073.原初の獣①
――ニグレドの防壁外 苔むした遺構――
要塞を脱出したメル達は、ミコトを連れて馬車を停めていた場所まで戻った。リセが守っていたおかげもあり、馬車の周辺は何事もなかったかのように平穏である。ユキは母親の存在に気付くなり馬車を駆け降り、その胸元に飛び込んだ。
「お母さんっ!!」
「ユキっ! 本当に、無事で良かった……!」
膝をついて抱き締め合う2人に、その場の誰もが涙腺を緩ませた。レモティーに至っては両目から滝のような涙で頬を濡らしている。
「うう゛っ……良かったね、ユキちゃん゛……!!」
「顔が涙でグシャグシャじゃない……ほら、ハンカチ貸してあげるから、笑顔で見届けてあげなさいよ。アンタがあの2人の未来を守ったようなものなんだし」
そう言ってココノアは微笑んだ。ユキを親元に送り届けてあげたいと言い出したのはレモティーである。彼女が強い意志を持ってリギサンからの旅立ちを決断したからこそ、離れ離れになっていた親子が再会できたと言っても過言ではない。だからこそココノアは友人に心からの称賛を贈った。
「老師、残党の気配はありませんがあまり長居は無用かと……」
「うむ……早々に近くの村に向かうかのぉ。連中が部隊を再編成して追ってくる可能性もある」
和やかなムードの少女達と異なり、ツバキとカムイは油断することなく周囲へ注意を払う。付近に潜んでいたゲブラ連隊の残党はツバキが制圧したため、すぐに反撃される可能性は少なかった。しかしミコトが解放されたという事実は遅かれ早かれディア・メトロスに伝わる。1万人もいる以上のオキデンス軍本隊が派遣された場合のことを踏まえると、カムイ達にゆっくりとしている余裕は無かった。
「レモティー、すまんが馬車でミコト様と姫様を北方にある集落へ連れて行ってはくれまいか。街道跡を辿ればすぐに村が見える。迷いはせぬはずじゃ」
「ああ、構わないよ。2人を馬車で村まで運べばいいんだね? ボク達も落ち着いた場所でミコトさんと話したいし、出発の準備をするよ」
ユキとの約束は果たされたため、これ以上レモティー達がシニストラ自治区に居座る理由はない。ただし亜人解放団からの提案内容をまだ伝えてなかったため、ミコトとは一度じっくり言葉を交わす必要があった。
「うむ、任せるぞ。ワシとツバキはここに残る。あの砦でやり残した仕事があるからのぉ」
「えっ、あんな趣味の悪い砦にまだ用事があるのかい? 串刺しの死体なんて置いてあるし、放置でいいと思うんだけどなぁ」
「使えそうなものが無いか確認しておきたくてな。いつ追手がミコト様を狙ってくるか分からぬ以上、打てる手は全て打っておかねばならん。それに、並べられていたのは同胞達の亡骸じゃからの……ワシらで手厚く弔うつもりじゃ」
「追手か……確かに、幽閉の決定を下したディア・メトロスの議会がどんな反応を示すかは分からないね。他国を招くような大きな式典の前だし、派手に軍を動かすとは思えないけど、警戒しておくに越したことは無さそうだ」
意地悪く笑うサンディクスの顔を思い浮かべるレモティー。亜人に対する差別意識の塊とも言えるあの男なら、何をしてもおかしくはないと彼女は感じていた。カムイに頷いて返すと、手早く馬車の車輪を固定していた金具を外し始める。
「みんな、そろそろここを発とう! この辺りも安全とは言えないしね。リセはミコトさんの首輪を破壊しておいてくれるかい?」
「ん、分かった」
「あと念のため、メルはミコトさんに回復魔法を掛けておいてくれるかな。見た感じ、少し弱っているような印象を受けたからさ」
「ええ、お任せくださいな!」
