093.神の島①
――金火山 火口付近――
灰で染まった黒い崖の上に燦然と輝く、城の如き堅牢な裁判所。この地にあって尚一切の汚れが無い不可思議な白壁が目を引くが、その秘密は常時展開されている聖域魔法にある。裁判所を囲む高い塀を基点として、全ての構造体を包み込む不可視の障壁が存在しているのだ。
アイリス聖教で編み出された聖域魔法は生命の有無に関わらず、術者が許可したもの以外を通過させないという性質を持つ。そのため火山から生じる噴煙や火砕流であっても防ぐ事が可能だった。またその一方で聖域は閉じ込めた異端者を逃さないための檻として機能も有する。裁判所の名を冠しているが、実際には牢獄に近い運用が行われていると言っていいだろう。
そんな神明裁判所は主に"聖教の戒律に背いた者を裁く"という役割を担っており、信徒を罰するための施設として内外に広く認知される。聖教の教えに無い治癒魔法を使用した者、もしくはそれに関係した部外者を連行することもあるが、絶対数としては多くない。故に今日も審判の場に引き摺り出されるのは、異端の罪を背負わされた元信者だ。
「あがぁっ……!?」
冷たく硬い石の床に叩きつけられ、簡素な布服の若者はうめき声をあげた。ここへ連れて来られて5日目の夜を迎えた彼の顔は酷く憔悴しており、体力の限界が近い事を伺わせる。震える足で何度も立とうとするのだが、膝から崩れて床へ伏してしまう。
「早く進め! 異端者であるお前に休む時間など与えられると思うな!」
周囲を取り囲んでいた屈強な修道士の1人が男性の頭髪を掴み、無理やり身体を引っ張り上げた。両手首を拘束する手枷のせいでどんな乱暴にも抵抗することはできず、茶色の髪がブチブチと千切れて床に落ちる。
「や、やめてくださいっ……これでは、罪人同然ではないですか……!」
「お前は聖教の教えに背き、教会の外で癒やしの術を使ったのだ。何ら罪人と変わりはない。楽になりたければ神を裏切ったことを今すぐ認めるのだな」
「アイリス様を裏切ったことなんて、一度もありません……っ!」
暴力で虐げられても若者が信仰心を手放す事は無かった。東大陸の小国にある教会で司祭に次ぐ職務――助祭を任せられた彼は、路上で倒れていた子供を癒やした事でこの裁判所へと連れて来られた経緯を持つ。アイリス聖教における治癒魔法は神の奇跡であり、教会の外でみだりに使ってはいけないという厳しい掟があるからだ。
戒律に反した者は即座に異端者と扱われ、神明裁判所で裁きを受けることになる。しかしその内容は極めて理不尽であり、残酷なものであった。信徒である者を処刑すると神の意志に背く事になるため、まずは三日三晩不眠不休で糾弾を浴びせて神への信仰を捨てたと自供するまで追い詰める。それでも心が折れなかった場合は、異端審問と称した拷問を施した。鞭打ちや水責めなどはまだ軽い方で、中には死に至るような危険な責め苦も少なくない。
「何度も言ったはずです……教会まで連れて帰るような時間はなかった! その場で治癒しなければ、あの子は死んでしまっていたのです!」
「いかなる理由があれども、我らが神の奇跡を粗末に扱うなど言語道断! これから異端審問官ザケルド様が直々にお前の罪を審議する。そこで己が罪を悔い改めるのだな」
「どうして分かっていただけないのですか……どうしてっ……!」
必死の弁明も虚しく、青年は修道士に頭を掴まれたまま通路を歩かされた。その先にあったのは審議の間と呼ばれる円形のホールだ。罪囚を繋ぎ止める鎖付きの石床を囲むようにズラリと席が並んでおり、そこに異端審問官を含む聖職者達が腰掛けている。その中で最も大きな机を任されていた初老の司教が聖杖の先端を若者へ向けた。
「その者が我らが裁定を受ける異端者か?」
「はっ! フルカ=インノケンという名の助祭です。教会外で癒やしの術を行使した罪で捕らえられました。鞭打の間を経ても神への誓いは失ってないと傲語しております故、ザケルド様にて審議をお願い致します」
「ほう、随分と粘るではないか。良いだろう、鎖に繋げ」
