055.帝都奪還の要③
眩い朝日が射し込んだベッドで気持ちよく目を覚ましたメルは、上半身を起こして思い切り背伸びをした。両手と猫耳をピンと真上に伸ばすと心身ともにシャキっとするので、彼女はこの仕草を毎朝の日課にしている。
「ココノアちゃんったら、寝顔が可愛いんですから♪」
まだぐっすりと寝ているココノアに微笑みを向けると、彼女を起こさないように注意を払いつつメルはベッドからそっと這い出た。まだレモティーとユキはシーツに包まっており、起きてくる様子はない。洗顔と歯磨きだけ先に済ませておこうと、シャワールームの隣にある洗面台と向かった。
――パシャ、パシャ――
水は貴重だと言われていたので、メルは出来るだけ無駄遣いしないようにと心掛ける。最小限の水で顔を洗い終えた後、持参したタオルで顔をゴシゴシと拭く彼女だったが、ふと備え付けの鏡に映ったNeCOの自キャラそっくりの姿が視界に入ったことで手の動きが止まった。
(そういえばこの身体の違和感、すっかり無くなっちゃったな)
異世界に来たばかりの頃、今の身体に慣れるまで時間を要していた事を思い出すメル。大人から子供になった事で視点の高さから手足の感覚まで、何もかもまるっきり変わったからだ。さらにそこへ獣人特有の鋭敏な嗅覚や強すぎる筋力が加わったので、日常生活にも支障が出ていた。特に力加減については調整できるようになるまで苦労しており、リエーレとの特訓を通じて適度な感覚を身につけていなければそこら中の家具や建物を壊してしまう破壊神になっていたかもしれない、と寒気すら感じる。
(でも女の子の身体だっただけマシかも。これで男の人になってたら色々困りそうだし……お手洗いとか)
NeCOはキャラメイク時に性別を自由に選べることができるため、男の子キャラクターを作ることも可能だった。アバターの自由度はかなり高かったので、男キャラに可愛らしい少女風の衣装を着せることで、外見だけなら性別が分からないほどに美しく着飾った女装男子――通称、男の娘を作ったプレイヤーも存在している。メルの場合は初めてのオンラインゲームということもあり、幼い頃に遊んだ人形遊びの感覚で少女を自分の分身として作り出した。それが今、本当に自分の身体となっているのだから、数奇な運命もあるものだと彼女はしみじみと感じるのであった。
「……今となってはこっちの方が出来る事多くて便利ですし、何より可愛いから全然オッケーですね。流石、私自慢の娘です!」
誰に向かって言うでもなく、猫耳少女は独り言を呟く。最近の彼女は"メル"であることが普通どころか、遠い昔からそうであったように感じるようになっていた。そんな心境の変化に自分でも驚きつつ、彼女は忍び足でベッドルームへと戻った。
「おはよう、メルお姉ちゃん!」
「あら起きてたんですね、ユキちゃん。おはようございます♪」
気持ちの良い挨拶を受けてメルはニッコリを微笑む。ユキはレモティーよりも先に目覚めており、既にベッドから出て着替えを始めていた。ふわふわの尻尾を苦労しながらワンピースの穴から通している様子だったので、メルはそれを手伝う。
「むっ! 確かにモコモコな手触りですね!」
「うん! でもそのせいか上手く服が着れなくて……」
丁寧なシャンプーとブラッシングの成果で膨らんだユキの尾は倍以上になっていた。メルは出来る限り細くなるように両手で抑えつつ、スカート部に設けられた尻尾用の出口へと通す。
「これでよし……っと! これで大丈夫ですよ、ユキちゃん」
「やっと着られた~! ありがとう!」
ユキはレモティーに作ってもらった衣服を気に入っており、毎日そればかり着ていた。にも拘わらず彼女のワンピースに一切の汚れが見られないのは、洗濯と乾燥に特化した魔道具をフル活用しているおかげである。セロの館を出る時にメル達が受け取った選別に含まれていたそれは幾何学的な箱の形をしており、寝る前に服を放り込んでおけば翌朝には新品のようにピカピカになっているという優れモノだった。原理については見た目通りのブラックボックスであるため不明だが、まさに異世界における洗濯乾燥機とばかりに重宝している。
「ふぁぁ……もう朝?」
メル達の話し声で目を覚ましたココノアが上半身を持ち上げた。あまりよく眠れていなかった様子で、まだ寝ぼけ眼である。その原因が自分にあるとは露知らず、メルは不思議そうな表情で首を捻った。
