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うちの子転生!  作者: 千国丸
63/107

063.波に揺られて③

――出航3日後、ココノアとユキの自室――


メル達を乗せた軍船ウルズは波を裂くように西へ進み続ける。帝国から西大陸までは最短とされる北航路経由でも5日程度はかかるため、しばらくの間は船内生活だ。初日とその翌日は海も穏やかであり特に問題はなかったが、3日目は天候不順により航行海域が荒れていた。そのため乗り物酔いしやすいココノアは自室でぐったりしている。


「うーん……朝からお天気はよくありませんね。波も高いままですから、しばらくは揺れ続けるかもしれません」


円形の窓からは昼間でも薄暗い曇り空が見えていた。芳しくない外の景色から視線を戻したメルはベッドで横になっている長耳少女の頭を撫でる。


「エルフさんは元々森に住んでるって言いますし、海は相性が悪いのかもしれませんねぇ」


「相性の問題なのそれ……? というか頭撫でられるの、子供みたいで恥ずかしいんだけど!」


「あら、ココノアちゃんは小学生くらいの女の子にしか見えないんですから、そこは気にしなくてもいいですよ♪」


「それはお互い様だってば……」


そう言ってメルを見上げたココノアだが、愛おしそうに微笑む彼女の顔を前にして何を言っても無駄だと悟った。柔らかく温かい手で撫でられるのは心地よく、付与された回復魔法のおかげか酔いもマシになる。従ってココノアに拒む理由はなかったのだが、想い人が自分のベッドに腰掛けている状況のせいで心臓の鼓動は大きくなる一方だ。相手がそれに気づかないように会話で誤魔化す。


「そういえばユキはどうしたの? 朝に飛び出したっきり見てないんだけど」


「確か、今日は甲板に出られない代わりに船の中を探検させてもらえることになったので、今頃はレモティーちゃんと一緒に他の階を見学してるんじゃないでしょうか。この船って結構広めですから、見て回るだけでも1日楽しめそうです」


「そうだったんだ。悪かったわね……うちの看病なんかさせちゃって。メルも本当は一緒に行きたかったんでしょ?」


申し訳無さそうに呟かれた台詞にメルは苦笑いした。


「ふふっ、もし行くのならココノアちゃんと一緒に行きますよ。だって、初めて見る景色を一緒に楽しもうって言ってくれたのココノアちゃんじゃないですか。ほら、セロさんの館で」


「そんなこと言ったっけ……言った気もする……」


天井から吊るされたランプが揺れる様子を見つめながらココノアは過去を遡る。確かにメルが言った内容と似た会話を交わした記憶があった。それと同時にNeCOで様々な場所を一緒に巡った思い出も鮮やかに蘇る。


「そういえばNeCO(あっち)でも船に乗った事があるわよね。大体モンスターだの海賊だのに襲われるイベント付きで――」


ココノアの話途中で部屋の扉がノックなしに開いた。ガチャリという音に気づいて口を閉じた彼女の視界に、紫色の髪を後頭部で束ねた少女の頭部が映る。


「ごめん、ひょっとして良いところを邪魔したかな」


「へ、変な勘違いしないでよ! うちらに何か用なの、リセ?」


「ん……特に用って程の事でもないけど、厨房を借りてクッキーを焼いてきたからお裾分けしにきたの」


訪問者の正体はリセであった。彼女はクッキーを乗せた皿を持って、ベッドの近くまで歩み寄る。香ばしい匂いを漂わせる焼き菓子は見た目も美しく、菓子店の商品と遜色ないレベルだ。


「わぁ、美味しそうです♪ 早速食べてもいいですか?」


「うん、いいよ。好きなだけ食べて」


リセの許可を得たメルは嬉しそうな表情で摘み上げたクッキーを頬張った。焼きたての暖かさが残っており、サクサクと小気味よい音を立てる。


「わぁ! すごく美味しいです! リセちゃんはホントお菓子作りが上手ですよね。見た目も可愛いですし、この女子力があればお嫁さんに欲しい人は大勢いるに違いありませんよ……!」


