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うちの子転生!  作者: 千国丸
57/107

057.魔王に仇なす者①

大出力の攻撃魔法で身体の大半を削ぎ落とされたレイヴンは、その翼を失ったことで大地に横たわっていた。割れた仮面を通して濁った空をぼんやりと見上げる彼の手足はもう繋がっておらず、残されたのは頭部と胴のみである。本来なら即死していてもおかしくはなかったが、度重なる自己改造によりヒト種を超えた生命力を獲得していたため、辛うじて生き長らえてはいた。ただしそれは苦痛を引き伸ばしているだけに過ぎない。再生が機能せずに肉体の端部から崩壊していく感覚から、本人は近いうちに死が訪れることを悟っていた。


「手加減されてもこのザマとは……これほどの使い手を見逃していた自分が情けないですね……最期に名前を伺っても……?」


レイヴンは自分を見下ろす少女に名を尋ねる。息を吐き出すたびに半分潰れた肺から血が込み上げてくるため、その声も弱々しいものだった。それでも彼女は聞き漏らさずに彼の要望に答えた。


「ココノアよ」


「ココノア……聞いたことのない名、ですね……」


唇の端から黒い血を垂れ流しながら、レイヴンは吐き出すように言葉を続ける。


「いくら力を得ても、すぐ他者に追い抜かれていく……まったく、くだらない世界ですよ。魔王に忠誠を誓って……今度こそ魔術師の頂点に立てると、思ったのですが……」


「……レイヴン、アンタそんな理由で魔族と契約したの?」


ノルンに半身を支えられた状態でフランが歩み寄ってきた。触手が巻き付いていた手足は折れてこそいないものの、過剰な力で押さえつけられたせいで骨が酷く軋んでおり、彼女も自力で立つことは出来ない状態である。ノルンに緊急用の回復ポーションを飲ませて貰ったので痛みは和らいでいるが、その足元は随分とおぼつかなかった。


「そんな理由、ですか……天才のあなたには、分かるはずもない。自らの存在意義を見出していた魔術研究の分野ですら、他者に負けてしまう……そんな焦りや恐怖など、感じたことはないはずだ」


「そうでもないわよぉ……そこの森エルフの魔法を受けたんなら分かるでしょ。フランだってボコボコにされたんだから」


フランがそう告げると、レイヴンは仮面の下に驚いたような表情を浮かべた。最年少で四魔導に選ばれただけでなく、古代魔法の術式を紐解いた事で世界的に名を知られることになったフランは彼にとって羨望の的であり、嫉妬の対象でもあった。その彼女が負けた相手であれば自分を下しても可笑しくはないと、納得したように唇の端を吊り上げる。


「天才を上回る天才だった……というわけですか。どおりで勝てないわけです……しかしこれだけは覚えておいてください、ココノア。あなたもいずれ私やフランと同じく、より優れた才能を持つ若者に負ける日が来る。その時はこの胸を掻き毟られるような惨めさを味わうことになるのですよ、フフフ……」


「何言ってんのよ。後発のほうが上達が速いのなんて()()()()じゃない。いちいちそんなので悩んでる時間の方が勿体ないっての」


「当たり前……? あなたは他者に敗れるのが、怖く無いとでも? 何故だ……自らの何もかもを注ぎ込んできた道なのですよ……そこで敗北を認めるというのは、自身を否定するに等しいではないですか……!」


敗れた悔しさを込めた負け惜しみを言い残し、自ら命を絶とうと考えていたレイヴンであったが、予想していなかった返答に思わず訊き返した。異常とも言える魔力量を保持しているにも関わらず、いずれは他者に敗れることが予定調和であるような口振りに強い違和感を感じたからだ。


「分からないなら教えてあげる。基本的に何でも後からやるほうが有利なのよ。テクニックを載せた文献は揃ってるし、最先端の技術を見て育ってるわけだから、上達が速いのは当然。それに若い方が吸収力もあるし、時間もめいっぱい使えるからどんどん上手くなるのよね」


元の世界で彼と同じような焦燥感に駆られた覚えがあるココノアは、自分の事に置き換えて想いを語った。10年以上に渡って絵を描く事を生業とし、"売れっ子"と呼ばれる地位にまで辿り着いた彼女であったが、その道のりは険しいものだった。時代が進むに連れ変化する読者の好み、進化していく描画ツール、次々と生み出されていく新しい表現手法――そういったものに対応できなければプロのイラストレイターとして生き残れなかったからだ。

一方、若い世代は産まれた時から絵を描くための最新ツールや書籍が揃っており、インターネットを通じて優れた作品に触れることで様々なテクニックを身につける事も出来た。そんな彼ら彼女達が短期間にプロに迫る勢いで成長し、SNSで脚光を浴びる姿を見れば、先駆者といえども危機感を持たざるを得ない。故に彼女は弛まぬ研鑽を続けてきた。たまにNeCOでストレス解消していた以外の時間は、殆ど絵を描くことに費やしていたのだった。


