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うちの子転生!  作者: 千国丸
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074.原初の獣②

――マルロフ公爵家 多目的広間――


メル達が賑やかな食事会を楽しんでいた頃、サンディクス=マルロフの館では贅を凝らした晩餐会の真っ只中であった。サンディクスは五大名家の貴族達を定期的に招き、情報交換や親睦を深める場を設けている。この日も1人として欠席することなく、豪邸に相応しい装いの伯着達が一堂に会した。


「ふむ、やはりマルロフ家の料理人の腕には寸分の狂いはありませんな。このような至高の料理、恐らくこの世でここでしか口に出来ぬでしょう」


「この仔牛モモ肉のロースト、魔力を高める作用を持つ精霊樹の種子が贅沢に使われていますね。さすがマルロフ公、味だけではなく効用にも着目されているとは……お見事です」


ユリウスとデケンベルが極上のメインディッシュに舌鼓を打つ。彼らが囲む真っ白なテーブルクロスには一目で高価なものだと分かる食器が並べられており、貴族達の豊かな生活っぷりを物語っていた。同じ国であっても、一欠片のパンにありつくのにゴミを漁らなければならないスラムとは真逆である。


「喜んで貰えて嬉しいよ。さて、みんなには聞いてもらいたい報告があるんだ。数日前、西部の主要拠点であるラクエスが陥落したと軍から報告があったと思うけど、その主犯が判明してね」


「主犯ですと……? 確か軍の報告書にはミコトの元配下と現地の亜人達が結託した可能性が高いと書かれておりましたが、それと異なる勢力が参戦していたとでも仰るのですか?」


「ああ、その通りだよオクトーベル卿。信頼できる者に調査させたところ、どうやら(くだん)の大使殿が関わっていた事が分かったんだ」


「まさか、この一件に帝国軍が関与していると……!?」


不安げな表情で問うオクトーベルに、サンディクスは首を振って否定する。


「いや、帝国軍の侵入は許していないし、海岸線の防護結界にも異常は見られなかった。つまり、首謀者は国内の人員だけで砦を攻略したということさ」


「ほう……ならば大使殿が直接乗り込んだ、ということですかな? しかし、曲りなりにも我が一族に名を連ねる者が砦を守っておりました。兵力だけでなく最新鋭の装備も与えておりました故、たかだか数人程度に脅かされるようなことは断じて無いと言い切れます」


「ああ、勿論だ。マイウス卿の言う通り、単なる女子供に攻略できるほど軍は脆弱ではないさ。しかし、その大使殿がデクシアに現れた魔王を屠った恐るべき存在だとしたら……どうだろうか?」


サンディクスの言葉に貴族達の手が止まった。それまで響いていた食器の音も消え去り、広間が静まり返る。そんな静寂を最初に破ったのはデケンベルであった。


「失礼ながら……その根拠はあるのですか?」


「忠実な下僕(しもべ)からの情報提供さ。彼には魔王を倒した者達について調査を依頼してたんだ」


そう言ってサンディクスは部屋の隅へと視線を向ける。すると真っ黒な影が床に広がり、そこから小柄な男が姿を現した。黒装束を纏っているせいで素性は分からないが、漂わせている歪な魔力は決してヒトとは相容れないものだ。彼が人外の存在であることは誰の目にも明らかだった。


「なるほど、闇の追跡者(ダークストーカー)ですか。ならば、信頼のできる情報なのでしょうね」


「マルロフ家の懐刀が既に動いていたとは……頼もしい限りですな」


デケンベルとユリウスが納得したように呟く。黒装束の男がサンディクスの右腕にも等しい存在であることを伯爵達は知っていた。その素性は謎に包まれているものの、マルロフ家専属の密偵として裏社会で名を馳せる彼は、依頼達成率98%を誇る最高峰の暗殺者でもある。厳重に守られている他国の政治家すら難なく始末してしまうため、反貴族派の市民議員にとって黒装束は恐怖の象徴でもあった。


「……」


無言で佇む暗殺者は顔を布で隠しており、その表情を読み取ることは難しい。目に該当する部分は隙間があるものの、そこからは悍ましい深淵が覗いているだけだ。彼は禁術によって魔物との融合を果たした、"半魔半人"と呼ばれる異形の者であった。姿を変幻自在に変える力を得た代償として醜い化け物に成り果ててしまったため、主人の前でも顔を見せることは無い。

