092.アイリス聖教国④
――数日後 西大陸から聖教国への航路――
穏やかな海を北上する黒い小型艇。海面を滑るように進む流線形の高速魔導船には、搭乗者の魔力を推進力に変換する魔導エンジンが積まれている。そのため民間の船舶会社で主に使われている帆船に対し、5倍近い速度を出すことが可能だ。また装甲には軽量かつ頑丈な特殊合金を採用しており、多少の外乱を受けても船首が揺らぐことはない。
「すごいです、レモティーちゃん! 船の操縦もできちゃうなんて!」
「ふっふっふ、2日間みっちり訓練した成果さ! あと、レースゲームみたいな操作感ですぐに馴染めたのも大きいかな。帝国じゃこの型式の操作ハンドルは癖があるって言われてたみたいだけども」
「へぇ、面白そうじゃない。後でうちにもやらせてよ」
見通しの良い透明な天蓋内では、船の操舵を行うレモティーと、その様子を興味深そうに覗き込む幼女2人の姿があった。試作機であるため船内は狭いものの、成人男性8人乗りを想定したスペースが確保されており、小柄な少女達にとってはそれなりに快適な空間となっている。
「ん……ココノアの運転だと落ち着いて読書できなくなりそうだから却下。大人しく見学するだけにしておいて」
船尾側からリセの声が飛んできた。贅沢に2人分の座席を専有した彼女は、足を組みながら優雅に本を読み耽っている最中だ。オキデンスの商店で購入したシリーズ物の小説をこの旅の最中に読破するつもりらしく、隣のシートには10冊近い書物の塔が聳え立っている。
そんなリセの様子をさらに後ろの席から眺めていたのがカタリナだった。リセが読んでいる本に覚えがあったらしく、同好の士を見つけたとばかりに声を弾ませる。
「その作品、わたくしも大好きですのよ! 本来なら人類と相容れないはずの魔物が、ヒトに興味を持ったことで少女そっくりの姿と心を得たという斬新な設定、そして彼女達が紡ぐ心温まる物語……涙無しには語れませんわね! 特に最後の方なんて――」
「待って。ネタバレは禁止」
「あっ……申し訳ありませんわ!?」
注意されたカタリナは両手で口を塞いで黙り込んだ。しかし本に対するリセの反応が気になるのか、捲られていくページをじっと見つめ続ける。
「……そんなに見られると気になって集中できないんだけど」
「そ、そうですわよね……おほほほ……」
2回目の注意を受けてしまったカタリナは気まずさを笑いで誤魔化しつつ、自席に背中を預けた。手持ち無沙汰になってしまったので、天蓋越しに広がる青い海へと視線を移す。
「本当に久しぶりですわ……聖教国へ渡るのは」
アイリス聖教の修道女であるカタリナは聖教国で修行していた過去を持つ。獣人であるが故に魔力操作の才能に乏しく、癒やしの術を扱うのに必要な"神の赦し"を得るまで長い年月を要したが、恩師アルマの励ましのおかげで何とか乗り越えることができた。
ただし彼女は聖教全体からみれば"落ちこぼれ"の部類であるため、本国に残ることを許されていない。布教のために各地を巡る宣教師としての役割を与えられて以降、聖教国へ足を踏み入れるのは数年ぶりである。それでも土地勘や知識の面でメル達の役に立てると信じ、案内役として半ば無理やり付いてきたのだった。実際に頼りになるかはさておき、聖教国をよく知る人物であることは間違いないだろう。
「そういえば、あっちの港にはどれくらいで付くの? 1日あればチュンコで飛んでいけるくらいの距離みたいだけど」
「自動操舵モードで夜も移動できるから、明日の朝には到着できると思う。ただし今晩は船内で仮眠を取ることになるけどね」
カタリナが物思いに耽っていた頃、操縦席ではココノアとレモティーが今後の予定について確認していた。仮眠という言葉を聞いた途端、ココノアは眉をひそめる。
「仮眠って……この狭い船内で? 5人もいるのにどうやって寝るのよ。しかもずっと揺れてそうだし」