ザケルドと呼ばれた司教の指示により、床に設けられた鉄鎖とフルカの手錠が繋がれた。逃げ場を失った彼を嘲るように一瞥した後、修道士達は広間から退出していく。彼らの役目は一旦ここで終わりだ。これからは異端審問官の称号を与えられた高位の聖職者を中心とする裁判員達による審議が主となる。
「司教様、私はアイリス様のご意志に背くつもりなどございません。どうかお許しを……!!」
「自ら禁を破りながら許しを乞うなど、あまりにも愚かな話だ。教会の外で癒やしの術を使うことを禁じている理由……お前も知らぬわけではあるまい。"神の赦し"を与えられた時、聖母様に誓いを立てたはずなのだからな」
「それはその通りですが……魔物に襲われた幼き子供を救うため、その場で癒やしの術を使う必要があったのです。もし教会まで連れて帰っていれば、あの子は息絶えていたはず……間違ったことをしたとは思っておりません」
「それが原因となり、癒やしの術を模倣する者が現れたらどうするのだ? かつて"神の赦し"の秘密を暴こうとした者が、"神の赦し"ごと信徒の腕を抉り取る事件もあったのだぞ。治癒の術式を奪い、邪神を祀り上げる輩が出てこないとは限らん。お前のやったことはアイリス様を冒涜する行為なのだ」
本人の言い分を無視し、ザケルドは規律を破ったことのみを執拗に責め続けた。それに対してフルカは女神への信仰心は失っていないと懸命に訴えたが、裁判員達は冷ややかな視線を送るだけで理解を示そうとはしない。何度も同じ話をさせられるのは勿論のこと、高位の聖職者である司教にすら言葉が届かないという絶望感は彼の心を打ちのめした。
「どうして……どうして分かっていただけないのですか……」
「これ以上の議論は時間の無駄だな。異端審問の規則に従い、神の試練にてアイリス様への信心を問おうではないか。これから課す試練に耐えることができればお前の主張を認めてやるが、そうでなかった場合は"神の赦し"を剥奪する。よいな?」
「……分かりました。それで構いません」
声を震わせながら異端審問官の提案を承諾するフルカ。極度の消耗と精神的ストレスによって、彼は既に正常な判断ができなくなっていた。左右どちらかの腕に刻まれる"神の赦し"は 使用者の血肉と結合して同化する融合刻印の一種である。従ってその剥奪は身体の一部ごと失う事を意味した。そして神の赦しを失った者は即座に破門という扱いになり、裁判所の外へ放り出される。他の島と異なり住民がいない火の島では適切な治療を受けられず、そのまま野垂れ死ぬことになるため、試練の失敗は処刑と同義だった。
「それではこの者に課す試練を決めるぞ。意見のある者は遠慮なく述べよ」
「そうですな……鞭打の間を耐えたというならば、全身傷だらけのはず。炒り塩で心身ともに清めてやるのはどうでしょう」
「ショック死してしまう恐れのあるものは避けたほうが無難かと。我々の目的はこの者に悔い改めさせることなのですから」
「ならば灼けた鉄の橋を渡らせてはどうかの。あれならば壊れても足だけで済むじゃろうて」
司祭以上の序列で構成された裁判員達は涼しい顔で拷問の方法を提案し始める。異端審問は聖教内部に対する見せしめの意味合いが強く、より過激な試練が選ばれる傾向が強い。ただし"神の赦し"を持った信徒の命を奪うことは規律で禁じられているため、死なせないギリギリのラインに留める必要があった。また"神の赦し"を本人の承諾無く取り除くことは、それを与えた聖母の温情を否定することになりかねない。故に異端者自らからそれを手放すように仕向けなければならなかった。異端審問が裁判の形を取っているのは、これらの理由によるによるものだ。
それからもしばらく裁判員達の活発な議論が続いた。鎖に繋がれたまま試練の宣告を待つしかない状況に、フルカはガタガタと歯を鳴らす。鞭打ちですら気を何度も失ったというのに、それ以上の責め苦を与えられたら心が壊れてもおかしくはない。
「……それでは決まりだな。採択の結果に準じ、フルカ=インノケンには炮烙の試練を与える。速やかにこの者を"焔の間"へ連れて行け!」