「女子力はともかく、見てくれだけならまぁ……美少女って感じはするかな」


そう言ってココノアはリセの方へと視線を向けた。彼女は人間族で言えば15歳~16歳程度の外見なのでレモティーより幼くは見えるが、顔立ちとスタイルには随分と恵まれている。しなやかに伸びた手足、くびれのある腰や程よく実った胸はココノアにしてみれば羨ましいほどだ。そんなリセの姿をまじまじと眺めていたメルは素朴な疑問を投げかける。


「そういえば魔族さんには角があるみたいなんですけど、リセちゃんには見当たらないですね?」


「髪で隠れてるだけで、小さい角ならあるよ」


リセは前髪を少し上げてみせた。額の上部には黒色に染まった三角形の突起が2つ生えており、辛うじて角の様相を醸し出している。


「それ……角っていうか棘って感じよね。魔王の角はもっと大きかったのに」


「確か魔族さんの角は闇属性の魔力を操るために必要になるみたいなので、魔法を使わないSTR-AGI極振り構成だとこれで十分なのかもしれません」


「髪の毛を洗う時に引っかかるから、いっそ全部無くなってくれた方が有り難いかな……あと牙も邪魔だし」


さらに彼女は口を少し開けて鋭く尖った歯を覗かせた。メルの八重歯よりも長くて細いそれは吸血鬼を思わせる形状をしている。ただそれほど大きくはないため、口を大きく開けない限りは分からないだろう。そんな魔族特有の歯に対して、何故かメルは目を輝かせていた。


「それじゃ、リセちゃんと私は牙仲間ってことですね!」


「牙仲間って何よ!? 大体、メルのは八重歯がちょっと大きくなった程度でしょ。リセのはガチな奴じゃない」


「ん……ココノアは耳が長いだけっぽいし、あんまり特徴無いよね。メルは尻尾もあるし可愛いと思う。うん……凄くあたし好みだよその容姿」


悪戯っぽい笑みを浮かべたリセがメルの背後から手を首筋に回す。そして小さな体を引き寄せると、抱きしめるように体を密着させた。その様子を目の当たりにしていたココノアは慌てたように上半身を起こし、リセに詰め寄る。


「ちょ、ちょっと!? 何してんの! 離れなさいよ!!」


「昔飼ってた猫はこうすると喜んでたから、メルもそうかなって思って」


「確かに私は猫耳がついてますけど、猫さんではないですよ?」


困ったような表情を浮かべるメルにお構いなしでリセは彼女の首筋に顔を埋める。あまりにもストレートな愛情表現を見せつけられたことで、ココノアはさらに声を荒げた。


「冗談にしてはやりすぎ! メルが困ってるでしょ!」


「へぇ……やっぱり怒るんだ。NeCOの時も仲は良かったけど、こっちだとなんだか友達以上って感じだよね。ココノアはメルのこと、どう思ってるの?」


「どう思ってるって……それは……なんていうか……」


予想もしていなかった質問にココノアは言葉を詰まらせる。ただの友達よ、と答えるべき場面だと彼女は思ったものの、胸の奥に芽生えた淡い恋心を否定する気にはなれなかったのだ。その様子を黙って見つめていたリセは溜息と共にメルから離れ、近くにあった椅子へと腰掛けた。そして穏やかな口調で日本に居た頃の話を始める。


「前にも話した事があるけど、あたしは体質的に殆ど眠らなくても大丈夫なの。ただ夜はどうしても時間が余るから、暇つぶしにNeCOを始めたんだ。最初はよくあるクリックゲーだと思ったけど、やり込むうちに案外奥深いところがあるって気づいて、それから対人戦にのめり込むようになったよ」


NeCOを始めた切っ掛けについて語るリセに、メルとココノアは驚いた表情をした。自分のことについて語る彼女の姿が珍しかったのである。


「相手の動きから行動は大体予測できるし、状況に応じた装備を選べばソロでも多人数相手に立ち回れる……テンプレ化してる構成なら特にね。ある意味、詰将棋みたいな感覚で楽しかった。ただ、そうやって遊ぶうちに負けなくなって逆に飽きたの。だから公式の対人戦イベントで優勝したらNeCOを辞めようかと思ってた」


