070.救出作戦②
――翌日――
くすんだ土色で染まった廃街に、鮮やかな彩りを与える萌黄の幌馬車――レモティーと工房フレイムハートの職人が完璧に組み上げたそれは、朝日を受けて眩しく輝いていた。走行テストやサスペンションの微調整も完了しており、いつでも出発できる仕上がりだ。
「レモティーさん、私達が調査したシニストラ自治区の状況と地形図、そしてミコト様の救出に関して記述した書状をお渡ししておきます。しかし、本当に食糧や水は不要なのですか……?」
「色々手伝ってくれてありがとう! 食糧関係は自給自足で事足りるからね。旅に必要な道具は買い揃えてあるし、なんとかなると思うよ」
エリックから地図を受け取ったレモティーは、幌から顔を出していたメルにそれを手渡した。馬車内には彼女以外にもココノアとリセ、そして久々の帰郷に瞳を輝かせたユキが乗っている。荷台の端には新品の木箱が3つ並んでいるが、それらの中身はダウンタウンで購入した日用雑貨類だ。メルのポーチに入ったままでは必要時に取り出せないため、事前に木箱へ詰め替えたのである。
「現地までは視界の悪い森の中を進むことになります。獣や魔物はもちろんですが、亜人狩りをしている奴隷商にもお気をつけください。彼らは同業者でも見境なく襲いますから」
「まるで山賊か盗賊みたいだね……それじゃ、行ってくるよ!」
馬車の操縦席に腰掛けたレモティーは手綱を握り締めた。その先に繋がっているのは、紫紺の毛並みを持つ有翼の一角獣ベイヤールである。帝国領内で駆っていた軍馬よりも一回り大きく、顔つきも獰猛そうに見えるが、性別は雌であり性格も従順で大人しい。メルが呼んだベールという名前をすぐに自分の事だと理解した彼女はまさしく賢馬であった。
「よし出発だ! みんな、揺れに注意しておくれよ」
パシンと波打った手綱に反応し、ベールは黒曜石の如き蹄を踏み出す。その力強い歩みにより、馬車は軽々と動き始めた。向かう先はシニストラ自治区へと続く、スラムの西出口だ。
「ミコト様を宜しくお願いします!」
「無事を祈ってますニャー!」
背にエリックとミケの声援を受けながら、少女達は廃墟と化した通りを突っ切る。ベールの速力は彼女達が思っていた以上であり、周りの景色はどんどん過ぎ去っていった。エリック達の姿もあっという間に小さくなっていく。
「すごいですねベールちゃん、荒れた路面を物ともしません!」
「驚いたなぁ。普通の馬と比べ物にならないよ、このパワー!」
称賛の声に嘶きを響かせて応じたベールは、翼を広げてさらに加速した。彼女の背に生えた2枚の黒翼は普段折りたたまれている一方、走行時は羽ばたくように広がる。通常のハーネスであれば引っ掛かってしまう恐れがあったが、有翼馬専用仕様の特注品を購入していたおかげで翼の動きを阻害することはない。
頬に当たる風の強さからスピードが出すぎているとも感じたレモティーであったが、西へと続くスラムの大通りに住民の姿は見えなかった。故に手綱を緩ませることなく駆け抜けていく。
「この辺りには人が住んでいないんですね? でも安全運転でお願いします!」
レモティーの後ろからメルが声を掛けた。その言葉に「もちろんだとも」を答えつつ、彼女は亜人解放団から聞いていた話を共有する。
「スラム西部は森が近いせいで獣に荒らされることが多かったんだってさ。だから門を守る憲兵がいなくなった後、住民達はすぐ他の区画へ引っ越したみたいだよ。手入れされてないと建物ってすぐ痛むし、このあたりが特に廃墟っぽくなってるのもそれが理由だろうね」
「ふむむ……でも道自体は結構綺麗に見えるのが不思議です。どうしてでしょうか?」
「うん、このあたりは瓦礫やゴミが散乱してたんだけど、ミコトさんの救出作戦に備えて亜人解放団の人達が整備してたらしい。おかげでこうやって馬車を走らせることができるわけだし、彼らに感謝しないと!」
実際にスラムとは思えないほどに道の上は片付いていた。踏み固められた土道は砂埃こそ舞っているものの、馬車の通行を阻害するようなものは何もない。ベールの試走にはちょうど良い道と言えるだろう。これまで窮屈なカプセルに入れられていた彼女自身、今は気持ちよさそうに風を切っている。
「そういえばベールちゃんってお空も飛べるんですかね?」
両側に伸ばされた黒い翼を見てメルが質問した。それに対し、レモティーは左右に首を振る。
