066.華やかなる都②
――翌朝――
「こんなに日差しが強いって知ってたら、どっかで日傘でも買ったのに」
埠頭に降り立ったココノアは片手で朝日を遮る。燦々と降り注ぐ光はいつもに増して眩しく、晴れ渡った空は新たな大地での冒険を期待させた。レモティーやユキ、リセも続けて下船してオキデンス最大の港であるフルーメンへと足を踏み入れる。ここから彼女達が最初に目指すべきは入国手続きを行うための施設だ。埠頭の先端から歩いても10分は掛からない位置にそれらしき建物が見えているものの、ココノアはある事に気付いて立ち止まる。
「あれ? そういえばメルはどこいったの? 朝食から全然見てないんだけど」
「確か、新しい衣装に着替えてから大喜びで甲板を走り回ってたはずだけど、まだ降りて来てないみたいだね。そろそろ来るとは思うんだけども」
「まだ船にいるってこと?」
ココノアは係留されていたウルズを見上げたが、そこにメルの姿は見当たらない。その代わりに山積みになったクラーケンの肉に視線が吸い込まれた。
「そういえばアレ、このままじゃ痛むんじゃないの? 朝だから気温自体はそんなに高くないけど、直射日光が当たってたら流石にダメになるだろうし」
「ボクも気になったから船長に聞いてみたんだけど、しばらくしたら港にある冷凍倉庫の人達が引き取りに来てくれるらしいよ。昨日の料理が好評だったみたいで、処理後は帝国へ持ち帰りたいって人も多かったってさ。ひょっとしたらボク達のおかげで東大陸にイカ料理の文化が根付くかもしれないね。ふふん!」
自慢げに鼻を鳴らすレモティー。そんな彼女のスカートが唐突にグイっと引っ張られる。怯えた様子のユキが身を寄せるようにして引っ張っていたのだ。
「ここ……知ってる。ユキがお船に入れられた場所……」
真っ白なツインテールは小刻みに震えていた。ユキはこの港で奴隷船に押し込められていたのだ。その言葉を耳にしたレモティーは顔を引き締めつつ、屈んで彼女に視線を合わせる。
「そうだったんだね……でも大丈夫だ。ボク達がいるからには、もうユキちゃんを怖い目に遭わせたりはしないよ!」
「うん……!」
「よしよし、それじゃメルが来たら早速ユキちゃんの故郷へ帰るための準備を進めよう! 確か船で話してもらった内容によると、港から徒歩で西にある市街地まで行ってから、さらに西へ進んだ先にある森に獣人族の集落があるらしいんだ。まずボク達が目指すべき場所はそこだね!」
僅かに笑顔を取り戻したユキの狐耳を撫でながら、レモティーは仲間達へ目的地を伝えた。ユキから聞いた話とカタリナに提供してもらったオキデンス領内の地図を照合した結果、西方にあるシニストラ自治区と呼ばれる場所がユキの故郷だと判明している。ただしそこへ至るまでの道のりは遠く、移動だけで数日かかる事が予想されたため十分な準備をしておく必要があった。
「皆様! お待ちになって!」
少女達に向けて船から大きな声が降り注いだ。声の主は大きな手荷物を片手にしながらも、船から架けられた乗降用の仮橋を軽やかに駆けてくる。その姿からは獣人族特有の筋力の強さと体幹の良さを感じさせた。
「やぁカタリナさん。そっちもこれから出発なのかな?」
「ええ、そうですわ! 途中までご一緒させていただきたくて……あら、メル様はどちらに?」
周囲をキョロキョロと見渡すカタリナ。ヴェールごと頭を傾ける彼女にレモティーが状況を説明しようとした瞬間、突如として子供サイズの影が空から落ちてきた。特徴的なピンク色のツーサイドアップを靡かせながら華麗な着地を決めたのは、彼女達もよく知る獣人の少女だ。
「メル、まさか甲板から直接降りてきたのかい!?」
「ええ、その通りですよ! 階段を使うよりもこっちのほうが早いと思って飛び降りちゃいました!」
メルはくるりと振り返ると、いつかのココノアと同じような台詞を口にした。今朝の彼女はレモティーが作製した新衣装を身に着けており、いつもとは違う雰囲気を纏っている。
「作ってもらったこの服、とても着心地がいいんです♪ それになんだか動きやすくて、いつもより身体が軽い気もしますね!」
嬉しそうな笑顔を見せると、メルは両手を広げて身体を華麗に回転させた。艶やかな着物の造形を基本としつつ、洋風のアレンジが施されたワンピースは異世界においても違和感の少ないデザインに仕上がっている。その色合いはパールホワイトを基本としているが、スカート部と腰帯は発色の良いチェリーピンクで染められており、巫女装束を彷彿とさせるカラーリングでもあった。
見栄えに趣向が凝らしてある一方で、衣装設計には使用者の戦闘スタイルが反映されている。動きを阻害しないように袖口やスカートは丈が短めに仕上げられているのだ。装飾としてボリューム感のあるフリルも付いているが、対峙した者がそれに気を取られてしまえば最後、フリルの先から靭やかに伸びた脚で強烈な蹴りを見舞われることになるだろう。
「うんうん、可愛いよ!! さすがココノア、いい仕事してるなぁ! ここにカメラがあったら1000枚くらい激写したいくらいだよ!」
「いやいやいやいや、ちょっと待ちなさいよ!? うちが渡した絵より露出が多くなってるんだけど!!」
興奮気味に息を荒くするレモティーにツッコミを入れるココノア。彼女のデザイン画では肌の露出が控えめになるように意図して描かれていたのだ。しかし今のメルは肩口から脇までが丸見えになっており、色白の太腿も大部分が晒されている。純白のニーハイソックスを組み合わせているため、全体に対する肌色の面積は比較的軽減されてはいるが、幼い少女に着せる服にしては少々攻めすぎだと感じてもおかしくはないだろう。