「シートを倒せば簡易寝台になるから寝床は確保できると思う。あと揺れに関しては、今みたいにメルの回復魔法で船酔いを解除して貰って、なんとか我慢してもらうしか……」
「そりゃ回復魔法があれば耐えられるけど、そういう問題じゃないっての」
不満そうに呟くココノア。彼女は森で暮らすエルフ族特有の体質を色濃く引き継いでいる。聴覚が飛び抜けて優れている分、揺れに対しても敏感――それ故に乗り物酔いになり易いという弱点があったのだ。馬車や船での長距離移動時には状態異常解除の魔法を定期的に受けているため乗り物酔いで困ることは少ないが、もしメルがいなければ1時間もしないうちに胃の内容物を吐き出しかねない。
「任せてください、ココノアちゃん! 夜も付きっきりで回復魔法を掛けますので、安心して眠って貰っていいですよ! あ、せっかくですし膝枕も付けましょうか♪ 今なら尻尾クッション付きです!」
「そ、そんな余計なサービスはいらないってば!」
「まぁまぁそう言わず! 自分で言うのもなんですけど、寝心地は良いと思うんですよね。ほら、結構柔らかいですし」
慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、メルは血色の良い太腿を手の平でペチペチと叩いてココノアを誘った。回し蹴りだけで巨岩を砕くほどの強度を誇る獣人族の肉体であるが、筋肉を使っていない時は見た目相応に触り心地が良い。枕としても申し分ないプニプニ感である。
「猫耳幼女の膝枕だってぇ!? 是非ボクもお願いするよ!!」
鼻息を荒くしたレモティーがメルの提案に食い付いた。美少女に膝枕して貰える機会など滅多に無いため、船の操縦すら放り出して後部座席を振り返ろうとする。そんな彼女の顔をココノアの指が問答無用で押し返した。
「こらっ、アンタはよそ見せず操縦に集中してなさいっての!」
「いててて! ほっぺたに穴が開いちゃうよ!?」
尖ったココノアの指先によって形の良い頬が大きく凹む。こうなるとせっかくの美女も台無しだ。トホホ顔で操縦桿を握り締め直すと、レモティーは前方に広がる海原へ船を走らせた。
――翌朝 風の島――
朝日を浴びて輝く魔導船はアイリス聖教国で最大の港へと辿り着いた。決して風が止むことがない不思議な気候を持つ神秘の島――"風の島"と名付けられた聖教国の玄関口では、今日も多くの帆船が出入りしている。レモティー達もそれらの船に混じって島への上陸を果たした。
港から陸地側を見上げると美しい風車小屋群を望む事ができ、さながら観光地にでもやって来たような気分になる。だがここは既にアイリス聖教国の領内だ。港の管理者だけでなく荷降ろしに従事する職員も聖教の信徒であるため、全員が女神を象った銀細工付きのアクセサリを身に付けていた。
「ここから先はわたくしが案内しますわ! まずは入国の手続きからですわね」
「それじゃ、お願いしようかな。身分証明書は揃ってるし手続き上の問題もないと思うけど、詳しいやり方までは知らないんだ。カタリナさんに任せるよ」
「ええ! どうぞ大船に乗った気分でいてくださいまし!」
高速魔導船から降りた一行は自信満々のカタリナに案内され、港の正面にあった大きな建物へ足を運んだ。聖教国では種族や国籍による出入国の制限を設けていないため、オキデンスのような厳密な審査は行われていない。しかし異端者に認定された者が入ってきたというならば話は別だ。手続き途中で警報が鳴り響き、あっという間に武装した修道女達に囲まれてしまった。
「シスターカタリナ、ここまでご苦労さまでした。異端者として手配されていた獣人の少女は我々の方で預かりましょう。もうお帰りいただいて結構です」
「そんな事させるものですか! この方々はわたくしの恩人……火の島まで責任を持って案内しますわ!」