「いや、説明書を見た限りだとベイヤールは飛行を目的とした創造生物じゃないみたいなんだ。走っている時の優美さを重視した結果、こういう見た目になったみたいだね。少しの間だけなら滑空できるかもしれないけど、さすがに500キロ近い体を浮かせるのはムリがあるんじゃないかな」
「あらら、残念です。乗せてもらえばお空を自由に飛べるかと思ったんですけど」
「ははは……ポーチ付きのメルを乗せて飛ぼうと思ったら、それこそ飛龍クラスじゃないとダメじゃないかなぁ」
肩を落とした様子のメルに苦笑を浮かべるレモティー。しかし内心ではベールの翼に意味がないとは思っていなかった。風を受けた翼は少なからず浮力を発生させるからだ。それによって走行時のバランスを取っているのだろうと彼女は推測していた。
「おっと、何となくだけど出口が見えてきたね。街を離れたらすぐ森に入るから、いつものアレを頼んでおくよ」
「ほいほい、警戒してりゃいいんでしょ」
ココノアが荷台から手を振る。彼女は遠くの音を拾える長い耳を生かして、ソナーのような役割を担うことが可能だ。視界の悪い森を移動する時は索敵が特に重要である――それをよく知るMMORPGプレイヤー達は万全の準備を整え、スラムの出口を目指した。
――議事堂の貴族議員控室――
少女達がシニストラ自治区へ向かっている最中、議事堂では五大名家の貴族達が一堂に会していた。召し抱えの侍女に用意させた紅茶を優雅に嗜みながら、サンディクスはマイウスの報告に耳を傾ける。
「申し訳ありません、マルロフ公。亜人解放団の拠点制圧は完了しておりません。雇った傭兵がまだ奴らを泳がせるなどと申しているもので……」
「報告書には目を通したから、状況は理解しているよ。君ともあろう者が、随分と不誠実な傭兵を雇ったものだ」
「返す言葉もございません。奴隷商崩れとはいえ、あの者の腕は確かでした。それを信頼して差し向けたのですが……速やかに別の傭兵を雇い直し、今度こそ奴らの抹殺を果たして見せます」
「いやマイウス卿、その必要はない。今朝、僕のところに興味深い報告が入ってきてね」
そう言うと、サンディクスは向かい側に座っていたデケンベルに視線を移した。その意図を理解した口髭の紳士は、彼が"面白い報告"と称した内容を説明し始める。
「では皆様にも報告を。デクシア帝国から派遣された大使達の足取りが掴めました。昨日、彼女達はダウンタウンを経由しスラムへ移動……そして亜人解放団を名乗る者達と接触しています。その先は掴めていませんが、恐らくはマイウス卿が制圧の指示を出した拠点に向かったと思われます」
「それは真実か、デケンベル卿!? 連中はこの国に背く反逆者なのだぞッ! それと他国の大使が結託するなど、断じて許されないこと! 帝国め、何を企んでおるのだ……!」
マイウスは怒りの形相で拳を机を叩きつけた。奴隷制度の恩恵で大国となったオキデンスにとって、亜人の身分解放を叫ぶ組織は国家の基礎を揺るがす癌でしかない。故に彼らはこれまで差別を無くそうと声高に叫んできた者達を尽く処刑、もしくは追放することで国力を維持してきたのだ。
もし亜人の身分解放に他国の大使が関与しているとなれば、事の重大さがこれまでの比でなくなるのは明らかである。しかし苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる伯爵達とは対称的に、サンディクスには余裕と落ち着きがあった。
「フフッ、面白い流れになってきたとは思わないかい? 件の傭兵が言う通り、今は泳がせた方が得策かもしれないよ、マイウス卿」
「それは……どういうことですかな?」
「この状況は僕達にとって有利に働く、ということさ。議会がいくら声高にデクシア帝国への遠征を叫んだところで、彼の国との貿易で富を成している国民達は戦争に反対するだろう。だけど、もし帝国の大使が反社会勢力と通じて、オキデンスの転覆を図ろうとしていたと知ったら……どう思うだろうね」
「つまり、連中を利用してデクシアへの遠征を正当化すると……?」
マイウスの問いにサンディクスはニヤリと口角を上げて返す。
「その通りだよ。あちらの狙いは分からないけど、監視の目が張り巡らされたディア・メトロスで大したことはできないさ。だから、しばらくは亜人解放団と共に泳がせておこう。そして建国式典の当日、彼女達が国賊共と共謀した罪を全国民に知らしめ、大々的に糾弾するんだ」
