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うちの子転生!  作者: 千国丸
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056.帝都奪還の要④

「う~ん、よく寝たなぁ……あれ? もしかして日が暮れるまで寝ちゃってたか?」


正午に差し掛かる頃、目を覚ましたレモティーは窓の外を見てそう呟いた。時間的には明るいはずの空が黒く染まっていたからだ。目を凝らして眺めてみて、ようやく暗さの原因が黒い雲であることに気づく。


「この雲、帝都の上空を覆っていたのとよく似てるな……」


枕元に置いてあった赤いフレームの眼鏡を掛けると、レモティーはベッドから這い出て着替えを始めた。いつも身につけている若草色のワンピースに袖を通し、背まで届く黄金のロングヘアをブラシで整えていく。


「朝方から寝て昼に起きる……なんだか懐かしい気もするね」


誰も居ない部屋に独り言を投げかけるレモティー。NeCOで遊んでいた頃の彼女は極低確率のレアドロップを求め、人が少なくなる深夜から早朝まで延々とモンスター狩りをしていた事がある。生活リズムが異なるメルやココノアは付き合えなかったが、ショートスリーパーであるため深夜も普通に活動していたリセには狩りをしばしば手伝って貰っていた。暇潰しだから別にいいよ、と言いながら付き合ってくれた友人の姿を思い浮かべながら、レモティーは黒い空を見つめる。


「リセ……必ず救い出してみせるよ」


決意を新たにしつつ、続けて彼女は戦闘用の装備を整え始めた。砦の外に出る予定は出ないが、ここが敵地の近くであることを不穏な空から感じ取っていたので、念には念を押したのである。腰に巻き付いた革製のベルトに、様々な種子を詰め込んだ瓶が手際よくセットされていった。これらもハーヴェストである彼女にとっては重要なアイテムだ。食糧を産み出すだけでなく、下僕を呼び出すための触媒にすることで戦闘でも活用できる。


「これでよし、と……ん?」


ふと脱ぎっぱなしになっていたユキのネグリジェを気付いた彼女は、「仕方ないなぁ」と苦笑いしつつ丁寧にたたんだ。自身の趣向には逆らえず途中でこっそり頬ずりもしたが、仕上がりとしてはシワ1つなく、新品の如く綺麗に整えられている。


「よし! やる気も漲ったし、まずはココノア達を探すかな!」


そう言って彼女が意気揚々と扉に手を掛けた瞬間だった。窓にいくつもの影が走り、その直後砦中から「敵襲!!」という叫び声が飛び交った。また砦自体が砲撃を受けているかの如く揺れており、体の芯に響く轟音がレモティーの思考を乱す。


「くっ……急に何だっていうんだよ! みんなは大丈夫なのか!?」


友人達が心配になり、廊下へと駆け出した彼女は中庭から空を見上げた。暗雲に閉ざされた空では飛竜を思わせる黒色の魔物が群れを成しており、旋回しながら高高度から燃え盛る火の玉を吐き出して地上の帝国軍人を爆撃していた。無尽蔵に放たれる無数の炎塊は雨のように降り注ぎ、迎撃のために外に出ていた軍人達が為す術なく火達磨にされていく。


「ワイバーンに頭上を取られている! 砲撃で引き剥がせ!」


中庭で指揮を執っていた防衛隊長らしき人物の怒号と共に、城壁や砦上部に備えられていた魔導兵器が一斉に空を向いた。少しの間をおいて、球面状に加工された魔法石が仕込まれた6段積みの長い筒からレーザービームのような光の帯が発射される。それらは使用者の魔力を動力源にしたエネルギー放射兵器だった。収束した光線は飛竜の胴体を貫き、そのうち数匹を地面へ墜落させることに成功する。


「魔法を放つための兵器なのか、あれは……?」


驚いた様子でレモティーはその光景を見ていた。リギサンを襲ってきた軍人の装備も風変わりではあったが、砦に用意されていた兵器はどれも地球の近代兵器に匹敵する威力に見えたからだ。剣や弓といった単純な武器に頼っていた王国に比べると雲泥の差である。多くの兵器が古代遺跡から発掘されたオーバーテクノロジー品であることを聞き及んでいた彼女だったが、それを運用する事に躊躇無いデクシア帝国の危険性を改めて再認識していた。


「ギィィィィ!!」

「ギャウウウウ!!」


仲間がやられたことで怒り狂った飛竜――ワイバーン達が急降下を仕掛けてくる。この世界において翼を持った蜥蜴と定義されるワイバーンは、討伐が困難とされるドラゴン種に比べれば()()()()()()()存在であった。だがそれは一流の冒険者パーティが入念な準備をした上で単体のみを狙う場合の話であり、群れで襲ってくるワイバーンは熟練望遠者でも手に負えない。たとえ軍隊であってもそれは同じことだった。


「ひっ! 誰か助けっ……ぐああぁぁ!?」


「2番塔の損傷拡大中! 誰か助けてくれ!!」


ワイバーンは的確に砲台を狙って突進を繰り返す。大型車ほどの体躯から繰り出される衝撃は石積みの尖塔を容易く砕き、足場を失った軍人達を叩き落とした。また鋭い2本足による切り裂き攻撃も凶悪で、空に向けて魔法攻撃を繰り出していた魔法使い達が身体を真っ二つに裂かれていく。空を制する魔物に対して砦の防衛が劣勢であることは明らかであった。


「これはどういう状況……あっ、そこの人! 何があったのか教えてくれるかい?」


レモティーは廊下を走っていた若い女兵士に声を掛ける。彼女は救急用の包帯やポーションを両手に抱えて運んでいる最中であったが、呼びかけに気付いて振り返った。一般人と殆ど変わらぬ見た目のレモティーを目にした瞬間、衛生兵らしき女性は焦った様子で声を張り上げる。


「帝都方面からやってきたと思しき魔物による襲撃を受けているんです! 被害の少ない南広場でランケア将軍が指揮を執っており、これから大規模な反撃が開始されますが、それまでこの建物が持ち堪えられるかは分かりません。非戦闘員の方は地下に避難してください!」


それだけ伝えると衛生兵は再び駆けて行った。その背中を見送りながらレモティーは状況を脳内で整理する。得た情報から砦が帝都の魔物に襲われている事が判明したものの、詳細な戦況や仲間達がどう対応しているかはまだ分からない。ただココノアやメルなら既に動き始めているだろうと彼女は考えた。故に自分は今出来ることを為すべきだと判断する。


