プロローグ 青春へのカウントダウン
……これは一体どういう状況だ。
昨日から新たに真城高校での生活が始まり、俺は真新しい制服に身を包み、これから起こるかもしれない多くの楽しみなことに心躍らせていた。とは言ったものの、中学校の時からほとんど人との関わりがなく、休み時間いつも一人教室の端で大好きな漫画を読んでいる、いわゆる「陰キャ」な自分にそんな事は起こるはずもないと思っていた矢先、目の前に信じられない光景が広がっている。
四人の女子が俺の目の前で手を前に出し、頭を下げている。そして一斉に言い放つ。
「好きです。付き合ってください」
これは夢かと思い、先程から幾度となく瞬きを繰り返しているがその光景は変わらない。
しかし、こんな状況は二次元のアニメや漫画でもそう簡単にはない。確かに、同じ日に何人かから告白されるという漫画は見たことが無いわけでもないが、全く同じ瞬間に、それも四人同時になんてほぼありえない。
だが、これは現実だ。
とりあえず俺は目の前の女子たちに頭を上げてもらった。
どうしてこんな状況になったのか。それは――
俺、山田慧輔、現在十五歳。高校一年生。
昨日、地元にある真城高校での入学式を終え、今日から一学期の授業が始まるため、八時十五分には家を出た。授業初日から遅刻なんてあってはならない。
家のドアを開けた瞬間、目の前に一人の女子が立っていた。
その女子は透き通るような白い肌に、すらっと伸びた手足、きれいな黒髪を耳にかけながら、おはよう、と挨拶をしてきた。
普通、こんなに可愛らしい女子に挨拶なんてされたらテンション爆上がり、青春万歳、という事になるのだろうが、俺は平然と挨拶を返していた。
―どうしてそんなに普通にしていられるかって?
それは、この女子が昔から知っている〝幼馴染〟だからである。
この女子の名前は、姫乃香織、十五歳。俺と同じく、この春から真城高校に入学している。
家が近いこともあり、昔から毎日のように遊んでいた為、幼馴染の域を超えて〝家族〟のようなものである。
その為、こんな美少女が玄関の目の前にいて、挨拶をしてきたところで俺の感情は少しも揺らぐことはない。
こうして俺と香織は学校へ向けて歩き出した。
高校までは徒歩で十五分ほどなので、八時三十分には校門の前に着いた。
ここに来るまでの途中、香織がやけにソワソワしていて、トイレでも我慢しているのかと思っていたが、それを口に出すほど俺も馬鹿ではない。
そのまま下駄箱に向かおうと校門をくぐりかけたその時、
「ちょっと待って!」
後ろから腕を引っられた。振り返ると顔を真っ赤にした香織がうつむきながら俺の腕を掴んでいた。そして続けざまに言い放った。
「今日の放課後、屋上で待ってる」
そしてそのまま下駄箱に向かって小走りで去っていった。
俺は突然すぎる出来事に、走り去っていく彼女の後ろ姿をただ見ていることしか出来なかった。
しばらくその場に突っ立っていると周りからの視線に気づき、はっ、となって下駄箱に向かおうと歩き始めようとした時、後ろから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「おっ、慧輔じゃん。おはー」
俺は振り返るまでもなく、その声の主が誰だか分っていた。小学校からの付き合いで、俺の〝唯一〟ともいえる友人である、斎藤啓太、だったからだ。
「なんでこんなとこに突っ立ってんだ?」
この距離でその声量は必要なのか、と疑うほどの大きな声で質問してきた。
「いや、なんでもない」
突き放すように答えて、きょとん、とした顔になっている啓太と共に下駄箱へ向かい歩き出した。
下駄箱までの短い道のりの途中で、俺は先程香織に言われた言葉の意味を考えていた。
新しく入る部活のことだろうか。もしくは授業のことだろうか。色々と思考してみたものの、これといった答えは見つからなかった。
そうこうしている内に下駄箱に到着したので、靴を履き替えようと自分の下駄箱の扉を開けた。すると、中に見覚えのない封筒のようなものが入っていた。
誰かが間違えて入れてしまったのだろうか、と思い封筒を手に取ると、裏面に何やら書いてあった。
【山田啓介へ】
送り主の名前は書かれていなかったが、これは俺宛のもので間違いないようだ。
