075.原初の獣③
野菜や魚肉の練り物、卵などを黄金色のスープで煮込んだ異界の料理――レモティー達が"おでん"と呼ぶそれを、ナナシと名乗った男は綺麗に平らげた。身体の内側にホカホカとした熱が宿るのを感じながら、彼は穏やかな顔で星空を見上げる。
(妻の手料理のような、身体に染み渡るような奥深い味だった……)
家族と楽しく食卓を囲んでいた光景を回顧し、冷え切っていたナナシの心は暖かくなる。半魔半人であった頃は魔力の補給を目的とした食事しかしておらず、それも生物の死骸を体内に取り込んで空腹を満たすという粗末なものでしかなかった。久方ぶりに味わった心の籠もった料理によって、彼は人としての在り方を思い出すことができたのだ。
「お見事な食べっぷりですね! おかわりはまだありますよ?」
「いや、これで十分だ……感謝する。私が言うのもおかしいかもしれないが、お前達は相当な変わり者だな。罠に嵌めようとした相手を蘇生しただけでなく、食事まで振る舞うとは……」
「蘇生はメルが勝手にやっただけだっての。それにおでんを食べさせたのは毒……じゃなくて、単なる気まぐれよ、気まぐれ! ほら、こういうキャンプだと大勢で食べた方が美味しいでしょ?」
途中で言いかけた言葉を飲み込み、苦笑いで誤魔化すココノア。彼女はメルが見つけたキノコが本当に食べても良いものなのか、こっそりナナシで試していたのだ。レモティーの鑑定スキルで無毒なのは判明していたが、いかにも毒キノコといった見た目だったので実際に食べるのは勇気が必要だった。幸い彼には何の症状も見られないことから、キノコが無害であったと証明された事になる。
「このキノコ、歯ざわりが良くてなかなか美味しいですね! レモティーちゃん、今度これをリギサンで栽培してみてはどうでしょうか!」
「あ、うん……確かに味は悪くないと思うよ? でも見た感じがちょっとエグイからね……おでんに入れたから目立ってないものの、そのままじゃちょっと使いづらいかなぁ」
箸で毒々しいキノコの頭を摘み上げるレモティー。見た目に反して香りは良く、旨味も十分だが紫色の傘はどうしても忌避感を与えてしまう。刻んで他の具材と混ぜたり、見えないように包み込むような工夫が必要ではないかと彼女は考えていた。
一方、食の細いココノアは早々に食事を終えており、自分の食器を湖の水で洗い終わったところである。彼女は馬車の荷台に腰を下ろすなり、ナナシに質問を繰り出した。
「それじゃ、そろそろ話を聞かせて貰うわよ。前と今で姿が全然違う理由はもちろんだけど、どうして偽物に化けてうちらを襲撃したのか……その辺も正直に話しなさいよね」
見定めるようなエルフ少女の鋭い視線に、ナナシは頷いて了承する。ココノアが言った通り、その容貌は大きく様変わりしていた。泥塊であった頃からは考えられないほど、今の彼は逞しい。無駄のない引き締まった肉体は美しく、中性的な顔立ちと紺色の長髪が目を惹く美丈夫だ。
ただし蘇生前に衣服を身に着けていなかったため、ナナシは全裸であった。男性への免疫がなさそうなメルやココノアには刺激が強すぎるかもしれない――そんな懸念を抱いたレモティーは、夕食作りの合間で即席の布服を作成済みである。
「ボクはともかく、他のみんなが目のやり場に困るだろうし、これを着てもらえないかな」
「……失礼した。前の身体に慣れすぎて配慮が欠けていたようだ。有り難く使わせて貰おう」
ナナシは手渡された服に素早く袖を通した。そして焚き火の近くで腰を下ろすと、揺らめく炎を見つめながら自身について語り始める。
「私はかつて指名手配犯を専門とする賞金稼ぎだった。今なら冒険者と言った方が分かりやすいだろう。仲間と共に無差別誘拐事件の首謀者と目されていたリーデルという男を追い詰めたが、作戦に失敗して私は奴に捕まった。そして魔物と人間を融合させる魔術の実験台にされた結果、あのような姿になったのだ」
「実験って……そんな事する意味なんてあるの?」
「奴は"人を超えた異能を得る"研究の一環だと言っていた。魔物は人間を喰らうことで魔力を蓄え、様々な能力を獲得している。その因子を取り込むことで人の枠を超えた存在を生み出す、というのが狙いだったようだ。現に私は他人そっくりに成り済ます事ができる力を得たからな」
