095.神の島③
――紅焔の決闘場――
金火山の天頂、そこには小さな街が丸ごと収まりそうな巨大な穴が穿たれていた。底を覗き込んだところでその深さを推し量ることはできないが、暗闇の奥で蠢くマグマを目視する事は可能だ。1000℃以上という超高温で溶融した鉱物の結晶は美しい紅色に染まり、見る者を魅了する。
一方で火山の熱は激しい上昇気流を生み出し、微細な破片とガスを空へ吐き出し続けた。天に向かって聳え立つ黒い煙柱は分厚い雲を形成しており、それが空を覆うように広がった光景はまるで世界の終焉を思わせる。
決闘裁判の舞台となる決闘場はそんな噴火口の端部に存在した。長方形に切り出した石塊を連ねて作られた床の色は半分以上が焦げた褐色だ。石床全体がマグマの放射熱で炙られているため、処刑されてきた異端者達の血が焼き付いてしまったのだろう。
「クソッ、あの小娘……絶対に許さんからな……!」
神明裁判所と通路で繋がる屋根付きの観覧席で、忌々しそうに恨み言を漏らすクピディタ。吹き飛ばされた時に負った怪我を自らの治癒魔法で緩和したものの、体の調子は芳しくなかった。骨が軋むような痛みに表情を歪ませながら、隣に座る異端審問官へと視線を向ける。
「ところでザケルド様、今回の決闘を司る"神の矛"は誰をお選びに? 副団長のニール卿、もしくは近衛隊長のクネウム卿あたりかとは思いますが……」
「ユースティアだ。魔を穿つ槍を託されたあの男であれば、化け物相手でも動きを鈍らせるくらいはできるだろう」
「ユースティア卿……!? まさか総長に矛を命じられるとは思いませんでした。歴代最強の騎士と名高い彼であれば、聖杖の力を使わずとも異端者共を抹殺できるかもしれませんぞ」
「そうであればいいのだがな……」
白髪の混じった顎ヒゲに触れながら、ザケルドは陽炎を纏う石床を見下ろした。"神の矛"と呼ばれる聖教側の決闘者は、神器に認められし俊英から選出する決まりだ。騎士団総長ユースティアは古代エルフ族でありながらもその頂点に立つ最優の騎士である。
長命種としての寿命に加え、聖教の秘術で老化による影響を最小限に留めた彼は青年のような若々しい肉体を保ったまま、神業にも到達する武を獲得した。数百年に及ぶ鍛錬により研ぎ澄まされた槍捌きは一撃で山をも穿つとされ、その名は聖教国守護の要として誉れ高い。冒険者ギルドで伝説と謳われる最高レベル到達者――ダークエルフの女剣士でさえ、ユースティアには及ばなかったと言われている。
だがそんな聖教国随一の戦力を以ってしても、ザケルドにはメルを倒せるビジョンが浮かばなかった。神獣でも破れない聖域を拳で叩き割る程の驚異が相手となれば、総勢1000人近い騎士団を動員しても敗北は必至だ。故に彼は決闘裁判を口実に少女を火口へ引き摺り出し、天罰と称する大噴火で葬るつもりだった。
「困るなぁ、総長を直接指名されちゃったら僕の出番が無くなるじゃないですか。久しぶりに手応えのある相手と遊べると思ったのに」
ザケルドの背を飄々とした男の声が叩く。振り返った彼の視界に入ったのは、開いているのか閉じているかすら判別つかない細目が特徴的なハーフエルフの騎士であった。燃え盛る松明によって浮かび上がる、鼻筋の通った顔立ちと鮮やかな水色の頭髪――美男子と言っても差し支えない容姿は、血の半分がエルフ族由来であることを実感させた。だがそんな華やかな雰囲気とは裏腹に彼の装いは重々しい。聖アイリス騎士団の副団長用にあつらえられた蒼銀のプレートアーマーは冷たい光沢を放ち、見る者に威圧感を与える。
「……ニール卿、何故此処に来た? ユースティア卿が敗北した時に備え、異端者共の退路を塞ぐよう頼んでおいたはずだが」
「部下に任せましたよ、そんなつまんない仕事。大体、総長が負けるような相手を僕達が足止めできるはずないじゃないですか。時間稼ぎにもなりませんって」