「あれれ? ココノアちゃん、あまり眠れなかったりしました? 私の寝相が悪かったのでしょうか……」
「な、慣れない寝床だから眠れなかっただけ! そんなに心配しなくていいわよ」
昨晩の事を思い出し、一気に眠気が吹き飛んだココノアはそそくさとベッドから這い出して洗面台へと向かおうとする。そんな彼女に歩み寄ると、メルは新しいタオルを差し出した。
「これをどうぞ。お水をあまり使いすぎないように気をつけてくださいね」
「うん、分かってる。帝都郊外にあった給水場が魔物に破壊されたせいで、水が足りないって話は昨日に聞かされてるし」
そう言って洗面台へ向かったココノアを見送ると、メルはレモティーを起こすべくベッドに飛び乗る。その重みで彼女の寝床は大きく揺れたのだが、それでも一向に目を覚まさなかった。身体を丸めた状態でシーツを頭まで被り、謎のオブジェと化している友人に向けて大きく深呼吸した後、メルは強引にシーツを引っ剥がす。
「ほらレモティーちゃん、朝ですよ! 朝ごはんを食べに行きましょうよ!」
「うぅん……もう少し眠らせて欲しいなぁ……」
朝日を浴びてもレモティーは瞼を閉じたままであった。昨晩眠っていなかったのか目の下にはクマらしきものも薄っすら見えている。あまりにも辛そうだったので、メルは起こすのを諦めてシーツで彼女を再び覆ってしまった。
「仕方ないですね、私達だけで朝ごはんを食べにいきましょうか」
「はーい!」
「それじゃ私とココノアちゃんが着替えるまで少し待っててくださいね」
そう言うなり、ネグリジェを脱いで着替え始めるメル。そんな彼女のあられもない下着姿は、洗面台から戻ってきたココノアの視界にもバッチリ入ってしまっていた。
「この光景に慣れてきた自分が怖いわね……」
今までなら頬を真赤に染めて小言の1つでも吐いていてもおかしくないココノアだが、今日はボソリと呟いただけで何事もなかったようにスルーした。これまで過ごしてきたメルとの共同生活で、すっかり感覚が麻痺していたのだ。
「あれ、レモティーはまだ起きてないの?」
「ええ。無理矢理起こすのも可哀想ですし、私達だけで食堂へ行きましょうか」
「仕方ないわね……」
メルの提案に頷いたココノアは、自分の着替えを持ってシャワールーム近くの脱衣場へと向かう。そしてしばらく時間を置いてから、真っ白なブラウスと真紅のスカートを纏って戻ってきた。セロから贈られたそれらの衣服は魔法使い向けの補助効果を備えているため、今でも彼女のお気に入りの1着である。一方、メルが着ている淡い紫に染まった戦闘用ドレスもセロが準備したものであり、獣人族の身体特性を最大限に引き出す事が可能な機動力に優れた逸品だ。
「それじゃレモティー、うちら勝手に行くよ?」
「せめて食堂が開いてるうちに起きてくださいね」
シーツの塊になっている友人にそう言い残して、メル達は個室を出て1階へと踏み出した。この砦では別棟1階にある大食堂で食事が提供されている。今は軍の所属者だけでなく外部の人間も利用できるが、決められた時間でしか利用できないため、寝坊するとありつけない可能性があった。
もっとも、レモティーであれば自力でどうにか出来ると思っているので、ココノアもメルもその点はあまり心配していない。またNeCOプレイ時代には夜更しのせいで生活リズムを崩す彼女の姿もしばしば目にしていたので、昼まで眠っていてもまたかという感じで済ませるのであった。
――別棟1階 食堂前――
「ここが食堂みたいね」
大食堂と書かれた金属製のプレートを見上げると、ココノアは辿り着いた扉が目的地であることを確認した。早速扉に手を掛けようとした彼女だが、中から聞こえてくる賑やかな話し声に耳がピクリと反応する。砦にやってきた時は随分とピリピリした雰囲気だったというのに、それとはまるで違う楽しげな様子に戸惑いつつ、扉を開けた。
「わぁ、人がいっぱいいますね」
「うわっ、滅茶苦茶いるじゃん……ユキ、迷子にならないように気をつけなさいよ。うちらから離れちゃだめだから」
