077.真実と虚構①
――ゴォォォォ!――
薙ぎ払われた翼によって生じた竜巻が轟音を轟かせる。風属性の魔力によって強化されたそれは岩石すら簡単に砕き、少女達に向けて鋭い破片を飛ばした。
「ココノア、危ない!」
咄嗟にレモティーが蔦でココノアを包み込む。幾重にも連なった緑の壁は石の礫を全て防いだ。しかし大地を切り刻む旋風相手となると、レモティーのスキルでは分が悪い。ココノアは片手を突き出して魔法を繰り出した。
「新星爆発!」
詠唱完了と同時に出現した眩い光球が、竜巻に向かって飛翔する。無数の風刃を突破して渦の中心に飛び込んだ魔力塊は、激しいスパークを生じて内側から暴風の流れを破壊した。攻撃が打ち消される様子を目の当たりにして、神獣は目元をピクリと動かす。
「あの魔法は厄介でチュンね……! まずは魔法使いから仕留めてやるチュン!」
怪鳥は足で大地を蹴り、軽々と跳躍してみせた。巨体に似合わずその動きは俊敏で、瞬く間にココノアの眼前に迫る。
「オイラを怒らせた事を後悔するといいチュン! 雀神螺旋衝!」
聞き慣れない技名が響き渡った刹那、大きな嘴が削岩機のように回転し始めた。構造上不可能と思われる嘴の螺旋運動は、白みがかった渦流を纏うほどの高速に達する。レモティーが再び蔦での防御を試みたが、ドリルは容易く壁を貫通してココノアへ襲いかかった。
「クチバシが回るってどんな作りしてんのよ……多重転移加速!」
転移魔法を連続使用し、攻撃を回避するココノア。しかし今の彼女は転移魔法の効果を増幅させる杖を持っていないため、座標指定できる範囲が普段よりも狭い。多少移動したところで、巨鳥にしてみればまだまだ攻撃範囲内だ。隙ありとばかりに追撃を加える。
――ダァァァン!――
大地に突き立てられた嘴はミキサーのように岩盤をバラバラに砕いた。その衝撃によって尖った岩が次々に隆起し、地中を走る竜の如き様相でココノアを喰らおうとする。回避が間に合わない事を察して舌打ちした彼女だったが、その眼前に別の人影が飛び出した。
「あたしに任せて」
窮地に陥った友人を救うべく動いたのはリセだ。神獣の初撃によって生じた岩の破片――2メートルほどの細い石柱を右手で拾い上げると、腕に力を込めて鋭い一閃を放つ。
「真空波斬」
三日月型の斬撃が飛翔し、盛り上がった岩塊を食い止めた。そのおかげでココノアは虎口を脱したが、剣に見立てて振り抜かれた石片は反動に耐えきれず砕け散ってしまう。
「ん……本物の剣じゃないとダメ。一旦武器を取りに戻ったほうが良いと思う」
「リセ、ナイスフォローだ! 馬車を攻撃されるのは避けたいから、ここで応戦しよう。ココノア、低威力の魔法だけで弱らせる事はできるかい?」
「このデカブツ相手に手加減して戦うの? やりにくくて仕方ないんだけど!」
「そう言わずに頼むよ! ボクの蔦じゃ拘束する前に逃げられそうだし、どうにかして神獣の戦意を削ぐしか無い!」
「まったく……エルフ使いが荒いんだから」
上空を見上げると、ココノアは転移魔法を小刻みに発動しながら神獣の頭上へと飛んだ。狙いを定めさせないように左右へのフェイントを挟みながら、巨大な翼に向かって小さな魔法弾を撃ち込む。
――ドドドドドッ!――
ガトリング砲にも似た魔弾の一斉掃射。着弾ごとに小爆発を引き起こすエネルギー塊は、茶色の羽に少なくない衝撃を与えた。しかし翼の表面を覆う風の鎧がクッションとなって本体へのダメージを軽減してしまう。魔法に対する神獣の防御力は並大抵の魔物を遥かに上回っていたのだ。
「その程度でどうにかなると思ったら大間違いでチュンよ! 空を支配するオイラの力を舐めない方がいいチュン!」
魔法攻撃を全て受け止めても巨大スズメは無傷だった。より高位の術式であれば有効打を与えることもできるが、それでは致命傷を与えかねない。仕切り直しを迫られた彼女は一旦引き、レモティーの隣へと移動した。
「ああもうっ! 手加減してやってるんだから大人しろっての! ねぇ、もうアレ倒しちゃってもよくない? メルの回復があればなんとでもなるでしょ?」
