047.奴隷船③
――奴隷船内部 船倉――
「うーん……確かに酷い状況だね、これは」
悪臭の漂う部屋でレモティーは唸った。ランプで辛うじて明かりは確保されているが窓の類いは一切なく、地底のように暗い上に湿気も溜まっている。元々は交易品や航海用の物資を保管しておくためのスペースであるため、部屋というよりも倉庫に近いのだ。また部屋の端に設けられた申し訳程度の便器からは糞尿が溢れて床に散らばってしまっているため、害虫が繁殖して非常に不衛生であった。そんな所に子供から大人まで100人以上集められているのだから、ここに閉じ込められる事自体が拷問にも等しい苦痛である事は容易に想像できる。
「あの連中がこれだけの人数をどうやって管理してたのか不思議だよ。ともかくボク達が釣りをしてた陸地まで連れて行こう。あそこなら陽当たりもいいし、東側へ登った所に湧き水が出ているからそこで飲料水や体を洗う水は用意できると思う」
「水があるのは助かりますね! でも海岸までどうやって連れて行きましょう? 私達が乗ってきた小船は1艘だけですし、かなり時間が掛かりそうですけども……」
困ったようにレモティーを見上げるメル。彼女が漕いできた船は小さく、出来る限り乗せたとしても大人6人が限界だった。囚えられていた人々をこの船から脱出させるだけでも相当な時間を要する。かと言って今乗っている船で海岸まで行くことは不可能だ。大型であるため座礁する可能性が高い。しかしレモティーには秘策があった。
「何も海を渡るのに船を使う必要はないのさ! ボク達にはNeCOのスキルがあるんだからね!」
彼女は赤いフレームの眼鏡を人差し指で正すと、自信に満ちた表情で説明を始める。
「まず必要になるのがココノアの魔法だ。確か水中呼吸の魔法を取得してたと思うんだけども、ここでも使えるかな?」
「あるわよ、潜水呼吸術でしょ? メルに無理やり取らされた産廃スキルだけど、スキルレベルは最大だから30分くらい持つはず」
「無理やりではなかったと思いますけど!?」
驚きながらも訂正するメルだったが、ココノアが覚えている補助魔法アクアラングは紛れもなく彼女の要望で取得したものだ。NeCOでは窒息ダメージを受ける水中ダンジョンがあり、探索するのに水中呼吸スキルが必要となるため、メルが是非にと取得を薦めた経緯がある。ただし同等の効果を持つ消耗品が別に存在していた上、最悪回復ポーションを連打していれば問題なかったので、貴重なスキルポイントを消費してまで取得するプレイヤーは少なかった。
故に攻略Wikiでは産廃スキル呼ばわりされていた不遇スキルだが、異世界において水中で呼吸できるアドバンテージは大きい。出来ることが一気に増えるからだ。そしてその恩恵を受ける事ができるのはNeCOプレイヤーだけでなく、この異世界の住人達も含まれるとレモティーは考えていた。
「メルの回復魔法が効くくらいなんだし、きっとこの人達もアクアラングによる水中呼吸が適用されるはずだ。この辺りは海流も穏やかだから、海の中を移動すれば船の問題はクリアってわけさ!」
「確かに溺れなくはなるだろうけど……泳げない人もいるんじゃないの? それに結構距離があるんだし、体力的な問題はどう解決するのよ?」
「ふふっ、そこでボクとメルの出番になるんだよ!」
レモティーは自分に任せろと言わんばかりに胸を叩いた。衣服の上からでもその形がくっきりと分かる大きな乳房がポヨンと揺れるのを横目に、ココノアは首を捻る。
「……どういうことよ? まさかこれだけの人数を海中で牽引するつもり?」
「そのまさかだよ! 前に見せたハーヴェストスキルの傀儡の糸は捕縛用だけど、使い方によっては他人を引っ張ることもできる。だからここの人達を互いに糸で結んでから、その糸を持ったメルに先頭を進んでもらえば、海岸まで運ぶことが出来るはずなんだ。尻尾と耳が濡れるのは我慢してもらわないといけないけどね……」
