080.真実と虚構④
午後の陽射しを背に受け、農業や物創りに勤しむ翼村の住民達。彼らは今日も平穏な1日を過ごしていた。しかし、突如として空から降りてきた巨大な影が日常を呆気なく崩す。驚いて腰を抜かしてしまった者、恐怖のあまり卒倒してしまった者――そういった村人達の悲鳴が溢れかえり、数刻も経たずに村中に阿鼻叫喚が伝播した。ただならぬ騒ぎを聞きつけたカムイとツバキは武器を携えて拠点を飛び出す。
「騒々しいのぅ……何事じゃ? 軍の連中がミコト様を捕らえに来たのであれば、ワシらが仕掛けた罠に反応があってもおかしくはないが……」
「村の者達は巨大な獣が出たと口にしている模様です。もしや……空の神獣様ではないでしょうか? ココノア殿達が何らかの接触を果たしたのであれば、その可能性もあるやもしれませぬ」
「馬鹿を言え、ツバキ。これまで姿を見せなかった太古の獣がこんな人里まで降りてくるはずなかろう。大方、血肉に飢えた森の獣じゃろうて。村人やミコト様達に害が及ばぬ様、ここで足止めするぞ」
「ハッ、承知しました!」
そうして颯爽と広場に駆けつけた2人であったが、滾っていたはずの戦意は一瞬にして消え去った。見上げなければいけないほどの巨鳥を前にすれば、それも仕方ないことだろう。山にも匹敵する大きさと、その全身から放たれる威厳に満ちた魔力は到底ヒト種の力でどうこうできるものではない。2人は武器を構えることも忘れ、息を呑んだ。
「なんじゃこれは……本当に神獣だとでもいうのか……?」
「大地の色を映した壮麗な翼、漆黒に輝く鋼のような嘴、そして触れる物全てを切り裂くという力強い足爪……まさしく言い伝え通りの御姿! 神獣様にお越しいただいたからには、出来る限りの歓待をせねば!」
「むぅ……お主はちと黙っておれ。神獣が何故ここを訪れたのか、慎重に見極めねばならん。もしアレがその気になれば、この一帯は無に帰すのだぞ」
初めて見る神獣に興奮するツバキとは異なり、カムイは冷静にその真意を測ろうとする。大いなる存在は静かに佇んでいるだけであったが、それでも気圧されるほどの魔力が垂れ流されてた。怯えた様子の村人達が遠巻きに様子を伺う中、カムイは刀を捨てて歩み寄る。
「神獣よ、失礼を承知でお尋ねする。斯様な貧しい村に何用で来られたのか? もし、数日前にこの村から北の山嶺へ向かった者達が失礼をしたのであれば、ワシが代わりにお詫びする。どうかこの老骨の命だけで、怒りを鎮めては貰えぬか?」
「何を言ってるでチュン……? オイラはただ――」
「あっ、レモティーお姉ちゃん達だ! おかえりー!」
神獣の言葉を遮ったのはユキであった。彼女もカムイ達同様に、騒ぎが気になって広場へとやってきたのだ。神獣の背に向かって笑顔で両手を振る狐耳少女を、カムイは慌てて抱きかかえる。
「姫様! ここは危のうございます! 直ちにお戻りを!」
「危なくはないよ、じぃじ! ほら、あそこを見て!」
ユキが指し示した方向を見てカムイは唖然とした。そこに見覚えのある馬車と、恩人達の姿があったからだ。
「お主ら、そこで何をしておるんじゃ……?」
「あ、カムイじゃない。うちら全員無事に戻ったから、ミコトにも伝えておいて。予定通り明日出発するから」
「チュンコさんにここまで送ってもらったんです! すごく快適でした♪」
「送ってもらった、じゃと!? よもやこんな事があろうとは、思いもせんだわ……全く、ワシの寿命をいくら縮めれば気が済むのじゃ」
そう呟くなり、カムイは力が抜けたようにその場で座り込んだ。気高い神の獣が背に人を乗せて飛ぶことなど、前代未聞である。しかも騎乗動物に近しい扱いを受けているというのに、巨鳥の方は怒るどころか楽しそうに少女達を触れ合っていた。森の民からしてみれば信じられない光景だ。
「さすが我らが英雄殿、神獣様すら手懐けてしまうとは! 我も神獣様と言葉を交わしてみたいみたいものです!」
