085.望みの果て①
――ディア・メトロス地下鍾乳洞――
「ハァッ……ハァッ……」
息を切らしながら洞窟を駆けるサンディクス。彼は王宮から脱出すべく、港へ続く王族専用の避難路を彷徨っていた。避難路とは言っても天然の洞窟を利用しただけの抜け道であり、滲み出ている地下水や地面の凹凸、行く手を遮る鍾乳石が邪魔をするせいで思うように進めない。自慢の千里眼も視線を遮られてしまう狭所では役に立たず、未だ出口には到達できてなかった。
「こんな事なら予算を回して整備しておくべきだった……」
サンディクスの表情に後悔が滲む。数百年に渡って平和が続いてきたオキデンスでは危機に対する備えも薄れており、避難経路の整備は最も優先度が低かった。しかも王族は彼にとって単なる傀儡でしかなく、使い捨ての駒のようなものだ。この地下道が手つかずのままであったのも当然の結果と言えよう。
「こっちも行き止まりじゃないか……!」
方向感覚を失い、右往左往する男の情けない姿は初心者冒険者のそれと全く同じだった。神に成り代わるという野心を抱えて数千年以上を過ごしてきた彼であったが、その道程は魔術の探究と政治ばかりで埋め尽くされている。さほど複雑ではない洞窟の攻略にも苦戦してしまうのは経験不足が原因だろう。
「チッ、今度は厄介な連中が邪魔している通路か……悪夢でも見ている気分だ」
袋小路を脱した矢先、行く手を阻む魔法生物の一団がサンディクスの視界に入った。地下通路に入ってから、彼は正体不明の人型植物達によって何度も進路妨害を被っている。形状こそ食用の野菜とそっくりなものの、ふざけた外見に反してかなりの強さを誇るため、無視することもできない。平時であれば研究対象として捕らえるような余裕もあったかもしれないが、敗走中の状況では邪魔な存在でしかなかった。
「ああ、クソッ! 一体何なんだアレは!? あんなものがディア・メトロス内に生息しているなんて報告は一度も聞かなかったぞ!」
朱色の髪を掻き毟った後、若き公爵は従えていた召喚獣に魔力を注いだ。古代魔法により生み出された、炎を纏う小さな赤トカゲ――それは火蜥蜴と呼ばれる妖精の一種であった。浮遊しながら術者に付き従うため暗所では照明として使える他、魔力を与えることで業火の吐息を放つこともできる。
「邪魔者共を焼き払え、火蜥蜴!」
サンディクスの指示と同時にトカゲの口が開き、燃え盛る熱波が吐き出された。属性相性が良かったのか魔法生物への効果は抜群で、為す術なく野菜達は焼き焦げていく。熟練冒険者相当の強さを持つ強敵を一掃できるのは、この国でも彼くらいなものだ。
「どうだ、見てみろ! ハハハッ……超越者たる僕がこの程度の逆境に屈すると思ったら大間違いだ!」
古代魔法の威力に酔い痴れ、自らを超越者を名乗るサンディクス。なぜ人間族である彼がエルフ族にも劣らない魔法の才能を開花させることができたのか――その理由を紐解くには3000年前まで遡る必要がある。
まだ種族間戦争が勃発していない平和な時代、サンディクスはリーデルという名のしがない魔法使いであった。その実力は人間族の平均よりやや上程度ではあったが、全体から見れば下から数える方が早かっただろう。何故なら今ほど魔法の体系が確立されておらず、人間族は小さな火の玉や氷の欠片を生み出す初級魔法しか使えなかったからだ。
その傍ら、エルフ族に代表される他種族では今と比べても遜色ない大魔法の行使が可能になっていた。彼は戦況を一変させるほどの大規模な術式に魅了され、人生の大半を捧げて知識の習得に励んだ。その結果、大賢者の称号を得るにまで至る。
だがそんな賢人であっても寿命の壁は超えられない。衰えていく老体に絶望したリーデルは、ありとあらゆる手を尽くして肉体を乗り換える禁忌の魔法を生み出した。自身の魂を魔力を介して他者に流し込み、肉体を奪い取る憑依術――この世で最も悍ましい術式が誕生したことにより、彼は老いの恐怖から解き放たれる。