レモティーの指示を受けたリセにより、ミコトの首輪は呆気なく両断された。続けてメルがミコトを馬車に案内し、そこで回復魔法と状態異常解除の魔法を掛ける。その効果により肉体の疲労は軽減されたはずだが、彼女は娘を抱き締めたまま眠ってしまった。安堵したことで緊張の糸が切れてしまったのだろう。
「ユキちゃんもウトウトしちゃってますね。毛布を掛けておきましょう♪」
「レモティー、あんまり馬車揺らないであげて。2人とも寝てるから」
「ああ、分かってるさ。なるべく平坦な道を選ぶよ!」
幸せそうに身を寄せ合う白狐の親子を乗せた馬車は、ベールの軽快な爪音と共に森を駆け抜けていくのであった。
――その数日後 翼村――
救出作戦からしばらく時間が経ったものの、ディア・メトロスから軍が派遣されるような気配はない。シニストラ自治区は至って平穏である。一行は砦の北にあった農村に滞在しつつ、精神的な疲労が溜まっていたミコトの全快を待つことにした。亜人解放団の提案に対する返事を貰うためだ。その傍ら、異界の勇者に纏わる伝承について調べたり、村民を手助けしたりもしている。特にハーヴェストであるレモティーの存在は大きく、実りが悪かった田畑は見違えるほどに豊かになった。豊穣の乙女という二つ名がここでもごく自然に飛び交っている程だ。
「さっき、村の人がレモティーちゃんの事を豊穣の乙女って呼んでました! やっぱりそういうの、羨ましいですね……! 私も素敵な呼び名が欲しいのです!」
「メルには大食い猫娘って言う立派な異名がついてるじゃないの」
「えっ……! いつの間にそんな恥ずかしい名前が付いてたんですか!?」
「冗談よ、冗談。ふふっ、メルってば騙されやすいんだから」
村の隅にある一軒家で少女達の賑やかな声が響く。誰も使っていなかった古家をレモティーがリフォームしたこの家は、ミコトやユキを含めた一団の拠点となっていた。カムイにより運び込まれたミコトの私物も揃っており、当面生活するのに不自由のない環境である。
ただ翼村も他の村同様に決して裕福ではなかった。そのため滞在させてもらう対価として、少女達は交代で村民の仕事を手伝うことに決めている。今日はレモティーが畑の見廻りや裁縫仕事をこなす傍ら、リセも狩猟に出かけているため、メルとココノアの幼女組が留守番だ。
「申し訳ありません皆様、私達のせいで随分と引き留めてしまって……」
不意に居間と隣室を仕切っていた襖が開き、ミコトが入ってきた。艶やかな着物を纏った彼女の姿は、華やかさと儚さを併せ持った圧倒的な美を感じさせる。幼さの割にユキの顔立ちが整っているのも自然の摂理なのだと2人は悟った。
「いえいえ、そんな事ありませんよ。もう体調の方は大丈夫なんですか?」
「ええ、お陰様で。特に悪いところも見当たりません。今日からは普通に過ごすことができると思います」
「良かったじゃない。これでユキも遠慮せずに甘えられ……って、あの子はどうしたの? てっきり一緒に過ごしてると思ってたけど」
「娘はレモティー様と一緒に畑仕事をすると言って、今日も朝から出掛けたっきりなのです。人見知りのあの子があんなに懐くなんて、少し信じられません。本当にこれまで色々と良くしていただいたようで……なんと感謝を申し上げたら良いか」
囲炉裏の前で腰を下ろすと、ミコトは指をついて深く頭を下げる。あまりにも礼儀正しい辞儀につられて、メルとココノアは背筋を伸ばして正座した。
「お礼なんて別にいらないってば。むしろユキと一緒に過ごせて喜んでるのはレモティーの方だろうし……!」
「そうですよ! 私達もユキちゃんと一緒に冒険できて楽しかったですから!」
「そう言って頂けると救われます。娘共々助けていただいたご恩は忘れません。私にできる事であれば、何なりとお申し付けください」
「だからそういうのも無しで……って言いたいところだけど、亜人解放団の団長から伝言を頼まれてたのよね。とりあえず話だけでも聞いて貰えない?」