「レモティーお姉ちゃん達は優しいから、きっとあの大きな鳥さんもお姉ちゃん達のことが大好きになったのかも? ユキもお友達になりたいな!」
ツバキとユキは瞳をキラキラと輝かせる。太古の獣を恐れない2人にジェネレーション・ギャップを抱きつつ、カムイは黒嘴の主を見上げていた。
――その頃、ディア・メトロス某所――
天井から床に至るまで白い壁で囲まれた無機質な通路――方向感覚を無くしそうな迷宮じみた道を1人の男性が進む。紺色の長髪を靡かせる彼は、マルロフ公爵家の右腕として暗殺や諜報任務を請け負っていた過去を持つ元賞金稼ぎだ。今は"ナナシ"を名乗り、ある目的を果たすため憲兵に扮して潜入調査を行っている。
(王宮広場の下に、これほどの堅牢な設備を有していたとはな。あの男、私が知るよりも多くの謎を抱えているようだ……)
ナナシは壁を構築する白色の魔鋼板を一瞥して、その用途に考えを巡らせた。オキデンスにおいて潔白を意味する白色の壁材は貴族や商人が好んで使うため、珍しいものではない。ただしそれらは石灰を材料とした漆喰が主流だ。古代ドワーフ族の遺跡に酷似した光沢のある板で通路を覆う事など、極めて稀である。
(これらは耐久性だけなく、魔力の遮断性能にも優れる素材だ。何かの実験設備があると見ていいだろう)
彼の予感は的中する。通路を進んだ先にはいくつかの扉が点在しており、それらは"魔術研究室"、"人体改造室"、"多目的実験室"という旨の文字が書かれた札によって用途が区分されていた。小窓すら付いていないため内部の様子を伺うことはできないが、相応の役割を持つ部屋であることは類推できる。
(入口は魔紋照合による閉鎖が施されているな。見張りの1人も立たせていないのは、これに絶対の自信があるからか)
堅固な銀扉には把手らしきものも見当たらない。しかしナナシはその解錠方法を熟知していた。"魔術研究室"の中に誰も居ないことを探知魔法で確かめた後、扉に微弱な魔力を流し込みながら当たりをつける。
――カチャリ――
たった数秒の試行で施錠装置の外れる音が響いた。直後、金属の板が自動で横にスライドし始める。特定の波長を持つ魔力を与えることで鍵が解除される仕組みはエルフ族が編み出した難解な術式が元になっており、本来であれば管理者以外が解錠することは不可能だ。だが各地で工作員としての任務を果たしてきたナナシは魔力の波長を自在に変える術を体得していた。
(魔術研究室というだけあるな……魔石や魔導書にかぎらず、魔道具の類も多く保管されている。この部屋にある資料だけで、ディマ・メトロスの一等地に豪邸が立つだろう)
壁に並んだ棚には世界各国から集められたであろう魔法に関する資料や、遺跡から発掘されたと思しき禁書が鎮座する。そしてそれらを照らすのは天井に施された眩い照明装置だ。地上と変わらない環境が構築された部屋は地下とは思えないほどに広く、莫大な資産が投入されたことを伺わせる。
(……この書物、他のものとは違うな。ごく最近に扱われた形跡がある)
ナナシは本棚にあった紫色の背表紙を持つ古書へ手を伸ばした。そこから禍々しい魔力の残渣を感じ取ったからだ。見た目以上に重い冊子は古代エルフ語によって記述されていたものの、彼は難なく読み解く。人間族でありながらも他種族の固有言語を解読できる知識量――それは古代人リーデルに使役されていた500年で身に付いたものである。
(破滅への導き……古の禁術か)
紫の書に記されていたのは、命を刈り取る事を目的とした禁忌の魔法だった。数千年前に魔族に対抗するため生み出されたその術式は、かつて殺戮魔法という忌み名で呼ばれていた事が記載内容から分かる。
(魂を触媒にして冥府に至る深淵を開き、敵対者を引き摺り込むことで回避不能な死を与える……理論通りであれば、ヒト種が魔族に対抗することも可能だろう。しかしこの制約を考えると、実運用は相当困難であったはずだ)
