051.新たなる門出③
(やっぱりこの道はリギサンを襲撃した連中が作ったんだろうか……)
馬車1台分の幅が確保された道を辿りながらレモティーは考える。森の中に不自然に敷かれていた道は元々何かの用途で整備されていたらしく、表面が踏み固めたように均されていた。王国と帝国の間に広がる森は深く、魔物も多く生息しているため通り抜ける者は少ない。こんなところを使うのは、何か後ろめたい理由で国境を通過する者だけだろうと彼女は推測していた。
「レモティーちゃん、今どのあたりなんですか?」
思考を巡らせていたレモティーに話しかけたのは、荷台からひょっこりと顔を出したメルだ。その手にはケントから融通してもらった帝国領内の地図が掴まれており、指し示して欲しいとばかりに広げられている。しかし運転席にいるレモティーにもどのあたりを走っているのかは分からなかった。同じような木が立ち並ぶ森の中をずっと走り続けているため、周囲の変化が乏しいからだ。そこで彼女はおおよその体感時速と経過時間から逆算し、推定の現在位置を指差した。
「今は多分このあたりじゃないかな。あと半時間もすれば平野へ抜けることができると思うよ」
「それなら、お昼頃には森を抜けることができそうですね! お弁当を食べるなら見晴らしのいいところのほうがいいと思ってたので、ちょうど良かったのです♪」
昼食が待ち遠しいとばかりに猫耳を揺らすメルに、レモティーは頷いて同意を示す。朝からずっと走り続けているため、そろそろ馬を休ませたいと思っていたところだった。いくら回復魔法で体力を戻せるとはいえ、水分補給や食事を抜いてしまってはまともに走ることもできない。長旅ではこまめな休憩が重要だと、以前にオーティムから教えてもらったことをレモティーは忠実に実践しようとしていた。ただそれ以外にも、彼女にはもう1つ馬車を停めたい理由がある。
(ユキちゃんの気分転換にもなるといいんだけどな)
奴隷船で囚われていたときの辛い記憶を少しでも早く忘れられるようにと、レモティーはユキへの気遣いを忘れなかった。大人達の前では気丈に振る舞う彼女であるが、夜に突然泣き出ししてしまう事を他の住民伝いで聞いている。傷ついてしまった心をケアするためにも、この旅が彼女にとって良い思い出になるように心掛けよう――そう思いながら、操作席側にしがみつくようにして景色を眺めているユキへ話しかけた。
「ユキちゃん、昼食にはリンゴジュースを出すから楽しみにしててよ」
「ほんとに! やったぁー!」
好物の名前を聞いた途端、ユキは尻尾を振って喜ぶ。前がよく見えるためか、彼女はレモティーの背にあたる荷台の最前部がお気に入りらしく、出発した時からそこから離れようとしない。おかげでユキとの会話は弾んでおり、幼女をこよなく愛するレモティーとしても嬉しい限りだった。
「ふふっ、こんな可愛い女の子が一緒に居てくれるなら邪魔者は奥に引っ込んでたほうが良いかもしれませんね?」
ユキの隣でメルが冗談っぽく笑う。その言葉にドキっとした表情を見せつつレモティーは慌てて弁明した。
「いやいや、そんな事は無いよ! もちろんボクはメルともお喋りしたいさ! でもあんまりメルを独占してたら、ココノアに怒られちゃうだろ?」
「コラそこ、聞こえてるっての! 何余計な事言ってんのよ、まったく! メルが居ないほうがむしろ静かになって、仕事が捗るくらいなんだけど?」
すぐさま荷台の奥からココノアの声が飛んでくる。彼女は後方で警戒役をしており、僅かな音もキャッチできる長耳を活かして魔物や不審者が近寄ってきていないか警戒していた。幸いこれまでの道のりで特段の異常はなかったが、すでに帝国領内に入っているため油断できない。もし襲撃を受けて馬車が破壊されてしまうと移動の足を失う上、ユキにも危険が及ぶ。そのためレモティーが前もってココノアに依頼していたのだ。
「相変わらずココノアは素直じゃないね! ところで周囲の様子はどうかな? 何か異常はあるかい?」
「今の所は大丈夫よ。野生の獣の気配はあるけどこっちを襲おうとしてる感じでも無いし、このまま走ってていいんじゃない」
「オッケー、分かった!」
颯爽と手綱を握り馬を加速させるレモティー。美しい金髪を靡かせる彼女の姿に、ユキはうっとりと見入ってしまっていた。モノづくりから作物の栽培まで何でも手広く出来る上に容姿端麗な大人の女性へ、憧れにも似た感情を抱いている様子だ。
