046.奴隷船②
奴隷を輸送している船舶へ向かうべく、メル達は襲撃者が使っていた小舟を1艘拝借して海上を進んでいた。船には動力も帆も取り付けられていないため、長細いテニスラケットのような木製パドルで手漕ぎする必要があったが、メルの怪力により推力は問題なく確保できている。凄まじい水しぶきをあげながら、小舟はエンジン付きボートにも負けない速度で風を切っていた。
「ねぇ、これ水上バイクくらいの速度出てない……? 船が耐えられる設計になってるか怪しんだけど!?」
「あはは……確かに凄い速度だね! でも乗る前に植物の根を張り巡らせて小さな穴を埋めたり、弱っていたところを補強したりはしたから大丈夫だと思うよ」
船首が浮くほどの速度で突き進む小舟に四つん這いになってしがみつくココノア。とてもこの規模の小さな船が出せる速度ではないため、不安そうな表情を浮かべていた。一方その後方ではメルが元気よくパドルを猛回転させており、ぐんぐんと海岸線が遠ざかっていく。
「……そういえばあの連中、あれで放って置いていいの?」
海岸の端に見える大きな木を振り返ってココノアが呟いた。彼女達を拐かそうとした不埒な男達は全員、その大木に仲良く縛り付けられている。事が終わった後にリギサンに滞在している王国軍に突き出すためだ。なお新生魔法によって腕を吹き飛ばされた者もいたが、メルが回復魔法リカバリーを使ったので完全に元通りになっている。しばらく放置しても死ぬことはない。
「うん、手足も縛っておいたし自力では抜け出せないはずさ。それにしても触れただけで回復魔法が発動するようになるのはある意味便利だね。コラプス・オブ・ロウも案外悪くないんじゃないかな」
「えへへ、そうですかね? 普通に魔法を唱えるのと違って遠くからは掛けられないですけど、しばらく持続するので詠唱速度の遅い私でも短時間で沢山使えるのは便利かもです!」
そう言ってメルは口元を緩めた。彼女がリカバリーを唱えた際、コラプス・オブ・ロウを切り忘れていたために魔法効果は直接対象に発生せず、両手へと付与されたのである。魔力を宿して淡く輝くその指先が男の失われた右手付近に重ねられた瞬間、失われていた神経や筋肉が植物の根のように伸びていき、何事もなかったかのように元の形状を取り戻す――そんな奇跡の如き光景を目の当たりにした暴漢達は、揃って顔を引き攣らせた。一部とはいえ肉体の復元を瞬時に行う術はこの世界において理外の領域である。それを触れただけで軽々とやってのけた獣人の少女に対して、彼らは得体の知れない恐怖を抱いたのだ。それ以降、男達は上陸時の様子からは想像できないほどに大人しくなり、木に括り付けられた際も暴れる素振りを見せていない。船にいる連中も同じような腑抜けばかりなら楽なのに、と思いながらココノアは帆船へと目をやった。
「……あっ、甲板に見張りっぽいのが数人いるじゃない。騒がれても面倒だし、うちの魔法でやっつけとく? 弓矢貸してくれたら狙撃もできるけど」
「この距離ならもう見つかってるんじゃないかな。ま、元々あっちはボク達を売るための奴隷にしようと思ってたくらいなんだから、いきなり攻撃を仕掛けてくる事もないと思う。それに最初から警戒されると捕まっている人を盾にされてしまう可能性もあるから、ここは正面から乗り込もう」
レモティーの提案にメルとココノアは頷く。その後、帆船の近くでスピードを緩めた小舟は中央付近に垂れ下がっていた縄梯子の真下へと回った。幸い甲板にいる男達からの妨害はなく、彼女達はすんなりと船のデッキへと上がることができたが、そこには数十人に及ぶならず者達が待ち構えていた。周囲をぐるりと囲まれているため逃げ道はない。
「オレ達の仲間はどうした? どうしてお前らだけがここに来たんだ?」
凄みを利かせた声と共に、ひときわ大きな体格を持つ人間族の男がメル達の前に出てきた。無数の蛇を思わせるロープ状の毛束を生やした彼の髪型は王国内では見かけない造形であり、異国の空気を感じさせる。また、自分の肉体に自信があるのか彼は厚い胸板と割れた腹筋を見せつけるようにして上着をはだけていた。左腰にカットラスに類する舶刀を携え、漆黒に染まった古風な銃を獲物へ突き付けるその姿はさながら海賊船の船長のようだ。
「チッ……だんまりか。まぁいい、無理矢理にでも吐かせてやるからよ」
様子を伺っているメル達に痺れを切らした男は銃へ魔力を流し込んだ。側面に埋め込まれていた赤銅色の宝玉が光を帯び、銃の使用者にしか認識できない鈍色の泥塊が少女達の足に纏わり付く。彼の使う武器は行動阻害の術式を付与する機能を併せ持っていたのだ。
(今、何か仕掛けてきた気がする!)