それでもサンディクスはこの男を高く評価していた。類稀なる変化の能力を以ってすれば、ターゲットの親族に成り代わって人知れず謀殺する事などは勿論のこと、内乱の原因を作り組織を自滅させることも容易であったからだ。そんな彼をわざわざ晩餐会の場に呼びつけたのは、サンディクスにも考えがあってのことであった。しかし伯爵達は公爵の手を煩わせまいと、先に軍による討伐を提案する。


「そのような危険因子を自由にさせておく道理などありませんな。早速軍をシニストラ自治区へ派兵しましょうぞ。式典までには全員の首を持ち帰って進ぜます故、出陣の許可を頂きたく……!」


「マイウス卿、少し落ち着いてくれないか。君の良いところはその思い切りの良さではあるけども、砦が落とされた怒りで冷静な思考ができなくなっているようだね。式典に参加いただく国賓の半数以上が既に到着しているんだ。この状況下で軍を動かすのは得策ではないだろう?」


「むぅ……ごもっともですな。失礼致しました、マルロフ公」


「いや、分かってくれればそれでいい。それに魔王を倒せるような化け物連中に、何万人差し向けたところで意味はないさ。こちらが消耗してしまうだけだからね」


「ならば、どうされるおつもりで……? このまま式典への参加を許すわけにもいきますまい」


神妙な顔でマイウスが尋ねる。当初、サンディクスはデクシア帝国の大使を国賊と共謀した罪で糾弾し、帝国遠征の口実にする計画を立てていた。しかし上級魔族を倒すほどの戦力と衝突すれば、式典会場どころかディア・メトロスが廃墟になりかねない。伯爵達が静かに回答を待つ中、サンディクスはニヤリと唇を歪ませた。


「手に負えない相手を倒すときは、同等の力を持つ者を利用する……それが()()()僕がやってきた方法さ。都合よく、あちらには4人もいることだしね」


「仲間同士の不和を誘う、ということですかな? しかし同士討ちさせるためには相応の準備が必要……式典までの時間はそう残されておりませんぞ」


ユリウスが白髪の混じった眉を顰ませる。闇の追跡者(ダークストーカー)は視界に捉えた相手の姿とそっくりに化ける事ができるものの、人格や能力までは複写できなかった。従って人物を特徴づける口調や振る舞いといった要素まで完璧に近づけるには、今しばらく時間が必要だろうと睨んだのだ。しかしサンディクスは涼しい顔でその懸念を払拭する。


「大使殿の人員構成を忘れていないかい? どういう経緯で知り合ったのかは知らないけども、年齢的に彼女達は出会ってからそう時間は経っていないだろう。容姿を完璧に真似れば、まず勘付かれることはないと見て良い。それに大使殿に関する主たる情報は収集済みだからね、彼ならばきっと期待に応えてくれるよ」


「勿論ですとも、サンディクス様。この私めに全てお任せを……」


不意に黒装束の男が答えた。複数の声色が混じったような不気味な響きを耳にして、思わず伯爵達は押し黙る。肉体と同様に彼の声帯も奇怪な形状へ転じており、元々の声は失われていた。


「ではこの件は一任しておこう。僕は式典の準備に集中したいからね」


「御意……」


男はそう言い残すと、音も無く影の中に姿を消した。広間は照明により隅々まで明るく照らされているというのに、誰にも彼の行き先は分からない。転移魔法にも等しい妙技を目の当たりにした伯爵達は驚きの声を漏らしたが、その一方で底知れない恐怖を感じていた。もしあの暗殺者を差し向けられるような事があれば、決して逃げることはできないだろうと直感したからだ。


「おっと、すまない。僕の長話のせいで料理が冷めてしまったようだ。新しいのを持ってこさせよう」


サンディクスは静まり返った食卓を一瞥すると、両手を何回か鳴らした。その音を合図にして、侍女達が新たな料理や酒を持って部屋に入ってくる。にわかに人が増えたことで部屋に賑わいが戻り、伯爵達は安堵の溜息をついた。


「そういえばミコトの処遇だけど、しばらくは自由にさせておくことにしたよ。アレには利用価値があるし、そもそも幽閉に処したのは反乱分子を焙り出すためでもあったからね。その役目を果たしてもらおうじゃないか」


「利用価値、ですか……しかし未だに奴を支持する亜人は多いと聞きます。亜人解放団(レジスタンス)が担ぎ上げれば、想定以上の規模になりかせませぬぞ。早々に捕らえて見せしめに吊るす方が良いのでは?」


「マイウス卿、我らに歯向かった亜人の末路を衆目に晒すのであれば、それこそ式典の場が最も効果的ではないですかな。何より亜人共がいくら集まった所で、首輪と刻印があれば制圧は容易。何も心配することなど要らぬでしょう」