「だ、大丈夫だって! ほら足はニーハイで隠してるおかげでそんなに見えてないじゃないか! 脇の方はまぁ……通気性をよくした方がいいんじゃないかなって……」
「通気性云々を通り越して、ちょっとエッチな感じになってんじゃない!? 大体、ニーハイもアンタの趣味でしょうが! メルはスカートのガードが滅茶苦茶緩いから、スパッツにしておいてって頼んだはずなのに……!」
怒ったココノアに捲し立てられて冷や汗を流し始めるレモティーであったが、当の本人はすっかり気に入っていた。ココノアが「作り直しなさいよ!」と放った言葉に反応し、メルは即座に首を横へ振る。
「いえいえ、私はこのままで大丈夫です! ほらココノアちゃんにプレゼントしてもらった首鈴がすごく似合いますし、この服!」
首に巻いた赤い鈴付きリボンを指で示すとメルは嬉しそうに飛び跳ねた。ココノアがプレゼントしたアクセサリでもあるそれは、身体の動きに併せてチリンチリンと軽やかな音色を奏でる。鈴の見た目が和服と相性がいいのもあり、元々セットでデザインされていたかのようにマッチしていた。
ただ、ココノアが気にしているのは可愛さよりも目立っている幼女らしからぬ色気の方だ。レモティーの魔改造により、むっちりとして柔らかそうな脇や脚に視線が誘導されてしまう。そういう目で見ないように努めているココノアですら、メルの姿にはドキドキしていた。
「ま、まぁメルが気に入ってるなら別にいいけど……でも下着を軽々しく見せないように気をつけてよね。レモティーみたいなロリコンが他にいないとも限らないし!」
「とほほ……酷い言われようだなぁ。ところでメルの持ってた蜘蛛の糸だけど、アレはすごく希少で価値のある素材だったみたいだよ。おかげで出来上がったその着物ワンピ、恐ろしい性能に仕上がったんだ」
そう言ってレモティーは眼鏡の位置を人差し指で正す。自作アイテムの説明をする際に、意味ありげなポージングを付けたがるのは彼女のちょっとした癖だ。しかし今回はどんなに格好を付けても馬鹿には出来ないほどの立派な成果を得ていた。
「完成品を鑑定してみたんだけど、防具としての耐久性能は元の服の10倍以上で、酸や炎への耐性もあったんだよね。しかも衝撃を吸収する上、斬撃耐性や刺突耐性もかなり高かったと思う。あと素早さや魔力の加算補正も高かったし、NeCOに存在してたら間違いなく最終装備候補だよ、それ」
「「「えっ!?」」」
空を舞うカモメに気を取られているユキと話に理解が及ばなかったカタリナを除き、その場にいた全員が唖然とした表情を浮かべる。彼女達にとってNeCOの最終装備に匹敵する装備といえば、とんでもなく価値があるものだったのだ。そもそも、NeCOにおける最強装備はいくつもの面倒なクエストをやり遂げて集めた素材を使って装備を作り、さらにそれを希少なアイテムを消費して最大まで強化するという気の遠くなるような作業が必要となる。しかも装備強化には途中から破壊確率が設定されており、最大まで強化できる確率は0.2%程度と言われていた。課金アイテムで強化を補助することもできるが、リアルマネーをウン十万円も投入しないと作れない代物だ。それに匹敵する性能となれば、もはや神器にも等しい。
「こんなに可愛いのにパラメータも凄いなんて、さすがココノアちゃんとレモティーちゃんが作ってくれた服ですね! 大事に着ます♪」
NeCOだけでなく現実でも安物ばかり着ていたメルにとって、この超高性能装備は最高のプレゼントになった。しかしそんな価値ある品を自分だけ貰っていいのかという不安も襲いかかる。メルは心苦しそうにココノア達へと言葉を投げかけた。
「でも、私だけこんな素敵な服を貰うのも申し訳ないような……」
「気にしなくていいってば。うちにはセロから貰ったコレがあるし」
「ん、あたしもこの服には思い入れがあるから。別に新しいのはいらないかな」
2人は問題ないとばかりに首を左右に振る。ココノアは純白のブラウスと艶やかな紅色のスカート、そして華やかな刺繍の入ったケープレットを組み合わせて身に付けていた。どれも魔法使い向けに作られたもので、魔力の制御を補助する機能が備わっている。また見た目も申し分なく、肩のラインで綺麗に整えられた亜麻色のミディアムボブのおかげもあり、貴族の子女と見紛うような上品な雰囲気を漂わせていた。
一方のリセは黒をベースにしたゴシックロリータ調のドレスに袖を通している。首元にある可憐なリボンと、ふわりと膨らんだスカートだけ見れば深窓の令嬢といった様相であるが、剣士でもある彼女は特殊なカスタマイズをそこに施した。紫紺に染まった魔銀製の篭手や胴鎧を組み合わせることで、戦闘に必要となる性能を補ったのだ。そのため全体的な見た目としてはNeCOで人気のあった"姫騎士"のスタイルに近い。そんな拘りの衣装を着こなす彼女達に比べると、一番地味なのはレモティーだろう。
「まぁ素材のシルクはまだ残ってるから、機会があれば他の服も作ってみるよ。ボクもいつもこれだと流石に飽きるしねぇ?」