「だから、追い抜かれる事を気にしても仕方ないってわけ。どうしてもその道で食べていきたいなら、自分を磨き続けるしないんだから」


「自分を磨き続けろ、ですか……そんなもの、とうの昔に磨り減るほどやっていますよ。才能があるからそんな戯言が言えるのです、あなたは……!」


激痛に苛まれる肺を酷使することも厭わず、声を荒げるレイヴン。持たざるものを自覚している彼は、才能を持つココノアにもっと努力しろと言われたように感じて強い怒りを抱いた。しかし伝えたいのはそういう事じゃないと彼女は首を左右に振る。


「才能の有無なんて、それこそ自分じゃどうしようもないじゃない。生まれついた時からこの世は不公平なんだから、存在意義がどうとか考えだすと疲れるだけよ。やれる事をやってダメなら諦めて別の道を探す! 人生なんてそれでいいんだってば」


「別の……人生……?」


思いがけない言葉を投げかけられ、レイヴンの脳内に過去の記憶がフラッシュバックする。彼は帝国領内における辺境貴族にルーツを持っており、妾であったエルフ族の母親から産まれたハーフエルフであった。エルフ族の血によって生まれつき魔力が高かったことから、幼少期は父親に帝国軍入りを期待されて魔法の技術を磨く日々を送っている。

しかし炎の魔法や氷の魔法といった、いわゆる需要のある魔法の才には恵まれておらず、唯一素質有りと判明したのは異端とされる変質の魔法だけだった。それでも諦めず変質の魔法を磨いたものの、術式の暴発により使用人を醜い獣に変化させてしまったことで状況は一変してしまう。父には使えない奴だと見限られ、異母兄妹達からも蔑まれた結果、鉄格子の付いた隔離部屋に幽閉されたまま20年以上を過ごすことになる。


(ああ、厭な記憶ですね……あの頃もこんな灰色の壁ばかりを見ていましたよ)


暗い空が狭苦しい天井と重なったように思えてレイヴンは唇を噛んだ。外界から閉ざされた空間は堅い寝床と薄汚れた手洗いしかなく、1日に1回だけ食事を持ってくる小間使いを除いて誰も寄り付かない。孤独に苛まれる日々は延々と続いた。


(母上……あの時あなたはどうして助けてくれなかったのですか……?)


いくら母親の名を呼んでも応じては貰えず、ついに彼は耐えられなくなる。変異魔法を自らの身体に使用して奇怪な翼を得ると、鉄格子を強引に破って脱出したのだ。しかし魔物のような異形で母親の元へ戻るわけにもいかず、哀れな少年は深い森を何日も彷徨った。そして体力が尽き、倒れていたところを通りがかった帝国軍人に拾われて、軍の養成所へと入れられる。


(誰もこの姿を見てくれなかった。誰もこの魔法を認めてくれなかった。だから、私という存在を他者に認めさせるため必死に力を磨いてきたのです……)


養成所でのレイヴンには鬼気迫るものがあった。自分を捨てた親達に復讐を誓い、死物狂いで変異魔法の腕を磨いた結果、四魔導に選抜されるほどの魔術師にまで成長したのだ。その後、自らの魔法でかつての家族を惨殺した後、彼はより優れた肉体を求めて人体実験を繰り返す狂った魔術師と変貌していく。あろうことか魔物とヒト種を交配させ、新たな能力を持つ未知の魔物を産み出すという禁忌にも手を染めた彼は、いつしか終末主義者(カバリスト)と呼ばれ、帝国内においても忌み嫌われる存在となっていた。


「別の道など、あるわけがない……物心ついた頃から、この手は血で汚れていましたからね……」


復讐を果たした後もなお自らの人生を狂わせた変異魔法に固執し、大勢の者達を犠牲にしてきた――そんな自分に他の生き方が選べるもはずなかっただろうと、レイヴンは血塗れの口で答える。


「アンタがどういう人生歩んできたかなんて知らないっての。でも1本しか道が無いなんて事はないんだから。変に固まった考え方してると、見えない道もあるってだけ。うちがそうだったから分かるのよ」


まるで自分に言い聞かせるようにココノアは言葉を紡いだ。かつての彼女は、自分の事を最優先に考えるばかりに他人から距離を置く生活が普通になっていた。自ら誰かに接することはなく、自分に干渉させることも無い生き方は気楽ではあったが、どこか寂しくもあったのだ。そんな孤独な生き方を見直すきっかけを与えてくれたのが、NeCOで出会った呆れるほどに要領が悪いポンコツヒーラーである。互いに思い遣り、同じ時間を過ごす事の愛おしさを知ることができたのは、今も付き合いが続いているその友人のおかげだ。


「……ま、せいぜい今までの人生を反省してみることね。見落としていた事に気づけるかもしれないし、死ぬ間際くらい良い思い出の1つでも浮かんでた方がいいでしょ」


「ククッ……良い思い出、ですか。いかにも幸福であった者が言いそうな、欺瞞に満ちた言葉だ……それよりもあなた方は自分の心配をしたほうが良い。この先、必ず絶望することになるのですから……」


レイヴンは漆黒に染まった虚ろな瞳をココノアの方へと向ける。多量の失血によりその顔は血の気がなくなっており、残された時間が僅かであること示していた。ただ、そんな状況であっても彼の声は心做しか穏やかだ。