「ふぅん……理屈は分かるけど、それは無理じゃない? ただでさえ水圧が掛かってるのに、メルが泳ぐスピードで引っ張られてみなさいよ。普通の人なら圧死しかねないのが目に見えてるもの」
「確かに生身だと水の抵抗で酷い事になるかもしれない。でも安心してよ、ボクにはこれがあるからさ……捻れ蔦の護り繭!」
レモティーはメルに向かって手の平を向けるとスキルを発動させた。その直後、メルの足元から濃い緑色をした蔦が一斉に生え出て、その身体をすっぽりと隈なく覆う。土ではなく船を構成する木板から植物が茂る光景は、部屋に居た人々にも不可思議な光景として映っていた。
「レモティーちゃん、いきなり真っ暗になったんですけど!?」
緑のカプセルからメルの声が響く。太くしなやかな蔦は互いに絡み合っており、分厚い鋼鉄板にも負けない強固な防護結界を形成していた。このツイステッドプラントはハーヴェスト専用の防御スキルであり、一定のダメージ値までなら肩代わりしてくれる性質を持つ。NeCOではボスの強力な攻撃を凌ぐのに活用される防御技であるものの、見下ろし視点であったゲーム画面と違いこの異世界では視界が遮られるというデメリットがあった。そのため実戦では使いづらいが、レモティーが提案したように他者を保護するだけであれば十分な効果が期待できる。
「あはは、ごめんごめん。NeCOでは気にならなかったけど、実際に使ってみると周りが見えなくなるせいで使い勝手は悪いんだよこれ。でも防御効果は十分だから、これで水圧も気にしなくていいはず!」
レモティーが指をパチンと鳴らすと蔦があっさりと解かれた。繭から出てきたメルは急に閉じ込められた事に不満そうな表情を見せながらも、「丸呑みにされた気分を味わいたい時にもいいかもしれません」と冗談を言って場を和ませる。一見場違いにも思えるやり取りであったが、これまで同胞達がうわ言のように呟く「逃げたい」「帰りたい」といった言葉しか聞いていなかった奴隷達にとって、それは久しぶりに耳にした日常の談笑であった。虚ろな瞳に希望と言う名の灯火がほのかに輝き始め、今まで顔を伏せていた者達も少女達へと視線を移し始める。
「さてと、今の話はみんなも聞いてくれてたよね? ボク達はこの船から君達を助けにきたんだ。しばらくの間、窮屈な思いをさせるかもしれないけど自由は保障するよ。こちらの指示に従って欲しい!」
人々の雰囲気が変わったことに気付き、レモティーが声を張り上げた。その言葉に半信半疑な者も多かったが、徐々に立ち上がり彼女の元へと歩み寄る。
「……本当に、逃してくれるのか?」
「でも、あの奴隷商達が簡単に見逃すとは思えないわ。どうやって逃げるの?」
沈黙を守っていた奴隷達が次々に口を開いた。無駄口を叩けば飛んでくるのは叱責の鞭か棍棒であったので、これまで頑なに喋ろうとしなかった彼らだが、近くにならず者がいない事を知り安心したのだろう。小さな子供までもがレモティーへと駆け寄り、助けを求めた。
「ぐすっ、お母さんのところに帰りたいの! だからお願い! お母さんのところに、連れて行って!」
手入れされずボサボサに伸びた真っ白な髪を振り乱しながら獣人の少女が懇願する。メルやココノアよりさらに幼いであろう女の子が、親と離れ離れにされた上に奴隷としての生活を強いられていたという現実――それを目の当たりにしたレモティーは、自分の事のように辛く感じていた。狐に似た彼女の耳を優しく撫でながら、少女の願いを叶えてあげようと決意を新たにする。
「ああ、勿論だとも……必ず故郷にまで送り届けてあげるよ!」
「ほんとに……? ありがとう、お姉ちゃん!」
「お姉ちゃん!? ああ、なんて甘美な響きなんだろう……!! ボクはレモティーっていうんだ、レモティーお姉ちゃんって呼んでくれていいからね!」
愛らしい幼女にお姉ちゃんと呼ばれ、嬉しそうに鼻息を荒くするレモティー。そんな彼女の隣でココノアは肩を竦めた。