「……お、お待ち下さい! それは正当な裁判を経てから行うべきこと! それに大使殿が国家の転覆を図っているという証拠も今のところはございません。まずは帝国に事実確認をすべきでしょう。そのようなご提案は性急すぎるかと!」
慌てた様子でオクトーベルが諌めるが、サンディクスの意志は変わらなかった。空になった紅茶カップをテーブルへ置いた彼は、不気味に光る2色の瞳でジロリと円卓を見渡す。
「これから戦争を仕掛ける相手に気遣いなんて無用さ。そうだ、マイウス卿。国軍のパレードがあっただろ? アレの行き先を変更しよう。ただ街中を行進するだけじゃ労力の無駄遣いだからね」
「行き先を変更……それは構いませんが、どこへ向かわせるのですか?」
「先祖達が亜人に打ち勝ち、建国を成した記念日……スラムに蔓延る反逆者共を一掃するには絶好の日だと思わないかい? それに豊かな生活を脅かす不届き者達を我々が排除したとなれば、議会に対する民衆の支持は盤石なものになる。デクシア遠征に反対する者はいなくなるというわけさ」
「なるほど……確かに妙案ですな。我ら貴族が如何に国民の利益を守ろうとしているのか、それを示す良い機会となりましょうぞ」
「民に慈悲深いマルロフ公のお考え……感服致しました。王には儂から上手くお伝えする故、何もご心配はいりませぬ」
「私も心からの同意を。亜人の身分解放などという妄言が二度と流布されることのないよう、見せしめの粛清は必要かと」
穏健派であるオクトーベル以外の伯爵達は揃って賛同した。オキデンス議会における議決は半数以上の同意が鉄則である。貴族議員内でもそれは同様であり、多数を占めた瞬間にサンディクスの案は貴族議員における正式な議案となった。
「ならば決まりだ。僕の計画で進めさせてもらうよ」
「し、しかしッ! 式典行事は全て議会で認可されたもの! 招集された軍を本来の目的外で動かす以上、議会で再び承認を得る必要があります。相手が亜人解放団とはいえ、祝うべき式典の日に虐殺を行うなど、市民議員達が賛成するとは到底思えません!」
「至極真っ当な意見だね、オクトーベル卿。しかし何も全員の賛同を得る必要は無いわけだ。脅迫なり買収なりして過半数さえ超えれば、どんな議案も国民の総意と化すのだから。フフッ……みんな好きだろう? 民主主義は」
「マルロフ公……!」
オクトーベルはサンディクスが言い放った内容に唖然とする。世襲制の貴族議員だけでなく、選挙により選ばれる市民議員が存在する理由は、異なる立場と意見を持つ者達が互いに監査・牽制し合うことでより良い政治を行うためだ。ではサンディクス1人により操られる民主主義とは一体何なのか――そう問い質したくとも、オクトーベルの口はそれ以上動かなかった。サンディクスの暴走を止める力が自分に無いことを重々承知していた彼は、俯いて唇を噛むしか無かったのである。
――シニストラ自治区 原生林――
ディア・メトロスを発って4時間、レモティーが駆る馬車はシニストラ自治区の東端に差し掛かっていた。しかし周囲に集落らしき物は見当たらず、背の高い木々が頭上を覆っているだけだ。太陽の光を貪り食わんとばかりに伸ばされた枝葉は空を隠し、地上に黒い影を落とす。様々な獣の鳴き声が絡み合い、不気味な協奏曲と化しているこの地は、天然のダンジョンと呼んでも差し支えないだろう。
森の中はまさに道なき道といった様相であったが、幸いエリックから渡された地図のお陰で進むべき方向を見失わずに済んでいた。とはいえ目印になるものはなく、油断すると迷ってしまう可能性は十分にある。唯一土地勘のありそうなユキに頼りたいところだが、朝が早かったせいか彼女は気持ちよさそうにリセの膝でうたた寝中だ。そのため荷台のメルが方位磁石をこまめに確認し、レモティーが位置補正を行うという連携プレーで対応している。
「……さっきから思ってたんだけど、この馬車って緑色だからベールとの色バランスあんまり良くないのよね。今度馬車を塗り替えたらどう?」
草むらをかき分けて走るベールを眺めながらココノアが呟いた。自然の風景に溶け込む作用を期待して作られた迷彩塗料は発色が良い分、暗色系である濃い紫とはミスマッチとなる。レモティーは頬を人差し指で掻きながら弁明した。