「すっごく綺麗な髪だね、レモティーお姉ちゃん!」
「あはは、ありがとう! でもユキちゃんのほうがボクよりよっぽど綺麗な髪をしていると思うよ?」
レモティーの言葉に「そうかなぁ?」と照れ気味に呟くユキ。奴隷船では碌に食料も与えられておらず、骨が浮き出るほどに痩せていた彼女だが、リギサンでの療養生活を通して随分と健康的な顔つきになっていた。頭の両端で結わえられた髪も上等なシルクの如きツヤを纏っており、名前が示す通り雪のように真っ白な輝きが眩しい。
(ユキちゃんは肌も白くて目を惹くから、ついつい視線が釘付けになっちゃうな……)
身を乗り出したユキの首筋に幼子らしからぬ色気を感じ、レモティーはゴクリと生唾を飲み込んだ。彼女が身につけている着物ワンピは大胆に肩を露出するデザインなので、上から覗き込むと首周りの素肌が丸見えとなる。また痩せ気味なためか胸元に隙間が出来やすく、前かがみになるだけで色白の胸部が見えてしまうので自制心を保つのに苦労していた。
「む、レモティーちゃんがユキちゃんの事をよくない目で見てる気がします! 私やココノアちゃんならともかく、本当のお子様に対してそういうのはダメですよ?」
「えっ、いや、そんなことはないよ!? うん!」
メルにジト目で指摘され、どぎまぎしたレモティーは手綱の操作を違えてしまう。心の動揺がそのまま手元の狂いに繋がり、馬車が左右に少し揺れた。幸いサスペンションが衝撃を吸収したので、大事には至らなかったが、一歩間違えれば道からハズレて木々にぶつかっていたかもと彼女は心の中で猛省する。
「ユキちゃんばっかり見てないで、しっかり前を見て操縦してくださいね?」
「はい……以後、気をつけます……」
一方、そんなやり取りに耳を傾けていたココノアは「ともかくって何よ、ともかくって……」と呆れた顔で呟くのだった。
――半時間後――
長らく続いていた森を抜けると、芝生のような草原が広がる丘陵地帯が出迎えてくれた。なだらかな傾斜は遠くまで見えているが、見える範囲に村や街らしきものはない。森に沿うように設けられた街道に馬車を止めると、レモティー達は軽やかな足取りで新たなる大地へと降り立った。
「何気にエリクシア王国以外の土地を踏むのって、これが初めてですよね?」
「あぁ、確かにそうかも。でも草の種類はほぼ同じだし、リギサンよりも緑が多いくらいの違いしか感じないかなぁ」
「国境で分かれてるだけで地続きだもん、そりゃ同じだっての」
ココノアの眼前に広がる自然豊かな風景は、これまで居た王国領地と殆ど変わらない。彼女達が辿り着いあ場所は帝国領内でも北方に位置しており、帝都から離れた僻地なので人通りも皆無だった。
「それではお昼ご飯の仕度をしましょう! レモティーちゃん、手伝ってくれます?」
「ああ、もちろん。悪いけどココノアはユキちゃんの様子を見ておいてくれるかな? さっきまでその辺にいたはずなんだけど、馬を休ませてる間にいつのまにか姿が見えなくなっちゃっててさ」
「えっ、そういうのはもっと早く言いなさいよ!? 子供なんて目を離したらどこにいくか本当にわかんないんだから!」
荷台から食事用の敷物を引っ張り出すメル達へ背を向けると、ココノアはユキの姿を探し始める。遠くまではいかないようにと馬車を停める時に釘を刺しておいたのだが、初めての旅で舞い上がっていた彼女は馬車から離れてしまっていたようだ。見渡しても近くにユキらしき人物がいないことに気づいたココノアは、転移魔法を発動させ上空から狐娘の姿を探し始める。
「まったくこれだから子供は……」
彼女は現実世界の甥っ子がすぐに居なくなるヤンチャ盛りだったのを思い出しながら、地上を見下ろしていた。すると東方面に数百メートルほど離れたところで地面に咲いた鮮やかな花に心奪われている少女を見つけた。
「この短時間であんなところまでいけるの!? 獣人族ってどうなってんのよ! こりゃ確かに首鈴なんてものが売れるわけだわ……」
子供ながらに発揮された獣人族の特徴である機敏さに驚きつつ、ココノアはユキの傍へと転移する。彼女も保護者が来た事に気づいたようで、嬉しそうな顔で見上げた。
