062.波に揺られて②
面倒事に巻き込まれないよう、一行は足早に近くの飯屋へと入った。店内には大衆食堂を思わせる使い古されたテーブルと簡素な椅子が多数並んでいたが、昼のピークは過ぎているため客は疎らだ。昼間から麦酒を呷っている初老の男とガタイの良い労働者風の男が数人いるだけだったので、女性ばかりのグループはよく目立つ。
「いらっしゃいませ! あまり見慣れない格好ですが、この街は初めてですか? 当店ではこの港で水揚げされた活きの良い魚介類を使っているので、ぜひ召し上がってくださいね!」
「へぇ、期待させてくれるじゃない。5人なんだけど席は勝手に選んでいいの?」
「空いてるところを自由に選んで貰って大丈夫です!」
「ならあっちのテーブルを使わせてもらうから」
愛想のいい女性店員にそう伝えると、ココノアは窓際の席に移動した。年季を感じさせる細かいキズの付いたガラス越しには港が見えており、見晴らしの良さは満点に近い。木製のテーブルを囲んだ少女達は早速メニューに目を通し始めた。
「流石に日本のファミレスと比べると種類は少ないけど、どれも堅実そうね。メルは何が食べたい?」
「むむむ……悩みますね! どれも美味しそうなので全部頼んでいいですか? みんなでシェアしましょうよ!」
「全部!? 昼からガッツリ食べすぎでしょ……」
「あはは、メルは相変わらずだなぁ。でもそれぞれで頼むよりは全部頼んじゃうほうが悩まなくてもいいかもね。値段も安いしさ」
そう言ってレモティーは店員を呼びつけ、メニューに記載された料理を一通り注文していく。日に焼けて色が変わった品書きには料理写真の代わりに手書きのイラストが描かれていた。飛び抜けて上手なわけでもないが、客にどういう物なのかを伝えようとする心配りが随所に込められている。こういう絵も味があっていいものだとココノアは微笑んだ。
「注文を承りました! 少々お時間をいただきますので、それまでどうぞお寛ぎください」
店員が立ち去った後、厨房からは早速慌ただしい調理音が聞こえてきた。トントントンという包丁のリズムや、ジュゥゥゥと音をたてる熱された鍋の音をBGMにして、少女達は会話を弾ませる。そうしてしばらく時間が経った頃、窓の外を見ていたレモティーがある疑問を口にした。
「この世界にあるのは帆船ばかりかと思ったけど、そうでもないんだね。ほら、あの船なんて両側に水車みたいなのが付いてる」
「あら、ホントですねぇ。でも煙突が見当たらないので、エンジンを積んでるってわけでもなさそうです。あれも魔道具なのかもしれません」
メルが指摘したように、円筒形の水車を携えた船は帆も煙突も備えてはいない。それでも水車部分は高速で回転しており、海水を豪快に吐き出しながら推進力を得ていた。推力を帆に頼っている他の木造船と比べ、根本的に構造が異なるのは素人目にも明らかだ。
「技術水準がチグハグなのよ、この世界。地球で言えば中世から近代までがごちゃ混ぜになってる感じだし」
「帝国は遺跡から発掘された技術を積極的に使ってるからね。そういうところで他の国や地域とは結構差が出るんだと思う」
ココノアの所感に対するリセの持論は的を得た内容であった。技術水準が統一されていないのは、一度文明にリセットが掛かっているからに他ならない。魔族により滅亡寸前まで追いやられたヒト種はそれほどに困窮を極めていたのである。今も遺跡の奥深くで眠っている高度な技術が世界中に浸透するには、少なく見積もってもあと数百年はかかると言われている。
「確かに、技術発展に関しては古代遺跡頼りって感じがするわ。ホバリングする巨大ゴーレムがあったんだし、探せばどこかに飛行機なんてのもあるのかもね」
「飛行機かぁ……この世界だとどういう形になってるのか見てみたいなぁ。ボクが日本で乗ってたのとは全然違うんだろうけども」
ココノアとレモティーがそんな会話を交わしていると、先程の女性店員が平らな金属のプレートに皿を載せてやってきた。料理が盛られた大皿からは湯気とともに食欲を唆る香りが立ち上っており、嗅覚の鋭い獣人族でなくても期待感で胸が高鳴る。