「それを言われると辛いなぁ。帝国領内をこっそり移動するためにこの色にしてたんだけど、今では結構愛着が湧いててさ。塗り替えるのも忍びなくて……」
「綺麗な緑色ですもんね。レモティーちゃんの服ともよく合ってますし、私はこのままでもいいと思いますよ?」
「そう! そうなんだよ、メル! 緑はハーヴェストのユニークカラーみたいなものだからね! これだけは譲れないんだ。フォースマスターだって専用装備が真紅だったし、今のココノアが身に付けているスカートと一緒じゃないか。ボクの気持ちが少しは分かってるんじゃないかい?」
レモティーは荷台をちらりと振り返り、アヒル座りをしていたココノアの下半身へ熱い視線を注ぐ。紅色に染まったスカートからは細くて色白な太腿が覗いており、馬車が揺れる度にきめ細かい肌を惜しげもなく晒していた。
「いやらしい目を向けるなっての! 大体、この色は自分で選んだわけじゃないし偶然よ、偶然! そりゃ、最初見たときはなんとなく似てるなって思ったのは事実だけど……!」
「えへへ、リセちゃんの格好もグラディエイターさんの専用装備に似てますし、無意識にNeCOらしい服を選んじゃうのかもしれませんね」
「ん、それは否定しない。なんだかんだでこの色は落ち着くから」
鬱蒼とした森に響く談笑の声。いつどこから獣が襲い来るかわからない状況でも、馬車に笑顔は絶えなかった。彼女達がリラックスしている理由は常に警戒しているココノアへの信頼感もあるのだが、何よりも4人の仲間が全員揃っているというのが大きい。かつてNeCOの世界を共に冒険した日々が、現実のものとして実感出来ている事が、何物にも代えがたい喜びとなっていたのだ。
「ふふっ♪ こういう場所にいると思い出します、みんなで"太古の森"へ探検しにいった事!」
「そういえばそんな冒険もしたね。あそこのBGMが好きだから聴きに行こうって、リセに誘われたんだっけなぁ……」
「ん……あのマップの『The Misty Forest』は名曲。何回も聞いてたから、今でも脳内で流せるよ」
サービス期間の後期に実装された"太古の森"は、このシニストラ自治区と似た原生林をモチーフにしたマップであった。そこで流れる音楽を気に入っていたリセの提案で、4人はパーティを組んで探索に向かったのである。とはいえモンスター狩りをするでもなく、チャットしながら緩い時間を半日近く楽しんだだけなのだが。
「あの日は眺めのいいところまで行ったものの、結局そこで喋ってただけだったわね。まーそういう遊び方ができるのも、NeCOの良いところだったとは思うけど」
「そういえばあの時、ココノアちゃんとレモティーちゃんはずっと私の周りでウロウロしてましたよね。あれは何をしてたんですか?」
「ああ、あれね。レモティーが座ってるアンタのスカートを覗こうと視点調整してたから、邪魔してやってたのよ」
「えっ……もしかしてバレてたのかい!?」
驚いた様子で荷台を振り返ろうとするレモティー。しかし彼女は睨むようなココノアのジト目と視線が合ってしまったので、すぐさま前を向いた。
「あ、あははは……ココノアは鋭いね!」
「笑って誤魔化そうとすんなし! 大体、あんな不自然な動きをしてたら誰でも気がつくっての!」
「えっ? 私は全然わからなかったですよ、レモティーちゃんがそんな事してたなんて」
「メルは鈍感すぎるのよ! あっ、ほら今も下着が見えてるじゃない!? もうちょっと隠す努力をしなさいってば!!」
エヘヘと照れ笑いしながらメルは捲れたスカートを直す。そんなやり取りの後も、少女達の和やかな雑談は続いた。何故オンラインゲームのマップBGMは何時間聴いても飽きないのか、レアドロップが物欲センサーに反応しているのは本当なのか――そんなMMORPG特有の話題で1時間近く盛り上がっていたのだ。しかし楽しい会話は唐突に終わりを告げる。
――ガシャァァァン!!――
何かが倒壊したような大きな音が響いた直後、森の獣達がざわつき始めた。さらにココノアの耳には人の悲鳴らしき声が届く。何か異常事態が起こっていることを察知した彼女は、すぐさま立ち上がって警戒態勢に入った。
「レモティー、速度落として! 前方で何か起こってる!」
「よし、スピードを緩めるよ! 転倒しないように気をつけて!」