「見て見て、ココノアお姉ちゃん! 赤くてキレイなお花が咲いてたの! レモティーお姉ちゃんに持っていってあげたら喜んでくれるかなぁ?」
「もう、勝手にどっか行っちゃダメじゃない。世の中にはユキみたいな小さい女の子に変な事しようっていう輩もいるんだから、うちらから離れるのは禁止。いいわね?」
「うん、ごめんなさい……」
素直に謝るユキにココノアは「分かればよろしい」と告げると、足元にあった1輪の赤い花を見つめた。チューリップのような大きくて濃い色の花はリギサンでも見られなかった種類であり、ユキが珍しく思うのも頷ける派手さである。ただ欲しいからと言って自然の植物を無闇に散らすのは教育に良くないと思った彼女は、やんわりと別の方法を促した。
「確かに綺麗だけど、せっかく咲いてるのを摘んだら可哀想じゃない? だから食事を終えたらレモティーを連れてきてやりましょ」
「うん! そうする!」
「いい子ね。それじゃ戻るから、うちと手を繋いで。魔法で一気に跳ぶから」
そう言ってココノアが差し出した手をユキは不思議そうな顔で掴む。彼女は転移魔法を経験するのはこれが初めてだった。なるべく驚かせないようにと、ココノアは普段の半分くらいの距離に照準を合わせて転移した。
「あれっ、どうしてお空に浮いてるの!?」
「これがうちの魔法。でも手を離すと落ちるから、気をつけてなさいよ?」
「う、うん……?」
何が起こったのか分からずキョトンとするユキ。そんな彼女の反応を新鮮に感じつつ、ココノアは馬車へ向けて転移を繰り返していった。その途中、一瞬だけココノアの長い睫毛がピクリと動く。音に敏感なエルフ耳が遠くの異音を拾ったのだ。
「悲鳴と怒号……ロクな事してなさそうな感じね」
「どうしたの、ココノアお姉ちゃん……?」
「ううん、なんでも無い。今は戻って食事にしましょ。メルがお腹空かして待ってるだろうから」
見渡して見える範囲には何もなかったので、自分達には関係のなさそうだとココノアは見て見ぬ振りをした。降り掛かってきた火の粉でも無い限り、ユキを連れている状態で顔を突っ込むわけにはいかないと思ったからだ。それに帝国とはリギサンでの因縁もある。ただ、聞こえてきた音には助けを求める声も含まれていたので、彼女は後ろ髪を少し引かれる思いで馬車へと戻るのであった。
――丘陵での昼食後――
草原にレジャーシート代わりの敷物に広げ、メル達はバスケットを囲んでいた。リギサンから持参していた昼食を全て平らげた後、そよ風に吹かれながら心地よい食後の団欒を過ごす。
「いやぁ、アヴィさんの手作りパンは美味しかったのですよ! 挟まれたお野菜もシャキシャキで、ハムと良い感じにマッチしてましたし、是非また作ってもらいたいものです!」
「はは、そう言って貰えて婆ちゃんも喜んでると思うよ。ユキちゃんもお腹いっぱいになったかい?」
「うん、美味しかったよ! リンゴジュースも!」
レモティーがユキのために持参していた商品版リンゴジュースは大好評であった。まるでリンゴをそのまま食べているかのような濃厚な甘みにユキもすっかり夢中のようで、空になったコップを小さな舌で名残惜しそうにペロペロと舐めている。
「こら、お行儀悪いわよユキ。レモティー、まだジュースあるんでしょ? 出してあげたら?」
「うーん、あまり飲みすぎるとオシッコが近くなっちゃうだろうからさ。まだしばらく移動は続くから、水分は控えめの方がいいかなって」
「あっ、そういえば途中で手洗いに行きたくなった時の事を考えてなかったわ。男じゃないんだから、その辺で済ますわけにもいかないと思うけど、レモティーにはちゃんと考えがあるのよね?」
「えっ、特に何も考えてなかったけど……?」
レモティーの言葉を聞いて、深刻そうに眉を寄せるココノア。女性ばかりとは言え、道中の排泄をどう処理するかは深刻な問題である。どうしたものかと頭を悩ませる彼女の肩に、自信に満ちた表情のメルが手を置いた。
「大丈夫です、ココノアちゃん! 拭き取り用の紙はポーチにいっぱい入れて持ってきたので、いざとなったら物陰に入って済ましちゃえばいいんです。私も一緒に行きますから!」
「物陰って……いくらなんでも大人としての尊厳は持ちなさいよ! あと、一緒にってどういう意味……? まさか一緒にするの!?」