「いやいや、倒しちゃうと禍根を残すと思うなぁ……出来ればあっちから降参したくなる程度にダメージを与えて、萎縮させたいところだけど」
「あのデカスズメに力の差を見せつけろってこと? 言っとくけど、杖がないと座標指定しにくいから地形だけを破壊するのは結構難しいわよ」
一瞬、ココノアの返事にレモティーは疑問符を浮かべる。その後すぐに彼女が言いたかった事を理解し、納得したように頷いた。
「ああ、杖って座標の指定を補助する役割もあったのか……確かに棒状の道具があった方が着弾点をイメージし易いかもしれないね。細かい調整が効かないなら大技で攻撃するのは止めておこう。今は回避に専念して相手がバテるのを待つんだ!」
散開して巨大スズメを翻弄する少女達。ココノアやリセが実力を発揮すれば神獣を倒すのは容易いが、異世界の歴史を聞き出す必要がある以上、無闇に反感を買うことはできない。しかし手加減して戦うには少々辛い相手でもあった。巨体を生かした攻撃の数々は範囲が広く、避け続けるのが困難だからだ。
「ちょこまかと動き回っても無駄でチュンよ! 辺り一帯ごと風の檻に閉じ込めてやるチュン!」
そう叫ぶと神獣は羽ばたいて上空へと飛翔した。少女達が吹き荒れる強風と飛来物に気が取られている間に、その姿はかなり小さくなる。
「これがオイラの最強技、雀神大旋風でチュン! もうお前達はここから逃れられないチュンよ!」
雲を突き抜け、高高度に陣取った巨鳥は高速でグルグルと旋回を始めた。同時に温泉地の水蒸気が時計回りに渦を巻き、少女達を囲む極大のサイクロンへと変貌する。
「あの位置から竜巻を起こせるっていうの!? 無茶苦茶じゃない!」
「ああやって風の流れを作って、それを魔力で増幅させてるんだと思う。物理法則だけじゃ説明できないよ、これは……!」
「ん……この風、厄介だね。外に出られなくなった」
突如として現れた竜巻は物体を渦の中心に引き寄せる強い力を伴っていた。中心に行くほど気圧が下がるため、内部では常に内向きの風が吹く。故に外へ向けて攻撃魔法を放った場合、自分達もその余波を受けてしまう可能性が高かった。
さらに外周部では岩や熱水を含んだ風の障壁が視認困難な速さで回転しており、近づくだけで相当なリスクを抱えることになる。脱出するには転移魔法を使うしかないと判断したレモティーは、ココノアに視線を向けた。
「ココノア、ここから外まで転移できないかい? ボク達を1人ずつ連れて移動してくれれば離脱できると思うんだ」
「視界が悪すぎて無理。転移先に何もない事を確認できないと迂闊に跳べないのよ。かといって、上にいるアレを撃ち落とそうにも射程が足りないし、お手上げね。スズメのくせして結構考えてるじゃない」
「そうか……リセもスキルが使えないと突破は無理そうかな?」
友人の質問にコクンと頷くリセ。彼女の腕前であれば竜巻を斬って出口を作ることも可能だが、グラディエイターの攻撃スキルは武器の装備が前提条件であるため、今の状況では対処しようがない。残る選択肢は防御スキルで耐え凌ぐ事だけだ。
「よし、それならボクが捻れ蔦の護り繭を展開しよう。蔦がダメージを肩代わりしてくれている間は安全が確保できると思う」
「飛んでくる物体だけならそれで防げると思うけど、上からあの鳥が直接仕掛けてきたら厳しくない? ドリルみたいなクチバシで貫通されそうだし、うちの硬化の魔気も重ねておいたほうが良さそうね」
「ああ、そうしてくれると助かるよ! 防御スキルを多重化しておけば万全だ。そうと決まれば早速――」
「ん……そんな事しなくても大丈夫みたい。ほら」
唐突にリセが南を指差す。はっきりとは見えないものの、竜巻の向こう側には人の形をしたシルエットが透けていた。その人物がパーティメンバーであることを確信したココノアとレモティーは、同時に彼女の名前を叫んだ。
「「メル!」」
「あっ、みなさんはこの中にいるんですね?」