苦笑いを浮かべながらレモティーは自分の姿を指さした。彼女は裁縫スキルを使って自作した衣服をリギサンで過ごしていた頃からずっと愛用している。華やかなレースが付いた明るい緑色のワンピースは農業用の作業着も兼ねており、ゆったり目の着心地が特徴だ。それでもなお、胸の部分だけが破裂しそうな程に膨らんでいるのは、彼女の乳房がとんでもなく巨大であることに由来していた。特別な性能は何もなく、頑丈な作りだけが唯一の特徴であるが、飾り気のない装いは親しみ易い雰囲気作りに一役買っている。
「さてと……お喋りはこの辺にしとくわよ。そろそろ入国の手続きに向かわないとね。そういえばカタリナはここの土地勘があるんだっけ?」
「ええ、そうですとも! ここは是非わたくしに入国管理局までの道を案内させてくださいませ! とは言いましても、正式な入国書類さえあれば簡単な身体検査だけで済みますわ♪」
カタリナそう言うと、付いてこいとばかりに先頭を歩き始めた。その後ろにメル達が列を成す。短い道のりではあったが、しばしの間カタリナは訊かれもしていない事をペラペラと喋っていた。
「上空を覆っている結界が見えまして? 昨日は日が暮れていたので目視出来なかったのですけども、今ならハッキリと見えますわよね。あれは防護結界の一種ですの。主要港にある門以外にはアレが張り巡らされているので、外敵が海から侵入することは不可能ですのよ」
彼女が指し示した先には空の色にも似た透き通った壁が聳え立っていた。天高く伸びるそれは時折揺らめき、薄いカーテンのような印象を少女達へ与える。
「話には聞いたことがあったけど、本当にこれが大陸全土を覆ってるのかい? こんなの、維持するだけでも相当大変じゃないか……」
「ええ、そうですわね。あの結界を維持するためにオキデンスは多額の労力と費用を費やしていますの。ですから国民への賦税は他国に比べて5倍近い負担になっていますわ。その代わり、安心と安全は保証されていますから、他国から移り住む人も多かったりしますのよ」
「なるほど、税金が安心料みたいなものなんだね。でも働いている人達は随分と疲れた顔をしてるなぁ……」
港を見渡していたレモティーには引っかかる事があった。荷物運びや清掃などの肉体労働に従事している者達は全て獣人族の男性だったのだ。獣の血が濃いためか彼らは毛深く逞しい体付きではあるが、その表情は冴えない。一方で人間族は1人も見当たらなかった。
「ここにいる獣人族の人はみんな野性味が溢れているというか、ワイルドな見た目だね。東大陸だとメルやユキちゃんみたいに、人間族と耳と尻尾くらいしか違いの無い人が多かったけども」
「この国では身分によって婚姻や職業に強い制限がかかりますのよ。主に力を使う労働は最下層の身分である奴隷の領分ですし、その多くは亜人……必然的に肉体労働は獣人族に回って来ますわ。そして奴隷は基本的に奴隷同士でしか婚姻が許されていませんから、血が交わること自体が稀ですの。だから亜人の血は濃いままで、薄まることがないのです。妾の子などはその限りではありませんけども」
カタリナは淡々と説明したものの、その内容は現代日本から来た少女達にとって衝撃的な内容だった。事情も知らずに不躾な質問をしてしまった事をレモティーが謝ろうとした矢先、カタリナの足はピタリと止まってしまう。眼前には入国管理局と書かれた明示された立派な建物があるにもかかわらず、彼女は一向に進もうとしない。
「どうかしましたか、カタリナさん?」
「まずいですわ……前はあんなもの無かったですのに……!」
額に汗を浮かばせたカタリナは建屋入口の両脇に設けられた見慣れない装置を注視していた。魔道具と思しきそれは通過する入国者に対して青白い光を浴びせている。
「何かを検査するための機械? そういえば空港にあんなの無かったっけ」
「確かにセキュリティゲートに似てますよね」
ココノアとメルが真っ先に思い浮かべたのは、空港などの重要施設に設けられているセキュリティゲートであった。地球ではIDカード認証や生体認証を用いて、正式に認証された人間の通行のみを許可する機構であったが、異世界でそれとよく似たものを目にしたのは今回が初めてだ。
「あれは奴隷の刻印がある者に反応する検出装置ですわ。これまでは議事堂にしか備え付けられておりませんでしたのに、まさかこんなところにあるなんて……!」
カタリナは動揺のあまり後退りを始める。その動きを不審に思われたのか、入口で見張っていた監視役らしき男の顔が険しくなった。怪しい雲行きに素早く反応したレモティーはカタリナが立ち止まった理由について確認する。
「奴隷の刻印に反応するって、どういうことかな。ひょっとしたらユキちゃんにも関係あるかもしれないし、聞かせて欲しいんだ」
「え、ええ……わたくしも理由や原理は知らないのですけども、この国で生まれた亜人はいつの間にか身体へ刻印が刻まれていますの。普段それは目に見えないのものの、特殊な術式を浴びせることで浮き上がりますわ。そしてあの装置は……」
「なるほど、その特殊な術式とやらを発生させてるってわけだね。それは服とかでは隠せないのかい?」
「不可能ですわね……刻印は衣服から透けて見えますもの。私があそこを通れば即座に亜人であることが知られてしまいますわ」
カタリナから聞いた情報を頭の中で整理したレモティーはユキの方へと目をやった。奴隷船に乗せられていた事を考慮するとユキの身体にも刻印が刻まれている可能性が高いからだ。特派大使の記章があっても彼女の身体に刻印があると判明すれば、素直に入国などさせてくれないだろう。
「そうなると、ここで刻印を消すしかないってことか……」
「無理ですわ、そんなこと! 刻印を消す方法を知る者は皆無に近――」