「もちろんです! 無防備になる瞬間って色々危ないですし、2人で行くほうが安全ですから! 私がしっかり見てるので、その間にココノアちゃんは安心してお花を摘んでくださいな!」
「えっ、見られながらすることになるの!? そ、そんなの無理! いくらメルにでも、そんな格好見せられるわけないじゃない!?」
この時、メルは自分が見張りをするから大丈夫という意味で言っていたのだが、ココノアは全く別の光景を想像してしまっていた。おかげで話がややこしくなる。
「むぅ……そんなに私と行くのが嫌なんですか! なら私はレモティーちゃんと行きますよ?」
「そ、それはダメ! 絶対ダメなんだから! 何されるか分かったもんじゃないし!」
「あはは……普段の行いのせいとはいえ、そこまで言われるとちょっと悲しくなるなぁ。まぁトイレが必要になったらボクが蔦でそれっぽい囲いを作ってみるから心配しないでよ。壁があれば安心はできるだろ?」
レモティーが提示した妥協案に、「それができるなら最初に言いなさいよ!」と詰め寄るココノア。こうして排泄問題は無事に解決したのだが、まだ彼女には気になる問題があった。それまで口にすべきか迷っていたものの、やっぱり共有しておこうと決めておもむろに話を切り出す。
「さっきユキを探しに行った時なんだけど――」
ココノアは遠く離れた場所から聞こえていた叫び声について説明をし始めた。その一部始終を聞いたレモティーは、荷台に置かれていた地図を拾い上げて皆に見えるように大きく拡げる。
「地図で確認してみようか。今いるのはこの辺だけど……やっぱり、村や集落らしきものはないね。となると、多分ココノアが聞いた声は何者かに襲われた旅の一団かもしくは難民ってところかな?」
「確かデクシア帝国ではクーデターのせいで都市部から脱出する人が多くいるって聞きました。ココノアちゃんが聞いた声も、そういう人達のものでしょうか?」
「恐らくはね。もしそうなら、魔物が出にくい街道沿いに移動していたはずだ。これから進む予定の進路とも合致するし、もし途中で見つけたら助けてあげよう」
レモティーはそう言って東の空を見た。目的地は帝国北東部にある大きな港町であるため、東へ続く街道を進むとココノアが声を聞いたであろう場所も必然的に通ることになる。ただ、いくら困ってる人がいるかもしれないとはいえ、リギサンを焼き討ちにされたレモティーとしては複雑な気分だろうとココノアは推察していた。
「……うちが言い出した事だけど、嫌なら無理に助けなくてもいいと思うわよ。レモティーがそれでいいならもう何も言わないけど」
「そっか……ココノアがこの話をすぐに言い出さなかったのは、ボクを気遣ってくれたからなんだね。ありがとう、でも大丈夫さ。爺ちゃん達に酷いことをした軍人達は確かに嫌いだけど、一般の人達に罪はないと思ってる。だから魔物や野盗の類に襲われていたなら、手助けくらいはするつもりだよ。それに――」
レモティーは一旦呼吸を置くようにして掛けていた眼鏡の位置を正すと、さらに言葉を続ける。
「帝国の内情を知っている人が居るなら早めに接触したいっていうのもあるかな。これから向かう先は帝国本土を経由していくことになるし、少しでも情報を集めておきたいんだ。特に帝都から逃げてきた人がいれば、どの道が危ないとかも分かるかもしれないだろ?」
「それも一理あるわね……でも、ユキはどうするの? あんまり残酷な光景は見せたくはないんだけど」
ココノアはそう呟くと、眠そうに欠伸をするユキの頭を撫でた。朝が早かった上にお腹が満たされたので眠気が出たのだろう。レモティーに花を見せたがっていた事などすっかり忘れ、彼女は身体を丸めて寝る格好になっている。
「この調子だし、しばらく馬車でお昼寝でもしてもらっておこう。現地に着いてからしばらく留守番を任せてもいいかな、ココノア?」
「いいけど、なんでうちが留守番なのよ。ユキを守るなら回復できるメルのほうが適任じゃない」
「現地でケガ人がいたらメルの回復魔法が必要になると思うんだ。あと遠距離攻撃の得意なココノアなら、ユキちゃんの隣に居ても襲撃者を撃退できるだろうしね。転移魔法でユキちゃんを安全な場所まで連れていける事も含めれば、ボクやメルよりも護衛に向いてるよ」
「ふぅん、レモティーのくせに合理的な事言うじゃない。いいわ、留守番しててあげる」