「確かにユリウス卿の仰る事には一理ありますが……いや、もう何も言いますまい。マルロフ公のお考えならば、何も心配する必要は無いでしょうからな」


「フッ……信頼して貰えて嬉しいよ。想定外の事象が重なったけど、何も心配することはないさ。式典はオキデンスの新たな船出を祝福する輝かしい日となるはずだ。我が国のさらなる発展を願って、乾杯といこう」


サンディクスの言葉に従い、4人の貴族達は高級酒が注がれた美しいグラスを高く掲げた。それぞれがオキデンスという国をさらに豊かにしたいと願っているのは事実であるが、ただ1人だけ今後の行く末に複雑な想いを滲ませている者がいる。穏健派のオクトーベル伯爵だ。


(帝国との衝突はもはや避けられぬのか)


未だに帝国との戦争を良しとしない彼は、内心酷く揺れ動いていた。サンディクスが進めている式典の"準備"には、デクシア帝国への遠征軍編成も含まれるからだ。当日に国民の世論が遠征賛成に傾けば、その日に派兵しかねないだろう。


(大使殿にこの事を至急お伝えすべきだが、既にマルロフ公の腹心が動いたのであれば無駄なことか……)


未だに連絡系統に乱れが生じている帝国に正しく情報を送るには、大使を経由するのが最も確実であった。しかし策謀に長けるサンディクスが先手を打った以上、大使達が無事にディア・メトロスに戻ってこられる保証はない。冒険者ギルドに大使の保護を依頼する手もあったが、自らの行動がサンディクスに監視されている可能性を考慮すると、迂闊に動くことはできなかった。


(しかし、諦めるわけにはいくまい。民のためにも戦争だけは絶対に阻止しなければならないのだからな……!)


華やかな食事の席に居ながらもオクトーベルの心は熱く沸き立つ。自分が今すべき事は何か――その答えを求めて、彼は必死に考えを巡らせた。




――翌日 シニストラ自治区北部森林――




食事会の後片付けで就寝が遅くなったにもかかわらず、レモティーは勢い良く北方の山嶺へ馬車を走らせる。一方荷台ではメルとココノアが肩を寄せてウトウトとしていた。その傍らには2人を微笑ましげに眺めるリセの姿もある。一行は空の神獣に会いに行くという名目の元、温泉地を目指していたのだ。

しかし鬱蒼とした原生林は彼女達の行く手を阻み、何度も迂回をすることになってしまった。馬だけであれば細い獣道でも強引に進む事ができるが馬車が通れるほど幅は無く、ルートを慎重に選ぶ必要があったのだ。その日は早朝に出発したものの、結局1日で辿り着くことはできず、野営を余儀なくされる。夕暮れに差し掛かるタイミングでレモティーは穏やかな湖の(ほとり)に馬車を停めた。


「仕方ない。今日はこのあたりで夜を過ごそう。綺麗な湖が近くにあれば、手洗いには困らないだろうしね」


「ん、明るいうちにテントを張ろっか。ココノア、手伝ってくれる?」


「ほいほい、道具は荷台にあったはずだから……あ、これね」


慣れた様子でキャンプの準備を始めるリセとココノア。そんな彼女達を横目に、レモティーは手製の籠を背負って林の方へと足を向けた。


「ボクは焚き火用の枝でも拾ってくるよ。枯れ木をスキルで作るより拾ったほうが手っ取り早いんだ」


「あっ、私も一緒に行きます! 美味しいキノコとかもあるかもしれないので!」


「ああ、このあたりなら確かに食べられそうな山菜もありそうだね。食用かどうかは鑑定スキルでチェックできるし、食材も探してみようか!」


「はいっ♪」


レモティーの返事にメルは笑顔で尻尾を揺らしながらその後を追う。こうして少女達は枯れ木の収集組とテント組立役の二手に分かれた。だがこの何気ない役割分担が、隙を狙っていた敵対者を呼び込んでしまうことになる。


「そろそろ頃合いだな……仕掛けるとしよう」


遠く離れた大木から黒装束の男が馬車を見下ろしていた。ディア・メトロスから1日足らずで追跡対象の元に辿り着いた彼は、闇の追跡者(ダークストーカー)と呼ばれる異形の暗殺者である。不定形の魔物と融合した肉体はもはや原型を留めていないため、普段は特殊な布で身体を縛り付けるようにして人の姿を保っているが、それを解き放てば自由自在に姿を変える事が可能だ。ここまでの移動にもその力は使われており、高速で飛翔できる鳥の形態を採用したことで移動時間を半分足らずに圧縮している。


