088.望みの果て④
――翌朝――
カフェ・ルチフェロに臨時休業の張り紙を残し、少女達は翼村の西方にある丘陵へ赴いた。大森林を一望できることから、過去には旧獣人王国によって作られた祭壇があったという言い伝えもあるが、今は草木ばかりが茂るのみであり真実は定かでない。どちらにせよ、この近辺で最も見晴らしがいいことだけは事実だろう。
「よし、到着だ。獣や魔物がいるかもしれないから注意して行こう」
馬車の運転席から降りると、レモティーは周囲を警戒するように見渡した。森の中とは異なり、背の低い樹木が疎らに生えているだけなので空は良く見える。チュンコを呼ぶにはちょうどいい場所だ。
「……レモティーの歩き方、なんかおかしいわね。どっか痛めたの?」
ふとココノアが疑問を口にした。レモティーの様子に違和感を覚えたからだ。普通に立っているだけだというのに足が小刻みに震えている。その様子を目の当たりにしたメルは急いで駆け寄った。
「むむむ……レモティーちゃんがこんなにプルプルしてるなんて珍しいのです。私が回復魔法を使ってみましょう!」
「ははは……寝起きにちょっと攣っただけさ。すぐに治るから大丈夫だよ」
心配無用とばかりに首を横に振り、苦笑いを浮かべるレモティー。まさかメルとココノアの寝室を覗いたことでリセに懲らしめられていたとは言えず、それとなく誤魔化した。隣部屋から灯りが消えるまで四の字固めでがっちりとホールドされていたため、レモティーの歩き方はいつもよりぎこちない。
「それなら別にいいけど、無理はしないでよね。レモティーしか馬車を操作できないんだから」
「いつでも回復しますから、辛くなったら言ってくださいな!」
2人はレモティーに気遣いの声を掛けつつ、手を繋いで歩き出した。これまで以上に距離感が縮まっている彼女達の姿はまるで新婚夫婦のようである。昨晩の夜更かしでより一層絆が深まったのかもしれない。
(あの2人、大量のハートマークが見えてきそうなくらいラブラブだなぁ! くぅ、昨晩に何があったのか気になるっ! きっとあんなことや、こんなことを……うへへへへ)
美少女達から漂う甘酸っぱいムードにレモティーが鼻の下を伸ばしていると、馬車の裏手からリセが姿を現した。紫色のポニーテールを風に靡かせる麗しい見た目とは裏腹に、右手に握られた長剣は鋭い光を放つ。それが自分に向けられたものではないと知りつつも、レモティーは即座に顔を引き締めた。
「ん、周囲に危険を感じる生き物はなかったよ。安全だと思う」
リセは高台の頂上に到着するなり、誰に言われるでもなく見回りに出ていたのだ。NeCOの対人戦で鍛え抜かれた勘は野生の獣にも匹敵する。彼女が安全だと判断したのだから、今日の森は平和そのものなのだろう。頭上に広がる空は青く澄み渡っており風も穏やかだ。
「そういえば遠くに浮かんでたアレって消えてたのね。この大陸に来てから空がこんなに透き通って見えるの、初めてかも」
「うん、地下研究所にあった結界発生装置をリセが破壊してくれたおかげさ。もう亜人達に呪印が刻まれることはないはずだ」
数週間前まで上空に揺らいでいた青白いカーテンは綺麗さっぱり消えていた。隷属の呪いを付与する結界が無くなったことで、西大陸で生きる亜人達は完全にサンディクスの支配から解放された事になる。
「あ、そういえばリセちゃん! 広場の地下って揺れたりしてなかったですか? 私、真上で超デカデカの実を使っちゃってましたけど……」
「大丈夫、頑丈な造りだったから問題なかったよ。今流通しているものよりも高度な魔道具ばかり置いてあったし、建物にも古代の技術が使われてるんだと思う。ナナシも同じ見立てだった」