「そのような理由で持ち場を離れて良いはずがないであろう。直ぐに戻るのだ!」
「ハハハ、相変わらず手厳しいオジサンだなあ。まあそう言わずにここで見物させてくださいよ。そうだ、宜しければ総長の技を解説して差し上げましょう。その方が決闘をより楽しめると思いませんか?」
僅かにニールの瞼が開き、冷淡な青色の瞳が覗いた。砕けた口調ではあったが、彼の全身から有無を言わさない圧力が放たれているのをザケルドは感じ取る。
(私を牽制しにきたな、この男……)
初老の司教は額の皺をさらに深くした。決闘裁判の実施が決定した直後、彼は騎士団に決闘場周囲の封鎖を依頼している。メル達の退路を断って確実に天罰で葬るためだ。しかし金火山が噴火すれば火口付近一帯は灼熱の濁流に飲み込まれてしまう。即座に聖域へ逃げ込める位置にいる者や、神器に守られている副団長クラスの幹部ならともかく、それ以外の騎士が助かる保証はなかった。
仲間の死を予見したニールが、天罰の発動を妨げようとしてもおかしくはない。その証拠に細身の騎士は裁判員用の席に深く腰掛け、これから行われる決闘をここで見届けるつもりでいる。
(此奴と騎士団総長は大司教様のお言葉にも口答えするような不届き者……私が何を言ったところで無駄か)
溜息にも似た長い息を吐き出し、ザケルドは諦めたように首を振った。聖アイリス騎士団も女神の信徒であることは変わりなく、指示されれば殉教すら厭わない者が大半である。だが総長ユースティアと副団長ニールは聖教において特異とも言える変わり者だ。神器を扱えるという一点で許されてはいるが、目上の者に従わない傍若無人な振る舞いに愛想を尽かす者も多い。
「……良いだろう、ニール卿の同席を許可する。だが課せられた役目を決して忘れるでないぞ。神敵を葬るのが騎士団の務めなのだからな」
「ご心配なく、それは総長が立派に果たしてくれます。それよりも気になるのは、大司教の席に最も近いと噂される方がどのような裁定を下すのか……ですかねえ。貴重な機会なので、ここでゆっくりと拝見させてもらいますよ」
「フン、食えぬ男だ……」
互いに辛辣な視線を交わすザケルドとニール。そんな2人のやり取りに居心地の悪そうな愛想笑いを浮かべつつ、クピディタは決闘場へ視線を向けた。
――決闘場北端 異端者用の武器置き場――
決闘裁判に挑むことになったメル達が案内されたのは、4本の柱で組まれた屋根付きの待機スペースであった。火口に向かって突き出した形になっており、空中通路で決闘場のステージと結ばれている。審判を受ける者の関係者――親族や友人はここから決闘の様子を見守る事しかできない。
「聞いてた通りの場所だね。そこにあるのは異端者に渡される武器かな?」
レモティーが顔を向けた先には石造りの台があった。好きな方を選べとばかりに古びた剣とメイスが置かれている事から、これがメルに与えられた武器であることは明らかだ。
「鈍器は装備できなくも無いんですけど、すぐに壊れちゃいそうですから何も持たずに行こうと思ってます。素手でも戦えますし!」
「うん、それでいいと思う。メルにとって最大の武器は素殴りだからね」
「とっとと倒しちゃって。今はうちの魔法効果が効いてるから何も感じないけど、絶対ここサウナ状態よ。メルも無駄に汗かきたくないでしょ?」
「確かに、ココノアの魔法が無かったら相当暑かったかもしれないなぁ。あと、あの石で作られた舞台を鑑定してみたら、魔法妨害罠っぽいモノが仕込まれてる事が分かったよ。魔法に属するスキルは多分使えなくなるはずだ」
「NeCOでも似たようなのがあったわね。ま、今のメルに意味があるとは思えないけど。それじゃ、頑張ってきなさい」
レモティーとココノアは心配事など何一つない澄み切った表情で友人を送り出した。仲間の強さを知る彼女達は、相手がいかなる強敵であってもメルが勝つと信じている。本人も頷いて応え、ステージへ向けて力強く歩み出した。
