091.アイリス聖教国③
――シニストラ自治区 上空――
心地よい午後の日射しを浴びるように焦げ茶色の翼を拡げる空の神獣。その背にはメル達とカタリナの姿があった。ディア・メトロスに向けてかなりの速度で飛翔しているものの、魔力で展開された薄膜の中にいるため、風の影響は殆どない。会話可能な空間を作ってもらった上で、レモティーは今後の予定についてチュンコへ説明をしていた。
「……というわけで、ボク達はエウレカへ行くことになったんだ。チュンコは元々その島で住んでたんだろ? 覚えてることがあれば何でもいいから教えてくれないかな」
「あそこはオイラ達のためにアイリス様が作ってくれた場所でチュン。でもアイリス様がいなくなってからしばらくして、人間達が海を渡ってきたチュンよ。原初の獣はヒト種と関わってはいけないと言われてたでチュンから、みんな仕方なく旅立ったチュン。それからどうなったかは分からないでチュンね」
「でもそこって女神と過ごした場所だったんでしょ? アンタなら問答無用で人間を追い出しそうなもんだけど」
素朴な疑問を口にするココノア。チュンコが縄張りとしていた温泉に彼女達が足を踏み入れた事が衝突の原因になった事を思えば、そう考えるのが普通だ。チュンコも否定せずに浅く頷いた。
「アイリス様との思い出が詰まった場所でチュンから、最初はそうしようと思ったチュン。でもオイラ達の役目は世界を見届ける事チュン……同じ場所にいるわけにはいかなかったでチュンよ。だからエウレカを去って各地に散らばったチュン」
「それじゃ、今のエウレカに神獣さんは全然いないってことですか?」
「分からないチュン……1000年くらい前までは様子を見に帰る事もあったでチュンけど、結界のせいで外に出られなくなってからはさっぱりチュンよ」
「そうですか……もし他の神獣さんにも出会えたら、色々とお話できると思ったんですけども」
メルは尻尾を丸めて残念そうに呟く。隷属の呪いを付与するための広域術式――魔力操作を阻害する障壁によってチュンコが西大陸から出られなくなったという話は以前にも聞き取り済みだ。現在のエウレカについて何も知らなくとも無理はない。
「ま、今どうなってるからはこれから行けば分かることだからいいじゃない。神獣がいたら話をしてみればいいんだし、いなくても探してりゃそのうち見つかるわよ。こんなに大きいんだから」
「……はい、そうですねっ」
チュンコの頭を指差したココノアに励まされ、メルは八重歯を見せて笑った。アイリスと共に生きてきた神獣達との対話は、女神の過去を知る上で重要な鍵となる。だからこそメルはチュンコ以外の獣にも話を聞くことができればと願っていたのだ。
「邪魔な結界も無くなったことでチュンし、オイラもメル達と一緒にエウレカに行くチュン! オイラなら1日も掛けずに運べるでチュンよ!」
「それはボク達にとっても有り難い話ではあるんだけど、今回は色々とややこしくてね……チュンコには西大陸で留守番をして欲しいんだ」
「えっ、どうしてチュン!?」
置いてきぼりにされる事を知り、チュンコは慌てて背中を振り返る。どうやら自分も連れて行って貰えると思い込んでいたようだ。神獣の翼を借りれば移動手段の問題は一気に解消できる。少女達にとっても悪くはない提案だった。しかしチュンコを頼ることができない明確な理由が存在していた。代表してココノアがその問いに答える。
「アンタはこの国の人達と生きていく道を選んだんだから、うちらの揉め事に顔を突っ込んじゃダメでしょ。毎日の運送だって必要としてる人達が大勢いるんだし」
「それはそうでチュンけど……」
「そういえば最近、自治区の村人が協力してアンタ用の休憩場所を作ってるらしいじゃない。それだけ感謝されてるなら、尚更期待に応えないとね?」
そう言ってエルフ少女はチュンコの背を撫でた。巨大な見た目と暴風を引き起こす異能のせいであらゆる生物から畏れられていたチュンコだが、最近では頼れる神獣としてのイメージを確立しつつある。少女達はチュンコが"世界の監視者"という孤独な責務から解放され、人々の良き友になれる事を願っていた。そのためにも、アイリス聖教との揉め事に巻き込むわけにはいかない。