リセが口にした対人戦イベント――それはメル達が優勝したバトルロイヤルのことであった。NeCOでは最大8名までのパーティを組めるため、大半の参加者は上限人数でチームを組んで参加している。一方で単身の出場も可能であり、その場合は配布されるイベント専用回復アイテムを8人分まで使えるため、腕に自信がある者はソロで参加していた。ただ、それでも人数の差を覆すことは非常に難しい。ソロで後半まで勝ち残ったのはリセだけだ。


「えっ、リセってあのイベントで引退するつもりだったの?」


「うん。でも負けたからね……引退は先延ばしにすることにしたの。対人戦で有名だった大手リングならともかく、ノーマークだった3人組に負けるなんて思ってなかったし、凄く興味が湧いたんだ」


リセは自らの敗因を作った張本人であるメルへと視線を移す。対人戦のセオリーから掛け離れた彼女の奇抜な構成と動きによって読みを尽く外され、調子を狂わされたリセはココノアとレモティーの連携攻撃を防ぎきれず倒されたのだ。


「興味って……たまたまうちらが勝っただけなのに? 強さだけならもっと完成された廃人パーティがいたでしょ?」


「ん……確かに強いだけのプレイヤーなら他にも大勢いたよ。でもあたしが知りたいと思ったのはそういうのじゃないの。ココノアとメル、レモティーは正直足りないところだらけだったけど、互いに補い合うことで帳消しにしてた。ううん、むしろそれが強みになってたかな。公式のイベント動画にもそういうコメントがいっぱい書き込まれてたよ」


当時のイベントは運営会社が録画しており、リセとメル達がぶつかった時の様子も大手動画サイトにて公開されている。そこには視聴者が残した感想が連なっているのだが、その殆どはメル達のプレイスタイルを称賛する内容であった。魔力が低いせいで回復魔法の効果が薄いヒーラーという、一見どんなパーティにも歓迎されないメルを主軸に置いた立ち回りが見事だったからだ。


「あれ、動画になってたの……? 初耳なんだけど」


「私もです。たまに動画みました!みたいな事を話しかけてくるプレイヤーさんがいましたけど、そういうことだったわけですか……」


「投稿されたのはイベント終了から数ヶ月経ってからだったし、気づかない人も多かったかもね。でも動画のおかげで不人気だったヒーラー職を選ぶプレイヤーが増えたのは事実だよ。それくらいには凄かったんだから、堂々と胸を張ってもいいんじゃない?」


「いやいや、買いかぶりすぎでしょ!? メルがいきなり突っ込んだから、うちとレモティーで必至にフォローして、気がついたら勝ってたって感じだったし……」


渋い顔つきで呟くココノア。彼女達に綿密な作戦はなく、それぞれがやれることをやるというスタイルだったので、最強の対人戦プレイヤーと言われたリセが評価するほどには値しないと彼女は考えていた。しかしそれこそが、リセが強く惹かれた理由だった。


「あの時、ボイチャもしてないのにみんな即断してたよね? そもそも、そんな余裕を与えるつもりもなかったから一気に畳み掛けたはずなのに、それぞれが的確に判断して行動してたんだ。どうしてインターネット上の繋がりしかない他人と言葉も交わさずに考えてる事を共有できるのか、あたしには全然理解できなかった。だから知りたいと思ったの、どうすればそうなれるのかって」


イベント終了後、彼女はメル達に半ばストーカーのように付き纏っていた。街中で会話するだけの団欒のひととき、経験値を稼ぐためのモンスター狩り、そしてボス討伐……どんな場面でもメル達の画面端にはリセの姿があったのである。


