087.望みの果て③
――数日後 カフェ・ルチフェロ――
オープン初日、"ルチフェロ"と書かれた看板を掲げた古民家カフェには大勢の行列が連なっていた。カフェの名前はNeCOにおいて存在していた同名の喫茶店に由来する。"明けの明星"を意味する言葉でもあり、シニストラ自治区の輝かしい先行きを願ってレモティーが選んだ。
店舗で提供されるスイーツや軽食には地球で親しまれていた果物・野菜がふんだんに使われており、華やかな見た目と味の良さで訪れた人々を大いに感動させた。翼村に加え他の村からも人々が集まったため、開店から数時間経っても客足は一向に途切れない。
「ホットのレモンティー、2つ注文入りました!」
「3番テーブルにイチゴタルトを持っていくわよ。メルは5番で追加注文受けて!」
「はーい! お任せくださいな!」
俊敏性を生かしたメルの高速移動と、テレポートを駆使したココノアの対応力は凄まじかった。2人がいれば許容オーバーとも思える人波にも難なく対処可能である。また提供する料理の方もレモティーとリセの厨房ペアによって高品質なものが短時間で作られていくため、客の満足度は非常に高い。
「可愛い店員さん、このロイヤルコーヒー麦乳っていうの貰えないかしら?」
「こっちは森の恵みサラダをお願いするよ! あとトマトサンドも!」
店内に絶え間なく飛び交う注文の嵐。外にあるオープンテラスも満員だ。販売物を絵入りで説明したメニューを各テーブルに用意するといった気配りも功を奏し、飲食店に馴染みのない亜人にも"ルチフェロ"は親しみを持って受け入れられたようである。
しかし全てが上手くいったわけではない。工夫だけでは解決できない問題が生じたからだ。文明から切り離されていたシニストラ自治区では多くの村民が物々交換を主体としており、貨幣を使う生活様式が浸透していなかった。元々儲けを目的としていない店舗とはいえ、公平性を期すためにも代金を取らないわけにはいかない。店仕舞いをする夕方頃には、代金として支払われた毛皮や干し肉といった納品物で倉庫がいっぱいになってしまった。激動の初日を終えたレモティーは、天井近くまで積み上がった品々を見上げて溜息をつく。
「ごめんよ、みんな。お金の概念がここまで薄いとは思ってなくてさ……」
「別にレモティーが悪いわけじゃないし、気にしなくていいってば。むしろアンタが鑑定スキルを使ってくれたおかげで、会計をスムーズに済ませることができたんじゃない。そうじゃなきゃ、あれだけの数は捌けなかったわよ」
「NeCOのフリマイベントでもあんな大勢の人達が訪れてくれることなんて無かったですしね!」
「ん、初日にしては上出来だと思う。ただ、これを早急に処理しないと明日以降の営業ができなくなる」
リセの指摘はもっともだった。住民達に貨幣で売買する文化を受け入れて貰えない限り、際限なく物品が増えていくだけだ。今後、ディア・メトロスを中心とする経済圏と対等に渡り合うためにも、亜人達の意識改革は必須と言える。レモティーは難しい顔で唸った。
「どうしたものかなぁ……オキデンスで流通している貨幣はあるけど、発行されている殆どがディア・メトロスに集中してるだろうし、こっちに回す方法が思いつかないよ」
「あっちは商業都市なんだから、こういう品も需要があるんじゃないの? 買い取ってくれそうな商人を見つけてくれば済む話だと思うけど」
「それは名案です! ミコトさんやエリックさんを通して、街と交易して貰えるようにお願いしてみてはどうでしょうか? これまでは奴隷制度のせいで自由な移動が妨げられていましたけど、今はそんな事もありませんから」
ココノアの提案に賛成するメル。しかしレモティーの顔は浮かない。