手綱でベールに速度を落とすように指示を出した後、レモティーは減速による慣性変化に備えて踏ん張る。ハーネスによってベールと馬車は一定の間隔が維持されているため、減速してもぶつかることはない。しかし車輪のサスペンションだけでは揺れを吸収できず、馬車全体がガタガタと揺れた。その反動で巨大な乳房が揺れるのを邪魔に感じつつも、彼女は薄暗い森に目を凝らす。
「倒れた馬車がこの先の道を塞いでるのが見えるね……このままじゃ進めないから、一旦降りて対処しよう」
赤いフレームの眼鏡レンズには、白い幌馬車が横倒しになっている光景が映っていた。レモティーの提案に頷いた一同はそれぞれ戦闘を意識して準備を始める。一方ユキはよく眠っており、この状況でもまだ目を覚まさないため、リセは彼女に枕と毛布を与えて寝かせておくことにした。
数分後、少女達を載せた馬車は停車する。道を塞ぐ馬車らしき残骸を取り除くためだ。形状から白い幌をつけた大型の荷馬車であったことは推定できるが、車輪や柱といった主要な部品が悉く破損しており、修理しても使い物にはならないだろう。また武器を持った何者かの襲撃を受けたのか、矢や刺さった板切れや血痕らしき赤黒い飛沫も見て取れる。
「何かの罠って可能性もあるし、メルは馬車内で待機ね。リセは馬車の後方と両側を警戒しておいて。レモティーはうちと一緒にあの馬車を探索するわよ」
嫌な予感に眉を顰めたココノアは即座に指示を飛ばした。唯一のヒーラーであるメルに馬車とユキの防衛を任せつつ、機動力と制圧力で優れるリセに周囲を警戒させることで不意打ちや挟撃を防ぐという采配だ。そして拘束技を豊富にもつレモティーと遠距離攻撃と機動力に優れたココノアが状況を確認するという隙のない布陣をとる。合理的かつ各自の特性に合わせた作戦がすぐに出てくるのは、長い年月を掛けて培われたパーティプレイの賜物だろう。
「下手に魔法を使うと倒木させる心配があるわね。メル、弓を出しておいて」
「はい、どうぞ!」
木製の弓矢装備一式を受け取ると、ココノアはレモティーと共に馬車から降りた。そして倒れた馬車の残骸へ歩み寄り、状況を確認していく。
「結構大きな馬車だけど、この辺りには馬も人も見当たらないね。血が付いてるから、何かに襲われた可能性が高いかな。そっちは何か見つかったかい?」
「レモティー、この木箱の中身を見て。これ、首輪よね?」
ココノアが指さした先には蓋の開いた木箱があった。中にはディア・メトロスの亜人が付けられていた金属製の首輪と同等のものがいくつも入っている。
「エリックさん達が作ったレプリカ……ではなくて、本物みたいだ。こんなものを積んでるってことは、奴隷商人の馬車なのかもしれない」
「同業者同士で争うこともあるって言ってたし、ここで交戦したって可能性はあるんじゃない? 血痕が茂みの方に続いているし、見に行ってみよっか」
「そうだね。ボクが道を作るよ」
ココノアとレモティーは脇道に逸れ、生い茂った緑の中を探索することにした。邪魔な草木を刈り取るべく、レモティーは蔦を手元に集めて碧色の大鎌を生み出す。鋭く光る刃は草刈鎌として十分な機能を持っており、横に振り払うだけでも2人が並んで歩ける程度の道が拓かれた。
「草が多すぎて切り払ってもキリがないね。馬車から離れると位置が分からなくなりそうだから、あんまり遠くには行かないほうがいいんじゃないかな」
「大丈夫よ、何のためにメルを馬車に置いてきたと思ってるの。あの子が付けてる首の鈴から音が聞こえてる限り、うちは迷わないから」
木の葉のざわめきに混じって聞こえてくる、透き通った鈴の音。ココノアはそれを常にキャッチしていた。鈴を付けているメル自身もココノアの狙いは理解しており、馬車から一定の間隔で鈴を鳴らす。方向感覚が分からなくなる茂みの中でも、鈴の音さえ聞こえていれば迷うことはない。茂みに入ってからしばらくして、何かを発見したレモティーが声をあげた。
「あっ、向こうに見える木の根本! 人が倒れてるように見えないかい?」
「……確かに人の形っぽいわね。見た感じ亜人ってわけでもなさそうだけど、近くに寄って確認してみるわよ」