「異端者を恩人などと……そのような世迷い言を口にすれば、貴女も異端者として罰せられますよ。今のは聞かなかった事にしますので、大人しく従ってください」
集団のリーダーと思しき長耳の女性が冷徹な瞳でカタリナを睨みつける。一方、カタリナも引こうとはしなかった。頑なに従わない相手に対して、修道女達は躊躇うこと無く棘付きの鈍器や長杖、鞭といった武器を構え始める。武力行使も辞さない強気の態度に気圧され、カタリナの額には汗が滴った。
「呼び出しに自らの意思で応じた者には、如何なる拘束もしてはならないという規則があったはず。神明裁判所までは自由に移動できるはずでしょう!?」
「ええ、その通りです。しかしその者は非常に危険なのですよ、シスターカタリナ。オキデンスでの一件については我々も聞き及んでいます。ここであのような幻術を使われでもしたら、大きな混乱を招く事になりますからね」
信徒が口走った"幻術"という言葉が、超デカデカの実による巨大化を指すことはレモティー達にもすぐ理解できた。建国式典の顛末が冒険者ギルドの情報誌に掲載された事を聞き及んでいたからだ。記事では巨大化に対する考察も行われており、幻影を作り出す術式によるものだったという説や、古代に絶滅したとされる巨人族の生き残りではないかという推論が述べられている。修道女の口振りからも分かる通り、聖教国ではメルが前者――幻を操る危険な存在だと認知された模様だ。
「こりゃダメそうだね……港に船を係留してる手前、あまり揉め事は起こしたくないんだけどな」
「だからって拘束されるのも癪じゃない。とりあえず、この連中をさっさと行動不能にするわよ」
「ん、気絶させるだけならすぐ終わる」
戦闘態勢を取る少女達。一筋縄でいかないことは承知の上でやって来たので、行く手を阻む者を蹴散らすのにも躊躇がなかった。ただし国民全てがアイリス聖教の信者であるこの国で揉め事を起こせば、今後の行動に大きな支障が出るのは言うまでもない。
「おっと、そこまでだ! 可憐な女性同士が争う光景なんて見たくは無いもんでね。ここはオレの顔に免じて武器を収めてくれないか?」
突如、睨み合っていた両者の間へ鎧を着た男性が割り込む。彼は金色の前髪をキザったらしく掻き上げながら修道女達への説得を始めた。
「どうしても不安だと言うのならば、筆頭冒険者であるオレがその少女を監視しよう。それなら文句はないだろ?」
「いえ、これは我々の問題です。銀壁の守護者と呼ばれる貴方の実力を知らないわけではありませんが、この案件を部外者に任せるわけにはいきません」
「部外者とは心外だな。オレは大司教殿から頼まれて遠路はるばるやってきたんだ。この国で自由に行動できる権限も貰ってるぞ」
そう言うなり、騎士風の男は1枚の書状を広げる。そこには一時的な特権を与える旨と共にアイリス聖教において上位の序列に属する大司教の名と、魔力を編み込んだ特殊な印章が記されていた。修道女達の間に動揺とも取れるざわめきが広がる。
「大司教様が……? 分かりました。今回は引き下がりましょう。ですが、少しでも騒ぎを起こすようであれば速やかに連行します。それをお忘れなく」
白銀に輝くプレートメイルの男に一礼した後、修道女達は踵を返して立ち去っていった。殺気立っていた入国管理所の空気は元に戻り、入国手続きが再開される。
「……どっかで見たことある男だと思ったら、帝国で会ったナンパ野郎じゃない。まさかここでアンタと会うとは思ってなかったわ」
「久しぶりだな。オレもここで君達に会うとは思ってなかったさ。手続きが終わった後、少し外で話そう」
鎧の騎士は冒険者ギルド本部に所属する筆頭冒険者レイルスだった。彼は帝都解放を賭けた決戦にも招集されており、ココノア達と一緒に戦った事がある。そんな歴戦の雄が"ナンパ野郎"という身も蓋もない異称で呼ばれているのは、ココノアやメルをしつこくパーティに勧誘したのが原因だ。だが今日のレイルスは少し雰囲気が違う。仲間にならないかとは一言も発さず、必要最小限の台詞で港から見える高台へ少女達を連れ出した。