「メル様、ご武運をお祈りしてますわー!」
前方に見える裁判所まで届きそうな大声を出し、盛大に両手を振って激励するカタリナ。いつ用意したのか分からないが、その手にはメルの似顔絵を描いた小さな応援旗が握られていた。まさに1人応援団といった様相だ。一方、その隣に佇むフルカの顔付きは浮かない。
「……結局、僕は異端審問を止めることができませんでした。さらにはクピディタ司祭の言葉に惑わされ、命の恩人である皆様と妹を天秤に掛けてしまったのです。どのような顔をしてこの場に居れば良いのか、全くわかりません……」
「何をウジウジ悩んでいますの! 家族を人質に取られれば誰だって動揺くらいしますわよ。それよりも今は一緒にメル様を応援しませんこと? この旗を差し上げますわ!」
フルカの手に応援旗が渡された。カタリナの手描きと思われる獣人少女の顔は少々崩れており、お世辞にも上手と言えるものではない。しかし、どこか素朴な温かみを感じさせる。かつてソラが自分の誕生日にプレゼントしてくれた似顔絵をふと思い出した彼は、覚悟を決めたように旗をギュっと握り締めた。
「そうだ、ソラは僕が守らなければならないんだ……!」
遠くに見える裁判官の観覧席へ向けて、フルカは決別の意志を込めた視線を送る。女性の尊厳を踏み躙ってきただけでなく、孤児として受け入れた少女すら手籠にしようとするクピディタは、聖職者の道を外れた悪党として彼の瞳に映っていた。
「メル様、どうか宜しくお願いしますッ!」
力の限り叫ぶフルカ。メルが決闘に勝てば彼も無罪放免となる。自由の身になればクピディタの罪を暴くことが可能だ。愛する妹を邪悪な欲望から救いたい一心で、声に想いを乗せる。
「随分と気合入ってるじゃない、あの2人。こっちも負けてらんないわね」
「うん。決闘はメルに任せたけど、ボク達はここを切り抜ける方法を考えないといけない。特に決闘場を囲んでる連中が厄介だ。魔法妨害罠のせいでスキルも制限を受けるだろうからね」
盛り上がる応援団を横目に、ココノアとレモティーは作戦を練った。火口には馬に跨った大勢の騎兵が集結しており、蟻一匹通さないほどに強固な包囲陣を構築している。決闘場から脱出しようとすれば彼らと総力戦を繰り広げる事になるだろう。ココノアが本来の力を発揮できれば一瞬で蹴散らす事ができるが、決闘場の近辺ではマジックジャマーの影響を受けるため、一網打尽にはできない。
「魔法無しであの数とやりあうって相当面倒なんだけど。どうにかならないの?」
「リセが戻ってくれば裏手から仕掛けてくれるはずさ。さっきマンドラハバネロをこっそり出して連絡しに行かせたから、しばらくすれば突破口が開けるんじゃないかな」
「突破口どころか、リセならそのまま制圧しそうな気もするけど……まあいいわ。メルが余計な心配をしなくて済むように、うちらはカタリナとフルカを守り切るわよ」
エルフ少女は華奢な指先で木製の短弓に矢を番える。魔法を封じられたところで、彼女の攻撃手段がなくなるわけではない。レモティーの方も主力武器である蔦が熱のせいで思うように伸ばせないものの、火山地帯に適正を持つ魔法植物を召喚する事で応戦可能だ。魔法使い殺しと恐れられるマジックジャマーも、歴戦のMMORPGプレイヤー達にしてみれば攻略可能なギミックの1つでしか無かった。
――決闘舞台――
四角形の石が敷き詰められたステージで挑戦者を待ち構える1人の聖騎士。頭部以外を重厚な鎧を覆った彼の右手には、対をなす2つの刃が生えた巨槍が握られている。女神が神獣の牙を使って創り出したという伝承を持つそれは、魔族の強靭な皮膚を簡単に貫く鋭さを有する事から"魔を穿つ槍"という名が与えられた。