少女達が辿り着いた先にあったのは樹齢数百年はあろうかという巨木であった。その根にしがみ付くようにして、1人の人間族男性が倒れている。彼は鞣した獣皮と金属板を組み合わせた頑丈そうな衣服を身に付けていたが、その背には数本の矢が刺さっていた。既に息絶えているらしく、ピクリとも動かない。周囲には掴んで千切られたであろう草葉が散っていたため、逃げている最中に射られて苦しみながら絶命したことが推測できる。
「近くに短剣も落ちてるね。恐らく彼のものだろう。あと気になるのはアレだね」
レモティーが指さした先にはラグビーボールを思わせるカプセルが転がっていた。それを似たようなものをつい最近見ていたことを彼女達は思い出す。
「獣の収納籠と似てるなぁ。大きさ的にはあれくらいだし」
「でもバステト商会で売られてた物は半透明だったじゃない。あれ、真っ黒よ?」
獣の収納籠は古代の空間魔法を組み込んだ魔道具の1つだ。契約した獣を内部に封じ込め、持ち運びすることができる。ベールを購入したバステト商会でも取り扱われていた品だが、それらは外から内部が見えるように表面の一部が半透明になっていた。しかし少女達の眼前に転がっているソレは真っ黒に塗られており、中の様子を伺うことは出来ない。
「とりあえず回収して馬車に戻ろうか。安全な場所で鑑定してみるよ。あと、この人だけど……」
「死んでから時間が経ってないなら蘇生できなくもないだろうけど、うちは賛成できないわね。どうみても悪人面だし」
「確かに、身なりがリギサンで出会った奴隷商とよく似ているなぁ。ひとまずこのカプセルを調べてから判断しようか」
異様な雰囲気を放つカプセルを左脇に抱えて、レモティーは踵を返して元来た道を戻り始めた。ココノアもその後を付いて行こうとしたが、何かが自分達へ飛来しようとしている事を音で察知する。
「レモティー、何か来るわよ! 硬化の魔気!」
ココノアのスキル発動と同時に、彼女達を守る円形の魔力壁が展開された。そしてその直後、遥か上方から彼女達を目掛けて矢の雨が襲いかかる。
――キンッ、キンッ、キンッ――
金属音が響く中、両指では足りない数の木矢が弾かれた。物理効果を無効化する魔法のおかげでココノアとレモティーは無傷で済んだものの、弾かれなかった大量の矢は容赦なく周囲の地面に突き刺さっている。殺意の高さが窺える奇襲に、レモティーの顔は一気に険しくなった。
「ありがとう、ココノア。まさか真上から襲われるとは……!」
「ま、多少矢が刺さったところで防御力が高いアンタなら、大したダメージにならなかったと思うけど」
「いや、そうでもないかな……この矢には毒が塗られてるみたいだからね」
その言葉を聞いたココノアは地面に落ちていた矢へと視線を向ける。獣の牙を削って作ったと思われる白い矢尻には、毒々しい紫色の液体が付着していた。木の根元で倒れていた男の死因が矢による失血死ではなく中毒症状であったことに気づき、彼女は携えていた弓を構える。見えないところから攻撃され続けるのは危険だと判断したのだ。
「大体の位置はさっきの音で捉えてる! うちが弓で牽制するから、そっちは場所を特定して!」
「ああ、任せてくれ! それじゃ散開しよう!」
2人は別々の方向に走り始めた。的を絞らせないための作戦が功を奏したのか、次の攻撃がすぐに飛んでくることはない。ココノアは走りながら矢筒から1本の矢を取り出し、弓に装填する。
「まったく、異世界ってほんとに全部PvPフィールドみたいなもんよね!」
木々に覆われた緑の天井を見上げた彼女は、異音がした場所に狙いを定めて矢を射った。一直線に矢が向かった先の枝葉――その裏に敵対者は確かに隠れていたのである。人影は攻撃に気付いたらしく、矢が届くより速く回避行動を取った。
「そこか! 少し遠いけど、これだけ足場があれば十分だ!」
近くに生えていた大木へ向かって疾走するレモティー。彼女は手にしていた鎌を蔦に戻すと、太い枝に目星を付けて巻き付けた。勢いがついた身体は振り子の要領で地面から離れ、空中へと飛び出す。
「よっと!」
最高到達地点でレモティーはさらに蔦を飛ばし、別の高い枝へと乗り移った。そんな曲芸じみた移動方法を繰り返すことで、彼女はどんどん対象との間合いを詰めていく。メルやリセには及ばないが、彼女の敏捷性はこの世界における平均値を優に超えているため、スキルを駆使した立体機動を用いれば常人離れした跳躍も可能だ。
「射程内に捉えたぞ! 万緑の暴風ッ!」