「だからってあんなに四六時中付いてこられたら、こっちも怖いっての! メルが声を掛けるまで、ずっとああしてるつもりだったの?」


「ん……あたしとしては遠くから見てるだけでもよかったんだけどね。でもパーティに誘ってもらったし、せっかくならもっと近くで見てみようかなって」


「それがストーキングの理由だったなんて……とんだ地雷女を拾ったもんね、メルは……」


呆れたように呟くココノアの隣でメルはニコニコと微笑んでいた。彼女の記憶にはリセとの出会いも良き思い出として残っている。


「あら、強い前衛さんが増えたおかげで一気に冒険できる範囲が広がったじゃないですか! 私は感謝してますよ、リセちゃんがお友達になってくれて♪」


パーティが4人になり、さらに賑やかさが増した日々をメルは振り返った。それまでは門前払いされていた高難易度ダンジョンやボス討伐も、リセが加わったことで攻略できるようになったのは事実だ。彼女達はNeCO世界の隅々まで踏破したという実績を持つ数少ないプレイヤーでもある。


「まぁ……リセのおかげで遠出できる場所が増えたのは本当のことだし、そこを否定するつもりはないわよ。それよりアンタはどうなのよ、うちらと居ても退屈なだけだったんじゃない?」


「ううん、そんな事ない。ソロの時よりも楽しかったよ。もちろん今も、ね」


ココノアの問いに対して、リセは屈託のない表情で口元を緩める。それまで他のプレイヤーを競い合う相手としか捉えてなかった彼女であったが、その考えはメル達との交流を通して大きく変化した。様々な冒険を通し、仲間と手を取り合って困難を乗り越える楽しさを知ったのだ。


「……それに、誰かと一緒に居る事が楽しいって思えるようにもなったかな。あたし、子供の頃から家族以外の人と触れ合うのが苦手だったけど、今はこうして一緒に喋るのが楽しいよ」


生まれつき感情の起伏が薄かったリセは、物心ついた頃から他者の想いを感じ取れない事に悩まされていた。特にそれは日本人特有のコミュニケーションにおいて顕著に現れてしまう。言葉の裏を察する文化――目線や声色、表情といった言葉以外の要素も併用して気持ちを伝える手法は難解すぎたのだ。そのせいで友人も作れず、大人になっても孤独が当たり前であった。そんな彼女が変われるきっかけを与えたのがメルである。


「お喋りするのって楽しいですよね! 私もよくリセちゃんとは夜遅くまでお話したものです!」


「それ……メルが勝手に喋ってただけじゃない? 中身がいるのかいないのか分かんないリセ相手に、ずっとチャットしてたのを見たことあるけど」


「大丈夫、メルの話は全部聞いてたよ。最初は少し驚いたけど……この人はどうしてこんなに話すことができるんだろうだろうって」


ココノアとリセが指摘した通り、メルはNeCOをチャットソフト化してる節があるほどに会話を好むプレイヤーだった。その内容は他愛もない日常会話であったり、アップデート内容の話題だったり、こうなればいいなというNeCOに対する要望であったりと多岐に渡る。そしてそれらはエモート機能や顔文字が巧みに併用されており、単なる文字情報を超えて色鮮やかな感情を伴っていたのだ。相手の顔が見えず、声すら聞こえない状況であっても、こんなに想いを豊かに伝えられる人がいるのだと知ったリセは、それまで避けていた他者との対話に向き合う勇気を貰うことができた。


「今だから言うけど、あたしが誰かとこうやって会話することが苦にならなくなったのは、メルのおかげだったんだよ。だから感謝してるし、この恩を返したいとも思ってる」


「むむ、私は特に何もしてませんよ? でもリセちゃんが喜んでくれているなら、それはそれで良かったのです!」


ニッコリと笑顔を咲かせたメルにつられて、朗らかな笑みを浮かべるリセ。彼女もまた自分と同じくメルによって心を動かされていた1人だった事を知り、ココノアは唇を綻ばせた。恋のライバルが増えそうな予感はしたが、それ以上に想いを寄せる相手が多くの人に光をもたらした存在である事が誇らしかったのである。


