036.山頂の農園④
今晩の夕食となる野菜を持ち帰ったレモティー達を迎えたのは、オーティムの妻アヴィだった。夫と同じく60歳を超える人間族の女性だが、背筋はシャンと伸びており快活そうな見た目の老婦である。エプロン姿の彼女はメルから野菜を受け取ると、「小さいのに賢いわねぇ」と桃色の頭を撫でながらレモティーへ声を掛けた。
「レモティー、お友達用のお布団は2階に出しておいたらからねぇ」
「ありがとう婆ちゃん! 助かるよ!」
「それじゃあ、お夕飯の支度をしておくから今のうちにお風呂に入ってきなさいな。もうお湯は炊いてあるから」
ニッコリと微笑み、台所へと向かうアヴィ。彼女は白く染まった頭髪を前下がりのショートボブ風に整えていたので、メルとココノアは淑やかな印象を受けていた。しかしそんな見た目に反し、あらゆる所作がテキパキとしている。鮮やかな手並みにより、山のようにあった野菜の下ごしらえがサクサクと進んでいった。
「……アヴィさん、今もお綺麗ですけど若い頃はすごくモテモテだったんじゃないでしょうか?」
「お、そんな事分かるのかい? 確かに爺ちゃんが婆様は村一番の美人だったって良く言ってなぁ」
「やっぱり! 小顔なのに瞳はパッチリとしてるし、それにあの手際の良さ……お嫁さんに欲しがる人は大勢いたと思いますよ! そんな人の心を射止めたんだし、きっとオーティムさんも昔はハンサムだったのかもしれませんね! 美男美女の恋話とかぜひお伺いしたいものです……!」
夫妻が若かりし頃の恋路に想いを巡らせるメルに対し、レモティーは「想像力豊かだねぇ……」と決まりの悪い笑いを浮かべる。普段は仲の良い2人であるが、一旦喧嘩になると遠慮のない言葉の応酬が繰り広げられるのを知っている彼女は、メルが思い浮かべる華やかなイメージを素直に肯定できないのであった。
「さてと、婆ちゃんが湯の準備をしてくれたみたいだし、先にお風呂に入らせてもらおうか。風呂場は外にあるから、そこまで案内するよ」
「まだ少し早い気もしますけど、せっかくご用意してもらったなら入りましょう! ココノアちゃんもそれでいいですよね?」
「今日は移動だけで結構疲れたしね。早くお風呂はいってゆっくりしたいかも」
満場一致で風呂に入る事が決定したメル達は一旦外に出て別建屋にある風呂場へと向かう。時刻的にはまだ夕方といったところであるが、山頂にあるリギサンでは日が暮れると気温がガクンと低下するため、早めに風呂を済ませてしまうのが習慣となっていた。
――オーティム宅に隣接した風呂小屋――
レモティーに連れられてメルとココノアがやってきたのは、住宅の裏手に立てられていた風呂専用の小屋であった。個人宅の風呂であるため決して広いとは言えない大きさではあったが、造りには趣向が凝らしてある。特に浴槽から外の景色が見えるように設けられた窓は眺めが良く、周囲の山嶺と共に夕陽の浮かんだオレンジ色の空を見渡せるようになっており文句のつけようがなかった。
「あっ、すごい! 五右衛門風呂って奴じゃないですかこれ!」
「あ、ほんとだ! 初めて本物をみたかも」
湯気を立ち上らせる浴槽――というよりも金属の釜に近い構造物を覗き込みながら、少女2人が声をあげる。レンガと砂で作られた竈に釜を落とし込んだような構造の風呂は、このリギサンでは伝統的に使われているものだ。小屋の外側には薪をくべるため焚口があり、そこで火を燃やすことで釜が加熱される仕組みになっているが、そのまま入ると足を火傷してしまうため釜の下部には木で作られた踏み板が嵌め込まれていた。
「お外の景色が見えるのといい、情緒溢れてていい感じですけど、これだと1人ずつでしか入れないですね? でも頑張ればココノアちゃんと私なら一緒に入れないこともなさそうかな?」
「いやいや、何ナチュラルにみんなで入ろうとしてんのよ! こんなの1人用に決まってんでしょうが! ほら、まず入る順番をジャンケンで決めるからね!」
「えー! みんなで入るほうが絶対楽しいのに……でも仕方ないですね」
できれば3人で湯浴みを楽しみたかったメルであったが、さすがにスペース的にそれは厳しいと察したので素直にジャンケンに応じることにした。その結果ココノアが最初に入り、次にメル、そしてレモティーの順番で入ることに決定した。メルは早速ポーチから着替えを取り出すと、それをココノアに手渡す。
「そういえばそのポーチ、ずっと持って貰ってるけど……なんか悪いわね」
綺麗に畳まれた部屋着と下着を受け取ると、ココノアは申し訳無さそうに呟いた。今まで何気なくメルにポーチを任せていたものの、その重量を身を持って知ったことで少し気になっていたのだ。