「とりあえず、ボクは上空の連中を何とかしよう。降下してきたところを狙って、少しでも数を削ぐしかない!」


空を睨みつけたレモティーは自室から最も近い場所にある尖塔に向かって蔦を巻き付かせた。そしてふわりと身体を浮かせると、伸ばした植物をロープ代わりにして空中へと飛び出す。そんな彼女を格好の的として認識したのか、空から黒い塊が迫ってきた。


「やっぱり砲台に近寄る人間を優先的に狙ってくるだけの知能はあるってことだね……その方がやりやすいけどさ! 万緑の暴風(リーフ・テンペスト)ッ!」


レモティーがスキル名を叫ぶと同時に、彼女の周囲から無数の緑葉が出現する。それらはワイバーンに向かって飛んでいくと、黒曜石のごとく光る硬そうな鱗をあっさりと切り裂いたのだった。空中でバラバラに解体された哀れな死骸はそのまま中庭に墜落する。


「1匹自体の強さは大したこと無いな。でもこの数で長時間粘られると不味いぞ……制空権を先に押さえてきたんだ、すぐに地上戦力も投入してくるはず!」


元の世界でFPS形式の銃撃アクションゲームを嗜んでいたレモティーは魔物達の動きに見覚えがあった。攻撃地点の上空を真っ先に制して、遠距離攻撃が可能な砲台や術者を優先的に潰しにくるその動きから、攻めてくるのがワイバーンだけではないことを感じ取る。


「くっ、このあたりは被害が大きいな……! そこの人、意識はあるかい!」


蔦を使って尖塔上部まで乗り込んだレモティーは、重症を負って倒れて込んでいた軍人に声をかけた。ワイバーンによって砲台を破壊された際に、足爪の攻撃に巻き込まれたのだろう。左肩から腹部にかけて深く裂かれており、床には鮮血が滴っていた。このまま放置すれば失血死してしまいかねない。


「メルほどには上手く治癒できないだろうけど、それでも無いよりはマシなはずだ……癒やしの光樹(ヒーリング・ツリー) !」


レモティーが横たわる軍人の隣に淡い緑色の光を放つ木を出現させる。それは触れたものを癒やす不思議な粒子を葉から振りまいており、周囲に存在する生命の再生を促すという効果を持っていた。その恩恵を受けたことで傷口の修復が始まり、男の表情も徐々に和らいでいく。帝国軍人に対しては未だに複雑な想いを抱いている彼女だったが、ファベル達との会話を通して彼らが家族のために帝都を奪還しようとしていた事を知った今、簡単に見捨てる事は出来なかったのだ。


「あ、ああ……ありがとう、少し楽に……なってきたよ……」


「しばらくここで休んでるんだ。この木が盾になってくれるから、攻撃は届かないはずだ」


そう伝えるとレモティーは自分の背丈と同程度の樹木に目をやった。このヒーリングツリーというスキルは、ハーヴェストの前提ジョブであるファーマーで習得できる初級スキルである。指定した範囲に継続回復効果を発生させる樹木を設置するという効果を持つが、NeCOでは回復量がポーションよりも低いことから回復手段としては使われていなかった。しかし召喚オブジェクトとして耐久力に優れるため、ボスの攻撃を防ぐ盾として活用する使い方がプレイヤー達によって見出されている。ワイバーンの火炎弾であれば50発以上持ちこたえる程度には頑丈だ。


「地上も気になるけど、まずはあいつらをなんとかしないとな……!」


激しい戦闘を繰り広げられている砦上層の様子が碧色の瞳に映り込む。軍人達は必死に応戦しているものの、空中を自在に駆けるワイバーン相手に砲撃を命中させることは難しく、状況を打開することは難しいだろう。時間差で攻め込んでくるであろう地上の敵戦力も気がかりであったが、レモティーは友人達がフォローしてくれる事を信じて、尖塔から飛び出した。


「このボクが相手だ! 羽トカゲ共!」


蔦を駆使して塔の頂上まで登った彼女は、そのまま屋根を伝って向かい側に取り付けられた砲台へと走り始める。自分が目立つ的となることでワイバーンをおびき寄せて迎撃するためだ。近接物理職に比べるとダメージで劣り、魔法職には射程で敵わないハーヴェスト――だがそんな中途半端なジョブも、スキルの特性を熟知したレモティーが扱えば中距離戦のスペシャリストに化ける。豊穣の乙女は魔物討伐においてもその力を遺憾なく発揮し、幾多のワイバーンを屠るのであった。





――城壁内 砦から北上した広場――





ワイバーンによる空襲によって火の粉が舞う中、冒険者であるノルンは仲間のレイルス、コドルガと共に北側の城門へと走っていた。彼らもレモティー同様に今回の襲撃がワイバーンだけで済まない事を予感しており、次は地上からの攻撃があると予測していたのだ。北広場は帝都奪還用に用意された馬車や大砲といった資材が仮置きされているが、上空からの攻撃には無防備であった。爆撃されれば一溜まりもない。


「クソッ、物資が破壊されると作戦に差し障るな。仕方ない、オレとコドルガだけで門を防衛に向かうぞ! ノルン、君はここで防衛を頼む」


「ええ、ここは任せて頂戴。私の氷魔法ならワイバーンの弱点を突けるわ」


「ああ、だが無理はするな! もし門が突破されたときは食堂で会ったエルフと獣人の少女を探せ! 彼女達となら生きて脱出できる可能性もあるだろう」


「あら……貴方にしては随分と弱気じゃないの。大丈夫、私達なら勝てるはずよ」


「フッ、念の為に言っておいただけさ。筆頭冒険者たる者、最悪の事態も頭に入れて行動しないとな! よしッ、いくぞコドルガ!」


「ヌハハ! 俺様に任せておけ! 腹ごしらえついでに全部狩り尽くしてやるよ!」


そう言い残すと、レイルスとコドルガは軍人達と共に門から出ていった。開かれた分厚い鉄壁の隙間からは土煙を上げて迫り来る魔物の大群が覗いており、彼らの予測が正しかったことを証明していた。激戦を予感したノルンは仲間の無事を祈って天を仰ぐ。


