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うちの子転生!  作者: 千国丸
84/107

084.破滅への導き④

――貧民街(スラム)内 亜人解放団拠点――


廃墟にしか見えない古びた商館の地下――そこに隠された亜人解放団の拠点では、留守番を任されたユキとツバキ、カタリナの3人が木製のテーブルを囲んでいた。作戦開始からそれなりの時間が経つが亜人解放団からの連絡はまだ無い。現地の状況が分からないまま、時は刻一刻と過ぎていった。


「お母さんとじぃじ、帰ってくるよね……?」


「ご心配は無用です! お二人は必ずやメル殿と神獣様が守ってくださります!」


「ええ、その通りですわ。英雄の方々なら、どんなに強大な敵が相手だろうと負けるはずがありませんもの!」


不安そうに狐耳を垂らしたユキをツバキ達が励ます。強敵を一撃で屠る英雄の戦いを間近で見ていた2人は、その強さに絶対の信頼を置いていた。しかし家族の安否を想うユキの顔は曇ったままだ。どんなに言葉を尽くしても、今の彼女から不安を払拭する事は難しいだろう。薄暗い地下室に重苦しい雰囲気が漂い始める。


――ガチャリ――


唐突に奥の扉が開き、高貴な身なりの男性が顔を出した。彼の名はオウトゥムヌ=オクトーベル、五大名家に連なる伯爵の1人であり元貴族議員でもある。諸事情によってサンディクスから追われており、今は亜人解放団の拠点で匿われている身だ。


「やあ、お嬢さん方。落ち着かないのであれば、紅茶など如何ですかな? 以前に侍女から上手な淹れ方のコツを教わった事があるのですよ」


そう言うと彼は炊事用のスペースで作業を始めた。手慣れた様子でティーポットに水を注いだ後、熱を発する魔道具の上に乗せる。地下にあるにも関わらず拠点には調理器具や生活雑貨が一式揃っていたので、慎ましく暮らすだけなら不自由はなかった。


「もうっ、何をしてますの! まだ傷は完治してないんですのよ? 無理せず横になっておくべきですわ」


「ハハ……お気遣い感謝しますぞ、カタリナ嬢。しかし今の私はこのような事でしか恩を返せないのです」


オクトーベルは苦笑いしながら湯を沸かす。恰幅の良い体型に加え、気の良さそうな顔付きなのもあって、給仕する彼の姿は貴族というよりも食事処の主人に近かった。だがエルフ族であるツバキにとって心象の良い相手ではない。銀色の前髪から覗かせる鋭い目付きがその警戒心を物語っている。


「我はまだオクトーベル殿を信用しているわけではありませぬ。もし少しでも妙な動きを見せれば、我の矢が貴殿の額を貫きます。ゆめゆめ、お忘れなきよう」


毒薬の類を混入させまいとする牽制の口上がオクトーベルへ向けられた。彼にそんな気は一切無かったが、貴族議員としての行いに対する戒めとして辛辣な言葉を受け入れる。


「……そのように仰るのも、当然の事でしょう。これまで我々は(いわ)れなき罪で亜人の方々を迫害してきました。偽りの歴史に騙されていたとしても、それは揺るがない事実……許されることではありません。これから私の人生全てを捧げて償う所存です」


カタリナを介してミコト達の話を聞いた事で、彼はオキデンスの歴史が虚構であったと知った。だからこそ罪の意識に対する想いを包み隠さず吐露したのである。それでもツバキは厳しい態度を崩さない。


「今更何をッ……! 議会の人間共がミコト様を幽閉したせいで、ユキ様がどれほどお辛い目に――」


「そこまでですわ! お気持ちは分かりますけれど、ここでそのような話をしても仕方ありませんもの」


一際大きな声を発し、強引に会話を断ち切るカタリナ。亜人に産まれたがために幼い頃から苦労してきた彼女にはツバキの言い分も理解できたものの、過ちを反省したオクトーベルを一方的に責める事が正しいとは思えなかったのだ。それにこれから多くの他者と共に生きていく幼い少女に、異なる種族同士でいがみ合う姿を見せるべきでは無いと心の中で強く感じていた。苦しみのあまり貧民街で犯罪に手を染めた自分を救ってくれた恩師が、心優しき人間族の女性だったからである。


「それより、お茶会をどうやって楽しむかを考えたほうが建設的ではなくって? ユキちゃんの緊張も少しは(ほぐ)れるでしょう?」


「そうですね……」


(おごそ)かな修道服を纏ったカタリナの振る舞いには不思議と説得力があった。落ち着きを取り戻したツバキは肩の力抜き、茶会の手伝いを申し出る。


「我にも何か仕事をいただけませぬか、オクトーベル殿」


「では食器の支度をお願いできますかな? そこの棚に入っていると思います」


「承知しました。必要な数をテーブルに出しておきましょう」


「あっ、ユキもお手伝いするね!」


ツバキの後ろを付いていく白髪の少女。レモティー達との共同生活を通して少し成長したユキは、自ら進んで食器の準備や片付けをするようになった。背格好の近いメルやココノアを"お姉ちゃん"として手本にしたからだろう。もっとも、元の世界で成人済みの彼女達は十分に成熟した精神年齢の持ち主なのだが。