「おまたせしましたお客様、出来上がった順にお出ししますね!」
海鮮餡掛け麺や魚介類の串し焼きといった港町ならではの料理がテーブルに置かれた。それぞれ単品でも2人前以上はあるかというボリュームだったが、運ばれてくる皿に終わりは見えず、テーブルは瞬く間に埋め尽くされてしまう。その様子を見ていた他の客は唖然とした表情で首を捻っていた。
「あの嬢ちゃん達じゃ食い切れねぇだろあれ……」
「ああ、絶対無理だ。この店は量も多いからな……大食漢5人でもいけるか怪しいぜ」
幼女3人と若い女性が2人――テーブルいっぱいに置かれた料理の山と見比べると、とても勝ち目のない面子である。しかし彼らはまだ知らなかった。これから自分達が伝説の大食いケモ娘の生き証人となることを。
――1時間後――
賑やかな食事の時間は終わり、テーブルには重ねられた皿だけが置かれていた。料理の半分以上を1人で平らげたメルは、ポッコリとしたお腹を幸せそうに擦っている。
「お料理、美味しかったですね♪ あとはデザートがあれば嬉しいところなんですけども」
「いやいや……あれだけの量を詰め込んでおいて、まだ食べるつもりなの……?」
ココノアからすれば、自分とあまり差異のない体型のどこにそれだけの量が入っているのか不思議でならなかった。更に言えば1時間もすればこの腹部が何事も無かったかのように凹む事も理解し難い。獣人族の消化器と新陳代謝はもはや理屈では語れないのだと、彼女は痛切に実感していた。
「ん……全部の料理を頼むって言い出した時はどうかと思ったけど、こういう事だったのね」
「そっか、リセはあんまり知らないんだっけ。メルがよく食べるのはいつものことなんだ。流石に毎回店で食べるわけにもいかないし、料理スキルと促成栽培スキルをもってて本当に良かったと思ってるよ」
「はい、いつも感謝してますよ! レモティーちゃんの作るお料理も美味しいですし!」
「あははは……」
ニッコリと微笑むメルにレモティーは苦笑いを浮かべる。ハーヴェストとして料理や栽培といった各種生産スキルを使える彼女は、友人の食欲を満たせるようにと日頃から改良に改良を重ねていた。その過程で生み出された多くの実をつける果樹や、少ない作付け面積で十分な量を得られる穀物の種子があったからこそ、危機的状況にあった帝都の食糧事情も劇的に改善されたのである。豊穣の乙女と呼ばれるようになったのも、地道に続けられていた努力があってこそだ。
「さて、と! 食事も終えたことだし次の行動予定を決めよっか。これから西大陸への船に乗るわけだけど、まずはセロが言ってた案内人っていうのを探さないといけないわね」
両手をパチンと叩き、ココノアは話題を切り替えた。物事をテキパキと処理できる彼女はNeCO時代からリーダーとしての役割を担う事が多い。メルやレモティーにとってもそれが当たり前になっているので、ココノアの言葉には素直に応じる。
「船を出してもらうんだから、まずは港の方にいけば良いんじゃないかな。国の玄関口なんだし人や荷物の出入りをチェックしている通関所みたいなのもあるだろうから、そういうところで話を聞くのが手っ取り早いかもね」
レモティーの提案に一同は頷いた。窓から見える港には人の出入りを制限するための鉄柵が設けられており、街の中央にある大きな建物を経由しないと入れない構造になっていた。そこで入国者の身元確認や積み荷の検査などの諸手続き行われているだろうと彼女達は考えたのである。
「それなら途中でバザーも寄っていきましょうよ! ほら、人通りの多い所なら情報を集めやすいかもしれませんし!」
「メルは買い物に行きたいだけでしょ? これから出発って時に、ややこしい事に巻き込まれる可能性は避けるべきよ。だから今回はダメ」
ココノアが指で作ったバツ印を見て、メルはしょんぼりと猫耳を折り曲げた。その隣ではユキも同じような表情をしている。合理的な判断でNGを出したココノアであったが、2人があまりにも気を落とした様子を見せるので渋々許可することにした。
