076.原初の獣④
翌日、メル達は湖から北の山を目指して出発した。目的地まで半日以上は要するかと思われたが、途中で森を抜けたのでそこからはスムーズに馬車を走らせている。標高が高くなったため植生が変化し、行く先を阻むような大木が姿を消したのだ。
昼過ぎ頃、一行は硫黄の香りと湯気が立ち籠める岩場に辿り着いた。どこからともなく蒸気が吹き出すような音がしており、辺り一面に白い煙が満ちている。そのせいで視界が確保できず、少女達は馬車を停めて徒歩で温泉を探すことにした。
「うわぁ、すごい湯気だ。手前しか見えないや」
「ん、濃霧とよく似てる」
「温泉っぽい匂いが濃いのは向こう側ですね! 多分私なら場所が分かるので、先導は任せてください!」
岩と石ばかりの大地に降り立った少女達を迎え入れたのは、ムワっとする熱気だった。嗅覚の鋭いメルは硫黄泉を思わせる独特の匂いを辿りながら、奥へと進んでいく。見通しが悪く、10メートル先でもシルエットでしか視認できない状況ではあるものの、逆にそれが秘湯への期待感を煽る。
「一応、魔物や獣がいないか耳で探してみてるけど……それらしい音は無いわね。こんな場所だし、流石に近づかないか」
「熱さのせいか自生している植物も少ないし、岩だらけだからなぁ。普通の生き物は避けるだろうね」
「それならゆっくりと温泉を楽しめそうです! ……あっ! ありました! ここですよ、ほら!」
しばらく歩いたところで、メルが何かに気づいたように足を止めた。コポコポと音を立てて吹き出す熱泉を見つけ出したのだ。元々は自然の産物だったであろう窪地に湯が溜まり、天然の露天風呂と化している。地中の成分により深い青色に染まった湯は透明度が高く、清潔感も申し分ない。水流によって掻き混ぜられているせいか、底の方は角が取れた滑らかな砂利が埋め尽くしており、素足で入っても問題なさそうである。
「思ってたよりずっと立派な温泉だね。足湯みたいな大きさだったらどうしようって心配してたけど、これなら全員一緒に入っても大丈夫そうだ!」
トルンデインの宿で利用した大浴場の3倍近い広さ――特上の露天風呂とも言うべき眼前の景色に、レモティーは瞳をキラキラと輝かせた。しかし彼女達がここに来た本来の目的は、"大空の覇者"という異名を持つ神獣からこの世界の歴史を教えて貰うことにある。あくまで温泉はついでだと割り切っているココノアは容赦なく釘を刺す。
「こら、目的を履き違えないでよ。温泉に浸かりにきたわけじゃないっての! 神獣を探すんでしょ、神獣!」
「も、もちろんだよ! まずは神獣探しをしないとね。ツバキさんによると凄く大きい鳥の姿をしてるから、見ればすぐ分かるってさ」
レモティーの言葉に頷くと、リセとメルは周辺を探索し始めた。しかし真っ白な湯気に阻まれてしまい、まともに調査することができない。岩を人影にすら見間違えてしまうような状況で、目にしたこともない神獣を探すのは至難の技だ。
「ん……ここは視界が悪すぎる。この状態で探すのは無理」
「確かにこれじゃ探しようがないですね……お空もよく見えませんし」
メルが困り顔で天を見上げる。空に神獣がいるかもしれないと考えた彼女であったが、頭上を覆うように滞留している白煙のせいで全く分からなかった。思うように調査が進まないイライラを募らせたココノアは、不機嫌そうな表情で腰の短杖を引き抜く。
「うちの魔法でこの白いのを吹き飛ばした方が絶対早いってば。その辺にある岩に範囲魔法をぶつけりゃ、衝撃で霧散するでしょ」
「ダメだって、ココノア! ボク達は神獣を討伐しにきたんじゃないんだ。威力の高い魔法を使ったら警戒されるかもしれないし、最悪縄張りを荒らした敵だと思われる可能性だってあるだろ」
「なら、どうしろっていうのよ? このまま探し続けても埒が明かないと思うんだけど」
「うん。だからこそ、ここは"待ってみる"というのも手じゃないかな。今は見当たらなくたって、そのうち神獣の方からやってくる可能性がある。それに時間帯で風の方向が変わって、視界がもう少しマシになる事もあるかもしれないしさ」