「いち、にー、さん、しー……あれ、カップは4つだけなの?」


「この場には4人しかおりませんが……あ、リュカ殿がおられましたね。我としたことが見落としてしまっておりました」


拠点の留守番を任されたのは4人だけではなかった。狼の獣人族であるリュカが守りの要として地上を見張っていたのだ。旧市街から地下室に入るには分厚い鉄の扉を突破しなければならないが、その手前にはリュカが門番として仁王立ちしており、侵入者に対して睨みを利かせる。


「せっかくですし、リュカさんもお茶にお呼びするというのはどうでしょう? ずっと入口で見張りをしていただいているのですもの、温かい飲み物を差し入れてもバチは当たらないですわ」


「確かに戦士であっても適度な休憩は取るべきだと老師も言っておりました。我がリュカ殿を呼んで参りましょう」


そう言うとツバキはテーブルから離れて、地上に繋がる通路へと足を向けた。しかしその先にある鉄扉へ至る直前になってピタリと動きを止める。


「……なんでしょうか、この音は?」


長い耳がしきりに動いており、異音の正体を探っている様子が傍目からでも分かった。彼女の異変に気付いたカタリナが部屋の中から心配そうに声を掛ける。


「どうかしましたの……?」


「地上の方から戦闘と思しき音が聞こえています。念のため、皆様はユキ様と共に部屋の奥へ!」


ツバキの声を受けて、カタリナとオクトーベルは表情を引き締めた。茶会の準備を途中で切り上げ、2人はユキを連れて裏口に繋がる扉へ移動する。


「敵勢は……3人、4人……いや、もっと多いか」


背中に装着していた弓を手に取り、ツバキは扉に向けて矢を引く。軍の主力部隊の殆どが式典広場に集結している今、貴族達に解放団の拠点を襲撃する余力はないと思われたが、そのアテは外れてしまったようだ。扉の向こうから金属同士がぶつかり合うような激しい衝突音が伝わってくる。


「せめてユキ様だけでも護らねば……!」


ツバキが覚悟を決めた瞬間、地下室全体を揺らす衝撃と共に鉄扉が吹き飛んだ。咄嗟に身体を捻って鉄塊の直撃を避けたものの、吹き込んできた爆風によって彼女の身体はテーブルのあった位置まで吹き飛ばされてしまう。


「くっ、まさかあの分厚い扉を突破してくるとは……リュカ殿は無事か!?」


即座に体勢を整えて周囲の状況を確認するツバキ。その視界に入ったのはグニャリと凹んだ扉の残骸であった。通路に焦げたような痕跡が見られる他、高熱による陽炎が発生している事からも爆薬の類が使用されたのは明らかである。


――ゴォォォォ……――


地上へ向かう階段には土煙が充満しており、相手の詳しい数は不明だ。しかし室内を破壊せずに扉だけを爆破する調整ができる事から、こういった強襲作戦に慣れた者達である可能性が高い。


「お前達、早く裏口から逃げろ! 襲撃者だ!」


煙の中から灰色の体毛に覆われた狼獣人――リュカが転がり込んできた。無事ではあるようだが、返り血なのか本人のものなのか判別つかない血痕が体中にべっとりと付着しており、戦闘の苛烈さを伺わせる。


「リュカ殿、ひとまず傷の手当を! 我が応戦します!」


「いや、オレの傷は浅い。手当などいらん。だが相手の数がこちらを大きく上回っている以上、ここを護り切るのは不可能だろう……お前達は今すぐ脱出しろ」


「何を言ってますの! 一緒に戦えばなんとかなりますわよ! わたくしが癒やしの術を使って――」


「ダメだ! 奴らの狙いはこの拠点ではなく、ユキなんだぞ!」


声を荒げるリュカにユキはビクっと身体を震わせた。自分が狙われていると知り、少女は顔を強張らせる。


「鼠の棲家にしちゃ上等じゃねぇか。反逆者が使うには勿体ねぇな?」


そんな彼女と因縁のある声が地上から聞こえてきた。虫が這いずり回る暗い船底に押し込められ、獣のような扱いを受けていた絶望の日々がユキの脳裏に蘇る。


「どうして……あの人がここにいるの……?」


煙を払うようにして姿を現したのは機械化された左腕と右脚を持つ巨漢であった。その特徴的なドレッドヘアーと凶悪な顔付きは忘れたくとも忘れられるはずがない。男はかつてユキを奴隷船に連れ込んだ奴隷商、プラガだったからだ。


「あぁ、アレが依頼にあった白狐の獣人か。どっかで見たような気もするが……亜人のガキなんてどいつも同じ顔にしか見えんな。オイお前ら、早く入ってきて仕事をしやがれ!」


プラガの声に応じて、通路から続々と部下と思しき者達が入ってきた。あっと言う間に入口は10名近い男達で塞がれてしまう。全員が統一された装備を身に着けていることから、荒事を生業とする傭兵団であることは疑いようがない。


「傭兵相手であれば穏便に済ませられるかもしれません。私にお任せを」


オクトーベルはユキとカタリナを守るようにして前面に立った。相手が金で動く雇われの身であることがわかれば、非力な彼でも対処法はある。


「私はオクトーベル伯爵家の者ですぞ! 見たところ、あなた達は傭兵の一団……金が必要なら依頼主の倍、いや3倍を出しましょう! それでここは矛を収めてはいただけませんかな?」


「クハハッ! 魅力的な提案ではあるが、傭兵業っていうのは信頼が大事なんだよ。そんな提案に乗れるわけねぇだろ? もっとも、公爵に追放されたアンタに大金が払えるとも思えんがなァ」