「それがうちらの姿を模倣してた能力だったってことね」
ココノアの推測を肯定するかのように、ナナシは首を縦に振る。
「ああ、そうだ。リーデルはそれを完璧なる鏡像と名付けた。そして契約の魔法を掛けられた私は、ただ命じられるままに他国の内偵や要人暗殺を繰り返した。何の疑問も持たずにな……」
「契約の魔法……前にも聞いたことあるわね。レモティー、覚えてる?」
「うん、創造生物を獣の収納籠と紐づけている魔法と同じ名前だね。だとすれば、違法改造された獣の収納籠が亜人に対して使えた事にも納得できるよ」
「創造生物に付与されているのは、契約の魔法を簡易化した術式に過ぎない。魔道具の持ち主を主人として認識させるだけのものだ。違法改造された方は恐らく制約を取り払い、元の魔法に近づけているのだろう。真なる契約の魔法は魂すら縛る絶対遵守の術式……掛けられた者は主人に抗う事ができなくなる。例えそれが自分にとって最悪の命令であっても、だ……」
陰りを帯びたナナシの表情から、ココノアは凄惨な過去を感じ取った。彼女はそれ以上の事を追求しなかったが、代わりに会話で出てきたリーデルという存在について尋ねる。
「次はリーデルって奴のこと教えて。アンタはその男に指示されてうちらを襲ったみたいだし、ソイツが黒幕ってことでしょ」
「奴にはお前達も一度会っているはずだ。左眼に青、右に黄の眼球を持つ男に覚えはないか?」
「それってまさか……! でも名前が全然違うじゃないか!?」
レモティーが驚いたような声をあげた。少女達が出会った人物の中で、オッドアイの人間といえば1人しかいない。オキデンスにおいて最高位の爵位を持つ貴族、サンディクス=マルロフだ。腑に落ちない素振りを見せる少女達を一瞥すると、ナナシはサンディクスとリーデルが同一人物である理由を説明した。
「サンディクスはマルロフ家の正統な嫡男だが、中身は既に喰われて消えている。あの器に入っている魂はリーデル……2000年以上前から生きている古代の人間族だ」
「2000年って……長過ぎるでしょ!? エルフでも人間族の3~4倍くらい生きれば長い方だって言われてるのに、それよりも長生きって絶対おかしいじゃない」
「肉体に関してはその通りだが奴は他人に憑依する術を習得し、身体を乗り換えることで寿命から逃れてきた。ここ数百年はマルロフ公爵家の血筋を器として使っているが、この事実を知る者は誰1人としていない。直接本人から話を聞いた私以外はな……」
「憑依して身体を乗っ取る……それって、アスタロトがメルにやろうとしてた事と同じよね。実際にそういう魔法があるのは事実なんだろうけど、それが本当なら厄介よ。メルは大丈夫だったみだいけど、うちらが防げるとは限らないし……」
ココノアは腕を組んで考えを巡らせる。アスタロトはメルの魂を護る謎の力に阻まれたが、他の者が憑依を防ぐことができるという根拠はなかった。そもそもシステムに"憑依"という要素がゲームの仕様になっていたNeCOにおいて、憑依術を防ぐ事は不可能だ。しかしナナシは問題ないとばかりに頭を横に振る。
「その点は心配不要だろう。リーデルの憑依術は入念な準備と時間を要する。魔王を制したお前達であれば発動前に妨害できるはずだ。だが、奴を倒すのは諦めた方がいい……」
「それ、どういう意味よ? 古代人って言っても元は人間なんでしょ?」
「いや、リーデルは神に最も近い男と言って良い。奴は殺しても死なないのだからな。代わりに奴の下僕が死ぬだけだ。私もそれを見誤って、捕まってしまった」
「死なないって、不死の魔物みたいなものかい? それならボクでも倒せるし、何とかなるんじゃないかな」
火に枝を焚べていたレモティーが反応した。しばらく前に彼女はトルンデインへの行商途中で遭遇したデミリッチと呼ばれる不死者を討伐している。不死属性の特徴でもある異常な再生能力が追いつかない大ダメージを叩き出せる上、ヒール砲という特殊な対抗手段まで持っている少女達にとって、不死の魔物は大した驚異ではなかったのだ。だがレモティーの意見は真っ向から否定された。
