065.華やかなる都①
西大陸の玄関口に位置し、商業の国として知られるオキデンス――その中で最も大きい港に入った軍船ウルズは、港の労働者や他船の乗組員から奇異の目で見られていた。極めて危険な魔物、もしくはそれに類する何かの襲撃を受けた事が分かる損壊具合だったからだ。
多彩なスキルを持つメル達が乗っていたとはいえ、船舶の修理は容易では無い。応急処置でなんとか航行できるまでには直せたものの、速度を落として航行するしかなかった。そのせいで到着は予定よりもかなり遅くなり、入港出来たのは日が沈みきった後だ。入国手続用の窓口は既に閉鎖されていたため、今日のところは埠頭に係留した状態で一夜を過ごすことになったのだが、ボロボロの外観とは対照的に船内には賑やかな声が響いていた。
「メル……本当にコレ全部食べるつもりなの?」
「勿論ですよ! リセちゃんが調理方法を見つけてくれたんですから!」
大きな窓から海を見渡せる大食堂――その厨房ではクラーケンの肉を調理すべくメル達が慌ただしく働いている。倒された直後に鮮やかな色へと変化した身が、日本で見たことのあるイカに酷似していたことから、絶対に美味しく食べることができるはずだと彼女達は確信していた。そのため新鮮な内に食べてみようという話になったのだ。腐臭がするそれを見た時、船員達は一様に顔を顰めたが、命の恩人でもある客人の提案を強く否定することもできず、今は料理が出来上がるのをテーブルで待たされていた。
「多めの塩で揉むといいよ。ぬめりが取れれば臭いがかなりマシになるから」
「なるほど、このヌメヌメが臭い理由だったんですねぇ」
「うん、しっかり取り除けば食べられる程度にはなると思う」
調理台を占領するかの如き巨大な切り身に塩を揉み込みながらリセが解説する。触手が分泌していた特殊な粘液さえ無くなれば、その白い身は通常のイカと遜色なかった。肉自体に臭みはなく、生のままでも食べれそうな程に色艶も良い。
「肉は大量にあるし、まずは素材の味がよく分かるステーキにでもしてみようか? ボクがスキルで焼いてみるよ。ああ、ココノア用に煮物も作ろうと思ってるから、がっかりしなくていいからね!」
「うちもイカ大根を食べたいとは言ったけど……あの量は流石に消費しきれないっての!」
ココノアはゲンナリした顔で厨房の端に積み上がった肉塊に視線を移す。船にいる全員で挑んでも食べきるには3日はかかりそうな量だ。さらに甲板の上にはまだ大量のイカ足が置かれていた。とても食べ切れそうにはない。
「余っちゃったら港にあるっていう冷凍倉庫に預けましょう! 氷の魔法で瞬間的に凍らせたら鮮度が落ちないらしいですし、魔法って便利ですね♪」
「食べ物の保管に魔法を使う世界ってどうなのよ全く……ほら、うちも手伝ってあげるから、用意してほしい皿の大きさとか教えてよね」
口の割にココノアは協力的であった。というのも、このイカパーティと称された一夜限りのイベントは、メルが提案したものだからだ。西大陸まで運んでもらったお礼を船員達にしておきたいという彼女らしい気遣いには、ココノアを含め全員が賛同している。そのため総出でクラーケンの身を調理し、軍人達へ振る舞うことになったのだ。それに彼女達自身も異世界で初めて食べるイカの味には興味津々だったので、かなりの熱が入っている。
「レモティーお姉ちゃん、これはここでいいの?」
「ありがとうユキちゃん! 手伝ってくれて助かるよ!」
料理皿を並べるユキに満面の笑みを見せるレモティー。愛らしいエプロン姿の幼女に囲まれているおかげで彼女の機嫌はすこぶる良い。もちろん調理の進捗も絶好調だ。NeCOの料理スキルを使えば手間のかかる工程を一気に飛ばすことができるため、短時間で一級品の料理を大量に生み出すことができる。下拵えすら不要なので時短テクニックどころの効果ではない。傍目から見れば神業にも近しいのだが、元々生活感を出すために用意されていた料理スキル自体がNeCOでは不遇な扱いであったため、使用者本人にしてみれば"余ったスキルポイントで取得すればそれなりに便利"程度の認識でしかなかった。
「よーし、どんどん盛り付けていくから出来た順番に持っていってくれるかな?」