――穏やかな風が吹く丘――
港からしばらく歩き、見晴らしの良い高台にやってきたレイルスと少女達。周囲には背の低い青草が一面に広がっており、海の青色と陸の緑色が織りなすコントラストが映える。しかしレイルスは景色を楽しむような素振りも見せず、神妙な面持ちで少女達と向き合う。彼はカタリナ以外の信徒がいないことを十分に確認してから、おもむろに口を開いた。
「単刀直入に話そう。オレは今、聖教の依頼を受けて神獣に関する調査をしている最中なんだ。今日はその報告でここを訪れた。さっきは連中を納得させるためにあんな事を言ったが、君達の行動を監視するつもりは全くない。後は好きしてくれ」
「こっちは無駄な労力を使わずに済んだから良いけど、アンタはそれでいいの? うちらが問題を起こしたら、アンタの責任になるかもしれないってのに」
「心配には及ばないさ。元よりこの国に対する忠義は無いからな」
「どういうことだい、それ……? 依頼主は聖教なんだろ?」
レイルスの言葉にレモティーは首を傾ける。仕事の依頼を請け負って生計を立てる冒険者にとって、依頼主との信頼関係は絶対だ。依頼を受けている最中は勿論のこと、それ以外の場でも良好な関係を保つべきだろう。しかし彼は首を振って否定した。
「神獣調査ってのはあくまでも表向きの話で、依頼を受けたフリをして聖教の内情を探るのが本当の仕事だ。ただこれはギルド本部の特命なので詳しく話す事ができない。やり方に思う所はあるが、少なくとも大司教共の企みに荷担するつもりが無いって事だけ理解してくれればいい」
「なんだか複雑な事情がありそうな話だね。でもそれ、ボク達に話して大丈夫な内容だったのかい?」
「むしろ、こっちの目的を話しておかないと後々困る気がしたんだ。君達と敵対するのは死んでも御免だからな。そっちは異端審問で呼び出されたようだが……わざわざ自分達からやってきたくらいなんだ、何か目的があるってのは分かってる。上手くやれよ」
用件を伝え終えたレイルスは背を向けて立ち去ろうとする。哀愁漂う後ろ姿に何となく違和感を覚えたココノアは、その理由を確かめるべく呼び止めた。
「今気付いたけど、いつもアンタと一緒にいた連中の姿が見えないわね。ここには1人で来たの?」
「……うっ、いやなに、たまには1人での仕事も悪くないと思ってな。ノルンとコドルガは元気にやってるよ。いずれこっちで合流する予定だから、全員揃うことがあれば宴会でもやろうじゃないか」
詳細を話したくないのか、レイルスは振り返りもせず答えた。そして間髪入れずに右手を挙げて「では、また会おう!」と強制的に会話を断ち切る。早歩きで離れていく彼の姿を少女達は黙って見送った。
「……急ぎの用事でもあったのかな? まあいいや。入国はできたわけだし、最初の関門はクリアだ。それにしても筆頭冒険者をスパイに送り込むなんて、冒険者ギルドは聖教をかなり警戒しているようだね。波乱が起こる予感がするよボクは」
「ま、うちらがやることは変わらないし放っておけばいいんじゃない。それじゃ、こっちも出発するわよ。火の島ってところに行けばいいんだっけ?」
「その通りですわ! 別の島へ移動するには専用の転送陣を使いますの。ここから少し離れた場所に、アイリス様がお作りになったとされる転移用の祭壇がありますので、まずはそちらへ向かいましょう」
カタリナを先頭にして緩やかな坂道を登っていく少女達。日射しは強いものの、常に風が吹いているため暑さは気にならない。ちょっとしたハイキング気分だ。
「本当にずっと同じ強さの風が吹いてるんですね、この島。あれだけ風車小屋が並んでるのも分かります」