「それを知っているとは……依頼主は五大名家の貴族ということですか。ならば交渉など無理というもの……」


「物分りがいいじゃねぇか。アンタについては指示が出てねぇから見逃してやるよ。目的はミコトの娘だけだからな。さぁ野郎共、あの忌々しい化け物共が戻ってくる前に仕事を済ますぜェ!」


傭兵達が一斉に武器を構えた。彼らが持つ刀剣は室内戦に適したやや短めの形状である上、刃に毒薬が塗布されているため、回避行動が制限される狭所では極めて厄介な代物となる。また魔道具と思われる篭手や具足も見えており、苦戦が予想された。いくらツバキとリュカが高い戦闘力を持つ戦士といえども幼子を守りながら戦うのは相当に厳しい。


「早く行け! ここはオレが時間を稼ぐ!」


「くっ……申し訳ありません、ここはお任せします!」


ツバキは状況を総合的に勘案し、自分達の存在がかえって足枷になりかねないと判断した。裏口へ繋がる扉を一瞥した後、ユキを抱き上げて通路へ一気に駆け込む。カタリナとオクトーベルとそれに続いた。


「チッ、無駄な足掻きを! そこをどけ、犬っころッ!」


「ここは通さん! 少しでも動けば、この牙で臓物ごと切り裂いてやろう!」


大きな牙を剥き出しにしたリュカは低い唸り声で相手を威嚇する。だが亜人の制圧に慣れた傭兵達は怯える様子すら見せない。それから程無くして、地上まで音が届くほどの激しい攻防が始まった。




――拠点裏口 馬車置き場――




暗然とした室内であっても存在感を放つ萌黄色の馬車――その隣では紫紺の毛並みを持つ立派な馬が静かに佇んでいた。脱出の途中で馬車置き場に差し掛かったカタリナは、立ち止まって馬車を見上げる。


「この馬車、わたくし達で扱えないでしょうか。走って逃げてもすぐに追いつかれてしまいますわ」


「レモティー殿の所有物を勝手に使わせていただくのは気が引けますが、確かにこの状況では馬車を使う方が得策です。しかし、生憎(あいにく)と我は馬の扱いが不得手でして……」


「馬車の操作ならそれなりに覚えがありますぞ。任せてくだされ」


オクトーベルは自信に満ちた表情でベールにハーネスを装着し始めた。しかし有翼の一角獣は不機嫌そうに身体を揺らし、それを拒否する。合成生物の中でも特に気難しいとされるベイヤール種は、基本的に主人と認めた者以外に懐くことがなかった。強引に付けるにもいかずオクトーベルは困り果ててしまったものの、ユキの顔を見た途端ベールは態度を一気に軟化させる。


「おねがい、お馬さん! ユキ達を乗せて!」


幼い少女の要望に賢馬はコクリと頭を下げて応えた。シニストラ自治区で共に旅をしたユキを主人の大切な仲間だと認識していたのだ。彼女の言葉に従い、馬車を引く体勢を整え始める。


「これなら何とかなりそうですな……カタリナ嬢、出口の開放を!」


「ええ、わかりましたわ。確かこの辺りに隠し出口を開ける装置が……きっとこれですわね!」


ユキの背丈ほどあるレバーを見つけたカタリナは、それを両手で掴んで横に倒した。鼠の獣人である彼女は見た目こそ小柄ではあるが、人間族男性と同程度の腕力を誇る。ガタンと響いた力強い音を合図にして歯車が回り、地上へと向かう緩やかな坂道の先から光が漏れ始めた。ゆっくりとではあるが、隠されていた出口が開かれていく。


「お嬢さん方は荷台に乗って下さい。出口が開放され次第出発しますぞ」


「わかりましたわ。ユキちゃん、わたくしと一緒にこちらへ。ほら、ツバキさんも早く――」


「いえ、我はここで殿(しんがり)を務めましょう。カタリナ殿、ユキ様を頼みます」


ツバキだけは荷台に乗らず、馬車へ背を向けた。彼女は聞こえてくる戦闘音から傭兵達の接近を察知したのだ。険しい表情で弓を構え、敵襲に備える。


「どうしてツバキは乗らないの……?」


「ユキ様、どうぞ我のことはお気になさらず! オクトーベル殿、失礼な事を言っておきながら申し訳有りませぬが、後は任せました。どうかユキ様を安全な場所まで送り届けてください」


「何を言いますの!? 一緒に逃げるべきです!」


「もう追手は近くまで迫っています。馬車が離れるまでここを守り抜く役目は、戦士である我がすべきことですから!」


覚悟の決まった顔付きで答えるツバキ。普段の彼女であれば大切な主君の娘を他人に預けることはしないだろう。しかしリュカですら足止めできなかった手練れ達に追いつかれた場合、馬車を破壊されて逃げる手段を失ってしまう可能性が高い。誰かが残って追手を食い止める必要があった。


「早く追え! アイツらはこの先だ!」


「あのガキだけは逃がすな! 他の連中を殺してでも奪い取れ!」


地下拠点から男達の怒声が響く。あと数分も経たない内に傭兵の集団が雪崩込んでくるだろう。だが幸いにして出口の開放は間に合った。


「オクトーベル殿、出発してください! 奴らが来る前に、早く!」


「申し訳ない、ツバキ嬢……皆さんの安全を確保した後、必ず戻って来ますからな!」


オクトーベルは苦虫を噛み潰したような表情で手綱をしならせる。それに呼応したベールが地上へ向かう坂道を登り始めた。力強い加速により、ツバキの姿はどんどん馬車から遠ざかっていく。