そう言ってココノアを諭すレモティー。彼女は日本に居た頃、祖父と一緒にテレビで温泉特集を見ていたことがある。そこでは時間帯で煙の流れる方向が変わる温泉地が紹介されていたのだ。風の方向が変わるかもしれない、というのはその情報から得たヒントである。
「はぁ……結局温泉に入りたいだけじゃないの。でもレモティーの説明にも一理あるわね。確かに神獣がここに来るか分からない状況で探してても、無駄に疲れるだけだもの」
「あはは、同意して貰えて嬉しいよ。そうと決まれば、先に旅の疲れを癒やそう。実はこの日のための秘密装備を用意してたんだ!」
レモティーは満を持した表情で背負っていた革袋を手に取った。馬車から降りる時から大事そうに持っていたその中身が何なのかは彼女以外誰も知らない。温泉で使うための道具一式だという説明文句で馬車に積まれていたので、仲間達は自作の石鹸やタオルでも入っているのだろうと何となく察した。
「ふふん、温泉っていってもここは公共の場! 当然、全裸になるわけにはいかない……だからみんなにはボクが心を込めて作った水着を使ってもらいたいのさ!」
「水着!? アンタ、いつの間にそんなの作ってたのよ……?」
「実は船旅中にコツコツ作製してたんだ。1人部屋だったから夜は暇で暇で……って、こんな話はどうでもいいね。全員分あるから1人ずつ配っていくよ。幸いこの煙で視界は悪いし、着替えは岩の影で大丈夫だと思う」
レモティーは早速自作の水着を手渡し始める。最大レベルまで鍛えられた裁縫スキルにより生み出された品々はどれもよく出来ており、色鮮やかな仕上がりであった。しかも高い耐久力と属性耐性が付与されているため、装備品としては一級品である。ただし製作者の好みが多分に反映された関係で、どれもニッチなデザインに偏っていた。渡された水着が想定と全く異なっていたため、ココノアは思わず二度見してしまう。
「ちょっと、これ……スクール水着じゃない!?」
「見事だろう! ボクの自信作の1つだよ! ココノアの薄い胸と小さなお尻の魅力を一番引き出せるのはそれしかないって、真っ先に思いついたんだ。しかもなんと旧スク仕様! 普通のスクール水着と何が違うのかというと、胸の方から入ってくる水を下半身側に逃して泳ぎやすくするために――」
聞かれてもいないスクール水着の構造論をペラペラを喋り始めるレモティー。そんな彼女の会話を無視して、ココノアはネイビーブルーに染まったワンピース型水着を両手で広げた。幼少時に使った経験のある学校指定水着と寸分違わないそれは、一目見ただけでも完成度の高さが伝わってくる。しかし、見た目こそ幼女であるがココノアの精神年齢は大人と相違ない。今になってスクール水着を着用するのには流石に抵抗があった。
「こんなの着られるわけないでしょ! どうせ作るならもっと普通の水着を作りなさいよ!」
「むぅ、お気に召さないか……でも大丈夫! 実はもっと大人向けの大胆な水着も用意してあるのさ。さっきメルにも同じ水着を渡したから、興味があるなら見せてもらうといいよ」
「メルの水着? そういえばあの子、さっきから見当たらないわね」
2人は周囲を見渡したが、猫耳少女の姿は見えない。メルはレモティーに水着を受け取るなり、すぐに着替えに行ってしまった模様である。急ぐ必要もなかったので、ココノアはメルの着替えが終わるまで待つことにした。次はリセが水着を受け取る番だ。
「リセにはオフショルダータイプのビキニを用意したんだ。そのスタイルの良さを強調するなら、首筋からウエストにかけてのラインを見せることができるコレが一番だからね」
「ん、レモティーにしては良いセンス。黒色のフリルもクールで好みかな」
「あはは、ボクの見立てが合ってて良かったよ!」
好意的な感想を受け取り、レモティーは小さくガッツポーズを取る。リセ本人も水着を気に入っているようで、珍しく口元から牙を見せて笑っていた。そんな2人のやり取りをぼんやりと見つめていたココノアだったが、ふとある事が気になる。頭に浮かんだ疑問を早速レモティーへ投げかけた。