「最後に助言して差し上げましょう……南門のソルムはアスタロトの魔力を得て、今や上級魔族に匹敵する力を持っています……それと北門にはアラクネ族の上級魔族アルラウーンもいる……故に、あなた達の敗北は確定事項ですよ。だが、まだ西は手薄なはず……惨めに逃げ回るだけなら、出来るかもしれませんがね……」


「ああ、そう言えば南に居たおっさんがそんな名前を口走ってたわ。メルが片付けたけど」


ココノアはそう言うと南の方角に顔を向けた。建物と城壁があるため向こう側は見えないが、そこに広がっている光景なら見ずとも分かる。今からしばらく前に筋骨隆々の勇ましい男が魔物を率いて攻めてきていたのだが、その場に居合わせたココノアとメルが既に対処済みだった。魔物の大半はココノアが殲滅しており、ソルム本人はメルが豪快なバックドロップで地面に突き刺して行動不能にしている。自己強化の魔法を重ね掛けした彼は魔族にも匹敵する強さであったが、規格外であるメルの相手にはならなかった。


「まさか……もう決着がついていたとは……通りで、南が静かなわけだ。あぁ……本当に厭になります。強さを求めて魔族に下ったというのに、何も成せなかった私達が馬鹿みたいじゃないですか……ですが本物の魔族と魔王は私達と違って桁違いに強い‥…せいぜい、必死に足掻いてください……」


そう呟くとレイヴンは息絶えた。それから間を置かずして、その血肉が黒い蒸気を伴って消え始める。彼の体は半分以上が魔物との混ざりものと化していたため、この世界に根ざす理によって存在することを許されなかったのだ。血の一滴も残さずに消滅する――それが変異の魔法を繰り返した男の末路だった。


「愚かな男……でも気持ちは分からなくもないわね。私も昔はそうだったもの……」


薄っすらと影だけが残った地面を見つめながら、ノルンは彼が抱いていた嫉妬に共感を示した。フランに負けたことで自棄になってた自分も、レイルスと出会ってなければ道を踏み外していたかもしれないと遠い目で空を見上げる。


「さて……ココノア、と言ったかしら。悪いけど北門を防衛している私の仲間を支援して頂戴。生憎私はこれ以上戦えそうにないわ。フランも安静にしていないとダメでしょうし、今戦えるのは貴女しかいないのよ」


「なによぉ……フランだってまだ戦え――」


自分の身体に問題がない事を示すべく、ノルンから離れようとしたフランであったが途端にバランスを崩して倒れ込んでしまった。へたり込んで艶のある褐色の素足を晒す彼女は本調子に程遠く、ココノアの目から見ても戦力にならないのは明らかだ。


「満身創痍のガキンチョはここで大人しく休んでなさいよ。北はうちらで対処するから」


「また子供扱いして……! 大体、アンタの歳もフランとあんまり変わらないでしょ!?」


頬を膨らませて怒りを表現するフランに「ほら子供じゃない」と言い返すと、ココノアは踵を返した。元よりアテにしていないとばかりに背を見せた彼女に向かって、フランはボソリと呟く。


「待ちなさいよ……リセが皇城にいることが分かったから、教えておいてあげる。これで貸し借りは無しだからね?」


「へぇ、気が利くじゃない。ちょっとだけ見直したわ」


ココノアが振り返らずに左手を軽く振った直後、その姿は既に上空へと移動していた。さらに連続で転移魔法を発動させ、瞬く間に城門の向こう皮へと消えていく。ワイバーン以上に自由に空を舞う彼女を見て、「まったく、末恐ろしい子ね」と微笑を浮かべるノルンであった。




――その少し前 北門外側の戦場――




鼻腔を刺すような腐臭漂う戦場で、レイルスとコドルガは1体の魔族と対峙していた。相手は麻痺毒を含む濃紫の体毛で覆われている大蜘蛛であり、生きたまま動植物を腐らせる呪いの吐息をばら撒く恐ろしい存在である。彼らは迂闊に近寄れずに距離を取りながら戦うことしかできなかった。しかもその魔族はオーガ3体分はある巨体を誇っており、鋭い爪がついた8本の脚のうち1本を振り下ろすだけで帝国軍人が肉塊と化すほどの攻撃力を誇る驚異だ。既に大勢の者がその餌食となってしまっている。


「くふふっ! (わらわ)の毒を受けても尚、立てる男がいるとは思わなかったぞ?」


魔族から若い女性の声が響く。しかしそれは蜘蛛が発したものではなかった。蜘蛛の頭部から生えた半裸の女性――自らをアルラウーンと名乗った人の身を模した肉人形が喋っているだけだ。姿形こそ人間族の女性とそっくりではあるが、紫色の肌と4つ並んだ不気味な灰色の瞳は彼女が人外の存在であることを示している。


「アラクネ族の頂点に立つ伝説の大蜘蛛アルラウーン……御伽話に出てくるような存在がいるとは、オレ達も思ってなかったさ」


赤黒く腫れた左手を庇いながらレイルスが吐き捨てた。彼の左腕には毒毛針が数本刺さっており、既に麻痺毒によって動かなくなっている。盾も持てず、今は右手の剣を構えるだけで精一杯だ。