登校二日目から何の用だ、と思っていたが、すぐに目を疑うようなものが視界に入ってきた。なんと封筒の閉じ口がハートのシールのようなもので止られていたのだ。
それを、さっ、とポケットの中にしまい、隣にいた啓太の方を確認したが、どうやら気が付いてはいないようだった。
とりあえずひと安心だ。
しかし、頭の中ではこの封筒の送り主が一体誰なのか必死に考えていた。
……答えはまったく出てこない。
そもそも、女友達なんてものは香織以外に存在すらしていないのに、考えても分かるはずがなかった。もしくは、誰かのいたずらかとも考えたが、入学早々そんなことはないだろうと思い、その案は頭から消すことにした。
とにかく、まずは中身を確認しないことには何も分からないと思いながら、靴を中履きに履き替えた。
そして、教室に向かう階段を上る途中で、ある作戦を続行した。
「ごめん、トイレ行くから先行っててくれ」
「なんだ。大きいのか?」
「そう、大きいの」
啓太のしょうもない質問を受け流すように即答し、トイレへと駆け込んだ。何とか作戦は成功したようだ。
この時間帯は、皆登校してきてまだ教室でゆっくりしているだろうから、この封筒を開けるにはもってこいの場所だと考えてた。
案の定、トイレの中には誰もいなかった。しかし、これから誰も来ないとは限らない為、一応個室に入ることにした。
ふう、と便座に腰を下ろして、封筒を止めるハートのシールを外し、なかから一枚の紙を取り出した。
【突然の手紙でごめん。今日の放課後、屋上で待っている。 早乙女遥】
早乙女遥……?
全く知らない女子の名前がそこには書かれていた。しかも内容は、先程校門で香織に言われた事と全く同じであった。
俺は驚きと共に恐怖すら感じた。高校生活が始まった途端、二人—しかも片方は全く知らない女子から屋上に呼び出されるなんて、……何をされるか分かったもんじゃない。
だからと言って、行かなかったらいかなかったで、今度は俺の平和な日常に支障をきたす恐れもある。
……仕方ない、と思い、重い腰を上げてトイレから出て、自分の教室へと向かった。
教室に入ると既にほとんどの生徒が着席していて、席の周りと人達と簡単な自己紹介や世間話を楽しんでいた。黒板には、出席番号順だと思われる席順の紙が貼られていたので、俺は窓際の一番後ろの席に座った。「やまだ」という名前という事もあり、出席番号は大抵最後なので、新学年最初の席は大体この辺だ。
トイレで手紙を読んでいてクラスに来るのが遅かったこともあり、周りの生徒たちは既に自己紹介などは済ませてしまっていた様子で、ある程度のグループらしきものが出来上がっていた。
まあ、俺は、一人の方が気楽でいられるし、このクラスには啓太も香織もいたので、取り敢えずは大丈夫だろうと思い、特に気にしていなかった。
少し経つとチャイムが鳴り、生徒が全員自分の席に着いたタイミングで教室のドアから先生らしき人が入ってきた。二十代後半から三十代前半くらいの若い女性で、率直に言うと、かなり美人な人だった。
その女性は教卓の前まで行くと、自己紹介を始めた。
「初めまして、一年二組の皆さん。佐久間紗香です。今年で二十九歳で、絶賛彼氏募集中です。趣味は本を読んだり、映画を見ることです。これから一年間、皆さんと一緒に楽しく過ごしていきたいと思っています。よろしくお願いします」
先生の軽めの自己紹介が終わった途端、教室中がざわめき立っていた。特に男子は。確かに、ここまで美人の先生はなかなかいないだろう。
俺は、途中の彼氏募集中とかいう事は言わなくていいだろ、と思いながら優しそうな人でひと安心した。
それから朝のホームルームというものがあり、今日の予定や連絡事項を先生がお知らせしていた。そして最後に、教科書についての説明があった。
「ここの学校では、授業ごとに各先生達が教科書を配るのではなく、あらかじめ皆さんの机の中にすべての教科書が入っているので後ほど確認しておいて下さい。もし、足りない教科書があった場合は、すぐに私のところまで来てください。あと、置き勉が禁止されているわけではないので、教科書などは廊下のロッカーに入れておいても大丈夫です」
そうなのか、と机の中に手を入れると、確かに教科書らしき本がびっしりと入っていた。
本当にこんなに使うんだろうか……?