足元に感じる微かな違和感にメルは眉を寄せた。男が何らかの方法で動きを緩慢にする鈍足の状態異常を付与してきたことは彼女も察知している。だがあらゆる状態異常に対して耐性をもつカーディナルにそれは無意味な行為だった。何か魔法のようなものを掛けられたという感覚だけが残ったが、その効力自体は既に失われている。
(ともかく、この人が船を取り仕切ってる人と見て間違いなさそうかな?)
メルは先手を打ってきた巨漢がこの集団のリーダーであると判断した。なぜなら周囲の者達は彼より前に出ようとせず、まるで飼い主の指示を待つ犬のように従順だったからだ。武器こそ構えているものの一方的に襲いかかってくる様子はないことから、レモティーの読み通り奴隷として無傷で捕らえる事が目的なのだろうと推測する。
(捕まえるために鈍足状態にしたんだろうけど……私達にはあまり影響がないし、これ以上様子を見る必要はないよね)
自身は勿論のこと転移魔法が使えるココノアや、移動せずとも植物を操って攻撃と防御が可能なレモティーに対しても鈍足の効果は薄い。特段の問題がないことを把握した上で、彼女はストレートに目的を伝えることにした。
「私達はこの船で捕まっている人達を助けに来ました! 海岸にやってきたあなた達のお仲間さんには、仲良く日向ぼっこしてもらってますから心配無用です!」
「……あぁ? お前らみたいな女子供に、オレの子分がやられたっていうのか?」
銃を持った男は自分の部下達を倒したと豪語する少女を鋭い目付きでしばらく睨みつけていた。だが彼の前にいるのは幼い獣人娘とエルフの少女、そして線の細い人間族女性だけである。屈強な荒くれ男の集団を何とかできるような組み合わせには到底見えないだろう。面白い冗談だとばかりに、吹き出すようにして笑い始めた。
「クハハハ!! オイ聞いたか、野郎共! こりゃ傑作だよなぁ!」
その声に同調するように周囲の男達も下品な笑い声をあげる。子供の戯言としか受け取られていないことに腹を立てたメルは、ムスっとした表情でその様子を見つめていた。ひとしきり笑い終えた後、大柄の男は急に真顔に戻って彼女の額へと銃口の狙いを定めた。
「ふぅ……こんなに笑ったのは久々だぜ。だがな、冗談はその辺にしておけよ? 亜人のガキ如きがオレらに勝てるわけねぇだろ」
「ガキにこれ以上聞いても無駄ですぜ。とっとと捕まえて船倉に押し込んでおきましょうや、プラガの親分。どうせアイツら別の女捕まえて楽しくやってんですよ。前も村娘を捕まえて好き勝手してたじゃないっすか」
「チッ……そんな事もあったな。帰ってきたらアイツらはサメの餌にしておけ。オレの仕事は終わったから、後はお前らに任せるぞ」
隣にいた部下に対して舌打ちすると、プラガと呼ばれた男は背を向けてメル達から離れ始める。魔道具を発動させた時点で彼の目的は半分達成されており、残りの半分である部下の行方についても見当がついたことから、自身の役目は終わったと判断したのだ。欲望を持て余した部下が商品に手を出す事はこの船では珍しいことではなく、今回もそのパターンだと彼は思い込んでいた。
「多少手荒なことも許すが、身体に傷はつけるなよ。そいつらは高く売れそうだからな」
「親分の魔銃が効いてるなら楽なもんですぜ、あっしらに任せてくだせぇ。とは言っても、亜人のガキ如きなら親分の手を借りるまでもねぇと思いやすがね、ヒヒッ」
プラガの指示を受け、メル達を取り囲んでいた男達が詰め寄る。奴隷の捕獲と売買を生業にする彼らにとって、女子供を脅しつけて捕らえることなど造作もなかった。特に相手が亜人の子供であれば尚更だ。獣人族やエルフ族に代表される亜人達は人間族よりも魔力や筋力に優れる一方で、成長の遅さが致命的な弱点だったからである。30年近く生きていても人間族の子供程度の力しか持たないため、力で簡単に支配する事ができた。デクシア帝国で名を馳せているダークエルフのような例外もいるがそんな者はごく稀であり、幼少時の身体スペックの低さは長命種とされる種族全体に共通した欠点と言える。だからこそ船上のならず者達は幼い姿をしたココノアやメルを見て思ったはずだ。これくらいの相手であれば暴力で言うことを聞かせられると。