"破滅への導き"に潜む致命的な欠点に気付くナナシ。彼はその内容を頭の中で整理した。まずこの魔法は発動に大量の魔力を消費するため、極めて素養のあるごく一部の魔法使いにしか使えない。さらに生贄となる者が術を行使する主に対して、魂の従属契約を果たしている事が条件とされていた。
(おそらく後者はエルフ族以外に術を使用させないための保険と考えて良い。世界樹を祀っていた古代エルフの国では"樹幹"と称される1人の長に対して、枝葉である民が自らの全てを差し出すことを国是としていたと聞いた事がある)
古代エルフの民は純然たる始祖と呼ばれる一族を特別視しており、その長である君主に命すら喜んで献上するという独特の文化を持つ。一方、そのような風習を持たない他の種族が仮に禁術の解読に成功しても、禁術を行使することは不可能だろう。魔力消費に関しては他者から魔力供給を受ければ解決できる見込みもあるが、生贄に選ばれた者達が疑念を持つこと無く術者に命を預けることができるかというと、そうではないからだ。
(だが私はこの条件を満たすことができる者を知っている。呪いの印により他者の魂を支配できるあの男であれば、大量の生贄を用意することなど容易いはず)
"隷属の刻印"が持つ効果に思い至り、ナナシは眉を顰める。マルロフ公爵家を乗っ取って莫大な富と権力を手中に収めたリーデルは、西大陸の亜人達に魂を束縛する呪印を刻むための大掛かりな装置を作り出した。隷属の刻印と称されるそれには主の代わりに命を差し出す宣誓の術式が施されており、リーデルの身代わりとなることを宿命付けられている。
(この本から漂っているのは奴の魔力に間違いない。恐らく、奴隷の亜人達を使って術式の実験をしたのだろう。ここに痕跡がないところを見ると、別の部屋だろうか)
ナナシは古書を本棚に戻して"魔術研究室"から出た。そして隣接する"多目的実験室"へと足を踏み入れる。先程同様に誰も居なかったが、中央付近には堅牢な鉄格子で囲まれた檻が2つ設置されていた。異様な魔力の残り香に混じって、微かな血の匂いが漂う。
(これは……亜人のものだな)
檻の中に落ちていた布の切れ端を床から拾い上げるナナシ。彼はその特徴から檻に入れられていたのが奴隷であることに勘付いた。さらに隣の檻では鉄格子の一部に乾いた血痕が付着しており、収容された犠牲者が必死に逃げようとしていた事実を物語る。
(奴の性格ならば、実験記録を必ず残しているはずだ)
ナナシは実験室に散らばる装置の数々に視線を向けた。様々な珍品が集まる商業大国において、映像を記録する道具はさほど珍しいものではない。遺跡から発掘された古代の魔道具は富裕層に人気があるため、市場に流通し易いのだ。彼の推測通り、実験の一部始終を収めたであろう装置が部屋の片隅に佇んでいた。
(やはりあったか、空間抽出装置)
魔法によって錬成された特殊な宝玉を中央に据えた四角い箱――それは情景を切り取って保管するという意味から、空間抽出装置と呼ばれている。魔力を流し込むことで誰でも簡単に操作することができ、記録した映像を任意に再生する事が可能だ。ナナシは箱に手を触れ、最新の記録を呼び出した。
――ブォン……――
深い藍色に染まった宝玉が輝き、白い壁に向けて光を放つ。それは徐々に楕円の形へと変化していき、照らされた枠の中に滑らかな映像を投影し始めた。記録されていたのはこの部屋で行われた悪辣な実験の一部始終だ。
『俺たち、これからどうなるんだ……?』
『知らないわよ。でも黙って従うしかないじゃない』
最初に映し出されたのは、牢に囚われた10人近いの亜人奴隷の姿である。その後、箱の向きが変わったことで、その隣にある別の牢も同様の状況であることが判明した。これから起こるであろう惨劇を知らない彼らは、まだ抵抗する素振りを見せない。