「大丈夫、ボクとメルに任せてくれればいいから!」
カタリナの言葉を遮ると、レモティーはユキとカタリナに向けて鑑定のスキルを発動した。それで何かを掴んだのか、彼女は確信を得た表情をメルの方へと向ける。
「やっぱり思った通りだ。どうやらその刻印は状態異常の扱いみたいだね。鑑定スキルで確認することができたよ」
「状態異常……それなら私でも何とかできそうです!」
友人の意図を汲み取ったメルは即座に状態異常を解除する魔法を唱えた。カタリナとユキを緑色の淡い光が包み込む。
「これは一体何の術式ですの……?」
「それは結果を見てからのお楽しみさ、鑑定!」
レモティーは再度スキルを発動させた。カタリナとユキに関するステータス情報が文字の羅列として彼女の脳内に流れ込んでくる。今度は先程まで見えていた"隷属の刻印"の文言が綺麗さっぱり無くなっており、刻印が完全に消え去ったことを示していたのであった。
「……よし! これで大丈夫だ。刻印とやらは消えたよ」
「そ、そんなはずは……!?」
「ボク達を信じて! ほら、堂々とするんだ!」
レモティーに背中を押されたカタリナは戸惑いながらも入口直前まで近づく。怪訝そうな監視役の視線に晒されながらも、彼女は意を決して一歩を踏み出した。同時に両脇の装置が動作して青白い光がカタリナを照らしたが、どこにも刻印と思しきものは浮かばなかったのである。
「刻印の反応無し。それでは先に進んで手続きを」
「えっ!? わ、わかりましたわ……?」
何が起こったのか理解できない様子のまま、カタリナは書類審査の窓口へ進んでいった。それを後方から見守っていたココノアは感心したように呟く。
「へぇ、その刻印とやらが状態異常の範疇だって、よく気付いたわね」
「NeCOに受傷倍化の刻印って状態異常があったおかげだよ。あっちのは受けるダメージが倍になる特殊なデバフだったけど、状態異常を解除する魔法で普通に除去できたから、もしかしたら……ってね!」
レモティーの推測は正しかった。対象へ後天的に付与された不都合なバッドステータス全般――それを解除できる全状態異常解除の効果範囲は、この国において解呪不可能とされている刻印術式にも対応していたのだ。しかし、このキュアコンディションの魔法は決して高度な魔法ではなく、むしろ低レベルで取得できる初級魔法に該当している。故に物理ステータスに傾倒したメルであっても詠唱時間なしで連発できる程度にはコストが軽かった。ではなぜそんな魔法が異世界において万能に近い効力を持っているのか……その理由は、彼女達のキャラクターを生みだしたNeCOの歴史にある。
かつてNeCOでは戦略性に幅をもたせるという名目の元、アップデートの度に状態異常の種類が増えていた時期があった。だが、それを解除するためのアイテムや魔法が複雑になりすぎた事でプレイヤーの反感を買ってしまう。状態異常に対する不満のメールは数多く届き、運営会社は仕様調整を行うことにしたのだが、そこで彼らが取った対策はあまりにも極端だった。それまで存在していた状態異常の大部分を同一のカテゴリへまとめ、一種類の魔法やポーションで治せるように変更したのだ。このようにしてキュアコンディションの対象範囲はあらゆる状態異常を網羅する万能魔法と化した。そしてその半ばヤケクソ気味な効果範囲の広さは、この異世界においても健在である。
「ん、問題ないならあたし達も行こう。さっきから視線が気になる」
リセが仲間達に入口の通過を促す。彼女は周囲から向けられていた不快な視線を敏感に感じ取っていた。監視役だけでなく、他の入国者や労働者達がエルフ族であるココノアや獣人族のメルに隷属の刻印が浮かび上がるのではないかと疑っているのだ。
「確かに嫌な視線を感じるね。ま、ボク達は問題ないよ。刻印なんて付与されていないのは分かっているからさ」
レモティーが断言した通り、少女達は何事もなく刻印検出装置をパスすることができた。さらに建物の内部での入国手続きも恙無く完了する。帝国軍に準備してもらった身分証明の書類と大使の記章を見せるだけで各種検査は免除され、渡航の目的を問われただけで特に疑われるようなことはなかったのだ。なおオキデンスを訪れた目的については、入国書類に記載されていた"オキデンス建国500周年の記念式典へ参加するため"という一文をそのまま読み上げている。
「とりあえず作戦会議しよっか。みんなこっちに来て」
入国管理局の建物から出たココノアの一言で少女達は大通りの端へと集合した。真の目的であるユキの故郷探しを開始するにしても、まずは旅の資材を調達するところからになる。今の段階から行動計画をしっかりと練る必要があった。
「まずは食料品とか消耗品の買い込みしないとね。あ、でもうちらって外交の挨拶とかいうのをやらないといけないんだっけ?」
「うん、そうだね。面倒だけど一応帝国の使者って扱いで入国してるから、形だけでも合わせておこうか。あと、こっちにいる間は首都にある迎賓館の部屋を提供してくれるみたいだよ」
「ふぅん、それなりの待遇はしてくれるのね。奴隷制度なんてある国だから、もっとこう蛮族っぽいイメージ持ってたわ」