そう切り出したココノアは、エリックが話していた内容について説明を続ける。近く行われる建国式典で亜人の身分解放を王へ直訴する計画を進めている事、そしてその代表者をミコトに担って欲しいと申し出ていた事をストレートに伝えた。静かに狐耳を傾けていたミコトは、ココノアの話が終わると同時に迷いのない表情で判断を下す。
「……わかりました。私がその役目を引き受けましょう」
「えっ、即答しちゃっていいの? うちらが持ってきた話だからって、気を遣わなくていいんだからね? ユキとここで暮らすっていう選択肢もあるんだし」
「いえ、これは私に課せられた務めでもあるのです。エリック議員の計画がなくとも、いずれは同じ事をしていたでしょう」
強い決心を見せるミコトに、ココノアとメルは顔を見合わせた。何か重大な宿命を背負っているかのような彼女の言葉が気になり、メルは思い切って尋ねる。
「務めっていうのは、どういう意味なんですか?」
「歪められた歴史を正し、亜人と人間が共に手を取り合って暮らせる国を作る……それが遺された記憶を継ぐ者としての責務なのです」
それはオキデンスで一般的に語られる歴史を否定するかのような言い振りだった。迎賓館でサンディクスが語った史実は人間族に都合よく改竄されているのではないか――その可能性はメル達も考えていたが、それを真っ向から否定できる材料はこれまで存在していない。亜人解放団と話をした時も、オキデンスの歴史には触れられてはいなかったからだ。
「ねぇ、その歪められた認識ってところもう少し噛み砕いて説明して貰えない?」
「それは勿論構いませんが、突然このようなお話を申し上げても、信じていただけないかもしれません……」
伏し目がちに前置きしつつ、ミコトは会話を続ける。
「……私が血を引く旧獣人王家では、異界から来たりし英雄を婚姻相手として迎え入れておりました。その過程で"記憶の継承"という異能が宿った結果、子孫である私でも当時の記憶を垣間見ることができるのです。もっとも、自分で体験したものではないため、伝聞とそう変わらないのですが――」
「ちょ、ちょっとストップ! その話、うちらだけで聞くべきじゃない奴!」
慌てた様子で言葉を遮るココノア。かつて魔族と戦った勇者の存在を知る彼女は、ミコトが語ろうとした内容がこの世界に核心に近づくための重要な手掛かりになると判断したのである。メルも同様の考えを持っており、その言葉に強く頷く。
「私達がこの世界に呼ばれた理由にも関係しているかもしれませんし、リセちゃんやレモティーちゃんも一緒の方がいいかもです!」
「やっぱりメルも同じこと考えてたのね。ちょっと悪いけど、他の面子が揃うまでその話は待ってくれない?」
「それは勿論構いませんが……?」
普通の者であれば笑い飛ばしてしまいそうな突飛な物語――それを大真面目に受け止める2人を前に、ミコトはやや意外そうな表情を浮かべた。
――その夕方――
日が暮れて村の各所で夕食の支度が始まる頃、メル達が拠点とする一軒家では一足先に夕食の準備が整っていた。ミコトの話を聞くにあたり、食事を交えながらにしてはどうかとレモティーが提案したためだ。名目上はミコトの快気祝いという位置付けだが、会話の間ずっと蚊帳の外になりかねないユキに寂しい思いをさせたくないというのが本当の理由である。
「リセのおかげで肉がいっぱい獲れたから今日は肉料理メインなんだ! 余らせても痛むだけだし、どんどん食べて欲しいな!」
「ん、今日の成果は上々。もっと褒めてもいいよ」