「そうなんだ! 3人とも閉じ込められちゃったんだけど、脱出する手段がなくてね。メルの方から干渉できないかな? ほんの少し、流れを緩めてくれるだけでもいいからさ!」
「今すぐ何とかしますから、少し待っててくださいな! そぉい!!」
一風変わった掛け声が聞こえた直後、竜巻は破裂するようにして爆ぜた。その急激な気圧変化によって生じた突風が山嶺を吹き抜ける。運ばれていた大量の瓦礫も渦の束縛から開放され、遥か遠方へと散った。
「えぇ……あんな大きな竜巻でもこんなにあっさり消えるのか……」
「メルが異常なだけだと思うわよ……」
風の檻が呆気なく消え去った様子を見て、レモティー達は唖然とする。本来、雲まで届くような巨大竜巻を打ち消す事は不可能に近い。地球においても古くから台風やハリケーンを破壊する研究が行われていたが、必要となる核弾頭の数が現実的ではない事が判明し、計画が頓挫した事からもそれは明らかだ。
しかし身体能力が物理法則の限界を超えていれば話は別である。物理パラメータを伸ばした殴りヒーラーのステータスと、獣人族の筋力補正による相乗効果は不可能を可能にした。
「こんなところでも竜巻なんて起こるんですね? 温泉に入ってる時じゃなくて良かったのです。作ってもらった水着が破れたりしたら大変ですから!」
腰を深く降ろし、拳を正面に突き出した姿で呟くメル。この構えはカムイから教わった武術の1つ――"獣王正拳突き"を繰り出すための体勢であるが、彼女は伝授された技をスキルとして習得していたわけではない。教わった通りの手順で拳に力を乗せただけだ。従って単なる素殴りに等しいのだが、暴力的なステータス値に格闘術の基礎が加わった事によって、メルの一撃はもはや計測不能な威力と化している。
「な、何事でチュン!? オイラの風が打ち消されるなんて有り得ないチュン!」
天災を自在に引き起こす神の獣であっても、破壊の権化相手では狼狽えずにいられなかった。これまで相対することの無かった強大な敵に焦りを見せつつ、竜巻を消し飛ばした張本人が桃色の髪を持つ獣人であることを突き止める。
「あの髪色、アイリス様に良く似てる気がするでチュン。ひょっとしてアイリス様の……いいや、そんな筈は無いチュン。神核を失ったアイリス様が蘇ることはもう無いチュンよ……」
迷いを振り切るように神獣はブンブンと首を振った。そして意を決した様子で翼を大きく羽ばたかせる。
「だからアレはアイリス様を騙る不届き者に違いないチュン! 原初の獣であるオイラが直々に成敗してやるチュン!」
鋭い眼光をメルに向けると、神獣は黒光りする嘴を突き出したまま一直線に急降下を開始した。
「オイラ達を創ってくれたアイリス様を貶める奴は、絶対に許しておけないでチュン! 必殺、雀神流星嘴ッ!」
風属性の魔力操作により空気抵抗を限りなくゼロに近づけた突撃――純粋な運動エネルギーの塊と化した巨躯は流星の如き様相を呈する。地面に衝突することも厭わない神獣の大技が炸裂すれば、温泉の窪地とは比にならない巨大クレーターができるはずだ。しかし、その絶大な威力と引き換えに攻め手が受ける反動は少なくない。それを覚悟した上での自爆攻撃であった。
「わぁ! 大きくて可愛いスズメさんですね! でもその勢いで落ちてくるとケガしちゃうかもしれませんから、私がしっかりキャッチしてあげましょう!」
片や、メルは両手を空に向けて突き出す。神獣の巨体を自らの腕で受け止めるためだ。圧倒的な質量差を考えれば、誰であっても無謀だと嘲笑するだろう。しかし彼女は自分のことよりも他者を思い遣る心優しい少女である。神獣がケガを負ってしまう可能性のある手段は真っ先に除外し、自ら最善だと導いた答えを実践した。
「あんな奴、地面に激突させとけばいいのに……ま、メルならそうすると思ったけど。一応ダメだった場合に備えて、防御魔法をスタンバイしとくわよ」
「あはは、メルなら例え隕石だって上手くキャッチできそうな気がするよ。ボク達もフォローするから、心配は無用だ!」
