応していない。司会がちらりと視線をやった先を見ると、かがんだスタッフ神がカンペをぴしぴしペンで叩いている。おそらく「巻きで!」とでも書いてあるのだろう。
「えっと、では!タムケ座衛門さんもお忙しいでしょうし、名残惜しいですが最後の質問に移りたいと思います。名残惜しいですが!ずばり、どうしてタムケ座衛門さんは、道祖神から、学問の最高神である天満大自在天神へと異例の社格アップを突然志したのでしょうか!」
「“それはですね”」
会場中の人間が、顔を上げてあたりを見回した。今の声を発したのは誰だ?そして、全員の視線が壇上のタムケ座衛門に集まり、全員が驚愕した。そこにいたのは、先ほどまでの風采の上がらない貧乏神ではなかった。堂々と背筋を伸ばし、胸を張り、自信のある笑みを浮かべ神々(こうごう)しく席上に輝いている。まさに、いま天上からその席へと舞い降りてきたかのような様子で席に座り、タムケ座衛門は会場中に後光を振りまいていた。
「えっと……、タムケ座衛門、さん?」
タムケ座衛門がゆっくりと、優しげなまなざしを司会に向けると、司会はその神気にあてられて飛び上がった。
「“私が今、世間で話題に上がっているような目覚ましい活躍は、まったくもって私自身によるものではないのです。今の私がここにこうしておりますのは、ひとえに、ある、一人の人物のおかげなのです。ですから本来であれば、今この席に収まるべきは、私ではなくて、その人なのです。私は運営の方に何度もそう申し上げたのですが、残念ながら聞き入れていただけませんでした。ですから、不本意ではありますが、私がご登壇の光栄に与ることにいたしました。私が出演を断るよりは、私の口からでも、その人のことを是非に知っていただきたかったからです。ですから皆さん”」
そこでタムケ座衛門は言葉を切ると、ゆっくりと会場中を見回した。
「“どうか聞いてください。その人と、私の出会いを。その物語を”」
もはや、会場では身じろぎ一つ起こらなかった。全員が意識を集中して、タムケ座衛門を食い入るように見つめている。
それでは、物語を始めよう。それは、ちょうど約一年前、何の変哲もない日常から始まった。