足を踏み入れた先には大勢の軍人がひしめき合っている光景が待ち構えていた。成人男性が大半を占めているため、食事風景もかなり豪快だ。大盛りにされたパスタやスープ、サラダをガツガツと胃に収めていく彼らの勢いに、ココノアとユキは思わず気圧されてしまう。
「みなさん、凄い勢いでお食事してます!」
「食事っていうか、まるで戦場じゃんこれ……厨房があの調子じゃ、うちらが食事できるまでかなり時間がかかりそうね」
ココノアは奥に見える厨房の方へと視線を移した。次々とやってくる利用者に対応しきれないのか、若い調理師達が目まぐるしく働いている。一方、手前側の食事スペースでは軍人達がテーブルを占領しており大量の料理をかき込んでいる最中だった。その背中からは熱気が出ていそうなほどに食べるのに夢中になっている。
「とりあえず席につこうか」
「あそこが空いてるよ、ココノアお姉ちゃん!」
ユキが指差した先にあったのは部屋の端にポツンと設けられた4人掛けのテーブル席であった。窓際なので陽当りは抜群だったが、配給口からは最も遠いため人気がなさそうである。他の席は殆ど埋まっている上、密度が高すぎて揉みくちゃにされてしまいそうだったので、ココノア達は空いていたテーブルを陣取ることにした。
「うちが窓側に座るから、メルは通路側ね。おかわりで何回も往復するでしょ?」
「そ、そんなに何回もおかわりはしませんよ……! まだ朝ですし!」
窓側席に座ったココノアの隣にメル、そしてその向かいにユキが腰を下ろす。この食堂は造られてからそれなりの年数を経ており所々に補修の跡も見られたが、雰囲気自体は悪くなかった。壁は趣のある赤みがかったレンガで覆われており、天井ではシーリングファンを思わせる羽根車がゆっくりと回転している。レトロ感を漂わせる落ち着いた内装は古風なレストランを思わせた。
「なによあれ、滅茶苦茶長い行列ができてるじゃない。あんなのに並んでたら昼になるんじゃないの?」
「本当ですね……」
長蛇の列を見たココノアが愚痴を漏らす。朝から暑苦しそうな男達に囲まれたくはないと思った彼女は、しばらくテーブルで時間を潰すことを提案した。空腹であったユキとメルだが、ピークタイムを迎えた列に並びに行く気にはなれなかったので、諦めてその場で待つことにしたのであった。
それからしばらく時間が経ち、食堂は徐々に落ち着きを取り戻し始める。その様子を見たココノアがそろそろ並んでも大丈夫そうだと椅子から立ち上がった時だった。少女達のテーブルまでやってきた恰幅のいい中年女性に、突然声を掛けられた。
「随分と可愛らしいお客さんじゃないか! さてはお前さん達が救世主の連れとやらだね?」
「……救世主って誰の事よ? うちら、そんな風に呼ばれる覚えはないんだけど」
「レモンティーだったかレモチーだったか、そんな名前の若い娘だよ! あの子のおかげで腹を空かせてた男共に腹いっぱい食わせる事が出来たんだから、アタイ達にとっては救世主みたいなもんさ!」
「ああ、レモティーちゃんのことですね! 仰るとおり、レモティーちゃんは私達のお友達です!」
「そうそう、レモティーだったね! この歳になると忘れっぽくてごめんよ! アハハハ!」
白い調理衣を来た女性は豪快に笑いながら、テーブルの上に大皿に乗ったパスタやサラダを置き始めた。しかしまだ列には数人の男性が並んでいたので、先に食事を受け取ってしまっていいのかと3人は戸惑い始める。その様子に気付いた彼女は、そんな事気にしないでいいと言わんばかりに食器を押し付けた。
「アンタ達、半時間も前からずっとここで人が減るのを待ってただろ? 子供なんだから遠慮しなくていいんだよ! ほら、気にせず食べな!」
「ちょっと悪い気もするけど……ま、いっか。いただきます」
「えへへ、それではいただきます!」
「いただきま~す!」
金属製のフォークを手に取り、湯気を放つ熱々の料理を頬張る3人。そんな彼女達の様子を愉快そうに眺めながら調理師の女性は話し始めた。
「レモティーには本当に感謝してるんだ。あの子が作った畑のおかげで食糧の心配がなくなったばかりか、今日は早朝から仕込みも手伝ってくれてたんだよ! 寝付けないからって言ってたけど、きっとアタイ達の事を想って無理して来てくれたに違いないねぇ……」
「えっ、レモティーが手伝いに来てたの? 朝に?」