単身で狩りに出掛けていたリセは、森の獣を狩り尽くす勢いで肉を持ち帰っていた。自分達で食べる分以外は村民に分け与えたが、それでも余り有る。おかげで食卓にはステーキや唐揚げ、ハンバーグといった子供が喜びそうなレパートリーが多く並ぶ。どれも食欲をそそる香りを漂わせており、ユキとメルはニコニコ顔だ。しかしその一方で、食事会に呼ばれたカムイの表情は芳しくない。
「ミコト様が式典で王へ直訴するという話、ココノアより聞き及びましたぞ。お考えあっての事とは存じておりますが、ワシは承服いたしかねます。姫様が戻られた今、御身を一番に考えてくだされ……!」
「危険は承知の上です。亜人の身分解放は、ユキを始めとする未来ある子供達のために誰かが成すべきことなのですから。それに、奇しくもあの子は私達の手から離れて外の世界を知りました。森に閉じ籠もるような窮屈な生き方を、母親として選ばせたくはないのです」
「ぬぅ……お心は変わりませぬか。姫様のため、と言われてしまうと反論の余地がありませんわい。ですが、ワシも自らの責務を放り出すつもりなど毛頭ありませぬ。この老骨、最期までミコト様と共に歩ませて貰いますからな」
「カムイ……いつも有難う。先々代から忠義を尽くしてくれる貴方がいたからこそ、私はこうしてユキと再会できました。心から感謝します」
そう言って頭を下げようとするミコトであったが、カムイが右手を突き出して制止した。礼など不要とばかりに首と尾を左右に振るその姿を見て、彼女は苦笑いする。
「老師っ……! せっかくご用意いただいた食事が冷めてしまいます。ユキ様も待っておりますし、後の話は食べながらでも構わないかと」
「そうじゃの……いやはや、面目ない。年寄になると話が長くなってしもうてな」
隣にやってきたツバキに言われ、カムイは食卓に身体を向ける。囲炉裏を囲むようにして配置された木の机には大量の皿が並んでおり、出来たてを思わせる熱い湯気を纏っていた。全員分の食器も配られ、ミコト親子とカムイ師弟、そしてレモティー達による豪勢な晩餐会が始まる。
「これは凄い量じゃの……気持ちは有り難いが、全て平らげるとなると胃が保たんのではないか……?」
「何を仰るのですか老師! ミコト様とユキ様をお護りするためにも、我々は今まで以上に体力を付けねばなりません! ささっ、我の分もどうぞ!」
「ツバキよ……あまり獣肉を好まぬからといって、ワシに押し付けるのはどうかと思うぞ……」
「大丈夫、ツバキさんの好みは把握済みさ! 口に合うかは分からないけど、こういうのも用意してみたよ!」
そう言ってレモティーが差し出した皿には、丁寧に下処理したスジ肉と大根を煮込んだものや、細切りにした根菜と薄切り肉を甘辛く炒めたものが盛られていた。他にも豆や茸を肉で巻いたもの、ひき肉の団子を葉野菜で包んだものなど、ディア・メトロスの高級料理店でもお目に掛かれない珍しい料理の数々が置かれていく。
「なんとも面妖な品ばかりじゃが……うむ、どれもこれも驚くほどに美味じゃ。しかし、ワシも長く生きてはおるが、このような珍しい品は初めて見るわい」
「んっ! これは……想像していたより遥かに美味しいです、レモティー殿! 肉と野菜がここまで互いの良さを引き出すなんて、まるで信じられませぬ……! この素晴らしい料理は一体どこで食されていたものなのですか?」
「ボク達の故郷、日本という国さ。そこでは他の国からも様々な文化を取り入れててね、同じ素材を使った料理だけでも両手じゃ足りないくらいの種類があったんだ」
「ニホン……? はて、聞いたことが無いのぉ」
レモティーの言葉にカムイとツバキは首を撚った。彼らが日本という国の存在を知らないのを確認しつつ、ココノアはミコトにも話題を向ける。
「ミコトはどう? 日本って国は知ってる?」