「うん、ココノアが居てくれるなら安心だ。やることも決まったし、そろそろ行こうか!」
3人はバスケットを片付けると、急ぎ出発の準備を始めた。ココノアとメルが車輪止めを外して、レモティーが休ませていた馬に手綱とハーネスを取り付けていく。彼女達は手早く作業を終え、東へ続く街道を辿り始めた。
「休憩できたから馬も元気いっぱいみたいだ。飛ばすから、みんな揺れには気をつけておくれよ!」
ココノアが悲鳴を耳にしてから、既にそれなりの時間が経っている。状況が大きく変化している可能性もあったので、レモティーは軍馬を勢い良く走らせて問題の場所へと急行した。一方ユキはメルが掛けた毛布にくるまって、幸せそうに瞼を閉じていたのだった。
――帝国北方地 街道近くの平原――
街道から逸れた草原では、帝都ウルズから逃げ延びてきた30人程度の難民達が怯えながら身を寄せていた。彼らは大勢の盗賊達に取り囲まれており、その場から動けずにいたのだ。一方、襲撃者の方は弱者達を取り囲んで勝ち誇ったように舌舐めずりをしている。
「しばらくここに張ってて正解だったぜ。こんな上等なカモがやって来てくれたんだからな!」
頭目の大男が血塗られた槍を地面に突き立てた。立ち向かおうとした者は既に亡き者にされており、その残酷な死の瞬間を見せつけられた事で残った人々も恐怖に縛られてしまっている。故に盗賊達の機嫌を損ねることがないようにと、抵抗せずに金品を差し出していたところだ。
「お頭、金目のものは大体回収できました。こいつら、かなり持ってましたよ。金だけじゃなく貴金属や高く売れそうな服も大量にありやすぜ」
「がはは、そりゃそうだろ! 帝都に済む連中は生粋の帝国人だからな。属国の民と違って、金持ちばかりだ。だからよ、貧しいオレらにお前らの財産を全部恵んでくれや?」
盗賊達は下品な笑い声をあげながら街道へと目を向ける。そこには高価な家財道具が乗せられている荷台がいくつも置かれていた。彼らは元々帝都で済むことを許されていた住民だけあって、多くが富裕層である。そのため荷車の数も多く、その護衛として腕の立つ者を数人連れていたのだが、人数差の前には無力であった。既に全員が事切れ、地面に伏している。
「なんでこんな事に……皇帝陛下も崩御されてしまうし、この国はどうなってしまうの……?」
「くそっ! 治安維持隊は何をしてるんだ! 早く我々を助けにきてくれ!」
絶望を突きつけられて嘆く難民達。彼らはまだ治安維持隊が救援に来てくれると信じていたが、内乱の混乱により国家としての機能が破綻している状況では望み薄だろう。一方でこれまで帝国本国に抑圧されていた属国出身の下位軍人や、傭兵崩れが略奪行為に転じるまでそう時間は掛からなかった。ここにいる盗賊団も、元々は強制徴用されていた属国民が反乱を起こして集ったものだ。
「こんな僻地に治安維持隊がくるわけねぇだろ! お前らは大人しく従ってればいいんだよ!」
「ひっ!?」
脅しとして撃たれた鋼鉄の矢が難民のすぐ近くの地面へと突き刺さった。身を守るものを持たず、普段着のまま逃げてきた彼らがそんなものを受ければ、簡単に命を落としてしまうのは火を見るより明らかだ。一方、盗賊達は正規軍にも負けない重装備を身に着けているため、全員で抵抗したとしても数分で鎮圧されるだろう。それほどに戦力の差は大きかった。
「あなた……! このままじゃカロンが……」
難民達の中央付近に、苦しむ我が子を心配そうに抱きかかえる女性がいた。栗色の長髪を束ねた彼女は、隣にいる夫へと子供の危機を訴える。カロンと呼ばれた男児はここに来るまでの道中で厄介な病に冒されており、高熱でうなされていたのだ。
「……オーレア、落ち着くんだ。俺が連中の気を引いて時間を稼ぐ。その間にカロンを連れて逃げてくれ」
そう言って、男は腰に携えた護身用の片手剣に手を伸ばす。彼は衣服こそ一般市民と変わらなかったが、稲妻の如き黄を宿した勇ましい短髪と精悍な体つきを有する元軍人でもあった。流石に一流の冒険者に比べると劣るが、腕に多少の憶えもある。
「合図は俺が出す。チャンスは1度しかない上に、あいつらの隙を作れるのは数秒が限界だろう。絶対振り返らずに、全力で走れ!」
だからこそ、この人数差では勝負にならないことは彼自身が一番理解していた。それでも愛する妻と息子を助けるには一か八かに賭けるしかないと覚悟を決める。