レモティーが調理道具を振るう度にバリエーションに富んだイカ料理が生み出され、皿の上へ盛られていった。トマト煮、クリームパスタ、大根との煮物、中華風炒め、オクラとなめことのネバネバ和え――彼女が自家栽培していた野菜と厨房に残っていた材料を組み合わせた事で、この世界でも相当に珍しい和洋折衷のイカフルコースが出来上がる。
「すごいですね、レモティーちゃん! 私達も負けてはいられません!」
一方、スキルを持たないメルとリセは現代日本での記憶と経験を頼りにクラーケンの調理を進めていた。しかし料理の心得があるリセに比べ、メルの手捌きは少し危なっかしい。しかも調理台に届かないからと木箱を台代わりにして使っているため、子供のごっこ遊びにしか見えなかった。
「むむむ……皮を剥いてた玉葱が小さな欠片になってしまったのですけど!? リセちゃんは凄く上手にできてるのに!」
「ん……別に褒められる程でもないよ。メルも数をこなせばこれくらいすぐに出来るようになると思う。まずは数をこなすのが大事」
「なるほど、そういうものなんですか! これからは花嫁修業もコツコツと頑張らないといけませんね……!」
メルが口にした花嫁という単語に反応し、後方の食器棚で食器を準備していたココノアの耳がピクリと動く。元居た世界で恋仲の相手がいるという話は聞いた記憶がなかったが、彼女はどうしても気になってしまった。平静を装いつつ、恋人の有無を確認する。
「へ、へぇ……メルから花嫁修業なんて言葉が飛び出すとは思わなかったわ。もしかして日本には手作りの料理を披露するような相手が居たりしたの? ほら、例えば……恋人的な人とか」
「もぅ、ココノアちゃんったら意地悪な質問しないでくださいよ! そんな人、いるわけないじゃないですか~あははっ!」
尻尾を振りながら笑うメルを見て、ココノアは穏やかな表情で胸を撫で下ろした。日本に戻ることが出来るのかはさておき、もしメルに恋人がいたのなら自分の想いはどうすればいいのかと内心穏やかではなかったのである。そんなココノアの方を振り向いてリセがボソリと呟いた。
「よかったね、ココノア」
「ど、どういう意味よ……それ!」
「ふふっ、言葉の通りだけど?」
リセはイカの身を長細く刻みながら口元を緩める。ココノアは考えを見透かされたことに勘付き、しばらく頬を赤らめながら黙々と食器を並べ続けた。その後も順調にイカパーティの準備は進み、食堂のテーブルにはレモティーの作った料理を始めとした大皿がいくつも並んでいく。最初はクラーケンを食べることに抵抗のあった軍人達も、食欲を誘う香りにすっかり気が変わったらしい。待ちきれない様子で涎を飲み込んでいた。
「メル様! あちらの準備は万端でしてよ! あとは皆様が揃えばいつでも始められますわ!」
配膳に奔走していたカタリナが厨房に顔を出す。メル達がクラーケンを倒してから、彼女はすっかり一向に懐いており、せめてこの船にいる間だけでもいいので身の回りの世話をさせてほしいと申し出ていた。その経緯もあって、慰労を兼ねたこのクラーケン試食会では食器運びを担当している。
「ありがとうございます、カタリナさん! こちらも大体作り終えたので、もう大丈夫です。お腹も空きましたし、みんなでお食事をしましょうか!」
「わたくしもご一緒して宜しいのですか!? なんて嬉しいお言葉……!」
両手で胸を抑えるような大袈裟なリアクションで喜ぶカタリナであったが、本人は至って真面目だ。これまでの彼女であれば雑用を言いつけられた瞬間に怒り始めてもおかしくはなかったのだが、自らが信仰する女神とメルを重ねている節があり、気持ち悪いほどに好意的な態度を取っている。あまりの変化っぷりに、どんな心境の変化があったのかとレモティーが驚いたほどだ。
「ささ、どうぞこちらへ! 皆様のお席はあちらにご用意しておりますのよ!」
カタリナに案内される形でエプロン姿の一行は奥のテーブルに陣取る。そして調理した代表者としてレモティーが立ち上がり、船長に向けて労いの言葉を送った。
「ありがとう、船長さん。おかげで西大陸まで来られたよ。お礼と言っては何だけど、ボク達の故郷で作られていた料理を再現してみたんだ。帝国じゃイカを食べる文化は殆ど無いっていうのは聞いてるんだけど、美味しく出来たとは思うからぜひ味わってほしいな」