「エルフの嬢ちゃん、痛いのは嫌だろう? おじさんもその綺麗な肌を傷つけたくないんだよ。大人しくしておいてくれないかなぁ?」
1人の中年男がココノアに向けて手を伸ばした。物言いは柔らかだがスパイクの付いた棍棒を握っており、わざとらしく少女に見せつけている。自分の指示に従わなければこれでお前を殴るぞと威圧していたのだ。そんな下衆に対して彼女は面倒くさそうな表情で攻撃魔法を放とうとしたが、それよりも早くメルが動いていた。
「ココノアちゃんに汚い手で触らないでもらえます?」
ココノアと男を隔てるようにして桃色の髪が靡く。鈍足の術式によって動けないはずだと思い込んでいた男は驚いたが、その腕は獣人の少女がしっかりと掴んでいた。離れようとしてもビクともしない。
「大切なお友達に手を出すつもりなら、私は容赦しませんからね!」
メルが右手に力を入れるとボキリという音と共に太い腕がへし折れ、割れた橈骨が皮膚から突き出て鮮血が吹き出た。激痛のあまり何が起こったのか分からないまま、男は尻もちをついて悲鳴をあげる。
「痛ぇぇぇぇ!?」
その声が皮切りとなり、ならず者達は一斉に襲いかかった。抵抗の素振りを見せたメルを痛めつけることで、立場を分からせようとしたのだ。反抗する奴隷は子供であっても徹底的に痛みを教え込み、逆らえないように体で覚えさせるのが彼らのやり方である。だがこの船の乗組員達は知らなかった。目の前にいる幼女には帝国軍でさえ脱兎のごとく逃げ出すほどの怪力が秘められていることを。
「頭を冷やして、よーく反省してくださいね!」
メルは駆け寄ってくる男達の間を縫うように移動し、彼らを次々と海へ投げ飛ばした。腕を掴まれて10m近く放り投げられた者もいれば、空高く蹴り飛ばされた者もいる。あり得ない強さを誇る彼女に戸惑いながらも応戦するものの、誰1人としてその身を捕らえることは出来なかった。
「こいつ…なんて力してやが――がぁぁ!?」
「や、やめてくれぇぇ!?」
男達の野太い悲鳴が船上に響き渡る。下に海があるとはいえ、高所から無造作に叩きつけられれば重症は免れない。あっというまに20人近くいた男達が船から強制退去させられ、海面にプカプカと浮く事態となった。その様子を少し離れた場所から眺めていたプラガは、おもむろに銃口をメルへと向ける。
「まさか鈍足の術式が効かねぇ上に怪力持ちとはな……値打ちが下がっちまうが仕方無ぇ。脚だけは壊しておくか」
彼は部下を相手に無双していたメルの隙を突いて銃を放った。彼女が左足を軸にして蹴りを放った直後、右脚が折りたたまれる瞬間に正確無比な狙撃を行ったのだ。その狙い通り右太腿に吸い込まれるようにして銃弾が直撃する。脚が止まって無防備になる僅かなタイミングを見切り、すかさず狙い撃つテクニックは何十年という時間を費やして銃の腕を磨いてきたプラガにしかできない芸当だろう。
「メル、大丈夫っ!?」
「脚を撃たれなかったかい、今!?」
友人が撃たれるのを目撃し、目を見開いたまま声をあげるココノアとレモティー。しかしメルの右足に出血はなく、変色している部分すらなかった。確実に銃弾が当たっていたにも関わらず、彼女の肌は無傷だったのである。
「なんだと……!?」
一番驚いていたのはプラガ本人だった。確実に足を撃ち抜いたはずだと、自分の目を疑う。この距離であれば銃弾は少女の太腿を貫通し、その足の自由を完全に奪っていたことだろう。だが現にメルは撃たれた時と同じ姿勢のまま、微動だにしていない。