意外そうな表情で呟くココノア。彼女を含め、一行は記念式典に参加する帝国の要人という扱いになっている。以前よりデクシア帝国に届いていた式典への招待状に応じる形で渡航してきたからだ。本来であれば皇族の代表者が出席する予定だったが、クーデターで皇帝一族は全滅しており候補者はいない。そこでランケアは式典の参加枠を利用することで、西大陸に渡りたいという少女達の要望を汲むことにしたのである。ただし国を救った英雄とはいえ、本来無関係の者達を国の代表者として送り出すことになるため、外交上のリスクも大きい。そこでウルズ船内では式典への参加に関する説明や、儀礼的な振る舞いなどについてレクチャーする時間が設けられていた。思っていたよりも忙しかった船旅を振り返りつつ、メルは次の目的地について言及する。
「それでは、私達はまずその迎賓館に向かえばいいわけですか? どこにあるのかわかりませんけども……」
「迎賓館はこの大通りの先にあるディア・メトロスって街にあるんだってさ。オキデンスの首都にあたる所で、式典もそこで行われるって説明があったと思う。徒歩でも行ける範囲だから、とりあえずこのまま進んでみようか」
「そこは普通、招待した方が乗り物を用意して迎えにくるべきじゃないの? 気の利かない連中だわ」
「はは、そこはボク達が元居た世界とは文化が違うだろうからなんとも言えないね。それに、ひょっとしたら外交的な駆け引きや狙いがあるのかもしれない。例えばわざと自国の街中を歩かせることで、発展具合をアピールしたいとかさ」
レモティーは持論を展開しつつ、大通りへ視線を向けた。白い石畳で整備された美しい街道は真っ直ぐと伸びており、その先には栄えた市街地も見える。
「ただ、ここはボク達にとって初めて来る場所でもあるんだ。自分の足で歩けば地形も頭に入り易いだろうし、この方が好都合だと思うよ。それに主要な商店や施設もチェックしておきたいかなぁ」
「そういえばレモティーちゃんは新しい街に辿り着いたら隅々まで探索してましたよね。おかげで何を聞いてもすぐに教えてもらえました♪」
「あれはちょっとした癖みたいなものだったんだけど、そう言って貰えると嬉しいな。でも、今回はゆっくりと観光するつもりはないよ。一刻も早く、ユキちゃんをお母さんに会わせてあげたいからね! そのためにも、馬車を動かす動力をどこかで仕入れたくてさ!」
レモティーはNeCOに限らず、ゲームで初めて訪れた街を隅々まで踏破するタイプだった。それこそ全てのNPCに話しかけないと気が済まない程であったが、今の彼女にとって優先すべき事項はユキを家族の元へ送り届ける事だ。故に移動手段の確保は喫緊の課題である。
「獣人の集落へ行くには西部に広がる森を突っ切る必要があるし、ユキちゃんの安全を考えるなら馬車での移動は必須だと思う。それに馬車が使えないと野宿もままならないよ」
「それは一理あるわね……メルみたいな体力お化けならともかく、ずっと歩き続けるわけにもいかないし。それじゃ迎賓館に行くまでの間でそれっぽいところを探してみよっか」
ココノアの言葉に頷く一同。彼女達は大通り沿いに進みつつ、輓獣を取り扱っている商店を探すことにした。しかし歩き始める前にメルが何かに気付いたような声をあげる。桃色の尻尾と右手の人差し指が指し示した方向には、街の地図らしきものが掲示されていた。
「レモティーちゃん! あそこに案内看板みたいなのありますよ! あの中に商店の場所とか種類が紹介されてたりはしないのでしょうか?」
「おっ、本当だ! 少し見てくるから、みんなは待っててくれないかな?」
看板の内容を確認するべく一団から離れるレモティー。彼女が輓獣を取り扱っている店を探している間、残された少女達は道行く人々を眺めながら会話を愉しんだ。
「そういえば入国の手続きをする時、本当に大使さんなのかって疑われなくてよかったですね。見た目がこんな感じですから、流石に何か言われるかと思いましたけども」
「一応、うちらには正式な記章があるからね。あのガキンチョも昔は帝国の大使として他国に派遣されてたって聞いたし、外見とか年齢はあんまり関係ないんじゃないの? すぐにクレームが来て呼び戻されたらしいけど」
「ガキンチョ……? ああ、あの女の子ですか!」
ココノアが口にした人物――フラン=サエルムの事を思い出したメルはポンと手を叩いた。ダークエルフの少女であるフランは、見た目こそココノアやメルより少し年上にしか見えない子供だが、偉大なる賢者の称号を持つ世界でも指折りの実力者だ。そのため古代魔法の封印解除に関する重要な国際会議へ派遣されていた経験を持つ。しかし小馬鹿にした物言いで各国の高官を怒らせ、出禁にされてしまったのだ。そんな彼女の失敗談は軍内で笑い話にもなっており、ココノアは砦の食堂でその事を偶然耳にしていたのである。
「皆様! こちらにいましたのね!」
不意に聞き覚えのある声が聞こえ、メル達は通りの向かい側へと目を向けた。人目も憚らず大声を出していたのは、入国手続きを終えたカタリナである。彼女は巨大な手荷物を軽々と振り回しながら嬉しそうに駆け寄ってきた。
「なんとお礼を申し上げればよいか……まさか生きている内に刻印を消すことができるなんて、思いもしませんでしたわ! やっぱりメル様はアイリス様が遣わした聖なる使者に違いありません!」
「大袈裟ね……うちのヒーラーを持ち上げてくれるのはいいんだけど、そもそも刻印って消して良いものだったの? 何か不都合とかあっても責任とれないわよ」
「消していただいて困るなんてことはありませんわ! 刻印はこの国に生まれた亜人を縛る呪いのようなもの……刻印を身に宿している限り、わたくしは一生奴隷であることを隠して生きなければならなかったのです。望んで奴隷に生まれたわけではありませんのにね……」