「逃げろ、レイルス……俺様が時間稼ぎをしてやる。お前なら10秒もありゃ城門に逃げ込めるはずだ。だからノルンを連れて南から出ろ! それで2人分の命は助かるんだからよ……ッ!」


「……バカ言え、今のお前に10秒も稼げはしないさ。だからその役目、オレが引き受けてやる。足はまだ動くんだろ? ならいつもみたいに風を切ってみせてくれよ」


レイルスはコドルガに無理して作った笑顔を向ける。コドルガは彼以上に酷い傷を負っており、膝を付いた状態で辛うじて意識を保っている状態だった。両腕は腐毒のブレスを受けて指先からドロドロに溶けてしまった上、自慢の戦斧も腐食のせいで刃がボロボロに錆びている。これ以上の戦闘継続は不可能だ。


「オレの無謀に付き合わせて、すまなかったな……ノルンを頼む」


レイルスは面目無さそうに呟いた。魔族の驚異を十分理解した上でアルラウーンに挑んだ彼であったが、想像以上の圧倒的な強さにより足止めすらできなかったのだ。防衛ラインは瞬時に瓦解し、城門の目と鼻の先にまでアルラウーンに踏み込まれている。しかも最初に応戦していた魔物達も数百匹単位で残っており、状況は絶望的だった。唯一残ったレイルスとコドルガが倒れれば大蜘蛛は躊躇なく城壁内に侵入し、あらゆる生命を蹂躙するだろう。


「もう気は済んだか? 妾は腹が減っておるのじゃ……そろそろ諦めて大人しく喰われるが良い」


2人の会話が途切れた頃合いを見計らい、アルラウーンは大蜘蛛の頭部を開いて無数の牙が並ぶ口を覗かせた。肉人形にも口はあるがそちらは発声のみに使われるものであり、捕食はあくまで本体側で行うのだとレイルスは気づく。


(あの姿……昔帝国で見聞きした御伽話そっくりじゃないか……)


デクシア帝国の祖となった偉大なる賢者(ル・フェイ)に纏わる物語――その中に出てくる化け蜘蛛が、目の前にいる相手とよく似ている事を彼は思い出した。伝承における化け蜘蛛は人を喰らうための口と、欺くための口をもっており、無垢なる人を誑かせては本能のままに喰らっていたという。それを旧デクシア王国の守護を任されていた強き魔女のル・フェイが打ち倒した、というのがその話の大筋だ。


(くそっ……詳細までは覚えてないな。こんなことならノルンの古書巡りに付き合っておけばよかったぜ)


御伽話の中にアルラウーンの弱点に纏わるエピソードがないかと必死に思考を巡らせたレイルスであったが、参考になりそうな場面は何一つ思い出せなかった。仕方なく彼は右手の剣1本で戦う覚悟を決める。しかし正面から挑んでも勝ち目はないので、会話で気を逸らせて隙を伺う事にした。


「そんなに腹が減ってるなら、どうして他の連中は喰わずに毒で殺したんだ? お前達魔族は魔物と同じで、ヒトを喰うんだろ?」


「口を慎め男よ、妾を下賤な魔物共と同列に語るでないわ。その辺の有象無象では腹の足しにもならん。ヌシらのような強き者を喰らわねば、魔族の力を強めることはできんのじゃからな」


「蜘蛛の化け物にしては随分とグルメじゃないか……だがそう簡単にこの身を喰わせてはやれないな。せめてその脚1本は貰おう!」


一番近くにあったアルラウーンの前脚をターゲットし、レイルスは飛翔する斬撃を繰り出す。5つの節から成る脚部はしなやかに動く反面、堅い外骨格ではなく毛で覆われているだけだった。そのため遠距離からの衝撃波でも破壊できそうだと考えた彼であったが、アルラウーンが脚を振り払っただけで攻撃は打ち消されてしまう。


「最初に比べると随分と弱々しい力しか感じぬ。喰い頃かの?」


肉人形がニヤリとした笑みを浮かべた。アルラウーンは腹部末端にある黒い突起をレイルスに向けると、その穴から真っ白な糸を射出し始める。銃弾にも劣らぬ速度で襲いかかるそれを、彼は素早い剣捌きで絡め取った。しかしアラクネ種が体内で作り出す糸は強靭な特殊繊維で出来ており、刃物で斬ることは不可能とされている。剣は瞬く間に白い糸束に覆われて使い物にならなくなってしまったが、白銀の騎士にとっては想定内の結果であった。


「掛かったな! これを待ってたんだよ!」


レイルスは最初から糸を斬ろうとは考えていなかった。その代わり、糸を自分の武器に巻き付けることで相手と自分と縛る鎖としたのだ。アラクネ族は獲物を糸で捉えるときに最も大きな隙ができる――通常種のアラクネ族を討伐した経験がある彼だからこそ思いついた咄嗟の作戦である。


「俺の命、その最期の輝きを見せてやる! 守護者の聖域(サンクチュアリ)ッ!」


糸を巻き取った剣の先を地面に突き立てるレイルス。直後、彼の全身から全身から眩い銀色のオーラが放たれた。その足元から半径10mに及ぶ円形範囲に不可侵の聖域が展開され、半球状の結界が構築される。


