008.異世界研修④
「ちょっとメル……他人の部屋に入る時はノックしなよ」
「あっ、ごめんなさい! リエーレさんに合格を貰えたのが嬉しくて、つい……」
照れた様子で獣耳を撫でるメルに、ココノアは呆れたような表情を浮かべていた。一方、同じく書斎にいたセロは驚いた様子で口を開く。
「リエーレが合格を言い渡した、ということは……まさか彼女に模擬戦で勝ったのか?」
「ええ、なんとか! そりゃもう、すごく強かったんですよリエーレさん!」
「そうか……本当に、大したものだ」
口ぶりの割に疲れた素振りすら見せない少女に、表情を緩ませるセロ。今は主人と侍女という関係であるが、かつて共に火竜を倒したリエーレの実力はよく知っている。その彼女が認めたという事実は、メルが一人前の冒険者として生きていける事の証左に他ならなかった。
「ならば最初の約束通り、ここを出ていくのだな」
「ま、そうなるかな。メルも"それなり"にやれるようになっただろうし、ね」
そう言ってメルの肩をポンポンと叩くココノア。1ヶ月前に彼女がこの館に来た時、セロとある約束を交わしていた。それは『メルの実力が元凄腕冒険者であるリエーレから認められたら、館から旅立つ』というものであった。模擬戦でリエーレにメルが勝ったということは、この条件が満たされたことを意味する。
「お前達にはやるべきことがあるのだったな……もう引き留めはしまい。お前達にはお前達の生き方があるのだから」
「ちょっと急だけど、明日の朝には出発するよ。居心地よすぎて出て行きたくなっちゃいそうだしね」
「えっ、もう出ていっちゃうんですか!? もう少しゆっくりしていっても――あうっ」
名残惜しそうな表情を見せたメルの額を、ツンと指先で小突くココノア。
「何いってんの。"どんな世界でも"時間は有限なんだから、無駄に過ごしてる余裕なんてないっての」
「それはそうですけども……」
「で、さっき何か言ってなかった? お風呂がどうのとか」
ココノアの言葉にハッとしたように口を開けるメル。すぐさま伝えるべきがあったことを思い出して説明を始めた。
「リエーレさんがお風呂を準備してくれてるんですけど、その前に髪を切り整えてくれるらしいんですよ。ほら、ここに来てから結構伸びてるじゃないですか」
「あー……確かに伸びたっちゃ、伸びた気もするなぁ」
腰まで伸びたベージュの長髪を手に取るココノア。この世界に来た時点で長かったが、この一ヶ月でさらに伸びてしまっており少々不便に感じていた。同じくメルのピンク色の髪も伸び放題になっていたので、ともすれば2人とも野生児に見えかねない風貌になってしまっている。
「ダークエルフの一族には、成人を迎えた子の髪を親が整えてから送り出す風習があってな。おそらく、彼女なりの祝いなのだろう」
「へぇ、そうなんだ。そういうことなら、お言葉に甘えちゃうかな。ほら、リエーレのとこへいくよメル」
「あっ、まってくださいよココノアちゃん! まだどんな髪型にしてもらうか決めてないんですけど!!!」
書斎を出てスタスタと1階へ向かうココノアと、それを追いかけるメル。そんな賑やかな少女2人の後ろ姿を見ながら、セロは自分からも何も贈り物をしたほうがいいかもしれないなと、柄にも無いことを考えるのであった。