『実験の準備が整いました、マルロフ公。贄が左側、術の対象が右側の牢となります。術式始動のため一旦動力を全て破滅への導きに回しますが、ご容赦を』
『ああ、構わないさデケンベル卿。結界が少しばかり途切れたところで問題は無いからね。遠慮なく進めてくれ』
姿こそ映ってはいないが、映像にはサンディクスとデケンベルの声が含まれていた。"破滅への導き"という言葉が出てきたことから、禁術の実用化において主要な役割を果たしていたのがこの2名であることが判明する。
『それでは実証実験を開始します。次元結晶の出力を全て破滅への導きへ供給……術式の展開を許可』
デケンベルの宣言と共に、非常灯以外の照明が消えて部屋は薄暗くなった。それと時を同じくして、左側にあった牢の床に不気味な暗紫色の影が広がっていく。やがてそれは泥状の沼地を形成し、亜人達の足に絡みついた。
『ひぃっ! なんだよこれ……身体が沈んでいくぞ!?』
『手足に力が入らないっ……! いやぁ、こんなところで死にたくないの! 助けてください、貴族さま!』
恐怖に顔を歪ませた亜人達は、必死に鉄格子を握りしめて泣き叫ぶ。しかしそんな彼らを嘲笑うようにして紫の沼から灰色の腕が伸び、彼らの四肢を縛ってしまった。こうなればもはや抵抗する術はない。膝から腰、腰から胸……亜人達は沼へと引き摺り込まれ、二度と浮上することはなかったのである。まさしく古書に記されていた冥府に至る深淵だ。
『第一段階完了、魂は全て贄となりました。第二段階も既に完了し、殺戮魔法の発動準備が整っています。マルロフ公の見立て通り、隷属の刻印があれば魂の従属条件を満たせる模様です』
『フッ、そうでなければ困るよ。世界各地から次元結晶を買い集めてまで、亜人達に刻印を与えてきたのだからね。さあデケンベル卿、最悪の禁忌と称された魔法の威力をこの眼で見ようじゃないか』
「承知しました。それでは最終段階として右側の檻に冥府を顕現させます。破滅への導き、発動!』
古代魔法への期待を孕んだ声と共に、"破滅への導き"が片方の檻へと放たれる。すぐ隣で起こった惨劇を見ていたのもあり、奴隷達は大声で助けを求めた。しかし術式が止まる様子はない。亜人達の足元に漆黒の魔法陣が出現し、そこから無数の腕が這い出てきたのだ。
『なんだよ、この腕! 魔物か!?』
『こっちに寄るな! 寄らないでくれぇ!!』
悲鳴が部屋中に響き渡る。贄となった者達が仲間を求めているかのように、灰に染まった腕が生者を掴み、床に引きずり込んだ。その先にあるのは生贄達を飲み込んだ暗紫色の沼――冥府と呼ばれる魂の終着点である。本来は死者が辿り着く場所であるが、生きながらに堕ちてしまえば最後、生は死へと反転してしまう。
『アァァァ!!! 死にたく無いぃぃ!!』
『もう嫌だ! 殺すなら、ひと思いにやってくれぇぇ!』
肉体を構築する細胞が死に絶えたことで皮膚が腐り落ちてしまい、骨や内臓が剥き出しとなった彼らは悶え苦しんだ。もはや不死者同然の姿ではあるが、そんな状態になってもなお彼らの多くは理性と痛覚を有していた。唐突な死を受け入れられずに、魂が抗おうとしていたからだ。だがそれは苦痛を伸ばすだけでしかない。しばらくの間、耳を切り裂くような絶叫が続いた。
『なかなか面白い術じゃないか。戦場で亡者の叫びが響き渡れば、敵兵の戦意を削ぐのにも貢献するというものだよ』
『……申し訳ありません。どうやら検証用に術式を分割した事が裏目に出たようです。冥府が肉体に及ぼす作用が遅くなったために、御耳を汚すことになってしまいました。文献によると、本来は即死に近いはずなのですが……」
『いや、このままで構わない。式典で披露するなら、これくらいの派手さがあった方が良いからね』
強制的に命を刈り取られる亜人達の最期を見届けながら、貴族達の話題は式典へと移る。ナナシは会話内容に神経を集中させた。