「いえ、感謝すべきはこちらの方ですよ。祖国だけではなく、船まで護っていただいたのですから。それに、クラーケンが居なくなればあの海域も航行しやすくなるでしょう。今後、大陸間の航海はもっと安全になるに違いありません。そして我々のためにこのような馳走までご用意いただいてしまうとは……感謝に堪えません。我々一同、皆様方のご厚意に心より御礼申し上げます」
「あはは、ご馳走かどうかは口に入れるまで分からないけどね。長話してると冷めちゃうし、とりあえず乾杯といこうか!」
レモティーが高く突き上げたグラスに合わせ、一同も杯を高く掲げる。そして馴染みの掛け声と共にパーティが始まった。
「「「乾杯!」」」
胸の双丘を揺らしつつ、澄んだ黄色の果実酒に口をつけるレモティー。その瞬間、爽やかな香りが彼女の鼻奥を突き抜けた。フルーティな甘口の味わいも申し分なく、片手で頬を押さえるようにしてじっくりと味わう。その様子が興味を誘ったのか、ユキは興味深そうに葡萄酒の入ったグラスを見上げた。
「レモティーお姉ちゃん、それって美味しいの?」
「ユキ、お酒は大人になってからにしときなさい。子供の頃から酒好きになんてなったら、ロクな人生歩まないんだから。はいこれ、葡萄ジュースね」
ユキの視線を遮るようにしてココノアが葡萄ジュースを手渡す。成人男性が大半であるため、食堂では麦酒やワインを嗜む者が多かったが、アルコールを摂れない者のために葡萄の果汁を炭酸水で割ったドリンクも用意されていた。ユキは最初少しがっかりした様子であったものの、小さな気泡がシュワシュワと立ち上る葡萄ジュースに興味が移り、笑顔でコップを受け取る。
「まぁ、美味しいですわこれっ! あの化け物がこんな奥深い味だったなんて……!」
その隣ではカタリナがイカのトマト煮に舌鼓を打っていた。他の軍人達にも大好評で、大皿から料理がどんどん減っていく。イカが持つ独特の旨味や歯ごたえをそのまま巨大化したクラーケンの肉は食材としても一級品であった。臭みのある粘液の処理さえ怠らなければ十分に食用可能である。
「正直ゲテモノかと思っていたが……まさかクラーケンがこんなに美味かったとは! 噛む度に味わいのある汁が出てきて舌にガツンとくるな。魚とは違う独特の風味も悪くない!」
「ああ、歯ざわりも良いし、こんな食感は初めてだ! これなら普通のイカも食用に出来るんじゃないか!? 軍をクビになったら漁師をやるのもいいかもなぁ」
「はは、何言ってるんだよ。これから帝都の復興やら、属国との治権交渉やらが控えてるんだ。当分俺たちが暇になることないぜ? だからいっぱい食って、精をつけないとな!」
テーブルを囲んだ男達はこれまでに無いほどリラックスした雰囲気で宴を愉しんでいた。要人の輸送という重要な任務が終わったことで、気が軽くなっていたのもあるのだろう。和気藹々とした空気がさらに食事を楽しいひと時へと変えていく。
様々な会話が交わされる食堂の中央テーブルで、メル達もイカ料理を堪能していた。レモティーが作った料理はどれもよく出来ており、日本で食べた事のあるものよりも数倍美味しく感じられる。
「あのネバネバしたのさえ取れば十分いけるね。まぁこのイカ本来の匂いは人によって好き嫌いあるかもしれないけどさ」
「えっ、焼いたイカの香りって嫌いな人いるんですか? 私は大好きですけど」
「ん、磯臭さとか生臭さがダメな人は一定数いるね。イカに限らず魚でも同じだろうけど」
「メルは猫の獣人だからイカ臭いのも好きなのかもよ? うちはもうちょっと癖が無い方がいいかな。まぁこれなら別に問題なく食べられるレベルではあるけど」
イカ料理を囲んだ女性達の話題が盛り上がるにつれ、周囲の男性陣がそわそわし始めた。彼らがクラーケンを口にするのは今日が初めてであったが、イカ特有の匂いに関しては覚えがあったからだ。人体における基本的な生理現象の1つを彷彿とさせるソレが、どうしても頭から離れない。さらに酒によって酔いが回ってきたことで、大胆な事を口にする者も出てきた。
「なぁ……英雄でもある彼女達に対してこんな事言っちゃ失礼なのは承知の上なんだが……やっぱり唆るよな? レモティーさんのおっぱい! あのデカさ、帝都でも見たことねぇよ俺」
「シッ、何言ってんだお前! 船長に聞かれたら海に叩き落とされるぞ! だがまぁ……分からなくもない。胸が大きい女性は魅力的なのは事実だからな。それにあの輝くような金髪に、大きくて綺麗な碧色の瞳……今までの人生で彼女以上の美人は見たことがないぜ」