しかしこの術は大きな問題も孕んでいた。まず憑依先の魂と融合することで、自身と他者の境界が曖昧になってしまう事が挙げられる。次に器としての構造が違う人間族以外には適用できないという点だ。これらの欠点はリーデルを多いに悩ませた。人間族の寿命はあらゆるヒト種の中で最も短く、老いによる劣化が激しいという特徴を持つ。つまり生き続けるために延々と他人へ憑依しなければならなかったのだ。
憑依を何度も繰り返せば当然の如く自我が汚染される。元々の人格は希薄なものとなり、代わりに大勢の魂から構成される集合人格が生み出され、リーデルの意識を支配した。ありとあらゆる魔法を極めるという当初の目的すら薄れてしまい、彼の望みは多種多様な我欲に染められたのである。強くなりたい、愛されたい、地位を得たい、富を手にしたい、誰にも負けない力が欲しい、幸せになりたい……大なり小なりの様々な欲望を蓄積させた果てに、リーデルは神となる事を望むようになった。世界を統べる存在になれば、全てが思いのままになると考えたのだ。現に数多の魂を内包したその身は、生物を超越した存在と捉えることもできる。
「……なんだここは?」
細長い道をしばらく進んだ先は開けた場所になっていた。天井がかなり高い位置にある一方で、地面からは無数の石筍が聳え立っている。その石柱が火蜥蜴の炎に照らされると鉄格子のようなシルエットが浮かび上がった。まるで獣の檻にでも入れられたようだ。偶然の産物による光景ではあったが、追い詰められた男にとっては誰かに仕組まれた事のように思えてくる。
「フッ、神に成り代わろうとした僕への当て付けのつもりか、哀れな女神よ? だが、もう存在すらしないお前にできることなど何もない。せいぜい僕の覇業を眺めていることだな」
独り言を洞窟内に反響させつつ、彼は唇の端をニヤリと吊り上げた。今は御伽話で語られる程度でしか知られていないが、数千年以上を生きる古代人は神が消えた顛末を記憶している。特にリーデルと神の間には深い因縁があった。異界の英雄率いる異種族同盟が魔族に対して優勢であった頃、魔王と結託して英雄を謀殺した裏切り者が彼だからだ。
かつてリーデルは人間族でありながらもアスタロトと取引を行い、世界の半分――西大陸を得る契約を交わしている。神を目指す男にとっては星の趨勢より、上位存在に至るための環境を整える方が重要だったのだろう。その一件が女神の消滅に繋がったのだから、彼が神無き世界を作った元凶であると言っても過言ではない。
「いや待て……本当に女神がいないのであれば、異界人はどうやって世界を渡ったというんだ? 次元の壁を超える術式は僕でも解析不可能だったんだぞ……」
足を踏み出そうとした矢先、サンディクスの脳裏にある疑問が浮かんだ。異世界から英雄を召喚する魔法は神にしか成し得ない奇跡である。しかし世界を救うために自らの魂を魔力に変換したことで女神は跡形もなく消滅しており、復活する可能性はゼロに等しい。彼は納得のいく答えを見つけようと考えを巡らせたが、何度問いを繰り返しても結論は出なかった。
「……全く分からない。何故アイツらは次元を越えることができた? それが判明すれば、あの常軌を逸した力に対処できるかもしれないというのに――」
「そんなの考えるだけ無駄だっての。うちらだって知らないんだから」
誰に問いかけたわけでもないのに、背後から言葉が返ってきた。しかも迎賓館で聞いた覚えのある少女の声だったので、サンディクスは不快感を露わにする。
「まさかこんな所にまで入り込んでいたとは……厭になるな」
「それはこっちの台詞。こんな地下洞窟があるなんて思わなかったし」
「王宮の中も広かったから探すのには苦労させられたよ。でもボクの可愛い野菜達をお前が丸焼きにしてくれたおかげで、こうやって居場所を特定できた!」
宮殿へ続く道から姿を現したのは、亜麻色の髪を持つエルフ少女と金髪碧眼の人間族女性だった。両名共に魔王を倒した異界人の英雄であり、その力は未知数である。もしここでメル同様の巨人化能力、もしくはそれに類する力を発揮された場合、"命の身代わり"があっても洞窟からの脱出が困難になってしまうのは目に見えていた。相手が行動を起こす前に勝負をつけるべく、サンディクスは舌先で注意を引き付ける。