「無茶よそんなの……殺されるに決まってるわ。そんな事するくらいなら、このまま大人しく従ったほうがまだ……!」
「その考えは捨てるんだ! あいつらの目的が金品だけなら今頃荷車を奪って立ち去ってるはずだが、そうじゃない。大方、この場に居る者を捕まえて奴隷市場あたりに流すつもりなんだろう。カロンを生かすためにも、どうか俺のことは構わず逃げてくれ……!」
声を潜めてそう伝えると、彼は他の難民を掻き分けて前に出た。そして頼りない細剣を片手に、盗賊団の首領へ勝負を申し出る。
「俺は元帝国軍人だ。頭目であるアンタとサシで勝負がしたい! 俺が勝ったらこの場にいる全員を見逃してもらう!」
「あぁ? この状況でそんな戯言が通るとでも思ってるのか? ……だが威勢のいいヤツは嫌いじゃない。その度胸に免じて、その勝負を受けてやろう。名乗ってみろ」
大男はそう言うなり地面から槍を引き抜き、部下に手出し無用と目配せをする。難民達を囲んでいた盗賊達はいつでも制圧できるように武器を構えていたが、一騎打ちが始まると分かった途端一斉に両手を下ろした。帝国傘下にある属国のうち、北方では一騎打ちの文化が根強く残っている地域が多い。一騎打ちを挑まれた者が強者である場合は拒むことができず、周りの味方に加勢されることを恥としているため、盗賊達もそれに倣った対応をしたのだ。
「俺の名はビス=コクトス、元第四軍団の百人隊長だ」
「コクトス……帝国貴族じゃなさそうだな。だが一般民が前線指揮官まで出世してたって事は、相当腕に憶えがあんだろ? せいぜい楽しませてくれよ、竜槍のガルムと呼ばれた俺に退屈させない程度にはな!」
「竜槍……確か北方で名を馳せていた戦士の二つ名だったか。そんな強者でさえ、今や盗賊に落ちぶれているとは……まったく、この国はどうなってんだかな」
片手剣を握り締めると、ビスは身体の震えを抑えるべく深呼吸をする。つい最近まで菓子店を営んでいた彼が本気で剣を握るのは久方ぶりであった。いくら身体が剣術を覚えているとはいえ、鈍った腕で異名持ちの手練れに打ち勝つことが不可能であることは理解している。死の恐怖に足元が竦むが、それでも一家を支える父親としての矜持が彼を奮い立たせた。
(すまない、リセ……君を店で待つことも出来なかった上に、あの夜助けてもらった命をこんなところで投げ出すことになってしまった。だが俺はどうしても家族を守りたいんだ。もしこの先、オーレアとカロンに再会することがあれば、その時は頼む……!)
かつて自分達一家を救ってくれた恩人の姿を思い浮かべながら、ビスは剣を構えて突進した。体格差に加え武器によるリーチ差が圧倒的不利を呼ぶのを承知の上で、懐に飛び込む。
「がはは! 正面切ってとは、大した度胸だ! だがそれじゃオレには届かねぇ!」
ガルムの突き出した槍が衝撃波を纏って襲いかかる。それに対しビスは冷静にタイミングを合わせ、かつてリセがしたように剣先で相手の攻撃を逸し、その軌道を狂わせた。しかし彼女のように無傷というわけにはいかず、脇腹を掠った鋭い刺突によって鮮血が迸る。ガルムの持つ槍の頭には剣状の刃に加え、鉤のような突起も設けられていたため、見た目以上に攻撃範囲が広かったのだ。
「ぐっ! なんて威力だ……ッ!」
最強の生物である竜の爪を彷彿とさせる強力な一撃に、ビスは顔を歪める。しかし竜槍と呼ばれる所以はそれだけではない。ガルムは得物を一旦引っ込ませて、力を溜めるようにして身体を短く仰け反らせた。さらなる力技で相手を叩きのめすためだ。
「器用なことするじゃねぇか……だが、これならどうだ?」
その言葉と共に、巨体からは想像もできない俊敏な連続刺突が繰り出される。ビスは辛うじて剣で捌いたが、相手の攻撃レンジから離れることもできず、防戦一方になった。ガルムの攻撃は一撃一撃が竜の爪牙に匹敵する威力を秘めており、致命傷にならずとも太腿や肩に深い傷を刻んでいく。
「ぐぅ……!」
激痛に耐えきれず、ビスは口から呻き声を漏らした。こういう時、帝国式剣術の指南書では剣身で槍の穂先を絡め取り、先端を破壊する対策があったと思い出す彼であったが、とてもそんな小技を試せるような場面ではない。故に戦士らしくない搦手に頼ることにした。