スキルが発動し、刃のように鋭い葉がレモティーの周囲に出現した。竜巻のような渦を巻いたそれらは彼女のターゲット指定に従い、空に伸びていた太い枝の1本をバラバラに引き裂く。
「な、なんだこれはッ!?」
悲鳴にも似た声と共に、弓を持った人影が枝葉の間から飛び出した。その人物は素早く木の幹を蹴ることで攻撃から逃れると、周囲にあった枝に乗り移りながら地上へ向かい始める。レモティーも蔦を引っ込めてその後を追ったため、2人は地上で対峙する形となった。
「さてと……君は何者なのかな? あそこで倒れている男の仲間ではなさそうだけど、いきなり襲ってきたってことは奴隷商の一味だと思っていいのかな?」
再び蔦で鎌を形成しながらレモティーが警告を発する。襲撃者は翠緑のフード付きマントで顔を隠していたため、素性は一切分からなかった。しかし丸みを帯びた体付きから、女性であることは推測できる。
「愚弄するな! 我を奴隷商などと一緒にするとは言語道断! それに亜人の子を拐うばかりか、幼子を手駒にするなど許しておけん! 貴様は確実にここで仕留めるッ!」
「拐う……? いやいや、勘違いしてないかい!? ボク達は――」
「問答無用ッ!」
レモティーが言い切るのを待たずして、女性は腰の矢筒から取り出した矢を短弓へ番えた。しかしココノアの放った魔法弾が横から彼女の手元を貫く。魔力をセーブしていたので腕を吹き飛ばすほどの威力はなかったが、弓は地面へ叩きつけられて無残に砕け散った。
「なんだと……!?」
「人の話は最後まで聞きなさいよ」
すぐ近くまで戻っていたココノアが呆れ顔で言い放った。聞こえてきた音から襲撃者が1人だと断定し、彼女はレモティーと合流すべく引き返したのである。一方、緑マントの女性はココノアを見て明らかに揺動していた。
「なぜエルフ族の子が奴隷商に従って……はっ! さては家族を人質に取られているのだな!? おのれ人間族、なんと汚い手を使うのかッ! 恥を知れ、恥を!」
「いや、だからそれが誤解なんだよ! 落ち着いてボクの話を聞いてほしいんだけども……」
「貴様らの話など聞く価値すらない! 我とて誇り高い森の番人……例え、この命と引き換えにしてでも仲間は救って見せる!」
森の番人を自称した女性は矢筒を捨て、腰に挿していた短剣を手に取る。その刃は紫に輝いており、矢同様に毒が塗られていることを示していた。
「ちょっと大人しくさせないとダメね。レモティー、拘束しちゃって」
「うん……そうした方が良さそうだ。傀儡の糸!」
レモティーにしか見えない透明な糸が女性の四肢に巻き付く。行動阻害専用のスキルである傀儡の糸は、相手にダメージを与えず一切の身動きを封じる事が可能だ。
「う、動けぬだと……!? 貴様、我に何をした!」
「落ち着いて話ができるように行動を封じただけだよ。どうやら奴隷商って感じでもなさそうだし、ボク達が争う理由はないと思うんだ」
「戯言を言うな! 油断させておいて、あの汚らわしい首輪を付けるつもりなのだろう!? 奴隷として辱められるくらいなら……クッ、ひと思いに殺せ!」
一向に話を聞く気配のない相手に溜息を付きつつ、レモティーが彼女から短剣を取り上げようと近づいた瞬間であった。音もなく傀儡の糸が切り払われ、女性の身体に自由が戻る。
「同胞への狼藉、そこまでにして貰おうかの……」
不意に背を刺した刺老人の声――反応して振り返ったココノア達は小柄な獣人男性を視界に捉えた。忍装束に身を包んでいる上、黒布の頭巾で顔を隠しているため彼の素性は一切分からない。しかし手足には白銀に輝く体毛が見えており、狼か狐に近い姿であること連想させた。鋭い輝きを放つ刀を逆手で構えていることから、少なくとも彼女達に友好的な相手では無さそうだ。
「老師! お手を煩わせてしまい申し訳ありません……!」
「構わぬ、それよりお主は最初の迎撃地点へ向かうのじゃ。小奴らの仲間がそこにおる。逃げられる前に仕留めてみせよ」
「はっ!」
女性は立ち上がり、茂みに向かって駆け始めた。レモティーは咄嗟に蔦を操ってその動きを止めようとしたが、一瞬で彼女の眼前に回り込んだ老人が行く手を阻む。
「お主らの相手は後じゃ。仲間を奪われる痛み、存分に思い知るが良い」
そう言って彼は懐から出した球体を地面に叩きつけた。一瞬にして周囲に煙幕が広がり、レモティーとココノアの視界は真っ白になる。