「ん、メルは筋力と体力のパラメータが飛び抜けて高いし、きっと大丈夫。でも勢いまでは殺せないだろうから、別方向に受け流した方がいい」
「みなさん、ありがとうございます! 無事にキャッチしてみせますから!」
メルは駆け寄ってきたココノア達へ笑顔を向ける。その表情に迷いや不安は一切見られなかった。それから10秒も経たずして、神獣の嘴と小さな手が触れる瞬間が訪れる。
――ドォォォォォォン!!――
衝突の刹那、少女達の足元に無数のヒビが生じた。遥か上空で蓄積された位置エネルギーが一気に開放されたことで、硬い岩盤を粉々に砕くほどの衝撃波が発生したのである。その力をまともに受け止めたのだから、少女の体はグシャリと潰れていてもおかしくはない。だが砂埃が舞う中で表情を歪めたのは神獣の方であった。
「まさか……オイラを素手で止めたチュンか!?」
「ふぅ、無事にキャッチできましたね! でも砂で汚れちゃいましたし、もう一度温泉に入らないとダメかもしれません!」
メルは嘴を掴んだままジャイアントスイングへと移行する。落下のエネルギーを受け流し、回転エネルギーに変換したのだ。凄まじい速度で回されて神獣の三半規管は麻痺してしまったが、その分大人しくなったので扱い易くなっている。
「せっかくですし、スズメさんも一緒に温まりましょう!」
メルが手を離した後、巨鳥は放物線を描いて温泉に着水した。その衝撃によって大量の水飛沫が空を舞う。
「豪快にいったね……まぁあの様子ならケガは無さそうかな。ちなみにあの巨大な鳥が神獣みたいなんだよ」
「そうなんですか!? てっきり大きなスズメさんだとばかり……」
「あはは……やっぱりそういう反応になるよね。実は――」
レモティーが状況を説明し始めても、巨大スズメは目を回したままピクピクと翼を震わせるだけである。一通りの会話を終えた後も起き上がってこなかったので、メルは回復魔法を掛けてみることにした。
「できる限り優しく投げたつもりですけど、ちょっと勢いが付き過ぎたのかもしれません。念のため回復しておきますね。身体治癒!」
「……ハッ! 懐かしい魔力を感じるチュン!?」
むくりと嘴を持ち上げ、キョロキョロと周囲を見渡す神獣。自分の身に何が起こったのか理解できていない様子で、しばらくぼーっと少女達を見つめていた。
「見れば見るほどアイリス様に良く似てる髪の色チュンね……それに癒やしの術もそっくりチュン。お前達は一体何者でチュンか? オイラの水浴び場を荒らしたことはもう怒らないから、正直に話せチュン」
「このデカスズメ、やっと話を聞く気になったのね。うちらはこの世界とは違う場所から来た人間……って説明すれば分かる? 正直、それ以上言えることはないのよ。ロクな説明もなくていきなり呼ばれたし」
「異界人チュン……? それは有り得ないでチュン! アイリス様がいなくなった今、もう異界から英雄を呼ぶ方法はないチュンよ。でもオイラを打ち負かすようなヒト種が、この世界に存在するとも思えないでチュン……」
「私達はその女神さんの事や魔族さんについて知りたいんです。この世界で起こった出来事について教えて貰えませんか?」
メルの言葉を聞いて、神獣は瞼を閉じて考え込む。先程までの振る舞いが嘘のように落ち着いてはいるが、まだ少女達を信用しているような雰囲気ではなかった。
「……お前達に話せる事は何もないチュン。そもそも原初の獣はヒト種と関わってはいけないと、アイリス様から厳しく言い付けられてるでチュン。一部例外もいるにはいるチュンが……」
「何いってんのよ、そっちから襲ってきたくせして」
「そ、それとこれとは別の話でチュン! お気に入りの水浴び場を荒らした者への対応としては当然チュン!」
「ちょっと温泉を使っただけじゃないの! 別に汚したりもしてないし」
「嘘をつくなチュン! アレを見るでチュンよ!」