「破邪の領域か……なかなか面白いことを考えつくのう」


結界内に足を踏み入れていたアルラウーンの動きが止まった。サンクチュアリは対魔族に特化した封印技であり、対象の魔力が大きければ大きいほど身動きを取れなくする特性を持つ。故に強大な魔力を持つ上級魔族がサンクチュアリに封印されると、極めて強い鈍足の状態異常が作用し1歩も動けなくなるのだ。レイルス以外に使える者が数えるほどしか居ないこの守護結界は、彼が銀壁の守護者(ランパート)と呼ばれる所以にもなった伝説級の大技だった

しかしその代償は大きく、時間経過と共に魔力を大量に消費する上、魔力が尽きれば生命力も消費することになる。故に発動し続けるのは自死にも等しい行為であるのだが、かといって解除すればアルラウーンに喰われる運命が待ち構えていた。この技を使った時点で、レイルスは自分の死を覚悟していたのだ。


「厄介な技だがこれは命を削る技と見える……長くは持つまいな?」


「察しがいいじゃないか。しかも発動を見切られると回避されるせいで、相手の隙を狙ってしか出せない程度には使い勝手の悪い技なんだぜ? だがまあ、足止めをするだけならこれ以上ない優秀な技だ!」


「無駄なことを……そこまでして時間を稼いだところで、矮小なヒト風情の運命は変わらぬというのに、くふふふ」


アルラウーンは不敵な笑みを浮かべる。たとえ動きを封じられても、どうにでもなるとばかりの余裕の態度だった。一方レイルスの魔力は尽きており、聖域の維持は残り少ない生命力へと託されている。


「もう数刻もしないうちにヌシは倒れるだろうて。それまで妾はゆっくり待たせて貰おうかの」


「1分でも足止めできれば十分だ……コドルガは素直に逃げてくれたみたいだしな」


生命力を消耗したことで、レイルスは体力の限界を迎えようとしていた。心臓は締め付けられるように痛み、全身から力が抜けていくような虚脱感に襲われる。しかしその顔にはやり遂げた表情を浮かべていた。コドルガの姿が周囲に見当たらなかったことから、無事に脱出することが出来たと安堵したのだ。


「……それでいい。ノルンを頼んだぞ」


自分の役目は終わったとばかりに、彼はその場に倒れ込んだ。同時に聖域が解除され、アルラウーンがその真上に迫る。


「手こずらせよって……これだけ焦らせたのだ、楽に死ねると思うなよ? まずはその脳髄を少しずつ啜ってやるとしようかのう、くふふっ」


蜘蛛本体の顎が開き、ノコギリ状の鋭い牙が並ぶグロテスクな口内が曝け出された。そこから漂ってくる血生臭い吐息を浴びながらレイルスは瞼を閉じる。


(一緒に世界最高の冒険者になるって約束、果たせなくてごめんなノルン……)


最期に想い人の顔を胸に抱き、暗闇に身を投じたレイルス。しかし一向にその体が噛み砕かれる事はなかった。


――チリン、チリン……――


戦場には不釣り合いな澄んだ鈴の音が響く。それに反応した彼が目を開けると、桃色の髪を風に靡かせながらアルラウーンと対峙する幼い獣人少女が視界に入った。悍ましい姿形をした凶悪な魔族相手だというのに、見覚えのあるその佇まいは毅然としている。一方、そんな彼女に対して大蜘蛛の方は何故かジリジリと後退りしていた。事態が飲み込めなかったレイルスは戸惑いながらも少女に向かって口を開く。


「確か君は……食堂で会った女の子だな……?」


「はい、私はメルって言います。お助けしにきたんですけど、まずはあれを先にやっつけますね。少し待っててください!」


そう言ってメルは大蜘蛛を見上げると、その頭部から生え出た仮初の女体を睨みつけた。彼女が言葉通りにアルラウーンに挑むつもりなのは間違いない。しかしレイルスの脳裏には腐毒の吐息によって少女が息絶え、その柔肌が醜く朽ちていく残酷な光景が映っていた。


(ノルンがアナライズの魔法で視た通り、彼女が竜槍のガルムを倒すほどの実力を持っているにしても、単独で上級魔族に戦いを挑むなど無謀すぎる……!)


筆頭冒険者でさえ足止めがまともに出来なかったのだからと、手を伸ばしてメルを説得しようとするレイルス。しかし彼の危機感とは裏腹に、アルラウーンはメルに怯えているような素振りをみせていた。


「妾がこんな小さき者に気圧される事など、あるはずがない……だが此奴、得体の知れない何かを感じさせるではないか……! 一体何者なのだ、ヌシは!?」


苦虫を噛み潰したような肉人形の表情からも、メルに対する警戒心の強さが窺える。まるで自らの天敵に出会ってしまった小虫の如き取り乱し様だ。大蜘蛛は毒毛を逆立たせて必死に威嚇するが、メルはお構いなしで詰め寄っていく。