「ゲホッ、ゲホッ! これは煙玉ってやつなのかな。毒とかは含まれて無いみたいだけど、ココノアは大丈夫かい?」
「こっちも大丈夫。それにしてもあの爺さん、結構な手練よ。あれだけ近づかれてたのに、足音が全然聞こえなかったし」
「みたいだね……傀儡の糸をあんなにあっさりと解除されるとは思ってなかった。メル達が心配だ、早く戻ろう!」
「リセがいるから大丈夫だとは思うけど、急ぐに越したことはないわね。まずはこの邪魔な目眩ましを吹き飛ばすわよ!」
ココノアの身体に青いオーラが迸った。普段抑えている魔力の一部を解放したのだ。彼女ほどの高ステータス値の持ち主であれば、呪文を唱えずとも体内を巡るエネルギーを外に向けるだけで旋風を起こす事ができる。凄まじい魔力の奔流は草木を激しく揺らし、白煙を一瞬にして霧散させた。
「ほら早く手を繋いで。手っ取り早く転移魔法で戻るから」
「ああ、助かるよ!」
樹木の隙間から聞こえる鈴の音に向かって、ココノアは空間跳躍を開始する。息絶えた奴隷商だけを残し、彼女達は再び茂みの中へと姿を消したのだった。
――馬車が停められていた林道――
転移魔法で宙を飛び、ココノアとレモティーは元の位置にまで戻ってきた。すぐさま馬車の安否確認に向かった彼女達は、ユキとメルが無事であったのを見て安堵の溜息を付く。そして馬車の後方で佇む友人の姿と、その近くで戦闘不能に陥っていた2名の人物へと視線をやった。
「流石じゃないリセ、しっかり仕事してくれてたのね」
「ん、急に襲われたから応戦しただけ。ところで、これ誰なの?」
リセの真後ろに転移したココノアとレモティーは、彼女が指差した人物を見下ろす。それは紛れもなく先程襲撃してきた弓使いの女性と老獣人の2人組であった。リセにこっぴどくやられたらしく、女性の方は地面に伏したまま動かない。強敵だと思われた獣人男性も刀を地面に突き刺し、辛うじて身体を支えている状態だ。
「ハァ……ハァ……よもや、ワシが人間如きに敗れるとはのぉ。剣の腕までは耄碌して無いと思っていたんじゃが……」
「お爺さんは強かったよ。久々に読み合いも楽しめたし。でもあたしのステータスが高すぎたね。同じくらいのレベルなら良い勝負ができてたと思う」
「楽しめた、ときたか……カカカッ! 小娘にそこまで言われると、嗤うしかないわい。だがこのカムイの首、簡単に取れるなどとは思わんことだ」
カムイと名乗った老人は力を振り絞って身体を起こす。見るからに満身創痍であるものの、その鋭い眼光にはまだ燃え滾るような闘志が残っていた。刀を両手で構え、リセとの間合いを詰め始める。
「……それ以上やったら、命を落とすことになるよ」
「構わぬ。生き恥を晒す気など毛頭ないのでな」
刺し違えてでも相手を仕留める――そんな決死の覚悟を見せたカムイに、レモティーとココノアは息を呑んだ。リセも自分に向けられた殺気を感じ取り、慎重に剣を握り直す。
「仕方ないね。決着を付けようか」
「望むところよ……」
達人同士の一騎打ちにも似た張り詰めた空気の中、剣士達は次の一撃に全神経を集中させる。勝敗は一瞬で決すると、その場の誰もが予感していただろう。しかし唐突に現れた桃色と白色の乱入者が2人の間に割り込み、強制的に勝負を中断させた。メルがユキを抱きかかえて跳んできたのだ。
「そこまでです、お爺さん! 私達に戦う理由はありませんよ!」
「ちょっと、メル!? 馬車で待ってなさいよ! それにユキまで連れてきて!」
「いえ、これはユキちゃんのご要望です! このお爺さんとお話したいって」
メルはゆっくりとユキを地面に降ろした。ツインテールを傾けながら、ユキは頭巾で隠れたカムイの顔を覗き込む。すると少しの間を置いて、老人は身体を小刻みに震えさせ始めた。先程まで漂わせていた闘気も嘘のように消え去ってしまい、ついには指から刀が滑り落ちる。
「姫様、よくぞご無事で……!」
「「「姫様!?」」」
まさか覆面の襲撃者がユキを知る者だったとは思わず、ココノア達は目を丸くする。最初は自信無げな様子であったユキの方も、彼の声を聞くなりニッコリと微笑んだ。
「やっぱり、じぃじだ!」
「「「じぃじ!?」」」
今度はユキの発言に面食らう少女達。黒い森の中で運命的な出会いを果たした事で、一行はユキを親元に帰すという目的へまた1歩前進したのである。