「ココノアとレモティー……だったか。アスタロトを倒したお前達が異界の英雄であることは認めよう。しかし、どうして僕の邪魔をするのか解せないな。帝国から大金を積まれたのか? それとも亜人を解放して救世主でも名乗るつもりか? どちらにせよ陳腐な理由だが、お前達なりの目的があるのだろう?」
「ボク達がここまでやって来たのは、ユキちゃんを含む多くの人々を悲しませた罪を償わせるためだ! さぁ、覚悟してもらおうか!」
「アンタを倒せばこの国もちょっとはマシになりそうだしね。ここらで退場してくれない?」
「フン、あくまでも偽善者を気取るつもりだな。それも英雄に求められる資質なのだろうが……その考えが命取りになる。お前達の旅路はここで終わりだッ!」
2人が会話に乗じた隙に裏で構築されていたサンディクスの術式が発動した。鍾乳洞に満ちる水分から作り出された無数の氷槍がココノア達に襲いかかる。会話と術式詠唱の両立は非常に難しいが、魔法理論を知り尽くした古代人なら実現可能だ。この秘技を仕掛けられた相手は反応が遅れるため、通常であれば防御が間に合わない。即死を免れたとしても深い傷を負うことになるだろう。
――パリン!――
だが氷の槍は対象に到達することなく粉々に砕け散った。空気すら輝かせる極低温であったにも関わらず、朽ちて脆くなった木片のようにバラバラになって地面へと落ちる。完璧な不意打ちをあっさりと無効化したのが周囲を飛び回っている複数の魔法弾であることに気付き、サンディクスの額に汗が浮かぶ。
「無詠唱で迎撃の魔法を放ったのか……しかも連続で」
「ココノアはDEX値がカンストしてるから、詠唱なんてあってないようなものさ」
「一応スキルディレイ的なのはこっちでもあるんだけど、多重詠唱でフォローできるからこれくらいは余裕よ、余裕」
「多重詠唱だと……?」
男が反応を示した多重詠唱とは、同時に2つ以上の魔法を詠唱する技術の総称だ。ただしヒト種が到達可能とされる二重詠唱であっても、習得者は指で数えられる程しかいない。魔力を取り扱うための高度な体内構造を持つ魔族――その頂点に立つ魔王アスタロトでも三重詠唱が限界である。
だがココノアの多重詠唱はその領域をさらに超えていた。自分の身に迫る何百本もの氷柱を瞬時に撃ち落とすのであれば、少なくとも4つ以上の魔法を絶え間なく発動させないといけない。大賢者と崇められていた自分でも至れなかった魔導の極みを目の当たりにして、サンディクスは思わずリーデルとしての人格を表に出してしまう。
「どうやってそれを習得した!? 教えろッ!」
「ああ、今の? 前に魔王が3つの魔法を同時に使ってるのを見て試してみたら出来たんだよね。コツを掴むまでがちょっと大変だったけど、慣れればそんなに苦労しないわよ」
「い、いい加減な話をするな! 試したくらいで出来るはずがない! 僕ですら辛うじて初級魔法の二重詠唱が出来る程度だというのに……!」
多重詠唱は脳への負荷が極めて大きい。もし処理が追いつかないまま術式が発動してしまえば、魔法が手元で暴発して術者本人に大きな被害を与えることになる。そんな高リスクの技を実戦でやってのける相手にサンディクスは戦慄を覚えた。
「チッ、本当に化け物ばかりじゃないか……異世界は一体どうなってるんだ」
いとも簡単に多重詠唱を行う別世界の住人を想像し、忌々しそうに悪態を吐き出す。魔王と同じく彼は地球を訪れた事が無かった。英雄達の故郷において魔法が架空の物語でしか目にできない存在だとは思いもしなかったのだろう。
しかし魔法が存在しない代わりに地球では科学技術が発達した。現代日本においても高度な情報社会が築かれており、そこで生きる人々は無意識のうちに様々なマルチタスク処理をこなしている。他者との意思疎通だけでなく戦略の考案やアクション反応をリアルタイムで要求されるMMORPGも、その1つと言えよう。そして奇しくも架空の世界で鍛えられた脳の使い方は、多重詠唱で要求されるコツとほぼ同じであった。従ってココノアが四重詠唱を獲得できたのもある意味必然ではあったのだが、サンディクスがそれを知る由はない。