巨鳥は嘴で北の方を指し示す。そこにはメルの水鉄砲によって破壊された岩の残骸が転がっていた。少女達はそれをただの自然物としか見ていなかったが、神獣にとっては特別な役割を持つ岩だったのである。
「あれはオイラが背中を搔くのに使ってた大岩でチュン! また同じような岩を見つけて来ないといけないでチュン。どうしてくれるでチュンか!?」
「背中を搔くための岩って……そんなつまらない事で怒ってたの?」
「つまらなくはないでチュン!! アレが無いととても困るチュン。もしお前達が同じものを用意できたのなら、少しは話をしてやってもいいでチュンよ?」
「同じのって言われても、元がどんなのだったかなんて覚えてないってば」
大岩跡を一瞥し、ココノアは顔を顰める。散らばった残骸から元の造形を推し量ることは至難だ。復元できそうにない以上、神獣の要求を満たすことは不可能に思われた。しかしNeCOで不条理なクエストを踏破してきた少女達は、どんな難題を前にしても諦めたりはしない。モノ作りを得意とするレモティーの指導の元、攻略作戦を立てることにした。
「元の形状そのまま……というわけにはいかないけど、代わりに背中を掻きやすいオブジェを用意してあげればいいんじゃないかな。資材の運搬はメルがいれば大丈夫だろうし、岩の削り出しはリセとココノアで対応できるはずさ。最後にボクが表面を仕上げれば、1時間も掛けずにできると思う」
「削り出すには剣と杖が必要ですよね? 実は服と一緒にリセちゃんの剣やココノアちゃんの杖も一緒に持って来たんです。はい、どうぞ!」
「杖があるなら岩を削るくらいは問題ないわね。やることは大体分かったけど、作業は水着のままでやるの? 着替えておいたほうが良くない?」
「暗くなると作業できなくなるし、今は少しの時間でも惜しい。このまますぐに着手しよう」
方向性が決まると同時に、水着姿の少女達は手分けして作業を開始する。神獣と同じサイズの巨岩を見つけるのには多少苦労したものの、メルが怪力を発揮したおかげで温泉の近くに岩山を据えることができた。そこからはリセとココノアの出番である。レモティーが指示する通りに不要部分を削った後、細やかな微調整まで施した。そしてレモティーによる表面研磨の工程を経て、子供の手を模した構造物が完成する。
「ほら、完成だ! 超デカデカな"孫の手"だよ! これさえあれば痒い場所にも手が届くはずさ!」
「も、元のより断然背中が搔きやすそうでチュン……!!」
神獣は出来上がったオブジェに近づくと、鉤型に曲がった部分に背を当てて体を揺らした。ちょうど痒みを感じていた箇所に孫の手が当たったのか、気持ち良さそうに頬を緩める。
「気持ち良いでチュン~♪」
「ちょっと、汚いわね!? なんかポロポロ落ちてくるんだけど!」
「ダニだこれ……ボク達にも引っ付くかもしれないから、全部やっつけよう」
茶色の翼から落ちてきたのは8本の足を持つ平べったい虫であった。巨獣に付着していただけあり、そのサイズは人間の頭部よりも大きい。放置するわけにもいかなかったので、少女達は不気味に蠢く大量のダニを全て退治する羽目になった。途中でメルが虫を見つめながら「カニっぽいですよね」と意味深なセリフを呟いたが、それはココノアが全力で否定している。
その後しばらくしてダニ剥がしを終えた神獣は、満足そうな表情で少女達のところへと戻ってきた。軽やかなステップから機嫌の良さが伝わってくる。
「こんなにさっぱりしたのは久しぶりでチュン! これで心置きなく水浴びできるチュンよ。ゴミや虫を落としておかないと、気持ちよく温泉に入れないでチュンからね」
「普段から清潔にしとけっての。で、うちらと話をしてくれる気にはなった?」
「お前達の頑張りは認めてやるでチュン。でもまだまだオイラの怒りは収まってないでチュン! 今度は水浴びを手伝えチュン!」
「はぁ!? 言ってた事と条件が違うじゃない!」
「オイラの羽を全部綺麗に洗ったら許してやるでチュン~!」