「危ないですね、こんな狭いところで銃を撃つなんて……誰かに当たったらどうするんですか?」
眉間に皺を寄せて呟くと、メルは折り曲げていた右脚を伸ばした。すると膝窩の隙間から銀色の銃弾がポロリと落ちてきた。彼女は飛んできた銃弾を膝裏の関節部でキャッチしていたのだ。いくら獣人といえども秒速200m近い速度で飛んでくる銃弾を手でキャッチすることは至難の業であるし、そもそも掴んだところで手の甲を貫通されるのが関の山だろう。だがメルはそれを膝の裏でやってのけたのである。人智を超えた化け物を相手にしている事に気づいたプラガの額にはいくつもの冷や汗が浮かんでいた。
「クソが……何なんだよあのガキ……!」
不利を悟った彼は瞬時に思考を切り替えて船内への逃走を図る。捕らえた奴隷を盾にしてこの場を切り抜けるにしかないと考えたのだ。だがそれをメルは見逃さなかった。足元の木板が大きく凹む程に荷重をかけ、力強く踏み出す。
「ドレッドヘアーのあなたがここの首領さんみたいですし、きついお仕置きをお見舞いしてあげましょう!」
メルはプラガとの距離を一瞬で縮めると、その手前で前転飛びをして両足を彼の両肩に引っ掛けた。そして足で首をガッチリと挟んでから、体を反らせた反動を使って頭ごと巨体を持ち上げ、勢いよく甲板へ向けて叩き込む。
――バキィィッ!!――
瞬きする間も与えない超速の足技が決まり、凄まじい音と共に船が揺れた。あまりの衝撃で海面に船を中心とした波紋が生じたほどだ。一方、自分の頭で船のデッキを砕くことになった哀れな船長は、気を失ってしまいその場で力なく倒れていた。
「えぇ……あんなのどこで覚えてきたのよ!?」
「あの技、実戦で使える人いるんだね……」
まさかプロレス技であるフランケンシュタイナーを異世界で見るとは思っていなかったのだろう。ココノアもレモティーも開いた口が塞がらなかった。
「さて、残りの人達はどうしましょうか?」
メルが振り返った先にはまだ海に落とされていなかった男達が数人残っていた。だが彼らはすぐ武器を捨てて、這いつくばるようにして頭を甲板に擦り付け始める。銃弾を膝キャッチした挙げ句、自分達のボスをいとも簡単に甲板へ埋め込んだ怪物に対して心の底から恐怖を感じていたのだ。
「俺達は親分の命令に従ってただけなんだ! 見逃してくれよ!」
見っともなく許しを請う彼らを鼻で笑うと、ココノアは「同罪でしょ」と突き放した。そしてレモティーに男達を帆柱に縛り付けておくように言い残し、メルを連れて船内へと続くドアへ手を掛けたのであった。
――奴隷船内部――
最初は潮の匂いと酒の残り香が強かった船内であるが、下層に進むにつれて饐えた鼻をつく臭いが交じるようになってきた。嗅覚が敏感なメルは顔を顰めながら先行する友人の後ろを付いて行く。しばらくして下層へ続く薄暗い階段に差し掛かったタイミングで彼女はココノアへ話しかけた。
「結構入り組んでますし、レモティーちゃんにも一緒に来てもらったほうが良かったかもしれませんね。ほら、レモティーちゃんってダンジョンのマップをすぐに覚えてくれますし」
「まあね。でもあの連中を全員捕縛するのに時間かかりそうだし、二手に分かれたほうが効率いいでしょ? それに、あの乳デカ女と一緒にこんな所を通ったら狭くて暑苦しそうじゃない」
ココノアの返事に「なるほど」と頷くメル。船内は迷路のような細長い通路ばかりで見通しが悪く、2人だけで動いても窮屈に感じる空間だった。さらに外の光を取り入れるための天窓も無く、常に薄暗いため足元も見え難い。ココノアが入口付近にあった魔道具のランプを持って来たため今の所は何とかなっているが、灯りになるものがなければ歩くこともままならないはずだ。
「また鍵のついた扉があるわね……どんだけ厳重にしてんだか」