「私はこれから魔王さんをやっつけにいく予定の冒険者です。蜘蛛さんも魔王さんの手下なら、覚悟してくださいね」


「……この小娘ッ、アスタロト様を愚弄するか! よかろう、この場で屍にしてくれる!」


憤ったアルラウーンが先に攻撃を仕掛けた。前足を空高く持ち上げた後、急降下させてメルを叩き潰そうとする。しかしその一撃は彼女の右手によって容易く受け止められた。金属鎧でさえ一瞬で輪切りにする鋭利な剛爪――それを素手で掴み取った少女の姿にレイルスは思わず息を呑む。


――バキィィィ!――


メルが腕を捻った瞬間、大蜘蛛の脚が節から豪快に圧し折れた。耳をつんざくような悲鳴と共に毒々しい緑色の体液が大量に迸る。


「ギャァァァァ!? わ、妾の脚がぁぁっ!?」


アルラウーンは急いでメルから距離を取り始めた。蜘蛛の脚はまだ7本が健在であり、1本千切れても機動力は殆ど損なわれていない。


「くうっ……腕力だけあっても、毒は防げまい! 動けぬまま朽ちて死ぬがよい!」


メルに対して一定の距離を保ちつつ、アルラウーンは体毛を毒針として射出し始めた。さらに口からも紫色の煙を吐き出して、少女の逃げ道を無くす。大蜘蛛の毛針は麻痺毒、霧には生物を腐らせる猛毒が含まれており、通常のヒトであればどちらか片方を受けただけでも致命傷は免れなかった。そして霧に囲まれたメルは避けることもできず、毒針を正面から受けてしまう。


「くふふふふっ! 猛毒の味はどうかのう? 生きながらにして腐る苦しみを知るが良いぞ!」


勝利を確信したようにほくそ笑むアルラウーン。毒霧と針の両方がメルに触れたのを見て、死は確実だと高笑いをする。一方、その様子を膝をついたまま見守ることしかできなかったレイルスは、自分の情けなさを悔いた。もし左手が健在であれば、盾で毒針を防いでやることもできたはずだと思ったからだ。


――チリン!――


レイルスの嘆きを否定するかの如く、鈴の音と共に毒霧が一瞬にして吹き飛んだ。その凄まじい風圧は離れていたレイルスの体すら揺らす。何が起こったのかと目を見開いた男の視界には無傷で立つ少女の姿が映っていた。


「毒は効きませんよ! 毛は服につきそうなので止めてほしいですけど」


メルには一切に毒が通じなかったどころか、毛針の1本すら刺さらなかったのだ。彼女は何事もなかったようにアルラウーン目掛けて踏み出すと、風にも勝る疾さで駆けていく。


「妾の毒が通じぬだと!? 馬鹿な、そんな生物がこの世に存在するはずが……!」


「倒れてる人達も手当てしないといけないですし、そろそろ倒させて貰います!」


そう告げると、メルは脚のバネを使って一気に跳躍してみせた。地面に亀裂が入るほどの反動により、その身軽な体がアルラウーンの肉人形手前まで迫る。そして右足を上げて、マサカリの如く豪快に振り下ろした。


「よ、よせ! こっちにくるでない!! ギャァァァァ!?」


叫ぶアルラウーンの頭部に、容赦なく踵落としが叩き込まれた。華奢な脚から繰り出されたとは思えない凄まじい衝撃が当たり一面を吹き抜け、人を模した半身が頭から真っ二つに砕かれていく。だがそれはアルラウーンの本体ではなかった。傷を負ったとは言え、本体である大蜘蛛が健在である限り死ぬことはない。腹部をもぞもぞと蠢かせた蜘蛛は反撃の一手を放つ。


――ビュルルル!――


空に向かって粘着力の強い糸が網目状に射出された。それがメルに覆いかぶさるように降り注ぐ光景を目の当たりにし、レイルスは大蜘蛛の狙いに気づいた。糸が少しでも当たればメルの機動力を奪えるし、仮に回避されたとしても距離を取らせることができる。どちらにせよ彼女は隙を作ることになるのだ。


「妾の糸に触れれば最後、抜け出すことは不可能じゃ! さて、どうする……小娘よ?」


割れた肉人形の声帯はまだ機能していたらしく、周囲に掠れた声が響いた。だがそんなアルラウーンの思惑とは裏腹にメルは自分から糸を掴みに行く。その様子を見ていたレイルスは彼女の行動が理解できず、思わず「やめるんだ!」と叫んだ。


「この糸、私の服に使われてる素材と同じっぽいんですよね。レモティーちゃんが喜びそうなので、少し貰っておきましょう」


そう言ってメルは粘性のある糸を鮮やかな指捌きで集めると、毛糸玉のように丸めてしまった。さらにそれだけでは足りなかったのか、もっと寄越せとばかりに笑顔で糸を引っ張り始める。彼女の力は凄まじく、蜘蛛の腹部にあった突起が捲れ上がってしまう程だ。