多くの者はその豪快な見た目だけに着目するが、聖教が保有する神器はそれぞれ隠された力を持つ。魔を穿つ槍も同様であり、持ち主の魔力と引き換えに身体能力を極限まで引き出す効果を宿していた。これを手にした古の英雄は、魔族の群れを完膚なきまでに叩きのめしたという。しかし騎士は強大な力を得ても驕ることなく、眼前の少女を強敵として見据えていた。
「貴様がメルか。聞いていた以上の猛者だな。この俺が気圧されるとは……」
「あら、今までの人達とは違う反応ですね? ひょっとして私の能力値が分かるんですか?」
「くくっ、皆目見当が付かないからこそ評価している。外見は子供にしか見えないが、その内に秘められた力は圧倒的なものだ。異端審問なんぞに興味はないが、貴様のような強者に手加減など無粋だろう。最初から全力を出させて貰うぞ。俺の名はユースティア、聖アイリス騎士団総長であり、神の敵を貫く槍である!」
騎士はアッシュグレーの前髪をかき上げ、勇ましく名乗りを上げた。彼の額に刻まれた十字の紋章は聖なる星を象ったものであり、これを相手に見せることは死力を尽くして討つと宣言するのに等しい。聖教の騎士が生死を賭けた一騎打ちを申し込む時に行う際の流儀である。
「むむ、なかなか手強そうな人ですね……私も油断せずに挑みますよ!」
メルは両手の拳を構えて戦闘態勢に入った。幼い少女ながらも気迫は大人顔負けであり、敵対者にピリピリとした緊張感を走らせる。
対するユースティアは長身であるものの、筋肉で膨らんだ巨躯を誇るような容貌ではなかった。一切の無駄を削ぎ落とし、洗練した鋼の肉体という表現が最も適切だろう。素人であるメルの目にも、相当な鍛錬を積んできた相手であることは何となく感じ取れた。
「両者、準備が整ったようだな。では決闘裁判の開始を宣言しようではないか」
突如として舞台にザケルドの声が響き渡る。審問官専用の席に座った司教は聖杖の魔力で声量を増幅させ、続く口上を述べた。
「聞け、異端者メルなる者よ。汝は女神アイリスが与え給うた理に背く術式を操り、民草を惑わせた。これは恥ずべき行為であるが、汝はその罪を認めていない。故に、神聖なる決闘裁判を以って汝への裁定を下す事とした! 潔白を証明したくば神の矛に打ち勝ってみせよ!」
宣言終了と同時に決闘場全体が光に包まれ、マジックジャマーによる阻害効果が現れ始める。魔法禁止フィールドとなったステージにおいて先に動いたのは、蒼と白で統一された鎧の騎士だ。数歩の跳躍でメルとの距離を詰め、目にも留まらぬ速さで槍を繰り出した。
――シュッ!――
2つの牙がメルの頭部を喰い破ろうとする。だが槍が掠めたのは桃色の髪だけであり、その本体を捉えることは叶わなかった。体を横に向けて初撃を躱した少女は槍目掛けて拳を叩きつける。
「武器破壊を狙うか……だがッ!」
咄嗟に槍を持ち替えてメルの攻撃をいなすユースティア。その黄金色の眼は僅かに相手の体勢が崩れたのを見逃さなかった。勢いを乗せた槍の尾で鳩尾へ強烈な一撃を見舞う。
「おっと、危ないですね! でもこれくらいは――」
メルが追撃を両手で受け止めた。しかし彼の攻撃はまだ終わっていない。槍に意識が集中した瞬間を狙いすましたかのように、鋭い手刀が少女のこめかみを一閃する。
――ズサッ!――
刹那、桃色の毛が数本切り落とされた。辛うじて直撃を回避したメルは一旦後ろに飛び跳ね、距離を開けようとする。だがそれを許すユースティアではない。
「迂闊だな、この間合いは俺の支配領域だッ!」
長身と長物を生かした死角のない連続刺突が無防備なメルへ襲いかかる。一撃一撃が確実に急所を狙っており、獣人族の敏捷性を生かしても全てを避けきるのは無理だった。
「あっ……!」
少女の肩を掠めた一撃により、ポーチの肩掛け紐が切断されてしまう。宙を舞う、お魚マーク付きの子供用バッグ――セロとリエーレからの大切な贈り物を手放してしまった事で、メルの注意が散漫になる。
「貰ったァッ!」