リセは潜入時の記憶を振り返った。案内を担当したナナシの推察によると、地下研究所はこの時代より遥かに優れた建材と工法で建てられたものらしい。確かに今の建築技術では広場の直下に大迷宮の如き複雑な施設を作ることは難しいだろう。古代の魔道具が多く保管されている事も含め、サンディクスの研究所はロストテクノロジーの集大成だった。
「さてと、店を閉じてきた以上のんびりしてるわけにはいかないんだから。メル、ここからデカスズメを呼んでみてよ」
「はいっ、お任せあれ! チュンコさーん! お顔を見せてくださいなーっ!」
ココノアに促され、メルは口元に両手を添えて大声で神獣の名を呼ぶ。空に向けて放たれた言葉は山彦となり、幾重にも重なった。しかし5分程度経っても巨鳥がやってくる兆しはない。
「あれれ? 式典のときはすぐに来て貰えたんですけど……」
「もう1回くらい呼んでみたら? 寝てるだけかもしれないし」
「それもそうですね! もう一度試してみます!」
メルが再度大きく息を吸い込んだ瞬間、その頭上を大きな影が覆った。羽ばたきで旋風を巻き起こしながら、見慣れたシルエットが少女達の眼前へと降り立つ。
「やっと呼んで貰えたチュン! 再会できる日をずっと待ってたでチュンよ!」
翼を小刻みに震わせ、喜びを全身で表現するチュンコ。その姿からは森の民に"空の神獣様"と畏れられていた威厳など微塵も感じられない。黒くつぶらな瞳の中にハートマークが浮かんでいそうなほどの懐き具合だ。
「うわっ、以前にも増してメルにゾッコンじゃない。式典広場で何かあったの?」
「いえ、それほど大した出来事でもないのですが……ええと」
ココノアの質問に答える形で、メルは式典広場での出来事を説明した。話の時間軸は約3週間前、式典開催日まで遡る。サンディクスが宮殿内に逃走した後、広場の戦闘は呆気なく終わりを迎えた。国軍が亜人解放団の包囲を取りやめ、サンディクスを追って宮殿へ突入したからだ。
『うぉぉっ! 俺達の勝利だッ!!』
『ようやく、ようやくだ……我らは今ここに宿願を果たした! もう人間族に奴隷などと呼ばせるものか!』
燃え滾るような熱に浮かされ、解放団の亜人は思い思いの雄叫びをあげる。それは奴隷と蔑まれ、長きに渡って虐げられてきた者達が初めて掴んだ勝利であった。これまでの道程を踏まえれば、彼らが歓喜に震えるのも当然の事だろう。しかしミコトだけは感情に流されること無く、険しい顔付きで彼らを戒めた。
『みなさん、どうか落ち着いて下さい。私達にはまだすべき事が残っています。この光景を見てもなお、勝利に酔い痴れる事ができますか?』
そう言って白狐の麗人が指し示した先にあったのは、戦闘によって傷ついた人間族達の姿だ。先程まで敵だった相手とはいえ、貴族によって都合よく使役されていたという点では被害者でもある。戸惑ったような表情を浮かべる亜人達に向けて、ミコトは怪我を負った軍人の手当てをして貰えないかと頭を下げた。
『これまで抱いてきた恨みと悲しみを忘れて欲しいとは申しません。ただ、ほんの少しでいいので互いに歩み寄って欲しいのです。私達の代で負の連鎖を断ち切らねば、この国は未来へ進むことができないのですから……』
彼女にとって人間族は共に歩む隣人であり、憎むべき敵ではなかったのだ。だからこそ傷ついた者達に手を差し伸べて欲しいと願い出た。しかし、亜人解放団の中には奴隷商人に家族を奪われた者や、幼少期から惨めな生き方を強要された者もいる。ミコトの考え方に一定の理解を示しつつも、人間族に対する黒い感情を打ち払う事はできなかった。カムイやエリックを含めた数人が怪我人の介抱を始めたが、人手は全く足りていない。500年に及ぶ奴隷制度が生み出した心の壁を崩すことは容易でない――そう実感したミコトが悲しげに瞳を伏せた直後だった。巨人の発した声が天を貫く。
『女神の聖なる抱擁!』
NeCOにおけるヒーラー系最上位ジョブである枢機卿のみが扱える、大回復魔法が放たれたのだ。術者の願いに応じるが如く、空から巨大な光柱が降り注ぐ。