「申し訳ありません、ニホンという国には聞き覚えが無いのです。ただ、皆様の故郷は異なる世界にあるのではないかと察しておりました。継承された記憶に含まれていた異界の文化を語る英雄の姿が、皆様と重なって見えましたので……」
ミコトは指し示すかのように部屋を見渡した。木材の柱と梁で組まれた構造は、伝統的な和風建築を彷彿とさせる。しかしそれらは石材を主とするディア・メトロスの建築物とは全く異なるものだ。異界の勇者に関する古書が各村に残されている以上、異世界からもたらされた知識がシニストラ自治区に大きな影響を与えている事は自明の理であった。
「やっぱり別の次元から来た人が新しい文化を持ち込んでたんだね。なんとなくそんな気はしてたんだ。でもミコトさんやユキちゃんが異世界人の血を引いてたとは思わなかったよ。実はボク達も異世界からやってきた……なんて言ったら、信じて貰えるかな?」
「疑うはずがありません。皆様は見知らぬ子の願いを聞き入れ、こうして大陸すら渡って来ていただいたのですから。それに数々の不可思議な力……まさしく異界の英雄が持っていた力にも等しいものです」
「このワシが……いや、ゲブラ連隊ですら手も足も出なかった程だからの。異界人だと言われた方が納得いくわい」
肉団子入りの味噌汁を啜りながらカムイが呟く。一行がこの世界の住民ではないという事実をミコト達は素直に受け入れた。他の地域と異なり、シニストラ自治区には女神が呼び寄せた英雄達の生き様が伝承として残されている。そのため森で生きる亜人にとって異世界の存在は、御伽噺のように身近なものであった。
「皆様が異界から来られたのであれば、尚更この身に宿っている記憶についてお伝え申し上げるべきでしょう。まずは私達が持つ異能についてお話します」
ユキの頭を撫でつつ、ミコトは自身に流れる血の特性について語り始める。
「滅亡した獣人王国の血筋は白の血族とも呼ばれており、他の亜人には無い特殊な力を宿していました。それは血を交えた相手の能力や素養をそのまま子に引き継ぐ、というものです。この力で記憶の継承という異能を得た私は、先祖が見聞きした事を自身の記憶の一部として振り返ることができます」
「確実に才能を子供に伝える事ができるのは凄いね……ボク達の世界じゃ考えられないことだよ」
「それはそうだけど、この世界の遺伝子構造がうちらの世界と同じとも限らないじゃない。ねぇ、白の血族が持ってる特性って、普通に親の特徴が子供に遺伝するのとは違うものなの?」
「はい。先天的な才能だけでなく、後天的なものを含めて継承できるという点では全く異なるものでしょう。王国と民を護るため、白の血族は異界から呼び寄せられた英雄達の子を宿す役目を自ら望んだのです」
「創世の女神とやらが勇者を召喚した所までは知ってたけど、その人達が子孫を残してたのは初耳だ。異世界の力を引き継がないといけないほど、魔族との戦いが厳しかったって事なんだろうか……」
眼鏡の位置を正しながらアスタロトとの戦いを振り返るレモティー。チートといっても過言ではないNeCOのステータスやスキルを以てしても、リセは魔王に打ち勝つことが出来なかった。状態異常を無効化できるメルがいたからこそ勝利を掴むことができたが、もし単身で挑んでいたら彼女もリセと同じ末路を辿っていたことだろう。
(操られていたのがボクだったら……それは考えたくないな)
洗脳されて自らの手でリギサンを滅ぼしてしまう自分の姿を想像し、レモティーは眉を顰めた。魅了の力はそれほどまでに厄介であったが、さらに魔王とその配下は純粋な戦闘能力でもヒト種を遥かに上回る。いくら英雄と呼ばれた猛者であっても相当に厳しい戦いを強いられたことは容易に想像できた。
「それが事実なら、ミコトやユキは異界の勇者から見て子孫に当たるの?」