「私なら大丈夫です! ココノアちゃんには重たかったかもしれませんけど、私にとっては普段会社に行く時に使ってたバッグよりも全然軽いものですから!!」
「えっ……それより重たいとか、普段どんなバッグ使ってたのよ!?」
「色々入ってましたからね。まずは手帳とかハンカチ、ティッシュに……あと化粧品に生理用品、スマホとその充電器なんかも入れてました! どれもこの世界に来てからは不要になりましたけども」
「いやいや、そっちのがポーチよりも全然軽いでしょ……獣人の筋力ってどうなってんの」
友人の身体スペックが自身の感覚から離れすぎている事に驚くココノア。元々筋力が低い上にエルフ族の補正でさらに減少しているため、彼女は3人の中では最も腕力に乏しい。一方、メルは無駄に振っていたステータスに獣人族の補正がかかり、極めて強大な力を宿している。そのため通常の人間なら持ち運ぶことの出来ない荷物も軽々と扱う事ができた。
「それじゃ、うちから先に入らせてもらうけどレモティーは絶対覗いたりしないように!」
「ええっ、心外だなぁ! いくらボクでもそこまで下品なことはしないよ! 脱ぎたての下着に頬ずりしたりはするかもしれないけど……」
「そっちのが最低じゃん!? レモティーが変なことしないか見張ってておいてね、メル!」
ジト目で言い放つと、ココノアは小屋の扉をピシャリと閉めた。その様子にメルは苦笑しながら、レモティーと共に近くにあった簡素なベンチへと腰掛ける。薪割りの休憩用として設置されていたのだろう。削った木材を組み合わせて作った縁台は2人で座っても余裕があり、時間を潰すのにはちょうど良かった。
「そういえば2人はこの世界に来てからどうやって過ごしてたんだい? ボクは前に話したとおり、ここで農園作りばっかりだったからあんまり他の地域ことは知らないんだ。よかったらこの世界のこと、教えてもらえないかな」
「あー、そっか! 私達がどう過ごしてたかって話はしてませんでしたもんね。ほとんど同じ場所に居たのでレモティーちゃんとあまり状況は変わらないかもしれませんが、親切な人達に色々教えてもらったので、そのお話はできると思います!」
そう切り出すと、メルはセロ達との出会いから語り始めた。最初の出会いには戸惑ったものの、その後の共同生活で異世界に関する知識の基盤を得られたこと、そして元冒険者に指導してもらえたことで人並みには戦えるようになったこと――この1ヶ月で体験したことをありのままに紡いでいく。NeCOで交わしていたチャットのようにいつまでも楽しそうに喋るメルであったが、しばらくして小屋の扉が開いたことで会話は中断となった。
「はー、さっぱりした! ほら次はメルの番だから、さっさと入ってきなよ」
濡れた亜麻色の髪を巻き込むようにして頭にタオルを巻いたココノアが出てきた。湯が熱かったのか、身体が全体的に火照っており、白い湯気を纏っている。
「あっ、もうそんな時間でしたか。それじゃ次は私が入ってきます!」
「うんうん、続きはまた今度話そうよ。しばらくはゆっくりと会話できる時間があると思うからさ」
「はいっ♪」
元気よく返事するとメルは自分の着替えを持って小屋へと走っていった。残されたレモティーとココノアはベンチに座り、景色を眺めながら言葉を交わす――そんな風にして、少女達は山頂の湯を楽しんだのであった。
――オーティム宅 1階の居間――
風呂から戻ったメル達はオーティムに食事に呼ばれて居間へと集まった。最初に来た時は無かった大きなテーブルと椅子が設置されていたので、全員で囲むようにして席につく。小学生の頃に祖父母の家に泊まりで遊びに行った時もこんな感じだったなぁ、と昔の事を思い出しながらメルは上機嫌そうに尻尾を揺らした。
「今日は婆様に腕を奮ってもらったんじゃよ。腹一杯になるまで食べていいからのう!」
「わぁ、楽しみです! すごく良い匂いがしてて、実はさっきから気になってたんですよ♪」
台所から漂う香りにメルが鼻を鳴らしていると、アヴィが料理の入った皿を運び込み始めた。リギサンで採れた野菜を使ったサラダや煮物、焼き物がテーブルの上に次々と並べられていく。都市部の一流宿で食べていた料理に比べると華やかさはないが、小さな口でも食べやすいようにとカットされた野菜は見た目も楽しめるように星や花の形をしており、細やかな気遣いが感じられた。
「婆ちゃんの料理はホントにどれも美味しいんだ。ボクもこの味付けが出来るようになりたいんだけど、まだまだ及ばなくてさ……って冷めちゃうね、さぁ食べてごらんよ♪」