――パァァッ!――
温かくも心地よい光の渦が一帯を巡り、倒れていた者達を癒やした。痛々しい紫色に腫れた部位や、骨まで至る深い斬り傷も一瞬で元通りになり、その痕跡すら残ってはいない。また回復魔法の効果はオキデンス軍のみに留まらなかった。癒やしの輝きは式典の観衆や亜人達も包み込み、不治の病を患っていた若者や身体の一部を欠損した獣人を完治させるという奇跡を起こしたのだ。あまりにも神秘的な光景に、その場の全員が唖然とする。
『超デカデカモードのおかげでしょうか? いつもより範囲が広いような……?』
ジョブ専用スキル"カーディナル"で純白の翼を生やしたメルは、不思議そうに首を傾けた。使用した回復の術式が通常の10倍近い超広範囲魔法となっていたからである。思い当たる節があるとすれば超デカデカの実で得た巨大化効果くらいなものだが、NeCOの仕様通りならば見た目が変わるだけでステータスやスキルには一切影響しない。彼女達の常識ではありえない事だったのだ。
『この癒やしの術、アイリス聖教のものとは比べ物にならんぞ。ヒトの身で扱えるような力とはとても思えん……!』
『古傷が全て治っているじゃないか!? この魔法は一体……?』
『うぅ、今日はこの会場に来て良かったぁ! まさか右目に再び光が戻るなんて思ってなかったよぉ!』
式典広場に驚喜の声が飛び交った。"破滅への導き"による恐怖で支配されていたとは思えないほどに明るい笑顔で満ちていく。ミコトの言葉に従うことができなかった亜人もまた、得も言われぬ感動に背中を押されてカムイ達の手伝いを始めた。怪我が治っても気力が伴わない者は多く、怪我人の半数近くはまだ補助を必要としていたのである。
救護活動に亜人解放団が参加したことで、オキデンス軍側の反応も変化し始めた。体を支えて貰った兵士が亜人に頭を下げ、これまでの非礼を詫びる――従来なら有り得なかったそんなやり取りが、至るところで見られたのだ。人間族と亜人の和解を示す象徴的な光景を目の当たりにして、ミコトは目尻に涙を溜める。
『メル様……本当に有難うございました。もし皆様が来て下さらなければ、この国の未来は悪しき者達に喰い潰されていた事でしょう。この国に生きる全ての者を代表し、お礼を申し上げます』
『いえいえ、お気になさらず! 私達は自分が正しいと思ったことをやっただけなので!』
メルはミコトに無邪気な笑顔を向けた。英雄や勇者といった大層な名で呼ばれるようになったが、彼女の本質はNeCOで辻ヒールに勤しんでいた頃から変わってはいない。誰かのために自分ができることをするのは当然の事だと信じているのだ。
純真で素直な少女の振る舞いは、多くの人々に感銘を与えた。諸悪の根源たる古代人を退け、多くの命を救った彼女に対してオキデンス国民が感謝の意を抱くのも当然の帰結だろう。巨大砲台をチョップで叩き割る姿に戦慄を覚えていた軍人からも、神々しい巨女の姿を称え、女神の再来だと叫ぶ者が出てくる。
その声にすかさず反応したのが原初の獣だ。チュンコはメルの手に飛び乗り、「メルはアイリス様と同じ癒やしの術を扱えるでチュンよ!」と国民の声をそれとなく肯定した。無論、メルが創生神と同一の存在であると決まったわけではない。しかし神獣と畏れられる上位存在が神の再臨を仄めかしたことにより、人々はメルを女神だと思い込んでしまった。
『偽りの歴史によって隠されていた真実を解き明かし、邪悪なる者達から我々を救ってくださった女神様と神獣様に万雷の拍手を!』
誰かが放った一言を合図にして、大喝采が会場を揺らす。想定外の事態にメルは八重歯を見せて照れ笑いするしなかったが、チュンコの方はすっかり気を良くしていた。この件で数千年に及ぶ孤独感を満たすことができたのもあり、原初の獣はメルに対して一際強い親愛の情を抱くようになったのである。