「……ああもう、仕方ないわね! それじゃ手配してもらった船が見つかったら、余った時間で行ってもいいから。でも変な事には顔突っ込まないでよね?」
「ほんとですか!? なら頑張って船を探さないとですね!」
「ん……前から思ってたけどココノアはメルに甘いよね。惚れた弱みってやつ?」
「惚れた!? ちょっと、つまんない冗談言わないでよ! ユキに色々体験させてあげるのもいいかなって思っただけ! ほんとそれだけだから!」
顔を赤く染めて否定すると、ココノアは伝票を持って支払いに向かった。魔王討伐の報奨は受け取らなかったが、トルンデインで稼いだ大金はまだ十分に残っているため、少女達の路銀は当分尽きる様子がない。もっとも財布を握っているココノアが節約家でなければ、そうとも言ってられない状況になっていただろうが。
「ありがとうございましたー! またお越しくださいね!」
気持ちの良い声を背に少女達は通りへと出た。その際、店で食事をしていた労働者達が密かに「すげぇ全部食べ切ったぜ、あの桃色の子!」「気持ちのいい食べっぷりだった……嫁にするならああいう子が良いな俺」などと囁く声が耳に入ったので、ココノアだけはご機嫌斜めだ。
「まったく、男はすぐ嫁にしたいだの何だの言う……!」
「どうかしましたか、ココノアちゃん?」
「な、なんでもない! ここから先は人通りが多いから、レモティーはユキが迷子にならないように手を繋いであげててよ?」
「ああ、ユキちゃんの護衛は任せておくれ! 変態不審者がどこに潜んでいるかわからないからね!」
どの口でそれを言うのか、と呆れながらココノアは先頭を進んだ。港へと続く緩やかな下り坂の両側には店舗や宿、食事屋などが絶え間なく並んでおり、そこに出入りする者と歩行者が肩をぶつけそうになる程には雑然としている。街の入口で口喧嘩していた船乗りが言っていたとおり、他国との交易が再開された影響が出ているのだろう。
「このまま真っ直ぐにいけば入国管理局って書かれた建物に行き着くけど、その手前に船舶ギルドって看板が見えるわね」
「同じギルドって文字が入ってますから、冒険者ギルドと関係あったりするのでしょうか?」
「ギルド自体は組合って意味だからあんまり関係ないと思う。とりあえず入ってみたら? 組合に加入している船舶なら全部管理してるだろうし、あたし達が探してる人物とも会えるかもしれないよ」
「それもそうね。ならこっちから先に入ってみようか」
リセの一言が決め手となり一行は行き先を船舶ギルドへと変更した。明るい白色に染まった建物は先程の食堂よりも一周り以上大きい上に、内装も綺麗に整えられている。入ってすぐ受付の女性に声を掛けられたココノアは、バッジを見せた上で自分達が乗る船について尋ねてみた。
「うちら、西大陸まで行く船をこの港で確保してもらってるんだよね。ここにそういう関係の連絡って来てない?」
「ええ、少し前に軍関係者の方が来られまして、その方から特使に軍の船をご案内するように承っております。念のため事前にご本人様か確認をさせていただきますので、失礼ですがお名前を――」
「お待ちになって!」
受付員が名を訪ねようとした瞬間、修道服姿の女性が会話に割って入った。黒いベールからオレンジ色の髪を覗かせた彼女は有無を言わさずココノアへと詰め寄る。
「その記章、デクシア帝国の特派大使を示すものとお見受けしましたわ! 西大陸へ向かうのなら、アイリス聖教の正当なる使者であるわたくしも一緒に連れて行ってくださいませ!」
「はぁ……!?」
いきなりの事に混乱しつつも、ココノアはその女性が船乗りと揉めていた人物であったことに気づいた。口論の時と同じく、相手の都合を無視した強引な振る舞いはまさしくあの女性のものだ。
「困ります、お客様! この方達は国使さま専用の軍船に乗られる予定なのです。どうか一般向けの船舶にご搭乗ください」
「困りませんわよ! わたくしも国賓級の待遇を受けて当然の身なのですから! さぁさぁ、共に船へ参りましょう!」