「それにしても小賢しい魔物共……こちらの先手を打つなんて」


今まで沈黙を続けていた帝都の魔物達が急に牙を剥いてきた事についてノルンは考えを巡らせる。帝都奪還を明日に控えていた状況での襲撃はあまりにもタイミングが悪すぎた。まるで見計らっていたかのようである。魔物には獣程度の知恵しか無いというのが従来の通説であったが、ここまで統制のある動きを見せつけられると、半信半疑であった魔王という存在を彼女も認めざるを得なかった。


「この音……始まったわね」


城壁の向こう側から激しい戦いの音が響き始めた。エルフ特有の聴力に加え、これまで踏んできた豊富な場数によって、ノルンは魔物の足音からその種類とおおよその数を把握できるという特技を身につけている。瞼を閉じた彼女は耳と思考を澄まし、冷静に敵戦力の推察を行った。


「……オーガ級300、ウルフ級1200、リザードマン級500ってところかしら。小国すら攻め落とせる規模じゃない。それにこの陣形、明らかに攻城戦を想定しているわ」


途端にノルンの表情が険しくなる。森や洞窟、夜戦でしか有利に立ち回れないゴブリン族ではなく、平地で機動力を最大限発揮できるウルフ属を多く引き連れてきた采配は、敵陣営が砦周囲の地形をよく把握している証左であった。また強靭な皮膚で矢による攻撃を防ぐことができるオーガを前面に押し出すことで城壁からの遠距離攻撃を減衰させ、逆に防衛側の後衛を弓や魔法攻撃で狙い撃ちできるリザードマンをその足元に配置する陣形もよく考えられている。魔物の軍勢にはまるで優秀な参謀が付いているかのごとく隙がなかった。


「数の差で言えばこちらは相手の半分未満……どうやっても不利ね」


推定2000体近い相手に対して、北門の防衛に出撃した兵士は総勢でもその半分にも満たない上、本拠地の上空はワインバーンに陣取られており、未だ指揮系統を立て直す事が出来ていない。援軍は絶望的な状況だ。


「それに加えて、物資の防衛もしないといけないなんて……とんだ厄日よ!」


上空を旋回し始めた黒鱗のワイバーンを見上げると、ノルンは右手に握っていた長杖を空へ向かって構えた。1000年の樹齢を持つ霊樹を削り出して造られたそれは見た目こそ変哲もない木の杖だが、持ち主の魔力を収束させる効果を秘めており、短い詠唱で高位魔法の行使を可能にする。


「さぁ目障りなトカゲ達、私の魔法で目覚めることのない眠りにつくといいわ! 暴雪の抱擁(ブリザード・カレス)!」


ノルンの詠唱と共に氷属性の魔力が杖の先に集中し、怒涛の勢いで氷雪を含んだ嵐が噴射された。大気さえ氷つかせる超低温の竜巻が数匹のワイバーンを捉え、その体表を氷で覆っていく。ワイバーンの鱗は炎や衝撃には強いが、低温に対しては非常に弱かった。故に氷魔法は極めて高い効果を発揮する。


「ギギィ……!」

「ギャウゥゥ……」


悲鳴にも似た鳴き声を漏らしながら、凍り付いたワイバーンが落ちてきた。それらは地面に衝突してガラス細工の如くバラバラに砕け散っていく。弱点を突いたとはいえ一撃でワイバーンを倒せる魔法使いは希少だ。それを自負しているノルンは余裕を含んだ笑みと共に他のワイバーンへ狙いを定めた。


「フフッ、氷の魔法で私の右に出る者はこの大陸には存在しないわ! それでも恐れないというのであれば、掛かってきなさい!」


自信の強さがそのまま言葉となってノルンの口から飛び出す。長年積んできた氷魔法の研鑽がその実力を裏打ちしており、それに見合う実績があるのも事実だ。しかし彼女は今回の敵がいつもと異なることに気付いていなかった。


「何匹来ようが、無駄なことよ!」


再びノルンの杖から輝く旋風が発生し、空へと伸びる。しかしワイバーンの群れはすぐさま散開し、魔法の効果範囲外へと逃れた。不意打ちに近かった初撃はワイバーンも避けられなかったが、ノルンを危険人物だと認識状態なら魔法の発動を見切って回避することも容易い。機動力を活かして吹雪を迂回した魔物達は反撃とばかりに炎の弾を吐き出した。


「なっ……嘘でしょう!?」


自らに迫る炎塊を前にしてもノルンは動く事が出来ない。魔力を大量消費する高位魔法は威力と射程に優れる半面、使用直後は身体を巡る魔力が急低下するため一時的な行動不能に陥るという弱点があった。普段は隙を生じても前衛であるレイルスに守って貰えるが、この場面ではそれに期待することはできない。どうしても出力は不十分になるが、仕方無しとばかりに防御魔法を唱えて身を守ろうとする。


「間に合えッ、結氷の守護天蓋(フリージング・ドーム)!」


青いオーラがノルンの周囲を包み込み、半球状の氷壁を作り出した。冷気を漂わせたそれは降り注いだ炎弾を受け止めると、強烈な冷却作用で無力化していく。彼女は何とか危機を凌げたと安堵の表情を見せたが、降り注ぐ炎は苛烈さを増すばかりであった。氷壁の耐久力は尽き、徐々に壁が割れ始める。


「くっ……魔力不足で発動したせいで障壁が薄かったのもあるけど、それ以上にこの攻撃密度は異常じゃない! 一体何匹いるって言うのよ!?」


恐る恐る半透明のドームを通して空を見上げた彼女は、そこに無数のワイバーンが集まっていた事に気付いた。最初に彼女が撃ち落としたのは斥候であり、襲撃してきたワインバーンの一団はもっと大規模なものだったのだ。空を埋め尽くすほどの大群に絶望を抱いた瞬間、心と共に氷壁も崩れてしまう。


「レイ……ごめんなさい。一緒に世界最高の冒険者になるっていう貴方との約束、果たせそうにないわ……」


もはやここまでとノルンが生きることを諦めた瞬間だった。その目前に真紅に染まった火柱が出現し、迫っていた炎の礫をすべて飲み込む。何が起こったのか分からずにノルンは唖然とした表情でその光景を見つめていた。


「この程度のザコくらい、自分で何とかしなさいよぉ?」


「貴女は……フラン=サエルム!」


上空から聞こえてきた声に反応したノルンの視線の先、そこには金色の杖に乗って宙を舞うダークエルフの少女がいた。腕組をしたままワイバーンの群れと対峙している彼女に、ノルンは見覚えがあった。