「確かにそれも1つの手ではあると思う。でも森とディア・メトロスの移動には時間がかかりすぎるんだ。馬車でも3日、徒歩だと倍以上になるから、商人が来てくれるとは思えないかな……移動を短縮する手段を用意できればいいんだけども」
彼女が懸念していたのはシニストラ自治区からディア・メトロスまでの移動距離だ。森の中は魔物や獣が潜んでいるため交易商人にとってはリスクが高く、忌避されるのが目に見えていた。
「せめてリギサンとトルンデインを結んでいた街道のようなものがあればいいんだけど、森を切り拓くとなると相当な年月を要するはず。ボク達がやったとしても何ヶ月かかることやら……」
「それって、ここの農園で採れた野菜にも同じ事が言えない? 魔道具で冷やすことはできるけど、収穫から3日もすれば鮮度は確実に落ちるわね」
「確かにそれはそう。どれほど高品質であっても新鮮でなければ無意味」
ココノアとリセの見解は正しい。いくら良い作物を作ったとしても、鮮度を保ったまま街へ出荷する方法が無ければ、経済的な豊かさを得ることは難しいだろう。4人は向き合って考えを巡らせたが、良い案はすぐに思いつかなかった。倉庫内にしばしの沈黙が訪れる。
(せっかくレモティーちゃんが亜人さん達のために色々考えてくれたんだし、何か力になりたいなーん。でも私のポーチで運ぶにしても、さすがにあの距離を1日で行き来することはできないし……)
尻尾でハテナマークを描きながらメルは思案した。短時間での産地直送を実現するために、どうやって輸送力を確保するか――レベルやステータスだけでは解決できない難題に立ち向かうべく、懸命に知恵を絞る。
「むむむ……!」
幼い容姿に似合わない苦悩の相を浮かべる少女の頭上で、ぴょこぴょこと揺れる猫耳。その動きは尻尾とも連動しており、まるで落ち着きがなかった。"中の人"は成人済みの女性なのだが、あまりにも女児感を醸し出すメルの挙動が少女性愛者の琴線に触れてしまう。
「うっ……!!」
「何よ、急に胸なんか押さえて。具合悪いならメルに回復して貰えば?」
「はぁ……はぁ……もう限界だ! ごめん、メル! ちょこっとだけモフらせて貰うよ!」
それまで纏っていた知的な雰囲気をあっさりと放棄したレモティーは、眼前の美少女に抱きついた。そして躊躇うことなく膨らみかけの胸に顔を埋め、深呼吸をし始める。
「すーはー、すーはー! うぅ、やっぱり猫耳幼女は最高だよぉっ……! スベスベで柔らかいお肌の感触はもちろん、全身から漂う甘い匂いも堪らない! もはや神の恵みと言っても過言じゃないね!」
「何でいきなり欲情してんのよ!? 仲間をいやらしい目付きで見るなっていつも言ってんでしょうが! とっとと離れなさいってば!!」
慌てて駆け寄ったココノアがレモティーの肩を掴んで引き剥がそうとした。しかし暴走中のレモティーは頑なに動こうとしない。
「それは無理な話さ! だってこんなに可愛いんだよ!? これほどの至宝を目の前にして、我慢できるロリコンがいるだろうか? いや、いない!」
「手のつけようがない重症ね。ユキがいなくなった反動がこんな形で出てくるなんて思ってなかったわ……」
「ん……これが幼女に飢えた者の末路」
性癖を微塵も隠さなくなった友人に、ココノアとリセは軽蔑のジト目を向ける。狐少女の旅は母親との再会というハッピーエンドで幕を閉じたが、レモティーにとってそれは憂鬱な日々の始まりでもあった。お姉ちゃん呼びで慕ってくれるユキの存在は、彼女にとって心の支えでもあったのだろう。
(レモティーちゃんは他の人からパーティのリーダーだと思われちゃう事が多いから、責任感でストレスが溜まってるのかも。ユキちゃんが居なくなって寂しい気持ちもあるだろうし、ここはお姉さんである私がひと肌脱ぐ時!)