自分の意見を無理矢理押し通そうとする女性に、受付員も困り果ててしまう。そんな折、ギルドの奥から長身の男性が顔を出した。黒い軍服に身を包んだ彼はココノア達も良く知る人物であった。
「私の記憶が定かであれば、アイリス聖教は他国の政治に不干渉を貫いていたはずだ。行き先が同じであっても、他国の使者が使う船に同乗する事は禁じられているのではないか。もしこれが聖教国に知られることになっては貴殿の立場も危ういだろう。素直に引き下がっていただけると有り難いのだが」
「なっ……!? そ、それはそうですけれど……特使の方に合意さえいただければ問題はありませんわ! もちろん大丈夫……ですわよね?」
痛いところを突かれた彼女は助けを請うような眼差しを少女達へと向ける。だが誰も助け舟を出してくれないと分かった途端、顔つきが変わった。
「このわたくしに恥をかかせたこと、覚えてなさい!」
目尻を吊り上げた怒りの表情でヒステリックに叫んだ後、女性は逃げるようにして外へ出て行ってしまった。邪魔者がいなくなったところで気を取り直し、ココノアは軍人の顔を見上げる。
「なんだ、アンタが案内役だったのね」
「お前達にとってはいい迷惑かもしれないが、私とて恩人に報いたい気持ちはあるのだ。西大陸へ渡る手段、必ずや提供しよう」
船の手配を担当していたのは帝国軍士官、ファベル=ギルトゥスであった。軍内では皇帝崩御の原因を作った彼を糾弾する声も多かったが、その皇族の背後には魔王が居たこと、そして帝都奪還に貢献したという功績により、全ての罪を赦免されている。その上で帝国の再建に力を貸して欲しいというランケアの強い要望を受けて、今も軍人として帝国に籍を置いていたのだ。
「リセ、帝都では碌に礼も出来なかったことを詫びる。お前が皇帝を討つのに手を貸してくれなければ、今もこの国は魔王の支配を受けていただろう。本当に感謝しているぞ」
深く頭を下げたファベルに対してリセは気恥ずかしそうに顔を背けた。もとより彼女は帝国の行く末を憂いて行動していたわけではない。ただ友人達の居る国に危険が迫るのを防ごうとしていただけだ。ただ、結果的に多くの人命を救う事に繋がったのも事実ではある。
「そんなの気にしなくていいから……頭、上げてよ」
「あら、リセちゃん。感謝してもらう時は照れなくてもいいんですよ? 私だってNeCOでは色々助けてもらったんですから、こっちではお返ししますからね!」
そう言ってメルはリセの手を握った。友人へ向けられているその愛らしい笑顔からは想像もつかないが、彼女が魔王を討伐した本人であることをファベルは思い出す。
「確か、お前が魔王を倒し……いや、何でもない。この件はまた後で話をするとしよう。今は搭乗手続きを先に済ましてくれ。私は急ぎ出航の準備を整えるよう軍に伝えてくる。3時間もあれば出発できるはずだ」
メルに対して彼は何かを言いかけたが、言葉を途中で引っ込めてしまう。その後、船舶ギルドの受付員に手続きを進めて欲しいと告げ、奥の事務室へと戻っていった。
「むむ? 私がどうかしたのでしょうか……?」
「気にしなくていいんじゃない。ほらメルは搭乗者名簿に名前を書いておいて。そっちのほうが字は綺麗でしょ」
手を取り合っていたメルとリセを分かつようにしてココノアが紙切れを差し出す。それを受け取ったメルは氏名と出身国、年齢、職業などを記載する欄を確認し、サラサラと筆を走らせた。NeCOから来た者達に出身国という概念はなかったが、正直に書くと帝国の特派大使として任命されている事と矛盾するため、馬車内での打ち合わせで決めていた内容を記載したのだった。
「えっと、これで必要事項は記載できたと思います」
「はい、ありがとうございます。一応こちらでも確認致しますので、少々お待ち下さい」
全員分の名前が記載された用紙を受け取った受付員は、黙ったままリストに目を通す。その間メル達は少し緊張した面持ちで待っていたのだが、記章があるためか余計な詮索はされず、何事もなく手続きを終えた。こうして少女達は西大陸へと向かう切符を手にしたのである。