「そうじゃそうじゃ、熱々のうちに食べるのが一番美味しいんじゃ!」
レモティーとオーティムに促され、メルとココノアは木製のスプーンを手にする。そして「いただきます」と合掌すると、皿の料理を口へと運んだ。
「はふはふ……んっ! 美味しいですこれ! 野菜の甘味をこんなに感じるのは初めてかも!」
「うん……確かにこの味は真似したくなるのも分かるかな。すごくホッコリする」
パクパクと料理を食べる少女2人に、アヴィは嬉しそうな表情を向ける。
「ふふっ、美味しいのは新鮮な野菜を使ってるからよ。まだまだあるから、遠慮せずに食べて頂戴ねぇ」
「ふぉっふぉっふぉ、それではわしらも食べるとするかのぅ」
5人で囲んだ食卓にてささやかな晩餐会が開かれる。パチパチと音を鳴らす暖炉の傍ら、暖かくもゆったりとした時間が過ぎていった。食事を済ませた後はメルやココノアによる簡単な自己紹介と、レモティーによる土産品の贈呈も行われ、山頂の屋敷にはいつになく賑やかな声が響く。まるで娘が子供を連れて里帰りしたかのような光景に、オーティムとアヴィは幸せそうに微笑んでいた。
――オーティム宅 2階の客間――
4時間以上に及んだ老夫婦との語らいの時間を終え、レモティー達は2階の客間へと上がった。レモティーが借用していた部屋は屋敷の2階部分をほとんど占有する広さを持っており、階段を出たところに入口扉が見えている。
「へぇ、ここがレモティーの部屋なんだ。結構広そうね?」
「はは……広すぎてボク1人だとちょっと寂しいくらいだよ。元々は村にお客さんが来た時に使ってもらうための部屋らしいんだけど、最近はめっきり来客も減ってるから貸し切りにさせてもらったんだ」
レモティーはそう言って扉を開けると、柱に埋め込まれていた青い魔法石へ手をかざした。魔力が注ぎ込まれた石は淡い光を放ち始め、部屋の天井からぶら下がっていたランプが順番に点灯していく。少し間をおいて全部の照明が動作したことを確認すると、レモティーはメル達を手招きした。
「申し訳ないけど、ここで靴は脱いでもらえるかな?」
「あっ、ここがプチ玄関になってるんですね! わかりました!」
部屋に入ったすぐのところには硬い獣毛で作られた焦茶色の敷物が置かれていた。泥や砂を落とすためのものだとすぐに察したメルは、靴裏をゴシゴシと擦って汚れを払う。
「脱いだ靴は隣にある木棚に入れてくれればいいからさ」
レモティーの言葉にコクンと頷くと、メルは言われたとおりに棚へ白いブーツを収納した。続けてココノアも靴を脱いで部屋へと入る。テーブルや椅子が置かれた中央のスペースには異国情緒を漂わせる幾何学模様が描かれた絨毯が敷かれており、靴がなくても足を痛める事はなかった。
「やっぱり靴を脱ぐ方が落ち着いていいかな。土足はどうしても慣れないし」
「やっぱりそうだよね。あと個人的に部屋の状態が悪くならないか気になっちゃって……返す時までは綺麗に使いたいから、試しに靴用マットと靴箱を置くことにしたんだ」
「そういうところまで気が付くのは、さすが元大家って感じね」
レモティーが作成した簡易玄関は同郷の者にすこぶる好評であった。しかしエリクシア王国が位置するこの大陸では基本的に土足文化が浸透しており、部屋の中で靴を脱ぐような習慣はない。そのためオーティム達には随分と変わった風習として映っていたのだった。
「……あら、2階の部屋壁も白いんですね?」
波打った模様を描く洒落た壁に触れながらメルが呟いた。表面のザラザラとした手触りが心地よくて、つい彼女は指を這わせてしまう。
「うん。漆喰は調湿機能があって便利な素材だからね。施工に手間はかかるけど、建築材としては優秀なんだ。だからこのあたりの家は全部そうじゃないかな?」
「ほへぇ、そうなんですか。デザインを重視したわけじゃなくて、機能的な理由もあったとは……!」
レモティーが言った通り、リギサン地方では部屋の内側にも白い漆喰を使う事が多い。微細な多孔状の構造を持ち、室内の湿気をある程度吸収・放出できる漆喰は雨が少なく乾燥しやすい山岳地では重宝されていた。
「そうそう、窓の近くにあるのがメルとココノアのベッドだよ。ちょっと冷えるかもしれないから、その時は言ってね。毛布なら1階に余っていたのがあると思うからさ」
レモティーが指差した先にはふんわりとした布団が敷かれたベッドが2台並んでいた。窓からの朝日が射し込む位置のため、目覚めは良さそうである。一方で、レモティーのベッドやクローゼットの類いはその向かい側に置かれていた。来客向けの部屋ということもあり家具は必要最低限のものしか無かったが、生活に必要なものは一通り揃っていそうだ。