ユースティアの叫び声が轟くのと同時に心臓を抉る渾身の一撃が放たれた。槍の先端は狙いを逸れることなく相手へ届き、胸の中心に触れる。だが刃がそれ以上深く刺さることはなかった。寸前でメルが白刃取りしたからだ。槍を突き出すユースティアと、それを食い止めるメル――2人は硬直状態に突入する。
「なんて事してくれるんですか! この前髪、ココノアちゃんが切り揃えてくれてたんですよ! それにポーチだって紐が切れちゃいました。後でレモティーちゃんに修理して貰わないと……」
「まさか今の一撃を見切るとはな。やはり大したものだ。だが貴様の動きには覚えがあるぞ。そうだな……俺が戦った中で最も強かったダークエルフの剣士に通じるものがある。あの女の弟子か何かか?」
槍を素早く回転させてメルの手を弾くと、ユースティアは数歩下がって呼吸を整えた。僅かな時間の攻防でも神器に吸われる魔力量は膨大である。その攻撃の苛烈さ以上に消耗が激しかったのだ。だが彼の表情に焦りや苦悶の色はない。むしろ強敵と手合わせできる状況に歓喜するような無邪気な笑みを浮かべている。
「ダークエルフの剣士さん……? もしかしてリエーレさんのことでしょうか? それなら確かに私は弟子って言えるかもしれません。格闘の基本はリエーレさんから教えてもらったので!」
「くくっ、そうか! あの女と俺には因縁があってな。決着を付ける前に余計な邪魔が入ったせいで、どちらが上なのか決する事もできず数十年が経ってしまった。だがお前に勝てば、ようやくその答えを得られそうだ。このような僥倖を授けてくださったアイリス様に感謝せねばな……さて、死線に触れる覚悟はできたか?」
「あっ、待ってください! ポーチを踏んじゃうといけないので、お友達へ預けておきます!」
「そんな魔道具が大事とはな……まあいい、少しだけ時間をやる。全力で戦えぬ者に勝ったところで、俺の槍は喜ばんだろう」
メルの申し出を受けた騎士は聖槍を床に突き立てた。背後から攻撃するような真似はしないという、騎士道精神に則った意思表示である。
「この時間でこちらも闘いに備えさせて貰うぞ。これほどに愉快な時間は久方振りなのでな」
思わぬところで過去の因縁を清算できる機会に恵まれ、気分を高揚させるユースティア。彼はポーチを拾いに行くメルを放置し、魔力を練り直し始める。体内に満ちる魔力を意図的に高速循環させて、より猛々しい流れを生み出す秘技――これは魔力操作に長けるエルフ族だからこそ習得できた荒業だ。他種族の者がやれば肉体が耐えきれずに破裂してしまいかねない。
「良かったぁ! 破れたのは紐だけで、ポーチは無傷でした! ちょっとホコリが付いちゃいましたけど」
安堵した様子でポーチを片手で拾い上げる少女を目で追いつつ、ユースティアはさらに魔力を高めようと意識を集中させる。しかしそれが出来たのは僅か数秒の間だけだった。
「……なッ!?」
騎士の口から驚きの声が漏れる。ポーチが落ちた床だけが著しく陥没していた事に気付いたからだ。まるで巨大な岩石でも直撃したような様相である。小さな鞄にそれほどの重量があるとは到底思えなかったが、魔道具であることを考慮して彼は疑問を口にした。
「その鞄には何が入っている?」
「えっと、色々入ってます! 歯ブラシやタオルなんかの生活必需品とか、着替え、お布団、食器……あとお弁当も! ついでに次元結晶や馬車も入ってるので結構重いんですよね」
そう言ってメルは大きく振りかぶり、仲間の方へポーチを放り投げた。デフォルメの効いた可愛らしい魚の絵はゆるやかな放物線を描いて飛んでいき、金髪の女性が拡げた腕の中へと収まる。
――ドォォォン!――
キャッチの瞬間、ポーチの見た目とは掛け離れた激しい揺れが決闘場全体に広がった。受け止めた方は何とか落とさずに済んだようだが、遠目でも分かるほどに必死の形相を見せている。メルが今まで身に付けていた物がどれほど重たかったのか、ユースティアは振動の大きさで理解した。