「一体何をしておる!? 止めろ、止めてくれ!! ひっ、ひぎぃぃぃぃっ!?」


白銀の糸は容赦なく手繰り取られていく。上級魔族とはいえ、臓器から無理矢理に内容物を取り出される苦しみは相当だったらしく、大蜘蛛が口元を歪ませる。


「こっ、これ以上はもう無理じゃ! 糸などもう残っておらぬ! だから引っ張るのをやめ……ぎゃぁぁぁぁ!!」


体内の糸を吐き出せられるという拷問の如き責め苦に悶えるアルラウーン。大蜘蛛の尻から1本の糸も出なくなるまでメルの搾取は続けられ、その手中にぐるぐると巻かれた白い糸玉ができる頃にはすっかり腹が凹んでしまっていた。


()()()()よりもいっぱい採れましたね!」


嬉しそうな少女の声を耳にしたレイルスは、もしやと思って自分の剣へと目を移す。するとそこへ巻き付いていたはずの糸はいつのまにか切断されており、その隣には彼女が作ったと思しき糸の小塊が転がっていた。


(素手でアラクネの糸を引き千切ったのか、あの子は……!?)


剣ですら斬れない糸を簡単に切断してしまう腕力を目の当たりにし、レイルスの顔は青ざめた。上級魔族を一方的に瀕死へ追いやっただけでなく、あまつでさえ素材採取の対象にしてしまうような恐ろしい存在がいるとは思わなかったからだ。それはアルラウーンが率いていた魔物達も同様だったようで、離れた場所から恐る恐る様子を伺っている。


「魔物すら怯えて近寄れないとはな……しかし、あれだけの数が残っているのは不味いぞ。統率を失ったことで散らばり始めたら、他の村が襲われる可能性が高い……!」


砦から少し距離は離れているが、近隣にはいくつかの村落が点在している。オーガ族やウルフ族がそこへ雪崩込めば大惨事になるのは明らかだった。これ以上援軍も期待できない状況で、メル以外に動けるのは自分1人しかいない――そう判断したレイルスは地面に突き刺さった剣の柄を握ると、力を振り絞って立ち上がる。


「オレがやるしかないか……ッ!」


守護結界の反動により生命力が尽きかけていたレイルスだったが、メルが上級魔族を抑え込んでいる間に少し体力が回復していた。それでも足元はふらつき、体が大きく傾いてしまう――が、彼の体が地面に倒れ落ちることはなかった。見慣れた逞しく太い腕が支えてくれていたからだ。


「よせ、そんな体で無理するな」


「コドルガ、お前どうして……!?」


コドルガが戻ってきた事に加え、腐り落ちかけていた腕が元通りになっているのを見て2度驚くレイルス。そんな彼にコドルガは手短に説明した。


「あのメルってガキが治してくれたんだ。しかも一瞬でな。だが武器がなかったもんで、急いで調達しに行ってたってわけだ」


そう言ってコドルガは背中に縛り付けた帝国軍式の両手剣を顎で指す。砦で保管されていたものらしく、手入れは行き届いているが、彼の巨体と比べると少し小さめであった。


「……お前、斧以外の武器が使えたのか?」


「ヌハハハッ! 当たり前だ、俺様だからな! 流石にお前よりは上手く扱えねぇが、あのザコ共を倒すくらい造作もねぇよ!」


安心させるようにそう返すと、コドルガはレイルスを支えていた手をゆっくりと離す。そして魔物の群れを見据えて全身の筋肉に力を込めた。ミシミシという音と共に腕や脚が膨らみ、獣人族特有の巨躯がさらに大きくなる。鋼鉄のような張りを見せる彼の肉体は以前よりも力強く見え、レイルスはメルが行使したという回復魔法の効果に目を見張った。


「これほどまでに高い効果を持つ癒やしの術を使える上、素手で魔族を圧倒しているというのか……? 一体、どこでどんな鍛え方を――」


自分の常識では測れない能力をメルがどうやって身につけたのか、深い疑問を抱くレイルス。そんな彼を呆気に取る事態が続けざまに生じた。


――ガシャァァァァン!!――


遠方に居た魔物の群れに向かって天から白い稲妻が降り注ぎ、その悉くを木っ端微塵に吹き飛ばしたのだ。城壁からの魔法兵器では到底届かない距離であったが、かといって魔法使いが出せる威力と範囲ではない。


「オイオイ……なんだよありゃ……」


コドルガも開いた口が塞がらない様子で呟いた。正体不明の雷撃は魔物ごと大地を抉り、地形すら変えていたのである。あれほどの威力を持つ魔法がもし遠方ではなく砦の近辺で放たれていたら――そんな想像をした2人は背筋が凍るような寒気を感じた。


「よ、よく分からんが魔物は全滅したようだな。俺様達がやるべき事は無くなったみたいだぜ?」


「いや……アルラウーンがまだ生きている。奴はこの場で確実に仕留めるぞ」


そう言ってレイルスは息も絶え絶えの大蜘蛛を指し示した。メルに抵抗しようとして返り討ちに遭ったらしく、いつのまにか脚は残り4本まで減っており、見た目には随分と弱っている。しかし上級魔族だけあってヒトには屈しまいと徹底抗戦の構えだ。彼はコドルガとともにメルに歩み寄り、協力を申し出ようとする。