「アンタ用の水着はどんなデザインなの? うちにスクール水着を勧めるくらいなんだし、絶対変な奴だと思うけど」
「あー……それなんだけどね、例のクラーケン騒動もあってデザインを練る時間が無くなっちゃってさ。オーソドックスな水着しか作れなかったんだよ。ただ、普通の水着だとおっぱいの位置が安定してくれないから、胸周りについては工夫してみたんだ」
そう言うなり、レモティーは革袋から自分用の水着を取り出す。馬車とお揃いの若草色に染められたそれは、トップスの紐を首の後ろで結ぶタイプのホルターネック水着であった。バストの保持という点では合理的な構造だろう。しかしココノアからしてみれば、自身の頭ほどもある乳房がその布の中に収まるとは到底思えなかった。
「それ、絶対はみ出ると思うんだけど……」
「えっ、そうかな!?」
「だって片方だけでもメロン以上の大きさじゃない。座った瞬間にポロリしても知らないわよ」
「いやいや、いくらなんでも水着に収まらないってことは……」
少し不安げな表情でレモティーは自分の胸を服越しに手で持ち上げる。実は1回も試着していなかったのだ。しばらくして彼女の表情が険しくなった。
「うん……これはあんまり激しい動きをしないほうがよさそうだ。思ったより布が小さいかもしれないね……」
「ほら、言った通りじゃない。馬鹿デカい乳をぶらさげてんだから、胸のあたり全部を覆うようなデザインにしたほうが――」
「えへへ、着替えてきました!」
明るい声と共に湯気の向こう側で揺らめく猫耳のシルエット。それ見たココノア達は会話を中断した。平らな岩の上をペタペタと素足で駆けてきた獣人娘――その新たな装いに2人の視線が吸い込まれる。
「なっ……何なの、その水着!?」
「すごく似合ってるじゃないか、メル! まさに眼福だよ~♪」
唖然とするココノアに対し、レモティーは満面の笑顔を咲かせた。2人の反応が対照的だったのは、メルの水着があまりにも過激なものだったからだ。桜をイメージさせる可愛らしい色合いではあるものの、その布面積はギリギリを攻めており、大事な場所を隠すにはあまりにも頼りない。しかも水着自体が細い紐で結ばれただけの構造なので、ともすれば解けて落ちてしまいそうでもある。
「どうですか、似合ってます? 私、リアルの方じゃ泳ぎに行くことがなくて、水着なんて持ってなかったんですけど、最近のってこういう感じなんですね! 動きやすくて良いと思います♪」
その場で飛び跳ねてメルは水着の利便性をアピールした。確かに手足の動きを阻害するものは何もないので、動きやすさの観点で言えばどんな防具よりも優れてはいる。しかし隠すべきところが十分に覆われていないため、裸も同然の格好だ。前屈みになろうものなら膨らみかけの蕾が見えかねない。
「これ、俗に言うマイクロビキニって奴じゃない!! 小学生みたいな見た目の相手に変態水着をチョイスするとか……神経を疑うんだけど!」
「いやいや、これには訳があるんだよ! ボクだってフリルいっぱいの女児用水着の方がメルに似合うと思ってたさ!」
「理由って何よ! 内容次第ではそのデカ乳、スッキリ消し飛ばしてあげるから!」
額に血管を浮かばせたココノアがレモティーに詰め寄る。その右手には光を帯びた杖が握られており、いつ魔法が放たれてもおかしくはなかった。生命の危機とも言える窮地のせいなのか、それとも熱気のせいなのかは分からないが、レモティーの顔には大量の汗が滴る。
「実は船旅の最中にそれとなく本人に好みを尋ねてみたら、大人っぽくて動きやすいのが良いっていう返事があったんだ! ほんとだよ!? だから着心地を重視しつつ、メルの要望を最大限汲み取った結果ががアレなわけで……!」
「大人っぽさを目指しても、ああいう風にはならないわよ!? ほぼ裸と変わんないでしょうが! これまでは大目に見てあげてたけど、今回ばかりはその変態性癖を叩き直す必要があるみたいね」