立ち止まったココノアが呆れたように呟く。通路を塞ぐようにして金具で補強された重苦しい扉が行く手を阻んでいたのだ。南京錠と似た施錠器具がついており、内側からは開けられないようになっている。道中にもいくつか施錠された扉があったことから、閉じ込めた者を決して外には出さないという奴隷商達の悪意が透けて見えた。
「メル、これも壊してくんない?」
「はい!」
ココノアと位置を交代し、メルが扉の前に立った。金属で出来た硬そうな錠前を手に取ると、彼女は指に少し力入れただけでパキリと割ってみせる。どんな頑強な鍵もSTR200を超える圧倒的な筋力の前では無力であった。
「それじゃ、開けますね」
背丈の倍以上はある大きな扉をメルはあっさりと開け放つ。その先は真っ暗闇であったが、微かな息遣いが聞こえており、人が閉じ込められている事がすぐに分かった。
「ココノアちゃん、ランプを少し貸してくださいな」
ココノアからランプを借りたメルはランプの出力を少し弱めに調整する。そして徐々に部屋の中を照らし始めた。暗闇で過ごしていた者達が急に光を見ることで眩しく感じないように配慮したのだ。
「これは酷い……」
精霊が宿ったオレンジ色の炎が映し出したのはメルが言葉を失うほどに衝撃的な光景であった。冷たく薄暗い船倉に、子供から大人まで大勢の人々が横たわっていたのだ。誰も彼もが痩せ細っており、唯一身に付けた簡素な布服だけで寒さに耐えて事が伺い知れる。また床には垂れ流された糞尿がこびりついており、気味の悪い虫やネズミが這いずり回っていた。
「みなさん、大丈夫ですか?」
メルが声を掛けてみるが、彼らはぐったりとしたまま反応しなかった。衰弱で動けない事を察すると彼女はすぐさま魔法の詠唱を始める。コラプス・オブ・ロウは解除済みであるので、回復の呪文は純粋な魔法として顕現した。
「範囲身体治癒!」
メルがかざした両手から淡い緑色の光が広がり、横たわる人々を優しく包み込む。魔力に乏しいメルの回復魔法であっても、治癒力を補強する各種パッシブスキルのおかげで応急処置としては十分な効果が発揮された。中には傷口が化膿して手足の末端が壊死していたエルフ族の男性や、奴隷商に暴行を受けて失明してしまった人間族の女性、そして衰弱して昏倒していた幼い獣人族の子供もいたが、全員が元の健康な状態へと戻っている。しかし空腹感や気力まで魔法で回復させることは不可能だ。メル達の顔を見上げることはできるようになったようだが、囚われていた人々は一向に立ち上がろうとはしなかった。
「ここはかなり不衛生ですし一旦お外に出てもらいたいですけど、みなさん元気が無いみたいですね……」
「んー……全員を外に移動させたところで、うちらだけで手当するのは厳しくない? ざっと数えただけでも100人近くいるじゃない。リギサンに連れていくにしても、海岸へ小舟で渡すだけで日が暮れるだろうし、あの険しい断崖絶壁を越えられるとは思えないんだよね」
「確かにそれはそうかもしれません。どうしたものでしょうか……」
冷静に状況を分析したココノアの言い分は正しい。捕らえられていた奴隷達を連れ出したところで、小舟で陸地まで移動させるのは相当な時間を要するからだ。そして海岸に到着したとしても、険しい道程を越えてリギサンまで無事に辿り着ける保証はなかった。
「とりあえず捕まってた人達は見つけることができたんだし、一度上に戻ってレモティーに相談してみようよ」
「そうですね……みなさん、必ず助けに戻ってくるのでもうしばらく待っててください!」
申し訳無さそうに頭を下げるとメルはココノアと共に通路を戻っていく。そんな彼女達の背中を虚ろな瞳で見送ることしかできないほどに、奴隷達は心を摩耗してしまっていた。ほんの少し手を伸ばせば自由な空に届くかもしれないというのに。
――奴隷船の甲板――
メル達が甲板に出ると、船倉に淀んでいた腐臭を濯ぎ落とすような心地よい潮風が出迎えてくれた。この澄んだ空気を捕まっていた人々にも早く取り戻してあげたいと想いつつ、メルはレモティーの姿を探す。
