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うちの子転生!  作者: 千国丸
32/107

032.吸血鬼④

オーレアとリセが初等学校までやってきた頃には、すでにカロンの姿はなかった。いつもならこの時間には校門前で待っているのにと、オーレアは首を傾げる。少し遅めの時間でもあったので周りは既に閑散としており、他の子供は殆ど残っていなかった。どこかで友達と遊んでいる、というわけでもなさそうだ。


「もう授業自体は終わっているみたいだし、おかしいわねぇ……? お手洗いにでもいってるのかしら?」


それからしばらく待ち続けても彼が学校から出てくることはなかった。不審に思ったオーレアは校門前の道を掃除していた老人に声をかける。


「すみません。私と同じ髪の色をした子をこの辺りでみませんでしたか?」


「ああ、背の小さい男の子の事か? しばらく前に見た気がするのう……いつのまにか居なくなってたから、帰ったとばかり思っておったよ」


「そうですか……ありがとうございました。一度自宅に戻ってみます」


頭を下げるとオーレアは来た道を足早に戻り始めた。リセもそれに付いて歩いていく。


「ごめんなさいね、リセちゃん。せっかく一緒に来てもらったのに……あの子ったらどこへ行ったのかしら」


「ん、あたしは大丈夫」


帰り道は2人でカロンの姿を探しながら歩いたが、それでも彼が見つかることは無かった。段々と焦りを見せ始めるオーレアに、リセは落ち着くように宥めた。


「あの子は賢いから、きっと大丈夫」


「そ、そうよね……ひょっとしたら今頃、家でお菓子を頬張ってるかもしれないわ! もしそうだったら勝手に帰ったこと、叱ってやりましょう!」


しかし、オーレアのそんな淡い期待はあっさりと裏切られる。自宅に帰った彼女達を待っていたのはカロンではなく、店の真ん中で青い顔をしたまま佇むビスの姿だった。


「お、お前達!? ()()()()カロンは一緒じゃないのか!」


オーレアの顔を見るなり、ビスが詰め寄る。その手には白い便箋が握りしめられていた。


「ど、どうしたのあなた……? 私達が学校についた頃にはもういなくて、先に帰ってるものとばかり……」


「これを見てくれ……!」


ビスから手渡された皺だらけの紙に目を通すオーレア。そこにはカロンを人質として預かったという旨の文章が綴られていた。誘拐犯からの要求として、今日の夜にビス1人で帝都の西平原にある廃砦まで来るようにも書かれているが、その意図までは記されていない。だが夫妻にとって最も問題だったのは最後の一文だった。


「要求が満たされない場合、息子は魔物の餌になる……ですって!?」


凶暴な狼型の魔物に血肉を引き裂かれるカロンの姿を想像してしまい、オーレアは言葉を失う。人見知りで寂しがりな息子が、このような脅迫を仕掛けてくるような野蛮な人間に連れ去られたのだ。今も怖い想いをしているのではないか――そう想うと、彼女は落ち着くことなどできなかった。


「そんな……っ! あなた、どうしましょう!? すぐに治安維持隊に通報したほうが……!!」


「いや、だめだ! そんなことをすればカロンは無事では済まないはず! この要求の通り、俺1人が指定場所までいくしかないッ……!」


額に汗を浮かべながら、ビスは拳を握り締める。相手はわざわざ1人で来るように指定しているような連中だ、帝都の治安維持隊が動いたことを知ればすぐにカロンを殺してしまうだろう――そう判断した彼は、愛する息子を助けるために己の命を賭す覚悟であった。


「なら私も行くわ! あなただけを行かせるなんてできないもの……」


「ダメだ、オーレア……カロンの命が掛かっている。お前はここでリセと一緒にあいつの帰りを待っててくれ」


駆け寄ったオーレアを抱きしめ、その背中を諭すように撫でるビス。今生の別れを惜しむように、彼らは抱き合った。古い壁掛け時計がカチカチと秒針を刻む音だけが静かな室内に響く。