カタリナの表情に憂愁の影が差す。様々な想いを巡らせるその瞳は、これまで相当な苦労があった事を少女達に感じさせた。何も知らない自分達がこの話題に触れるのは好ましくないと感じたココノアは、すぐに話題を切り替える。
「そうだカタリナ、うちらは馬車を動かせるような輓馬を探してるのよ。そういうの取り扱っている店とか知らない?」
「ご心配なく、この国で手に入らないものなんてありませんわよ! そうですわね、馬に限らず生き物の取り扱いならバステト商会が得意としていますわ。ディア・メトロスの下流区にあるお店ですから、治安も問題ありませんし。確か聖教でも移動に使う動物はそこから購入していたはずですのよ」
「なるほど、バステト商会か! ありがとうカタリナさん、いくつか候補を立てて見て回ろうと思ってたんだけど、おかげで絞り込めたよ」
いつのまにかレモティーが会話に混ざっていた。"生き物の取り扱いは当店へ!"という宣伝文句が書かれていたバステト商会には彼女も目星を付けていたが、他にも似たような店が複数あったので相談しようと案内看板から戻ってきていたのである。カタリナの情報提供のおかげで向かうべき先は確定した。
「お役に立てて光栄ですわ! 本当はわたくしが直接ご案内申し上げたいところなのですけど、これから所用で向かわなければならない場所がありますの。これまで助けていただいたご恩はいつか必ず返しますので、よろしければアイリス聖教の教会にもお立ち寄りくださいませ♪」
丁寧に頭を下げると、カタリナは足早にその場から立ち去った。大通りの方ではなく脇道へと逸れた彼女の後姿を見送りつつ、レモティー達は磨かれた石畳の上を進んだ。
――ディア・メトロス 下流区――
オキデンス国は君主制ではあるが、国王は象徴のようなものであり実質的に貴族と市民から成る議会が実権を握っている。故に"国王は君臨すれども統治せず"と揶揄されることも多い。議会は貴族議員および人間族のみで構成される市民議員から選抜されるが、投票で選ばれる市民議員に対して貴族議員は世襲制であり、古くからオキデンスの歴史に名を連ねてきた五大名家のみで構成されていた。
一方、国民の大半を占める亜人――奴隷層には政治への参加権がなく、常に虐げられる立場にある。国の発展に寄与した一部の亜人には例外的に市民としての権利を得た者もいるが、彼らの多くは厳しい制約が付き纏う貧しい生活を強要されていた。
そんなオキデンスの首都であるディア・メトロスには、3つの区域が存在する。豊かな富と土地をもつ貴族や豪商らが住む上流区、人間族の庶民が暮らす下流区、そして奴隷層が生活を営む旧市街地の貧民区だ。上流や下流といった名付けをされているのには、貴重な資源であった水の分配順が起因している。かつての種族間戦争によって大地が酷く汚染されたオキデンスでは、安全に使える水源が希少だった。現在はデクシア帝国から提供された濾過技術のおかげで清潔な水の確保には困っていないが、それが今も区域を示す名称として残っている。
「これがバステト商会かぁ。随分と繁盛しているみたいだね」
レモティーを先頭にバステト商会を訪れた少女達は、洒落たブラウンの外壁に覆われた巨大な館を見上げていた。通りに面した壁には黒猫をデフォルメしたような模様が刻まれており、通行人の目を惹く。その宣伝効果もあるのか、立派な4階建ての建屋に出入りする客が途絶える様子はない。
「いらっしゃいませニャ! 今日はどういったご要件ですニャ?」
開け放たれた玄関ホールにレモティーが足を踏み入れると、少し訛りのある茶髪の女性が声を掛けた。人懐っこそうな笑顔が眩しい彼女の頭には先端が欠けた猫耳が生えていたため、ひと目見ただけで猫系の獣人であることが分かるだろう。そのスレンダーな体型には商会の黒い制服もよく似合っていたが、なぜか首には無骨で太い金属製の首輪が装着されていた。表面に無数の細かいキズが付いた場違いな銀環を気にしつつも、レモティーは目的を述べた。
「えっと、ボク達は馬車を動かすための馬を探してるんだ。別に馬に限定してるわけじゃなくて、馬車を引っ張れるだけの力があればいいんだけど、そういう生き物を買うことはできるかな?」
「ニャるほどニャるほど、そういった用途の獣なら豊富に取り揃えておりますニャ! 売り場まで案内しますニャ!」
「うん、お願いするよ」
"売り場"という単語に少し引っかかったが、レモティーは女性店員に案内されるまま奥へと進んだ。ココノアやメル達も周囲の様子を見渡しながらその後を追う。建物の内部はいくつものフロアに分かれており、日常雑貨から魔道具に至るまで、様々な商品が取り扱われていた。トルンデインで見かけた個人商店とは異なり、整理整頓された商品棚や小綺麗な展示ケースは日本にあった高級デパートとも似た雰囲気を漂わせている。
「へぇ、綺麗なもんじゃない。店員の語尾が可愛すぎるのが玉に瑕だけど、売ってるモノ自体は良さそうね」
様々な魔道具に目移りしながら通路を歩くココノア。そんな彼女の顔をメルはじっと見つめていた。
「……あれ、どうかしたのメル? うちの顔になんか付いてた?」
「ココノアちゃんはああいう感じの方がいいわけですね……!」
「えっ? 何のこと……?」
唐突なメルの発言にココノアが首を傾ける。自身と同じ猫系の獣人をココノアが"可愛い"と表現したのを聞き逃さなかったメルは、密かに対抗心を燃やし始めたのだ。ココノアが反応したであろう店員の特徴を早速取り入れようとする。