「今日からここがみんなで過ごすお部屋になるんですね! なんだか実家みたいな雰囲気で落ち着くし、景色もよくて気に入っちゃいました!」
ベッドに腰掛けたメルが窓から空を仰ぐ。視界を邪魔するものが何もない夜空には無数の星が煌めいていた。あまりにもメルが嬉しそうにしていたので、気になったココノアも窓辺に近寄る。
「……へぇ、いい景色じゃない。空が近く感じるって、こういう事をいうのね」
紫色の瞳に星屑を映して、その美しさにため息をつくココノア。しばらくの間、少女達はリギサンの夜景に見惚れていた。
「ふふっ、気に入って貰えたようで何よりだよ! 2人にはしばらく農園の手伝いをしてもらう事になるし、ここに居る間は気持ちよく過ごして欲しいな」
そう言ってレモティーが微笑む。これまで1人で居ると少し寂しく思う事もあった部屋に、友人達が訪れてくれたことが嬉しかったのだ。なおオーティム達には彼女の口からメルとココノアが手伝いのために短期間ここに留まることは伝えており、その了承も既に得ていた。明日からは彼女達と共に農園の収穫や整備をこなしていく予定である。
(……ま、世界を救うのはこの村をなんとかしてからでもいいよね)
この世界にやってくるときにタイニーキャットに言われた言葉をぼんやりと浮かべながら、レモティーは寝支度を進めるのであった。
――翌日 リギサンの農園――
気持ちよく晴れた青空のもと、レモティー達は村にある農園の1つを訪れていた。鮮やかな黄色に輝く果実が大量に実ったこの果樹園はレモティー自慢のレモン畑である。広大な広さを誇る割にレモンの木しかないのだが、いつも爽やかな香りが農園全体を包んでいるため、散策スポットとして村人にも気に入られていた。
「レモンばっかりじゃん……こんなに作っても仕方ないでしょ?」
「そう思うだろう? でもそうじゃないんだよね! 実はこの世界ではレモンって結構珍しい扱いみたいで、高値で売れるんだよ。だから村おこしにも使えるかなって」
「へぇ、高値で売れるんだこれ?」
もぎ取ったレモンを見つめながらココノアがつぶやく。彼女の手の平に収まらないほどに大きく実った果実には虫食いや痛んだ部分は一切なく、キラキラと宝石のように輝いていた。売り物としては上出来な仕上がりだろう。
「さ、どんどん収穫していこうか! メルは木箱に詰める作業をお願いできるかな?」
「ええ、わかりました!」
レモティーは蔦を操って、ココノアは転移魔法で宙に浮かぶことで効率よく果実をもぎ取っていた。採れたレモンはメルが集めにやってきた時に渡せば手が空くため、レモティーが1人でやるときの数倍の速さで収穫が進んでいる。
「ふふっ、レモティーちゃん! これだけレモンがあれば大好きなレモンティーも飲み放題ですね?」
レモティーから黄色の塊を受け取りながら、悪戯っぽく笑うメル。彼女はレモティーがレモンを大量に作った本当の理由を知っていた。
「やっぱりメルにはバレちゃったかー! そのとおり、レモンティーを作るために頑張ったっていうのが本音だよ。紅茶用の茶葉はリギサンでも元々作られていた品種があったんだけど、レモンだけはどうしても手に入らなかったんだよねぇ……」
「レモティーちゃんは本当にレモンティーが大好きすぎるのです! お名前もそのまんまですし!」
「あはは……日本だとコンビニで手軽に買えたから毎日飲んでたんだけど、こっちじゃ自分で作る以外に飲む方法がなくてさー」
NeCOにおける"レモティー"の名前はまさしくレモンティーに由来していた。それこそ毎日のように愛飲するほどにレモンティーを好んでいた彼女であるが、異世界に来てからは口にすることがなくなり、我慢できなくなったのだ。その結果、この広大なレモン畑が造成されたというわけである。
「でも高値で売れるっていうのは嘘じゃないよ? 気候的に大陸の西側じゃないと作れないらしくてさ。こっちだとすごく高くなるんだ。国内外問わずに貴族達がこぞって買い付けにくるくらいだし」
「なるほど……これだけあれば、リギサンがレモンの一大産地になることも夢じゃないですね!」
「ふふふっ、きっと凄い事になると思うよ! リギサン発のレモン革命って呼ばれる日も近いかもね!」