――軍船ウルズ 甲板上部――
ポルトスにある港のうち7割は一般商業用に開放されているが、残りの3割は軍港扱いとなっていた。関係者以外立ち入り禁止の堅牢な鉄柵に囲まれた桟橋には、異彩を放つ1隻の軍船が停泊している。その船体は海に聳え立つ砦の如き巨大さを誇り、漆黒に染まった甲板に多数の砲台を抱えていた。船という呼び方が似つかわしくないほどの佇まいを見せる様はまさしく海上の要塞である。古代兵器の技術を結集して作られた帝国軍最大の旗艦でもあるそれは、皇帝の居城がある帝都から名を取って"ウルズ"と名付けられていた。
その軍船に一足早く乗り込んだファベルは甲板の上から桟橋を見下ろしていた。彼の任務はあくまで船の手配だけであり、西大陸まで共に向かう予定はない。ただ出航まで数時間の余裕があるため、リセ達と言葉を交わそうと考えていたのだ。なかなか船に乗り込んでこない少女達の姿を探す一方で、脳裏に焼き付いて離れない帝都での決戦を振り返った。
「時を経て蘇りし女神、か……」
自らが起動させた防壁――その中を純白の翼で飛翔する少女が異形の魔族を輝く拳で消滅させた瞬間、言葉にできない激しい感情が身体を駆け巡ったことをファベルは良く憶えている。言葉を発する事さえ忘れ、神々しい彼女の姿に見惚れていたのだ。
それは周囲にいた帝国軍兵士や冒険者達も同様であった。古来より語られる創生の女神にも似たその姿から、永い時を経て古の女神が蘇ったのではないかと言い出す輩まで現れていたほどだ。彼自身は信心深い方でもなかったのだが、白翼を纏ったメルを目撃してからは神の存在に肯定的な想いを持ち始めている。
「ん、しっかりとした造りの船だね。艦砲もあるし、まさに軍艦って感じ」
不意に聞き覚えのある声が背後から聞こえたので、ファベルは驚いて振り返った。軍船に乗るためには港から渡された桟橋を経由する必要があるが、船員以外の誰かがそこを通った姿を彼は一切見ていない。それでも甲板にはリセとココノアの姿があった。
「まさかとは思うが、転移魔法を使ってここまで来たのか……?」
「その通りだけど、何か問題でもあるの? ここに来る途中で乗船確認は済ませたから大丈夫でしょ。そもそも下からここまで登ってくるのが面倒そうだったし」
「そ、そうか……」
極めて高位の術式である転移魔法を、日常生活の足として使っている者がいることに目眩すら感じるファベル。上級魔族を単身で屠ったリセだけでなく、他の者達も常識の外にいることを改めて認識させられていた。植物の成長を異常促進させることができるレモティーと、死者すら蘇らせるメルも同様に理外の存在であることは言うまでもない。唯一普通だと思えるのは、見た目相応に幼い白髪の少女くらいだろう――そう感じていた矢先、彼はその3名の姿が見当たらない事に気づく。
「他の者達はどうした? 先程までは一緒だったと思うが」
「買い物に行きたいって言うから行かせたのよ、まだ時間もあるしね。うちらは先に室内で休ませてもらおうと思って来たんだけど、案内してもらえる?」
「ああ、それは問題ないが……その前に少し話をさせてくれないか」
「はぁ……結構疲れてるんだけど? ま、ここは風も気持ち良いしちょっとくらいなら付き合ってあげる」
ココノアは肩を竦めるような仕草をしてからファベルの申し出を承諾した。彼女はリセと共に墜落防止用の柵まで近寄ると、そこに背を任せて楽な姿勢を取る。海から吹き上げてくる心地よい風に亜麻色の髪を靡かせながら、ココノアはファベルに要件を問い質した。
「で、その話って何? できるだけ手短にね」
「魔王のことについて確認しておきたい事がある。お前達がアスタロトを葬ってくれたおかげで、帝都を取り戻すことは出来た。大勢の住民が救われ、私も妻子と再会できたという点では感謝しかない。だが魔王が討たれてからここ数日、各地で魔物の異常行動が報告されているのだ。それについて何か知っていることはないか?」