自分と同じく、レモティーも遅くまで眠れていなかった事にはココノアも気付いていた。しかしその後、厨房の手伝いに来ていたとは知らず、驚いた顔を見せる。途中で眠りに落ちていた彼女と違い、レモティーは夜通し起きていたのだ。
「ああ、そうさ! おかげで全員に食べさせても余るほどの料理が提供できたわけだ。あの子は今頃寝てるだろうけど、腹が減ったら賄いを食わせてやるから、いつでも食堂に来いっ言っておいておくれよ」
「はい、そのように伝えておきますね! ご丁寧にありがとうございます♪」
メルの返事に「それじゃ、ゆっくり食べな」とウインクすると、女性は厨房へと戻っていった。レモティーがなかなか起きてこなかった理由が判明し、メルは腹落ちしたように頷く。
「なるほど、そんな事があったんですね……あんなに眠そうだった理由も納得できます」
「でもどうしてレモティーお姉ちゃんはずっと起きてたんだろ? ユキと一緒に寝るのは嫌だったのかな……」
しょぼりと狐耳を折り曲げたユキを見て、ココノアは口に含んでいたサラダを吹き出しそうになった。レモティーがユキを嫌いになるはずなど万が一にもなく、彼女が部屋を抜け出した理由があるとすれば、それはむしろ逆の理由である事を知っていたからだ。
「ケホッ、ケホッ……」
「あら、ココノアちゃん大丈夫ですか? お水でも飲みます?」
「ううん、大丈夫。それより、そんな心配しなくてもいいのよ、ユキ。レモティーはユキに美味しいごはんを食べさせてあげたくて、ちょっと張り切っただけなんだから」
「え? そうなの? よかった~!」
そう言って安心した笑みを浮かべるユキから、ココノアはゆっくりと視線を逸らす。レモティーが部屋から抜け出したのは欲望を抑えきれなくなって頭を冷やしに行っただけだと、勘のいい彼女には察しが付いていた。一方、それを知らないメルとユキは嬉々として料理を口に運ぶ。
「昨日の晩ごはんでも思いましたけど、帝国料理も結構美味しいですよね。香辛料がたっぷり使われた濃い味付けが、なんだか癖になっちゃいそうです♪」
「うち的には素材の味を活かしてたリギサンの方が好みだけど、これはこれでアリよね。ま、年寄りの口には合わなかったみたいだから、リエーレは苦労してるっぽいけど」
パスタをフォークで巻取りながら、ココノアは昨日リエーレが話していたことを思い返す。200歳を超えるエルフであるためか、食事に妙な拘りを持っているセロはこの食堂を使っておらず、リエーレが全て賄っていると言っていた。彼女が食材を必要としていたのもそれが原因なのだが、レモティーのおかげで今頃は彼も不自由のない朝食を楽しめている事だろうと窓に目をやる。
「何あの目立つ格好……? もしかして冒険者?」
ふと異様な格好の3人組がガラスに映り込んでいた事に気付くココノア。白銀に輝く眩しい鎧の男騎士に、群青の獣毛を編み込んで作られたローブを着た女魔道士、上半身裸で革製の腰巻きのみを身に着けた獣人男性――帝国軍でも反乱軍でもない特徴的な装いは、冒険者と断定するのには十分なほどに自己主張が激しかった。そんな冒険者風の一団はこの場に似つかわしくない顔ぶれに興味を持ったらしく、配給口の列を無視して少女達のテーブルへ近寄ってくる。
「なんでこんなところに子供がいるのかしら……難民?」
「働きもしないガキに飯をくれてやるなんて、随分と余裕が出たもんだなここも」
「子供相手に嫌味を言ってやるなよコドルガ。詳しいことは分からないが、オレ達が居ない間に食糧を大量に仕入れることができたと聞いたぞ。だから保護した難民の子にも十分な飯を分けてやることにしたんだろ」
失礼な物言いをする冒険者達に眉を顰めるココノアとメル。少女達の怪訝そうな表情を見て、騎士風の優男が慌てて弁明した。
「ああスマンスマン、気分を悪くしちまったか。このむさ苦しい獣人野郎はコドルガっていうんだが、最近ロクに腹が膨れない食事ばっかりだったもんでイライラしてたんだ。許してやってくれよ」
「誰がむさ苦しいだ! この野性味溢れる肉体美を馬鹿にするんじゃねぇぞ。おうガキ共、堂々と飯を食いたかったらエリクシア王国の闘技場で3年連続の優勝経験を持つ、この爆裂戦斧のコドルガ様のように強くなることだな! ヌハハ!!」