「通常の生物とは魂の構造が根本的に異なると考えてくれ。あの男は大量に存在する下僕の命によって守られている……故に、本人が息絶えても下僕が生贄になることで、死の運命から逃れることができるのだ。いわば、生命の備蓄と言ってもいい」
「うーん……すぐには信じられないような話だけど、言わんとしている事は何となく分かったよ。仮にサンディクスが残機制みたいな能力を持ってたとしても、問題にはならないかな。だって、その下僕が全滅するまで倒し続ければ良いだけだろう?」
「命を使い切らせる、か……理論的にはそれで討滅することも可能だろう。だが奴の下僕は、"隷属の刻印"と呼ばれる呪いを付与された亜人達全員だ。それを成し遂げるのであれば、お前達は何万人もの命を奪うことになるぞ」
「あの刻印にそんな効果が!? 無茶苦茶すぎるじゃないか、そんなの……!」
ナナシの言葉に眉を顰めるレモティー。隷属の刻印がユキような小さな子にも付与されていた事を知っている彼女は、その趣味の悪さに憤りを感じずにいられなかった。過去にカタリナから聞いた通り、刻印がいつの間にか宿っているものならば、対象者は膨大な数となる。
「隷属の呪いを与えられた者は、いかなる場合でも主の代わりに命を捧げなければならない。只人が抗うことは不可能だ。奴を仕留めるのならば、多くの犠牲を払う覚悟をすることだな」
「あの嫌味な男なら、それくらい平気でしてもおかしくはないわね。でも、そんな大人数相手にどうやって魔法を掛けたのよ? この大陸にいる亜人ほぼ全てに付与するなんて、現実的にあり得ないでしょ?」
「無論、1人1人に呪いを掛けてはいない。奴はアレを利用している」
そう言ってナナシは湖の上空を指差す。遠く離れた山の向こう側に、薄いカーテンのような青白い膜が微かに揺らめいていた。それに見覚えがあったレモティーはオキデンスに到着してからの記憶を振り返る。
「あれは……カタリナさんが教えてくれた防護結界の光かな。魔物の侵入を防ぐために設置されてるって聞いたけども、違うのかい?」
「大掛かりな術式である以上、低級の魔物が警戒してもおかしくはないだろう。しかし、あの結界は外ではなく内側に向けられたものだ。魔力密度は低いが、代わりに隷属の呪いを大陸全土に及ぼす効果を持っている。魔法に対する抵抗が無い産まれたばかりの赤子であれば、確実に刻印を受けることになるだろう」
「それが本当なら、サンディクスは亜人の赤ん坊に呪いをばら撒いて身代わりにしてるってことか……! ボク達への影響は皆無だろうけど、こんな酷い事を見過ごすことはできないね」
レモティーはサンディクスに対する不快感を顕わにした。元々、迎賓館で出会った時から少女達とは相容れなかった男である。それに加えて今回、ナナシを使って実害を及ぼそうとした事でサンディクスは一線を踏み越え、明確な敵対者となったのだ。
ただし、その身に厄介な罠が潜んでいる限り手出しすることは出来ない。無辜の犠牲者を出すことなく、彼に天誅を下すための攻略法を考える必要があった。
「今のところナナシが喋ったことが全て真実なのか判定する術は無いんだけども、だからと言って否定する材料もないし、式典までに対策を考えようか」
「対策って言っても、虱潰しに刻印を解除するくらいしか無いんじゃないの? どう考えても時間が足りないけど」
「流石にそれは不可能だね……どうしたものかなぁ」
揃って深い溜息を吐き出すレモティーとココノア。その様子を隣で見つめていたリセとメルは、互いに顔を見合わせて頷いた。2人は既にサンディクス攻略の鍵を手にしていたのである。
「ん、その点は心配ないよ。あたし達は似た条件のボスを攻略済みだから」
「はい、NeCOをプレイしてた私達なら対処できます!」
自分達であれば対処できるとメルが言い切った根拠――それはNeCOのサービス末期に実装された"フェリクス"というボスにある。古代のダンジョンで待ち構えるフェリクスは、倒してもパワーアップして3回まで自動復活するという、プレイヤー泣かせのギミックを備えていた。自動復活を全て使い切らせるのが正攻法であったものの、指数関数的にステータスが加算されていくため、大抵のパーティはそれまでに全滅してしまう。そのあまりに理不尽な強さはすこぶる評判が悪く、攻略不可能なボスを実装するなとSNSでプチ炎上を起こしていたほどだ。