「まったく……勝手にそんな約束して! 大陸を渡ってきた船なのに、どうやって送り届けるっていうのよ……まぁ乗りかかった船だから、最後まで付き合ってはあげるけど」
「あ、上手い事言うじゃないですかココノアちゃん! ちょうど私達が乗ってるのはお船ですもんね!」
「なっ……!?」
感心しているメルから視線を逸らせるようにしてココノアは顔を背けた。そんなつもりで言ったわけではないのに、勝手にダジャレ認定されてしまったのが恥ずかしかったのだ。
「と、ともかく! やり方も決まったんだし、とっとと移動の準備を始めないと! もうお昼は過ぎてるから、早くしないと日が暮れるわよ?」
「そうだね。それじゃあみんな、ボク達の言うとおりにしてくれ! 今から船を出て、近くの海岸まで移動するから、1人ずつ落ち着いて行動してほしいな!」
捕らえられていた人々はレモティーの声に素直に従い、その指示を忠実に守った。苦しみから開放される千載一遇のチャンスを得た彼らであったが、我先にと和を乱す者は1人もいない。この薄暗い船内で長く苦しい奴隷生活を共に過ごしてきた事で、人々の間にはある種の連帯感が生まれていたのだ。逃げるのであれば皆一緒に――そんな心の繋がりのおかげで大きな混乱もなく、脱出準備はスムーズに進むのであった。
――半時間後――
船尾にある大きな窓が開け放たれ、船倉から2階程度上がった室内には心地よい風が通っていた。眼前に広がる穏やかな海は奴隷達とって鬱屈した日々からの解放を期待させたが、海面からは距離があり高所恐怖症の者なら窓から顔を出すことも出来ないことだろう。だが船から脱出するためにはここから飛び降りる他なかった。多くの者は既に脱出した後であったが、まだ身を投げ出す覚悟がついていなかった若いエルフの男は窓の隣に立っていたレモティーへ恐る恐る尋ねる。
「本当に、ここから飛び降りろと言うのか? 下手したら死ぬのでは……?」
「大丈夫、安心してよ。ボクが魔力で作った蔦で君を包み込むから、落ちても衝撃は吸収されるはずだ。海に落ちたらメルがみんなをまとめて海岸まで引っ張るから、それまでじっとしてくれればいいだけさ」
レモティーの説明にエルフの青年は不安そうな表情を浮かべた。一通りの手順は事前に聞いているが、彼女が話した魔法は聞いたことのない術式ばかりで信用に足らなかったのだ。それに水を苦手とする猫の獣人が総勢120名の奴隷を引っ張って海岸まで泳ぐという話も信憑性がない。あらゆる要素に不信感を募らせた彼が、脱出案を実現不可能な絵空事にしか思えなくとも当然ではあった。しかし、だからといって船に残ってしまえば確実な死を迎える事になるのも事実である。
「……分かった。君達を信じよう。よろしく頼む」
迷いを掻き消すように瞼を閉じると、男は深々と頭を下げた。自分達の事を信じてくれた彼に向けてレモティーは力強く頷く。
「捻れ蔦の護り繭!」
スキルの詠唱と共にエルフ青年の身体を蔦が覆った。ラグビーボールのような流線型の楕円を描いた緑の繭にレモティーが手を触れて糸を付けると、それに引っ張られて彼の身は海へと吸い込まれていく。しばらくしてバシャンという入水音が響いたのを確認してから、レモティーは次の脱出志望者へと顔を向けた。
「最後はユキちゃんだね」
「うん、お願い……レモティーお姉ちゃん!」
腰まで届く真っ白な髪と狐耳、そしてモフモフとした太い尻尾を持った少女がレモティーの前に立つ。彼女は船倉で母親に会いたいと訴え出た獣人族の子供であり、自身の事をユキと名乗っていた。垢で茶色く薄汚れてはいるが首筋から見える素肌はココノアと同じくらいに白く、鮮やかな黄色に染まった瞳も美しい。また幼いながらも容姿は整っており、メルに負けず劣らずの美少女であった。
(こんな女の子ですら奴隷にするなんて、なんて酷い連中なんだ……!)