そう言って大声で笑うコドルガは、熊を思わせる獣耳と濃い体毛を持つ獣人族であった。森で遭遇したら魔物と見間違いそうなほどの巨躯を有しており、ふんぞり返って胸筋を強調する様子はいかにも力自慢といった様子が見て取れる。その背中には二つ名の元になったであろう巨大な戦斧が交差するように2本縛り付けられていた。
「……で、そのボンバーなんちゃらが何の用なのよ。こっちは食事中なんだから邪魔しないでくれる?」
ココノアは一方的に会話を押し付けてきた冒険者達に苛立ちを見せる。さらにとっとと立ち去れと言わんばかりに睨みつけるが、彼らは全くと言って良いほど意に介さなかった。むしろ相手が自分達に興味を持ったと勘違いし、ますます饒舌になる。
「ハハッ、爆裂戦斧の響きが気になったみたいだな? だが異名を持っているのはコドルガだけじゃないぜ。こう見えてオレ達はギルド本部で最優の評価を得た筆頭冒険者でな! 君達みたいな子供が憧れるのも当然のことだろう。これも何かの縁だ、自己紹介をしようじゃないか!」
金色の前髪をキザったらしく掻き上げると、男騎士は隣に立っていた女性の肩に手を回した。フード付きのローブから冷たそうな水色の瞳を覗かせる彼女は、ココノア達を見下ろしながら薄ら笑いを浮かべている。
「こっちは俺達のパーティにおける紅一点、絶対零度の魔術師の名で知られる氷魔法使いのノルンだ。かのエルフの里では氷結の魔女と称されるくらいには凄腕なんだぞ。なんたって魔物10匹を同時に凍らせることができるんだからな! 驚いただろ?」
「もう、子供相手に何を言ってるのよ……私が魔法で有名なエルフの里出身で高位魔法の使い手であることは事実だけど、こんな見窄らしい子達にそれがどれだけ凄いのかなんて分かるはずないじゃない」
口ではそう諌めるものの、まんざらでもない様子でノルンが唇の端を吊り上げる。彼女もまた自己評価が著しく高いタイプの冒険者であった。おもむろにフードを外すと、エルフの里出身であることを示す青みがかった銀髪を自慢気に披露する。
「はぁ……何なのよこいつら」
トルンデインで会った冒険者達はもっと謙虚だったのに、とココノアは呆れた様子で溜息を付いた。初対面の相手、しかも見た目だけなら子供である自分達にお構いなしで見栄を張ってくる連中に辟易とする彼女であったが、その反応を目の当たりにした騎士はココノア達が感嘆しているのだと思い込み、さらに調子付いてしまう。
「オイオイ、有名な冒険者達の前だからって、そんなに緊張しなくてもいいんだぜ? 最後になっちまったが、オレがこの一団を取り仕切る銀壁の守護者、レイルスだ。冒険者レベルは50、東大陸中で活躍しているから帝国内でもそこそこ名は知られているはずだ。君達も名前くらいは聞いたことあるだろ?」
「知らないわよ」
「知らないですね」
「知らな~い」
それまで自信満々の笑みを浮かべていたレイルスだが、少女達の素っ気ない3連打が効いたようで、打ちのめされたように項垂れた。子供達にとって憧れの的である事を自負していた彼は、「知らない」の一言を突き付けられる事が何よりも辛い。それでもそんな心の内を悟られまいと、作り笑いをしながら強気に振る舞った。
「ま、まぁ……男の子と違って女の子はそういうのに疎いから仕方ないか。とはいえ、最近西岸で出没していたバジリスクの討伐や、南端の山岳地帯で巣作りしていたワイバーン撃退に成功したオレ達の名は、今や大陸中に広まっているはずなんだがな……!」
「気にしないでレイ。帝都を奪還した貴方の姿を見れば、知性に乏しい子供であっても私達の凄さが分かるはずよ」
「ヌハハッ、ざまぁねぇなレイルス! 大体こんな貧相なガキ共に名を知られていたところで、嬉しくも何ともねぇじゃねぇか」
そんな会話を繰り広げつつ、レイルス達は厨房の方を振り返って配給口を一瞥した。いつの間にか配給口の列は消えており、並ぶのには良い頃合いである。この時、ココノアは彼らが自分達に声を掛けてきた理由になんとなく気付いた。
(配給の列に並ぶのが恥ずかしくて、うちらと話すフリして時間潰してたって感じね。自分で有名人だって気取るくらいだし)
その推測通り、レイルスは背を向けて「そろそろ行くか」と仲間へと声を掛け始める。他の2人もそれに同意してテーブルからは離れていったのだが、失礼な言葉を浴びられ続けたココノアはすこぶる機嫌が悪かった。自分だけでなくメルとユキも馬鹿にされてカチンと来ていたのだ。故に彼女は背を向けた彼らに向かって声を張り上げた。