「ココノアは覚えてない? 古代神殿の奥にいたイケメンのボス。あたし達が一度全滅した相手だよ」
「あ、思い出した……! あのクソボスの事ね。女性プレイヤーに人気らしいから見てみたいってメルが言い出して、様子見に行ったらボコボコにされた奴!」
「そうです、そのイケメンさんです! いやぁ、あの時は有無を言わさず全滅してしまいました。私の回復魔法が全然役に立たなかったのが原因なんですけども……」
申し訳無さそうにメルは猫耳を折り曲げる。プレイヤー達の上位種族でもあり、最古の君主という設定のフェリクスは長身銀髪の色男であった。特徴だけ抜き出せばエリクシア王国で会ったセロとの共通点も多いが、性格は正反対と言っていい程の暴君であり、おまけにあらゆる防御スキルを無視して最大HPの9割を奪うというロクでもない強スキルの持ち主でもある。NeCOの廃プレイヤー達が大挙して挑んだが、誰も突破できなかった。メル達も1回は倒したものの、自動復活が発動してその後すぐに全滅してしまっている。
「今だと随分と懐かしく思えるなぁ、フェリクス戦。最初はボク達もあっさり全滅したっけ。復活するとは聞いてたけど、全回復する上に全ステータスが強化されるのは想定外だったよね……」
「でも私達は試行錯誤して攻略法を見つけました! 今回だって大丈夫ですよ!」
「……なるほどね、確かにフェリクスの攻略法は役に立ちそうかも。最後の詰めをどうするかは改めて考えないといけないけど」
「ん、そうと決まればしっかり作戦を練ろう。考えられる相手の選択肢には全て対策しておく……それが対人戦の基本だから」
「あはは、リセは相変わらず徹底してるなぁ。でもみんなが一緒なら不思議となんとかなりそうな気がしてきたよ!」
その後しばらく、盛る焚き火にも負けない活発な議論が交わされた。一致団結して困難に立ち向かおうとする少女達の気概を肌で感じ取り、ナナシは頬を緩める。自分にもこういう時代があったと懐かしむ気持ちが少なからずあったのだ。
しかし一方で彼の胸中には不安が渦巻く。相手は2000年を超えて生きてきた古代人というだけでなく、実質的に大国を支配する強大な覇者だ。策謀や古代魔法にも長けており、油断はできない。魔族にも勝る力を持つ者達といえども、手玉に取られる可能性があった。だからこそ少女達に覚悟を問う。
「今一度、お前達に確認したい。サンディクスはこの国を牛耳る権力を持つだけでなく、古代から技を磨いてきた魔術師でもあるのだ。いかに強き力を持つ一団でも、奴の術中に嵌まれば瓦解は免れないだろう。そんな敵を相手にして、最後まで戦い抜く事はできるのか?」
「不安が無いといえば嘘になります。この世界には私達の知らない魔法がいっぱいあるみたいですし、情報も全然足りていませんから。でも、大丈夫です! どんな困難でもこの4人なら乗り越えられるって、私は信じてますので!」
「そうか……良き仲間に恵まれたのだな」
ナナシは共に旅をしていた旧き仲間達の顔を思い浮かべる。各地で指名手配されていた犯罪者を捕まえ、人々に感謝される喜びを友と分かち合った日々は眩しいほどに輝いていた。だがそれを壊したのは彼自身でもある。過去を精算するためリーデルへの復讐を誓ったナナシは、真剣な眼差しで少女達に協力を申し出た。
「お前達が何をしようとしているのは分からないが、私も協力させてはもらえないだろうか。奴に操られた私は多くの命を奪ってしまった……その贖罪を果たしたいのだ。勿論こんな言葉で信用してもらえるとは考えていない。しかし今の私にできる事はこれだけだ。どうか頼む……ッ!」
「……その気持ち、本物なんですね。分かりました、こちらこそお願いします。ナナシさんの力を貸してくださいな!」
「信じてくれるのか……?」
「私達が作ったおでんを、あれだけ美味しそうに食べてくれた人を疑ったりはしません!」