ザケルドが杖の石突で床を強く叩いた瞬間、広間の入口が開いて修道士達が駆け込んできた。そして行き先が決定したフルカの脇を抱え込んで、強引に引き摺り出す。"炮烙の試練"とは薪を焚べて熱した鉄の橋を素足で渡らせるという拷問の一種である。拘束器具は外されるものの、橋の表面に脂が塗られているため走って渡り切るのは不可能に近い。炎の海への投身を防ぐためには時間を掛けて少しずつ進まなければならないが、そうすると今度は両足が焼けてしまうというジレンマをはらむ。
「お待ち下さい、司教様! このような仕打ち、あまりにも酷すぎます……! どうか聖母様との謁見をお許しください! あの方であれば、私の行いが間違っていたとは決して――」
若者は喉が枯れるほどの大声で叫んだが、それが裁判官達に聞き入れられる事はなかった。懇願の言葉を遮断するかのように重い鉄扉が閉まり、審議の間に静寂が訪れる。
「聖母様が異端者などとお会いになるはずなかろう……絶望のあまり狂ったか、あの男」
「狂ったのならそれはそれで都合がよいではありませんか。"神の赦し"さえ剥奪できれば、後の処理はどうとでもなります」
「運良く試練を突破できたとて、その先に待っているのは決闘裁判……どうやっても生きて帰ることはできぬというのにのう。哀れな男じゃて、ふぉっふぉっ」
裁判官達は異端者の末路に失笑を浮かべた。彼らが言う通り、異端者の疑いを持たれた時点で既に処遇は決まっている。神明裁判所とは名ばかりであり、その実態は監獄を兼ねた処刑場だったのだ。
――その夜 火山中腹の荒れ地――
真っ暗闇の中、ランタンを携えた聖教の修道士達が台車でフルカを運ぶ。屠殺した家畜の如く粗雑に運ばれている彼の体は、右肩からごっそりと腕が切り落とされた後だ。台車を伝って真っ赤な血が大地に滴っていることから、止血すら施されていないことが分かる。やがて人骨らしきものが散乱する不気味な窪地に到着した修道士は、虫の息となった元助祭の身体を躊躇うことなく蹴り落とした。
「う……ぅ……」
辛うじて意識が残っていた若者は、仰向けに横たわったまま虚ろな目で空を見つめる。彼は未来を掴み取るため果敢に試練へ挑んだものの、拷問に耐えきれずに"神の赦し"を失った。両足は神経まで焼け焦げて使い物にならなくなってしまったので、自力で動くことは不可能だ。この荒涼とした山肌で死を待つのみである。
(ソラに……ソラにもう一度だけ、会いたかった……)
死の間際にフルカが思い浮かべたのは、故郷である東大陸に住まう妹の姿だった。エリクシア王国の南西に位置する小国パルウム出身の彼は聖教と無縁の幼少期を送っており、元から信心深かったわけではない。だが病を患ったソラを教会で治療して貰ったことをきっかけに、女神アイリスの教えに興味を抱くようになった。
『限りある旅路に歓びを謳いなさい。貴方達の歩みが世界を形造るのです』
そんな一文から始まる九つの言葉がアイリス聖教における信仰箇条となっている。かつて女神が存在していた頃、人々に対して語ったとされる言葉だ。当時子供だったのもあり、教会の壁に掲げられた女神の教えをフルカは殆ど理解できなかった。しかし通路を通りがかった修道女が噛み砕いて説明してくれたのを、彼はおぼろげに思い出す。
『辛く厳しい人生の中にも生きる幸せを見つけなさい、とアイリス様は仰っておられるのよ。そうね……例えば、あなたにとっての幸せって何かしら?』
『えっと、お腹いっぱいご飯を食べたり、温かいベッドで眠ったりすることかなぁ? あっ、それよりも大事なものがあったや。妹のソラにはいつでも笑ってて欲しいんだ!』
『ふふ、なら妹さんの笑顔があなたの生きる幸せという事ね。きっとソラさんもきっと同じ気持ちだと思うわ』
そんな風に自分の想いを肯定して貰えた時の感動は、今もフルカの心に深く刻まれている。何故なら魔物の襲撃で両親を失った彼にとって、ソラは残された唯一の家族だったからだ。子供2人での暮らしは貧しく、周囲の助けがあっても厳しいものだったが、妹の笑顔を守る事が自分の幸せなのだと想えばいくらでも頑張れる気がした。