過激なセクハラを受けてもなお、メルが拒絶することはなかった。パーティの代表者として振る舞うことを要求される事が多い上、何でも出来るからと便りにされがちなレモティーの精神的負担を少しでも軽減しようと気を利かしたのである。怒る素振りすら見せずに、レモティーの頭をヨシヨシと優しく撫でた。
「ちょっとメル! そんなことしなくていいってば! レモティーが調子に乗っちゃうじゃない!?」
「まあまあ、レモティーちゃんはこう見えて結構ストレスに弱いんですよ。西大陸に来てからずっと気が張りっぱなしだったみたいですし、たまにはこうやって発散させてあげないと! ストレスが溜まるとこういう風になっちゃう人、私の会社でも良く見掛けましたから」
「一体どんなブラック企業に務めてたのよ……」
引き気味に呟くと、ココノアは手の平を上に向ける仕草で心境を示した。外見だけならミコトにも並ぶ立派な美女が、緩んだ表情で幼女相手に母性を感じてしまっているのだから呆れるしか無い。
「はぁ~! 癒されるよぉ~! この子供特有とも言うべきポカポカとした温かさに包まれていると、まるで春を迎えたような気分になるね……!」
「気持ち悪い事ばっか言ってんじゃないっての! 立派な事案よこれ!」
「良いかい、君達? この世の中には幼女からしか摂取できない栄養素もあるんだよ! これが枯渇するとボクは生きていけない!」
「そんなのあるわけないでしょ! メルが許してもうちは許さないからね! いい加減にしとかないと、攻撃魔法を顔面に叩き込んでやるから!」
「あぁ、気の強いエルフ幼女から罵倒されるのも良い……! ココノア、もっと遠慮なくビシバシ言っておくれ!」
残念美女はだらしない笑みを浮かべながら長耳の少女へ歩み寄っていく。だが頬ずりされようが匂いを嗅がれようが拒否しなかったメルと違い、ココノアは甘くない。取り出した短杖の先端を容赦なくレモティーへ突き付けた。
「まったく、異世界で防犯ブザーが欲しくなるとは思わなかったわ。空の果てまでぶっ飛ばしてやるから、頭を冷やしてくることね!」
「ちょっと待とうか!? ボクが希望したのは罵声であって、攻撃魔法じゃなかったよ!?」
「ココノアちゃん、私は気にしてませんからレモティーちゃんを許してあげてくださいな。流石に空まで飛ばされると戻れそうにないですし……あっ! 良い事を思いつきました! みなさん、少し耳を貸して下さい!」
友人達の寸劇に問題解決の足掛かりを見出すメル。ココノアの言葉がヒントになったのだ。
「多くの荷物を1日で届ける手段なら身近にありました! ほら、私達も一度体験したじゃないですか、快適なお空の旅を♪」
「えっ、急に何の話……? そんな都合のいいものあったっけ?」
「……ん、あたしは分かった。メルが言いたい事」
「なるほど、チュンコにお願いすればいいのか! ボクとしたことがすっかり忘れていたよ。確かに神獣の力を借りれば、輸送の問題は一気に解消できる!」
先程までの情けない姿と打って変わって、レモティーは爽やかな笑顔で頷いた。美少女達との触れ合いを通して精神の完全回復を果たしたのだろう。心なしか肌も艷やかだ。
「うわっ……いきなり素に戻らないでよ! 余計怖いんだけど!」
「うふふ、レモティーちゃんも元気になったみたいですし、明日はチュンコさんのところへ行ってみるのはどうでしょうか? お店はお休みにしないといけませんけども」
「ん、メルに賛成。倉庫がこの状態じゃどのみち開店なんてできない」
「そうだね。チュンコはメルが名前を叫べば来てくれるみたいだから、村から少し離れたところにある丘で呼んでみようか」
「はいっ♪ きっとチュンコさんも再会を楽しみにしてますよ!」
メルは嬉しそうに声を弾ませる。本来、女神からヒト種との関わりを断つように命じられた原初の獣が人前に姿を現すことは滅多にない。だがディア・メトロスでの共闘を終えた際、チュンコは彼女から離れようとしなかったほどに懐いていた。名残惜しそうに飛び去る時も、「また呼んで欲しいでチュン!」と大声でアピールしていたほどである。目に付きやすい高台でその名を呼べば文字通り飛んでくるに違いない。
「なら、臨時休業の張り紙を表に貼っとかないと。休みにするのは明日だけでいいの?」