「お待たせしました! それでは再開しましょう!」
「……面白い。ここからが本番というわけか」
ユースティアは愉悦の表情で槍を構え直す。比類のない身体能力を持っているにも関わらず、メルは重心のブレが顕著であった。それ故に彼はメルの隙を突くことができたのだ。しかし錘というハンデを失った今、その実力は100%発揮されることになる。
「貴様の全力、見せてもらうぞ!」
神器によって筋力を増した具足が床を蹴った。分厚い鎧を纏っているとは思えないほどの加速で駆け出したユースティアは、槍と身体の軸を一直線に重ねて流星の如き突進技を繰り出す。
「螺旋突撃槍ッ!」
高速回転を纏うことで破壊力を増した刺突が少女を貫通した――ように思われたが、それは単なる残像であった。ユースティアの側方に跳んだメルは彼が防御するよりも早く回し蹴りを叩き込んだ。
「ぐぅッ!?」
信じられないほどに重い一撃を神器の柄で防ぐ事に成功したものの、全ての衝撃を殺すことはできなかった。胸部の鎧が凹むと同時に肋骨が数本へし折れる。動きを止めれば次の攻撃でやられると直感したエルフ騎士は、槍を床に突き刺して踏み留まった。そしてすかさず反撃に移る。
「まだだ! これしきで俺を倒せるなどと――」
果敢に吠えるユースティアであったが、その瞳が攻撃目標を捉えることはなかった。いや、正確には視えていたのだが、視神経を伝う電気信号よりも速い少女の動きに対応することができなかったのだ。眼前を桃色の髪が通り過ぎた瞬間、右腕と左脚、そして背中へ強打が撃ち込まれる。
「なん……だと……!?」
ほぼ同時の3点攻撃。さらに音速を超えた拳で生じた衝撃波が鎧の表面を削り取った。圧倒的な力の差で一方的にやられる状態に陥ったが、それでもユースティアが口元の三日月を崩すことはない。
「くくくくっ! これだ、これが求めていた戦いなのだ! 友よ、共に武の果てを目指そうではないか!」
真っ赤な鮮血を吐きながらも、彼は残る全ての魔力を神器に注ぎ込んだ。魔を穿つ槍も持ち主の覚悟を汲み取ったのか、肉体の限界を超える力を授ける。寿命と引き換えに得た膂力は凄まじく、放たれた刺突が再びメルの衣服を掠め始めた。
「凄いですね! こんなに強い人と戦ったのは初めてかもしれません!」
「まだまだ余力を残している癖によく言ってくれるッ! だがその言葉、今の俺には心地よいものだ。愉しい時間はあと僅かだが、最期まで付き合って貰うぞ」
命を燃やしたユースティアはメルと渡り合うほどの力を見せる。2人の動きは既に視認できない次元に突入しており、ぶつかり合う衝撃音からでしか存在を知覚できなかった。
――決闘場南端 裁判官用の観覧席――
限界を超えた者同士が衝突する轟音によって観覧席の屋根が揺れる。頭上からポロポロと落ちてくる建材の欠片を振り払うのも忘れるほどに、異端審問官ザケルドは焦っていた。
「ど、どうなっておるのだこれは! どちらが優勢なのかすら判別が付かんぞ!? ニール卿、状況を説明せんか!」
「いやいや、さっきから何度も教えてあげてるじゃないですか? 捨て身になった総長がギリギリ喰らい付いてる状態ですってば。でもあのメルって娘、全力は出してないんじゃないかなあ。どうしてあんな化け物を異端審問に掛けようなんて思ったんです?」
「なんと……あの異端者、一体どれほどの力を有しているというのだ……!」
ニールの解説を聞いた司教の顔から血の気が引いていく。戦いの余波は決闘場だけでなく裁判所にも影響を及ぼしているため、これ以上の継続は極めて危険だ。聖域で守られた観覧席は耐えているだが、決闘場の崩壊に巻き込まれれば無事では済まない。ザケルドは決断を迫られていた。
「使えぬ長耳めッ……子供相手に傷を負わせる事もできぬのか! あの男が敗北する前に天罰を引き起こさねば、アイリス様の威光が地に落ちてしまう……!」