労働力にはならないであろう幼女が拐われてきた理由を何となく察しつつ、レモティーは彼女の頭を撫でる。そして「少しの間の我慢だからね」と優しげに囁くと、スキルを発動して小さな繭を作り出した。
「さ、行っておいで!」
魔力で出来た傀儡の糸に引っ張られ、繭が海へと吸い込まれていく。これで捕まっていた人々は全員脱出することができた。薄暗い船内に残ったのはレモティーと、脱出者に水中呼吸の魔法を付与していたココノアだけである。
「あとはメルに任せりゃいいわけね。で、うちらはどうするの? 甲板に縛り付けてた連中を放っておいたら逃げる可能性もあるけど」
「解放された人達を怯えさせるかもしれないから、彼らはここに置いていこう。まずは助け出した人達を無事に保護するのが先決さ。あと、ボクにも水中呼吸の付与を頼むよ」
「ほいほい……潜水呼吸術っと」
ココノアの魔法が発動し、レモティーの身体を青いオーラが包み込んだ。水中呼吸状態であるかどうかはこのオーラの有無で判別できる。これまで送り出してきた元奴隷達も全員、体の表面が薄い膜で覆われていた。
「ありがとう! ボクは念の為に脱出した人が糸から外れて海中に置き去りになっていないかチェックしていくよ。ココノアは転移魔法で先に海岸まで飛んでいってくれるかな?」
「うん。メルの事も心配だし、先にあっちに行っとく。ところで1つ聞きたかったんだけど、レモティーの蔦で身体が覆われてたんなら、別に水中呼吸が出来なくてもいいんじゃないの? ちょっとくらいは息できるんでしょ、あの繭の中なら」
「あぁ、それなんだけどさ……実はあのスキル、NeCOだと窒息ダメージが貫通してたんだよね。だからこっちでも密封されてないんじゃないかなって思ってさ」
レモティーの回答に「へぇ、よく観察してるじゃない」と呟くココノア。直接発生するダメージは防げるものの、スリップダメージは何故か肩代わりできないという仕様の穴を把握した上でアクアラングを活用したことを彼女は素直に感心していた。NeCOの知識においてレモティーは頭1つ飛び抜けており、歩く攻略wikiと言っても過言ではない。口ではロリコンだの変態だのと罵る事が多いが、ココノアもメル同様にレモティーのことは頼りにしている。
「それじゃ、海岸で待ってるから」
そう言い残すと、ココノアは杖を構えて窓から勢いよく飛び出した。そして転移魔法を無詠唱で連続発動し、宙を舞うようにして飛翔する。その姿を見送ったレモティーもまた窓から身を投げ出し、海中を移動する繭の後を追った。
――海岸の浜辺――
メル達が最初釣りをしていた岩場から少し東へ移動したところに位置する静かな砂浜――そこに全身を揺らしながら水しぶきを撒き散らす少女の姿があった。
「水中で呼吸はできても、服や髪が濡れるのは防げないんですね……」
トホホ顔で自分の尻尾から大量の海水を絞るメル。桃色に輝く毛並みの良い尾は水に濡れてペチャンコになってしまっていた。いつもなら風通しの良い所で陽を当てて乾かすところだが、今回はそういうわけにもいかない。その先端に元奴隷達の命綱とも言える糸が結び付けられていたからだ。
「さて、引き寄せますか!」
尻尾から目に見えないほどに細い糸を手繰り、ぐいぐいと引き寄せていく。120人を結んだ糸には水の抵抗が掛かっているため相当な重さを持っていたが、怪力を持つメルにとっては大した負荷ではなかった。しばらくして地引網に掛かった魚のように、緑色の繭がいくつも砂浜へと打ち上げられた。
「これでラスト……よいしょっと!!」
元気のよい掛け声と共に最後の小さな繭が陸地へ辿り着く。繭の個数はカウントしていたので、メルは全員が到着したことを把握できていた。誰1人として欠けることなく脱出させる事ができたと、彼女は口元から八重歯を覗かせる。
「やったー! レモティーちゃんの計画通りなのですよ! これで後は蔦を解除してもらうだけですね!」
責任重大な任務を全う出来た喜びをメルがバンザイで表現していると、上空から小さな影が降り立った。ココノアが転移魔法で海を渡って来たのだ。