「ちょ、ちょっとココノア!? 一旦落ち着こう! 新生魔法はシャレになんないから!」
レモティーは必死の弁明をしつつ後退した。しかし鬼のような形相でココノアが距離を詰めるため、2人の間隔は変わらない。そんな一風変わった鬼ごっこを繰り広げる友人達にメルは首を傾げる。
「2人は温泉に入らないんですか? リセちゃんはもう着替えに行きましたけども」
「温泉はレモティーにお仕置きしてから! メルもそんな破廉恥な水着なんてやめて、うち用のを代わりに着ておいて」
「えっ!? でもこれ、尻尾のところとかが凄く配慮されてて、とても便利なんですよ?」
くるりと身を翻したメルは尻尾の付け根部分がよく見えるよう腰を突き出した。彼女が言う通り、桃色の尾が生えている部分を阻害しないように、布地の端部を一部カットする工夫が施されている。しかしそのせいで臀裂の上部分は丸見えの状態だ。紐にしか見えない生地が食い込んだ白桃に、レモティーの視線が釘付けになる。
「むっ!! この白くてツルツルのお尻、まさに芸術品だね! ロリータのお腹とヒップほど美しいものはこの世に存在しないと思うなぁ!」
「全然反省してないし!? ……いいわ、この世に存在しなくなるのはアンタの煩悩の方だってことを教えてあげる」
怒り心頭のエルフ少女が杖を構えた瞬間、その足元に回転する魔法陣が出現した。光る円の中には新生魔法において最高威力を誇る魔法の名が刻まれている。
「えっ……ココノアの足元に出てるその魔法陣、破滅へ誘う閃光の詠唱準備にしか見えないんだけど!? それはボクでも耐えられないっていうか……温泉ごと吹き飛んじゃうよ!!」
「いいわね、それ。ちょっとしたアトラクション気分を味わえるじゃない?」
術式の展開によって生じた魔力の奔流――渦を巻いた風が白煙を一掃し、周囲の視界をクリアにした。その凄まじさを目の当たりにしたレモティーは青褪めたが、ココノアが本当にそのつもりで詠唱していたのであれば既に魔法は発動していただろう。つまるところ脅しの意味合いが強いのだが、想い人に恥ずかしい格好をさせた友人への怒りも当然あったので、力のセーブが上手くできて無かった。
そんな彼女の"お仕置き"は思いもよらぬ事態を生み出すことになる。メルの胸を隠していた極小の水着も一緒に空高く舞い上げたのだ。幼くもほんのり自己主張する膨らみが露わになってしまう。
「「「あ……」」」
3人の声が同時に重なる。咄嗟にココノアがメルに抱きつき、産まれたままの姿を晒していた彼女を自分の体で覆い隠した。
「うちの水着はメルに着せるから、急いで別のを用意してよね!」
「あ、いや……念のためメル用のスクール水着も用意してたんだ。純白に染めた奴だけど……」
「それでいいから早く貸して! メルを着替えさせないと!」
奪い取るようにして真っ白な布切れを掴むと、ココノアはそのまま岩陰にメルを連れ込んだ。流石に新生魔法を撃ち込まれそうになった後なので、自重してその場で踏み留まるレモティー。しかし2人の様子がどうしても気になってしまう。見に行くのを我慢する代わりに聞き耳を立てた。
「これ、新しい水着! うちも手伝ってあげるから早く着替えるわよ!」
「わぁ! 白いスクール水着なんて初めて見ました! それじゃ、下も脱いじゃいますね♪」
「ちょっと!? 目の前で脱がないで! 少しは他人の視線とか気にしろっての!」
「大丈夫です! ココノアちゃんになら何を見せても恥ずかしくありません!」
「うちが恥ずかしいんだってばっ!!」
岩の陰で繰り広げられる甘酸っぱい会話――例え声しか聞こえておらずとも、レモティー程の猛者ともなれば、心の中で少女達の花園を描くことなど容易いことである。うんうんと満足げに頷きながら、彼女はコツコツと水着を作り上げた過去の自分に最大限の称賛を送るのであった。
――そのしばらく後――