既に木箱10個分もの収穫を終えていた彼女達であったが、ひとつ重大な事を見落としていた。大陸の東側においてレモンは元々貴族の口にしか入らないような希少な果実である。それが大量に市場に流れれば、今までと同じ価値を保つことは当然のごとく不可能だ。売り方には十分に気をつけないと値段が暴落してしまう可能性もあるのだが、農産物の流通に関する知識が乏しい3人娘はそこまで気が回らなかった。
「……ふぅ、ここらで休憩しようか。あんまり無理しても良くないしね」
規則正しく並べられた樹木の間、陽の光があたっている草地へとレモティーは腰を下ろした。メルとココノアもその隣にちょこんと座る。
「はぁ……もうしばらくレモンは見たくもないわ。手からは凄いレモン臭するし……」
「何言ってるんですかココノアちゃん、まだまだあるんですから頑張ってくださいよ!」
「大体なんでメルはそんなに元気なの? ずっとレモンの木と木箱の往復ばっかりだし、そっちこそ飽きてこない……?」
延々と続く収穫作業に嫌気が刺したのか、疲れたような表情を見せるココノア。彼女の魔力量なら農作業に空間転移を使ってもさしたる問題はないものの、単純作業の繰り返しが続いたため飽きてしまっていた。一方、メルはレモンを受け取って木箱に詰める作業ですら楽しかったらしく、にこやかに走り回っていたのだった。
「こういうの普段の生活じゃ経験できなかった事だし、結構楽しいですよ私は!」
「いやぁ、ほんと手伝ってもらって助かってるよ。半分は終わったと思うし、もう3時間くらいあれば全部終わるんじゃないかな」
「こんな地味な作業をひたすら続けてるって、農家は大したもんね……うちなら途中で投げるわ」
「そういえばレモティーちゃん、NeCOでもずっと園芸みたいな事してましたよね? ココノアちゃんはレモティーちゃんの根気の良さをもう少し見習うべきです!」
"園芸"という言葉に最初はあまりピンと来てなかったレモティーだったが、しばらくして「ああ、リング拠点のファームのことかな?」と訊き返す。NeCOにおけるリングとは特定のプレイヤーで構成するコミュニティであり、他のMMORPGでギルドやカンパニー等で称される集まりと同義ものだ。そのリングでしか持つことができないファームという設備で、彼女は農作物の世話をしていた事がある。
「そうそう、そんな名前でした。広い畑を何年も1人でお世話してたって聞いた記憶がありますけども」
「確かメルと出会ったのもファームの手入れをしてた時だったっけ……あのときもメルはボクのこと手伝ってくれたよね」
そう言って瞼を閉じると、レモティーは初めてメルと出会った日のことを思い返した。
――NeCOサービス提供時 リング"RISE"の拠点内
NeCOの双葉サーバーにおいて正式サービス開始時に発足した大規模リング"RISE"の拠点――城を思わせる広大な敷地の中には、いくつもの農園が設けられていた。このファームはリングメンバーが毎日世話をすることで冒険に役立つアイテムを取得することができる仕組みになっていたため、どのリング拠点でも設置されている。
しかし今やこのファームの面倒を見ているのはたった1人のリング員だけとなっていた。ほとんどのメンバーが脱退してしまった抜け殻と化していたからだ。かつてボス攻略やダンジョン制覇などで数々の記録を打ち立てたRISEであったが、リングメンバーによる派閥争いが顕在化してしまったことで、凄惨な内部崩壊を引き起こしていた。人数が膨れ上がったオンラインコミュニティにはよくある事象であるが、まだプレイヤー側のモラルやリテラシーといったものが醸成されていない年代でもあったため、仕方なかったのかもしれない。
(今日も誰も来ないなぁ……)
誰もいない寂れたファームで、金髪碧眼の女性冒険者――レモティーが地道に畑の手入れ作業を繰り返していた。サービス開始初期からNeCOで遊んでいた彼女はRISEのメンバーから誘われ、その一員となっていたのだ。他の会社員プレイヤー達に比べると時間的余裕があったのもあり、彼女はファームの世話を一任されていたので、毎日ファームの手入れをするのが日課となっている。それはリング加入から今日に至るまで1日も欠かさず続けられていたため、リングが崩壊した後もファームだけは立派にその形を留めていたのだった。
(マスターもサブマスも、ログインすらしないや……)
リングメンバーリストを呼び出してみるも、ログインしているのは自分だけしかいない――そんな日がずっと続いている。レモティーは溜息を付きつつクリックを連打した。もうファームを維持する必要は無いんじゃないかと感じる事も少なからずあったが、もしかしたらみんな戻ってくるかもしれないという淡い期待のせいで、未だにRISEから離れることができなかったのだ。