「私も猫さんっぽく喋ってみますにゃ!」
「急にどうしたの!? 今までそんな語尾じゃなかったと思うけど!?」
「慣れるまで時間かかりそうですけど、ココノアちゃんがこっちの方が好きなら頑張ってみますにゃ!」
「あっ、もしかして可愛すぎるなんて言ったから……? いや別にそういう意味で言ったわけじゃないからね!? ただ、うちの好みに合わせてくれようとしてるのはちょっと嬉しいっていうか……!」
「ん、付き合い始めたばかりのカップルみたいだねそれ、ふふっ……」
後方から友人達の奇妙なやり取りを眺めて微笑むリセ。彼女の楽しみでもあるココノアとメルの観察が数分ほど続いた後、一行は"創造生物"という看板が掲げられた一室へと通された。偶然にも他に客は誰もおらず、他のフロアと異なり静寂に包まれている。
「ここが当商会自慢の創造生物売り場ですニャ!」
店員が案内した部屋は他と大差ない売り場であった。しかも生き物を取り扱っていると銘打たれている割に、獣臭さや鳴き声は皆無だ。特徴があるとすれば、商品棚に並んだラグビーボールサイズのカプセルくらいなものだろう。表面に映った影らしきものが動いていることから、何かが入っていることだけは分かる。
「この卵みたいな容器は何なんだろう?」
「これは獣の収納籠という、古代の空間魔法を組み込んだ魔道具ですニャ。契約の魔法で籠と紐づけた獣を小型化して持ち運びできる便利な道具ですニャ~」
「そんなものがあるなんて知らなかったよ。中に入ってる動物を出してもらう事はできるのかな? 実際に見て確かめたいんだけども」
「申し訳ありませんニャ、それはご遠慮くださいニャ……カプセルにはこの部屋に入り切らないような大型獣も収納されていますニャ。その代わり、カプセルの中を外から良く見てもらえればどんな生き物なのかは見てもらえますニャ。実際の大きさや食性なんかも置いてある取り扱い説明書に全て書かれてますニャ!」
「それじゃ早速見させて貰おうかな」
店員に促されるがままレモティーはカプセルの中を覗き込んだ。説明の通り、卵型の容器には精巧なフィギュアのような手の平サイズの生き物が入っていた。つぶらな瞳にずんぐりむっくりとした丸い身体――まるでペンギンを丸くしたような愛らしい鳥が中で元気よく飛び跳ねている。
「これは面白いね……! ほら、みんなも見てみなよ!」
レモティーに言われるがまま、ココノア達もカプセルの中を覗き始めた。特にユキは珍しい生き物に興味を惹かれたのか、上機嫌でカプセル巡りを満喫する。そんな彼女にリセも付き添っていたのだが、ふと"黄金スナネズミ"というラベルが貼られたカプセルの前で立ち止まり、疑問を口にした。
「ん、創造生物ってさっき言ってたよね。それって自然の生物と何が違うの? どれも普通にいそうな感じがするけど」
「当商会で取り扱っている獣は、全て魔法で作られた合成獣ですニャ。自然の生き物を特殊な術式を介して掛け合わせることで、この世に存在しない新種を産み出すことができるのですニャ~! あとは病気に掛かりやすい種や気性が荒い種の欠点を消せるのも合成獣の長所ですニャ!」
「ふーん……倫理的にどうかなって思う所はあるけど、これは可愛くていいかも」
魔道具の中を駆け回る大きな耳のネズミに愛着が沸いたリセは、これにしてみたらとレモティーに目配せを送る。しかしネズミに馬車を引かせることは不可能だ。レモティーが両手でバツ印を作ったので、リセは残念そうに肩を落とした。
一方、メルとココノアは一緒に別のカプセルを覗き込んでいた。燃える背びれを持つトカゲや、器用に玉乗りする二足歩行の兎などが彼女達の目を愉しませる。
「ほんとに色々な生き物がいるもんね。そういえば魔法で生き物を合成するって、どっかで似た話を聞いた憶えがあるような……? あー……思い出せないな、別にどうでもいっか。ところでレモティー、そろそろ良いの見つかった?」
「うーん……あたりはいくつか付けたんだけど、結構悩ましいんだよね。一応取扱説明書も見ておかないといけないから、もうしばらく待ってて欲しいな」
「ほいほい、それじゃ任せたわよ」
ココノアがレモティーに対して放った台詞を聞いて、店員の表情が急に変わった。彼女は何か恐ろしいものでも見たような顔でココノアに駆け寄り、小声で注意を行う。
「ダメニャ! 奴隷が御主人様に対してそんな言葉遣いをしてたら酷い目に遭わされるニャ!」
「えっ、いきなり何よ……!? うちは奴隷じゃないっての!」
「奴隷じゃ無いニャ……? あっ、本当に首輪がないニャ!? こ、これは失礼しましたニャ~!」
女性はココノアの首元を一瞥すると、すぐに平謝りし始めた。慌ただしい彼女の挙動に戸惑いつつも、ココノアは首輪について尋ねる。
「首輪って、アンタがつけてるソレのこと?」
「そうですニャ。これは市街地で暮らす亜人に装着が義務付けられている身分証明のようなものですニャ。お客さんはひょっとして外から来たエルフですニャ……?」
「そうよ。東大陸から来たからこっちの事は全然わからないけど、亜人はみんなそれを付けないといけないわけ?」
「それは……」
言い難そうに言葉を詰まらせた店員は、周囲を見渡して自分以外の従業員が居ないことを確認した。そしてココノアの耳元に顔を近づけ、ギリギリ聞き取れる程度の声で話を始める。