「うん、こんな場所が地球にもあったら発電には困らなかっただろうね」
メルとレモティーが見上げた先――少し離れた所に見える小高い山には多くの風車小屋が並んでいた。全ての小屋が海の方を向いており、潮風を浴びるかのような佇まいだ。風量が安定しているおかげか、小屋の正面に設けられた風車は長方形の羽根を4枚連結したシンプルなものばかりである。何かと魔力を用いる異世界では珍しくオーソドックスな形状だった。
「あの風車小屋って何に使ってるの? 風の動力を使わなくたっても、魔道具があれば大体何とかなると思うんだけど」
「聖教において魔力はアイリス様から授かったもの、と定義されておりますから日常的な労働に魔道具は使いませんのよ。風車は主に穀物や木材の加工などで使われていますわね」
ココノアの問いに淀みなく答えるカタリナ。彼女が説明した通り、風車によって得られたエネルギーは製粉や製材、地下水の組み上げ等で消費される。魔道具を使えば風車に頼らずとも文化的な暮らしが出来るが、アイリス聖教の教義では魔力の使い道を制限していた。そのため国民の暮らしぶりは他国よりも原始的に見える。
「ふむふむ、清貧を良しとするのはどこの宗教でも同じみたいだね。トルンデインで見た教会は随分と成金趣味……じゃなくて、お金の掛かってそうな見た目だったから、てっきり本国でもそれが普通なのかと思いこんでたよ」
「あら、そうでもありませんわよ? アイリス様に関わるものなら聖教は出費を惜しみませんもの! もうすぐ見える神殿をご覧いただければお分かりになるかと」
誇らしげに語るカタリナに嫌な予感を抱きつつ、一行は坂道を進んだ。それからしばらくして丘の頂上部にあたる広場へと到着した彼女達は、それまでの長閑な風景を台無しにする悪趣味な建物と対面する。
「アイリス様の威光を表現するにはアレでも足りないくらいですわ! わたくしが設計者なら、もっと宝石などで彩りを豊かにしますわね……!」
「いや、あれでも十分すごいよ……うん……」
返事に窮したレモティーの眼鏡に映り込む黄金の神殿。それは周囲に広がる牧草地から浮いて見えるほどに異様な存在感を放っていた。円を描くように配置された黄金柱の上から巨大な円盤を被せた不思議な外観――外観だけならば塔や砦と形容した方が近いだろう。全ての柱に金が蒸着されているだけでなく、技巧的で華美な飾り付けまで施されており、莫大な資金を投じて建てられた事は素人目にも明らかだ。さらに入口では女神アイリスの上半身を模した2体の黄金像が訪問者を出迎える。
「周りの風景に合わせるとかそういう発想は無いわけ!?」
「なんだかここだけ別世界みたいですよね……」
金閣寺を有する日本国の出身者ですら金色の神殿にはドン引きだ。どうやらアイリス聖教の美的センスは世間と全く異なった発展をしてきた模様である。
「ささ、どうぞ中へ! アイリス様がお作りになった祭壇がありましてよ!」
興奮した様子で4人を建物の中へ案内するカタリナ。西大陸渡航時の軍船内でも女神の祭壇を作ろうとしていただけあって、彼女の信仰心は筋金入りらしい。神殿に入るなり、ここが作られた経緯をペラペラと喋り始めたのだった。最初は大人しく耳を傾けていたココノア達だったが、あまりにも長かったので痺れを切れしてしまう。
「ストップ、ストップ! その話はもう大丈夫! 要約すると、元々あった女神の祭壇を保護するために聖教が神殿を建てたって事でしょ。それだけ分かれば十分だから、そろそろ転送陣とやらの使い方を教えてくれない?」
「あら……では続きはまた今度じっくりお話しすることにして、この転送陣を使う方法についてお話し致しますわ。祭壇に嵌め込まれた魔法球に魔力を与えれば、他の島にある神殿への道が開けますの。原理自体は転移魔法と同じですわね」
「思ってたより随分と単純なのね。つまるところ特定の場所同士を繋ぐ転移魔法を組み込んだ魔道具って事じゃない。祭壇っていうのは、アレのこと?」