「あっ、レモティーちゃん!」
帆柱の方で見慣れた長い金髪を見かけたメルとココノアは、すぐさま彼女へと駆け寄った。足音で友人達が戻ってきたことに気づいたレモティーは振り返り、親指をグっと立てて仕事が完了した事を示す。
「2人共戻ってきたんだね。こっちは船長っぽい奴や海に落ちてた連中も含めて、船のマストに全員縛り付けておいたよ。ボクとしては海に沈めて魚の餌にしてやってもよかったけどね」
冗談に思えない台詞が聞こえてきたので、蔦で体と帆柱をグルグル巻きにされた男達は顔を青くした。勝てる見込みのない相手に捕まったことで彼らはすっかり意気消沈しており、皆大人しく項垂れている。
「こっちはこれで大丈夫そうね。うちらは船の底にある倉庫で大勢の人が詰め込まれてのを見つけたんだけどさ、リギサンまで連れていく方法が思いつかなかったからそのままにしてきたのよ」
「ああ、無事に見つけられたんだね。ボクもこいつらから奴隷として捕まえられた人のことや、この船の行き先について聞き出したんだよ。とりあえず情報共有をしようか」
そう切り出すと、レモティーは船員から聞き出した内容について喋り始めた。
「この船は西の大陸からやってきたらしくて、奴隷達をデクシア帝国へ売りに行く途中だったみたいなんだ。でも帝国が内戦状態になったせいで、港に入れずこの近辺で留まってたって言うんだよ」
「デクシア帝国ってこの前リギサンを襲ってきた人達の国ですよね? その国が内戦してるんですか……?」
「本当かどうかはわからないけどね。なんでも一部の軍人がクーデターを起こしたとかで、皇族が全員生死不明になったって噂まで流れてるんだってさ。それに便乗して支配を受けていた属国が蜂起を始めて、今や内戦真っ只中って状況みたいだよ」
「そういえばこの国との国境から帝国軍が消えたって村でも聞いた覚えがあるし……その話、信憑性あるかもね」
ココノアが納得したように頷く。彼女達はギルド職員であるケントから、エリクシア王国と帝国の情勢について簡単に聞き齧っていた。クーデターが行われた理由は定かではないものの、侵略しようとしていた国との境界から軍を引かなければならない程に追い詰められているのであれば、レモティーの聞いた話とも辻褄が合う。
「人の事を商品だの言ってた割に捕まえた人達が衰弱してたのは、寄港できなかったのが理由ってわけ? それにしてもあれは酷すぎるわ。メルが回復魔法を掛けたから持ち直したけど、あのままじゃ死にかねないわよ」
怒りの籠もった声と共にココノアは縛られた男達を睨みつけた。その鋭い眼光に彼らは「ひっ」と声を漏らして目を伏せる。
「そんなに酷い状況だったのか……途中で激しい嵐に遭遇して予定よりも航海が長引いたっていう話も聞いたし、物資が尽きかけてたようだね。だから弱りすぎて売れなくなった奴隷は海上で捨てるつもりだった、みたいな事を言ってたな。あと、西の大陸へ戻る前に高く売れそうな奴隷がいないか物色してた事も白状したよ、この連中」
「捨てるって……酷すぎるのです!」
「レモティーの言う通り、魚の餌にしても良い気がしてきた」
奴隷商の勝手なやり方に怒りを滾らせるココノアとメル。地球においても奴隷売買に関する黒い歴史が幾多と刻まれている事は彼女達も知ってはいたが、当事者としてその闇に触れるのは今回が初めてである。人並みに良心を育んできた彼女達にとって一連の暴虐行為は許せるものではなかった。
「ハッ! こんな事、珍しくもねぇよ……!」
一番船首に近いマストに括り付けられていたドレッドヘアーの巨漢――プラガが不意に口を開いた。意識を取り戻していた彼は腫れ上がって変形した頭部を重そうに持ち上げつつ、続く言葉を発する。
「西大陸や帝国じゃ奴隷なんてものは普通にいるんだぜ。力のある獣人は労働力になるし、エルフは魔力の抽出に使える。客に需要があるものを売り捌いて、何が悪いってんだ?」