「――とまぁ、そんな感じのことがありまして……」
「なるほど……メルが現人神扱いされてた理由は、それだったってことか」
「そういう事はもっと早く教えなさいっての。どこに行っても人だかりができるの、ずっと不思議に思ってたんだから」
ディア・メトロスで遭遇した場面を同時に思い出すレモティーとココノア。彼女達は急な変革によってミコト達が危険に晒される事がないようにと、式典後もしばらくディア・メトロスに残っていた。だが真実の歴史を知らしめるために女神が降臨したという噂が街中に広がったことで、一躍有名人になってしまう。
メルを連れて下流区の大通りを散策しているだけで贈り物を抱えた住民が追いかけてくるのだから、ゆっくりと買い物もできない。食事中ですら子供の名付けをして欲しいと願い出る亜人や、神託を貰いたいという冒険者が押しかけてきたので、全く落ち着けなかった。
巨大化した猫耳少女が物珍しいだけだろうと思い込んでいたココノア達はしばらく我慢していたものの、その後もメル人気はさらに加速していく。命を救われた軍人や市民が感謝の気持ちだと金貨の入った袋を持参したり、メルをモチーフにした胸像を立てたいという富豪が現れたりしたため、少女達は逃げるようにしてシニストラ自治区へ移ったのである。一方、そんな苦労を知らないチュンコは自分のためにメル達が森に来てくれたとしか思っていない。尾羽をリズミカルに振りながら、早速遊んで貰おうと声を掛けた。
「今日のメルは大きくならないでチュン? また手に乗せてほしいチュン!」
「えっと、実は大きくなるのに特別なアイテムが必要なんです。なので、いつでも出来るわけじゃなくて……」
「そうだったでチュンか……残念チュン」
しょんぼりと項垂れる神獣。どうやらメルがいつでも巨大化できる能力を持っていると勘違いしていたようだ。だが超デカデカの実はレモティーが生み出した果樹からごく低確率でしか入手できない。そう頻繁に使える代物ではなかった。
「メルの手に乗りたいって……アンタ、そのナリで手乗りスズメなわけ?」
「あはは、リギサンで巨大化した時もかなり大きかったし、チュンコを手に乗せるくらいはできそうだね。せっかくだし、もし超デカデカの実が手に入ったらボクも手に乗せて――」
冗談を言いつつ、レモティーはメルに視線を移す。柔らかい小さな手は乗り心地も良さそうである。しかし彼女の身体にはそれ以上にロリコンを惹きつける部位があった。短めのフリル付きスカートから覗く、瑞々しい太腿だ。
「……ハッ! 巨大幼女のプニプニ下半身で全身丸ごと挟まれたら、極上の幸せ体験ができるのでは!?」
「ん、それは止めておいたほうがいい。メルが力加減に失敗したら潰れたトマトみたいになるよ、レモティー」
「死因が太腿による圧迫死って、かなり情けないわね……」
友人の変態的な趣向に呆れつつ、ココノアは巨鳥を見上げる。最初の出会いでは地形を変えるほどに激しく衝突した相手ではあるが、今のチュンコは手懐けられた小鳥も同然だ。首を伸ばしたり縮めたりしながらメルの様子を伺っている。
「ま、メルにベタ惚れしてるって点じゃうちも同類だけど」
ココノアはボソリと呟いた。メル達には聞こえない程の小声だったが、風の魔力を操るチュンコは微かな音でも感じ取ることができる。詳しい内容までは分からずとも、彼女が何かを発言したという事実は察知していた。
「何か言ったでチュン?」
「な、なんでも無いっての! アンタの態度が出会った時と全然違うから、ちょっと驚いてただけよ。原初の獣はヒト種と関わっちゃいけない、とか何だの言ってたじゃない」
慌てて皮肉を投げかけるココノア。そんな彼女の指摘に対してチュンコも弁明の言葉を紡ぐ。