ココノアは部屋の中央に置かれていた台座の方へ向き直った。風化した石造りのテーブルに、青く透き通った水晶玉が組み込まれている。逆にそれ以外には何もなく、神殿の中には石造りの床が広がっているだけだった。聖教が神殿を建てる以前は、祭壇と呼ばれる台座と石床が草原の中にあっただけなのかもしれない。
「あの水晶、小さくした次元結晶って感じに見えたから鑑定スキルで簡単にチェックしてみたけど、やっぱり次元結晶と同じ物だったよ。女神が作ったっていうのは嘘じゃないみたいだ」
「なら使い方は大体分かるわね。うちがやってみるわよ」
機転を利かしたレモティーのおかげで祭壇の正体が次元結晶であることが判明したので、ココノアは臆すること無く水晶球に手をかざした。しかしいくら魔力を流し込んでも全く変化がない。
「……何も起こらないんだけど」
「それを扱うためにはこの"神の赦し"が必要になりましてよ。聖教の信徒として認められた者は、誓いの儀式において聖母様より特別な印を与えられますの」
カタリナは付けていた手袋を外し、右手の甲に刻まれた紋様を掲げた。円を基本にした構図の中に複雑な文字列と幾何学模様をみっしりと書き込んだそれは、さながら魔法陣のようにも見える。
「わぁ、まるでQRコードみたいです!」
「QRコードって……まあ言いたいことは分からなくもないけど。そうだ、リギサンで見つけた次元結晶ってメルが触れたら反応したじゃない? これも同じなんじゃないの」
「そうですかね? ちょっと試してみましょうか」
ココノアに促され、メルが台座の方へと歩み寄った。その様子を見ていたカタリナは申し訳無さそうな表情で首を左右に振る。
「いくらメル様と言えども、流石に"神の赦し"を持たずに転送陣を起動させることはできませんわ。詳しい理屈はわたくしも知りませんが、祭壇はアイリス様と同じ波長の魔力にしか反応しないそうです。この"神の赦し"は擬似的に波長を変換する術式みたいなものだと思ってくださいまし」
「むむむ、アイリスさんじゃないと使えないなら厳しいかもしれません。でもせっかくなので試してみようと思います。反応しなかったら、その時はカタリナさんにお願いしますので!」
そう言ってメルが水晶球の表面を撫でた直後、台座から眩い光が放たれた。石造りの室内が煌々と照らされ、床に大型の魔法陣が出現する。転送陣が起動したのだ。
「あっ、動いたっぽいです!」
「嘘でしょう!? でも"神の赦し"を持たぬ者に祭壇が応じた事なんて、聖教の歴史において1度も無かったはず……これは教皇庁が、いえ聖教国そのものがひっくり返ってもおかしくない大事件でしてよっ!!」
「大袈裟すぎるってば。波長だか周波数だかしらないけど、たまたま合致する事くらいあるんじゃないの。で、これでどうやって移動するの?」
「ええっと、水晶玉の表面に行き先が出てるので、ここから選べばいいんじゃないかなって」
カタリナの説明を待たずにメルは勝手に操作を進めていく。水晶には別の神殿を示すであろう名前がいくつか浮かび上がっており、その中に"火の島"という文字があった。
「行き先は火の島でしたよね。早速選んでみます!」
文字列をなぞった小さな指に呼応し、床の魔法陣から一際眩い光が放たれる。その瞬間に少女達は体がふわりと浮くような不思議な感覚を覚えたものの、神殿内の様相に変化は無かった。石で作られた床と祭壇があるだけだ。ただし出入口から吹き込んでくる風には先程までと異なる匂いが混じっている。
「今、転移魔法って発動してたの? うちのとは全然違う感覚だったけど」
「一瞬だけ重力がなくなったような妙な体験はしたけど、あれが転移魔法だったかと言われると自信ないなぁ。ただ、エレベーターみたいにボク達がいる空間ごと移動したっていう可能性はあるかもしれない。外へ出てみようか」