『お待ちください、建国式典で破滅への導きを使うという話は初耳です。詳しくお聞かせ願います。仮にこの禁術を行使すべき相手がいるとすれば、魔王を屠ったという帝国の大使達でしょう。しかし彼女達の排除が完了したと仰っていたのは、マルロフ公ご自身ではないですか?』
『ああ、その通りだ。僕の忠実なる下僕が任務を遂行した結果、大使殿一行は仲間割れの果てに3人が死亡するという末路を辿った。残った1人も罪の意識に苛まれて自ら命を絶ったという報告を受けているから、僕達にとって厄介な存在は全て消えたことになる』
『では何故……?』
『フフッ、そんなに事が上手く進むとは思ってないからさ。相手はアスタロトを倒した化け物だ。僕の下僕に嘘の報告をさせた可能性も捨てきれない。だから念のために備える必要があると思ってね。建国500年を祝う大事な式典なのだから、万全を期すのは当然だよ』
『なるほど、お考えは理解しました。しかし贄となる者達はどうするのです? 術の効力が届く範囲に集めておく必要がありますが、式典は王宮広場で行われます。奴隷の立ち入りが禁止されている以上、堂々と連れて歩くわけにはいきません』
デケンベルの疑問は当然である。建国式典が行われるのは、奴隷の侵入禁止が掲げられた上流区だからだ。市民議員の資格を与えられた亜人が通行許可を得た稀有な事例はあるが、通常なら奴隷身分の者は覗き込む事すら許されない。いくら公爵家といえども、王宮広場に奴隷の集団を連れて入るなど言語道断だろう。しかしサンディクスは余裕を含んだ声でデケンベルの懸念を否定する。
『その点について心配は要らない。式典の開催に合わせてミコトが奴隷解放を国王に訴える計画があると小耳に挟んでね。亜人解放団の構成員も少なからず式典に押しかけてくるだろう。勿論、軍に制圧されないよう配慮もしてあげるつもりだよ』
『まさか、わざと亜人達の侵入を許すのですか……?』
『人聞きが悪いな、デケンベル卿。僕はただ、実演に使えそうなモノがあるなら、喜んで利用させて貰うだけだけさ。魔導技術の粋を集めて再現した古代魔法で、国家転覆を測った帝国の罪人と暴徒と化した亜人を制圧する……よく出来た物語じゃないか。国賓達にオキデンスの恐ろしさを植え付けつつ、帝国との戦争へ向けて機運を高めるなら、これ以上無い妙案だろう?』
『他国への牽制が目的でしたか。確かに破滅への導きを目の当たりにすれば、他国の大使達は国主に"オキデンスの魔導水準は驚異である"と報告せざる得ないでしょう。帝国と事を構えている間に手出しさせないための牽制としては十分かと』
『理解が早くて助かるよ。とはいえ、あの少女達の生死が定かではないことも事実だ。もし報告通りの顛末であれば、術の対象を亜人解放団にしよう。それなら当初の筋書き通りに話を進める事もできるからね』
サンディクスが語った"当初の筋書き"――それは国賊である亜人解放団と共謀した罪を大使に被せて処刑した上で、治安維持の名目で亜人解放団を一掃するという残忍な策謀であった。そこには式典パレードをスラムに差し向けて残党狩りを行う予定も含まれている。
(やはり私の報告を全て信じていたわけではなかったか)
投影された映像を見つめながら拳を握り締めるナナシ。彼はリーデルが用心深い事を知っていたため、報告内容が疑われる可能性を考慮し、真偽の確認が取り難い方法で報告を済ませている。これにより時間稼ぎという目的は果たせたものの、少女達を警戒したリーデルが禁忌とされる魔法まで用意するとは考えていなかった。
(この事を速やかに報告せねばな……)
空間抽出装置で知り得た情報は、メル達の命運を大きく左右するものだ。依頼された式典会場の調査結果に加えて、"破滅への導き"に関する内容を確実に伝えておかなければならない――そう考えたナナシは実験記録の再生を中止して立ち去ることに決めた。しかし伸ばされた彼の手はピタリと止まる。箱から興味深い会話内容が聞こえてきたからだ。