しかしチュンコの気持ちは違った。人々との触れ合いも大切にしたいと思っているが、女神の面影を持つメルと一緒に過ごす時間こそが最も優先すべきものだ。また久々の里帰りも楽しみである。巨大スズメは諦めきれない様子で何度もつぶらな瞳を少女達に向けた。
「やっぱりオイラも行きたいチュン……」
「太古から生きてる割には聞き分けが無いわね……メルの言う事なら聞くだろうし、ズバっと言ってやりなさいよ」
諦めの悪いチュンコを説得できるのはメルだけだと後を託すココノア。しかし猫耳娘の口から飛び出したのは彼女も予想してなかった言葉だった。
「そうですよね……エウレカはチュンコさんにとって実家のようなものですし、帰りたくなる気持ちもわかります。ですから、こういうのはどうでしょうか! 私達の用事が終わったら合図をするので、エウレカで合流するんです! それから一緒に観光したり、美味しいものを食べたりしましょう♪」
「オイラも行って良いでチュンか!?」
チュンコの表情が途端に明るくなる。よほど嬉しかったのか、飛行速度を上げてぐんぐんと空を駆けていく。加速に伴って身体全体が大きく揺れてもお構いなしだ。
「あら、あらららっ!?」
メル達から少し離れたところにいたカタリナが盛大によろける。彼女はチュンコの背に乗ってからずっと眼下に広がる森の景色に夢中だったので、急な揺れに対応できなかったようだ。高いところからの眺めがよほど気に入ったらしく、四つん這いになりながらもまだ地上を見下ろしている。
「こらっ、飛ばしすぎだっての!! カタリナがギャグみたいな転び方してたじゃない! あとメルも変な約束しないでよね! うちらの用件がいつ終わるかなんて分からないし、下手に期待させても可哀想なだけだってば」
「異端審問がサクっと終われば時間ができませんかね? 別に悪いことをしたわけでもないですし、お話すれば分かってもらえると思うんです」
「いや、それはどうかな……ボクもココノアと同じ意見だ。簡単に解決できるとは思えないよ。裁判が終わった後も難癖を付けて、あの手この手で妨害してくるんじゃないかなぁ」
「レモティーの言う通りよ。そもそも、遠く離れたエウレカからどうやって合図を送るつもりだったの? 大声で叫んじゃくらいじゃ到底届かないと思うけど」
「こう、ココノアちゃんの攻撃魔法をお空に向かってバシュって撃ったら、良い目印になるんじゃないかなって……!」
メルは青一色の空を見上げた。膨大な魔力で放たれるココノアの魔法は、成層圏まで到達するほどの威力を誇る。真上に向かって放てば西大陸からでも目視は可能だろう。実際、サンディクスを宇宙まで打ち上げた際に生じた光の柱は東大陸でも目撃されており、人々の好奇心を大いに駆り立てた。
「派手なエフェクトだから合図にはなりそうだけども、新たな騒動の火種を産みそうな気もする……リセはどう思う?」
「ん、あたしはメルに任せる。ただ、神獣がいれば現地での調査効率が格段に上がるのは間違いない」
「何となくですけど、チュンコさんの力が必要になる予感もしてるんです。ココノアちゃん、私の我儘を聞いて貰えませんか?」
「……あぁもう、仕方ないわね。聖教国でやるべき事が一段落ついたら、チュンコと合流してエウレカ巡りって予定にしておいてあげる。ただし、それまではこっちでしっかり働くこと!」
「やったでチュン! オイラ頑張るチュン!」
結局ココノアが根負けする形で、チュンコのエウレカ帰りは認められた。嬉しそうに声を弾ませるチュンコをにつられ、メルもニッコリと微笑む。
「うふふ、私達もなるべく早めに用件を済ませないといけませんね! アイリスさんの事を色々と調べてみたいですし!」
「いつものことだけど楽観的すぎるのよ、メルは。面倒臭い事にならなきゃいいけど……」
元居た世界の歴史を振り返りながら、ココノアはポツリと呟いた。地球の人類史において宗教に関わる紛争は幾度となく生じており、未だに解決していない問題も多い。これまで同様に単純な力の差だけで決着を付けることができるとは考えにくかった。特に今回の相手は自分達の神だけが正しいと盲信する宗教国家そのものである。ココノアは妙な胸騒ぎを覚えるのであった。