「はい、多分レモティーちゃんの言ってる事が正解だと思います。さっきまでと空気が違いますから」
獣人族が有する鋭敏な嗅覚により、メルはいち早く環境が変わった事に気付いた。転移の成功可否を確認すべく神殿の外へ繰り出す少女達。その視界に入ってきたのは風の島と全く異なる景色であった。
「何よこれ……さっきと全然違うじゃない!?」
「ん、ここは火山島ってやつだね」
4人が立つ高台から見える陸地の殆どが、石とも砂とも判断付かない黒い地表に覆われていた。草木の類は全くと言っていい程に生えておらず、生き物の気配もない。
「寂しいところですね……人が住んでそうな街も見当たりませんし」
「不毛の台地って感じだ。ボクのスキルでも植物が根付くかは怪しいなぁ」
「えっ! それってレモティーちゃんのお野菜を食べられなくなるってことでは……! ココノアちゃん、どうしましょう!?」
「食事よりも他に心配する事があるでしょうが! 例えばあっちにある山、あれが大規模な噴火でも起こしたらこの辺りも無事じゃ済まないわよ」
ココノアが指差した先にあったのは天高く聳え立つ円錐状の巨大な山だった。現在も活動中の火山らしく、山頂から濃い灰色の噴煙が吹き出している。さらにその煙が作り出したと思しき重苦しい暗雲が太陽を遮っており、まだ昼前とは思えないほどに薄暗い。
「カタリナさん、ひょっとしてあの火山があるからここは"火の島"って呼ばれているのかな?」
「ええ、そうですわ。他の島と違って生き物が暮らすのには適さない場所ですけど、貴重な鉱石が採取できる資源豊富な土地でもありますの。特にあの火山は金鉱石が多く採取できるので、金火山と名付けられていますわね」
「金鉱石ね……通りで神殿に大量の黄金が使われてたわけだ。ところで神明裁判所っていうのはどこにあるのかな? それらしき建物は見えないけども」
「神明裁判所はまさしくあの金火山の火口近くにありましてよ。ここからの徒歩ですと、恐らく半日ほどは掛かるかと」
「火口!? なんてところに裁判所を作ってんのよ! 噴火したら真っ先に火砕流が直撃するじゃない!」
あまりにも危険すぎる立地にココノアが吠えた。活火山の噴火口付近に裁判所を建てるなど狂気の沙汰である。当然とも言える危惧であったが、カタリナは問題ないといった表情でかぶりを振った。
「ご心配はもっともですけど、どうかご安心くださいませ。聖域魔法に守られた神明裁判所の中にいる限りは安全ですわ」
「聖域魔法……聞いた事のない魔法です。どういうものなんでしょうか?」
「如何なる物も通さない聖なる障壁を創り出す術式ですのよ。金火山がどんなに荒ぶったとしても問題ありませんわ。ただ決闘裁判を行うための決闘場は火口の真上にある上、聖域の範囲外……そちらに居た場合は噴火に巻き込まれますわね」
淡々と述べられるカタリナの言葉に、少女達は腑に落ちない様子で耳を傾ける。何故よりによって火山に裁判所を設けたのか、そして決闘裁判を火口で行う意図は何なのか――疑問は積み重なるばかりだ。
無論、そういう物なのだと割り切ってしまえば気にする必要もないのだが、MMORPGのプレイヤーには遭遇した事象に対して何かと理由や背景を探る者が多かった。仮想世界をより深く楽しみたいという欲求が、無意識のうちにそうさせるのかもしれない。短い思索の後、ある可能性に思い至ったレモティーはカタリナへ向けて質問を投げ掛けた。
「火口に決闘場、か……何となく見えてきたよ、聖教の思惑が。カタリナさん、異端者扱いされた人が決闘裁判に挑んで生き残った事例はあるのかな?」
「いえ、ありませんわ。異端審問に耐えた方はおりましたけど、最後は必ず決闘裁判で命を奪われておりました。だからわたくしは以前、決闘裁判に出れば処刑されると表現しましたのよ」