「まったく、とんだ人誑(ひとたら)しなんだから……」


「えっ、何か言いましたかココノアちゃん?」


「な、何でも無いっ! それよりもリセ、いきなりそんな話するなんてどういう風の吹き回し? 今まで自分のことなんてまともに喋った事無かったのに……」


「ん……気持ちは表に出さないと伝わらないってこと、奥手な友達に教えてあげようと思って」


意味深なリセの台詞にメルは首を傾げるだけであったが、その意図を理解したココノアは顔を赤く染めていた。誰にもバレていないと思っていたはずの恋心を、あっさりと見透かされていた事に気づいたのである。


「さて、と……あたしの要件はこれで終わり。ユキ達にもクッキーを渡しに行ってくるからそろそろ行くね」


リセが部屋から立ち去ろうとしたので、ココノアは慌てて声を掛ける。


「待ちなさいよ! 今の言葉……どういう意味なの!?」


「言葉通りだけど、分かり難かった……? 伝えるのってやっぱり難しい。あ、言い忘れてたけど……ココノアがもしフラれるような事があれば、その時はあたしにメルを譲ってね。ふふっ、それじゃ頑張って」


「えっ!? まさかリセもメルの事が――」


ココノアの言葉を遮るようにバタンと扉が閉められた。会話が途切れたことで部屋には静けさが戻ったが、彼女の胸中には猛烈な恥ずかしさが込み上げてきてしまう。心の内をリセに知られていたということは、普段の態度や接し方にそういう素振りが少なからず滲み出ていたということだ。いくら鈍感といえども、長期にわたって共に過ごしてきたメル本人が気づいてない筈がない――そう思ったココノアは自分の話から気を逸らせるべく、場を必至に取り繕った。


「えっと、メル……リセの喋ってた事は気にしなくていいからっ! ほら、あの子はちょっと勘繰りすぎるところがあるじゃない? だから――」


「気持ちは表に出さないと伝わらないって話、私はその通りだと思ってますよ。なので、これから()できる限り言葉や行動で示しますね♪」


そう言うなり、メルはクッキーを手に取る。そしておもむろにベッドへ登った彼女は、笑顔のままココノアへと覆いかぶさった。互いの体温が伝わりかねない距離まで密着している状況に直面し、ココノアの思考は真っ白になる。


「大好きな人には私の好きなものを好きになって欲しいんです♪ だからまずはこのクッキーからどうぞ! はい、あ~ん♪」


子供のごっこ遊びを思わせるような甘い声色とは裏腹に、メルの赤い瞳は恋人へ向けるような熱を帯びていた。口元へと差し出されたクッキーと彼女の顔を交互に見ながら、ココノアは息を呑むことしかできない。その姿はまるで肉食獣に追い詰められた小動物のようだ。


「あうぅぅ……食べればいいんでしょ、食べればっ!」


意を決したエルフ少女は、向けられた好意を正面から受け止める道を選ぶ。気恥ずかしさに震える唇でクッキーを挟んだ彼女は、眼前の相手と菓子のように甘い時間を過ごすのであった。




――同時刻 船内浄水室――




ココノアが大変な状況になっていた頃、ウルズ下層の浄水室ではレモティーとユキが男性船員から説明を受けていた。室内には所狭しと巨大なタンクが立ち並んでおり、工場にも似た雰囲気を漂わせている。


「これらは全て採取した海水を浄化する魔道具が内蔵されています。ですので、ここさえ稼働していれば飲料水や雑用水が不足することはありません」


「へぇ、それは便利だね! 海で飲水の確保は大変だって聞くし、こういうのがあれば長期航海も安心だ……ん?」


何かの予兆をキャッチしたレモティーは頭髪の一部をピンと跳ねさせた。神妙な表情を浮かべる彼女に、船員は戸惑いつつ話しかける。


「レモティー様……? どうかされましたか?」


「ああ、ゴメンゴメン。何でも無いよ。近くでボク好みのシチュエーションが発生している気がしたものでさ。気にせず案内を続けて欲しいな」


「そ、そうですか……それでは、この濾過装置に魔力を供給している動力室に案内しますね」


案内役の男性は部屋の奥を指し示した。そこは分厚い金属板で覆われている上、扉に大きな鍵が設けられていることから、船内設備でも一際厳重に守られていることが分かる。


(ライフラインに直結する設備だし、多少の衝撃では壊れないようになってるんだろうなぁ)