(またみんなで一緒に狩りやボス討伐に行きたいなぁ……)
毎日のようにかつての友人達を想うレモティーだったが、リングを去っていたメンバーはもう彼女の事などすっかり忘れていた。別のコミュニティや他のオンラインゲームへ移った彼らはそれぞれの世界で楽しくやっており、たった1人でファームを維持しているプレイヤーがまだRISEに残っているとは夢にも思わないだろう。故にこの拠点にやってくる者など、彼女以外にはいない――筈だった。
『この畑って何が採れるんですか? ひょっとして美味しい食べ物とか出来たりします?』
不意にオープンチャットの表示が唐突に表れたので、レモティーは慌てて周囲を見渡した。するとファームの中にリング員ではないプレイヤーが入ってきているのが見えた。桃色の長髪を持つそのキャラクターの頭上には"メル"の名前が表示されている。
『あー、まさかとは思うけどリング見学の人かな? 悪いけどこのリングはほとんど人のいない幽霊リングみたいなものだから、他のリングを当たった方がいいと思うよ……』
『リング……? よくわかんないですけど、通りがかったので見に来ただけです! ここって畑がいっぱいあるから、八百屋さんでもしてるのかなって思って!』
予想外の返答にレモティーは首を捻った。リングのことを知らないということは初心者だろうかとも思ったが、装備的にメルはそれなりにレベルを上げているプレイヤーだ。からかわれているのだろうと結論付けたレモティーは、つい素っ気ない態度をとってしまう。
『八百屋なんてここには無いよ。ファームで採れた物はリング倉庫に自動的に収納されるから売りには出せないんだ。ボクは作物の世話をしなくちゃならないから、満足したなら帰ってくれないかな』
『ええっ、そうなんですか? 出来た物が見られないのは残念ですけど、お世話っていうのは面白そうですね! 私にもできるんですか?』
『面白そう……この単純作業が……? 本気で言ってるの?』
メルの反応はレモティーの神経を逆撫でした。帰ってくるかどうかも分からないリング員のために、1人で延々とファームと拠点を維持してきた日々の虚しさなど、彼女が知る由もない。しかしその一言はレモティーにとって簡単に許せるものではなかった。
『ああもう、煩いなっ! 気が散るから出ていってよ! 君はRISEとは無関係なんだからさ!』
『あう、ごめんなさい……邪魔するつもりはなかったんです……』
"謝る"エモートを出しながら、メルはトボトボとファームを去っていった。彼女の背中を見ながら少し言い過ぎたかなと思ったレモティーであったが、わざわざ謝りに行く気も起こらず、その日はそのまま黙々とファームの手入れ作業をした後、そっとログオフしたのだった。
――翌日
レモティーは日課のためにリング拠点へとやってきた。相変わらずリングメンバーリストは自分以外ログオフの状況だ。かつてリングメンバーと夜遅くまで語り合った広場はすっかり寂れており、通りがかる度に物悲しくなる。
(……今日も誰もいない、か)
虚ろな瞳でぼんやりとファームへと向かうレモティー。今日も農作物の手入れだけして、さっさとログオフしようと考えていた彼女であったが、ファームへの移動で画面が暗転した直後に見えた光景に驚いて硬直してしまった。
『あっ、昨日はごめんなさい! 仲直りしようと思って、やってきました!』
驚いたことに、ファームの中では昨日見かけたプレイヤーが待っていたのだ。しかも"謝る"エモートを連続で出しながら近寄ってくる。
『今日も畑のお世話をするんですよね? これ、差し入れなのです!』
メルからの取引要請を受けて、レモティーの画面上にトレード窓が浮かび上がった。そこには1杯の"レモンティー"が置かれていたのだが、このアイテムはファームの作業に一切影響を与えないただの飲み物である。彼女が何故こんな事をしているのか理解できずに考え込んでいると、追加のチャットが吹き出しで表示された。
『露店で売られてたレモンティーで申し訳ないんですけど、お名前的にこれが好きなのかなって……』
その発言にレモティーは思わず吹き出しそうになる。確かにレモンティーが好きだからと安直に名付けた名前とはいえ、その事に言及したのは彼女が初めてだったからだ。仲の良かったRISEのリング員とでさえ、そんな会話はしたことがなかった。レモティーは肩の力を抜き、素直にトレードを受諾することにした。
『……ありがとう。昨日はごめんね』
『いえいえ! ところで、私もなにかお手伝いできますか?』