「まってぇ! まだツバキが……!」


「ダメですわ、ユキちゃん! 馬車が動き始めた以上、もうどうしようもありませんの……!」


馬車から身を乗り出そうとしたユキを抱き締めて制止するカタリナ。拠点から脱出する直前、彼女の視界に映ったのは銀髪を靡かせて傭兵達と対峙する気高き女戦士の後ろ姿だった。




――旧市街地 港方面に至る道――




亜人解放団の拠点を脱した馬車は旧市街地の大通りを東へと進む。オクトーベル達がミコトや異界の英雄がいる式典会場ではなく、港へ至るこの道を選んだのには理由があった。まず1つ目は敵勢力の分布である。上流区に近づくほど監視の目が多くなるため、安易に合流を目指すと逆にリスクが増す。また街の外に出た場合、獣や魔物と遭遇する確率が一気に高まってしまう懸念があった。戦闘に不慣れな者だけで逃げるのであれば街中に限られるだろう。片や港には旧市街地から直結する抜け道が存在するため、憲兵に見つかることなく到達することが可能だった。

2つ目の理由はオクトーベルが見込んだ助っ人の存在である。デクシア帝国から高速魔導船で調査団を送ると回答を得た彼は、港で帝国の関係者と合流できるのではないかと考えていた。事情を説明してデクシア軍に保護して貰うことができれば、ひとまずの安全は確保できる。しかし大陸間を移動するには最低でも4日以上掛かるというのが一般的な認識であったので、カタリナは疑念を口に出した。


「オクトーベル卿、本当に帝国の調査団が港へ来ますの? 軍船でも5日は掛かりましたのに……」


「確かに海魔の餌場を通らぬように迂回した場合、その程度の時間は必要になりますな。ですが先日にカタリナ嬢が仰っていた通り海魔の驚異が無くなったのであれば、最短経路を航行可能です。帝国が誇る高速魔導船であれば2日でオキデンスに到着できる見込みはあるかと」


「それなら良いのですけども……ユキちゃん、もう少しの辛抱ですわよ」


ツバキと別れて以降、落ち込んだままのユキを優しく撫でるカタリナ。彼女は奴隷船に乗せられていた少女に自らの幼少期を重ねていた。震える小さな肩から心細く感じている様子が伝わってくるので、何度も声を掛けて励ます。


「むうっ!? 速度を落としますぞ! 何かに掴まってくだされ!」


「きゃあ!?」


馬車に急制動が掛かった。その反動でカタリナとユキは大きく身体を揺さぶられる。運転席のオクトーベル自身も放り出されそうになったが、両足を踏ん張って何とか耐えた。レモティーが取り付けていた油圧式ブレーキシステムのおかげで馬車は無事に停車できたものの、建物の残骸に囲まれた旧道の真ん中で止まってしまう。


「もうっ、突然なんですの!?」


「申し訳ありません。道にあのようなものが落ちていたので……」


オクトーベルが指さした先には、平たい円盤状の器具がいくつも設置されていた。大きさこそヒトの足程度しかないが、魔道具の一種と思わせる不気味な光を宿している。もし上を通過していれば何かしらの罠が作動していた可能性が高い。


「まったく! 誰がこんなものを――」


「俺達さ。亜人の子供を乗せた馬車を見つけたら、何としてでも足止めしろって言われたもんでね」


カタリナの疑問に答えたのは廃墟の影から姿を現した武装集団のリーダーであった。オキデンスの冒険者ギルドで配布される専用の記章を襟元につけていることから、彼らがその所属員である事はひと目で分かる。


「……冒険者の方々が私達に何の用ですかな? 先を急ぐので、その魔道具を撤去いただきたいのですが」


「それは無理な相談だ。これはデケンベル伯爵家からの正式な依頼なんだよ。悪いけどアンタらをこの先に行かせるわけにはいかない」


冒険者風の若者達はそれぞれ異なる種類の武器を構えた。拠点を襲撃した傭兵ほどの練度や武装は持ち合わせていないように見えるが、馬車の前後を囲むグループだけで10人以上はいる。建物に潜む者達を含めればさらに膨れ上がるだろう。幼い子供を含めた3人で逃げ切るのは不可能だ。


「まさかデケンベル卿が自ら手を回していたとは……これは不味いことになりました。私が奴らの注意を引きますから、カタリナ嬢はその子を連れて馬車から逃げてください」


オクトーベルは小声でカタリナに作戦を伝える。デケンベルの用意周到さを侮っていた事を自分の責任だと感じた彼は、囮になってでもユキを逃がすつもりであった。だがカタリナは頑なにその提案を拒む。他者を見捨てることは信奉する女神の教えに反するためだ。


「これ以上、アイリス様に背くことはできませんわ! 逃げるなら3人一緒です。この馬車で正面を強引に突破してはダメですの?」


「恐らくですが、道に落ちているアレは魔力感知式の爆発物でしょう。巻き込まれれば馬車は完全に使い物にならなくなるかと」


「ならば馬車を降りて、走ってあの中を突っ切れば良いのです! ユキちゃんはわたくしが背負いますから、オクトーベル卿はご自身の足元に集中してくださいな」


「わ、私にそんな芸当はとても……うっかり踏んでしまうのが目に見えていますよ」


2人が相談をしている間にも馬車に冒険者が迫る。良い方策が見つからないままついに距離は無くなり、強面の男性が荷台に手を掛けた。右腕には鈍く光る刃物が握られており、その切っ先はユキとカタリナへ向けられている。