それからフルカは一層熱心に働き、数年がかりで癒やしの術式による治療費を全額返済している。さらに女神の教えをもっと学びたいと感じた彼は、聖職者への道を目指してアイリス聖教への入信を決心した。まだ成年すらしてない妹を残して行く事を迷う気持ちもあったが、ソラ本人が背中を押してくれたことで今に至る。
(ごめん、ソラ……僕は何かも失ってしまったよ)
3年に及ぶ修行を終えて帰郷した際、右腕に宿った"神の赦し"を見たソラが自分のことのように大喜びしてくれた様子を想起して、フルカは途方もなく辛い気持ちになった。いずれ司祭となった暁には自分の教会を持ち、病弱な妹が何不自由なく過ごせる環境を用意してやるつもりだったのだ。しかし最終的に彼が得たのは異端者の烙印と、苦痛の果てに訪れる無惨な死しかない。
そもそも何故、フルカが異端審問にかけられる事態になったのか――その原因を明らかにするためには、数週間ほど遡る必要がある。若くして助祭に認定された彼は故郷の教会で司祭の職務を手伝う傍ら、自らと同じ境遇の子供達のために食糧を配る活動をしていた。しかしある日、街道で重症を負った少女を目撃してしまう。魔物と思しき鋭い爪で腹部を割かれており、傷口をすぐに塞がなければ危険な状態であったので止む無く癒やしの術を使ったのだが、それを誰かに目撃されてしまったらしい。教会へ戻った途端、聖教から派遣された騎士団員がフルカを取り囲んだ。その後、犯罪者同然の扱いを受けつつ火の島まで連行されてきた。
(知らずのうちに、誰かの恨みを買ってしまっていたのかもしれないな……)
今から思えばあまりにも良く出来すぎた流れである。何者かに嵌められた事は明確だった。それでも彼は自分の行いを悔いたりはしない。呼吸すら辛くなってきた肺を懸命に動かし、これまでの人生に思いを馳せる。
(あの子は無事に過ごせているだろうか……)
怪我を負った少女はどことなく幼少期のソラと似ていた。だからこそ彼は教会の外で癒やしの術を使うという掟破りに目を瞑って、治癒を強行したのだ。聖教の決まりを優先して少女を無視する選択肢もあったが、それを選んでしまえば最後、妹の顔を見る度にその事実を思い出すことになる。
(瞼を開けるのも辛くなってきた……だがこのままじゃ死んでも死にきれない)
フルカの肉体は重篤な火傷と失血により機能不全に陥っており、もはや体温の維持もままならなかった。近寄ってくる死の足音に従って何もかも諦めれば、少なくとも楽に眠る事はできるだろう。しかし遺されたソラが心配で仕方なかった彼は、命の灯火が消えるまで妹を想い続けようとする。
(クピディタ司祭、どうかソラの事をお願いします……)
治療を担当してくれた男性司祭は治療費の返済を辛抱強く待ってくれた上、教会の孤児院で兄妹の暮らしを面倒を見ると申し出てくれた恩人だ。身体の弱いソラは今もそこで暮らしている。兄が異端者として処刑されても、人格者である神父なら何とかしてくれるだろうと信じて、湧き出てくる不安を抑え込むしか無かった。
「……アイリ……スさ、ま……」
残された左腕を空に向けるフルカ。異端者と罵られても彼の信心は揺るがない。女神が遺した教えの言葉にあった、最後の一文を心の中でなぞった。
『いかなる哀しみや苦痛の中でも希望を捨てず進みなさい。その果てに必ず光はあるのですから』
荒廃した世界を救うため自らを犠牲にする直前、女神はそう言い残したという。ただ、この"絶望の果てにある光"という言葉に対する解釈は複数存在する。肉体が滅びて魂が魔力に還った時、ヒトは女神と共に星を巡る存在となる――それが生命にとって唯一の希望、つまり光であると定義したのが教皇を始めとする聖母派だ。
しかしアルマ派と呼ばれる聖教の中でも特異な考え方を持ったグループは、それと全く異なる見解を主張した。光とは意志ある者が見出した希望そのものであり、自らの力で掴み取るものだと考えたのである。聖教内で繰り広げられた論争の結果、アルマ派は残らず追放されてしまったのだが、フルカ自身はその意見を密かに支持していた。愛しい妹には死後ではなく現世で幸せになって欲しいと思ったからだ。
「……ぅ……ぁ……」
渇いた唇が微かに動く。もはや言葉にもなってなかったが、フルカは命が続く限り神への祈りを綴った。瞼の裏に広がる漆黒を、希望の光が照らしてくれる事を願って。