『あー、えっとね……』
メルの申し出は嬉しかったのだが、レモティーはすっかり困ってしまった。というのも、リング員でない彼女に手伝いなど一切できないからだ。勿論リングに勧誘すればファーム手入れの権限を付与することができるが、肝心の勧誘権限が派閥分裂時にリングマスターにより凍結されていたため、下っ端のレモティーではどうすることもできない。
(それに手伝ってもらうにしても、作物をクリックするだけの単純作業なんて、面白くもないだろうしね……)
正直なところ、ファームの手入れというのはつまらない作業だった。マウスのカーソルを作物に合わせて、左クリックを連続で押し込むだけの、ゲーム性など微塵も感じられない要素――それがNeCOにおける"農業"だったのだ。
親切な彼女にそんな事をお願いしてしまっても負担になるだけだというのは、レモティー自身がよく分かっている。故に今回は「有り難いけど特に手伝って貰える事はないかな」と答えるべきなのだ。しかし彼女の手は別の言葉をキーボードに打ち込んでいた。
『なら……一緒にここでお喋りしてくれないかな? 一人だと、なんか寂しくてさ』
自分でも不思議だった。何故そんな馬鹿げた願いを求めてしまったのか。相手はゲームを楽しむためにNeCOをしているのに、2人きりでチャットをして欲しいなんて言われても困るだけのはずだ。ひょっとしたら気持ちの悪い人だと思われて、二度とファームに来てくれないかもしれない――そんな後悔が胸の中を渦巻く。すぐに「今のは冗談だよ」と訂正しなければと、キーボードに指を触れた瞬間だった。メルから新たな吹き出しが飛び出た。
『そんなことならいくらでも! 私もお喋りは好きなので!!』
信じられないことにメルはレモティーの望みをあっさりと聞き入れたのだった。そして、その日からファームの手入れは少し楽しくなった。レモティーがファームにいるとメルがやってきて、賑やかなチャットが始まるからだ。会話内容は毎日変わり、本当によく話題が尽きないなとレモティーが驚くほどに彼女は喋り続ける。すっかり打ち解けたレモティーも、次第にリング崩壊の話や誰も来なくて寂しく思っていた事を話すようになっていった。そんなある日、メルから何気なく言われた一言をレモティーはその後もずっと大切に覚えている。
『遊ぶためにやってるんですから、楽しまないとダメですよ!』
ただの義務感か、それともかつて共に遊んだリング員が戻ってくる事への切望だったのか――自分でもよくわからない感情でしがみついていた拠点に、別れを告げる決心がついた日だった。RISEを脱退したレモティーはその後、メルやココノアと共に新たなリングを立ち上げる。その名は"ARISE"――「起き上がる」という意味のワードは、まさしく沈みゆくRISEを捨てて新たな1歩を踏み出した彼女自身を表していたのだった。
――そうして今、何の因果かわからないが異世界においてもレモティーはメルと共に農作業をこなしている。NeCOの時と違う点があるとすれば、メルだけでなくココノアも一緒に手伝っている事だろうか。なおARISEはその後NeCO内で行われたリング対抗バトルロイヤルイベントで奇跡的な優勝を果たすのだが、それはまた別のお話である。
「うーん、手伝ってたって言っても私はチャットしてただけだった気がしますよ?」
「いやいや、あの頃のボクにはそれだけでもかなり有り難かったんだよ。なんたってそれまで死んだ魚みたいな目で作業してログオフするだけの日々だったからね。楽しみも何もありゃしなかったんだからさ」
かつて見失いかけていたオンラインゲームの楽しみ方を思い出させてくれた少女に、心から感謝の気持ちを伝えるレモティー。そんな彼女に対してメルは少し照れながら頬を緩めるのであった。
「そういや、ファームとか釣りとかのスローライフ要素みたいなのって、結局どこもやらなくなってたよね。うちのリングくらいじゃないの、最後までやってたの」
「まあ旨味が無くなっちゃったからね……一応ファームでは超低確率でレアな果物ができるっていうお楽しみはあったけど、それこそほぼ不可能なレベルだったし」
「確か0.05%でランダムに出来るんでしたっけ。よくよく考えると酷い確率ですね……」
リング拠点のファームで作成できたアイテムは料理スキルに使うことができたものの、ガチャのハズレとして大量に出回った消耗品が調理アイテムの上位互換になったため、ゲーム後期ではファームの需要はほぼ皆無となっていた。そこで運営側がテコ入れとして一定の確率で収穫できるレアアイテムを実装したのだが、結局誰もゲットできないままにサービス終了を迎えている。