「お前達に恨みはないが、これもサンディクス様の命令だ……悪く思うなよ」


黒布の隙間から虚空を覗かせた男は、装束を脱ぎ去って正体を現した。泥のような液状の塊に、人らしき輪郭だけが残っている不気味な容貌――それはまさに人の形をしたスライムだった。


「馬車の近くにいる連中は……桃色の髪を持つ獣人が適任だな」


そう呟くと、黒いスライムは左右に分かれ始める。まるで植物の茎を裂くが如く滑らかに分離していき、完全に分たれた2体の人型スライムへと変貌した。さらにその片割れがみるみるうちに姿を変えて、彼が監視していた猫耳少女とそっくりの形を作る。髪色や体型だけでなく、獣耳の大きさや尻尾の長さまで完全に一致する精度だ。もはや外見だけで本物か否かを判別することは不可能だろう。


「残りの者共にはエルフを差し向けてやろう」


もう1つの泥塊が体表を波立たせて変形し始めた。まず幼い少女の肉体を生み出し、そこに亜麻色の髪を飾る。さらに側頭部から特徴的な長耳を生やして、艶のある唇と強気そうな紫の瞳も形作った。メルに続き、彼はココノアの姿を完全に模倣したのである。


「ふふっ、うちの見た目はどう? おかしいところはない?」


「はい、どこからどうみてもココノアちゃん本人そっくりですよ」


偽ココノアと偽メルが悪戯っぽい笑みを浮かべて会話する。スライムは分裂した時点から個別人格を保有しているため、一人で二役をこなすことが出来たのだ。本物と区別がつかない容姿だけでなく、話し方や言葉遣いまで完全にコピーするこの能力は畏怖を込めて完璧なる鏡像(ドッペルゲンガー)と称される。一旦発動すれば自分の意思でキャンセルするまで解除もされない。


「それじゃ、あっちはお願いねメル」


「ええ、任せてくださいココノアちゃん」


ココノアに変身した本体とメルに変身した分身が動き出した。偽物達の目的はデクシア帝国大使の同士討ちを誘う事だ。狡猾な魔の手が伸びているとも知らず、少女達はマイペースにキャンプの準備に励む。




――湖から少し離れた林の中――




偽ココノアは森を駆け抜けた先で枝拾い中のレモティーとメルを見つけ出した。何の警戒もせずに枝や野草を拾う呑気な姿を見て、彼はニヤリとほくそ笑む


(帝国で得た報告書には、リセとやらが魔王に操られていたと思しき記録があった。ならばここは奴の裏切りを装うのが合理的だ。剣による裂傷を作るなど、この私には容易いこと……!)


偽りの身体にいくつもの切傷が走った。鋭い刃で斬られた事を思わせる傷が白肌を痛々しく裂いており、あたかも剣士に襲われたかのような状況を再現する。さらに鮮血に見立てた真っ赤な体液を傷口から滲ませることで、深手を追ったように装う。そんな満身創痍の風貌で偽ココノアはメル達の前に飛び出した。


「た、助けてっ! リセに、殺されそうに……なったの……っ!」


「ココノアじゃないか! その傷、どうしたんだい!?」


息も絶え絶えとなったエルフ少女にレモティーが駆け寄った。重傷を追った身体を見た途端、彼女は慌ててメルを呼び戻す。


「メル、急いでココノアに回復魔法を!」


「うちのことはいいからっ……それよりも、リセをなんとかして! 魔王による洗脳が何故か再発したみたいで、いきなり暴走し始めたの。今は目につく生物に手当たり次第攻撃をしかけてくるような状況だから、急いで止めないと大惨事になりかねないわよ……!」


「そんな……リセに掛けられていた魔王の術はメルが解除したはずだ! どうして今頃……!?」


困惑するレモティーの顔を見つめ、偽ココノアは僅かに笑みを浮かべた。それがこれまで騙してきた者と同じ反応だったからだ。自分を疑いすらしないその様子に、相手が術中に嵌った事を確信する。


「うぅっ……!」


さらに偽ココノアはダメ押しとばかりに体勢を崩して座り込み、仲間の刃によって深く傷ついた可哀想な少女を演じた。事前調査で把握していた少女達の関係――レモティーとメルがココノアに対して深い友情を抱いているという事実を利用し、リセへの敵意を煽ったのである。さらに魔王の魅了を仄めかすことでこの状況に対する信憑性を補強しており、疑念を抱かせない立ち回りも完璧だ。


(まんまと騙されているようだな。私の分体は今頃ココノアとリセをこちらに向かわせているだろう。感情が昂ぶった状態で顔を合わせれば、もはや戦闘は避けられまい。お前達はここで自滅する運命だ……!)