「物流問題を解決するのと貨幣制度の浸透が目下の課題だし、しばらく休店にしとこう。オープン早々にお店を閉じるのは気が引けるけど、シニストラ自治区を発展させることが本来の目的だからね」
「ほいほい、それじゃ適当にパパっと書いてくるわ」
レモティーの意図を汲んだココノアは足早に店の入口へ向かう。残ったメンバーで倉庫と店の片付けを済ませた後、少女達はカフェで賑やかな晩餐を楽しんだ。
――その晩――
店舗と住居を兼ねた古民家カフェの奥には少女達用の生活スペースがある。異界人から伝わったとされる建築様式は伝統的な日本住居に似通っており、畳と板間を併せ持つのが特徴だ。ただしそれほど広くはないため全員分の個室は無く、寝室を襖で半分に区切って活用していた。あまり睡眠を必要としないリセに対して、ぐっすり眠る幼女組の生活リズムが合わなかったからである。全員で雑魚寝するスタイルは早々に撤廃され、分割した寝室を2人ずつで使うスタイルに落ち着いた。
「あらココノアちゃん、少し眠そうですね? 疲れてますか?」
「そりゃ疲れるっての。飲食店でアルバイトした事はあったけど、今日みたいな大人数を捌いたのなんて初めてなんだから。閑古鳥が鳴くよりはマシだけどね」
「ふふっ、お昼のテレポート配膳はお見事でした♪」
寝支度を進めながら談笑するメルとココノア。ふかふかとした布団に腰を下ろして、就寝までの一時をのんびり過ごすのが彼女達の日課だ。大人用の布団を2枚横並びにしているので、少々寝転がってもはみ出る事はない。メルはネグリジェ姿のまま寝そべると、心地良さそうに小さな身体を伸ばした。
「う~ん、私も結構疲れちゃったかもしれません。今日はよく眠れそうです!」
「メルでも疲れることなんてあるんだ? いつも呆れるほど元気なのに」
「そりゃ、私だって疲れることはありますよ! とは言っても、日本に居た頃と違って、気持ちの良い疲労感です。パソコンと1日中睨み合ってるデスクワークに比べれば断然楽しいですし!」
尻尾を揺らしながらメルが微笑む。異世界に来てからの彼女は日頃悩まされていたストレスから解放されていた。ここでは通勤どころかタイムカードもないので、自由気ままな生活を謳歌できる。それは時間に追われて徹夜仕事をする事が多かったココノアにも同じ事が言えるだろう。
「確かにそうかもね。こっちに来てからのほうが、生きてるって感じはするかな。締切に追われないのがこれほど楽だなんて思わなかったわ」
「ココノアちゃんはいつも締切前にならないと、エンジンが掛からないタイプでしたもんね」
「そ、そんなことはないわよ? 時間に余裕があると他の事に気が向く傾向はあったかもしれないけど……」
NeCOでは私生活に関する話題をなるべく出さないようにしていた2人だが、うっかり口を滑らせてしまった事も少なくない。夜から朝までログインしっぱなしだったココノアを不思議に思って、メルがずっと起きてたのかと尋ねた際、彼女は「締切前でやばいんだってば!」と答えたことがある。それ以来、朝までココノアが起きてるときは修羅場中だというのが暗黙の了解となった。
もっとも、納期前であるにもかかわらずオンラインゲームにへログインするのは非効率的だ。それでも架空の世界に居場所を求めたのは、孤独な作業の中でも他者との繋がりを感じたかったからなのかもしれない。メルはそんなココノアの気持ちを何となく感じ取っていたので、自分が起きていられるギリギリまで彼女を静かに見守った。冒険や狩りといった場面だけでなく、メルとココノアは多くの時間を共に過ごしていたのである。
「こうしてると、NeCOの終わった日が随分と昔のように感じます。時間としては数ヶ月程度しか経っていないと思うんですけども」
「そう言われれば、ずっと前のことみたいに思えるかも。結局、あの日もうちらは最後までチャットしてたんだっけ」
「はい、カウントダウンも参加してました! あの後、画面が真っ暗になってからココノアちゃん達とはもう遊べないだって、凄く寂しくなったのを覚えています。えへへ……いい大人なのに少し恥ずかしいですよね」
「……本来ならうちらの関係って、サーバーダウンと同時に途切れてたはずなのよね。偶然この異世界へ連れて来られたから繋がりが戻っただけで、もしそうじゃなかったら二度と会うことは無かったと思うわ」