「そ、それは本当の事チュン! オイラ達が魔族との戦いに巻き込まれないように、アイリス様は原初の獣とヒト種と関わりを厳しく禁じていたでチュンよ」
「お気に入りの水場を荒らされたって因縁つけてきた事、忘れたとは言わせないわよ。そういえば、海で遭遇した巨大イカが船を襲ってきたこともあったのよね。あれも神獣って呼ばれてたみたいだけど」
ココノアは大陸間の航海時に軍船ウルズを襲ってきた暴食の海魔について言及した。クラーケンもまた神獣の一柱と言われており、太古の昔からその恐ろしさを語る御伽話が言い伝えられている。巨大なイカというフレーズに思い当たる節があったらしく、チュンコはおもむろに嘴を開いた。
「見てみないことには分からないでチュンけど、多分それはスルメの事でチュンね? あいつもオイラ達と同じ原初の獣でチュン! ちなみにスルメって名前はアイリス様が名付けたでチュンよ」
「「「スルメって……」」」
巨大スズメの"チュンコ"に続き、巨大イカに"スルメ"と命名した女神の絶望的なネーミングセンスに言葉を失う一同。ただ1人、メルだけは納得したようにうんうんと頷く。
「火で炙ると香ばしそうな感じの素敵なお名前なのです! まあ実際、私達が美味しく頂いちゃったわけですけども」
「いきなり何言ってんの!? 神獣ってことはチュンコの兄弟に当たるんだろうし、もう少し言葉を選びなさいってば……」
ココノアはメルを肘で小突いて注意を促した。物流問題に関する依頼を引き受けて貰うという目的がある以上、不用意にチュンコの神経を逆撫でするのは得策ではないと判断したのである。幾多の人々を飲み込んできた醜悪な巨獣と言えど、チュンコにとっては同じ女神から生まれた家族同然の存在だ。それを止む無く退治したというだけならまだしも、美味しく食べたと伝えるのは流石に反感を抱かせてしまう恐れがある。だがココノアの予想に反してチュンコは全く驚く様子を見せなかった。
「大丈夫チュン。原初の獣は不滅の魂を持ってるでチュンから、肉体を失ったらすぐ生まれ変わるでチュンよ。今頃はどっかの海をのんびり漂ってると思うチュン」
「えっ、そういうもんなの!? でも、一応は身内みたいなもんでしょ? うちらが倒しちゃって良かったの?」
「スルメにとってはそれが一番良かったと思うチュン。アイリス様がいなくなってから、あいつはおかしくなったでチュンから……」
遠い空を見上げた後、チュンコは如何にしてスルメがヒト種を襲うようになったのかを述べた。その説明によると、スルメは女神アイリスを失った悲しみで理性を失ってしまい、星が荒廃した原因でもあるヒト種へ怒りをぶつけるようになったようだ。そしてヒトの持つ魔力を喰らったことで原初の獣は魔族同然の姿に成り果て、いつしか"暴食の海魔"という異名で呼ばれるようになったという。
「……そっか、スルメは悲しみに耐えられなかったんだね。ボクもその気持ちは少し分かる気がするよ」
愛する人を失う悲しみを知るレモティーはスルメに同情した。もしリギサンで世話になったオーティム夫妻がメルの回復魔法で蘇ることがなければ、きっと自分も復讐の権化と化していただろう――そう思うと、悲哀の果てに狂ってしまった神獣の末路が他人事には思えなかったのだ。
「スルメは生まれ変わってもまた人を襲うんだろうか……できれば穏やかに生きて欲しいな」
「それはオイラにも分からないチュン……でも狂ったまま生き続けるよりは、よほどマシでチュンよ。アイリス様の事すら思い出せなくなったら、オイラ達は絶望するしかないでチュンから……」
瞳を潤ませるチュンコの表情からは女神に対する深い愛情が伝わってくる。星に種々様々な命を産み落とす役割を与えられた太古の獣は既にその役目を終えた。今はただ、創造主の願いに従って世界を見守るのみだ。幸せだった頃の思い出に縋るしかない孤独は察するに余りある。