「そういえばうちらにも確認したい事があったんだった。アンタの中身、リーデルって奴なんでしょ?」
「……どこで聞いたのか知らないが、その通りだ。サンディクス=マルロフは器の名でしかない。我が真名はリーデル、この世界において神に至る者と知れ」
敵対者の話に応じる必要はなかったものの、敢えてサンディクスは名乗った。魔法だけでは対抗できない事が判明した以上、次の一手を考える時間が必要となる。繕った表情の下に殺意を押し込め、どうすれば眼前の敵を屠ることができるか作戦を練り始めた。
「大昔に調停者を唆したのはアンタよね? アンタが余計な事をしなけりゃ、種族間の戦争は止まってたっぽいじゃない。理由を教えなさいよ」
「……それを知ってどうする? まあいい、教えてやろう。単純に亜人共の存在が邪魔だったのさ。僕が神になるためには人間族の数を増やし、その魔力を喰らう必要があった。しかし当時は土地も資源も足りなかったからな……調停者を利用して邪魔者を駆除することにしたわけだ」
悪びれることなくサンディクスは自らの行いを淡々と語る。資源の枯渇に伴って生じた種族間戦争を止めるべく、女神は調停者――後に魔族と呼ばれる特異な存在を生み出した。それにより種族間の衝突は減ったが、各国の均衡が保たれたままでは人間族が領土を拡げられない。そこで彼は調停者を使って他種族の力を削ぐ事に思い至ったのだ。
「奴らを動かすため、僕はエルフ族に伝わる魔法を使って人間族の街を1つ滅ぼした。骨が折れる作業ではあったが、調停者は簡単に騙されてくれたよ。その後、連中がエルフの国に制裁を加えたおかげでいくつかの土地を奪うことができてね。驚くほどに上手く行ったと自分でも感心したものだ」
「お前にとって人間族は同胞じゃないか。どうしてそこまでして……!」
「同胞か……群れるしか能のない弱者特有の言い回しだな。僕にとってあらゆる他者は脇役でしかない。亜人に比べれば糧になる分、価値はあるとも言えるが……減った数よりも繁殖させれば済む話さ」
「清々しいほどのクズで安心したわ。これでこっちも心置きなくやれるわね」
ココノアが杖を構えた。その底知れぬ魔力は驚異であるものの、どんな攻撃魔法を繰り出されたところでサンディクスが命を失う事態にはならない。隷属の刻印を施した亜人が身代わりになるためだ。焦ること無く懐から短銃を取り出し、2人に向けて銃弾を放った。
「迂闊だったなッ! 僕の勝ちだ!」
相手が次の行動に移る一瞬の隙を突いた彼は勝利を確信する。華麗なる早撃ちは相手に防御魔法を使わせる暇を与えなかっただけでなく、心臓を的確に狙い撃っていた。魔力を込めた弾の殺傷力は高位魔法にも劣らないため、例え鎧を着込んだ相手であっても確実に命を失うだろう。
「フフッ、この世界に銃という武器の概念を持ち込んだのは異界人だ。元々は火薬で金属の弾を射出するだけだったが、魔力で螺旋加速させる機構を加えたことで貫通力は倍増している。いくら英雄と言っても、この距離で銃弾を受けて生きているはずが――」
「馬鹿にしてんの? こんな豆鉄砲で死ぬわけないじゃない。うちらを倒したいなら、せめて核兵器くらいは持ってきなさいよ」
「いや、核は不味いと思うな……色々と」
銃で撃ち抜いたはずの2人は無傷だった。よく見ると銃弾は彼女達の胸に当たる手前で止まったままである。まるで蜘蛛の糸に絡め取られたように空中で静止していた。
「なッ……今のは魔族にも通用する威力だったはず! どうやって防いだ!?」
「事前に傀儡の糸を展開してたからね。遠距離攻撃がボク達に届くことはないよ。捕縛用スキルではあるけども、使い方次第では色々できるんだ」
赤い眼鏡の位置を正しつつ、レモティーは誇らしげな表情を浮かべる。一方、悉く攻撃を防がれてしまったサンディクスは唇を強く噛み締めた。習得している全ての古代魔法を駆使して総力戦を仕掛けた所で勝算はなく、素直に降伏しても英雄が見逃してくれるとは思えない。完全に詰んでしまった。
「こんな時にあの連中は何をしてるんだ……!」