『ところでデケンベル卿、君に折り入って頼んでおきたいことがある。最近、オクトーベル卿の動きが怪しくてね。しばらくの間、彼を見張っててくれないか』
『……彼は親帝国派ですからね。今回の件について反感を抱いている様子が見て取れます。ですが、マルロフ公に逆らうなどという愚かな道を選ぶとは思えません』
『僕もオクトーベル卿が裏切るなんて思いたくはないよ。ただ、彼が帝国との太いパイプを持っているのは確かだ。オキデンスの機密を手土産にして亡命する可能性だってある。実害が出そうだと判断したら、君の手で始末してくれて構わない。後の処理はこちらで受け持つからさ』
『そこまで頼りにしていただけるのであれば、応じる他ありませんね……承知しました。式典までの数日間、オクトーベル卿の監視は私にお任せください』
そこで音声はブツリと途切れ、宝玉の輝きは消えた。記録内容を全て投影し終えたのである。目的を果たしたナナシは踵を返して実験室から立ち去った。
(オクトーベル卿……確か、穏健派の貴族議員だったか。帝国との繋がりが深いのであれば、彼女達にとっても無関係ではない……見殺しにはできないな)
足音を殺して通路を進みながら、彼は最後に聞いた会話内容を振り返る。メル達がデクシア帝国の大使としてオキデンスへやってきた経緯を詳しく知っているわけではないが、親帝国派であるオクトーベルの存在は無視できなかった。サンディクスによって粛清される前に救い出すべきだと、冒険者稼業をしていた頃の勘が囁く。
(この直感を信じよう。今の私は"冒険者"なのだからな)
大先輩と呼んでくれた幼い冒険者の顔を思い浮かべ、ナナシは口元を緩めた。魔物との融合が解除されたことで元の姿に戻ることはできたものの、彼が家族と仲間を手にかけてしまった過去は消えない。リーデルへの復讐を果たすまで、憎しみと後悔に塗れた仄暗い日々が待っていたはずだ。そんな哀れな男に進むべき道を示したのがメルであった。もっとも、本人はそこまで考えていなかっただろうが。
(後輩よ、私はやるべき事を果たしてお前達の到着を待っているぞ)
心の中でそう呟き、ナナシは出口へと続く扉に手を掛ける。地下設備には多くの監視装置が導入されていたが、そのどれもが侵入者の存在を検知できていなかった。例え施設の主であるサンディクスであっても、彼が訪れていたことには気づかないだろう。暗殺者兼スパイとして500年に及ぶ役務を果たした彼の潜入術は、神業と言っていい程に研ぎ澄まされていたのである。
――翌朝、シニストラ自治区内 翼村――
眩しく照りつける朝日を手で遮りながら、レモティーは青空を見上げた。雲1つない快晴であり、風も心地よい。ディア・メトロスに向かうには絶好の出発日和だ。
「ふぅ……荷台同士の連結に問題はなさそうだし、これで全員乗れそうだ」
彼女は村の広場を使って自身の馬車に追加の車両を接続していた。4人旅なら今の荷台だけで十分であったが、ミコトやカムイ達も乗せるとなると手狭になる。そこで新たな荷車を準備したのだ。座席を設けた木箱に車輪を取り付けた簡素な造りではあるが、レモティーが製造した油圧サスペンションを車輪の軸受部に採用しており乗り心地は悪くない。おまけにドリンクホルダー付きの木製テーブルも付属した豪華仕様となった。
「さてと、そろそろみんなを呼んで――」
「レモティー様、ついに出発されるのですね」
達成感で顔を綻ばせるレモティーに声を掛けたのは翼村の村長であった。水牛の獣人であるため頭から荒々しい角が生えているが、そんな見た目に反して温厚な性格の持ち主だ。ミコト達の境遇を知り、一軒家を快く提供してくれたのも彼である。
「ああ、村長! 色々と助かったよ。借りてた空き家はできるだけ掃除して次の人がすぐ使えるようにしておいたけど、一応宿代としてお金も置いてきたから後で回収しておいて欲しいな」