「……私、決めました! チュンコさんがこの国の人達と一緒に楽しく暮らしていけるように、全力でお手伝いします! 言い付けを破ることにはなってしまいますが、アイリスさんも神獣さん達に寂しい想いをさせたくはないはずです!」
赤い瞳に決意を滾らせ、メルはチュンコに向き合った。ココノアとレモティー、リセも彼女と同じ考えだ。4人は顔を見合わせて頷き、今回の本題へ入る。
「寂しがりのアンタに良いアイデアを持ってきてあげたんだから、感謝してよ?」
「ははは、ちょっと押し付けがましい気もするけど、チュンコにとっても悪い話じゃないはずだ。まずは経緯から説明するから、聞いてもらえないかな」
「何の事でチュン……?」
その後、レモティー達はシニストラ自治区における現状と問題点について説明した。最初は首を傾げていたチュンコだが、途中から自分に何を求められているのかを理解したようだ。提案された内容について前向きに検討を始める。
「オイラなら荷物を運ぶくらい余裕チュン。東の都市なら数時間もあれば辿り着くでチュンよ! でも、オイラを見たヒトが怖がったりしないでチュンか?」
「大丈夫です! 式典広場でのチュンコさんは大人気でしたから!」
「その辺はうちらが話を通しておくから大丈夫。あとタダ働きはさせないから、そこも安心して。報酬としてレモティーが作った果物を納めるようにするわ」
「その条件なら自治区の住民達もボクが提供した果樹を積極的に育ててくれそうだね。チュンコが空中輸送を担ってくれればシニストラ自治区の物流問題は一気に解決するし、チュンコはこの国の人々に頼られるようになって、美味しい食事が得られる。お互いにウィン・ウィンの関係になることができるはずさ!」
「ん、神獣の新しい生き方の1つだと思う」
「オイラの新しい生き方でチュンか……!」
巨大スズメの瞳に輝きが宿る。今までチュンコは女神の戒めに縛られていたが、メル達との出会いを経て他者との触れ合いが寂しさを満たしてくれるという事を知った。原初の獣と言えども感情を持つ生命であることに変わりはなく、寄り添ってくれる存在を求めるのは当然だろう。故に提示された"新しい生き方"が、とても魅力的に思えたのだ。
「やるチュン! メルやヒト達と一緒に生きていくでチュンよ!」
「ふふっ、決まりです♪ それでは早速ディア・メトロスの方にもこの事をお伝えしにいきましょう!」
「前みたいに馬車ごと乗せて貰えばいいんじゃない? 実際にどの程度の時間が掛かるのか掴めるだろうし」
「野菜や果物は鮮度が大事だから、輸送時間は把握しておきたいところだね。あとチュンコが降りることができる場所も探さないとなぁ。あの広場、荷物の発着場として使わせてもらえないか相談してみようか?」
「あたしもそれに賛成。あそこなら港へのアクセスも良い」
「それなら王宮の中に市場を作ったりもしてみません? それで、種族に関係なくみんなでお買い物を楽しめるようにするんです! えへへ、なんだかワクワクしてきました!」
4人と1匹は異世界初となる大規模な空中輸送事業に胸を躍らせる。亜人の暮らしを良くしたいという純粋な願い――そこから生まれた数々の施策は、どれもオキデンスに大きな恩恵をもたらす内容だった。神獣との共存に異を唱える者がいるかもしれないが、ミコトやオクトーベルの力添えがあれば議会の承認を得る事は難しくはないだろう。事業が軌道に乗れば、奴隷制度による労働力を失った分を補って余りある経済の柱となるに違いない。
そしてこの数年後、富と権力を誇示するために建てられた白亜の宮殿はすっかり様変わりし、人々の暮らしを支える盛況な市場となるのだが、それはまた別の物語である。
――その頃 宇宙の果て――