彼は怒りに囚われた者の思考を熟知していた。冷静な判断ができなくなった時点で相手の破滅は確定したに等しい。出会った瞬間に血で血を洗う醜い争いが勃発するのは必然だ。しかしあと一息という所で、状況は一変する。


「レモティーちゃん、それはココノアちゃんでは無いですよ。単なるそっくりさんだと思います」


偽物であることが初見で看破されたのだ。模倣した皮膚の下まで貫かれるような真紅の瞳に見据えられ、暗殺者は焦りを隠せなかった。


(なぜだ……変化は完璧のはず! どこに見破れる要素があるというのか!? いや、落ち着け……金髪の方は気づいていないようだ。ならばこの2人を争わせるのが最善手……!)


思考を切り替え、偽ココノアは次の手を打つべく思考をフル回転させる。偽物であることが見抜かれた以上、この場はレモティーを焚き付けてメルと争わせるしかなかった。虚像の内側を満たす黒い泥を動かし、相手の心情に訴えかけるような鬼気迫る形相を生み出す。


「どうやらメルも何かに操られてるみたいね……! レモティー、ここはうちらだけで切り抜けるしかないみたいよ! 早くいつもの蔦でメルを拘束して――」


だがその言葉が最後まで吐き出されることはなかった。偽ココノアの手足に細い糸が絡みつき、自由を奪っていたからだ。


「これは……いつの間にっ!?」


「危ない危ない、騙されるところだったよ。見た目はそっくりだけど、確かにココノアじゃないねこれは」


「な、何言ってるのレモティー! うちは本物のココノアだってば!」


レモティーに冷ややかな視線で見下ろされ、偽ココノアは汗を浮かべる。途中まで騙せていたはずの彼女にも見破られてしまった理由が理解できない。


(何が悪かったというのか!? 容姿だけでなく声や台詞も完全に模倣したのだぞ……どこにも判別できる要素などないはずだッ!)


いくら考えたところで、暗殺者に結論を導くことはできなかった。その焦燥が表情にも出ていたのか、レモティー本人が問いに対する答えを示す。


「なんでバレたのかって顔をしてるね。本物のココノアなら傀儡の糸(パペット)で拘束される前に転移で脱出してたはずさ。それにボクの知ってるココノアは君と違って、()()の守りが鉄壁なんだよ」


そう言ってレモティーは偽ココノアの下半身を指差した。しかしそこには本人の服装を完璧にコピーした紅のスカートがあるだけだ。最初は何を言われているのか分からなかった彼であるが、ふとスカートが捲れていることに気付く。地面に腰を降ろした拍子に翻ってしまったらしく、眩しい太腿と水色の下着が露わになっていた。


「ココノアがそんなに呆気なくパンツを見せるなんてあり得ないのさ! 大体、モロ見せされても有難みがないよ有難みが!」


「その割にガン見してるじゃないですか! もうっ、後で本物のココノアちゃんに言いつけますよ?」


「え!? それは勘弁して欲しいなぁ……また杖でお尻を突かれちゃうよ!」


レモティーが言い放った内容を咀嚼することができず、偽ココノアはさらに表情を歪ませる。まさか本当にそんな下らない理由で真贋を見極めることができたのかと、思わず吐き捨てそうになった。


(この女の思考が全く読めん……! 心理戦に持ち込むこともできないとは!)


想定外の状況に陥った暗殺者は作戦続行を断念する。しかし彼にはまだ分身体が残されていた。本物のリセとココノアを騙すことに成功していれば、レモティー達を襲わせることが可能だ。


(しばらくはこの者達に従う振りをするしかなさそうだな……)


ドッペルゲンガーを解除すれば不定形の身に戻ることができるため、拘束から脱することなど造作もない。しかし本体の変身を解くと、分体側にも綻びが現れてしまうという欠点があった。故に暗殺者はココノアの皮をかぶったまま反撃のチャンスを伺う。


「とりあえずこの偽物を連れて馬車に戻ろう。ココノア達にもちょっかいを出してる輩がいるかもしれないからね」


傀儡の糸によって動けなくなった偽ココノアを掴み上げると、レモティー達は湖へと戻った。




――湖のほとり――




馬車のある湖畔に連れて来られた暗殺者は、眼前の光景に言葉を失う。リセとココノアに変化はなく、任務に失敗したであろう偽メルがその足元に倒れていたからだ。分身はうつ伏せのままピクリとも動かなかった。意識が途絶しているらしく、本体からの魔力干渉にも一切反応しない。