「……なら聞くけど、この船に乗ってる人達をどうやって連れてきたのよ。本人の合意を得て働き先を斡旋してるっていうなら、ある意味商売として成り立つんだろうけど、あの扱いを見てる限りそんな事ないでしょ?」
「ケッ! んなもん、集落を襲って攫ってくるに決まってんだろ。亜人なんてもんはなぁ、コキ使われて当たり前なんだよ!」
差別意識を隠そうともしないプラガに悲しそうな表情を浮かべるメル。自身も獣人族であることから、その言葉の意味を知りたいと思った彼女は歩み寄って理由を尋ねた。
「どうして亜人が酷い目に遭わされて当たり前なのか、教えてもらえますか?」
「チッ……お前ら、本当に何も知らねぇんだな。ならオレが生まれた西大陸の歴史について教えてやるよ――」
一呼吸の間をおいてから、プラガは西大陸の半分を占める商業大国オキデンスの成り立ちについて語った。彼曰く、かつて西大陸では複数の亜人と人間族が互いの領分を侵すこと無く平和に暮らしていた時代があったそうだ。だが強力な力を持つ魔族によって人間族の国が壊滅状態に陥った際に種族間のパワーバランスが崩れ、それまで保たれていた秩序が崩壊し始める。助けを求める人間族を快く受け入れた亜人達であったが、それは魔族へ人間達を献上することで自国を守るための謀略であったのだ。
多くの人間を犠牲にしたことで亜人達の国はしばしの平穏を保つ事ができたが、勢力を拡大した魔族と魔物達はさらなる贄を要求し始める。そこで獣人族やエルフ族が目を付けたのが、短命種であるが故に相対的に高い繁殖能力を持つ人間族を増やすという案だった。ヒトが家畜を繁殖させて利用するように、亜人達は人間族に対しても同じ事をしたのだ。
亜人達の目論見は順調に進んでいたが、しばらくして人間族による一斉蜂起が始まる。身体スペックの差を数の利で覆し、亜人達を支配下に置いた彼らは軍隊の力を以て魔族を大陸から駆逐した。そして自らの手でオキデンスという国家を樹立したのである。だが危機が去っても積年の恨みは消えなかった。虐げられた先人達への復讐と称して、勢力を失った亜人達を資源として他国へ売り始めたのだ。これが商業発展に大きく寄与したことで、今やオキデンスは大商業国と言われるほどの成長を遂げている――それが西大陸における血生臭い歴史の一部始終であった。
「……それ、本当の話なの? あんたの作り話じゃなくて?」
「本当かどうかなんてオレらが知るかよ。だがオキデンスではこれが正当な歴史だ。ガキ共ですら知ってるんだからな」
「歴史を作るのはいつだって勝者だからね。勝った側に都合が良いように書き換えられている可能性はあるんじゃないかな。まぁどちらにせよ、大昔のしがらみを理由にして他者を虐げるなんて、ボクには理解できないけど」
険しい顔で見下ろすレモティーに「気に食わねぇ女だ」と言い放つプラガ。他の男達とは違い保身目的で嘘を言っている様子もないため、そう言い伝えられているのは事実なのだろうとメル達は考えていた。しかし、だからといってその行為は到底許せるものではない。手下共々、王国軍へ突き出すつもりだ。
「この連中には然るべき罰を受けさせるとして、捕まってた人達をどうするか考えないと。レモティー、うちが言ってた事について解決案はある?」
「確か、リギサンへ連れていく方法だったかな。とりあえずその人達の様子を見てから考えるよ。回復魔法で補えない分をフォローできるかもしれないし」
「確かにレモティーちゃんがいれば新鮮なお野菜や果物を用意できますね! みなさん随分とやつれてしまっていたので、お食事を用意するのはいいかもしれません!」
レモティーを加えて3人となった少女達は、恨めしそうな視線を向けるプラガを無視して踵を返した。そして光の届かない船内へ再び足を踏み入れる。