「それ、本気で言ってんですかね? 総長があんなに愉しんでるのに水を差すなんて、野暮ってモンですよ」
ニールが睨みを利かせる。だがザケルドは警告を無視して聖杖を振り上げた。審問官の脳内はメルに対する恐怖で埋め尽くされており、他者の言葉を受け入れる余裕が失われていたのだ。
「お待ち下さい、ザケルド様! 今の状態で天変地異を起こせば、ユースティア卿だけでなく神器も巻き込んでしまうことに……!」
「五月蝿いわ! ここであの化け物を始末せねば、国が潰れかねんのだぞ!? 手段を選んでいる状況ではないと知れッ!」
旧知の友であるクピディタの声すらザケルドには届かなかった。狂気に染まった彼は聖杖に金火山を呼び覚ます術式を込める。
「天にまします我らが女神よ! その御力で、愚か者共に罰をお与え――」
しかし司教の言葉が最後まで紡がれることは無かった。限りなく透き通った刃を持つ神器、護神剣が彼の首を切断したからだ。恐怖に歪んだ老人の頭部がゴトンと音をたてて床に転がる。
「ヒィィィッ!? ニール卿、なんてことを!! 騎士が司教を殺めるなど、許されぬ所業! 自分が何をしたのか、ご理解しておられるのか!?」
「殺める? 勘違いしないで欲しいなあ。ほら、決闘場を見てくださいよ。聖教が敗けた以上、責任者の死は確定事項じゃないですか」
「敗けた、ですと……?」
恐る恐るステージに目を向けたクピディタの視界に映ったのは、ステージに横たわる騎士団総長の姿だった。その傍ら、メルは何喰わぬ顔で衣服に付着した砂埃を払っている。勝者は一目瞭然だ。
「ぐぅ……! このままではワシも裁かれてしまうではないか!」
クピディタの額に大量の汗が吹き出してきた。聖教の代表者が敗けた場合、決闘裁判に立ち会った聖職者が死を以って償うという規則が定められている。決闘の勝者こそが女神アイリスの寵愛を受けた者であり、絶対の正義であるからだ。従ってこの場合はザケルドとクピディタが処刑の対象となる。
(認めん、認めんぞ! ワシはこのような所で終わる男ではないのだッ!)
堕ちた司祭は何とかして逃亡出来ないかと思考を巡らせた。しかし副団長ニールも凄腕の騎士であるため、万が一にも勝ち目はないだろう。賄賂や女を贈って見逃して貰う案も脳裏を過ったが、そんな拙策が通用する相手には見えなかった。何を考えているのか想像すら付かない細い目を向けられたクピディタは、だらしなく小便を漏らしてしまう。
――ゴォォォォォ!!――
その時だった。裁判所全体が大きく揺れ始め、地の底から龍の咆哮にも近い轟音が這い上がって来たのである。ニールは即座にそれが噴火の予兆であることに勘付き、聖剣を鞘に収納して踵を返した。
「あーあ、失敗しちゃったみたいですね。まさか時限術式まで仕込んでたなんて、ホントに用心深いオジサンですよ。僕は総長を迎えに行ってきますから、そっちは精々足掻いてください」
「お、お待ちを! どうかワシもお救いくだされーっ!」
ニールの背中にクピディタが手を伸ばした直後、天井が崩れてきた。マグマの胎動が地震を引き起こした事で、本格的に決闘場が崩壊し始めたのである。幸い瓦礫に巻き込まれはしなかったが、裁判所上階へ続く通路から分断される形となった。守護対象として定義された構造物が破壊されると聖域は意味を成さなくなるため、ここに居れば間違いなく生き埋めになる。
「ワシは絶対に生き延びる……生き延びてやるぞ……!」
クピディタは歯を食いしばり、四つん這いで揺れる床を這った。目指す先は拷問室がある裁判所地下へ繋がる古びた階段だ。無言でザケルドの頭に別れを告げ、痛む身体に鞭打って薄暗い通路へ転がり込む。段々と強くなる震動に急かされるようにして、彼は長い階段を降りて行った。神明裁判所に終焉をもたらす噴火の時は近い。