「へへっ、大人しくしてりゃ痛い目は見なくて済むからよ! 俺達は金さえ貰えりゃそれで――」


そう言って冒険者が荷台に登ろうとした瞬間、眼にも止まらない速さで短剣が飛来し、彼の武器を弾き飛ばした。突然のことに驚いた男は体勢を崩して地面に落ちる。


「あがっ……!? ちくしょう、何だよ今の! 誰か仕掛けてきやがったのか!」


「お前達は金のためなら女子供相手でも容赦なく襲撃するのか。依頼に疑問を持たずに従うだけであれば、ゴロツキと何ら変わらないな」


冒険者達の背後から澄み渡るような声が響いた。全ての者に気配を微塵も悟らせず、武装集団の後方で静かに立つ青年――その姿を見たオクトーベルとカタリナの声が重なる。


「ナナシ殿……!」


「ナナシ様ではありませんの!」


窮地に駆けつけたのはナナシであった。美しい紺色の髪を優雅な所作で掻き上げるその佇まいは、只者ならない雰囲気を感じさせる。冒険者達の意識は完全に馬車から逸れた。


「邪魔するんだったら容赦はしねぇぞ!」


「この人数相手に勝てると思ってんのかァ!?」


数人の男が武器を構えてナナシを囲んだ。一方、ナナシの方は右手の指にいくつかの短剣を挟んでいるだけで、他に武器となる得物を持っていない。装備だけでみれば圧倒的に不利である。


「数を揃えただけで優位に立ったつもりか。駆け出しによくある慢心だ」


彼が腕を振り上げた直後、その指先から短剣が消える。一瞬の動きで投擲された三振りの鋭刃は冒険者達の足や腕に深く突き刺さり、的確に自由を奪っていた。味方がやられたことに気付き他の冒険者も一斉にナナシに襲いかかったが、その姿を捉えることすら叶わない。軽やかな身のこなしに翻弄された挙げ句、自身の武器を奪われて返り討ちにされた。さほど時間が経たない内に、20名近くの冒険者が往来に転がることになったのである。


「くそっ、一体何者なんだよ……テメェはッ!」


残り1人になってしまった若い男は悔しそうに吐き捨てた。勝敗は既に決していたが、仲間をやられて逆上しているため合理的な判断ができない。彼は真新しい長剣を両手で握りしめて、破れかぶれになって斬りかかった。しかしナナシは隙の大きい斬撃を軽く躱し、相手の鼻先を裏拳で砕く。


「ぐはっ!?」


()()()として少し教育してやろう」


続けざまに鳩尾へ強烈な一撃が叩き込まれた。一瞬呼吸が止まったことで若者の身体からは力が抜け、その場に崩れ落ちる。


「これに懲りたら少しは依頼を選ぶことだな」


最後の冒険者が倒れたことで旧市街地には静けさが戻った。ナナシが手加減していたため彼らは命を落とさずに済んだものの、あと数時間は起き上がれないだろう。


「お見事でしたぞ、ナナシ殿!」


一部始終を見守っていたオクトーベルがナナシに駆け寄った。危機を脱したおかげかその表情は明るい。その傍ら、カタリナは不思議そうな表情を浮かべる。


「確か、ナナシ様はリセ様と会場の地下へ向かわれたはず……どうしてここに?」


「サンディクスの研究所まで案内はしたが、自分だけで大丈夫だと言われてしまってな……念のため街に不穏な動きがないか見回っていた。その最中、冒険者ギルドから集団が出ていくのを見かけて追ってきたというわけだ」


「そういうことでしたのね。助かりましたわ!」


カタリナは恭しく頭を下げた。ユキが連れ去られずに済んだのはナナシの勘が冴え渡っていたおかげとも言えよう。しかし問題が全て解決したわけではない。カタリナは拠点襲撃の経緯について説明し、ナナシに助力を求める。


「なるほどな……状況については理解した。今すぐ解放団の拠点へ向かい、現地に残っている者を助け出す。だがお前達は戻らない方が良い。ユキが狙われているのであれば、襲撃を受けた場所に居座るのは危険だ」


「足手まといになってしまうのも避けたいですし、わたくし達は予定通りに港へ出ることにしますわ」


「港か……他国の船舶が出入りしている分、軍が迂闊に動けない場所ではあるな。恐らくは街中より安全だろう。だがデケンベルの動向については私の方でも把握できていない。注意しておけ」


「ナナシ殿の言葉、肝に銘じておきましょうぞ。ではご武運を」


オクトーベル達はナナシと別れ、脇道経由で港へと向かった。待ち伏せの懸念がある旧通りを避けるためだ。それが功を奏し、一行は追手と遭遇することなく目的地へ到達する。




――オキデンス港――




抜け道である廃墟群を突っ切った先には潮の香りが漂う広大な港があった。式典開催日であるためか船着き場は閑散としており、荷降ろしの人員も疎らだ。憲兵の姿もなかったのでカタリナ達は安堵のため息をつく。