――ザバッ!――
ビスは足元の土を蹴り上げて相手の顔へとぶつける。この辺りの土は表面が乾いているため、飛び散りやすかった。故に宙を舞った土は細かく分散し、目に入って視界を奪う。
「テメェ、汚ぇ事しやがって! 軍人じゃねぇのか!」
「悪いな! 今はただの菓子職人さ!」
ビスはガルムの手が緩んだ一瞬の間に踏み込み、その手元を斬りつけた。篭手で弾かれるのは分かっていたが、それでも他の部位よりも狙いやすく防御も一番薄い。金属同士がぶつかり合い、キンという高い金属音が周囲に響いた。
「クソがッ! 痛ぇじゃねぇかよ!」
全力で撃ち込まれたビスの斬撃を受け、ガルムは忌々しそうに叫びながら1歩後退りする。硬い防具で守られた彼の腕には腫れる程度のケガしか与えられていない。それでもビスにとっては十分であった。周囲の視線が自分に集中していたからだ。
「これだけ注目してくれたなら御の字だな……!」
横目で周囲の盗賊達の様子を見るビス。多くの者が一騎打ちに目を取られていることを確認して、彼は大声をあげた。
「今だ、逃げろォォォッ!」
その叫びにいち早く反応したのはオーレアだった。息子を抱えて草原を駆けていく彼女に盗賊達はすぐに反応できておらず、包囲は隙間だらけである。続いて他の難民が一斉に逃げ始めたので、場は騒然とし始めた。
「テメェ……これが狙いだったのか……!」
目元を拭って視界を取り戻したガルムは、怒り心頭といった様子で全身から殺気を滾らせた。ジェスチャーで周りの部下に難民を追うように指示し、槍を振り上げる。
「お遊びは終わりだ。その頭蓋を貫いて終わらせてやる!」
「まだだ、まだ……俺は終われない……!」
しかし、その言葉とは裏腹にビスの身体は既に満身創痍であった。抉られた部分は太い血管に近いところばかりで、大量の出血により衣服を真っ赤に染めている。さらに掠り傷だと思っていた脇腹の裂傷が内臓まで至っていたせいで痛みが酷く、足元もおぼつかない。剣を握ってその場で立っているのがやっとの状態だった。
「ごめんなカロン、もう菓子は作ってやれ無さそうだ……」
頭上に迫った槍を見て、ビスは死を悟る。そして最期に愛する妻を振り返った。視界に入ったのは離れていく彼女の背中であったが、その腕に抱かれた息子の顔だけは不思議とハッキリと見える。
「パパ……?」
カロンもまた母親の肩越しに父親の姿を見つめていた。熱により意識は朦朧としているが、それでも聡い彼は父に危険が迫っていると理解した。だからこそ精一杯の叫び声と共に、届かない手を伸ばす。
「お願い……パパを助けて……リセ……お姉ちゃん……!」
その瞬間だった、少年の悲痛な想いを聞き届けたかのようにして現れた桃色の少女が、風よりも疾くその場に駆け付けたのは。彼女はビスの額を穿とうとしていた槍へ飛び蹴りを放ち、真っ二つに圧し折った。突然の出来事にその場の誰もが驚き戸惑う。
「ダメですよ、こんな物騒なものを人に向けるなんて」
華麗に着地した後、振り返ってガルムを睨みつけたのはメルだった。レモティーと共に様子を見に来た彼女は襲われている難民達を目撃し、救助にやってきたのだ。まだ状況は十分に理解できていないものの、武装している暴漢達が逃げる人々を追いかける様子から、盗賊団がこの場における悪であることは理解している。
「な、なんだよこのガキはッ……!? おい、お前らこいつを何とかしろ!」
幼い少女とはいえ、鋼で出来た槍を単なる蹴りで破壊してしまった相手にガルムは怯んだ。その場から離れて急いで部下を呼び集めようとする彼であったが、その声に応じたのは数人だけである。既に盗賊の多くがレモティーにより身動き取れない状態にされていたからだ。行動阻害を得意とするハーヴェストにとって、敵戦力の無力化は朝飯前である。
「助かったのか、俺は……?」
命を取り留めたという安心感から、ビスはその場に膝をついていた。しかし傷口が酷く痛むため動きがぎこちない。歯を食いしばって耐える彼を心配したメルは、即座に回復魔法を施した。
「まずはそのケガを治しておきますね。身体治癒!」
メルの詠唱と共にビスの全身を優しい緑色の光が覆った。傷口はみるみるうちに塞がり、何も無かったかのように痛みも消えていく。アイリス聖教の癒やしの術を軍役時に受けたことがある彼であったが、それと比べ物にならないほどに即効性のある魔法を初めて経験し、目を丸くした。