「何よそれ……うちらが原因っていいたいわけ? だいたい、魔王が倒されたら平和になるのが普通でしょうが。心当たりなんて全然無いし、魔物に直接訊いてみなさいよ」
納得いかないとばかりに険しい表情で返答するココノア。魔王を倒したことが原因となり、各地に悪影響が出ていると責められたように感じたのだろう。結論を急ぐあまり、そのような言い方になってしまったことを反省しつつ、ファベルは続きを述べる。
「すまない、気分を害するつもりはなかった。だが帝国内だけでなく他の地域でも魔物や低級魔族による被害が急増している。その原因を知りたいのだ……この国を自分達の手で守っていくためにもな」
「……ん、そういえばメルが言ってなかっけ。自分が居なくなったら他の魔族が勢力争いをし始めるとか、魔王が言ってたって」
「そういえばそんな話を聞いた気もするわね」
魔王の討伐が果たされた直後、ココノア達は降りてきたメルから事の成り行きを聞いていた。その際にアスタロトが口走った命乞いの言葉も耳にしている。
――『余が滅することがあれば、世界各地にいる魔族達が勢力争いを始める』――
もし、その通りなのであればファベルが口にした異常事態に関係している可能性は高い。そう判断したココノアはメルから聞いた内容をそのままファベルへ伝えた。思いもよらぬ返事を聞くことになった彼はその場でしばらく考え込む。
「……散り際の魔王がそんなことを言っていたのか。だが、それが真実なのであれば辻褄は合う。奴の消滅によって帝国内の……いや、大陸中の魔物が枷から放たれたようなものだからだ」
「え、どういうこと? うちらにも分かるように説明してよ」
「ああ、これは想像の域を出ない話ではあるのだが……」
ココノアの要求に頷いて応じたファベルは、推論であることを前置きした上で自分の考えを述べ始めた。
「奴は長きにわたって帝国を裏から操っていた。それも力による支配ではなく、人々が自ら生贄を差し出すように仕向けるような手法でだ。あれだけの力を持ちながら何故そのような回りくどいやり方をしていたのかは不明だが、手間をかけて傀儡にした国が滅ぶような状況は奴自身が許さないだろう。つまり、魔王が他の魔物や魔族の動きを牽制していた可能性があるということだ」
「なら、魔王を倒さなかったほうが良かったってこと?」
「いや、奴を倒さねば帝国は近隣諸国を攻め滅ぼし続けていた。そして支配下に置かれた属国の民を捧げさせることで、魔族側の勢力が今よりもさらに拡大していた可能性は高い。そうなればヒト種は奴らの食糧として生かされるだけの惨めな末路を迎えていただろう……少なくともそれに比べれば、現状のほうがはるかにマシだ」
言葉とは裏腹にファベルの表情は険しい。魔王を倒したことで人類の未来は閉ざされずに済んだが、各地に潜んでいた魔族が動き出したとするならば、世界に混乱が訪れるのは必至だ。ただでさえここ数ヶ月は魔物が増加傾向であり、一夜で小さな集落が滅ぼされるような事件も起きていた。もはやヒト同士が争っている状況ではなくなっていたのである。
「お前達が向かう西大陸を広く統治するオキデンスは表向きこそ商業の国ではあるが、その実態は人身売買だけに留まらず違法な薬物や古代兵器の密売が蔓延る黒い商人達の巣窟だ。多くの命と金がやり取りされている所には魔族と契約している者が介在してもおかしくはない……私が言えた義理ではないが、十分に気をつけた方が良い」
「言われなくても気をつけるっての。ユキを無事に親元まで送り届けるのは勿論、子供を誘拐してまで奴隷にするようなクズ連中は凝らしめてやるつもりだから」
きっぱりと言い切るココノアに対して、ファベルは安心したように笑みを浮かべた。一方、リセは興味深そうな表情でココノアの顔を覗き込む。
「ふーん……珍しいね、ココノアがそういう台詞を口にするの。メルの影響?」
「な、何いってんの!? メルは関係ないでしょ、今!」
「……ふふっ、相変わらずココノアは分りやすいね。まあメルやレモティーならそう言うだろうし、あたしはいくらでも協力するよ」
「相変わらずなのはそっちもだっての! リセのそういうとこ苦手だわ……」