彼はレモティー達に気付かれないようにマイウスとデケンベルの魔力探知を試みたが、両名共に反応は返ってこない。既に倒されてしまったか、ディア・メトロスを離れている可能性が高かった。この時点で残された道は"命のストック"を盾にした逃走のみとなる。
「クソッ、まともに相手をするだけ無駄だな! 火蜥蜴、時間を稼げ!」
踵を返すと、サンディクスは出口方面へ向かって駆け出した。港に出る事さえできれば、貨物船に紛れ込んで国外へ逃げることができる――そう考えた彼は召喚獣を囮にして時間を稼ごうとしたのだ。
――ボフン!――
背後で何かが弾ける音がした刹那、男の足元を照らしていた明かりが消えた。同時に周囲が一気に暗くなり、石に躓いて転倒してしまう。
「まさか……!?」
振り返ったサンディクスの視界に映る、炎の欠片と化した妖精の残骸。ココノアが放った光の槍によって貫かれ、魔力に還元されたのだ。そして彼が狼狽えている間にも、レモティーは容赦なく追撃を繰り出す。
「宿り木の種弾!」
体勢を崩した状態でそれを避けることは不可能だった。飛来した小さな固形物がサンディクスの腹部へ潜り込む。痛み自体はそれほどでもないが、何かが体内に根を伸ばしていくような気味の悪い感覚が彼を襲った。
「ぐあぁぁっ! これは何だッ……!?」
「寄生植物を植え付けたのさ。生命力をギリギリまで吸い取るだけで、宿主を殺そうとはしないから安心していいよ」
「こんな下らない雑草如きに、僕の力が吸われるだと……!」
攻撃を受けた部分から黄緑色の蔓がいくつも生え出てくる。命の輝きを放つ新芽とは対照的にサンディクスの四肢からは力が抜け、立つこともできなくなった。蓄えていた魔力もあっと言う間に枯渇し、亜人の子供にも等しい非力な存在に成り果てる。
「どこまでも癪に障る連中だ……! そんなに僕を殺したければ殺すがいい! だがこの魂は隷属の刻印を与えた亜人と繋がっている。お前達の手で死ぬのはそいつらだぞッ!」
「知ってるよ。だからわざわざ手間を掛けて弱らせたんだ。その状態なら、これが使えるだろうからね」
レモティーが背中のリュックから取り出したのは真っ黒な卵型の魔道具であった。サンディクスはひと目でそれが違法改造された"獣の収納籠"であることを見抜く。
「その獣の収納籠は、まさか……!?」
悚然とした表情で声を絞り出すサンディクス。彼はそれがヒト相手でも使えることを知っていた。契約の魔法が持つ特性を検証するべく、制限を解除した収納籠をわざと闇市に流した張本人だったからである。
「亜人狩りに使われていた違法改造品さ。これにはお前が作った魔法が使われてるらしいし、今更説明をする必要もないかな」
「よせッ! やめろ! 何を考えている!?」
収納籠に捕らえることができる相手は生命として弱い個体に限られた。故に普段のサンディクスであれば魔法の対象となることはない。だが寄生植物により著しく弱体化した今の状態であれば話は別だ。魔道具を使われてしまったら最後、見えない魔法の鎖で魂を縛られ、肉体ごと籠の中に封印されるだろう。
「考え直せ! 僕はいずれ神へ至る男なんだ……端役でしかないお前達如きが、手を出して良い存在じゃないッ! 恐ろしい天罰が下るぞ!」
「ほんと自己肯定感の塊みたいな奴ね。アンタは自分だけが主役だと思い込んでるみたいだけど、うちらの世界じゃ全員が主人公だったのよ。脇役なんて1人もいなかったんだから」
「うん、ボク達が居た場所では人の数だけ"主役の物語"が存在していたね。しかもそれによって世界が支えられていた。ここでも同じ事が言えるんじゃないかな。もし自分のために他人を犠牲にするような身勝手な主役がいたら……そんな奴は世界から拒まれて当然だと思うよ」
少女達が仲間と多くの時間を過ごしていた仮想世界――NeCOではプレイヤー全員が等しく主人公である。勿論、冒険のスタイルは様々なので共に手を携えることもあれば、刃を交えることもあっただろう。だが全てに共通して言えることは、プレイヤー達が互いを尊重しなければMMORPGの世界は成り立たないということだ。