――しばらく後、迎賓館――
王宮広場に到着した後、カタリナと別れてメル達は迎賓館へとやってきた。国賓をもてなすために設けられた建物ではあるが、今は市民議員に復帰したミコトが一時的に間借りをしている。職務に追われる彼女と話をするのなら、ここを訪れるのが最も確実だ。
「ここに来るのって2回目ですよね?」
「うん、オキデンスに入国した日以来かな。1ヶ月以上は経ってるから、懐かしさすら感じるなぁ」
高級感のある白壁の館を前に、メルとレモティーはオキデンスへやってきた頃を思い出す。今では記章を付けることも無くなったが、彼女達はデクシア帝国の特派大使として迎賓館の豪華な玄関口をくぐっていた。サンディクスと初めて出会ったのもこの建物である。
「あっ、メルさん達ニャ! こんにちはニャ~!」
不意に扉が開き、メイド姿の獣人女性が顔を出す。チョコレートのような濃い茶色の頭髪に加え、欠けた猫耳という特徴的な容貌の彼女は、少女達も良く知る亜人解放団のミケだった。首輪を付ける必要がなくなったためか、前よりも笑顔が輝いて見える。
「ミケさんじゃないですか! ここで働いているんですか?」
「そうですニャ! 団長に紹介してもらいましたニャ!」
クラシックなメイド服のスカート端を両手で持ち上げ、礼儀正しく挨拶を披露するミケ。高級商店で客案内を任されていただけあって行儀作法に隙がない。この様子ならば新しい職場でも立派に務めを果たせるだろう。
「ボク達はミコトさんと話したいんだけど、取り次ぎを頼んでもいいかな?」
「勿論ですニャ! さっきまでお客さんが来てたけど、もうお帰りになったので大丈夫だと思いますニャ! 応接室へご案内するので付いて来てくださいニャ~」
そう言うなり、ミケは建物の奥へ向かって歩き始めた。4人もその後に続く。高級そうな絵画や調度品が並ぶ長い廊下を歩いていく内に、彼女達はある事に気づいた。前回訪れた時には人間族の働き手しかいなかったが、今は亜人の姿がちらほらと見える。身分制度の見直しに伴い移動制限がなくなったことで、上流区は誰でも立ち入れる場所となったからだ。職業適正さえあれば種族に関係なく議事堂や迎賓館で働くことが可能である。
「変わったわね、ここも」
「はいっ! なんだか雰囲気も良くなった気がします!」
ココノアの感想にメルは頷いた。サンディクスの侍女に迎え入れられた際、迎賓館の中はピリピリとした空気が漂っていた。獣人族のメルとエルフ族のココノアに対する差別感情が原因だったと思われるが、今はそんな雰囲気は一切感じられない。人間族と亜人が和気藹々と働く光景を目の当たりにし、少女達の表情も綻ぶ。
「ミコト様を呼んでくるので、皆様はこちらでお待ち下さいニャ!」
見覚えのある応接室へ少女達を案内した後、ミケは足早に通路の奥へと消えていった。4人は目の前にあったソファーに腰掛けてミコトを待つ。
「うちらが最初に来た時に通された部屋って、ここだったんじゃない?」
「うん、そうだと思う。ボク達はここでサンディクスと顔合わせしたんだ。アイツがメルやユキちゃんを愛玩動物呼ばわりしたのは、今でも良く覚えてるよ。いくら亜人嫌いでも、初対面の相手にそこまで言わなくてもいいだろうに」
「ま、獣人族の子供が小動物っぽく見えるのは何となく分かるけどね。うちだってメルがカフェで餌付けされてるのを見た時、看板娘じゃなくて看板猫じゃんこれって思ったし」
「ん……それを言うなら招き猫の方が近いかも。メルが村の広場でカフェの宣伝をしてから、一気に客が増えた気がする」
「ふふん、キャラクターメイク画面で悩みに悩んで生まれた自慢のうちの娘ですからね! 看板猫だろうと招き猫だろうと、私にお任せあれなのです♪」
メルは誇らしげな表情で猫耳を揺らした。友人達の冗談を真に受け、口元から可愛らしい牙を覗かせる姿は愛玩動物という言葉がピッタリ当て嵌まる。
「久々に見たわ、メルのボケ殺し……」