「こっちには偽物のメルが出てたのか……って、凄い格好だねこれ!?」


「あ、確かに私にそっくりなのです。服装が酷い状態ですけども……」


レモティーとメルは地面に伏した猫耳少女へと視線を移した。何故か衣服はボロボロになっており、下着すら破れて臀部が恥ずかしげもなく晒されている。凄惨な恥辱を受けたようにも見えるその姿は痛々しく、本人でないと分かっていてもレモティーは表情を曇らせた。


「この偽物、レモティーに襲われたって駆け込んできたの。すぐ本当のメルじゃないって分かったからリセがスキルで昏倒させたけどね。ちなみに最初からこの姿だったのよ」


「ボクに襲われた、だって……!? 嘘にしてもちょっと酷すぎるなぁ。でもその分かりやすい嘘のおかげでココノアは即座に偽物だって判断してくれたんだよね? いくらロリっ子が大好きなボクと言えども、流石にこんな惨い事はしないって分かってくれてるだろうし!」


友人との絆を固く信じるレモティーであったが、ココノアとリセはさり気なく視線を逸らす。偽物と判断した理由の1つが全く別のものだったからだ。


「いや……アンタなら服を破くなんて野暮なことしないで脱がす所から楽しむだろうから、これは嘘をついてるなって……」


「ん、レモティーはそういうことする」


「待ってよ!? ココノアもリセもボクを何だと思ってるんだい!?」


2人の説明内容にレモティーは猛抗議する。そんなやり取りをメルは苦笑しながら見ているだけであったが、ふと偽メルの体が黒い泥へと変貌し始めた事に気づいた。


「むっ、偽物を見て下さいな! 怪しい動きをしてますよ!」


「何よこれ……気持ち悪いわね。レモティーが掴んでるうちそっくりの方も、ひょっとして泥だったりするの?」


ココノアが拘束されたエルフ少女を指差す。液状になった偽メルは本体の足元に集まり、融合を果たしていた。その直後、偽ココノアの姿が崩れて黒い塊へと変貌する。


「まさか揃いも揃って私の完璧なる鏡像(ドッペルゲンガー)を見破るとはな……今回は勝ちを譲ってやろう。だが私は諦めんぞ。これからお前達には、目に映った者が本物か分からぬ不安の日々が訪れるのだ。せいぜい怯えるがいい……!」


傀儡の糸をスルリと抜けたスライム男は、足元の影に溶け込む様にして地面へと潜り始めた。しかしそれを見逃すほど少女達は甘くない。


「逃しませんよ!」


メルが右足に力を込めて地面を踏みつけた。その瞬間、周囲一帯が揺れ動き、彼が潜ろうとしていた場所が隆起する。土ごと押し上げられる形で、泥の塊は空中へと放り出された。


「なんだと……ッ!?」


壁や土にある僅かな隙間に染み込んで姿を眩ませる――スライムの性質を応用した彼の移動技は密室でも防ぎようがない。しかし激しい衝撃によって空中に放り出されたとなると話は別であった。隠れる場所がなければ(まと)同然だ。


「逃げられないように弱らせておこう。宿り木の種弾(ヤドリギ・ショット)ッ!」


レモティーが親指で小さな種を弾く。黒泥に撃ち込まれるなり、それはあっという間に寄生根を張り巡らせた。次第に男の全身から黄緑色の枝葉が芽生えていく。


「ぐっ……何をしたッ!?」


「寄生植物を埋め込んだのさ。それは君から養分を吸い取って最大HP……って言っても分からないか。とにかく、永続的に生命力を下げる効果があるんだ。死にはしないけど、逃げられもしないよ」


「この程度、無理やり引き剥がしてくれる!」


男は再び地面に潜ろうとするが、植物の根が無数に食い込んでいるせいで体の形状を変えることはできなかった。しかも四肢の自由も失われ、碌に動くことすらままならない。それでいて生命力と魔力が吸われている感覚はハッキリと感じられるため、気が狂いそうになる。


(私の体が……植物になったとでもいうのか……!?)