カタリナの返事を聞いた後、レモティーは腕を組んでさらに考えを巡らせる。それから少しの間を置いて彼女は仲間達を振り返り、組み立てた仮説について述べ始めた。
「決闘裁判の結果は神の審判、つまり女神アイリスによる裁定を示すんだ。もし聖教側が負けた場合、異端者の方に女神が味方したって事になるから、聖教の存在を揺るがしかねない矛盾が生じる。だから決闘裁判は必ず聖教が勝たなければならない……例え異端者として連れて来られた人が物凄く強かったとしてもね」
「それは分かるけど、絶対に勝つって相当ハードル高くない? 決闘なんだし、人同士がサシで戦うんでしょ。もしリセみたいな対人戦狂いが来たらどうするのよ」
「そう、決闘裁判の問題はそこなんだよココノア。あらゆる手を尽くしても勝てなかった時に備えて、決闘を無かったことにするためのシステムが必要になる。火山の頂上に決闘場を作ったのは、恐らくそれが最大の理由さ!」
「無かったことにする……って、まさか噴火に巻き込んで有耶無耶にするってこと? でも、そんな都合よく噴火するとも限らないじゃない」
火山に設けられた決闘場の秘密を解き明かそうとするレモティーと、彼女の推測に疑問をぶつけるココノア。活発に交わされる2人の議論の場へリセも途中参加した。
「ここは地球と違うよ、ココノア。それにこの島は女神が作った場所。自然現象を操る方法があってもおかしくはない」
「うん、リセの言う通りだと思う。裁判所を火山に建てないといけなかった理由はその辺にあるんじゃないかな。ともかく、ボク達が異端審問に挑む上で必要になるのは噴火対策だね!」
「簡単に言ってくれるけど、火山の噴火に対処する方法なんて……あっ!」
ココノアの口から素っ頓狂な声が飛び出す。超高熱から身を守るスキルに心当たりがあったのだ。
「そういえばうち、完全遮熱術と潜水呼吸術を覚えてたのよね。どっちも使えばマグマの中でも耐えられるかも?」
「ココノアの魔法を極めし者は、あらゆるダンジョンをソロで踏破できる魔法使いってのがコンセプトのジョブなんだ。仕様通りのスキル性能を発揮できれば火山対策もできるはずだよ」
NeCOでは海底や極寒の雪原、火山内部に似せて作られたダンジョンがあり、それらの場所では継続ダメージを受ける仕様だった。このダメージを無効化できるのがフォースマスターが持つ補助スキルである。アクアラングは窒息を無効化し、ヒートシールドは熱によるダメージを無効化するため、両方の効果を得た状態なら溶岩の海に突っ込んだとしても問題はない。
「流石ですココノアちゃん♪ こういう時のために色々な補助スキルを取ってたなんて!」
「全部メルにお願いされて取ったスキルなんだけど!? そもそも、環境対策用の魔法はWikiじゃ産廃スキル扱いだったのよ。ポーション連打で耐えればいいし」
「あはは、Wikiを編集したプレイヤーもまさか異世界でゴミスキルが活躍するなんて思ってなかっただろうさ。ただ、どこまでの高温に耐えることができるのかは正直言って未知数だ。裁判所へ行くまでに検証しておこう。あんなに大きな火山なら熱水や蒸気が吹き出してるような場所があるんじゃないかな」
「そうね、水中呼吸は前に使ったからいいけど遮熱効果は試さないと怖いかも。失敗したらロースト猫娘が出来上がっちゃうし」
レモティーの提案をココノアは迷うこと無く承諾した。続けてメルとリセも頷いて同意を示す。一方、途中から会話に付いていけなくなったカタリナは、少し離れたところから4人の様子を見守っていた。
(今のお話はさっぱり理解できませんでしたけど、異端審問を前にしてこんなに堂々としておられるのは皆様が初めてですわ。いかなる困難に臆せず立ち向かう……これが英雄たる資質を持つ方々ですのね!)
改めて英雄の在り方に尊敬の念を抱いた彼女は、その旅路を全力で支える事を女神アイリスに誓うのであった。