「アルラウーンはヒト種にとっての脅威だ。ここで倒しておきたい。オレ達も手を貸そう!」


「あら、親切にありがとうございます。でも大丈夫ですよ。私のお友達も来てくれましたから!」


メルの言った"お友達"という言葉にレイルスが疑問を抱いた瞬間、不意に空から人影が降り立った。音すらなかったので彼らも直前まで気づいておらず、敵襲かと身構える。


「あっちにいた魔物はうちが片付けておいたから……って、何この気持ち悪い蜘蛛」


幼い女の子と思しき声を聞いてレイルスとコドルガは武器を下ろした。突如姿を現した長耳の少女は、ふわりとスカートの裾を翻しながらメルの隣へと移動する。その身長はメルと並んで低く、レイルスからしてみればまだまだ子供にしか見えない。しかし接近時に気配すら感じさせなかったことから、彼女が転移魔法を扱える高位の術者であることには勘付いていた。


(エルフには珍しい亜麻色の髪だな。どこかで見たことがあるような気もするが……)


記憶を振り返ったレイルスは視線の先にいる幼女が今朝の食堂で会話を交わしていた子供だったことを思い出す。そして先程のセリフから魔物を一層したのが彼女であることも即座に理解した。ノルンが使ったアナライズの魔法でも見通せないほどの能力を持っている上、メルと組む実力者なのであればそれも不思議ではない。


「ココノアちゃん、この蜘蛛さんが魔物さんを率いていた親玉だったみたいなんですよ」


「へぇ、この死にかけの蜘蛛がボスなんだ? それならリセや魔王のことについて吐かせることもできそうじゃない」


冷たい視線と共に杖を大蜘蛛へ向けるココノア。自分より十倍以上大きい相手にさえ彼女は物怖じしなかった。逆にアルラウーンのほうが恐怖で脚を震わせている。


「妾を魔物などと一緒にするでないと何度言えば分かるのだ、ヌシらは……! それにアスタロト様のことを裏切るような真似、できるはずもないじゃろう……!」


裂かれたままの肉人形がしわがれた声で呟いた。再生出来ていないことから、アルラウーンに内在する魔力が著しく減少していることはレイルスにもすぐに分かった。その辺にいる蜘蛛と同じように脚を空へ向けて横たわるのも時間の問題に思える。しかし大蜘蛛は戦闘態勢を崩すことなく、残りの力を振り絞るように前脚を振り上げた。


「くっ……まさか妾がここまで追い込まれるとは思わなんだ。じゃがヌシらを生かしておけば、アスタロト様に仇をなすかもしれぬ。この生命を引き換えにしてでもこの地で葬ってやるぞ……妾の身と共に塵芥と化せ!」


アルラウーンが呪詛を吐き出した直後、本体である大蜘蛛から黒い瘴気が吹き出した。視界を塞ぐほどの濃い魔力が周囲に充満し、メルやレイルス達を取り囲む。一方で蜘蛛の体は灰色に変色し、乾いた泥塊のようにボロボロと崩れ始めたのである。


(命を魔力に変換して暴走させる術式だと!? まさか……!)


以前戦った魔物が似たような挙動で自爆攻撃を仕掛けてきた事を思い出すレイルス。彼はすぐさま声を張り上げ、メル達へ回避するように促そうとした。


「すぐにここから退避しろ! それは自爆魔法――」


「ほい、魔法無効化領域ディスペル・フィールド


レイルスが言い切るより早く瘴気が霧散していく。ココノアが発した魔法により、臨界寸前にまで高まっていた魔力の一切が消え去ったのだ。


「なん……だと……こんな事が……あろうはずが……」


恨めしそうに言い残すと、アルラウーンは黒い灰となって崩れ落ちた。自らの命と引き換えにした自爆魔法すら発動させて貰えず、上級魔族は呆気なく自壊したのである。


「躊躇なしで自爆してくるとは思わなかったわ……今度から尋問するときはもっと上手くやらないとだめね」


「まぁまぁ、素材になりそうな糸はいっぱい取れましたし、何も問題はありません! 残念ながら被害は出てしまいましたが、犠牲になった人達を私が蘇生しておけば帝都奪還作戦に差し支えはないでしょうし!」


メルはアルラウーンから採取した糸玉を腰のポーチに詰め込みながら、八重歯を見せて笑った。そんな彼女の姿を目の当たりにしたレイルスとコドルガは揃って言葉を失う。


(上級魔族を単独で倒しただけで伝説として語られてもおかしくはないんだぞ……それに加えて、息絶えた数百人の兵士達すら救うつもりだと!? とても信じられはしないがコドルガの腕が元に戻ったのを見る限り、オレ達の知らない術式を使えることは事実だ。本当に人を生き返らせる事もできるというのか、この少女は……?)


この世界において癒やしの術を唯一使うことができるアイリス聖教でさえ、蘇生魔法は不可能な術式だと提唱しているにも関わらず、それができると口にする少女――まるで命を司る創生の女神が生まれ変わったかのような異質な存在に対して、レイルスは少なからず畏怖の念を抱いた。隣のコドルガも神妙な面持ちで息を呑む。


「……魔王に仇なす者、か」


古の女神が魔王を封印したという伝承、それが何千年という時を経て再び蘇りつつある兆しを筆頭冒険者は感じ取っていた。

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