「こっちも自己紹介してあげる。向かいに座ってる白い髪の子が将来美人間違いなしのユキ、隣の桃色猫娘がドラゴンゾンビを腕1本で投げ飛ばせる怪力女のメル、うちはトルンデインを攻めてきた数千匹の魔物を吹き飛ばした魔法を極めし者のココノアよ」
そんなエルフ少女のささやかな意趣返しにまず反応したのはコドルガだった。次いでノルンもピタリと足を止める。
「……オイ、聞いたかノルン?」
「ええ、勿論。エルフは耳が良いの、聞き逃す筈ないわ」
ココノアの方を振り返ったノルンは、笑いを堪えるようにして口元へ手を当てていた。同じくコドルガもニヤニヤと鋭い歯を覗かせている。
「ふふっ、何を言い出すのかと思えば……本当に知性の欠片も無い子達ね。でも面白かったから許してあげるわ」
「全くだな! 試しに俺様を腕1本で投げ飛ばしてほしいもんだぜ、ヌハハハ!」
彼らはココノアの発言を完全に子供の妄言だと思い込んでおり、一笑に付しただけであった。レイルスに至っては話すら聞いておらず、先に配給口で食事の乗ったプレートを受け取ったところである。
「おい2人共、そんなところに突っ立ってないでこっちに来いよ! 凄いぞ今日は! 選び放題だ!」
「本当か!? さっきから腹が減って仕方なかったんだ。早く食おうぜ!」
レイルスの言葉によってコドルガの意識は完全に食欲に支配されたようで、ココノア達を無視して配給口へと向かってしまった。蔑むような笑みを向けていたノルンも踵を返して、スタスタと仲間たちの元へと歩いていく。友人達との食事タイムを邪魔された挙げ句、働きもしてないだの見窄らしいだのと言い掛かりを付けられたことで、ココノアの額には薄っすらと血管が浮いていた。
「本当に何よあいつら……腹立つわね!」
「まぁまぁココノアちゃん。せっかくのお食事なんですから、あの人達のことは忘れて食べる方を楽しみましょうよ」
「……そういえばメルって馬鹿にされてもあんまり怒らないわよね。大丈夫? 自尊心とかちゃんとある?」
「だ、大丈夫ですよ! ただ勤め先では失敗してばっかりだったので、ダメな人だなって思われちゃうのには慣れてるかも……」
「えっ……なんかその……ごめん」
虚ろな瞳で視線を逸したメルを見て、言ってはいけない事を言ってしまった気がしたココノアは素直に謝るしかなかったのであった。
――20分後 レイルス達のテーブル――
5皿目のパスタを平らげたコドルガは満足そうに椅子へもたれ掛かる。頑丈な鉄筒で組まれた椅子であったが、彼の巨躯を支えるには少し頼りなかった。ギシギシと不穏な金属音を響かせており、そのうち壊れそうだ。
「ふぅ、食った食った! 久々だぜ、こんなに腹が膨れたのは。だが肉が少ないのは納得いかねぇな。悪名高い竜槍のガルム率いる盗賊団を捕まえてきたんだ、もっと待遇が良くてもいいはずだろ?」
「あらコドルガ、貴方は何もしてなかったじゃない。既に盗賊は誰かが倒した後だったし、ご丁寧に蔦で縛られていた連中を運んだだけよ、私達」
「細けぇことは良いんだよ! あのガルムを捕まえたって事が重要なんだからな! 大体、俺様の腕力がなかったらアイツを馬車に運ぶことなんて不可能だったと思うぜ?」
そう言って自らの仕事っぷりをアピールするコドルガ。彼らは昨日の朝から冒険者ギルドの依頼で北方へ続く街道へ出向いていたのだ。その目的は難民を襲う凶悪な盗賊団の討伐であったが、現地に到着した時には何故か拘束された盗賊達が草原に転がっていた。その中には賞金首として手配されていた"竜槍のガルム"も含まれている。
「よく言うわよ。引き渡しの時、リテラに本当の事をそのまま全部話したものだから、報酬を減額されたのはどこの誰だったかしら?」
すでに食事を終えて紅茶を啜っていたノルンが、不満そうな目付きでコドルガを睨みつけた。盗賊団の面子をギルドから貸し出された護送用馬車で連れて帰ってきた彼らであったが、実際に討伐したのが別の者であったことをうっかり告げたことで報酬額を減らされてしまっていた。
「うるせぇ、勢いで喋っちまったんだよ!」
「まったく……装備を揃えて維持するのにも費用がかかるのだから、余計なことは口にしないで頂戴」