あっさりとナナシを受け入れたメルに、ココノアの顔色が変わる。情報を聞き出すだけならばともかく、自分やメルを騙りって同士討ちに陥れようとした相手を無条件に信じる事は出来なかったのだ。
「ちょっとメル、なんで即OKしてるの!? コイツ、元々は敵なんだからね! 怪しいにも程があるじゃない! レモティー、鑑定スキルで嘘をついてるかどうかってチェックできる?」
「実は鑑定ってそれほど万能じゃなくてさ……ステータスは見られるけど、生い立ちとかまでは分からないんだ。信じるかどうかは言葉で判断するしかないよ。ちなみにボクも彼が何かを企んでるとは思えないかな。敵対するつもりだったら出された料理を最初に口につけるなんてリスクの大きい行動、取らなかっただろうし」
「ん……寝返る可能性を考えれば、ここで仕留めておいた方が良いとは思う。でも蘇生したのはメルだし、メルが良いって言うなら別に構わないよ。もし何かあってもあたしが護るから」
「もうっ、リセにまで賛成されると、うちの立場がなくなるじゃない。はぁ……揃いも揃って警戒心無さ過ぎなんだから」
ココノアは諦めたように肩を竦める。愚痴を言いつつも、結局は友人の選択を受け入れたのだった。普段はメリットとデメリットを天秤に掛けて行動する彼女だが、メルの前ではその考え方が成り立たなくなってしまう。それがどうしてなのかは、自分でもよく分かっていない。
(まったく、メルは昔からお人好しすぎるのよ。NeCOでも辻ヒールばっかりしてて、何のためにゲームしてるのか分かんなかったくらいだし……ま、そういう所が好きだったりもするんだけど)
NeCOプレイ時代、ダンジョンでメルの献身に救われた事をココノアは今も大切に覚えていた。損得に囚われず、自分が正しいと想ったことを貫ける友人だからこそ、彼女は心惹かれたのである。
「しょうがないわね……うちらに仕掛けてきた事はメルに免じて大目に見てあげるけど、まだ完全に信用したわけじゃないから。変な素振りをみせたら容赦なく消し飛ばすつもりよ」
「恩に着る……」
少女達に向かってナナシは深く頭を下げた。彼は硬い表情を崩すことなく、続けて協力できる内容について述べ始める。
「これでも長期間に渡って暗殺稼業に手を染めてきた身だ。変身能力が無くとも、荒事や潜入なら役に立てるだろう。ディア・メトロスの地理も一通りは頭に入っている。何でも指示してくれ」
「それなら建国式典会場の下調べって出来る? うちらも簡単な見取り図は持ってるんだけど、もう少し詳しい状況を知りたいのよね。サンディクスの事だから、なにか仕込んでるかもしれないし」
「無論だ。会場となる王宮広場の地下には、奴が建造した構造物が存在していた記憶がある。私も詳細は知らないが、式典に何らかの影響を与える可能性があるかもしれない。隅々まで調べ、確実な情報を報告できるように全力を尽くそう」
ココノアの質問にそう答えるとナナシは立ち上がった。焚き火に背を向け、おもむろに森の方へと歩き始める。
「……そろそろ定時連絡の時間だ。サンディクスによる介入を避けるため、お前達の討伐が成功したと偽の情報を伝えておく。それでしばらくは邪魔が入らないだろう」
「連絡って言っても、その声と見た目じゃすぐにバレるんじゃないの?」
「手段はいくらでもある、問題ない。定時連絡の後、その足で私はディア・メトロスを目指そう。次に会うのは街の中だ。しかし調査の過程で私が奴に操られ、再び敵対するようなことがあれば……その時は遠慮なく討って欲しい。本来の末路を辿るだけなのだから、お前達が気にすることはない」
そう言い残して立ち去ろうとするナナシ。その背中が儚げに見えて、メルは思わず声を掛けた。
「せっかく元の身体に戻れたんですから、やりたい事とか色々あったんじゃないですか……? そちらを優先して貰っても良いんです。ほら、例えばお知り合いの人達に会いに行くとか!」
「……気遣いに感謝する。しかし私の家族や友人は500年近く前に冥府へと還ってしまった。今となっては墓すら残っていないだろう。故に、私は今やるべき事に専念するだけだ」
「500年!? そんな昔からナナシさんは生きてたんですか? そんな風にはとても思えないですけど……」