――ゴォォォ――
無慈悲な噴煙の轟音が声を掻き消す。窪みに散らばった大勢の亡骸達も、かつては彼と同じようにアイリスの救いを求めたのかもしれない。だが神なき世界では如何なる願いも天へ届く事はなかった。"神の赦し"を失った異端者に待っているのは、人知れず朽ちる惨めな運命のみである。
「大丈夫ですか?」
だが、この日だけは違った。本来なら噴煙を嫌って獣も通らないはずの火山頂上近くを人が訪れたのだ。過酷な環境にはとても似つかわしくない少女の声に違和感を抱きつつも、フルカは意識を耳に集中させる。
「この怪我の様子だとかなり危なそうです。今、私の回復魔法を掛けますから、少し待っててくださいな!」
さっきよりもハッキリと声が聞こえた。同時に全身を温かい魔力のオーラが包み込み、枯渇したはずの生命力を瞬く間に回復させていく。失われていた腕や両足にも感覚が戻り、自由自在に動かせるようになった。まるで身体を丸ごと作り変えたかのように調子が良い。
「ああ、神よ……僕は助かったのでしょうか……?」
「良かった、気が付いたみたいですね! そうだ! おにぎり食べませんか、美味しいですよ! レモティーちゃんが作った大粒の梅干し入りですので!」
絶望の暗闇を脱したフルカの瞳が捉えたのは、笑顔で三角形の米塊を差し出す獣人少女の姿だった。全く状況が飲み込めず、様々な疑問符が思考を混乱させたが、少なくとも彼には1つハッキリと分かることがある。眼前の存在が聖教すら足元に及ばない癒やしの力を持つということだ。
「ッ……貴女様は……!」
フルカは驚きのあまり声を震わせた。少女に女神の姿が重なって見えたからだ。教典や絵画で描かれるアイリスに猫耳や尻尾は無かったが、髪色は全く同じである。それに顔立ちにもどことなく女神の面影を感じた。年月を経て彼女が大人になれば、さらに女神へ近づくだろう。
「まったく、いきなり走り出したと思ったらまた変なの見つけて……で、アンタ誰よ? こんな場所にいるんだし信者だと思うけど、右手にあの印は無いのね」
「この窪地にある骨は処刑された異端者達のものかな。となると、この人もそうなんだろうか。とりあえず話を聞かせてもらえるかい?」
次々に現れる女性達。その中に聖教所属の修道女らしき人物も見えたので、フルカは身の上を伝えるのを躊躇った。しかし衣服の右肩から先が無くなっている事、そして蘇った右手に刻印がなかった事から、すぐに異端者である事が露見してしまう。
「これは恐らく、聖印の剥奪処置を受けた後ですわね。神明裁判所では異端者の腕ごと"神の赦し"を切り取ってから、火の島に放逐しますのよ」
「そういう事か……メルの回復魔法じゃ印までは復元できなかったみたいだし、用事が済んだ後にでも風の島まで送ってあげたほうがよさそうだね」
「一体、貴女達は……?」
戸惑い気味のフルカの問いに対し、真っ先に口を開いたのはネズミ耳を生やした修道女だった。彼女は待ってましたと言わんばかりの表情で言い放つ。
「この方は"神の赦し"を使うことなく、祭壇を起動した類稀なる神性の持ち主でしてよ! つまり……アイリス様の使者とお呼びしても過言ではありませんわ!」
「アイリス様の……使者!?」
女神もしくはその使者を騙る事は、アイリス聖教において最も重い罪とされる。異端審問の過程を飛ばして、即刻決闘裁判による処刑が行われてもおかしくないくらいだ。
(以前の自分なら信じるどころか、聖教に名を連ねる者として敵意を向けていたかもしれない。でも、これはまさしく神の所業だ……!)
フルカは立ち上がり、自分の右腕をじっと見つめた。皮膚も骨も完全に元通りとなっており、切断された形跡など一切ない。それを成した相手が奇跡の代行者であることを、他でもない彼自身の身体が証明していた。
「……失礼しました使徒様。私の名はフルカ=インノケンと申します。お救いいただいた事に、最大限の感謝を」
死の淵から救われた男は端然とした所作で跪き、桃色のロングヘアを靡かせる少女に心からの敬意を示したのであった。