頬を膨らませたココノアは鉄柵から体を離し、船内へと降りる階段へと歩き出した。そして会話はこれでおしまいとばかりに手を左右に振る。
「もう話はいいでしょ? 疲れちゃったし、部屋に連れて行ってよ」
「ああ、そうだな……先程の話が聞ければこちらとしては十分だ。協力に感謝する。お前達用に用意している部屋まで案内しよう」
客室までのエスコートを引き受けたファベルは2人を引き連れて船内へと入る。道中、彼は気を利かせて船内設備の説明も行った。本来なら専属の船員がやる仕事ではあるが、設計に携わっていたのもあり内部構造には誰よりも詳しい。元筆頭技師による貴重な解説を聞きながら、少女達は見た目以上に広く思えるウルズの内部を物珍しそうに眺めていた。
――3時間後 軍船ウルズ客室内――
旗艦としての役割を持つ軍船ウルズには皇帝一族が使うための豪華な客室が用意されている。そのうち2人用の部屋3室がココノア達に充てがわれていた。船上という限られた空間であるため流石に広さは心許ないが、室内の調度品は最高級品が備えられている。買い物を終えて戻ってきたユキが疲れも見せずにベッドの上で飛び跳ねてしまう程には豪華だ。
「すごいすごい! このベッドもフカフカだよ、ココノアお姉ちゃん!」
「はいはい、すごいのは分かったから大人しくしてなさい? ベッドから落ちたら危ないでしょ」
ココノアから注意されたユキは「えへへ」と舌を出してベッドから降りる。厳正なクジ引きの結果、ユキとココノアは同室となったため今日からしばらくの間はルームメイトだ。なおメルはリセと同室になっており、レモティーに至っては1人部屋である。誰にも気兼ねなく自由に過ごせるという意味では一番の大当たりを引いたレモティーだったが、本人はユキかメル、もしくはココノアとの同室を希望していたのでクジ引き直後は絶望したような表情を浮かべていた。見た目が幼女なら相手を選ばない友人に言い知れぬ寒気を感じつつ、ココノアはユキに質問を繰り出す。
「ずいぶんと時間掛かってたみたいだけど、そんなにいっぱい買い物したの?」
「ううん、買い物はそんなにたくさんしてないよ! でもレモティーお姉ちゃんが乗り物をバラバラにするって言うから、それをメルお姉ちゃんと一緒に手伝ってたの。あとお馬さんを黒い服の人に返したりとかもしたー!」
「乗り物って……ああ、馬車のことね。組立式って聞いてたけど、ほんとに解体できるんだアレ」
ユキの話を聞いてココノアはすぐにピンときた。大陸間移動を踏まえて馬車を組立・解体が可能な構造にしたという話を以前にレモティーから聞いていたからだ。そのままでは流石に持ち運び出来ないが、分解されたパーツ単位であればメルのポーチに収納することで運搬可能となる。また引き馬については元々帝国軍がリギサンに残していったものを活用していたため、港で別れる際には軍関係者に引き渡す予定であった。そのあたりも忘れずに対応してくれていた事に安堵しつつ、ココノアは話題を大通りのバザーに移す。
「バザーでは何を買ったの? 面白い物はあった?」
「えっとね~! 最初はぬいぐるみ屋さんでモコモコの羊さんを買ったの! それから――」
両手の指を折り曲げながら、ユキは購入した商品を順番に列挙した。それらはいずれも子供向けの玩具ばかりだったので、ココノアは少し違和感を覚える。バザーに行きたいと最初に言い出したのはメルだったので、てっきりメル本人が欲しい物を買ってくると思っていたのだ。しばらく考えを巡らせた彼女は友人の意図を何となく察し、納得したように頷いた。
(あ、そっか。しばらく船で過ごすわけだし、ユキが退屈しないように遊び道具を買っておきたかったってことね。メルったら不器用なくせして、そういう所には結構気がつくんだから)
行き届いた気配りに感心するココノア。しかし彼女はメルが友人達へのプレゼントと称してポルトス名物であるガラス細工や生き物を象った謎のオブジェなどの珍品を買い込んでいる事をまだ知らない。