「あはは……」
――ガチャリ――
ちょうど会話が途絶えたところで部屋の扉が開いた。ミケに呼ばれたミコトが到着したのだ。着物風の装いに身を包んだ彼女は入口付近で恭しく頭を下げ、少女達に微笑みを向ける。
「ご無沙汰しております、皆様。お変わりないようで安心しました」
ココノア達がミコトと離れて別行動を始めたのは数週間前だ。だが双方共に忙しい日々を送っていたため、こうして顔合わせするのは随分と久しく感じられた。
「悪いわね、忙しい時に邪魔しちゃって。急で申し訳ないんだけど、ちょっと話したい事があるのよ。時間は大丈夫?」
「はい、ちょうど私からもお伝えすべき案件があります」
少女達の向かい側にあったソファーへと腰掛けると、ミコトは胸元から一通の封書を取り出した。表書きはオキデンス議会宛となっていたが、裏側にはアイリス聖教の公式文書であることを示す封蝋印が施されている。ココノアはそれを見てミコトが話そうとしている内容を即座に察した。
「その手紙、メルを突き出せとかそういう要求が書いてあったんでしょ」
「……ご推察の通りです。少し前に聖教の信徒が議会を訪れて、オキデンスに潜伏している異端者の身柄を渡すようにと要請してきました。もし1週間以内にオキデンス側が応じない場合は、騎士団を派遣して強制捜査を行うとも……ですが、ご心配は無用です。恩人であるメル様は私が命に変えてもお守りする所存です」
「そこまで気負いしなくても大丈夫よ。うちら、聖教国へ行ってやる事に決めたの。こっちに迷惑を掛けないためっていうのもあるけど、それ以上にあっちでやりたい事が色々あるのよね」
「自ら聖教国へ赴くと申されるのですか……!?」
想定外の反応に面食らったのか、ミコトは困惑した表情を浮かべる。異端審問で行われる数々の審議はどれも拷問に等しく、彼女が知る限り生きて帰ってきた者は1人もいない。水責め、火炙り、皮剥ぎ、磔刑――自ら異なる神を信仰したと自白するまで追い詰めるのが聖教のやり方だ。
「私共は決して迷惑などと思ってはおりませんし、オキデンスとの親交が深い彼の国であれば、外交で解決できる可能性も残されています。ですので、どうかお考え直しください」
「ご心配ありがとうございます。ただ、私達にとってこれはアイリスさんについて調べるチャンスでもあるんです。聖教国へ行けば、どうしてこの世界に呼ばれたのかを知ることができるかもしれません」
「女神に関する調査、ですか……確かに聖教国のある島々は神秘に包まれた場所です。私が異界の英雄達から継承した記憶にも、いくつか島の風景が残っておりました。次元を越える召喚術式について何かヒントが得られるかもしれませんが、しかし……」
不安げな表情で言葉を詰まらせるミコト。少女達が比類なき力を持つという事を知っていてもなお、彼女は聖教国への渡航に賛成できなかったのだ。その背景にはまことしやかに囁かれる黒い噂があった。
「聖教国に関して気になる話を耳にしたのでお話致します。つい先日、神獣と思しき巨大な獣を乗せた大型船舶が東大陸からエウレカへ向かったという情報が入りました。まだ公には出てない情報ですが、冒険者ギルドから提供された内容なので間違いはないかと」
「神獣が聖教国に……? いやでも、チュンコみたいに対話ができる獣と意気投合したなら、そういう事も有り得るんじゃないかな。実際にオキデンスでは神獣とヒトの共存が始まったわけだしね」
「恐らく、そのような平和的なものではないと思います。聖教国は数年前から全大陸に信徒を派遣し、神獣の調査を進めてきました。冒険者ギルド本部では神獣の討伐、もしくは捕獲をするためではないかとの見解を示しておりましたが……直近の動向を見るに、彼らの目的は後者だったのでしょう」
「神獣の捕獲だって!? それが本当なら、聖教国の戦力はボク達が思ってる以上にヤバイぞ……! こっちと同じか、それ以上の能力を持つ人物が相手側に付いてるかもしれないって事じゃないか!」