「嘘っ、もう到着してるじゃない!? しかも繭も引き寄せ済みなんて、一体どんな速度で泳いできたのよ……?」
「えっ、普通に泳いできただけですけども……?」
驚くココノアに対して不思議そうに答えるメル。田舎育ちである彼女は子供の頃、気温さえ高ければ毎日と言ってもいいほど川へ出掛けていた水泳少女だった。本人にとっては遊びの一環であったが、怪我で出られなくなった水泳部員の代わりに出た大会では最高タイムを大幅に縮めて優勝した逸話も残している。地元では密かに"清流の人魚姫"と呼ばれていた彼女が素早さと筋力に優れる"メル"の肉体を得たことで、その泳ぎ速度は魚すら凌駕する領域に至っていたのだ。そんな事を知らないココノアからしてみれば、メルの方こそ転移魔法を使ったかのように思えてならなかった。
「いやいや普通ではないでしょうよ……って、まさか後ろに人いるの忘れて全力出したんじゃないわよね? もし糸が外れてたとしても、レモティーが拾ってくるとは思うけど……」
「だ、大丈夫ですよ! きちんと後ろの人達が繋がってるのを確認しながら泳いでましたし、それに人数と同じだけの繭があるのは確認しました! 念の為にココノアちゃんも数えてみてくださいな!」
メルに促されてココノアが海岸を見渡す。1つ1つ丁寧に数えた結果、送り出した数と同じだけの繭が陸地に到着している事が分かった。海水のせいかすこし萎びて見えるものの、ごそごそと揺れている事から中身が無事なのは分かる。
「確かに全員揃ってたわ。レモティーが来るまで待ってるだけなのも時間がもったいないし、もうちょっと足場のいいところまで移動させておこうよ。足元が濡れてると歩き難いじゃない?」
「それもそうですね。私がみなさんを乾いた砂のところまで運びますよ!」
メルはそう言うなり波打ち際にあった繭を持ち上げ、少し高台になる場所へと運搬し始めた。やせ細った人々ばかりとは言えそれなりの重量があるはずだが、まるでクッションを抱えるような軽い動作で運んでいく。獣人特有の優れた代謝により体温が高いせいか、全ての繭を運び終わる頃には彼女の服もすっかり乾いていた。
――バシャン!――
不意に海から金髪の女性が姿を現した。豊満なボディラインを強調するかのように張り付いた衣服が艶めかしい雰囲気を醸し出しており、メルとココノアは声を揃えて「凄い事になってる……」と呟く。
「はぁはぁ……ようやく着いたよ……」
海から上がってきたのはレモティーだった。メルほどではないものの、ステータス上の筋力や体力が高水準である彼女であっても長距離の潜水は疲れたようで、すっかり息を切らせていた。濡れた髪を気怠そうに整えながら繭の並んだ場所までやってくる。
「ありがとう、メル。全員無事に連れてきてくれたみたいだね。それにしても、こういうときのために水着は1着くらい作っておいたほうがいいって実感したよ……」
新緑色に染まったレース付きのワンピースはビショビショに濡れており、レモティーの肌に張り付いて離れなかった。着心地が悪いのかしきりに服をひっぱりながらも、彼女は指をパチンと鳴らして蔦による防護の術を解除していく。繭が解かれた事で中に入っていた者達に温かい太陽の光が降り注いだ。
「ああ……本当に、自由になれたのか俺達は……」
「あの忌々しい船から出られるなんて、夢のようだわ!」
久方ぶりの陸地を踏み締め、口々に歓びを分かち会う元奴隷達。そんな彼らを眺めながら、レモティーは安堵の笑みを浮かべていた。提案した移動方式には自信があったし、もし最悪の事態が生じてもメルの回復魔法でフォローできるとはいえ、失敗するリスクはゼロにできない。だから内心少しドキドキしていた部分はあった。そんな彼女の様子を見て心情を察したのか、ココノアが声を掛ける。
「うまくいって良かったわね、レモティー。あの防御スキルにこういう使い方があるなんて想像もしなかったけど、こんなに上手く行くんだから大したものよ。少しだけ見直してあげる」