「……今から支度をするよ。リセ、俺が出ていったら戸締まりを頼む」


しばらくしてからオーレアから離れたビスは、そう言い残して2階へと上がっていった。残されたオーレアは顔を両手で覆ったままその場で崩れ落ち、静かに嗚咽を漏らすのであった。





――その晩――





指定の時刻が近づいてきた。足元を照らすためのランプだけを持って、ビスは店の外へと出る。真っ暗な空には曇が掛かっており、月明かりすら遮られていた。ランプがなければ歩くことさえままならないだろう。


「待ってろよ、カロン……今助けに行ってやるからな!」


勇ましい決意の言葉とは裏腹に、彼が身に付けていたのは普段から着慣れた白い羊毛製のチュニックと革製の黒いズボンであった。防具や武器の類は一切持っていない。刃向かう意志があると思われるとカロンの身に危険が及ぶかもしれないため、徹底して無防備な格好を装ったのだ。


「……2階の物置にあった剣、持っていかなくていいの?」


闇の中から突然女性の声が聞こえてきた。一瞬驚いたビスであったが、その声の主がリセだとすぐに理解し、落ち着いて声がした方をランプで照らす。


「やっぱり、リセだったか……剣のこと、知ってたんだな」


そこには神妙な面持ちのリセが立っていた。着ている黒色ワンピースで周りの風景に同化しているせいか、声を掛けられるまで全く気が付かなかった。


「うん。掃除のときに見つけた。持っていくなら取りに行ってくる。あと、あたしも一緒に行くよ」


「気を遣ってくれてありがとうな。でもこれは俺が行かなくちゃならないんだ。悪いんだがリセには俺の代わりに明日分の仕込みをしておいて欲しい。明日もリセの菓子を待ってくれてるお客さんがいるんだ、準備は怠れないだろう?」


気丈に振る舞ってみせるビスであったが、その表情は死の覚悟が見て取れるものだった。人質を取っているのに金銭を要求することもなく、呼び出しのみを行う――つまりそれは犯人達がビス自身に用事があるということに他ならない。それが何なのかは誘拐犯に会うまで分からないが、無事に帰される可能性はないに等しいだろう。


(最悪、俺が殺されてもリセがいれば店はなんとかなる……君がこの店に来てくれて、本当によかったよ)


リセに向けて感謝を込めた笑顔を見せると、ビスは店に背を向けて歩き出した。もう二度とここに戻れなくなったとしても息子だけは救ってみせるという悲壮な決意を胸に、別れの挨拶を口にする。


「それじゃ、行ってくる。店のことは任せたぞ、リセ」


その言葉を最後に、ビスは振り返ることなく西の平野へ向けて歩き進んでいった。菓子店から離れていくにつれ、彼が手に持っていたランプの灯りが小さくなっていく。まるで命の灯火が消えゆくような不穏な光景を、リセは黙したまま見送るのであった。






――帝都西、ロベリ砦跡――






帝都から数km程度西に進むと見える廃砦――それはデクシア帝国では珍しくもない戦場跡の1つだ。周辺国を攻め落とし、自国へと吸収することで領土を拡大してきた帝国内には似たような古戦場がいくつも点在している。

捨て置かれた砦は既に朽ちて形も残っていないが、大きな角石を積み重ねた頑丈な壁だけは元の姿を保っており、四方を囲むように並んでいた。とはいえ、2m程度ある壁の内側は大きな瓦礫が地面に転がっているくらいで、ほぼ野草で覆われている状態だ。獣や魔物の類いが住処にすることはあったが、こんな場所を訪れる人間はいない。そんな砦跡地の中央で、珍しく今夜は焚き火がごうごうと燃え盛っていた。


「そろそろ時刻だ。例の男が来たら儂の前に引きずり出せ。もし他の仲間や治安維持隊を連れてきていたのであれば、その時はお前らに任せるぞ」


「ああ、分かってるよ。俺達はこう見えても裏社会じゃ名の通った傭兵団だぜ? ちょっとやそっとの人数を連れてきたくらいで敗けはしねぇよ。だが、もし奴が来なかったらどうするんだ?」