次はココノアがミコトに質問を投げかけた。その問いに頷いて応えると、ミコトは昼間に話そうとしていた本題へ入る。
「ええ、その通りです。ですから私は英雄達がこの世界で生きていた頃の時代を振り返ることができます。ただ遺された記憶は断片的なものでして、全てをありのままお話することは出来ないかもしれません。まずはお話できる範疇で、この国における歴史をお伝えします」
「うん、お願い。うちらも貴族議員からこの国の歴史について聞かされたけど、どうも怪しい感じがしてたのよ」
「はふっ、はふっ……ごくん! あの人、言葉の節々から亜人さんに対する異常な敵意を感じましたもんね」
「メルは食べるか喋るかのどちらかにしなさいよ! あと、もっとしっかり噛んでから飲み込んで! 喉につまらせても知らないんだから」
シリアスな状況でもお構いなしに料理を頬張るメルに、鋭いツッコミを入れるココノア。そんな少女達の和気藹々とした姿を目の当たりにしたことで、ミコトは少し肩の力を抜くことができた。ゆっくりと深呼吸した後、彼女は意識を記憶の深層へと傾ける。そしてこれまで他人に語ることのなかった太古の記憶を、ゆっくりと言葉に紡いだ。
「今から数千年前、魔族により追い詰められたヒト種は亜人も人間族も関係なく、互いに協力して生き残ろうとしていました。それぞれが持つ知識や技術を組み合わせることで、魔族に匹敵する力を得るためです。そしてその異種族同盟を率いていたのは、女神が遣わした英雄達でした」
「異なる種族同士で同盟を組んでたなんて、迎賓館では一言も出なかった話だ……獣人族やエルフ族が人間族を支配して、魔族への生贄にしていたっていう歴史はやっぱり嘘だったのかな?」
「そのような事実は一切ありません。異界の英雄はヒト同士が力を結束することで、強大な敵に立ち向かえることを知っていたからこそ、種族を問わず導いたのです。実際に人間族の生産力とドワーフ族の技術、そしてエルフの魔術によって生み出された機械人形が魔族との戦いに投入され、大きな戦果をあげていたようです」
「ゴーレムといえば、リギサンでボク達が戦った相手は魔法反射や自己修復する装甲を備えてたね。今から思えば、あれもエルフ族とドワーフ族の合作だったのかもしれないよ」
「あのデカブツ、遺跡にいた普通のゴーレムと全然違ってたからその線はあり得るかも。空も飛んでたし」
視線を交差させるレモティーとココノア。彼女達はリギサンでの滞在時に、巨大ゴーレムに古代エルフ族の術式が導入されている可能性があるという情報を耳にしていた。ゴーレムの製造技術は古代ドワーフ族の専売特許とされているため、険悪とされていた種族同士の秘匿技術が同一の遺物から見つかったという事例は、歴史解釈に対する様々な議論を呼んだ。
「あの巨大ロボを作れたなんて凄いですね! きっと当時は同盟の人達が優勢だったに違いありません!」
「確かに、人々は結束することで魔族の驚異に立ち向かうことができました。しかしそれは魔王アスタロトが現れるまでの間です。突如現れた魔王は精神支配の魔法を操り、いとも簡単に戦況を覆しました。実は彼女に操られた者が、英雄を手にかけてしまったのです。これによって疑心暗鬼に陥った同盟側は同士討ちを始め、魔族が手を下す前に屍の山が積み重なる結果となりました」
「そんな……」
古代人が迎えた末路を知り、メルは顔を曇らせる。ミコトもまた暗い表情を浮かべたまま話を続けた。
「その後も女神により英雄の召喚が行われています。しかし存在できる異世界の英雄は常に1人だけ……どんな猛者であっても、単身で魔王の軍勢に打ち勝つことは不可能でした。英雄が倒れていく姿を何度も目にした人々は追い詰められ、最終的には各種族から生贄となる者を魔族に捧げることで生き延びる道を選んだのです」