それからもしばらくユキから買い物の話を聞いていたココノアであったが、突然回転機が動き始めたような異様な音を長耳でキャッチした。何事かと顔を上げた直後、天井付近に設けられていた漏斗状の伝声管から男性と思しき声が響き始める。
『まもなく当船ウルズは港を出航し、西大陸へ向けて出発します。およそ5日程度の航路になると思われますが、特派大使の方々が快適な旅をお過ごしできるよう、我らデクシア帝国軍第一海兵大隊は全力を尽くす所存です』
やけに丁寧な口調から、ココノアは声の主が船長であることに気づいた。ファベルの案内を受けた際にココノアとリセは彼と対面している。海の男を思わせる浅黒い肌を持った逞しい男性であったが、見た目によらず話し振りが穏やかだったので印象に残っていた。また初対面であるにも関わらず、自分達のことを恩人と言って歓迎してくれていた事も記憶の片隅に引っ掛かっている。
「ココノアお姉ちゃん、お外を見て! いっぱい人が集まってるよ!」
「えっ、うちらを見送ってくれる人なんているの? 他の人が大勢乗ってるような客船なら分からなくもないけど……」
不思議そうに呟きながらココノアは円形の窓を覗いた。そして視線の先に映った光景を見て唖然とする。桟橋ではファベルを先頭に大勢の軍人が敬礼をしており、その隣でも住民と思しき者達が大きく手を揺らしていたからだ。帝都奪還では帝国軍とも一時的に共闘したココノア達であるが、ここにいる軍人達は北方軍部の所属であり、基本的に面識は無い。それでも桟橋を埋めるほどの人数が集まったのには理由があった。
「帝都から逃げてきた家族を盗賊から助けてくれてありがとう!」
「親友があんた達に救われたんだ! オレからも礼を言わせてくれッ!」
「息子夫婦を助けていただいて有難うございます……!」
様々な感謝の言葉が港から離れ始めた船を追いかける。彼らが叫ぶ内容に憶えはあるものの、ここまで大勢の人に見送ってもらえるとは彼女自身思っていなかった。これはどういう状況なのかとココノアが首を傾げていると、その疑問に答えるかの如く伝声管が再び震えた。
『桟橋で手を振っている住民達は皆、帝都から避難する際に盗賊団に襲われた者とその関係者です。自分達を助けてくれた少女達を大通りで見掛けたので、一言でもいいから礼を言わせて欲しいと押し掛けて来ました。そのため恐縮ながら桟橋への入場を許可した次第です』
その言葉通り、ココノア達が帝国領内で助けた憶えのある顔がちらほら混じっている。しかし最寄りの集落まで見送った彼らが、その後も北上を続けて北端の港町までたどり着いていたとは誰も想像していなかっただろう。口を開けたまま驚きっぱなしのエルフ少女に、さらに伝声管は衝撃の事実を伝える。
『……そして、私を含めて北方軍部でも貴女方に感謝している者は多いのです。一昨日、ランケア将軍から帝都奪還戦の一部始終を伺いました。帝都には我々の家族や友人、そして同僚が多く住んでいます。その命を救っていただいた大恩……せめて、見送りの形で示させていただきたく存じます』
軍船を一直線に見据え、敬礼の姿勢を崩さない軍人達――その堅苦しいほどに真剣な表情の裏には、深い感謝の気持ちが込められていたのだ。船が陸から遠く離れても見送りの者達は桟橋から離れようとしない。
「まったく……こんな事されても恥ずかしいだけだっての」
かつてトルンデインからリギサンに向けて出発した際、街の人々が手を振って送り出してくれたことを思い出すココノア。それはリギサンから出た時も同様であり、いつも彼女達の旅立ちは誰かに感謝される光景が伴っていた。昔は他者のために無駄な労力を割くなんてバカがすることだと論じていたココノアだが、今となってはそんな考えもすっかり消え失せている。
(ひょっとしたらメルもこういう気持ちだったのかな……?)
ほんのりと暖かくなった胸に両手を当てて、ココノアは優しく微笑む。不器用ながらも仮想世界で人助けをし続けていた友人と同じ想いを分かち合えるようになった事に、彼女は不思議と心地よい高鳴りを感じていた。