ノルンがチクチクとコドルガを責める。彼女はこのパーティで金庫番を担当しているため、金銭に関しては特に煩かった。冒険者ギルド本部で選抜された実力者揃いのパーティだけあって、平均的な冒険者に比べれば懐事情に余裕はあるが、彼らは必要以上の高級装備を揃える悪癖があったので常々資金不足に悩まされている。今回ギルド本部から遠方の地にある帝都の魔物討伐を請け負ったのも、多額の報酬を提示されたからだった。
「お前達、人前で情けない話は止すんだ。食堂にはまださっきの子供達もいるんだぞ? オレ達みたいな高レベル冒険者が金のことばかり言っていたら、それこそ幻滅されてしまうじゃないか。相応の振る舞いをしろと、いつも言ってるだろう!」
仲間内の口喧嘩を見かねたレイルスが唐突に口を開いた。この面子の中で最もレベルが高く、実力と名声を兼ね揃えている彼の言葉にはコドルガもノルンも従わざるを得ない。2人は不服そうに眉を歪めつつも、それ以上は何も言わずに押し黙った。それからしばらく、気まずい沈黙が彼らの周囲を包んだ。
「……そう言えばガルムの話で思い出したんだが」
今度はレイルスが仲間たちへ話を振った。長年リーダーをしてきた彼はこういう時に場を取成す方法を熟知している。その1つが話題の転換であった。蛮勇の猛者として知られるガルムが護送時に不可解な事を言っていた事を思い出して、その内容を口にする。
「縛られてたアイツに何があったのか尋ねた時、桃色の髪をした獣人の子供相手に完敗したって滅茶苦茶落ち込んでたんだよ。そんな奇抜な髪色の獣人なんて滅多にいないと思ってたが……ちょうど今、あっちにいるなって思ってさ」
「あぁ、んなコト言ってたな。なんだレイルス、あのガキがそうだって言いたいのか? ガハハ、そんな訳ないだろ! ガルムと言えば戦場に出る度に100人を下らない敵兵を串刺しにする事で有名な狂戦士だぜ? 俺様達なら勝てるが、その辺の冒険者じゃ返り討ちにされるのが関の山だろうさ!」
「まあ、そうなるよな……」
コドルガの意見に同意したものの、少し引っかかった様子で黙り込むレイルス。しばらくして彼は振り返り、ココノア達のテーブルへ視線を移した。すると食事を終えた彼女達が使い終わった食器を返却口に返しに行く姿が見えたので、慌てた様子でノルンに耳打ちする。
「ノルン、対象分析の魔法であの子供達のレベルとステータスを見ることはできるか?」
「できるけど……私に覗きの趣味はなくてよ、レイ。あなたはあの小汚い難民の子が本当にガルムを倒した人物だとでも思っているの?」
「勿論そんな馬鹿げたことは信じていないが……冒険者の勘っていうか、何かが騒ぐんだよ」
「そんな風に言われると、私も気になってくるじゃない。レイの勘はいつも妙に当たるのよね……少し待ってて」
レイルスに頼み込まれたノルンは両手の指で四角形を作り、食器返却口に並んでいる少女達をその枠の中へと捉えた。そしてその中から、厨房に向かって頭を下げている桃毛の猫耳少女へターゲットを絞る。
「対象分析!」
ノルンの指先に青色のオーラが迸り、分析の魔法が発動した。この術式は他者のレベルとステータスを術者の脳内に転写する効果を持つ、エルフの里でも一握りの者しか使えない高位の特殊魔法である。その原理は冒険者ギルドで使われているレベル測定器と同じではある一方、測定可能範囲が術者の力量に左右され易いため能力を測る手段として正式に認められてはいない。ただし初見の魔物や敵対者が格下か、それとも格上なのかを判別するのには十分使えるので、相手の力量を読み違えれば死が待っている冒険者には命綱とも言える魔法だ。
「くっ……!? 何なのこれは……!」
しかしこの時ばかりはその手軽さが仇となった。メルの情報を読み取った直後、ノルンは苦しそうに表情を歪めたのだ。彼女の様子がおかしい事に気付いたレイルスがその肩に手を掛ける。
「どうしたんだ、ノルン……?」
「な、なんでもないわ! 少し目眩がしただけよ。次はココノアって名乗ってた方を見てみるから時間を頂戴……対象分析!」
今度はココノアへ向けてアナライズを発動するノルン。その数秒後、彼女は頭を抱えてテーブルに伏せた。今まで幾度となくこの魔法を使ってきたが、こんな状況になった経験がなかったのでレイルスはどうすればいいのか分からず、右往左往する。