「いえいえ、とんでもない! 金銭など受け取れません。レモティー様やそのご友人達に助けていただいたのは我々の方です。あの家はそのままにしておきますので、お立ち寄りの際はご自由にお使いください」
そう言って村長は深々と頭を下げた。シニストラ自治区に点在する亜人達の村はどこも貧しく、この村も例外ではない。しかし滞在の合間に少女達が助力したことで翼村における農作物の収穫高は劇的に改善され、食糧不足とは無縁になった。さらに危険な獣の討伐、村道の整備、病気の治療といった仕事も引き受けていたため、村民達からは救世主を崇めるような態度を向けられている。それはMMORPGプレイヤーによくある"村民の依頼事は全部消化しておきたい"という思考が働いた結果でもあるのだが、村の人々からしてみれば感謝の気持ちしか無いだろう。
「そういえばレモティー様に作っていただいた果樹園に不思議な果実ができておりました。何かの吉兆のように思えましたので、出立のお供としてお渡し致します」
「ん……不思議な果物? あそこにはリンゴとモモとレモンくらいしか植えてなかったと思うんだけどなぁ」
レモティーは首を傾げつつ村長から手渡された果実に視線を向ける。それはレモンと同じ形状である一方、表面が烈火の如き赤色に染まっていた。さらに表面はツルツルしており、独特の光沢を纏う。一見すると奇妙な突然変異種であるが、彼女はこの見た目に覚えがあった。
「これって、もしかして……!」
「超デカデカの実じゃないですか!」
支度を終えて出てきたメルがレモティーの元へ駆けつける。実際に"超デカデカの実"を口にしていただけあって、彼女の反応は一足早かった。超デカデカの実はNeCOにおいて存在していた超レアアイテムの1つだ。ファームと呼ばれる農園施設において0.05%の確率でランダムに出来る品であり、食すと一時的に身体サイズが10倍になるという不可思議な効果を持っている。かつてリギサンで1個だけ収穫できたが、それ以来目にすることはなかった。
「メルもやっぱりそう思うかい? 0.05%って低すぎると思ってたけど、案外そうでもないのかな」
「うーん、NeCOでは出現したって記録が無かったらしいですし、やっぱり珍しいものだと思います。多分、この実ができる条件が別にあるんですよ!」
「条件? 攻略Wikiにはそんな記述無かったけども……ひょっとして異世界っていうのが大事だったり?」
「ふふっ、それもあるかもしれませんけど、私が感じたのはもっと別の事です。前に超デカデカの実ができた時、その場所では大勢の人達が笑顔になっていました。だから、きっとその実にはレモティーちゃんに対する感謝の気持ちが詰まってるんですよ!」
「感謝の気持ち、かぁ……あはは、面と向かって言われるとなんだか照れちゃうね。でも本当にそうだとしたら、ボクも嬉しいな」
小さな牙を覗かせた愛嬌のある笑みに、豊穣の乙女もつられて破顔する。彼女が衰退の一途を辿るリギサンの山村を救った時も、今回同様に幻のレアフルーツが実った。面倒を見てくれた老夫婦に恩返ししたいという気持ちで始めた農園なので、何かの見返りを求めていたわけではない。それでも村民の想いが形となって力を貸してくれたのだと思うと、レモティーの心は暖かくなった。
「ありがとう、村長! これは有り難く貰っていくよ」
「ご武運を祈っております」
村長に見守られながらレモティーは馬車の操縦席へと登る。左右に取り付けたサイドミラーには馬車に向かって歩いてくるココノアやミコト達の姿が映っていた。出発の時は近い。
「よーし、みんな乗り込んだら出発しよう!」
「はいっ! 安全運転でお願いしますね♪」
少女達の眼差しは商業大国オキデンスにおける物語の終着点――首都ディア・メトロスへと向けられるのであった。