「オイオイ、君達は何を言ってるんだ……あの中で一番の美人はリセさんだろ!? まだ少女の面影を残しつつも、身体は大人へと変化していく……そんな今の時期しかない初々しさが見えないのかい? 彼女のためなら僕はクラーケンとタイマンすら張れるね!」
「待て待て! 俺はカタリナさんを押すね! なんたって彼女は死にかけてた俺に癒しの術を――」
自分の好みについて語り合う彼らの議論は他のテーブルも巻き込み、異様な盛り上がりを見せ始める。いくら厳しく訓練された軍人と言えども、男である限り本能には抗えない。閉鎖された空間で結婚適齢期の女性達と共に過ごしているのだから、異性に興味が出るのも仕方なかった。
様々な会話が飛び交う食堂でそれに気付いていたのは聴力に優れるココノアだけであったが、今日だけは見逃してやろうと腕組みしながら我慢する。ただしメルやユキに対して破廉恥な言及をするような変態がいれば、容赦なく魔法をぶつけるつもりだった。
「はむっ、はむっ……! リセちゃんが作ったこのイカマリネも美味しいです! それにココノアちゃんおすすめのイカ大根も!」
「ほんとよく食べるわね。まぁ残しても捨てるだけになるし、平らげてくれたほうがいいんだけど」
山盛りになっていたはずの料理が凄まじい速度で減っていくのを眺めながら、ココノアはふとある事に気付く。メルが着ている服が普段と違っていたのだ。
「あ、そういえばメルの服、クラーケンの粘液が付いてたんだっけ。洗ってなんとかなった?」
「それが全然消えなくてですね……今はコレで誤魔化してたりします」
そう言ってメルはエプロンをたくし上げる。しかし、その下にあったのは見慣れたバトルドレスではなかった。寝る時に彼女が愛用している薄着のネグリジェが露わになったので、ココノアが慌ててエプロンを降ろさせる。
「ちょ、ちょっと!? 人前でなんて格好してんのよ! エプロンでしっかり隠してて!」
「でもお食事の場に、変な臭いのする服を着てくるのも気が引けたので……」
しょんぼりとした顔で呟くメル。彼女が着用していた衣服は、クラーケンの触手からカタリナを助けた時に粘液がべっとりと付着してしまっており、洗っても異臭が消えない状態になっていた。少し思案した後、ココノアは一団の中で衣服の管理を担当するレモティーへ顔を向ける。
「レモティー、裁縫スキルで同じものを作れないの?」
「ボクも最初はそう思ったんだけどさ……使われている素材が貴重なものばかりだから、生産するなら材料集めからになりそうなんだよ」
レモティーは首を左右に振った。裁縫スキルがあれば素材を消費してイメージ通りの服を作ることができるが、特定の服と同じものを作る場合、素材を完璧に揃える必要があったのだ。メルのドレスは元々セロが特注品で用意したものであり、アラクネの糸や魔銀糸を始めとした希少素材ばかりが使われている。レモティーのスキルを使ってもそのまま複製することは叶わなかった。
「仕方ないわね……ならレモティー、前に渡してたデザインをつかって新しい服を作ってあげてよ。こんな格好のままじゃ、港にも降りられないじゃない」
「ああ、ユキちゃんと同じ服のデザインのアレだね。確かに複製じゃなくて別の服を新規で作るなら、素材は自由だから問題ないと思う。前にメルから貰ったシルクの毛玉もあるし」
「悪いけど今日の夜に頼んでも良い? 明日の朝までに間に合わせる感じで」
「勿論いいよ! でもお酒を飲んじゃってるから、ちょっとイメージからズレたらごめんね、ははっ!」
「あっ、よく見たら顔が真っ赤じゃない!? 心配になってきたわ……」
不安げに溜息を付くココノア。彼女がユキ用に考案した着物風ワンピースは、元々メルへのサプライズプレゼント用として温められていたものだった。いずれはメルにも渡すつもりだったので、デザイン画はレモティーに預けられている。従って素材さえあればいつでも製作可能だ。
「えっ、新しい衣装を作ってもらえるんですか!? 嬉しいです♪」
「うん、ココノアのデザインはよく出来てたし、今度も良いのが出来ると思うから期待しててよ。ただ元々の服に比べると装備としての性能は落ちるかもしれないけどね。メルが着てた服って、魔力のある蜘蛛……確か、アラクネっていうんだっけな。それの糸を使ったかなり上等なものだったからさ」