これは異世界においても不変の理だと言えよう。自分を中心に世界が回っているとすら思っていたリーデルは、上位存在を目指す過程で多くの他者を踏み躙っても気に留めなかった。だがそんな自己中心的な生き方が許されるはずもない。現に叛逆した元下僕と伯爵達により、彼の計画は殆どが潰えることになった。また盤石と思われた支配体制も立ち上がった亜人達の手で打ち砕かれ、オキデンスには変革の兆しが訪れた。身から出たいくつもの錆により、破滅はすぐ目の前まで迫っていたのである。
「僕が世界に拒まれるだと……!? 馬鹿な事をほざくな、異界人! いつだって世界を思うがままに操ってきたのは、主役であるこのリーデルだッ!」
「口で言っても分からないなら、その身に直接教えてやるさ! ココノア、この三流役者に引導を渡してやってくれ!」
「オッケー! うちの魔力を思いっきり叩き込んでやるわ!」
ココノアの全身から膨大な力の奔流が放たれた。眩い光が洞窟内を満たし、地下とは思えない幻想的な光景を生み出す。だがそれはサンディクスに向けられたものではなかった。レモティーの手に乗っていた黒い卵が魔力に呼応し、恐怖に顔を歪めた男に対して服従の魔法を発動させる。
「やめろォォォォ!!」
逃げようと足掻くサンディクスの身体に呪いの鎖が絡みついた。本来なら契約の魔法は目視できないが、この場に満ちる魔力の影響を受けたらしく、薄っすらと黒い影が浮かび上がっている。不気味に蠢くそれはまるで地獄へ引き摺りこむ亡者の手を思わせた。
「他人の迷惑も考えずに好き勝手振る舞った奴の末路は大体決まってんのよ、永久追放ってね!」
ココノアの口上が響き渡った瞬間、サンディクスの肉体と魂は黒い卵へ引きずり込まれた。彼の悲鳴はブツリと途切れ、"獣の収納籠"の中へと姿を消す。
「よし、封印は成功したみたいだ。続けて最後の仕上げに移ろう!」
レモティーの手から伸びた蔦が魔道具を何重にも覆った。頑丈な緑の繭と化したそれに、ココノアはおもむろに杖の先端を向ける。
「それじゃ、空の果てまで打ち上げるわよ」
異界の英雄達が考案した古代人リーデルの攻略法――それは彼をこの星から隔離する事だった。寄生植物を埋め込まれたことでサンディクスの肉体は植物との同化が進んでおり、ほぼ生きた骸と化している。ハーヴェストのスキル効果は永続であるため、彼が死に絶えることは無い。従って身代わりにされた亜人が犠牲になるという最悪の結末を防ぐことも可能だ。
しかし収納籠がこの星にある限り、誰かが誤って封を解いてしまう可能性はあった。再びサンディクスが蘇ることになっては元も子もない。故に星から離れた遠い宇宙の果てへ追放することにしたのだ。いくら大賢者と謳われた古代人であっても、星の外に出されてしまえば何もできなくなる。
「よし、それじゃ後は任せた!」
レモティーが天井へ向けて放り投げた繭に、間髪入れずココノアが大出力の攻撃魔法を叩き込んだ。ハーヴェストの防御スキル、"捻れ蔦の護り繭"で護られているため、収納籠が破壊されることはない。ココノアの魔法ダメージに耐えながら、繭は岩の天蓋を突き破って空へと飛翔する。
――ゴォォォォ……――
輝く光柱を推力にし、サンディクスを封じた卵は大気の層を抜けた。途中で魔法は霧散したもののその勢いが止まることはなく、暗黒の宇宙を進み続ける。繭が解けても収納籠の内側からは外が見えないため、封印された者が自分の置かれた状況を知る事は未来永劫ないだろう。こうして彼は神に成り代わるという野望の果てに、終わることのない孤独な旅の始まりを迎えたのだった。
「例え不死身だろうと宇宙に追放されたらどうしようもないだろうし、これで一件落着ね」
「うん、時間は掛かるだろうけど国の在り方も変わっていくんじゃないかな。それにしても、まさかフェリクスの攻略法が異世界で活かせるとは思ってなかったよ」
地上まで一直線に穿たれた大穴を見上げながら言葉を交わす2人の英雄。どんなに強大な力を持つ者であっても、身代わりの命を得て死を克服したリーデルを倒すのは困難を極めたはずだ。しかし彼女達はNeCOで戦った最難関ボスへの対処法を参考にし、犠牲を出す事なく難敵を攻略した。