ちょっとしたハプニングはあったものの、着替えを終えた4人は休憩がてら露天風呂を楽しむことにした。ココノアの魔力開放により視界がスッキリしたおかげもあり、湯に浸かりながらにして青空と広がる森を同時に見渡すことができる。神獣探しを忘れて、一行はゆったりとした贅沢な時間を過ごした。
「いやぁ、極楽だね~! 湯加減もちょうどいいし、アクセスが良ければ毎日でも通いたい程だよ。水着だってもっと色々作ってみたいしさ」
「またメルに下品な水着を着せようとしてるわね、このロリコン女!」
「うぅ、ボクに対するココノアの視線が厳しいよぉ……」
「私はあの水着、好きでしたよ! 開放感がありましたし! でもこっちのデザインも可愛くて気に入ってます♪」
白色のスクール水着を纏ってニッコリと微笑むメル。彼女用に作られた水着はココノアのと違うカラーバリエーションになっており、獣人向けに尻尾を出す穴が設けられていた。またココノアに比べて肉付きが良いメルの体型に合わせて、サイズもやや大きめだ。
「2人とも本当にスクール水着が似合うね。よーし、今度ランドセルも用意してみようか……!」
「女児扱いしてんじゃないわよ! うちらの中身、実年齢いくつだと思ってんの?」
「中身の歳なんて関係ないね! むしろ合法ロリと考えればお釣りが来てもいいくらいさ!」
「い、意味がわからない……」
友人の趣向にドン引きしつつ、ココノアは深く息を吐いた。とろみのある少し熱めの湯は、体が芯から温まるような心地よさを提供してくれる。それだけではなく、傷の癒えが加速したり魔力の衰弱を回復する効能があることも鑑定スキルによって判明済みだ。立地条件は良くないが、それらの恩恵を考えると神獣が利用していてもおかしくはない。
「ん……ところでこの状況で神獣が来たらどうするの? 武器は馬車にあるし、好戦的な相手だった場合は対処が難しい」
「まずは対話ができるか確認したいところだね。もし攻撃されても、本気で反撃するのは禁止だ。この土地の守り神様として崇められている一面もあるようだし、穏便に済ませないと」
「ま、素手でも魔法は撃てるしなんとでもなるわよ。それより服が湿気がべっとりする方が嫌じゃない」
「確かにそれはそう。あたしの剣も錆びるかもしれないから、できれば持ち込みたくない」
少女達は着替えた後、衣服や武器を馬車に置くため一旦戻っていた。魔物や獣の気配がないことから、装備は不要だと判断したのである。なお留守番はベールとレモティーが生み出した植物ペット達が担う。魔族相手でもない限り、それで十分対処可能だ。
「ところで、さっきから気になってたんだけど……なんでみんな一箇所に固まってるのよ! こんなに広いんだから、もっと散らばってもいいんじゃないの?」
「えへへ、こうやってみんなでお風呂に入るなんて久しぶりじゃないですか! せっかくですし、ガールズトークなんかで親睦を深めましょうよ♪」
「それはいいんだけど、メルは距離感がおかしいんだってば……!」
ぴったりと肩を寄せてくるメルを横目に呟くココノア。そのすぐ隣には紫色の美しいポニーテールを肩に掛けて半身浴を楽しむリセの姿があった。また、椅子代わりの岩に腰掛けたレモティーが正面にいるため、ココノアの周囲だけ随分と密度が高い。
「ん、NeCOで遊んでた頃もこんな感じだったと思う。別におかしくはない」
「そうだよココノア。それに、せっかく異世界にやってきたんだ。こういう機会はとことん楽しまないと!」
ニヤリと口角を上げると、レモティーは湯を掬って天高く放り投げた。太陽の光を浴びた滴がキラキラと輝き、ココノアとメルの頭上に降り注ぐ。
「あっ、やったわね! ほらメル、あのロリコン女に反撃するわよ!」
すかさずココノアは両手で受け皿を作り、湯を掬い取った。そのまま両手で包み込んだ後、中身を一気に押さえつけて指の隙間から勢いよく放物線を放つ。
「うちの水鉄砲は命中率が高いんだから! その無駄にデカイおっぱいを的にしてあげる!」
「おおっと、危ない危ない! 狙いは良かったけど、ボクに当てるならもう少し動きを読まないダメかな!」