そんな事を思いつつ、点検通路を歩き進んでいくレモティー。しかし扉に到達する手前でユキが急に立ち止まった事に気づき、彼女も足を止めた。狐耳を小刻みに動かすユキに目線を合わせるように屈んで様子を伺う。


「どうしたんだいユキちゃん? 何か気になる音でも聞こえたのかな?」


「レモティーお姉ちゃん、この部屋でかくれんぼしてる人がいるみたい!」


その言葉にレモティーと船員は顔を見合わせた。設備見学に参加したのは2名だけで、あとは案内役が1人いるだけだ。それ以外の者がこの部屋に立ち入っているとすれば船内で設備を巡視している者くらいだが、彼にも心当たりはなかった。


「おかしいですね……今日はここに立ち入る予定の者は居なかったと憶えています。念のため、船長に確認してみましょう」


そう言って船員は部屋の端に設けられた伝声管へと向かう。だがその前にユキが隠れていた人物を見つけ出していた。タンクが乗せられた架台の下にあった僅かなスペースに、女性と思しき小柄な人影が潜んでいたのである。


「やっぱりいた! かくれんぼしてるんだよねぇ?」


「お、お待ちになって……! わたくし、決して密航者などではありませんの!」


這い出るようにして姿を現したのは、船舶ギルドでの手続き時に強引に割り込んできたアイリス教徒だった。彼女は皺だらけの修道服を手で整えつつ、コホンと咳払いする。


「わたくしはアイリス聖教の伝道者、カタリナ=モナルカですわ! この船に悪しき魔物が潜んでいる気配を感じたので、こうして調査を行っていましたの!」


「魔物だって……?」


カタリナの発言を受けたレモティーの脳裏にリセの姿が浮かぶ。もし魔族が船内にいる事がバレたら大騒ぎになりかねないが、少し顔を合わせただけの相手がそれに気づくとも思えなかった。彼女は念のためカタリナをチェックしておこうと、小声で鑑定のスキルを発動させる。


(……ステータスに特筆すべきところはないし、所有スキルも癒やしの術と初級の攻撃魔法のみ。恐らくリセのことを言ってるわけじゃないな)


船に乗る口実としてデタラメを言っているだけだと判断したレモティーは、隣にいた船員にカタリナが正式な搭乗者なのか確認を取った。しかし男性は首を横に振って否定する。


「本当に魔物がいるのならばまず我々が対処しますよ」


「まぁそりゃそうだよね……乗ってるのは軍人ばかりなんだし」


カタリナが招かれざる客だったことを知り、レモティーはやれやれと両肩を上げる。元々自分達も密航する予定であったので、彼女の行為を一方的に非難するつもりはなかった。しかし帝国軍にとっては大問題だ。大使の乗る船に部外者が乗り込んでいたのだから、面子は丸潰れである。船員は即座に上長に報告を行い、指示を仰ぐ。その間、カタリナは青ざめた顔で立ち尽くしていた。


「おばさんはご飯を食べる部屋に来てなかったけど、お腹は空いてないの?」


ユキは心配そうな表情で密航者を見上げる。大きな獣耳でカタリナの腹から発せられる僅かな空腹音を聞き取ったのだ。言うまでもなく密航者が食堂で堂々と食事できるわけがないので、これまで禄に食べていないことは明白である。


「おばさん!? わたくし、まだ18歳ですのよ!? それに聖職者であるわたくしは何も食べずとも――」


続く言葉の代わりに、グゥゥという大きな音が室内に響き渡った。やつれた様子のカタリナに過去のリギサン住民を重ねたレモティーは、ポケットに入れていたトマトを差し出す。尽くしてくれる船員達に振る舞うため、甲板の空きスペースを借りて水耕栽培していたものだ。