「……あの男は必ずここに来る。親という生き物は、そういうものだ」


「そういうモンかねぇ……しかし本当に1人で来られるとつまらねぇな。せっかくこんだけの人数を集めたんだ、せめて遊び相手くらいは用意して欲しいもんだ」


壁内には複数の人影があった。1人は白い襞襟が施された黒シャツとズボンを纏った初老の男性である。真っ白な頭髪と深い皺の入った顔は相応の年齢であることを示していたが、背筋は伸びており立ち振る舞いにも品があった。

そんな彼と言葉を交わしていたのは石壁を超えるほどの巨躯を持つ牛の獣人族だ。鍛え抜かれた浅黒い肉体には筋肉が浮き出ており、頭上に飛び出た真っ黒な2本の太い角を持つその姿は対峙する者を竦ませてしまうほどに逞しい。返り血で染まったかのような赤髪は後ろに流すかのごとく全て逆立たせてあり、露出した額から鼻頭にかけて稲妻のような深い斬り傷が縦に走っていた。


老人達の周囲にいた者達も皆大柄の男ばかりであり、斧や剣、機械式の弩といった物騒な武器で武装している。加えて、彼らは獣人の男を含め皆金属製の胴鎧を身に付けていた。その鎧は青銅や鉄で造られた短冊のような甲片をリベットで繋ぎ合わせて造られる、平板式の薄金鎧(ラメラーアーマー)であり、本格的な戦でも使われるものだった。その辺のチンピラや盗賊が身に付けているような代物ではないため、それなりに知識のある者がその姿を見れば、私兵や傭兵の類いである事がすぐに分かるだろう。


「……爺さん、アンタの依頼目的は分かってるつもりだけどよ、ここには武装した傭兵が20人もいるんだぜ。やっぱりあの菓子屋を襲撃した方が早くねぇか。俺達なら騒ぎになる前に皆殺しにできるぞ。こんな辺鄙な所で夜営しなくても済んだろ」


「ドロース、高い金で雇われているのだから依頼主の言うことは聞け。お前の言う通りその方が早いやもしれんが、もし奴がラティオ商会の連中と関係していると事が大きくなる可能性がある。それに、儂は奴に聞かねばならんことがあるのでな……」


ドロースと呼ばれた獣人――彼がこの傭兵団を取り仕切る長であった。元々は他国の出身であったが、その強さを見込まれて帝国に雇われていた時代があり、周辺国への侵攻戦争にも加わっていた経歴を持つ。帝国最強の傭兵として名を馳せた彼であったが、頭に血が昇ると相手が肉塊になるまで叩き潰す凶暴性から、暴虐の猛牛(ミノタウロス)という異名で蔑まれるようになり、いつからか表舞台から姿を消していた。今は犯罪行為も金次第で請け負う無法者と化している。


()()か……裏社会で生きる以上、奴らと事を構えたくはねぇな」


「だが、あんな場末の菓子屋に商会の後ろ盾があると本気では考えておらん。あくまでも可能性を考慮しただけだ……警戒するに越したことはないだろう」


彼らがそんな会話を交わしていると、小柄な男が焚き火のところへ駆け寄ってきた。カロンを誘拐した2人組の片割れである。


「お頭、ガキの父親がやって来ました。こちらの要求どおり、1人です」


「なかなか度胸のある男じゃねぇか。本当に他の人間はいなかったのか? 治安維持隊はどうだ?」


「索敵の魔法で調べましたが、何も引っかかりませんでした。問題ありません」


そうかそうかと頷くと、ドロースは周囲の部下に目配せした。それまで焚き火の近くに集まっていた数人の傭兵が武器を携えて、壁側へと回る。


「よし、ここまで連れてこい。一瞬でも逃げる素振りを見せたら腱を切っても構わん」


「今すぐに連れてきます」


それからしばらくして、小柄な男がビスを連れて戻ってきた。丸腰の男性1人に対して、10人以上の武装した傭兵が威圧するように彼を取り囲む。このような状況、普通の人間であれば恐怖で声も出せなくなるだろう。しかし彼は勇敢に声を張り上げた。