「相変わらず、炎魔法の派手さだけは一流ね。でも無駄よ、さっさと退きなさい。あれだけのワイバーンの群れ、天才と呼ばれる貴女でも対処はできないはず……炎魔法が通じない相手にどう戦うつもりかしら?」


「今も昔も嫌味しか言わない年増ねぇ……良いから、フランを見てなさい?」


そう言い放つとフランは杖を駆って魔物の群れへ向かって急上昇する。緋色の魔眼でワイバーンの体内を巡る魔力の流れを読み取り、炎の魔力が渦巻いている臓器に狙いを定めた。


「攻撃魔法っていうのは、こう使うのよぉっ! 炎弾の多段連射術(ガトリング・ブレイズ)!」


その言葉をトリガーにしてフランの周囲には大小様々な火球が生みだされた。ワイバーンの吐き出す炎よりは小さいが、それでも煌々とした輝きを放っており大気を揺らめかせるほどの超高温を纏っている。そしてそれらは空を覆う黒い群れへと向かって一直線に飛翔した。


「ギィィィィ!!」


迫りくる火球を前にしてもワイバーン達は怯むどころか、恐れる必要も無いとばかりにフランへ牙を剥く。ノルンが言った通り、炎に対する強耐性を持つ彼らに炎の魔法は無力も同然であった。活火山の火口付近で巣作りと子育てを行うために発達した黒鱗はマグマにすら耐える事ができるからだ。

だが紅蓮の猛火(インフェルノ)の名を冠する彼女の魔法はワイバーン達が耐えられる温度を遥かに超えていた。灼熱という言葉すら生温く感じられる超密度の熱量は鱗を溶かすだけではなく、血と肉を燃やして体内を迸る。そして炎を吐くための熱と油を溜める器官である火焔袋にまで達し、熱暴走という名の爆発を引き起こしたのだった。


――ドォォォォン!!――


ガトリングブレイズの魔法を撃ち込まれたワイバーン達が轟音を響かせて爆散していく。体中から炎を吹き出して破裂する仲間の姿を目の当たりにした彼らは急旋回し、フランから距離をとった。自分達よりを遥かに上回る炎属性の魔力を持つ、極めて危険な敵性存在の出現に驚いたのだ。一方、その凄まじい火力に驚いていたのは魔物だけはなかった。一部始終を地上で目撃していたノルンもまた、唖然とした様子でその光景を眺める。


「なんて無茶苦茶な強さなの……! ワイバーンの鱗は溶岩が触れても傷一つ付かないっていうのに、それを溶かすほどの膨大な熱量を産み出すなんて人外の域よ!? それに動いている相手の臓器を狙い撃ちするほどの緻密な魔力コントロールまで身につけてたなんて……どっちが化け物なのか分からないじゃない」


驚きつつも即座にフランの戦術を紐解くノルン。それが出来る彼女も人並み外れた魔法の才能を持った術者であったが、帝国最強の名を欲しいままにした魔法使いの前には霞んでしまう。もっとも、彼女達はかつてデクシア帝国の魔法学院で共に学んでいた先輩と後輩の関係であり、ノルンはフランが飛び抜けた素質を持っている事を昔からよく知っていた。


「あれだけいたワイバーンがもう3割近くも減っているわ……あの子に負けたくなかったから冒険者になったのに、差を広げられてたなんて笑うしかないわね」


上空のワイバーンを次々と駆逐していく元後輩の姿を見つめながらノルンは学院時代を思い出す。エルフの里から推薦を受けて魔法学院に入学した彼女は、優れた氷魔法の適正を見せつけて主席の座を獲得した。それから数十年に渡り、名誉ある四魔導に選ばれることを夢見て研鑽を続けていたのだが、後に入ってきた無名のダークエルフによってノルンの立場はひっくり返される。そのダークエルフの子供は数千年に1人の逸材と言われるほどの才能の塊であり、エルフとしての成人を迎える前に四魔導に抜擢されたのだ。一方、プライドだけでなく夢すら失ったノルンは失意のまま学院を去ったのだが、偶然出会ったレイルスに誘われたことで冒険者となることを決心した――自分が最高の魔法使いであることを今度こそ証明するために。


「……そうよ、フランに敗けて自暴自棄になってた頃の私じゃないわ。レイと冒険した日々のおかげで、より強く成長できたんですもの。負けを認める前にやるべきことをやりなさい、ノルン!」


気弱になりかけていた自分を鼓舞し、ノルンは再び杖を構えた。そしてフランの背後に迫っていた数匹のワイバーンへ向けて渾身の魔法を放つ。


「フラン、せいぜい巻き込まれないように気をつけなさい! 暴雪の抱擁(ブリザード・カレス)!」


吹き荒ぶ氷雪が旋風となってワイバーンの集団を穿つ。凍り付いた翼膜を動かせなくなり、彼らは断末魔を吐き出しながら地面に叩きつけられた。


「ちょっとぉ!? フランに当たるところだったじゃない!」


「学院時代に所構わず炎魔法を試し打ちしてた貴女の方がよっぽど危なかったのだから、これくらいで騒がないで頂戴」


「待ちなさいよ! 事あるごとに面倒な勝負を吹っかけて来てたのはアンタでしょ! この氷結年増女!」


刺々しい言葉を交わしながらも、2人は妙に息の合った連携でワイバーンの数を減らしていく。上空で暴れまわるフランによってその半分以上が爆破されていく一方で、彼女の隙を狙おうとした残りの魔物もノルンから放たれる吹雪の餌食になった。圧倒的に不利だと思われた形勢は逆転し、暗雲に閉ざされた空に希望の光が見え始める。




――北門外側 魔物との戦場――




城門の外側では魔物の大群を食い止めるべく帝国軍と反乱軍の混成部隊、そして冒険者が応戦していた。しかし2000体を超える魔物の軍勢に対し総勢800名程度の防衛戦力では押される一方である。特に魔物側は3m~4mにも及ぶ巨体を誇るオーガ種だけでなく、ウルフ種やリザードマン種といった単体でも驚異となる相手で構成されているため、戦力差は数値以上に大きかった。そんな危機的状況でもなんとか持ち堪えられているのは主に高レベル冒険者達の活躍があったからだ。レイルスとコドルガが駆けつけなければ門は既に突破されていただろう。