巨鳥は温泉に飛び込むと掃除しろと言わんばかりに翼を広げた。1枚1枚の面積が広いだけでなく、数も多い風切羽を全て洗浄するのは流石に骨が折れる。それに腹部の羽毛も含めると1日や2日では終わらないだろう。横暴な神獣の態度にココノアの怒りが爆発した。
「そう……そんなに掃除して欲しいならやってあげるわ。メル、あのデカスズメに水鉄砲を撃ってあげて。DEXが低いから直撃はしないだろうし、適度に汚れを落とせるはずよ」
「えっ、水鉄砲なんかで綺麗にできるでしょうか……?」
「いいからいいから、ほら思いっきりやっちゃって」
「やれるだけやってみますけど、上手くいかなくても許してくださいね」
ココノアに促されたメルは温泉の湯を両手で掬い取り、ポンプの要領で圧縮して神獣へ向けて打ち出した。小さな穴から放たれた音速の水柱が翼端を穿つ。
――ピシャッ!――
発射音こそ控えめであったが、水が当たった部位は次元ごと削り取られたかのように消滅していた。空の彼方へと消えた流水を瞳で追いながら神獣は青褪める。翼どころか、嘴や爪といった硬い部位であっても容易に貫通してしまう威力だと直感したのだ。
「や、やめろでチュン!」
命の危険を感じてすぐさま飛び立とうとしたが、メルの手から連射される水流が次々と飛来してくるので、翼を広げることすらままならない。DEX不足によって精度を失った水撃は予測不能な軌跡を描き、神代の獣ですら怯える凶悪な弾幕を形成したのである。
「汚れを落とすとか、そういう次元じゃないでチュンよ!?」
「遠慮しなくてもいいってば。猫耳少女に体を洗って貰えるなんて、レモティーだったら歓喜で咽び泣いてるところなんだから。ほらメル、もっと派手にやっちゃって! デカスズメが大喜びしてるわよ!」
「そうなんですか? ご期待に応えて、温水を使い切る勢いでやってみますね♪」
「どこが喜んでるように見えるチュンか!? オイラが悪かったでチュン!! もう許して欲しいチュン~!!」
両翼と嘴を地面に付けた土下座で許しを請う神獣。その姿を見たココノアは戯れに興じた子供のような笑みを浮かべ、メルに中止を伝えた。
――しばらく後――
体に付着した砂埃を温泉で洗い流した後、少女達は着替えを終えて神獣と対峙していた。命懸けの高圧洗浄で反省したのか、巨鳥に高慢な態度は見られない。しかし既に空は暗くなっており、野営の準備を始めないといけない時間でもあった。今日中の聞き取りを断念したレモティーは、翌日に話ができないかと尋ねる。
「話を聞かせてもらいたいとは言ったものの、今からだと時間的に厳しいんだ。明朝にまたここで会って貰っていいかな?」
「良いでチュンよ。無限の命を持つ原初の獣にとって、1日なんて待つうちにも入らないでチュン」
「ありがとう、助かるよ。そうだメル、持ってきたお供物を置いていこうか。今日の晩御飯として食べて貰おう」
「ああ、そうでしたね! 食材をポーチに入れてきたのでした!」
メルは腰のポーチに片手を突っ込む。神獣に頼み事をする時は供え物を捧げないといけない――そんな風習が古来より伝承されているとツバキ達から聞き及んでいた彼女達は、村で収穫した作物や森の恵みを持参していたのだ。
「えっと、こっちの米俵がレモティーちゃんが作った美味しいお米です。木箱にはお野菜が入ってますし、リセちゃんが仕留めた獲物のお肉なんかもありますよ。どれも美味しいので遠慮なく食べちゃってください!」
「良い心がけチュン。量は少ないでチュンが、どれも美味しそうでチュン!」
足元に置かれた木箱と米俵を見て嘴からヨダレを垂らす巨大スズメ。その巨体からしてみれば到底足りない量ではあるものの、久々に奉納された捧げ物が嬉しいのか表情が随分と緩んでいる。
「そういえばスズメさんにお名前はあるんですか? ひょっとして"神獣"っていうのがお名前だったりするのでしょうか?」
「ん? 名前チュンか……定命の者と違って、オイラ達に名前なんて必要無いでチュン。神獣っていうのも勝手にヒト種が呼び始めた名でしかないでチュン。どうしても呼びたければ神獣様って呼べばいいチュン」