「ふぅ、なんとかここまで来られましたわね。ツバキさん達が無事だといいのですけれど」


「うん……みんな大丈夫かなぁ……」


「今はナナシ殿に任せましょう。私達は自分の身を守ることに専念すべきです」


ここに来た本来の目的を果たすべく、オクトーベルは港を見渡した。だが青い海が穏やかな波を泳がせているだけで、帝国の高速魔導船はどこにも見当たらない。


「帝国の船は……ありませんな……」


「やっぱり2日間で大陸間を移動するのには無理があったんですのよ……でもナナシ様が言っていた通り、ここは貧民街(スラム)より安全に思えますわ。ほとぼりが冷めるまで倉庫の中で隠れていた方が良いかもしれません」


「確かにここならば馬車を隠し通すことができそうです」


オクトーベルは穴の空いた倉庫の天井を見上げる。旧市街地からの抜け道は港南端に位置する古びた倉庫に繋がっており、彼らはその中に馬車とベールを格納していた。倉庫と言っても屋根や壁は潮風による腐食が進んでおり、最近使用されたような形跡もない。しかし建物の壁が視界を遮ってくれるおかげで港の管理者や働き手から見つかり難く、身を隠すのには最適だった。


「それにしても、このような隠し通路があったとは知りませんでしたわ。オクトーベル卿はどうやってこの道の事を?」


「ここは元々、非合法な品を取り扱う闇商会が作った隠し通路でしてな……港湾管理局を通さずに物品を出荷している者がいると通報があったので、議会の決議で封鎖することが決まりました。ですが式典の準備を優先したために工事が延期されて今に至っております」


「そんな事がありましたのね。でも議会の場で協議されたということは、この道については他の伯爵達も知っているという事になりませんの……?」


「……仰る通りかもしれません」


カタリナの指摘を受け、オクトーベルは眉を顰める。ユキを追っているデケンベルがこの隠し通路の存在に思い至ってもおかしくはない。そしてその懸念はまさに今、現実のものになろうとしていた。


「相変わらず貴方の行動は読みやすくて助かりますよ、オクトーベル卿」


粘っこさを帯びた口調と共に倉庫入口に姿を表すデケンベル伯爵。彼が手配したと思われる魔術師の集団もその後方に展開しており、逃げ道は完全に封鎖されてしまった。


「デケンベル卿……!?」


亜人解放団(レジスタンス)共の拠点から貴族を含む一団が脱出したという報告を受けて、すぐにピンと来ました。帝国への脱出を図るか、もしくは帝国の関係者と合流するために港へ来るだろうと。しかしここまで上手くいくとは……冒険者を使ってまで燻り出した甲斐があるというものです」


「私の考えは……全て見通されていたと……?」


今まで手の平で踊らされていた事に愕然とするオクトーベル。彼はデケンベルによって拠点から離れた港まで巧みに誘導されていたのだ。傭兵の襲撃や冒険者の妨害によって街中は危険だと刷り込まれたせいで、行き先が自然と絞り込まれてしまった――その結果が今の状況である。今から港の廃倉庫まで駆け付ける事ができる者は皆無だろう。希望は完全に絶たれた。


「申し訳ない……私のミスでこのような事に……」


「しっかりなさいませ、オクトーベル卿! まだ何も終わってなどいませんわ!」


「で、ですが……この状況ではもう助かる希望など……」


「無ければ作れば良いのです! ユキちゃんは英雄の方々から預かった大切な子、渡してなるものですかッ!」


カタリナは腕を前に突き出して魔法の詠唱を開始する。アイリス聖教に伝わる初級攻撃魔法、聖なる光弾(ホーリーライト)の呪文だ。しかし獣人族の魔力では十分な威力が出せないため、旧式の火薬銃にすら劣る。


「その頼りない術式、まるで児戯ですね。教えて差し上げましょう、魔法とはこう扱うのですよ! 凍てつく烈風(フロスティゲイル)!」


デケンベルが掲げた杖から肌の表面を凍らせるほどの吹雪が迸った。生成された鋭い氷の(つぶて)がカタリナの修道服を切り刻み、鮮血を倉庫の床に飛び散らせる。


「くっ……!」


「次はこれでどうでしょうか。連鎖する雷光(チェインライトニング)!」


続いて繰り出されたのは青白い光を放つ電撃の鎖であった。それがカタリナの身体を貫いた瞬間、血が沸騰してしまいそうな程の熱量と激痛が彼女を襲う。


「ああぁぁッ!?」


オレンジ色の髪を振り乱し、悲鳴と共に崩れ落ちるカタリナ。動かなくなった彼女にユキが駆け寄り、心配そうに声を掛ける。


「お姉ちゃん、しっかりして!」


「なんてことを!? 民を虐げるのが貴族のあるべき姿かッ!」


オクトーベルは正面の魔術師を睨みつけた。しかしデケンベルは悪びれることなく、不敵な笑みを浮かべるだけだ。


「民? そこにいるのは我が国の港に不法侵入した汚らわしい亜人に過ぎませんよ。そんなボロ雑巾のような女に感化されてしまうとは、嘆かわしいばかりです。五大名家の箔を落とされても困りますので、そのゴミはここで息の根を止めておきましょう」


「これ以上、私の恩人に手出しはさせませんぞォォォ!!」


杖をカタリナに向けたデケンベルを止めるべく、オクトーベルは腕を振り上げて駆け出す。しかし彼の拳が相手に届くことはなかった。魔術師の1人から放たれた氷塊が彼の腹部に直撃したからだ。内臓に大きなダメージを負ったことで、オクトーベルは白目を剥いて地面に倒れ込んでしまう。