「ええと、これは……?」


「こんなところで野垂れ死なれても困るし、とりあえずこれでもどうぞ。この船で作ったものだけど、加熱なしで食べられるように衛生面はしっかり管理してるから、そのまま齧っても問題はないよ」


「はぁ……お心遣いは嬉しいのですが、生野菜をそのまま齧るような事は……いえ、そんな贅沢を言っておられる状況ではないですわね。有り難く頂戴しますわ」


そう言いつつも表情が硬いままのカタリナ。彼女はトマトを生食する事に抵抗感を持っていた。この世界で流通しているトマトの近縁種は青臭い上に皮が分厚く、適切に処理した上で火を通さないと食べられないような代物だったからだ。しかしレモティーが品種改良スキルで生み出したそれは、日本で栽培されていたものを参考にした糖度15%超のフルーツトマトである。空腹に負けて真っ赤な果肉を齧った瞬間、カタリナは強い甘みに目を白黒させた。


「これがあのトマト……!? まるで最高級果物のような甘さですわ! しかも食べやすい上に、この瑞々しさ……このようなものが存在していたことが信じられませんっ!」


カタリナは人目も気にせずトマトをムシャムシャと頬張る。よほど腹を空かせていたのか、成人男性の拳ほどあったそれはあっという間にヘタ部分だけになっていた。


「その、はしたない事を言うようで恥ずかしいのですけれど……今のトマト、まだ残っていたりはしないのでしょうか? 実はわたくし、ここ数日は水しか口にしておりませんの……」


まだ足りないとばかりに上目遣いでカタリナは懇願する。彼女の食べっぷりがあまりに見事だったので、レモティーはもう少し食べさせてやることにした。ただしその代わりにある条件を出す。


「ユキちゃんのおやつ用に1個しか持ってきてなかったけど、部屋まで戻ればいくらでも調達できるよ。でもこの船に乗り込んだ本当の理由は偽りなく全て話してもらうからね?」


「うぅ……分かりましたわ。すべてお話しますの……」


嘘を付いていたことを見透かされたカタリナは観念したように項垂れた。その様子から害意はなさそうだと判断したレモティーは、船員に目配せで合図を送る。これ以上は大事にしなくていいと伝えたのだ。


「この者の処遇、おまかせしてしまっても宜しいのですか? 船長からは漂流刑に処すように指示を受けておりましたが……」


「ボク達のために出してもらった船でもあるし、面倒事はこちらで処理するよ」


「承知しました。それではよろしくお願いします」


船員は深々とレモティーに頭を下げた。密航者がアイリス聖教の関係者を名乗っている以上、帝国軍が直接手を下すと外交問題に発展する恐れがあったため、船長や船員にとってこの申し出は有り難いものであった。

一方、レモティーのおかげでカタリナも命拾いしたことになる。密航者は船上で処刑されるか、もしくは数日分の食糧と小舟を与えられ、海に放り出されるのが常だからだ。彼女の場合は後者になる予定であったが、魔物が蠢く海域でそれは死罪と同義である。レモティーが居なければ惨たらしい死が確定していたことだろう。


「このご恩、いつか必ず返しますわ……!」


「大袈裟だなぁ……まぁこれに懲りたんなら、もう密航なんてしない事だね。さてと、まずは部屋に戻ろう。ボクの友人もいるから、そこで詳しい話を聞かせてもらうよ」


涙ぐみながら礼を述べるカタリナを連れ、レモティーとユキは友人達が待つ部屋へと戻る事になった。しかしその表情に不快感や怒りはない。"船旅には何かしら問題が付き物"だったNeCOのストーリーで鍛えられたプレイヤーは、この程度の突発イベントでは動じなかったのだ。しかし一行が進む先――海魔の餌場と呼ばれる海域において、巨大な潜影が獲物を待ち構えている事を彼女達はまだ知らない。

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