「これはただの首輪じゃなくて、身体能力を下げてしまう呪具ですニャ。反乱を起こしたりできないようにして、人間族は亜人を従わせてますニャ。外から来た亜人も例外じゃ無かったはずニャけど、首輪の不使用を許されてるお客さんは高い身分の人に違いないニャ……この通り、許して欲しいですニャ~!」
何度も謝罪を繰り返す彼女に、ココノアは「気にしてないから大丈夫よ」と伝えて安心させた。実際のところ奴隷扱いされたことに関してはどうでも良いと思っている。それよりも問題なのはこの国に根深く浸透している奴隷制度だ。ユキを親元に返すだけでは根本的な解決にならないのではないかという疑念が、ココノアの胸中に沸々と浮かび上がってきた。
「ヨシ、君に決めた!」
唐突にレモティーの声が室内に響き渡る。彼女はついに旅のパートナーを選ぶ決心をしたのだ。棚に並んでいたカプセルの1つを手に取って、女性店員へと手渡した。
「この子がほしいんだけど、譲ってもらえるかな?」
「お客様が選ばれたのは有角獣と鳥を組み合わせた稀代の新獣、ベイヤールですニャね! さすがお目が高いですニャ! ケージ付きで金貨5枚になりますニャ~」
「金貨5枚ってなかなか高いね。まぁ仕方ないか……あ、しまった! オキデンスの貨幣に両替しとかないといけなかったんだ!」
「当商会は他国で流通している貨幣も使えますニャ。これで大丈夫ですニャ!」
レモティーが財布から出した5枚のコインを両手で受け取ると、店員は手慣れた様子で戸棚から青染めの布袋を引っ張り出した。創造生物の入ったカプセルだけではなく、魔道具の使い方や世話の注意点などを記載した書類一式を用意し、袋へ詰め始める。
「そうだ、ちょっと聞きたいんだけども――」
レモティーは待ち時間を利用し、違う国の硬貨を両替なしで使える理由を尋ねた。すると店員は冒険者ギルドが各国に対して、1枚あたりの硬貨に含まれる希少金属の割合を統一させているからだと答えた。そうしないと冒険者が任務で国を跨ぐ際、報酬として支払われる通貨の種別で損をしてしまう可能性があるからだ。故に冒険者ギルドと友好的な関係を持つ国同士であれば、発行国に関係なく自由に硬貨を使うことができる。その合理的な理由に納得したレモティーは、お礼とチップを兼ねて1枚の銀貨を店員の前に置いておいた。
「……この国ってチップの文化あるの? トルンデインじゃ無かったけど」
その様子を見ていたココノアが声を掛けたが、レモティーは「いや、なんとなく……」と気恥ずかしそうに視線を逸らす。生粋の日本人である彼女は、チップを支払うような文化に触れた事はなかったのだ。ただ、この国では色々と苦労してそうな亜人を少しでも応援してあげたいという想いはあった。だから気持ち分のチップを渡したのである。
「はいはい、そういうのやってみたかったわけね。で、結局どんな生き物を選んだの?」
「えっと角があって、翼もあって……って、言葉より見せたほうが早いね。こういう生き物さ!」
レモティーはココノアとメルに向けて手にしていた取扱説明書を広げる。そこには一般的な馬よりも大きくて逞しい、有翼1本角の妖馬が映っていた。しかも体毛は濃い紫色に染まっており、見るからにモンスターといった容貌だ。
「なにこれ、滅茶苦茶悪そうな顔してるんだけど!」
「いやいや、それは見た目だけさ! ほら、ここに性格は寂しがり屋で懐きやすいって書いてあるだろ? それになんたって主食が根菜類なんだ! ボクが大根でも作って食べさせてあげれば、食費は気にしなくていいし、旅のお供にぴったりじゃないか!」
「……確かに、餌が調達しやすいのはメリットね。肉食だと毎回狩りしないといけなくなるし」
ココノアは首を縦に振って同意を示す。手軽に作り出せる野菜で餌を賄うことができれば、旅を続ける上での大きな利点となるのは事実だった。これまでの国とは違い、冒険者としての活動に制約が掛かりそうな状況下で金貨5枚は少なくない出費だったが、少女達はレモティーの選択を尊重することにした。
「ところで名前はどうすんの? 選んだのはレモティーなんだから、名前もつけてあげなさいよ」
「やっぱり名前を付けたほうがいいのかな? ボクはそのままベイヤールって呼ぼうかと思ってたけども……」
購入した創造生物にどんな名前をつければいいか思案し始めるレモティー。そんな彼女の視界に揺れる猫耳と尻尾が目に入った。メルが瞳を輝かせながら見上げていたのだ。
「ベイヤールさんなのでお名前はベールちゃん、っていうのはどうですにゃあ?」
「……えっ!? どうしたんだいメル、その喋り方!? さてはボクを悶絶死させるつもりだね!!」
可愛さに拍車をかけるメルの台詞に、レモティーの胸は高鳴る。猫言葉を話す獣耳幼女を前にして、少女性愛者が理性を抑えられるはずもなかった。彼女は興奮でわなわなと震える両手をメルへと伸ばす。
「こら変態女! 新しい国に入って早々事案を起こさないでよ!」
「あぁん、痛いよココノア! ちょっとした冗談、冗談だから!」
「アンタがやると冗談に見えないっての!」
メルを抱きしめようとした不埒な友人の尻を杖の頭で突きつつ、ココノアは語尾を元に戻すように釘を刺した。
「メルもその喋り方は禁止だからね。レモティーを犯罪者にしたくないでしょ?」
「ぐぬぬ……残念です。あ、でもココノアちゃんと2人きりの時だけなら大丈夫ですよね♪」
「えっ、それはズルイんじゃないかな!? こうなったらユキちゃんに喋り方を変えてもらうようにお願いして……って、それはマジで痛いよココノア!?」
今度は鋭く尖った杖の反対側でプスリと刺されたレモティーであった。