レモティーは腕を組み、難しい顔で考えを巡らせた。メルの聖教国行きを支援すると決めた心に変わりはないが、仮に神獣と渡り合えるほどの実力者をアイリス聖教が擁しているのならば、エウレカの危険度は跳ね上がる。さらに言えば、チュンコを捕獲するためにメルを呼び出した可能性もあった。建国式典でメルがチュンコと親しげに会話していたという情報を得て、そのような罠を張る輩がいたとしても不思議ではない。
「……ここは冷静になって考え直そうか。聖教国の情報が少なすぎる今の状態で動くのは得策じゃないとボクは思う。渡航について反対するつもりはないけど、もっと相手を調べた上で時期を選ぶべきだよ」
「何言ってんの。その逆よ、逆! もしうちらと同じような力を持ってる連中があっちにいるなら、それこそ後手に回るのは避けるべきだってば」
聖教国への渡航を躊躇うレモティーとは正反対の意見がココノアから飛び出す。彼女は心の片隅で「NeCOから召喚されたのが自分達だけではないのでは」という疑念を持っていた。タイニーキャットに選ばれた理由や異世界へやってきた方法が未だに判明していない以上、そう考えるのが自然だろう。また地球と異なる次元から召喚された英雄が存在する線も否定できなかった。
どちらにせよ、ディア・メトロスが戦場となった場合の被害は計り知れない。街やNPCに影響しないゲーム内の対人戦とは異なり、現実の世界では無関係な人々を巻き込むことになるからだ。それならば攻め込まれるのを待つよりも、先手を打って相手へ仕掛けたほうが被害を少なくできる。
「私もココノアちゃんと同じ考えです。もしあちらがチュンコさんを狙っていたら大変ですし、事実を確認するためにも向かうべきだと思います」
「ココノアとメルが言いたい事はボクも分かってる。でもここを離れるリスクも大きいと思うんだ。ボク達がいない間に聖教国の騎士団が大挙して押し寄せて来たら、オキデンス軍は太刀打ちできないかもしれない。場合によっては捕獲した神獣を従えてくる状況だってあるだろうしね」
「ん、騎士団が神獣を相手にできる実力を持ってるなら、この国の戦力で対処するのは難しい。レモティーの言う事にも一理ある」
レモティー同様に、リセもオキデンスの防御能力に懸念を示した。最新鋭の装備を揃えているとはいえ、オキデンス軍は巨大化したメル1人ですら抑える事が出来ていない。聖教国側に神獣と対等に渡り合える者が居たならば全滅は必至だ。
「うちらが二手に別れるって手もあるけど、どう分けてもバランスが悪いわね」
「それはやめておこう。流石に海を隔てた距離じゃ移動も連絡もすぐには出来ないから、あらゆる要素で不利だよ。少なくとも相手の戦力が把握できていない間は固まって動かないと、不測の事態に対処できない」
「うーん……悩ましいのです。すぐに聖教国へ行きたい気持ちはあるんですけど、レモティーちゃん達の心配も分かります。どうするべきでしょうか……?」
聖教国への渡航とオキデンスの防衛――相反するイベントを並行して攻略することは不可能に近い。解決方法を見出すことができず、重苦しい空気が室内を支配する。
――ガチャッ!――
会話が完全に停滞してしまったのを見計らったかのように扉が開いた。それとほぼ同時に威勢の良い声を乗せた風が吹き込んだ。
「話は聞かせてもらったんだからぁ!」
どこかで聞いたことのある口調に反応し、4人が一斉に振り向く。そこに居たのはかつて帝国領内で共闘を果たしたフラン=サエルムだった。肩が少し張り出した軍服風ワンピースに袖を通したダークエルフ少女は、黒髪を靡かせながら英雄達に向けて人差し指を突きつける。
「アンタ達の留守くらい、フランが何とかしてあげるわよぉ。行きたいところがあるなら好きに行ってくればいいじゃない!」
「えっ、なんであのガキンチョがこんなところにいるの」
「ココノア様、あの方が先日お伝えした帝国からの使者なのです。式典の日、貴族に追われていたユキを助けていただきました」
眉を顰めるココノアにそう説明し、ミコトはフランに向けて頭を下げた。オクトーベルとカタリナ、ユキの窮地を帝国軍の関係者が救ったという話は少女達一行にも知らされている。しかし人物の詳細までは明かされていなかったのだ。ココノアが驚くのも無理はない。