「あはは、お褒めに預かり光栄だよ。でもココノアの魔法がなければこの作戦は無理だったと思う。みんなの服が濡れてるあたり、やっぱり完全に密封できてたわけじゃないみたいだから、水中呼吸無しだと溺れてた人もいたはずさ。感謝してる、本当に」
レモティーはココノアに向かって微笑んだ。その言葉が示すように、奴隷船からの脱出劇は彼女達のスキルが上手く噛み合ったからこそ達成できた偉業だろう。ハーヴェストのスキルで作られた蔦のカプセルは凄まじい水圧から中に入った人を保護していたし、頑丈な魔力の糸も切れることなく彼らを海岸まで引っ張っる役目を果たしたが、ココノアの補助魔法がなければ水中輸送という力技は成立しなかった。
「……とはいえ、まだ課題はあるから気を引き締めないとね」
喜ぶのも程々に、次のステップを頭の中に描くレモティー。救った人々をリギサンで保護するためには断崖絶壁の急斜面を登っていく必要があった。しかし子供も含めて120人もいる彼らを安全に連れて行く事は難しい。リギサンに駐留している王国軍の助力を得られれば移動用の馬車を貸出してもらえるかもしれないが、そもそも馬車が通れるような道がなかった。
「この人達を今日中にリギサンへ連れて行きたいんだけど、何かいい方法はないかな? リギサンまでのまともな道が無い事を考えると、一番可能性があるのはココノアの転移魔法を使う方法なんだけども……」
「無茶な事言わないでよ。転移魔法は慣れてないと手を離しちゃって落ちる可能性があるし、この人数を往復しながら運ぶとなると頻繁に休憩することになるから、3日くらいはかかるんじゃないの」
呆れたようなココノアの返事に「そっかぁ……」とレモティーは肩を落とす。しかしメルは違ったようだ。自分達に出来ないことなど無いと言わんばかりの輝きに満ちた眼差しを彼女達へと向けた。
「道がなければ作っちゃえばいいのです! 地形を変えるのはココノアちゃんの十八番なんですから!」
「何言ってるのよ、メル……? ひょっとして魔法で道を作れって言ってるの!?」
「はいっ! ココノアちゃんの魔法なら山の一部を平らにするくらいは余裕でしょうし、レモティーちゃんが山の上に畑を拓いた時みたいにして土を整えれば、簡単な道ができるじゃないですか!」
想定外の発言にココノアとレモティーは目を点にする。確かに新生魔法の破壊力であれば断崖を抉ることもできるが、それを利用して土木工事を行うなど前代未聞だ。しかしメルは彼女達なら出来ると信じて疑わなかった。
「この海岸からリギサンまで直通する道を作っちゃいましょうよ! そしたら海に訪れやすくなりますし、村の人たちも喜ぶと思います!」
「それはそうだけどさ……リギサンから海までの高低差を考えるとちょっと現実的じゃないというか……」
「それについては私にも案があるんです。日本でたまに見かけましたけど、グルグルと迂回するループ道路みたいなのをつくれば傾斜は緩くできるんじゃないでしょうか。ここにコンクリートや鉄筋はないですけど、木の枝や蔦を操って土砂を補強すれば、そういうのも出来ますよね?」
「そりゃ出来ないことはないだろうけど……ココノアはどう思う?」
「んー……」
意識を集中させるべく瞼を閉じたココノアは、メルの言った内容を実現するための案を頭の中に描く。最初は突拍子のない発言に戸惑った彼女だが、冷静に考えた事でゴールへたどり着くための道筋が見えてきたようだ。しばらくして考えを整理した後、それを言葉へ変換し2人へ説明してみせた。
「やれるかやれないかで言えば……やれるわね。東側にある迫り出した大きな岸壁を使って道を作るのよ。転移魔法で空中から壁に道を刻むように爆破すれば、土やら砂を運んで盛土を作る必要もないでしょ。ただ崖の一部にはトンネルを掘ってループ状にする必要があるから、新生魔法だけじゃ天井や路面までケアできない。そこはレモティーに任せないと無理だけど、今から超特急でやれば夜までにはギリギリできる見込みはあるんじゃない?」