「オーガ如きが俺様を止められると思うなよッ!」


門の正面でオーガ3体と対峙するコドルガ。オーガ族は皆一様に頭部に角が生えており、逞しい巨体を武器とする物理攻撃主体の相手である。毒や魔法を使うといった小細工はしてこないが、圧倒的な力で捻じ伏せてくるため、相対するときは射程外から仕留めるのがセオリーとされている。また皮膚は石のように硬化しているため剣や槍、弓といった物理攻撃は効き目が薄い。従って2振りの戦斧を武器とするコドルガにとって相性最悪の相手なのだが、そんな事はお構い無しとばかりに戦斧を構える。


「オラッ! 俺様の斧を喰らいやがれェェェ!!」


コドルガは最初に襲いかかってきたオーガの脳天を右手にした戦斧で割ると、続く2体目の首を左手の戦斧で圧し折った。さらに両手の斧をクロスさせて、最後のオーガへ深い斬撃を刻み込む。内臓を抉り取られたオーガは呻き声をあげながら地面に膝をついた。彼の斧捌きは斬るというよりは叩き潰すと言った方が正しいほどに重い一撃が特徴であり、攻撃を受けた相手は破裂する如く歪に潰れてしまう。それが爆裂戦斧(ボンバー・アックス)と呼ばれるようになった所以でもあった。


「ウォォォォォ!! 見たかお前達! 俺様の強さを!!」


雄叫びをあげながら敵対者を肉塊に変えていく豪快なその姿は、魔物の威勢を削ぎ落とす一方で味方の士気を支える。他の軍人達も彼に続けとばかりに迫りくる魔物へと立ち向かっていった。


「いい調子じゃないかコドルガ!」


「ヌハハハ! この程度、相手にもならんぞ!」


「オレも負けてられないな!」


そう叫ぶと、レイルスは白銀に輝く長剣と菱形の大盾を構えて魔物の群れの中に飛び込んだ。彼の相手は赤い体毛に覆われたブラッドウルフの集団である。その名の通り獲物を血塗れにする鋭い爪と牙を特徴としており、俊敏性にも優れた魔物だ。1匹だけであれば駆け出し冒険者でも倒せるが、集団戦になるとその素早い動きに翻弄されてしまうため、群れを相手にするときは必ず同数以上で挑むようにと冒険者ギルドでは注意喚起している。しかしレイルスはたった1人で10匹以上のウルフを相手にしようとしていた。


「この盾は防御だけの物じゃないぜ! 大盾強打(シールド・バッシュ)ッ!」


飛びかかってきた魔物に対して盾を構えた彼は、身を護るのではなく攻撃する手段としてそれを使った。銀色の軌跡を描いて叩きつけられた盾は魔物の体を大きく凹ませただけでなく、骨を砕いて内臓にまで深刻なダメージを与える。単純な質量攻撃ではあるが、相手の突進スピードを利用したカウンター技でもあるシールドバッシュは見た目以上のダメージを与えることができる上、相手の攻撃を振り払える攻防一体の妙技であった。


「まだまだこんなものじゃないぞ、オレは!」


自信に満ちた表情を見せながら襲いかかってくる狼を次々に斬り伏せるレイルス。彼の剣術は非常に卓越しており、死角を狙って飛んでくるブラッドウルフの攻撃を物ともせず、あっさりと返り討ちにした。帝国兵が辛うじて1人で1匹を制しているのに比べれば、その強さは群を抜いていると言っても良いだろう。そんな高レベル冒険者の危険度に戦略を変えたらしく、ウルフ達は一旦距離を取った。代わりに魔物の軍勢によって放たれた矢と炎の魔法がその頭上へと降り注ぐ。


「遠距離からの攻撃……リザードマンの攻撃か!」


自分に迫る無数の攻撃を視認した直後、レイルスは素早く反応した。魔法耐性のある銀盾で炎の玉を弾き、矢も剣で打ち払いつつリザードマン達との距離と詰める。金属のプレートメイルを身につけているとは感じせないほどの俊敏な動きで迫ってくる銀色の騎士――その驚異的な脚力を目の当たりにした魔物達は途端に焦り始めた。


「アノ光ル鎧ノ男ヲ殺セ!」

「コチラニ近ヅケサセルナ!」


リザードマンの群れが慌ただしく騒ぎ始める。彼らは名前の通り二足歩行をする人型の爬虫類族であり、ヒトの言葉を喋る事ができた。かつてはヒト種と友好関係を持っていた時代もあったが、武器の製造方法や魔法の術式を身につけると、より強い力を求めてヒト種を好んで喰らうようになったという経緯がある。そのため今では害を成す魔物として分類されており、レイルスも容赦しなかった。


「この距離はオレの射程だ! いくぞ、銀色の旋風(ソード・ランページ)ッ!」


力の篭もった声と共に、リザードマンの群れに向けて半月状の斬撃が乱れ飛んだ。魔力を乗せた剣身から放たれた鋭利な衝撃波は、鎖帷子の如く連なった緑の鱗ですら容易く切り刻む。しかし中には攻撃を避けた個体もいくつか存在しており、金属製の武器を構えるとレイルスへ向かって突撃した。


「殺シテヤル!!」

「ヨクモ仲間ヲ!!」


倒れた仲間の屍を踏み越え、無骨な刀剣や槍を構えて襲いかかるリザードマン達をレイルスは無言で一閃する。冒険者ギルドにおいて最優の騎士と称される彼の勢いを止められる魔物はおらず、その前線が一気に崩れた。それを好機とばかりに帝国軍人達が攻め込み、着実に押し返していく。


「冒険者達に続け! 魔物如き、恐れる必要はない!」

「帝都と家族を奪還するまで死ねるかよ!」


個々の実力はレイルスとコロルガに及ばない軍人達であったが、統率のとれた動きでリザードマンやブラッドウルフとも互角に戦うことができていた。更に城壁上部に設けられた古代兵器による援護射撃もあり、形成は完全に逆転する。その様子を見たレイルスとコドルガは一旦後方へと下がった。長期戦に備え、体力を回復させるためだ。


「何とか押し返したか。お前がオーガの前衛ラインを崩したおかげで後衛が前に出られたみたいだな、コドルガ!」


「ヌハハハハ! 軍人共は俺様に感謝するべきだな! しかしレイルス、お前も最優の騎士に恥じぬ見事な戦いぶりだったぞ!」


互いの健闘を称え合う銀壁の守護者(ランパート)爆裂戦斧(ボンバー・アックス)。その異名に恥じない活躍ぶりによって、北門の驚異は消え去ったかのように思えた。休息も束の間、新たな襲撃者が彼らの元へと迫る。