「ん……ちょっと待って。異界の勇者って1人だけしか存在できないの?」
「その点については私も詳しくは分かりません。ただ、女神が異界から呼ぶことができるのは1人分の英雄の魂と肉体だけだった模様です。複数の英雄が揃うことは、女神が居た時代にも無かった事でした」
「そうなんだ。なら、あたし達は特殊な召喚ケースで呼ばれたってことだね。もしくは4人揃わないと勇者として認められなかったっていう可能性もあるけど」
「それ以前に、うちらは英雄でも何でも無いっての。たまたま同じオンラインゲームで遊んでただけの一般人だし」
リセの見解に肩を竦めるココノア。異世界から召喚できる人数に制限があろうとなかろうと、そもそも自分達が英雄と呼べるような枠に入っているとは彼女も思ってなかったのだ。しかし、古来より英雄とは他者によって認められた者を指すものである。救われた者達が居る以上、今の少女達はそう呼ばれる資格を十分に満たしていた。
「カカッ……謙遜せぬともよい。ワシらにとってお主らは立派な英雄じゃよ」
「そうですとも! 国士無双と語り継ぐべきココノア殿の大活躍、皆様にもお見せしたかったものです!」
「ちょ、ちょっと! 基地に居た連中を少し派手に蹴散らしただけなのに、大げさなこと言わないでよ!」
「私達の事も颯爽と助けに来てくれましたしね、ココノアちゃん!」
「そ、それは鈴が鳴ったから、メルの事が心配になって……っ!」
ニッコリと八重歯を見せたメルに寄り添われて、ココノアの顔が赤く染まる。彼女は照れ隠しに亜麻色の毛先を指先でいじりながら、それとなく話題を切り替えた。
「ともかく、うちらが聞いた話と当時の状況が違ってた事は良く分かったわ。亜人が一方的に人間族を虐げてたなんて歴史は無かったわけだし、ちょっとすっきりしたかも。ただ、魔族がヒトを襲うようになった理由なんかは分からないままね。元々は調停者って位置づけだったんでしょ?」
「異界の英雄が呼ばれた以降の記憶しかないため、私も詳細は……お役に立てず申し訳ありません」
「ううん、そこまで教えてくれれば十分よ。うちらより前に呼ばれた勇者がどんな風に魔族と戦ってたのかなんて、ミコトに教えてもらわなかったら絶対分からなかったもの」
「そうだね。それにミコトさんみたいな能力を持ってる人を探せば、この世界の歴史について知る事ができるって事も判明した。これからの目標にしてみようか?」
「いいですね、それ! サブクエストみたいで!」
メルの笑顔に後押しされる形で新たな旅の目的が増えた。異世界に降り立つ際、タイニーキャットから世界を救って欲しいと言われた事を少女達は忘れていない。魔王を倒しても世界が救われたように感じられない以上、これから何をすべきなのか探し出す必要があったのだ。
一方、伝えるべき事を話し終えたミコトは一息つき、目の前に置かれていた茶碗を手に取った。こんもりと盛られた米飯は白く輝いており、牢獄の食事とは比べ物にならない豊かな香りを放つ。それをしばらく見つめていた彼女は、何かを思いついたような表情でメル達の方を向いた。
「あの……魔族が生み出された時代であれば、森の守護者たる神獣様をお訪ねしては如何でしょうか。魔族が現れる前から生きておられるはずなので、当時の事情も知ってご存知かもしれません」
「……えっ、神獣って会話できるような存在なのかい!?」
ミコトの提案にレモティーだけでなくココノアやメルも目を丸くする。神獣というものが何なのかは彼女達も詳しくは知らなかったが、名前だけなら何度も耳にしていた。オキデンスへやってくる際に遭遇したクラーケンも、暴食の海魔として恐れられていた神獣の一柱だ。