「なるほど、この海岸から崖際を回るようにしてリギサンへ至る道を作るわけか。確かに崖の岩盤なら頑丈だから削るだけで道になるし、トンネルを掘って螺旋構造にすることも容易いね。この工法なら最低限の掘削だけで済むかもしれない……滅茶苦茶大変だろうけども!」
「流石ココノアちゃんとレモティーちゃん、イメージがバッチリ浮かんだみたいですね! それじゃ、道を作る案でいきましょう!」
ニッコリと微笑むメルに押し切られてしまい、レモティーは「仕方ないなぁ」と苦笑いした。急勾配を緩和するためとはいえ、山岳地帯に螺旋状の道を敷設する土木工事はどうやっても難航必死だ。もし同じ事を現代日本でやろうとすれば、億単位の資金と数年の工期を要してもおかしくはない。だがここは異世界――法規制もなければ面倒な申請も不要、そして無尽蔵に魔法が使える何でもありの理想環境だ。やってやれない事などない。
「……あ! そうだ、あれを使いましょう! 簡単な図面くらいはあったほうがいいでしょうから!」
メルはいつぞやトルンデインで購入した魔法画材をポーチから取り出すと、それをココノアに手渡した。スケッチブック程度の白板を片手で持ったまま扱うのは難しかったため、ココノアは一旦地面へと置いてから付属のペンを手に取る。
「全く……うちは図面描きじゃないってのに」
リギサンから見下ろしていた海までの景色や途中に通ってきた場所を思い出しながら、すらすらと筆先を走らせるココノア。深い森に住むエルフが先天的に体得している空間認識能力に加え、プロのイラストレイターとしての表現力を遺憾なく発揮した彼女は、あっという間にキャンバス上へ施工案を描き上げた。
「うん、ボクのイメージとも一致してるよ。早速取り掛かろうか!」
ココノアの絵は概略図レベルの内容であったが、レモティーが脳内に描いていた造形ともほぼ一致している。認識に相違が無いことを確認した彼女は時間が惜しいとばかりに作業に取り掛かろうとしたが、唐突にメルが引き留めた。
「あ、待ってくださいレモティーちゃん。助けた人達にお食事を提供したいので、お野菜とか果物を作ってもらえます? できればそのまま食べられる感じの奴を!」
「ああ、すっかり忘れてたよ! それじゃ高速栽培のスキルで作ってみるから、預けておいた種瓶を貸してくれるかな?」
そう言われてメルはポーチから植物の種が詰まった瓶のセットを取り出した。小さなガラス瓶の表面にはラベルが貼られており、白菜やトマト、リンゴ等の名前が書かれている。どれもレモティーがリギサンで栽培していた植物から採取されたものだ。その瓶からいくつかを選んだレモティーは、小さな種を手にとって砂浜へ向けてばら蒔いた。
「土じゃなくて砂だし、塩分もあるから上手く育たないかもしれないけど、スキルを使えば……!」
しゃがみ込んで足元に広がる砂地に両手を添わせた彼女は、蒔いた種へ向けて魔力を流し込んだ。ハーヴェスト専用スキルである高速栽培の効果が発動し、時間や条件を無視した急成長が促される。
――メキメキメキ……――
録画された映像が高速再生されるかの如き様相で地面から植物が伸び、瞬く間に立派な果樹や野菜がいくつも連なった。勿論それだけではなく、それぞれが美味しそうな実をつけており、食べ頃を迎えている。モモ、リンゴ、トマト、バナナ、スイカ――リギサンどころかエリクシア王国内でも栽培されていなかった物が含まれているが、それらはレモティーが品種改良のスキルで生み出したものだった。
「これこそチートだわ……」
「そうですね……」
高塩濃度のせいで植物が育ち難いはずの海岸に突如として現れた果樹園。それを目の当たりにして唖然としていたのは2人だけではない。他の人々も目を丸くしてその光景を眺めていた。
「ボク達も昼食をすっかり食べそびれてたし、少し休憩していこう。道を作るのはそれからだ!」
レモティーからツヤのある美味しそうなリンゴを手渡され、豊穣の乙女という異名が伊達ではない事を実感するメルとココノアであった。