ギリギリのところで上半身を逸してココノアの一撃を避けるレモティー。その反動で水着に収まりきらない乳房が大胆に跳ねた。限界まで膨らませた水風船の如き鈍重なターゲット相手に狙いを外してしまった事で、ココノアの負けず嫌いに火が付く。
「くっ、意外と動きが俊敏なんだから!」
「こう見えて素早さのステータスはそれなりにあるからね!」
「でも連続で撃てば避けれないでしょ! ほらほらほらっ!!」
「ははっ、甘いよココノア! ボクに弾を当てたいなら数に頼ってちゃダメだ!」
次々と撃ち出される水流をレモティーは軽やかに避けてみせた。彼女はFPSタイプの銃撃アクションゲームで培った技術を活かし、相手の射撃を完全に見切ったのだ。もっとも、ココノアの狙いが甘かったわけではない。水鉄砲の命中精度が良すぎたのである。極限まで高められた器用さのステータスが仇となって、逆に予測し易い射線となってしまった。息を切らせたココノアに対し、レモティーは余裕の表情を浮かべる。
「あはは、ボクのこと少しは見直したかい?」
「ぜぇぜぇ……まだうちらが負けたって決まったわけじゃないから! 次はメルの番よ! レモティーにキツイのをお見舞いしてあげて!」
「えっ、私の水鉄砲は全然ダメダメですよ……? 変なところに飛びますし」
「いいからいいから! 少しはあのデカ乳に湯を引っ掛けてやんないと!」
「うーん……あんまり期待はしないでくださいね?」
メルは両手の内側に湯を貯めようとしたものの密封度が甘く、ポタポタと滴が落ちた。自他ともに認める不器用な少女は水鉄砲すらおぼつかない。
「手の内側に空間を作れば良いんだよ。もちろん、外側はぴったりと閉じて漏れないようにして……そうそう、それでいい! で、ボクの方に向けてお湯を押し出すんだ!」
自信なさげな表情にメルに対してアドバイスをするレモティー。彼女はこのとき、軽い気持ちで自分を狙うように発言した。避ける自信があった上、当たっても少し濡れるだけで済むと思っていたからである。一方、3人の遊びを客観的に観察していたリセは見逃さなかった。メルの両手から漏れた極細の噴流が、高圧のウォータージェットとなって底に沈んでいた小石を貫通した瞬間を。
「……レモティー、死なないように全力で避けるか防御したほうがいいよ」
「んっ!? 今不穏なセリフが聞こえたんだけども、気の所為かな!?」
リセに忠告を貰ったレモティーであったが、その意図にまでは気が及ばない。次の瞬間、メルの手から射出された水流が金色の髪を数本穿ち、遥か後方に佇んでいた大きな岩を粉砕した。放物線ではなくレーザーの如き直線を描いたそれは、上級ジョブの攻撃スキルにも匹敵する威力を有していたのである。
「へっ……!?」
視認すらできなかった超高速の射撃に、レモティーの口は空いたまま塞がらない。高すぎるSTRの値によって超圧縮された湯は、音速を超えた一撃を生み出したのだ。器用さを司るメルのDEX値がもう少し高かったら、おそらく自分の頭は吹き飛ばされていたでのはないか――そんな恐怖に駆られたレモティーは、両手を突き出して遊びの中止を訴えた。
「……よし! この遊びはやめよう! 温泉はゆっくり楽しむものだからね!」
「そ、そうね……うちもちょっと大人気なかったわ」
「あら? もうおしまいですか? 次は当ててみせようと思ったんですけども」
一気に大人しくなった2人に、少し寂しげな表情を見せるメル。水遊びの仲間から外れされたように感じたのか、猫耳もしょんぼりと垂れていた。当事者である2人は慌てて取り繕う。
「そ、そういえばお腹空いてない? もうお昼過ぎてるでしょ? 水遊びなんかより、食事もいいんじゃないかなって思ったの!」
「うんうん! おでんを作ったから少し減ったけど、まだ卵は残ってるから温泉卵が作れるよ! 野菜もあるから蒸して食べよう!」
「そういえば温泉卵を食べたかったのでした! 確かにお腹は空いてますし、ちょうどいい頃合いですね♪」