「他の神獣様については分かりませんが、かつて獣人王国では"空の神獣"様を崇めておりました。毎年稲の収穫時期に米俵をお納めし、魔物祓いを祈願するという儀式を執り行っていたはずです。その際に巫女が神獣様と言葉を交わしたという記録も残っていたかと……」
「我も神獣様の話を幼少の頃からよく聞かされておりました。この森に潜む魔物が少ないのは、空の神獣様が見回って下さっているおかげだとエルフの里では言い伝えられています。我の見聞をお役に立てるのであれば、ぜひ神獣様の説明役を賜りたく!」
「えっ、あ、うん……そこまで言ってくれるならお願いしようかな。ボク達はあんまり神獣に関する知識が無くてさ」
「承知しました! では僭越ながら――」
その後、誇張気味の説明により森の民が崇める"空の神獣"の詳細が判明する。西大陸に広がる原生林を太古から管理している巨大な鳥――大空の覇者とも呼ばれるそれは、数千年前までヒト種との共存を果たしていたのだ。しかし獣人王国が潰えて以降、神獣は姿を徐々に見せなくなった。その理由はヒト種同士の争いにあるとツバキは語る。
「500年前にオキデンスが建国された際、大勢の人間族が森にやってきて亜人の村落を半分以上焼き払いました。その時、森は凄まじい炎に包まれたのですが、神獣様が暴風を起こして鎮めたという伝説があります。しかしそれ以降、神獣様はヒト同士の争いを嫌って北方の山嶺に籠もってしまいました。ここ数百年は姿すらお見せになっておりませぬ」
「うーん、その話を聞く限り空の神獣に会いに行くのはかなり難しそうだね。見つけることができれば有意義な話を聞けそうではあるけども……」
「そういえば10年程前、北の山にある秘湯で神獣を見掛けたと言っていた村人がいたのぉ。そこへ向かえば神獣と会うこともできるやもしれんぞ」
「秘湯だって……?」
「うむ、この村から馬で1日ほど掛けて北上した先の山頂にあったはずじゃ。古来より万病に効く温泉と評判でな。ワシも若い頃に何度か通った事があるが、眺めも良くてなかなか良かったわい」
「温泉……温泉かぁ……! うん、いいね!!」
カムイが温泉という単語を口走った直後から、レモティーの顔つきが変わった。やる気に満ち溢れた瞳で仲間達を見渡す。
「みんなっ! 明日にでも神獣探しに出掛けようじゃないか!」
「えっ、どうしたのよいきなり……? 確かに貴重な話を聞くチャンスではあるけど、そこに神獣がいるとは限らないでしょ。それに式典の件はどうするのよ」
「式典にはまだ1週間近くあるし、多少の寄り道は問題ないさ。それよりも、魔族の成り立ちや女神の話を聞く唯一無二の機会じゃないか! ここはぜひ行っておくべきだと思うんだ!」
「ふむふむ、レモティーちゃんの言う通りかもしれません。女神さんの事がわかれば私達が召喚された理由に近づけそうな気がします。もし会えなくても、温泉があるならみんなでゆっくりできそうですし、私は賛成です!」
「そうそう、メルの言う通りだよ! ここしばらくは結構忙しい日が続いてたし、たまには温泉で疲れを癒やすのも悪くはないだろ? ほら、息抜きも兼ねてさ!」
「息抜き、ねぇ……?」
鼻息を荒くして力説するレモティーを、ココノアはジト目で訝しむ。神獣との対話より、温泉に入る方を主目的としている友人の邪な狙いを、彼女は完全に見透かしていたのだ。二重の意味で危険な旅路になりそうなので、ユキが行きたいと言い出しても留守番させておこうと心の内で決心する。
「温泉卵に温泉饅頭~♪ あっ、お芋を蒸すのもいいですね!」
片やその隣では猫耳少女が肉料理を頬張りながら温泉グルメに想いを馳せていた。こうなるとココノアだけで流れを止めることはできない。欲望に忠実すぎる友人達に溜息を吐き出しつつ、「NeCOでもこんなんだったわね……」と項垂れるココノアであった。