泥に沈んだ虚ろな眼球で全身を見渡す暗殺者。衰弱していく肉体とは対照的に、寄生植物が見せる新緑は眩しい。そのうち自我までも宿り木に乗っ取られるのではないか――久しく忘れていた恐怖を打ち払うように暗殺者は叫んだ。


「私に拷問など無駄なことだ! 人外となった時より、痛覚は殆ど無くなっているのだからなッ!」


「落ち着いてください。こちらは特に被害を受けてないですし、命まで奪うつもりはありません。ただ、どうしてこんな事をしたのか、理由を聞きたいだけなんです。お話してもらえませんか?」


「こちらの情報を聞き出すのが目的か……! ならば私にも考えがあるぞ!」


そう言い放った男は、体内に潜ませていた猛毒入りのカプセルに意識を集中させる。手足は動かせなくとも、身体の内側であれば辛うじて操作可能だ。カプセルを開き、青色に染まった毒素を自らの身体へと染み込ませる。巨躯を誇るオーガですら数秒で死に至らせる劇毒によって、泥の身体は植物諸共(もろとも)に腐り落ちていった。


(ご期待に添えることはできませんでした……ですが、御身の秘密を明かすような無様は晒しません。私はここで死を選びましょう)


薄れていく意識の中で、主人の顔を思い浮かべる暗殺者。彼は自害用としてカプセルを常に携帯していた。自身しか知り得ぬサンディクスの内情を漏らすわけにはいかないため、自死してでも守り通す必要があったのだ。しかし、死への過程においてある疑問が浮かび上がる。


(何故……私の身体に、この印があるのだ……?)


半魔半人の証とも言える黒い魔力の核――身体の中心に埋め込まれた黒球には、契約の魔法と呼ばれる術式の紋様が施されていた。それが印を刻んだ対象に命令を絶対遵守させる禁呪であることを、男はよく知っている。サンディクスが生み出した代表的な魔法の1つだったからだ。


(知らぬ記憶が呼び覚まされていく……まさかサンディクス様は、術式で私の記憶を改竄していたというのか……?)


核の崩壊によって印が薄れていくのに従い、隠されていた過去が暗殺者の意識に投影され始める。走馬灯のように巡っていく光景は、彼に衝撃の事実を突きつけた。


(馬鹿な……これは……これが事実ならば、私は……!!)


禁じられた融合魔法により強制的に魔物と一体化させられた挙げ句、契約の術式で下僕にされた哀れな冒険者が脳裏に映る。その男は家族も仲間もいたが、暗殺者としての役割には不要だという主の命令に従い、自らの手で始末してしまった。真っ赤な血に塗れ、「どうして……」と涙を流したまま息絶えた妻の顔がこびり付いて離れない。


(私は……なんてことを……!)


激しい後悔と自分に対する憤りが、彼の心を黒く染めた。同時に人生を踏み躙られた復讐を果たしたいという想いが沸々と湧き出てくる。しかし何もかもが遅かったのだ。毒は既に全身を蝕んでいる。


(ああ……創世の女神よ……どこかで見ているのであれば……無様な私に復讐の機会を与えてくれ――)


暗い水底に沈んでいくような絶望の中で、男の意識はプッツリと途絶えた。最期に妻から聞いた女神の伝承に(すが)ったものの、その願いを聞き届ける存在はもういない。だが、この場には神の奇跡を代行するカーディナルが立ち会っていた。死者の甦生(リザレクション)という名の救済によって、彼の魂は闇から掬い上げられたのである。


「ここは一体……私は生き伸びたのか……?」


男はゆっくりと瞼を開けた。仰向けで地面に横たわっている状態だったが、身体に痛むようなところはなく、自由に動かせる。それどころか魔物と化していた肉体はかつての姿――冒険者としての全盛期を迎えていた20代後半の容姿を取り戻していた。


「元に戻っている……だと……?」


暖かな焚き火に照らされた自身の両手を見て、男は目を見開く。そこにあったのは黒い泥ではなく、人間としての腕だったからだ。何が起こったのか確かめようと上半身を起こした彼は、標的としていた少女達が周囲を囲んでいる事に気がついた。


「やっと起きたわね。メルが蘇生したら急に普通の人間になったもんだから、びっくりしちゃったじゃない。変な動きしたら容赦なく魔法で撃ち抜くから、逃げようなんて思わないことね」


「まあまあココノアちゃん、この人も色々訳アリなんじゃないでしょうか。元々は普通の人間族さんだったみたいですし。恐らく復活のタイミングで状態異常が消えたんだと思います」


「スライムみたいな身体じゃなくなったんなら変身もできないだろうし、あんまり警戒しなくてもいいかもね。ボクは夕食の支度をしておくから、あとはココノアとリセに任せるよ」


彼女達のキャンプは完成しており、夕食作りが行われている最中であった。片や男の方は全裸であり、下半身には手触りの良い布が被せられている。


(蘇生……蘇生と言ったのか……!?)