「でも勘違いしないでよね! 別にこれは借りがどうこうとか、そういうのじゃないんだからぁ! オキデンスと同盟を結んだ以上、帝国が守るのは当然だし~?」
「借りってのが何の話かは知らないけど、ユキを助けてくれた事には感謝してるわ。うちらだけじゃ手が回らなかったのは事実だから」
「……ボクからも礼を言うよ。ありがとう」
「わ、分かればいいのよ、分かればぁ……」
素直に礼を返されると思っていなかったフランは、少し驚いた様子で視線を泳がせる。特にレモティーとはリギサンでの因縁もあり、未だにギクシャクした関係であることは否めない。オクトーベルからの連絡に応じ、東大陸から超特急でやってきたのも彼女への罪滅ぼしの意味合いが強かったのだ。だからこそレモティーが謝意を述べたことはフランにとって大きな意味を持つ。多少なりとも許して貰えた気がして、褐色肌の少女は安堵したように息を吐き出した。
一方、メル達にとってオキデンスと帝国が同盟を結んだという話は初耳である。その事についてメルはミコトへ質問を投げ掛けた。
「帝国と同盟を結んだってお話は本当なんですか?」
「ええ、事実です。つい先週に締結したばかりなので、お伝えできておりませんでした。少しお時間をいただければ、順を追ってご説明を――」
「ミコト殿、同盟に関する話はこちらに任せて貰おう」
フランの背後に長身の男性が現れる。軍服の上からでも分かる引き締まった体付きに、波打った琥珀色の髪――彼は英雄達と共に帝都奪還のために戦った軍人の1人、ファベル=ギルトゥスだった。
「リセ、久しぶりだな」
「ん、久しぶり」
短くも親しみが込められた返事に微笑を浮かべると、ファベルは空いていた席へと座った。その隣にフランも腰掛ける。全員が中央のテーブルを向いたのを確認し、ファベルは同盟に至った経緯について話し始めた。
「我々はオクトーベル卿からの情報提供を受け、特派大使の安否確認をするべくこの国へやってきたのだが……それとは別の任務も携えていたのだ。サンディクス=マルロフ公爵と、それに賛同した者達がデクシア帝国へ攻め入ろうとしていた件の調査を、な」
「でも首謀者は"帝国大使の肩書を持つ"アンタ達が始末しちゃったでしょぉ? 本来なら国家間の重大問題になるんだけど、今回はオキデンス側とも協議して、あくまでマルロフ個人の暴走だったって事で処理したワケ。その方が帝国としても余計な労力を使わずに済むのよね~」
「フラン様が仰った通り、国際問題となれば我らも相応の対処を求められる。だが公爵家だけの策謀であり、しかも未遂に終わったということであればこれ以上追求する必要はない。故にオキデンスに侵攻の意志なしと本国には報告しておいた。もっとも、お前達がいなければ大陸間の戦争に発展していたのだから、手打ちとしては緩すぎる面もあるのだが……」
西大陸最大を誇るオキデンスと東大陸の覇者である帝国は、この世界における列強国として広く認知されている。もしその2国が戦争を始めたとなれば、星を真っ二つに分けた世界大戦に発展したはずだ。"破滅への導き"が行使されたであろう事も含めれば、大勢の命が失われる事態は避けられなかっただろう。その悲劇を未然に防いだという点において英雄達の功績は大きい。
しかし最高位の貴族である公爵が他国の大使に討たれたという事実は残るため、オキデンス側も大人しく引き下がるわけにはいかなかった。外交で弱腰になった姿を見せてしまったら、周辺国に付け入る隙を与えかねないからだ。そこで両国は議論に議論を重ねて、1つの結論を出した。それが「本件に関する双方の落ち度は不問にする」という取り決めである。さらに今後も無用な軋轢を生むことがないようにと、2国間で同盟を結ぶ運びとなった。
「無論、帝国も一枚岩ではない。これを機にオキデンスへ攻め込むべきだと叫ぶ者もいるのが実情だ。だからこそ同盟を結ぶことで、そういった不穏分子を抑え込むことにした。まだ魔王から受けた傷が癒えたわけではないのだからな」