「あがっ……! 何なのあの子達……異常値だらけじゃないッ……!?」
ノルンが苦しむ様はさっきよりも酷く、それまで興味無さそうに食事を貪っていたコドルガですら異常を感じて手を止めた。恐怖したように肩をカタカタと震わせる彼女に対して、彼らは互いに顔を見合せる事しかできない。
「おいノルン……大丈夫か? 何が視えたのかは知らねぇが、その魔法は痛みを伴うもんじゃなかったはずだろ……?」
「ええ、対象が同格以下ならその通りね……でも相手のレベルが私よりも遥かに高かった場合はそうじゃないのッ……! 感じ取った力が大きすぎて、頭の中をグチャグチャに掻き混ぜられてるみたいに痛むのよ!!」
叫びながら顔を上げたノルンは、酷く怯えた瞳で仲間達に苦しみを訴えた。明らかに冷静さを失っている彼女に思わず息を呑みつつも、レイルスは諭すような口調で落ち着かせようとする。
「ノルン、しっかりするんだ。いつも冷静沈着な君らしくないな。何が視えたのか、オレ達にも教えてくれないか?」
「何が視えた、ですって……? アハハ、何も視えなかったのよ! レベルは高すぎて不明、ステータスも上限値ばかりで、底が見えない! そんな桁違いの情報が流れ込んできたおかげで、頭が破裂しそうなんだから……!」
食堂から去っていく少女達を見つめるノルンの顔には、いくつもの冷や汗が浮かんでいた。この世で最も硬い魔銀鉱で造られたレベル測定器ですら破壊したメルとココノアの能力値――それを直に読み取ってしまった代償として、彼女はしばらく頭痛に苛まれることになる。
「まさかガルムの言ってた事は、本当だったのか……!?」
真相を確かめようと席を立ったレイルスは食堂を出たメル達を追いかけた。しかし通路に出たところでその姿を見失ってしまう。外に出たのかと思った彼は本棟へ続く廊下へと駆け出た。
「もういない、か……あの少女達は一体何者だったんだ」
砦の中庭では軍人達が慌ただしく戦の準備をしているだけで、それ以外の者は見当たらない。探すのを諦めた彼は仲間のところへ戻るべく食堂に足を向けた。その途中、帝都の冒険者ギルド職員から言い渡された次の依頼内容について思考を巡らせる。
「ノルンが視た能力値が間違っていなければ、リテラが言っていた魔王討伐隊というのはあの子達の事だったのかもしれないな。ならば、近いうちに再び顔を合わせることになるか……」
明朝に控えた終幕の魔城作戦において、レイルス達の一団は魔王討伐を託された別パーティを城まで無事に送り届ける役割を担っていた。なぜ筆頭冒険者である自分達が脇役のような役回りを演じさせられるのか――リテラから任務を告げられた際、そう言って抗議したもののあっさりと却下された事を彼は思い出す。彼女はレイルスの問いに対して「貴方達を上回る冒険者が協力を申し出たからです」としか答えなかった。だが高位魔術師のノルンでさえ実力を見通せないイレギュラーの存在を知った今なら、その冒険者の存在にも信憑性を見出すことができる。
「とはいえ、本当にオレ達よりも強いというならその実力を確かめる必要があるな。魔王と戦う権利を賭けて、城に辿り着く速さを競ってみないか提案を――」
ブツブツと1人で呟きながら別棟に入ろうとしたレイルスは、空が少し陰ってきたのに気付いて動きを止めた。踏み出すために持ち上げられた白銀のグリーブが空中で浮いたまま静止する。
「なんだ、あれは……?」
彼は城壁に囲まれた狭い空を見上げた。すると帝都の暗雲がこちらへ向かって押し寄せている不穏な光景が広がっていたのである。帝都に魔物が生じるのと同時に発生した暗雲は瞬く間に東西方向へ広く伸びた一方、南北には伸びていなかった。そのためこの砦では今も平穏に陽射しを浴びる事が出来ていたのだ。しかしそれが今、何らかの原因によって脅かそうとされている。
「クソッ、嫌な胸騒ぎがするな……! 今から戦闘準備だけはしておくか」
険しい表情でそう呟くと、レイルスは仲間達の元へと急いだ。死線をいくつもをくぐり抜けた冒険者の勘がざわめいたからだ。帝都奪還に転じるべく準備を進める人々を嘲笑うかのように、黒い雲塊が天を飲み込んでいく――それは帝都を巡る決戦の前触れだった。