裏社会の情報を網羅する彼でさえ、この世に死者を完全な形で蘇らせる術式があるなどという話は聞いたことがなかった。出来たとしても、せいぜい不死者として亡者に転化させる程度だ。冥府に堕ちた魂を救うことができるのは、それこそ神に比肩する存在しかいないだろう。


(私の願いを聞き届け、奇跡を授けてくれた少女……彼女になら全てを打ち明けてもいいのではないだろうか……)


生死を超越した神秘を前にして、神に懺悔する敬虔な信徒の如き情が男に芽生えた。相手が幼い少女にしか見えなくとも、尊信の念は揺るがない。


(どうやら契約の術式によって思考も操作されていたようだ。自分でも驚くほどに気分が清々しい……)


契約の魔法から解き放たれたおかげか、暗殺対象に対する激しい敵意は消滅していた。しかし元の身体に戻った事は必ずしも良いことばかりでは無い。自らが冒した過ちを振り返り、彼は一筋の涙を流す。


「あら、まだ痛いところがありましたか? 全部治せたと思ってたんですけども」


「いや……気にしないでくれ。身体の方はもう大丈夫だ」


「それは良かったのです! では早速お話を……と言いたい所ですが、お名前が分からないと喋りにくいですね。どう呼べばいいか、教えて貰えません?」


「私の名か? そうだな……名無しとでも呼んで欲しい」


「はい、わかりました! ナナシさんですね!」


男は自身を"名無し"と称した。真の名は別にあるが、家族や仲間を手に掛けた罪への戒めとして、名を捨てる事を恩人の前で決意したのだ。その上で彼は少女達に協力を申し出る。


「この身を呪縛から解放して貰えた事、心より感謝する。だが私がお前達を謀ろうとした張本人であることは紛れもない事実だ。そんな者の言葉でも信用して貰えるというのなら、全てを打ち明けたい」


「信用するかどうかは話を聞いてから決めるから、そんな構えなくてもいいわよ……って、まずは食事にした方が良さそうね。アンタの分も用意してあるみたいだし」


「そうしてくれるとボクも嬉しいかな。時間が経つと煮崩れしちゃうし。今日はメルが食用キノコをいっぱい見つけてくれたんだ。ちなみに鑑定スキルで確認済みだから一応は大丈夫だよ! ほら、美味しそうだろ?」


焚き火の上に組まれた三脚――そこに吊るされた大きな鍋を指差してレモティーが微笑んだ。グツグツと煮えたぎる内容物の見た目は奇妙なものだったが、漂ってくる香りには否応にも本能が刺激される。


「食事、か……」


これほど和やかな食事風景はいつ以来だろうかと想いを馳せるナナシ。そんな彼に木製の椀と箸が手渡された。火傷しそうなほどに熱かったが、その感覚すらも懐かしい。


「今日はユキがいないから食器が余ってるのよ。運が良かったわね」


「あ、ああ……すまない」


様々な国の文化やマナーに精通していたナナシは、箸の使い方も熟知している。茶色く濁ったスープからキノコと思しき塊を掴み、口へと放り込んだ。


「これは……良い味だな」


ナナシは思わず感想を口にしていた。単なる煮物だと思われた少女達の鍋は不思議と豊かな風味を持ち合わせており、空腹もあいまって箸が止まらなくなる。


「ん、あの様子なら大丈夫そう。あたし達も食べよっか」


「そうね。おでんなんて久しぶりだから、ちょっとテンションあがるかも」


しばらく彼の様子を眺めていた少女達も、「いただきます」の合掌を皮切りに食事を始めた。夜の湖畔に賑やかな歓談の声が響くのが珍しいのか、集まっていた水鳥達は不思議そうにその様子を眺めている。そんな夕食の最中、黙々と食べ続けるナナシを横目にレモティーがメルに質問した。


「どうやってココノアが偽物だって気づいたのか、教えてくれないかな? 見た目だけじゃ判別できなかったと思うけども」


「うふふっ、理由なんてありませんよ! 大好きな人の事なんですから、分かって当然です♪」


「ん゛っ……!?」


ストレートすぎるメルの愛情表現に動揺し、ココノアは喉を詰まらせそうになる。その直後、隣のリセがすかさず茶を差し出したので彼女は何とか事なきを得た。


「い、いきなり何を言い出すのよ! おかげで死にかけたじゃない!?」


「そんなにおかしな事を言ったつもりはないんですけども……あ、ところでココノアちゃんは偽物の私を見た時に、なにか違和感を持ったりはしたのでしょうか……?」


「当たり前じゃない。メルとはいつも一緒にいるし、その……うちにとっては特別っていうか、他の人とは全然違うんだから……!」


長い耳の先端まで赤く染めてしまうココノア。恥じらいを隠せないエルフ少女とは対照的に、メルは屈託のない笑顔を咲かせて「えへへ♥」と喜ぶのであった。

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