「君は一体……何故助けてくれたんだ?」
「私はメル、通りすがりの冒険者です! 悪い人達に襲われていたみたいなので、お助けしますよ!」
そう言って盗賊達の方を向いたメルは、拳をポキポキと鳴らしながら彼らとの距離を詰める。一方、ガルムは残っていた部下を集めて全員で少女へ襲いかかる準備をしていた。
「何者かは知らねぇが、オレらの邪魔をしたからにはタダじゃ済まさねェ!」
部下から渡された新しい槍を手にしたガルムが、リベンジとばかりにメルへと襲いかかる。筋肉の塊で出来た太い両腕から繰り出される強烈な刺突を目の当たりにし、難民達は顔を覆った。幼い子供の身体に大きな穴が穿たれる残酷な場面を想像したからだ。しかし今盗賊が対峙しているのはただの獣人幼女ではない。ドラゴンゾンビや巨大ゴーレムすら屠ってきた類稀なる猛者である。
「ココノアちゃんが待ってるので、サックリ終わらせましょう!」
強面の大男達にメルは正面から応じた。首の鈴をチリンと鳴らして槍の穂先をひらりと躱すと、拳で槍を側面から叩き折り、ガルムの巨体ごと地面へと叩きつける。その直後、大地が割れるほどの衝撃が周囲に響き、拘束されていた盗賊達は顔を青くした。
「こいつ、よくもお頭をォォォォ!!」
「切り刻んでやるからなッ!!」
続いて襲いかかってきたのは盗賊2人組だ。それぞれ大型の刀剣と斧でメルを容赦なく斬りつける――が、彼らが斬ったのは残像であり、本体はその背後に回っていた。彼女は下着が見えるほどの大胆な回し蹴りをお見舞いし、盗賊達の身体を数十メートルほど蹴り飛ばす。錐揉み回転しながら飛んでいった彼らは全身の筋肉をズタボロにされたことだろう。
「ば、化け物かよ!? このクソガキがッ!!」
離れた場所からクロスボウを撃っていた男もいたが、その矢は全てメルに素手でキャッチされてしまっている。その挙げ句、一瞬で距離を詰められ、チョップで兜ごと頭部を変形させられて気を失った。こうして十秒も経たないうちに、メルは残っていた全員を仕留めたのである。
「凄い……まるであの時のリセみたいだ……」
圧倒的な力の差を見せつけて無双するメルの姿に、かつて同じように自分を助けてくれた少女の姿を重ねるビス。彼が唖然とした表情で目の前の光景を見ていると、メルの隣にオーレアを連れたレモティーがやってきた。
「この子が重い病気みたいでさ。メル、なんとかしてあげられないかな?」
「ええ、任せてください! 全状態異常解除!」
メルの魔法が発動したのと同時に、オーレアの胸に抱かれていたカロンの表情に変化が訪れる。苦しそうな表情は和らぎ、荒かった呼吸もしばらくして静かになった。子の身体から病が消え去ったことを察した母親は、涙ぐんだ表情で頭を下げる。
「ありがとうございます! 夫も助けていただき、なんとお礼を言えばいいのか……」
「俺からも礼を言わせて欲しい! 今はこうして頭を下げることしかできないが、いつかこの恩はお返しする……!」
ビスはオーレアの隣に駆け寄ると妻同様に深々と腰を折った。そんな彼らにメルは「困った時はお互い様ですよ!」と笑顔で応える。NeCOで辻ヒールを日課にしていた彼女にとって、道すがらの人々を助ける事は何ら特別なことではなかった。なのでこうして面と向かってお礼を言われると照れしまいそうになる。
「これで一件落着、かな?」
レモティーはメル達の様子を微笑ましく見守りながら、気絶していたガルム達を蔦で拘束していた。盗賊団は全員捕縛済みのため、一帯の安全は確保できたことになる。これで大丈夫とは思うものの、残してきたココノアとユキが気がかりだった彼女はメルに声を掛けた。
「一旦馬車に戻ろうかメル。これから帝都の話を聞くにしても、ココノアが居たほうがいいだろうからね」
「待ってください、レモティーちゃん。先に確認しておきたい事があるんです」
唐突に神妙な面持ちを見せたメルはそう返すと、ビスとオーレアの方を見上げて尋ねる。
「さっき"リセ"ってお名前が聞こえましたけど、詳しくお話を聞かせてもらえますか? ひょっとしたらその人、私達の知り合いかもしれないので!」
恩人の名に反応した少女を前に、ビスとオーレアは驚いた様子で互いの顔を見合わせた。