「なんだこの異常な魔力は……! 何かくるぞ、コドルガ!」


遠くからでも毛が逆立つほどの強い殺気を感じ取り、地平線の向こう側へ視線を移すレイルス。視界を塞ぐようにして舞っている土埃の中には、巨大な蜘蛛を思わせるシルエットが薄っすらと浮かんでいた。しかもその頭部には人の上半身を模した不気味な肉体が生えており、明らかに通常の魔物とは異なる姿をしている。


「レイルス、俺様はあんなもの見たことが無い! お前は知っているのか?」


「オレも初見だが、この肌を刺すような悍ましい魔力……魔族と見て間違いないだろう」


骨を軋ませるような地響きと共に砦へ猛進してくるソレは、猛毒のブレスを撒き散らして魔物ごと軍人達を腐った肉塊へと変えていた。それまで優勢であった前線が呆気なく押し返され、人々の悲痛な叫び声が重なる。この世の地獄と呼ぶのに相応しい戦慄の光景を前に、レイルスとコドルガは険しい表情で息を呑んだ。


「……オイ、どうするんだレイルス。あのデカイ蜘蛛は上級魔族クラスだ。ノルンを連れてきたほうがいいんじゃねぇのか?」


「いや、彼女は今頃ワイバーンの対処で手一杯だろう……ここはオレ達だけで応戦すべきだ」


そう言ったものの、レイルスの脳内では冒険者としての勘が早く逃げろと絶え間なく叫び続けていた。ノルンが加わっとしても勝てるビジョンが一切見えてこない。そもそも、相手が本当に上級魔族なら砦の全戦力で立ち向かっても勝ち目は薄いだろう。故に仲間を連れてこの場から即刻離れるべきだと結論を出していた彼だが、背後に難民を含む大勢の人々がいる事を想うと退くことは出来なかった。恐怖よりも騎士としての矜持が勝ったのだ。


「最悪の場合、ノルンには逃げるように言ってある。だからオレ達は砦の連中が逃げる時間を稼ごうじゃないか。ここで食い止めるぞ!」


「ヌハッ! 正気かレイルス、冒険者は生き残ってこそだろうに! だが男気のある判断は嫌いではないぞ!」


覚悟を決めた2人の勇士はおもむろに武器を構える。そして最悪最凶の敵に向けて駆け出した。一瞬にして数百人を超える死体の山を築き上げた大蜘蛛に勝てる見込みなどない。それでも彼らは自らを奮い立たせる(とき)の声と共に、決死の戦いを挑むのであった。




――城壁内 北側広場――




その頃、魔物の群れは拠点上空からすっかり姿を消していた。極めて高い能力を持つ2人の魔法使いが共闘したことにより砦の制空権は守られたのだ。


「ふぅ……建屋の上空に取り付いていたワインバーンもいつの間にか居なくなっているし、これで全部のようね。お疲れ様、フラン。私は仲間のところへ向かうわ」


「はぁ? まだ終わってないわよぉ。相変わらず、おめでたい頭してるのねぇ」


「それ、どういう意味かしら……?」


依然として城壁の外からは戦闘が繰り広げられている音が聞こえるものの、ワイバーンの群れは既に消えている。故にノルンは空の驚異は消え去ったと判断したが、空に佇んだままのフランは警戒を解くこと無く、周囲を見渡していた。


「魔物如きがあんなに統制の取れた動きができるなんておかしいじゃない。どこかに魔族が潜んでてもおかしくはないわ」


顔色の冴えないフランはそう言って黒雲に覆われた空を見上げる。バフォメットが襲撃してきた時と酷似した状況であったことから、彼女は魔族の存在を予見していた。もし今回も魔物達を率いる存在がいるのであれば、それはワイバーンとは比較にならないほどに危険な相手となる。だからこそ気を緩める事なく次の襲撃に構えていたのだが、フランが思っていた以上に早く魔物の主は姿を現した。


「おや、まだ粘っているとは……とっくに勝負は付いていたと思っていたのですが」


急に風が強くなり、低い男の声が暗雲から降り注ぐ。いち早く敵対者の存在を感知したフランは全身から赤いオーラを放ち、先制攻撃とばかりに攻撃魔法を詠唱した。


「やっぱり来たわね! 火焔の爆風(ファイア・ブラスト)ッ!」


上空から急降下してきた正体不明の敵を紅蓮の焔風が包み込む。しかし彼は背に生やした大きな翼を羽ばたかせると、フランの魔法を容易く一蹴した。灰色の薄い膜で出来たコウモリのような不気味な翼を拡げたシルエット――それに見覚えがあった彼女は怒気を含んだ声で男の名を口にする。


「寝返ったのね、レイヴン!」


「これはこれは……旧き同胞ではないですか。こんな所で会うなんて奇遇ですね」


フランと対峙した痩身の男は、白と黒で描かれた道化を模した仮面で素顔を隠していた。さらに身体を覆い隠すかの如く漆黒のローブを身に着けているため、外見から正体を読み取ることは困難である。しかし背中から生えた魔物の翼と纏っている禍々しい魔力から、フランは彼が四魔導の1人である終末主義者(カバリスト)のレイヴンだと見抜いていた。


「成程……四魔導になっても指名手配され続けていた貴方なら、魔族の側に付いてもおかしくはないわね。ロクでもない男とは聞いていたけれど、その理由がよく分かったわ」


ノルンはレイヴンを見上げて杖を構える。生物を変異させる特異な術式を専門とする彼は、魔法研究の名目で各地で人攫いをしては人体実験を繰り返していた。故に帝国四魔導に名を連ねながらも凶悪な犯罪者として冒険者ギルドから追われる身であったのだ。


「フラン、手を貸してあげる。ここでこの男を仕留めるわよ!」


杖を地面に突き立て、ノルンは凍てつくような魔力を大地へと注ぎ込む。その直後、氷の足場がせり上がってきて彼女を上空まで持ち上げた。冷気を漂わせた氷柱はフランの左隣まで伸び、レイヴンと2人で対峙する格好となる。