ヒントになったのは古代ダンジョン最深部に居座る最古の君主、フェリクス――自動復活という特異能力を持ちながら、プレイヤーキャラを遥かに上回るステータスによって無敵を誇った最強の王である。腕に覚えのあるプレイヤーは勿論のこと、廃課金で最高峰の装備を揃えた猛者でも攻略できず、攻略者は1人も出ないだろうと言われていた。
だがアップデートから数週間後、たった4人のプレイヤーがダンジョンをクリアする動画が公式サイトで公開されることになる。それを見た人々によって、公式SNSや掲示板には様々な感想が投じられた。
『有り得ないって、あんな方法思いつくなんて!』
『頭柔らけーな! 天才かよ。でもこれってバグ利用じゃね?』
『仕様の内なのでセーフだと思う。公式動画だし、これ』
明かされた攻略手順が正攻法では無かった事から、ちょっとした論争が引き起こされたものの、後日運営会社から問題ない旨のアナウンスが出されている。この一件はNeCO史における伝説として残っており、攻略Wikiでは専用ページまで作られた。そこに書き込まれたコメントの大半は攻略プレイヤー達を称える内容だ。
『さっき動画を見たけど凄いなこの人達。バランス調整入るまでクリアできる人なんて出ないと思ってたよ、俺』
『誰か攻略方法を解説して欲しいのだが。何度見ても理解が追いつかん』
『ザックリでいいなら説明するぞ。まずは5人未満のパーティで1回目のフェリクスを倒すだろ。フェリクスが倒れてから自動復活まで0.5秒の間が空くから、フェリクスの足元にヘキサで安全地帯を置く。そしたらフェリクスが復活したタイミングで安全地帯の外に弾き出されるから、それでダンジョンの壁から押し出せばクリア判定が出るって感じで解釈したけど、合ってるよな?』
『ダンジョン主が追放されるって、なんか笑えるな。しかも壁貫通するのかよ!』
『作られてない部分って亜空間状態だから、NPCがそこに落ちると二度と戻れなくなるね。プレイヤーなら自殺コマンドで復帰地点にワープできるけど』
『ボス部屋からフェリクスが居なくなったらクリア判定が出る仕様っぽい。これなら誰でも攻略できそうじゃん』
『いやいや、未強化状態でも4人じゃクリアできねぇって! つーか最大12人で挑めるんだから、頭数揃えたほうが有利だろ!』
『5人以上で挑むと復活時にマップ中央へ自動ワープして全体攻撃するギミックが増えるんだよ。だからこの攻略法は使えなくなるぞ』
『4人PTで攻略してる時点で真似なんて無理だ……しかも装備を見る限り廃課金勢でもなさそうだし、何なんだよこの連中。しかも他のイベントで見たことあるキャラ名だった』
『この人達、バトルロイヤルイベントの初代優勝者だよ。趣味職でしかない殴りヒーラー込みで最後まで残ってたから印象に残ってる』
『動画じゃ息ぴったりすぎて怖いくらいだったから、相当練度が高いと思われるのだ。PvPじゃ絶対相手にしたくないのだ……』
『フェリクスのタゲとって壁際まで誘導してる農家もヤバイでしょこれ。一度でもミスったら即死なのに、防御バフの張り直しタイミングが神がかってる』
『マジで生ける伝説だわ……ゲーム内で会ったら記念SS撮影させてもらおうかな』
フェリクスを攻略したプレイヤー達がどれほど大きな反響を生んだのかは、これらのコメント群を流し読みするだけでも十分に伝わってくる。しかし動画公開から数日後、運営サイドが調整不足を認めてフェリクスを大幅に弱体化したため、この攻略法は不要となった。自動復活の回数やステータスが見直され、正面から勝負できるようになったのだ。それでもWikiにはページが残り続け、サービス終了後もコメントを書き込む者が後を絶たない。
そしてこの"ボスを倒さずに勝利を掴む"という発想は、異世界での戦いで大いに生かされた。追放先が亜空間ではなく宇宙であったものの、自動復活を封じるという点では全く同じだ。もしこの世界に喚ばれたのがメル達一行でなければ、リーデルの野望が潰えることは無かっただろう。