そんな疑問が脳裏を過ったが、考えても無駄だと思い、大量の教科書をロッカーに移動させようと机の中から勢いよく引っ張り出した。
すると、なかから一枚の紙が折られた状態で床に落ちた。
教科書が足りているか確認するためのプリントだろうか?
そんなことを考えながら紙を拾い上げ、開いてみた。
【山田啓介君 あなたにお話があります。放課後、屋上で待っています。 七ツ森雫】
……またか。もうここは夢の中なのではないかと自分の頬をつねってみるが、普通に痛い。
だとしても、これはおかしい。登校二日目にして、三人から屋上に呼び出されるなんて異常だ。もはやドッキリであってほしいと願いたい。
とはいえ、二人目に呼び出された時点で屋上に行くことは決心していたので、今さら一人増えようが問題はない。……いや、問題ではあるが、どうせなら一気に済ませてもらった方がこっちとしてもすっきりするので、この際人数は気にしないようにしよう。
今はこの大量の教科書をロッカーに移動させるのが先だ。教室の時計を見ると一時間目の授業が始まるまであと五分もない。
急いで教科書を持ち、廊下にある自分のロッカーに向かった。
ロッカーは出席番号順になっており、一番最後の俺のロッカーは、一番下に設置されていた。一番下のロッカーはかなり姿勢を低くしないと中のものが見えないので、教科書を取るたびに腰が痛くなってしまう。
しかし、中学生の時も二年次を除いて、出席番号が最後だった俺は、ロッカーが一番下だなんてことはとうに慣れていた。いつものように膝を地面につけて、腰をかがめて教科書をロッカーの中に仕舞おうとした。
だが、俺の手は止まっていた。まるで金縛りにあっているかのように、ぴくりともしなかった。
それはロッカーの中に既に何かが入っていたからだ。
俺の頭の中は朝からパンク寸前であった。校門でいきなり幼馴染から屋上に呼び出されたかと思いきや、今度は下駄箱の中に全く知らない人からの手紙があり、またしても屋上に来いと書かれていて、さらには、机の中にも手紙があり、内容は前者と同じであった。
そして次はロッカーの中である。ここまでくると何が入っていて、どんな内容が書かれているのか、見なくても分かってしまう。
俺は恐るおそる、ロッカーの中に入っていたものを取り出した。
案の定、紙切れが入っていて、今までと同じような内容が書かれていた。最後に、【四葉真菜】と送り主であろう人物の名前が書かれてあった。
毎回のように、この人物に関して、知っているわけでもないし、聞き覚えがあるわけでもなかった。
しかし、そのことに対して俺の脳みそは考えることを放棄していた。
考えても意味がないからである。名前も知らない人達からいきなり屋上に呼び出されて何が待っているかなんて考えても分かるわけがない。むしろ、考えるだけ時間の無駄である。
そう考えながら、俺は席に着いた。
今日の授業は午前中だけで、しかもほとんどが、それぞれの授業のオリエンテーションだったので、すんなりと終っていった。
その後、帰りのホームルームで、明日の予定などを先生が伝達して今日の学校生活は終わるはずだった。
……普通なら。
今日はここで終わらない。それよりも今からが本番であった。これから四人が待っているであろう屋上に行かなくてはいけない。
重い腰を上げ、屋上の扉の前まで足を運んだ。
既に、俺の緊張は最高潮に達していた。
今なら引き返すこともできる。これまでの俺であればそうしていただろう。
しかし今は、緊張と共に好奇心が芽生えていた。この扉の先には何が待っているのだろう?これから何が起きるのだろう?
そんなことに心を躍らせながら、ドアノブに手をかけて勢いよく扉を開いた――