「そちらにいる女性の顔は見たことありませんが、フラン共々良い苗床にはなりそうですね。アスタロト様がお喜びになられるような魔物の母体にして差し上げましょう」


「趣味の悪いこと……そうやって今まで何人の生命を犠牲にしてきたのかしら」


推定でしかなかった魔王の名がハッキリと出たことで、レイヴンが魔族達の配下に加わったことをノルンは確信した。魔族とどのような契約を結んでいるかは不明だが、ここで放置すればヒト種の敵になることは目に見えている――そう考えた彼女は杖を振りかざし、容赦なく魔法を詠唱した。


「ここで息絶えなさい! 厄災たる氷塊の嵐アイシクル・ディザスターッ!」


体内の魔力をすべて吐き出す勢いでノルンは自身が使える最高威力の術式を放つ。四魔導相手に出し惜しみなどできない事を理解していたからだ。対象をすり潰すかの如く大きな氷岩群が生みだされ、正面にいたレイヴンを囲む。


「ほう、これは驚きました。四魔導以外にこのクラスの魔法を操ることの出来る存在がいたとは……非常に興味深いですね」


迫りくる氷の壁を見据えたまま、飄々とした語り口調で余裕を見せるレイヴン。彼を中心とした半径10mの球体領域はノルンの放った魔法の効果で極低温状態にあるため、普通の生物なら凍り付いて動けなっていてもおかしくはない。それでもなお仮面の下には余裕を示す笑みが浮かんでいた。


「ですが、この程度でアスタロト様の恩寵を受けた身体を傷つけられるとは思わないでください」


レイヴンの右手が急激に膨張し、幾多もの突起を備えた異形へと変化した。そして灰色に染まった腕から鋭い棘が一斉に伸びて、周囲の氷塊を粉々に砕いていく。絶対零度によって凝固した氷は鋼鉄に劣らぬ硬さを誇っていたが、それを熟れた果実の如く簡単に貫いてみせる化け物にノルンは思わず怯んだ。そのせいでレイヴンの接近を許してしまう。


「アンタの相手はフランよ! 古代の蒼き炎エンシェント・フレイム!」


反撃に転じようとしたレイヴンに向けて、フランが魔法を放った。青白い炎の吐息が迸り、彼の右腕を呑み込む。先程同様に棘を突き出して炎を掻き消した彼であったが、腕の表面に大きな亀裂が走ったことで一旦距離を取った。


「なるほど……熱疲労ですか。考えましたね」


レイヴンの右腕からパキパキと割れるような音が響く。魔族との契約により人を超えた肉体を手に入れた彼は極低温と超高温のどちらにも耐えられるほどの耐性を獲得していた。だが急峻な温度変化による物理的な破壊には耐えられなかったのだ。


「これはもう使えそうにありません。新しいのと交換することにしましょう」


レイヴンは使えなくなった腕をフラン達によく見えるように持ち上げると、その肩を左腕で引き千切った。直後に黒い血が大量に飛散したが、すぐに次の腕が生えて傷口を塞いでしまう。超再生を得た彼は自らの身体を壊すことにも躊躇無かった。


「元々気持ち悪い奴だとは思ってたけどぉ……さらに醜い化け物になったわね!」


「醜いとは心外ですね。培ってきた変異の魔法を昇華させ、あらゆる生物の頂点に立ったこの身の美しさが分からないとは、悲しい限りですよ。そうだ、あなたも此方側に来てみてはどうですか? 人の身では超えられない限界も容易く突破できる……例えば、こんな事も出来るのですから」


今度はレイヴンの左手が肥大化し、皮膚を突き破るようにして無数の触手が飛び出した。地中を這いずる蟲を思わせるグロテスクな肉の芽が伸びて、フランとノルンへ襲いかかる。焼き払って迎撃しようとするフランであったが、魔力が霧散して術式を発動させることができなかった。魔法が使えなければ彼女はただの子供に過ぎない。レイヴンの意志に応じて自由自在に空を舞う触手から逃れる術はなく、四肢を絡め取られてしまった。


「何で魔法が使えないの……!? このっ! 離しなさいよぉっ!」


「くっ……術式が完成する前に魔力を分解されたみたいね……そんな性質を持つ魔物を帝国南端の洞窟で見かけたことがあるわ」


ノルンもフラン同様に魔法を封じられ、触手の餌食となってしまった。ローブの上から強く締め付けられ、顔を歪める。一方レイヴンは狙い通り捕獲できた獲物達に舌舐めずりをすると饒舌に喋り始めた。


「御名答、この腕には魔力を喰らう特殊な蟲を合成しました。ご覧の通り、魔法の使い手であれば無力化することができます。四魔導最強と言われたフランでさえ、こうなってしまえば哀れな少女にしか過ぎません」


「好き勝手言ってぇ……! この気持ち悪いの、全部燃やしてやるんだから!」


触手を焼き切ろうと何度も魔力を滾らせたフランであったが、術式の形成にまで至らず全て不発に終わる。彼女が強い感情を抱いたときに現れる赤色の魔力粒子すら生じていない事が、レイヴンが言う魔法の無力化という言葉が嘘ではない事を証明していた。軍服のスカート内にまで入り込み、太腿の付け根へ巻き付いてくる下劣な触手の動きにフランは焦りを膨らませる。


「無駄な足掻きは止したほうがいいですよ? 見た限り、帝都奪還の要である最大戦力はあなた方だと考えて間違いはないはずだ。そうであればこの状況を打開できる存在はもう居ません。諦めてアスタロト様の軍門に下るというのであれば、命だけは助けて差し上げましょう。もっとも、新種の魔物を産み出すための母胎になるという運命からは逃れられないのですがね……フフフ」


仮面から気色の悪い笑い声を漏らすレイヴンに対して、フランとノルンは睨みつけることしかできなかった。だが2人の表情に諦めの色はない。彼のセリフから、魔族達が砦の戦力を大きく見誤っている事に気づいたからだ。同じ元四魔導であり、レイヴンのことをよく知るフランは情報を少しでも引き出そうと会話を試みる。


「なによ、もう勝ったつもりなのぉ? 御前試合ではフランにいつも負けてたザコのくせに、随分と粋がってるじゃない。そっちはアンタが一番強いんでしょ? こんなところで時間を無駄にしてたら、魔物の群れが全滅するわよ」


「……なるほど、まだ瞳が絶望で満たされていないのは味方が勝つと信じているからでしたか。確かに帝国軍人達であれば通常の魔物には対処できるでしょう。ですが、それは希望的観測に過ぎません。なぜなら、北門攻略にはアスタロト様の配下である上級魔族が赴いていますからね。そして南門はソルム率いる魔物の軍団が封鎖しています。あなた達には勝ち目どころか、逃げ場すら無いのですよ!」