「恐らく、魔物と融合した際に人間族としての寿命が書き換えられたのだろう。もっとも、化け物として生かされていただけの時間に、意味など何も――」
「あっ、そういえばナナシさんって元冒険者さんでしたよね! それなら私達の大先輩ってことじゃないですか!」
悲哀が漂っていたナナシの言葉を、メルの明るい声が上書きする。想定外の反応を返されたことで、彼の足はピタリと止まった。そして唖然とした表情を浮かべて少女達の方を振り返る。
「大先輩……私が、か?」
「そうですよ! 私とお友達も冒険者なんですけど、まだまだ日が浅いんです。だから今度、色々教えてもらえませんか? 冒険者時代に旅した場所とか、お仕事のお話を聞きたいです!」
「確かに友とは各地を旅をしていたが、今の私は……」
その後に続く言葉が浮かばず、ナナシは黙り込んでしまう。仲間殺しの罪を背負った自分に、冒険者だと名乗る資格があると思ってはいなかったからだ。それでも赤い瞳は真っ直ぐに向けられており、彼を先達と信じて疑わない。
(なんと眩しい瞳だろうか……)
仲間と妻を手に掛けた事実を思い出した時から、ナナシは自らの人生を無意味なものだと蔑んでいた。リーデルに一矢報いる事ができるのであれば、いかに惨めな死に様を晒しても構わない――そんな風にして過去と未来の両方を切り捨てた彼にとって、話を聞きたいと寄り添ってくれた存在は枯れた大地を潤す慈雨にも等しい。ナナシは自身の胸に手を当てて、この少女を裏切るようなことはしないと固く決心した。
「そうだな……いつか話をしよう。仲間達と紡いだ私の旅路を」
「はい、楽しみにしてますね!」
「では、そろそろお別れだ。お前達がディア・メトロスに到着した頃合いを見て合流し、調査結果を報告しよう」
そう言い残して、ナナシは黒く染まった森の中へと姿を消す。その背中を見送った後しばらくして、レモティーは丸腰で大丈夫なのかと心配し始めた。
「服しか渡さなかったけど、まともな装備を作ってあげた方がよかったね……あれじゃ森を抜けるのも厳しいんじゃないかな」
「荒事もやれるって言ってたくらいだし、大丈夫でしょ。それより、後片付けをしないと。早く寝て明日に備えるわよ」
「それもそうだ。朝が早かったせいか、いい感じに眠気を感じるね。それじゃそろそろ焚き火を片付け……って、メルはまだ食べてたのかい!?」
三脚から鍋を取り外そうとしたレモティーの視界に入ったのは、食事を続けるメルの姿であった。ジャガイモの塊を急いで咀嚼し、ゴクンと飲み込んだ彼女は上目遣いで苦笑いする。
「みんなお腹いっぱいそうだし、全部貰っちゃおうかなって……ひょっとして残しておいた方が良かったですか?」
「いやいや、明日の食事は別に用意するつもりだったから問題はないよ。ただ多めに作ってたから、絶対に余ると思ってただけでさ。全部食べきってくれるなら、それに越したことはないかな!」
「ん、おかわりするよ。メル、椀を貸して」
「お願いしますっ♪」
リセは杓子で寸胴鍋の底に沈んでいた具を寄せ集めると、ひときわ大きなメル専用の椀に残らず注いだ。最初は大量の具材が溢れんばかりに煮込まれていたが、今では底がハッキリと目視できる。その様子を覗き込みながらリセは微笑んだ。
「尋問用に用意してた灼熱おでん、メルが全部処理してくれたね」
「尋問用って……まさか本当にそういう用途で用意したと思われてたのかい!? こういう時は熱々おでんでしょ、ってココノアが言うから作っただけだよ!」
「アイツが素直に喋らなかったら、日本流の洗礼を受けさせてたかもね」
ヤンチャに口元を綻ばせつつ、ココノアは食べるのに夢中な友人の横顔を見つめる。フーフーと息を吹きかける仕草に連動して揺れる猫耳があまりに愛らしくて、無意識のうちに彼女の口から本音が漏れ出てしまった。
「偽物なんて比べ物にならないほど、本物は可愛いんだから」
呟いてから慌てて自分の口を手で塞いだが後の祭りである。本人の耳にはしっかりと届いており、メルは八重歯を見せて照れ笑いした。その夜、ココノアが恥ずかしさのせいで寝付けなくなったのは言うまでもない。