水鉄砲の形に結ばれていたメルの手が解かれたのを見て、ココノアとレモティーは安堵の溜息をついた。こうして突発的に始まった水遊びは、ものの数分と経たずに終わりを迎えたのである。その後、少女達は源泉や高温の蒸気を利用して食材を調理し、心ゆくまで食した。食後の腹ごなしとして神獣探しも行ったものの、そちらは空振りに終わっている。
そうして日暮れが近くなった頃、最後にもう一度身体を温めてから帰ろうという話になり、4人は再び秘湯に身を委ねたのであった。全員で空を見上げながら他愛もない会話を交わしていた最中、レモティーはおもむろに仲間達へ視線を向けた。
「……それにしても、この4人で温泉に入ることになるなんて、NeCOをプレイしてた時は思ってもなかったな。ボクは異世界に来られてよかったと思ってるよ」
「強制的に連れて来られただけとも言うけどね。そうだ、前から聞こうと思ってたんだけど、アンタ達は日本に未練とかないの?」
「無い、といえば嘘になるかな。一応これでも大家だからね。アパートの事は少し気になってる。ただ、それ以上にこちらで過ごす毎日が楽しいんだ!」
「あっ、私もです! 最初の頃は会社の無断欠勤をどうやって謝ろうとか、家族が心配してるかもって気になってた事もありました。でもNeCOと同時に終わったと思ったはずのみなさんとの冒険を、こうやって再び続けられる事が本当に嬉しくて……だから悲しいって気持ちは全然無いですね!」
「ん、あたしもこっちに来てからのほうが楽しいかな。日本じゃできない体験が色々できるし」
3人の回答を聞いてココノアは「そっか」と短く感想を述べた。複雑な表情を見せる彼女にメルが近寄り、声を掛ける。
「ココノアちゃんは元の世界に戻りたいって感じてますか?」
「んー……どうなんだろ、自分でもよく分からないんだよね。うちの仕事って締め切りが結構厳しかったから、それが無くなった今は毎日気楽に過ごせてるかな。でも逆に張り合いがないって感じることもあるし、こっちの世界で見てきた景色の記憶を持ち帰れば、現実世界の仕事に活かせそうだなって思ったりもするのよ」
「なるほど……確かにココノアちゃんはイラストレーターのお仕事に誇りを持ってましたもんね」
「元の世界に戻れないと決まったわけじゃないし、タイニーキャットが言ってたように世界を救えば帰る手段が見つかるかもしれない。実際にどうするかはその時に決めたらいいんじゃないかな。この世界でのボク達は何にも縛られない自由な旅人なんだからさ」
話し終えるとレモティーは優しく微笑んだ。いつも身に着けているメガネが無いせいか、その表情はいつもと違う雰囲気を漂わせる。見てくれだけは美人なんだからと呟きつつ、ココノアは言葉を続けた。
「よく自由だなんて言えたものね? 頼まれもしてないのに食べ物に困ってる人を助けたり、親から引き離された女の子のために大陸を跨いで送り届けたりするようなお節介焼きのくせに」
「あはは、それを言われると反論できないなぁ。オンラインゲームを色々やってたせいか、困ってる人がいたら助けたいって思うようになったんだよね。多分メルも同じだろうし、ココノアやリセだってそうだろ?」
「はいっ! 助け合って遊ぶことができるのがNeCOの良いところでしたから、その気持ちはよく分かります♪」
「何よ、その謎理論……自分のことしか考えてない迷惑プレイヤーも結構いたじゃないの。大体うちはアンタ達みたいな善人プレイなんてしてなかったわよ」
「ん……なんだかんだ言いつつも手を貸す方だよね、ココノアも。ツンデレって奴だと思う」
「う、うるさいわね……」
頬を赤く染めて顔を背けるココノア。それが温泉の熱によるものなのかは定かでないが、今回の件で少女達の絆が更に深まったことは紛れもない事実だろう。その後もしばらく談笑は続いたが、区切りの良いところでレモティーは会話を切り上げ、帰路について言及した。
「さてと……そろそろ帰る支度をしようか。昨日立ち寄った湖畔で野営するなら、そろそろ出発しないとだ!」