「堅物のソルムまで寝返ってるの!? 本当に魔王は他者を操ることができるのね……!」


聞き覚えのある名前を耳にしたフランは驚きを禁じ得なかった。ソルムは肉体強化と土の魔法を得意とする異色の魔術師であったが、帝国への忠誠心の高さを見込まれて四魔導に選ばれた1人だった。人格の歪んだ者が多い四魔導では唯一まともな性格をしていた上、「我が武、我が信念は帝国のために」というセリフを口癖にしていた彼が自ら魔族に従うなどフランには信じられなかった。


「フフ……確かにアスタロト様はヒトを操る力をお持ちですが、あの女剣士とは違って我々は自ら忠誠を誓いましたよ。あの神々しくも圧倒的な魔力の奔流を目にすれば、誰しもが――」


「待って! その女剣士ってリセのことね!? リセはどこにいるのよ!」


「……チッ、他人の話を聞かないのは昔から変わりませんね。リセはアスタロト様の側近として仕えていますよ。ここには居ませんがそのうち会わせてあげましょう。もっとも、その時まであなたが正気が保てるかは分かりませんが……フフフ」


レイヴンは舌打ちしつつもフランの問いに答えた。彼はフランとリセが協力関係であった事を知っており、リセが魔王の配下となった事を知らしめることでフランの心を折ろうとしたのだ。しかし彼女の表情は却って明るくなっていたので、この事は話すべきではなかったとばかりに咳払いする。


「ゴホン……さて、無駄話はこの程度にしておきましょう。出来ればこのまま大人しく帝都まで一緒に来て貰いたいのですが、その様子だと無理そうですね。まあ魔物を産み出すための袋に手足は不要ですし、ここで切り落としておきましょうか」


そう言ってレイヴンが左手に力を込めた瞬間、フランの肩や太腿に巻き付いていた触手が締め付けを増した。尋常ではない力により骨が軋み、肉が潰れていく激痛に彼女は悲鳴を上げる。


「きゃあぁぁぁっ……!!」


「フランッ! しっかりなさい……!!」


ノルンが隣で声を掛けるが、彼女もまた四肢が断裂しかねない力で縛られており、意識を保つのに精一杯であった。歪な笑顔を象った道化の仮面と同じ笑いを浮かべ、レイヴンは藻掻き苦しむ2人の姿を愉しむ。魔王に力を与えられた彼であれば人体を引き裂くことなど造作もないが、わざと時間を掛けることで自身の嗜虐心を満たしていたのだ。


「フフ、唆りますねぇその表情。自分の体が引き裂かれていくのをじっくりと味わってください。ほら、肉が千切れる音が聞こえ――」


より深い絶望を与えるべくレイヴンが醜悪な責め苦を施そうとしたその刹那、彼の頭上に眩い光が降り注いだ。凄まじい魔力を含んだ高密度の閃光が男の左肩から先を焼き払い、跡形もなく消し去る。同時にフランとノルンを拘束していた触手も消滅し、彼女達は自由を取り戻した。


「有り得ないッ!? この腕でも無効化できない魔法などあるはずが……」


フランでもノルンでもない第三者の攻撃を受けて慌てふためくレイヴン。彼は正体不明の魔法に動揺するあまり、自分の獲物が離れていく事に気づけなかった。ぐったりとしたフランを抱きかかえたノルンは氷の足場を生み出し、それを伝って地上へ降りていく。


「ま、待ちなさい! どこへ行こうというのですか! この期に及んで逃がすわけがないでしょう!」


フラン達を追おうとしたレイヴンであったが、その前に突如として1人のエルフ少女が降り立った事で動きが止まった。扱える者が数えるほどしかないと言われる転移魔法で移動してきた相手に、迂闊に隙を見せるのは危険だと判断したのだ。


「待つのはアンタよ、変態男。ガキンチョ相手に触手プレイするような趣味の悪い奴はユキの教育にも悪そうだし、うちが相手してあげる」


ノルンが作っていた氷の足場に足を付けた幼い少女は、紫水晶のような透き通った瞳で彼の顔を見ていた。仮面の下にある焦った表情を見透かされている気分になり、レイヴンは激昂したように吐き捨てる。


「何者かは知りませんが、邪魔をするのならば容赦はしません。あなたには死んだ方がマシだと思えるほどの苦しみを与えてあげましょう……ッ!」


男は左半身を急速再生させて再び触手腕を出現させた。そして魔王由来の黒い魔力を纏い、自らの肉体を変異の魔法で改造することで姿を大きく変貌させていく。


「あがっ……ぎぎぎぎ……!」


不気味な声と共に彼は胴体を堅い外骨格で覆い、下半身を鋭い爪が付いた大型獣の脚へと作り変えた。さらにそれだけでは飽き足らず、さらに背中から3本目と4本目の腕を生やして、その先端に蟲型の魔物を思わせる鋭い鎌と巨大鋏を形成する。もはや仮面を付けた頭部以外に原型をとどめている箇所はなく、魔物のパーツを繋ぎ合わせたキメラと化していた。


「フフフ……これでこの体は魔法攻撃を寄せ付けません。先程の魔法について解析した結果、無力化出来ずとも魔法への防御力を高めれば問題なく防げる事が判明しましたからね。魔法に耐性をもつ魔物の甲殻を構築してみたのですよ。これであなたの未来は完全に潰えました」


勝ち誇ったようなレイヴンの言葉に対する少女の返答は、真っ直ぐに向けられた杖であった。予め体を魔法防御に優れる装甲を纏っていた彼はそれを見て「無駄ですよ」と鼻で笑う。だが、そんな余裕は長く続かなかった。杖の先端に嵌め込まれた青い魔石に、大気が揺らぐほどの膨大な魔力が宿っている事に気付いたからだ。それはレイヴンが想定した魔力量を遥かに超えており、体を変質させただけでは防ぎようがないという事実を無慈悲に突きつける。


「い、一体何なのですか、この底の知れない魔力は! まさか、先程の一撃は只の小手調べだったとでも!?」


「ま、これも小手調べみたいなもんだけどね」


「は……?」


思わずレイヴンは言葉を失った。直後に放たれた白光の激流を正面から受けた彼は、慢心したことに後悔を覚える暇もなく吹き飛ばされたのであった。

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