「貴族として名誉ある死を与えて差し上げるつもりだったのですが、獣と同じ場所まで堕ちてしまったのなら仕方ありませんね。まとめて灰にしてあげましょう」


再び掲げられた杖が紫色に光った瞬間、ユキがデケンベルに向かって飛びかかった。幼いながらも獣人族としてのポテンシャルを発揮した彼女の跳躍は魔術師の足元へ届く。


「もうやめてぇ! みんなをいじめないでっ!!」


「この小娘ッ! 獣の分際で私の服を汚すなど……!」


小さな爪によって傷んだズボン生地を見て激昂したデケンベルは、右脚でユキの身体を蹴り上げた。倉庫の壁に激しく叩きつけられ、彼女はぐったりと床に伏す。


「娘は生きたまま捕えろとの指示でしたが、邪魔な手足は切除しておいたほうが良さそうですね。あとのゴミはここで焼却してしまいましょう。あの目障りな馬車と共に」


横たわる3人を見下ろしながら、デケンベルは冷ややかな表情で杖を構えた。先端の紫水晶に魔力が集まり、炎魔法の術式が構築される。一部始終を見ていたベールはユキ達を守ろうと激しい(いなな)きを轟かせたが、馬車とハーネスで連結されているため自由に動けない。3人と1匹の命運はここで尽きたかと思われた。


「デケンベル卿! 港にデクシア帝国のものと思しき船舶が出没しました! こちらにやってきます!」


いよいよ術式が完成するという刹那、魔術師隊の1人が慌ただしく叫ぶ。デケンベルが(いぶか)しげな目付きで振り返ると、水平線を走行する黒い軍船が視界に入り込んだ。小型ではあるが、かなりの速度を出しながら海上を滑るようにして突っ込んでくる。


「高速魔導船!? まさか、本当に帝国の調査団が到着したとでもいうのですか? オクトーベル卿が連絡をしてからたった2日しか経ってないというのに……やはり帝国の技術力は侮れませんね」


「我らの魔法で迎撃が可能な位置です。沈めますか?」


「マルロフ公の計画を邪魔させるわけにはいきません。集中砲火を浴びせてやりなさい」


デケンベルの指示を受け、ローブ姿の魔術師達は陣を組んで術式の構築を開始した。他国の船舶に警告なしで攻撃を仕掛ける事は禁じられていたが、相手が仮想敵国ということもあり躊躇(ためら)いすらみせない。

代表術者の頭上に炎弾の多段連射術(ガトリング・ブレイズ)の魔法陣が浮かび上がり、周囲の空気が徐々に熱されていく。急旋回できない海上の対象に対して弾幕を形成する魔法の効果は絶大だ。この状況における選択としてこれ以上ないほどの正解だろう。しかし相手の方もオキデンス側の動きは察知していた。


「あちらも術式の展開を始めました! こちらと同じ術式と推定!」


「ほう、面白い。撃ち合うつもりなら相手をして差し上げましょう。もっとも、あのような小船に魔術師がそうそう何人も乗れるわけはないでしょうがね」


人数の差と地形的な優位がデケンベルに絶対の自信を与える。故に彼は余裕の笑みを浮かべて状況を静観するだけであった。この時点で大きな過ちを犯してしまっているとも知らずに。


「魔力充填完了、炎弾の多段連射術(ガトリング・ブレイズ)を発動!」


魔術師の合図により空中の魔法陣から高熱を帯びた炎弾が次々に発射され、標的へと迫る。同時に高速魔導船からも同じ魔法が放たれた。互いの炎が海上で激しく衝突する――そんな光景を誰しもが予想しただろう。だが実際にそうはならなかった。港から放たれた火炎の礫は全て撃ち落とされたからだ。相手の炎弾の方が圧倒的に多かったのである。


「馬鹿なッ!? こちらが押し負けたとでも――」


デケンベルの叫び声を掻き消すように、海から飛来した炎塊が魔術師達へ降り注いだ。魔法耐性のあるローブも紅蓮の雨に対しては何の役にも立たず、容易く燃え落ちていく。だからといって避けようにも重点爆撃の如き焔の嵐から逃れる術は無く、その場にいたデケンベルの配下全員が黒焦げの残骸へと変貌してしまう。1発1発が必殺の威力にまで強化されたそれは、もはや炎弾の多段連射術(ガトリング・ブレイズ)とは似て非なる術式と化していた。


「我が国の精鋭達が一瞬でやられただと……うぷっ!」


眼前に転がった10名以上の焼死体を直視し、口元を抑えるデケンベル。味方の肉が焼ける臭いで吐き気を催したのだ。触れただけで火傷しかねない熱気も相まって、現実味を帯びた死の恐怖が彼の精神を蝕む。


「こ、ここから早く逃げねば……貴族である私がこのようなところで命を落とすなど、あっていいはずがないのですから……!」


彼の明晰な頭脳は完全に停止してしまった。ユキ達の事などすっかり忘れてフラフラと逃げ始めるが、それを阻むようにして灼熱の閃光が彼の眼前を焼き払う。


「ひぃぃぃ!?」


射線上にあったあらゆる物質が一瞬にしてドロドロに溶けた。真っ赤な口を開けた極熱の窪みに足を踏み入れようものなら、たちまち骨ごと溶ける事だろう。デケンベルは腰を抜かしてしまい、その場から1歩も動けなくなった。