「……今思い返しても運営の舵取りがダメダメすぎる」
「そうですね……」
NeCOを最後の瞬間までプレイしていた彼女達でさえ、運営への評価は酷いものだった。もう少しプレイヤーの声に耳を傾けてバランスを調整する事ができていればサービス終了を避けることもできたのかもしれないが、後の祭りである。
「さてと、残りの作業に取り掛かかろっか! 今日中にレモン園の収穫は済ませたいからね!」
スカートについた埃を払って立ち上がるレモティー。長めの休憩をとった上に、懐かしい思い出に浸る事もできたので活力は十分に漲っていた。だがそんな彼女の視界に見慣れない妙なモノが映り込む。
「ん……!?」
頭上のレモンの木に赤色の実が出来ていたのだ。形状自体は他のレモンと大差ないが、表面が炎のごとく真っ赤に染まっており、不思議な光沢を放っている。
「あれ? こんなの初めてみたよ。病気になっちゃったのかなぁ……?」
レモティーが指をパチンと鳴らすと、彼女の足元から蔦が生え出てきた。空に向かってぐんぐんと伸びていったそれは、赤いレモンへと絡みつくとプチッと音を立てて枝から実を切り離す。落ちてきた実を右手で見事にキャッチすると、彼女はそれをまじまじと見つめた。
「ふむふむ、病気ってわけでもなさそうだね。試しにスキルで確認してみようかな……鑑定!」
分からないものにはとりあえず鑑定を掛けるのが一番手っ取り早いとばかりに、レモティーはすぐさまスキルを発動させた。問題なくスキルの効果が発揮され、正体不明の実に関する情報が彼女の頭の中へ流れ込んでくる。
「……うん!? 超デカデカの実だって!?」
唐突にレモティーが素っ頓狂な声をあげた。その様子を隣で見ていたココノアとメルも驚いたように顔を見合わせる。
「それって、ファームで出来る超低確率の果物じゃないですか!?」
「えっ、待って。この世界でも出来るのそれ?」
「鑑定の結果は嘘をつかないし、これは本物みたいだ。NeCOじゃ最後までお目にかかれなかったのに、まさかここで手に入れることになるなんてびっくりだよ……」
超デカデカの実――赤いレモンの正体はNeCOで実装された幻のアイテムそのものだった。アップデート情報で名前だけは判明していたが、その見た目も効果も全てが不明とされており、攻略Wikiでも詳細不明と書かれたままである。だがレモティーはスキルの効果により、その全てを把握することが出来ていた。
「鑑定によると、この果物を食べると一時的に身体が10倍の大きさになるみたいだね。確か類似のアイテムでデカデカのステッキっていう魔法アイテムがあったけど、それの超スゴイ版って感じかも?」
「えー、デカデカのステッキって宴会芸用のアイテムじゃない。見た目は2倍くらいになるけど、ステータスは一切変わらないし、むしろモニタの描画範囲が狭くなって不便だったよ、あれ」
ココノアが怪訝そうな表情で呟く。NeCOでは見た目のサイズを2倍にするデカデカのステッキという消耗品があったが、それは実用性のないネタアイテムであった。幻とされたアイテムもその仲間かと思うと、期待はずれ感が否めなかったのだ。
「ま、まぁそれでも珍しいアイテムであることには変わらないじゃないか! それにどこかで使い道があるかもしれないし、これはメルが持っておいてくれないかな?」
「えっ、私がですか? でもせっかく採れた激レアアイテムですし、レモティーちゃんが持ってた方がいいんじゃ……?」
「ううん、いつぞやのお礼だと思って受け取っておくれよ。それにそのポーチに入れとけば、無くす事もないだろうしさ!」
いつぞやのお礼、という言葉に覚えがなくメルは首を傾げる。しかしポーチに入れておけば無くす心配がないというのはその通りだと思ったので、彼女はレモティーから赤い果物を受け取った。
「それじゃ私のポーチに入れておきますね!」
「うん、任せたよ。必要な時がきたら、躊躇なく使ってもいいからさ」
メルが超デカデカの実を大事そうにポーチへ仕舞い込む様子を見届けると、レモティーは「よし、それじゃ続きに取り掛かろうか!」と勢いよく右拳を空に突き出した。思わぬ副産物を得た彼女達はその後も順調にレモンの収穫を続け、夕方には予定よりも早く出荷用の荷造りまで済ますことができた。翌日にはトルンデインからやってくる荷馬車に乗せて売りに出す予定だが、これによりトルンデイン周辺におけるレモン相場が酷いことになるとは夢にも思わないレモティー達なのであった。