「はいっ! だから今、一緒に居られることが凄く嬉しくて……♪」
メルはココノアの指先に触れようと手を伸ばした。しかし華奢で白い指は無言で遠ざかってしまう。いつもなら快く受け入れてくれるのにと、メルは不思議そうな表情を浮かべる。
「ココノアちゃん、どうかしました……?」
「ねぇ、メルはどうしてNeCOのサービス終了前にうちの連絡先を尋ねなかったの? もちろんネトゲでリアルの繋がりを求めるなんてタブーもタブーだけど、NeCOが終わったら二度と会えなくなるじゃない。せめてメールアドレスくらいは聞いてくれても良かったのに……!」
「えっ……?」
不意に感情を吐露したココノアにメルは戸惑いを隠せなかった。これまでココノアは口にしなかったが、心の片隅では小さな疑問がしこりとなって残り続けていたのだ。親しい間柄のプレイヤー同士であれば、NeCOのサービス終了前に互いの連絡先を交換したり、移住先となるオンラインゲームやコミュニティに所属したりしていても、おかしくは無いだろう。しかしメル達に限ってはサービス終了日までその手の話題が出ることはなかった。
「……いい機会だから聞かせて。メルにとって、うちはどういう存在なの? パーティを組んでただけの単なるフレンドってだけなら、連絡先まで交換する気にならなかったのも分かるけど、少なくともうちはそんな風に感じてない。メルとなら実際に会ってもいいって思えるくらいだった!」
ココノアは語気を強くして想い人へ紫色の瞳を向ける。昼間にレモティーの頭を撫でるメルの姿を見たときから、彼女は心がチクチクと痛む感覚を覚えていた。それが醜い嫉妬心によるものだとは自覚しており、ずっと我慢もしていたが、つい口を衝いて出てしまったのだ。
(何言ってんだろ、うち……メルが悪いわけじゃないのに)
唖然としたメルの表情を見つめながら自己嫌悪に陥るココノア。異世界に来た当初、メルの視線と好意はいつも彼女へ向けられていた。食事の時、シャワーを浴びる時、就寝する時――"寝ても覚めても"という言葉がぴったり当て嵌まるほどであったので、落ち着かないと思った時さえある。
しかし最近はそう感じる事も少なくなり、レモティーやリセと楽しそうに喋るメルの横顔を眺める事が多くなった。さらにはミコトやカムイといった第三者との交流も増えたため、2人で過ごす時間は少なくなる一方だ。仕方ないとは理解しつつも、いつか想い人が自分を見てくれなくなるのではないかという不安に駆られてしまう。
(これじゃ、ネトゲで姫プレイしてるような面倒くさい女そのものじゃない! いくらメルでも、気持ち悪いって思うに決まってる……)
ネトゲの"姫"というのは、オンラインゲーム内のコミュニティにおいて適切な距離感を持てないプレイヤーを指す蔑称だ。他者に恋愛感情を抱かせて高価なアイテムを要求したり、狩りの経験値を稼がせたりする特徴があるため、ネット上で姫と呼ばれるようになった。相手の気を引くため八つ当たりにも近い言動をしてしまった自分もそれと同じだと蔑むココノアであったが、メルの反応は彼女が想像していたものとは全く異なっていた。
「えっ、リアルの私と会ってくれるんですか!? それならもっと早く言ってくださいよ! ココノアちゃんに嫌われると思ったから、個人的な事を聞くのはずっと我慢してたんです。ほら、出会った頃に注意してくれたじゃないですか! 中の人に興味を持ってくる輩は無視しとけって!」
「出会った頃? あー……そんな事も言った気がするわね……」
思い当たる節があったので、ココノアは指先でポリポリと頬を掻いた。まだメルがネトゲ初心者から卒業出来ていなかった頃に、見知らぬ男性プレイヤーから声を掛けられた事がある。その時、聞かれるがままに"中の人"に関する内容まで話し始めたことがあったので、彼女が強く注意したのだ。
「性別だのメアドだのを聞いてくる直結野郎に構っちゃいけないんだから……って言ってたんだっけ、あの時……」
「はい、そうです! それがオンラインゲームのマナーだって教えて貰いましたから! だから最後までココノアちゃんの連絡先は聞かなかったんです」
「それはフレンドでも何でも無いプレイヤーだけだってば! うちらはずっと一緒にいるんだから、そういうのは気にしなくていいの! そりゃまあ、オフで会うような勇気はうちにもなかったけど……」