「この桁違いの魔力、まさか例のダークエルフが……いや、有り得ません! たかだが大使の身が危ない程度で、帝国の最高戦力が直々に来るなどと……!」


ズレ落ちた右目のモノクルを直そうともせず、彼は頭に浮かんだ人物を必死に否定する。魔法の天才児と呼ばれる一方で、紅蓮の猛火(インフェルノ)という異名で畏れられるダークエルフ――その名は数々の魔導書に残されているため、魔術の極みを目指す者ならば誰しもが一度は目にした。


「そっちから仕掛けてきたのに、逃げるのが早すぎなぁい?」


空から降ってきた甘ったるい声を聞いて、デケンベルは目を見開いた。そして恐る恐る天を仰ぐ。


「本当にフラン=サエルム本人だというのですか!?」


「あはっ! 雑魚の癖にフランのこと知ってるんだぁ~?」


青空に浮かぶ金色の杖。その上に腰掛けた少女は相手を小馬鹿にしたような薄笑いを浮かべていた。露出多めの衣服によって晒された赤みのある薄茶色の肌、長く尖った両耳と足まで届く漆黒の長髪、そして10代前半の子供にしか見えない容貌――特徴的な外見の数々が彼女を帝国四魔導の1人だと証明する。


「なぜ貴女がここに……!」


帝国(こっち)の大使が世話になったそうじゃない? だからフランが直接様子を見に来たってわけ。ま、あの連中なら心配なんていらないと思うけどぉ」


「たかが使者の安否確認をするだけに大陸間を渡ったと……!?」


デケンベルは思考が追いつかなくなっていた。強大な力を誇る四魔導の中でもフランは最強の座に君臨しており、名前を出すだけで他国への牽制になる。そのような貴重な戦力を復興途上の状況で簡単に送り出してしまう帝国の考えが、彼には一切理解できなかったのだ。


「あの白くてチビっこいの、アイツらと一緒に居た子供じゃない」


デケンベルが無言で考えを巡らせる間に、倉庫で倒れていた獣人少女に気付くフラン。彼女とユキが直接言葉を交わす機会は殆どなかったものの、帝都奪還作戦において白髪の幼子がメルやココノアと一緒にいる光景は何度も目の辺りにしていた。


「もしかして、アンタがやったのぉ? フランの()()()()に手を出すなんて、いい度胸してるじゃない」


静かな怒りが篭った声と共に周囲の魔力が赤い粒子となって燃え始める。フランにとってメル達は救国の英雄というだけでなく、魔族の贄として生かされてきた惨めな過去を断ち切り、新たな居場所を守ってくれた存在でもあった。そんな恩人一行の仲間が傷つけられている様子を見て、感情を揺さぶられないはずがない。焔の如き緋色の魔眼が無慈悲に敵対者を見据える。


「信じられない……術式すら使わず大気に含まれる魔力を燃やすなんて、もはや精霊の類ではないですか!? こんな桁違いの魔術師を擁する国相手に、我が国は戦争を仕掛けようと……?」


杖を構える気力すら失った伯爵は酷く後悔した。今になってデクシア帝国の力を見誤っていた事に気付いたのである。魔王の襲撃を受けてなお強大な力を有する大国は、"破滅への導き"があったとしても一筋縄では攻略できなかっただろう。

さらにフランはこの世界に生きるヒト種の中でも最上位グループに属する実力者だ。リギサンでの戦いにおいてココノアに敗れたとはいえ、他国の魔術師を遥かに駕ぐ魔力を持つ。金に物を言わせて魔道具や魔導書を買い揃えただけの凡人が勝てるはずもなかった。


「嫌だ、死にたくないッ! 私はマルロフ公の右腕として、いずれ魔術師の頂点に……っ!」


デケンベルは這うようにしてその場から離れようとする。しかしフランの指先には超高温の火球が燃え盛っており、いつでも射出できる状態になっていた。小さな太陽とも言えるそれが放たれれば最後、彼の肉体は灰すら残らず燃え尽きることになる。死を予感し、デケンベルは尊敬する若き公爵に(すが)った。


「マルロフ公、お助けください! 貴方の力であれば、こんな化け物など軽く始末できるはずです……!」


「フランが化け物ですってぇ? アンタ達が敵に回した連中の方がよっぽど化け物揃いだと思うけど?」


「一体何を言っているのですか、貴女は……?」


「知らないなら教えてあげよっかぁ? アンタ達がちょっかい出した森エルフの子供はねぇ、フランですら手も足も出なかったのよ。そんなのを敵に回しちゃうなんて、本当にバッカじゃないの~?」


「そ、そんなッ!? それではマルロフ公も――」


耳を疑いたくなる言葉と共に、赤く光る火球がデケンベルの頭上に飛来する。サンディクスの身を案じる時間も与えられず、その身体は跡形もなく燃え尽きた。


「雑魚が調子に乗るからそうなるのよぉ。さてと……あの馬車もアイツらの持ち物だし、倒れてる連中の面倒は見てやった方が良さそうね」


フランは気を失ったままのユキ達に向けて移動を開始する。高速魔導船には彼女が信頼を寄せる技術士官が乗っており、応急処置であればこの場で施すことが可能だ。これなら恩返しの足しになりそうだと、褐色肌の少女は薄い胸を張るのだった。

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