「そうだったんですか……でも神獣様だと可愛げがないですし、呼び名が無いとお話する時に不便だと思うので、私が良いお名前をつけてあげますね!」
「待つでチュン! 勝手に名前をつけようとするなチュン! そもそも可愛さなんて求めてないでチュン!」
口元に指を当てて考え込むメルに向けて、尾羽根を逆立たせて抗議する巨大スズメ。その様子を隣で見ていたココノアは両肩を上げながら諦めるように諭す。
「こうなったら何を言っても無駄よ。メルは名前を付けるのに特に拘るから。まぁその割にネーミングセンスは壊滅的なんだけど」
「なおさらダメでチュンよ!? アイリス様に貰った名前以外を認めるつもりなんて全く無いチュン!」
「何よ、女神が付けた名前があるんじゃない。それを教えなさいよ」
「そ、それは……色々と事情というものがあるチュン」
神獣は喋りたく無さそうに視線を逸らす。ココノアとレモティーがその様子を不思議そうに見上げていると、メルが手の平を拳でポンと叩いた。良い名を閃いたのだ。
「あっ、思いつきました! 可愛い喋り方が特徴的なスズメさんなので、"チュンコ"なんてお名前はどうでしょうか! 見た目にぴったりだと思うんですよね♪」
「チュンコ……!? ど、どうしてその名を知ってるでチュン! それはアイリス様がオイラに付けてくれた名前チュンよ……」
何気ないメルの命名に神獣は異様な反応を見せる。戸惑いにも近い表情を浮かべて神獣は言葉を続けた。
「でもアイリス様はもういないし、思い出しても寂しいだけチュン。だから名前も忘れることにしていたでチュン。でもそこの獣人からはアイリス様の面影を感じるチュンし、どうしても思い出さずには居られなかったチュン……」
「面影を感じるってことは、創生の女神はメルと見た目が似てるの?」
「そんなちんちくりんな姿じゃなかったチュンけど、雰囲気はほぼ同じチュン」
「ち、ちんちくりん……」
メルは眉を顰めつつ自分の体に視線を落とす。くびれの無いウエストに、まだまだ発展途上の胸――起伏に乏しい身体であることは否定できなかった。深い溜め息を吐き出す猫耳幼女を視界に収めつつ、ココノアは神獣に語りかける。
「女神公認なら名前はそれで決定ね。それじゃ、うちらは湖で野営して出直すから。約束無視してどっかに行ったりしないでよ?」
「原初の獣は契りを破ったりはしないチュン! それにオイラもお前達に少し興味が出てきたチュン。ここで待ってるから、日が昇ったら来るといいチュン」
「よーし、話も纏まったことだし、ボク達は馬車に戻ろう!」
少女達は神獣に別れを告げ、馬車が置いてある場所へと続く暗い山道を辿った。すっかり日は暮れており、月明かりだけが頼りだ。予定していた旅程は大きく狂ってしまったが、目的を果たせる見込みができたのもあり一行の足取りは軽やかである。ただ1人、神獣に言われた事を引き摺っていたメルを除いては。
「ぐぬぬ……あと数十年くらいしたら、出る所は出て引っ込むところは引っ込んでる感じになるはずです! 今はまだちんちくりんかもしれませんけど、期待して待っててくださいねココノアちゃん!」
「ちょっと、急にどうしたって言うのよ……!? 今のままでもメルはそれなりに可愛いんだから、あんなスズメの言う事なんて気しなくていいんだってば。むしろ成長したら悪い虫がつかないか余計心配に……って、この話はもうお終い! ほらほら、馬車まで急ぐわよ!」
「あっ、待ってくださいココノアちゃん! 足元が暗いのに走るなんてダメです! 転ばないように私と手を繋ぎましょうよ!」
馬車へ向かうココノアを後ろから追うメル。まるでカップルを思わせる仲睦まじい様子に、レモティーとリセは目を細めていた。
「イチャイチャする幼女は良いね……心が洗われるようだ」
「ん……尊くて良い……」
2人が口を揃えて"良い"と語る内容には少し隔たりがあるのだが、この場においては些細な事だろう。澄み渡った星空に顔を出した満月は、少女達の進む先を優しく照らすのであった。