「ふふっ! ココノアちゃんが実際に会ってくれるなら、頑張ってこの世界を救って日本へ戻らないといけませんね! 現実の私は尻尾も猫耳もついてない上に、くたびれたアラサー女ですけど♪」
メルは満面の笑みを咲かせ、左手薬指の指輪をココノアの指輪にコツンと当てる。それはトルンデインにある女性カップル向けの商店で貰った小さなペアリングだった。精霊樹の枝から削り出された指輪は不思議な光沢を纏っており、身に付けているのも忘れるほどに付け心地が良い。ステータスを上昇させるような効果はないが、"同じ枝から作られた指輪を持つ者は決して離れることがない"という伝承を持つと聞かされたこともあり、2人は好んで装着していた。
「うちだって耳は長くないし、幼女でもないから! でも今まで上手くやってこれたんだから、それなりに話は合うと思うわよ……多分」
「はい、いつか日本でもいっぱいお喋りしましょう! 約束ですから♪」
八重歯を覗かせたメルがココノアに勢い良く抱きつく。座っていた彼女がそれを避けられるはずもなく、仰向けに押し倒された。
「ちょ、ちょっと!? 何するのよ!」
「うふふっ、さっきココノアちゃんが私にとってどんな存在なのかって聞かれた気がするので、それに応えようと思います。覚悟してくださいな♥」
逃げ場を失った手にメルの指が絡みつく。恋人のように互いの手を握り合う状況となり、恥ずかしさからココノアは顔を背ける。
「ダメです、ちゃんと私の目を見て下さい」
「うぅ……分かったわよ! 分かったから……」
彼女は諦めてメルの言葉に従った。嫉妬深い発言をしてしまった事で相手を焚き付けてしまった自分に非があると感じたからだ。熱りが覚めるまでの間だからと自分に言い訳をしつつ、視線を合わせる。だが幼い外見に似合わない妖艶さを放つ赤い瞳を直視した途端、理性は完全に吹き飛んでしまう。
「今夜は少しだけ、夜更かししましょうね♪」
「待って、待って! うちにも心の準備ってものが……!」
「スンスン……ココノアちゃんの髪、良い匂いです。お顔を真っ赤にしてる様子も、とっても可愛いですよ♥」
耳元で囁いてくるメルに対してココノアは無力だった。テレポートで脱出するという考えも出てこなくなるほどに混乱してしまい、されるがままとなる。普段の様子からは想像もできない攻守の逆転っぷりだ。汗で湿り気を帯びた額に、亜麻色の前髪が張り付く。
「はぁ……はぁ……」
一方、隣の部屋からは怪しげな吐息が響いていた。部屋を仕切っていたはずの襖は少し開いており、真っ暗な隙間に血走った眼が浮かぶ。
「これぞまさに幼女の花園……! 尊すぎて気を失いそうだよ!」
仲睦まじい少女達の様子が気になるのか、視線の主は襖に張り付いたまま動かない。そんな友人の様子を見て、呆れ気味に注意するリセ。
「レモティー、いくらなんでもそれはどうかと思う。ココノアにバレたらまたお尻に杖を刺されるよ」
「それでも構わないさ! この光景を見逃す方がずっと後悔するだろうからね!」
「はぁ……」
窓際の月明かりで読書をしていたリセは、溜息を吐き出すと同時にパタンと本を閉じた。そしてレモティーのところまで移動し、その首根っこを掴む。
「ちょっと、何するんだよぉ!? これからがいいところなのに!」
「デリカシーが無さ過ぎる……」
襖から剥がされたレモティーは部屋の奥へと引き摺られていった。STR極型であるリセの筋力はレモティーを遥かに上回るため、踏ん張ることさえできない。遠ざかっていく隣室に向けて彼女は限界まで手を伸ばしたが、それが届くことはなかった。
「あぁ~! ボクの理想郷が!!」
「ん……2人の邪魔はあたしが許さない」
「そんな事言わず、リセも覗けばいいじゃないか! 君だってココノアとメルの恋路が気になってたみたいだし……って、これは何かな!? 結構痛いよ!?」
いつの間にか"足四の字固め"を決められ、のたうち回るレモティー。彼女は降参とばかりに畳をバンバンと叩いたが、リセは技を緩ませる素振りを見せない。
「最近のレモティーは目に余るから、こういうお仕置きは必要」
「そ、そんなぁぁ~!」
その後しばらく、リセは毅然とした態度で友人の悪癖を正したのであった。