「ふぅん、事情は大体分かったわ。帝国軍が責任を持って守ってくれるって言うなら、うちらが聖教国に行っても大丈夫そうね。レモティーもそれでいい?」
「……うん、分かった。不安がないと言えば嘘になるけども、同盟を結んだという事実は聖教国への強力な牽制になるからね。実質的に2つの大陸を相手取る事になるんだから、簡単に手出しはできないはずだ。あとは渡航手段さえ何とかできれば……」
「船が必要なのか? ならば私達が乗ってきた高速魔導船を提供しよう。従来の船舶で要する半分の時間で目的地へ辿り着けるはずだ。試作機である故、乗り心地は保証しかねるがな」
「えっ、良いのかい!?」
思わぬ提案にレモティーは目を丸くする。大陸間を渡ってきた実績を持ち、なおかつ高い移動性能を誇る船舶を借りることができるのなら、それに越したことはない。ファベルは頷いて了承を示しつつ、言葉を続けた。
「聖教国の動きに関しては帝国でも警戒を強めているところだ。お前達が向かってくれると言うのであれば、これ以上頼もしいことは無い」
「勝手に期待しないでよ。アンタ達のために行くわけじゃないっての。メルが呼び出しを貰ったから、ちょっと顔を出すついでにうちらの調べ物をしてくるだけ。ま、その過程であいつらの悪巧みを阻止する事はあるかもしれないけど」
「フッ、そうか。ランケア将軍にはそのまま伝えておこう。魔導船は整備済みなのでいつでも使える状態だが、操縦に少々癖がある。数日は操舵訓練を受けて貰わなければならないが、問題ないか?」
「ああ、大丈夫さ。ボク達も旅の準備があるから、しばらくこっちに滞在する予定だよ。その間に教えて貰えれば助かるかな」
「それでは皆様が心置きなく訓練を行えるよう、港の管理局にこの事を伝えに行って参ります。この部屋はしばらく自由にお使いいただいて結構ですので、ごゆっくりお過ごしください」
ミコトはそう言い残し、応接室から先に出ていった。港へ連絡をするため通信用魔道具がある部屋へ向かったのだ。問題となっていた移動に関する心配事はこれで全て解消されたことになる。あとは聖教から示された期限内に異端審問が行われる火の島へ向かうだけとなった。
「早速だが魔導船について机上で説明をしておきたい。2階に部屋を借りているので、そこで話そう」
「そうだね。いつまでも応接室を専有するわけにもいかないし――」
レモティー達がソファーから立ち上がろうとした瞬間、パタパタと勢いのある足音が部屋の外から響いてきた。先程同様にノックなしで扉が開け放たれ、幼い狐娘が飛び込んでくる。
「レモティーお姉ちゃんっ♪」
「ユキちゃんじゃないか!? 元気にしてたかい!」
愛らしい笑顔を見せるユキを抱き上げ、レモティーは頬を緩ませた。そしてしばらく補給できていなかった天然幼女成分を得るべく、モフモフとした狐耳に顔を埋めようとする。だがユキの興味はすぐに別の人物へと向かってしまう。
「あっ、フランお姉ちゃんだ! さっき美味しいお菓子を貰ったから食べよ?」
「フランはアンタと違って立派なレディなのよ。そんなの喜んで食べるわけないでしょ~?」
「やだやだ、一緒に食べたいのっ! ほら、行こっ♪」
レモティーの腕からすり抜けたユキはフランの手を握り、ピョンピョンと嬉しそうに飛び跳ねた。いつの間にか彼女達の距離は驚くほどに縮まっていたようだ。命の危機を救って貰った事をきっかけにユキが懐いたのが始まりだが、フランの方もユキの戯れを受け入れている様子である。純真無垢なユキとの交流は、幼少期に家族を失った事で荒んでいたフランの心に大きな変化を与えたのだろう。
「ちくしょう、名誉お姉ちゃんの座を奪われた気分だよ……」
「何よ、名誉お姉ちゃんって……ほら、うちらは2階へ行くんでしょ。いつまでもボーっとしてないで、動きなさいってば!」
情けない顔で瞳を潤ませるレモティーのスカートを無理矢理引っ張るココノア。自ら他者との関わりを持とうとするユキの成長を邪魔しまいと、彼女は友人に早期退場を促した。種族だけでなく、生い立ちすら全く異なるユキとフランの間に芽生えた絆――それはいずれオキデンスとデクシアの新しい未来を示す道標となるかもしれない。