「可愛ければ性能なんて気にしませんよ! NeCOでもそうでしたから!」
「あははっ、それもそうだった! よーし、それじゃ良い服が出来ることを祈念して、乾杯しようか! もう1杯貰っちゃおうっと!」
レモティーは上機嫌な様子で追加のワインをグラスに注ぐ。さほど量は飲んでないものの、ニコニコと笑顔を絶やさないのを見れば酔いが回っているのは一目瞭然だ。そのせいもあり、彼女はメルが持ち帰っていた白銀の糸玉が何から採れたものなのか尋ねるのをすっかり忘れていた。アラクネ属の頂点に立つ上級魔族アルラウーンから採取された至高の絹糸――幻の超希少素材を扱うことになるとは、この時レモティーは夢にも思ってなかったのである。
――同時刻 オキデンス領内――
夜でも綺羅びやかな輝きを放つ荘厳な御館の一室で、人間族の男性が窓から漆黒の空を見上げていた。長身で均衡の取れた肉体に加え、美しい朱色の頭髪を併せ持つ彼の容姿は、人口の多いこの国でも一際目立つ眉目秀麗な美青年として映るだろう。加えて左が青色、右が黄色に染まっている瞳も特徴的だ。
そんな美青年の居室には味わい深い造形を誇る高級な調度品が並んでおり、彼が高貴な身分にある事を雄弁に語っていた。上品なドレスシャツにはオキデンスにおける最上位の身分階級――五大名家の一員であることを示す金色の記章も輝いている。
「サンディクス様、失礼します」
閉じられていたはずの扉から、音もなく黒装束の男が入ってきた。黒布で顔を隠しているその容貌は見るからに不穏な気配を感じさせるが、サンディクスと呼ばれた男は振り返りもせずに続きを促す。
「赤い月の夜に訪れるなんて随分と洒落てるじゃないか。例の件、調べは付いたのかい」
「ええ……デクシアを根城にしていたアスタロトが討たれたという情報は事実でした。冒険者ギルドの記録によると軍と筆頭冒険者の一団が倒したと記されておりましたが、エリクシアの古代エルフも助力していたようです」
「へえ、あの出不精で有名なトレンティアの末裔も噛んでいたとは意外だ。だけど、いくらヒトが集まったところで高位の魔族に対抗できるとは信じ難いな。特にアレは若輩とはいえ、女神にトドメを刺した稀有な存在なんだからね。まだ……他の情報があるんだろう?」
「お察しの良いことで……実はその戦、何故か無名の新人冒険者が参戦していた事が判明しております。記録に特筆すべき記録は無かったのですが、裏を返せばそのような脆弱な存在が生き残った方が不自然。なんらかの改竄があったと見て然るべきでしょう」
「新人冒険者か……差し詰め、異界人の血を引いた子孫あたりか。オキデンス外に存在する異界人の血筋は根絶やしにしたはずだけど、僕も詰めが甘かったみたいだ。念のため、その新人冒険者とやらの動向を追って欲しい。邪魔になるようであれば早めに対処しないといけないからさ」
「仰せのままに……闇の追跡者たるこの力、お見せしましょう」
布の下に隠した口の両端を薄気味悪く吊り上げると、黒衣の男は影に吸い込まれるように消えた。再び静寂が訪れた部屋で、サンディクスは窓から見える街並みを見下ろす。オキデンスの首都であるディア・メトロスは議事堂を中心に貴族達の美しい大邸宅が立ち並んでいた。整備された街路は夜であっても灯りに溢れており、他国の都市とは一線を画している。上流階級だけが立ち入りを許されるこの街だけ見れば、東大陸の覇者たるデクシア帝国よりも遥かに豊かに見えるだろう。
だが絢爛な色彩に包まれていたのは街のごく一部だけでしかなかった。ディア・メトロスから少し離れた場所には廃墟同然の旧き市街地が広がっており、そこには今日を生き延びる事ができるかも怪しい人々が大量に蠢いていたからだ。貧民の街と蔑まれるその場所は、過激な亜人差別と絶対的な身分制度により生み出された、搾取される者達の掃き溜めである。歪な経済発展が生みだした対称的な2つの景観を満足気に見比べながら、サンディクスは独言した。
「想定外ではあったけどこれで不可侵の条約は消滅、僕の計画も一気に加速するわけだ。アスタロト、君が増やしてくれた貴重な糧はいずれ大切に使わせてもらうよ……フフッ」
微笑を浮かべた彼は窓を開け放ち、夜空を望む。血のように紅く染まった満月を見つめる異形の瞳には、華やかなる都には似つかわしくない強い欲望と執念が渦巻いていたのであった。