"獣の収納籠"という名の魔道具に封印されたまま、宇宙を彷徨う男がいた。自身の鼓動以外何も聞こえない無音の暗闇で、彼は蔓植物と一体化した己の肉体を見つめる。
「僕は今どこにいるんだ……外から一切の魔力を感じ取ることができないなんて、ありえるのか……?」
唯一動かせる頭を左右に曲げたところで、どこまでも闇が続いているだけだ。亜人狩りでの使用を目的とした違法改造済みの"獣の収納籠"は、外の景色が見えないように特殊な塗料が施されているためである。従ってこの状況で頼りになるのは魔力の探知能力だけしかない。
「考えるだけ無駄だな……何度も試みたが、魔力はおろか生命の反応さえいない。恐らくここは亜空間の類なのだろう。フフフッ、大賢者とまで呼ばれたこの僕がこんな末路を迎えることになるなんてね」
男は自嘲気味に笑った。彼の真名はリーデル、神となることを望んだ果てに星を追放された哀れな古代人である。死ぬことができない肉体にされた挙げ句、未来永劫続く過酷な罰を科されても未だに自我を維持しているのは、恐るべき精神力であると言わざるを得ない。だが達観しているように見えても、心の内に渦巻く不満と憎悪を堪える事はできなかった。誰が聞いているわけでもないのに、リーデルは呪詛の如く恨み辛みを吐き出す。
「……クソッ、どうして僕がこんな目に遭わなければいけない!? 神になろうとしたのが悪いのか? いや、そんなわけがない……力ある者が世界を支配するのは世の常だ! 僕は何一つ間違ってなんかいないッ! あの連中だって、思うがまま力を振るっていただろう! なのに何故、僕が……僕だけが……!」
彼が強大な力を持っていたのは事実だ。憑依魔法を編み出すほどの類稀なる才能もあった。やり方次第ではヒトを超越して神になることも出来たかもしれない。だが異界の英雄達を屠ることは叶わなかった。
「分からない……どうして僕じゃダメだったんだ……」
掠れた声が暗闇に吸い込まれていく。自身の命運を分けたものは何なのか――その問いをリーデルは何度も繰り返した。だが彼が答えを得ることは無い。野望のためならば他者を踏み躙る事も厭わない者と、周りの者を救うために力を尽くしてきた英雄達では考え方が根本的に違うからだ。リーデルは自分以外の全てを軽視した結果、取るに足らないと切り捨てた者達に足を掬われた。1つ1つの綻びは小さなものだったが、それらは積み重なることで無視できない影響を生じたのである。
他方、英雄の一団は旅の道中で数え切れないほどの命を救ってきた。エリクシア王国では城塞都市と小さな山村を敵対国の驚異から守り抜いただけでなく、海賊船から奴隷達を救出する事にも成功している。
デクシア帝国領内でも英雄の活躍は留まることを知らない。菓子店を営む家族を助け、魔族に弄ばれていた少女へ手を差し伸べ、魔王の驚異に怯える人々を救い、ついには魔王本人すら討滅した。その後、彼女達は海を渡って冒険の舞台を西大陸へと移したが、そこでも様々な事件を解決することになる。離れ離れになっていた親子が再会できたのも、魔物と融合させられた悲しき冒険者が元の姿を取り戻せたのも、亜人と人間族が和解できたのも……全ては英雄と呼ばれし少女達のおかげだ。
自己本位に生きてきたリーデルならば、これらの過程を虚しい徒労だと嗤うだろう。だが4人が紡いだ冒険の軌跡は決して無駄ではなかった。事実、彼女達が少しでも選ぶ道を違えていれば、今回のような結末には至らなかったのだから。
「あぁ……誰でもいい、教えてくれ……僕はどこで間違った……?」
後悔しても既に遅いと知りつつも、男は想いを吐露せずにはいられない。望みの果てに未来を失ってしまった者と、未来を勝ち取ることができた者――両者を分けた道標があった場所は、それこそ神しか知り得ないことである。自分なりの答えを見出すのが先か、それとも心を失うのが先か……彼の旅はまだ始まったばかりだ。