「神獣さんは結局見つかりませんでしたね……温泉が楽しかったので私的には満足ですけども。馬車からタオルとか着替えを持ってくるので、みなさんは少し待っててくださいな」
一足先に温泉から出たメルは、馬車を停めた場所に向かって走って行った。空はすっかりオレンジに染まっており、夕闇の訪れを知らせる。これが森の中であれば鳥や獣の鳴き声が聞こえるはずの時間であるが、辺り一帯は不気味な静けさを保ったままだ。その理由が分からず首を傾げていたココノアの耳に、上空から接近する何かの異音が響く。
「リセ、レモティー! 何か近づいてくるわよ! 警戒して!」
「周囲には何もいないけど……もしかして上なのか!?」
レモティーが顔を上げた瞬間、大きな影が上空を掠めた。2対の翼を持つ巨大な獣が旋回するように彼女達の頭上を舞いながら様子を伺っている。
「翼に嘴、そして爪……間違いない、アレが神獣だ!」
「ん、あたしは一応武器を持ってくるから」
リセが馬車に戻ろうとした瞬間、空から急降下してきた獣が行く手を塞いだ。大地の色を吸い上げたかのような茶褐色の翼、漆黒の光沢を放つ嘴、そして前に3本と後ろに1本の指を持つ逞しい足――この世界では極めて珍しい特徴を持つ巨鳥に、少女達は視線を奪われる。
「こいつ、近くで見ると滅茶苦茶デカイじゃない!?」
「まさかこんなに大きいとはね……片足だけで自動車を踏み潰せそうだ」
降り立った瞬間に地響きを轟かせたそれは、神の獣という威厳ある名に相応しい巨躯を誇っていた。帝国領で戦ったワインバーンとは比べ物にもならない。小さな集落であれば羽ばたき1つで吹き飛ばすこともできそうだ。
「……」
神獣は沈黙を維持したまま、リセを睨みつける。縄張りを荒らした者達への怒りを滾らせているのか、それとも肌を晒す少女達を自分への供物と受け取ったのか――その考えを表情から窺い知ることは難しい。ただ1つ言えるのは、決して友好的な態度ではないということだけである。獣は吹き荒れる風属性の魔力を纏っており、見境なく強風を叩きつけてくる。並の人間であれば既に吹き飛ばされていただろう。
しかし、そんな危機的な状況であってもリセやレモティーに焦りは見られない。ココノアに至っては期待外れだと言わんばかりの顔つきだ。彼女達は全員、神獣の姿に見覚えがある。フワフワとした腹部の白い羽毛、折り重なった可愛げのある尾羽根、黒くて丸いつぶらな瞳……まさしくそれは日本でよく目にした、身近な鳥の生き写しであった。
「どう見てもスズメだこれ」
「ん、スズメだね」
「思いっきりスズメじゃない……」
3人の口からほぼ同時に感想が漏れた。スズメ目スズメ科スズメ属の野鳥をそのまま巨大化させたような外見は、どちらかというと可愛い部類に入る。とても緊張感を維持できる相手ではなかった。自身に向けられる残念な視線を察したのか、神獣は怪訝そうな眼つきで言葉を発する。
「なんか馬鹿にされてる気がするチュン……!」
「あ、喋った。スズメの割に結構賢そうかも」
「無礼な言葉遣いは許さないでチュン! オイラは翼を持つ生物全ての祖である"原初の獣"! そしてアイリス様に代わって空から世界を監視する者でもあるチュンよ!」
「へぇ、女神の名前が出るくらいなんだしアンタが神獣ってことで良さそうね。色々と聞きたい事があるから、ちょっと付き合ってくれない? 一応、森の民から聞いてきた捧げ物も持参して――」
ココノアが近づこうとした瞬間、巨大スズメが翼を広げて会話を遮った。同時に風圧で生じた衝撃が大地を走る。白煙を吹き飛ばした彼女の魔力渦にも匹敵するパワーだ。
「ふざけた語尾のくせして、NeCOのフィールドボスくらいのレベルはありそうじゃない、このデカスズメ……!」
「待ってくれ! ボク達は戦いにきたわけじゃないんだ!」
「問答無用チュン! オイラの水浴び場を荒した報い、その身で受けるがいいでチュン!」
怒り狂った神獣は、嘴を大きく開いて威嚇のポーズを取った。自らを原初の獣と称する古代生物はヒトの話など聞く耳を持たない。世にも珍しい巨鳥と少女達の戦いが今、始まる……