「お前達の要求通り、俺1人できた! カロンを返してもらおう!」


「尻尾を巻いて逃げ出さなかったことは褒めてやる。お前のガキはあっちにいるが、まずはこっちの話に付き合ってもらうぜ?」


ドロースが親指で指し示した後方――そこには縄で縛られたカロンの姿があった。ついさっきまで泣いていたのか瞼が赤く腫れていたものの、目立ったケガはなさそうだったのでビスはひとまず胸をなでおろす。


「お前が街はずれにある菓子店の店主だな?」


焚き火の正面へ突き出されたビスの前に老人が歩み出た。裕福そうな身なりではあるが、その目つきは鋭く、表情も険しい。脅しかけるように睨みつけてくる老人に負けじと、彼も真っ向から視線をぶつけた。


「ああ、その通りだ。お前達の要求は俺が1人でここでくることだったはずだろ! もう息子は関係ないじゃないか! 返してくれ!」


「ふん、貴様が儂の問いに素直に答えれば何もせずに返してやろう。だが答えなければ、この場であの子供の指を1本ずつ削ぎ落としてやるからな」


「なんだとっ……!? そんな事してみろ、俺が許さんからな!!」


冷静さを失ったビスは、激昂して老人に掴みかかろうとする。しかしドロースがその間に入るように立ちはだかった。有無を言わさず、ビスの頬を右拳で殴りつける。


「ぐあッ……!」


視界が揺れたと感じた次の瞬間、ビスは地面へ伏せていた。殴られた衝撃で体ごと倒されたのだ。口内が切れたらしく、口元からボトボトと鮮血が垂れる。


「オイオイ、立場ってもんが分かってねぇなお前は? 二度と子供が抱けないように、お前の腕から切り落としてもいいんだぜ?」


ドロースは背中に付けていた巨大な両刃斧を片手で振り下ろし、ビスの目の前に突き出した。全長1.5mはあるその斧には、人間の胴ですら簡単に両断できそうなほどに大きい刃が両側に装着されている。だがそれよりも恐ろしいのは、そんな金属の塊を片手で簡単に振り回すことができる獣人族の筋力だろう。手加減して殴られてなければ、今頃ビスの頭は砦の瓦礫と同じ運命を辿っていたに違いない。


「あまり痛めつけるな。口が聞けなくなると情報が引き出せなくなるではないか」


「チッ、ならさっさと進めてくれよ。俺達も暇じゃないんだ」


老人に戒められ、ドロースは不服そうに斧を引っ込めた。なんとか地面に片手を付いて立ち上がったビスであるが、その足元はよろめいており、流血もとまる気配がない。血の滴る顎を押さえながら何とか老人の方を向いた。


「正直に答えろ。最近貴様の店で売りに出していた菓子は、誰の入れ知恵で作ったものだ? レシピはどこで手に入れた?」


「な、なんでそんな事を聞く……?」


「貴様は聞かれたことにだけ答えればよい。息子の指が飛ぶのをそんなに見たいのかね?」


「くっ……!」


この老人がリセの作った菓子に興味を示している理由が、ビスにはさっぱり見当がつかない。しかし、ここでリセの名前を出してしまえば彼女の身が危険に晒されるのは火を見るより明らかだ。老人の問いに素直に応じるわけにはいかなかった。


「……全部、俺が考案したものだ! 作り方を知りたいなら教えてやる! これでいいだろ! 息子は何の関係もない!」


「嘘を言うでない。貴様の店は1ヶ月前まで取るに足らん存在だった。それが今では帝都で最も指折りの菓子を作るようになったのだ……第三者が関係していると考えるのが自然だろう。やはり息子のほうを痛めつけないと喋る気にならんか?」


そう言うと老人は近くにいた小柄な男に、子供の指を1本削ぎ落とせと命じた。指示を受けた傭兵はニヤリと笑みを浮かべると、銀色に光るナイフを片手にカロンの方へと近づいていく。


「や、やめろっ! やるなら俺のにしてくれ!! 何本でもくれてやるから!!」


「ダメだよパパ! パパの指がなくなったら、もうお菓子を作れなくなっちゃうじゃないか!」


ビスの叫びに呼応するかのように、カロンも出来る限りの声を張り上げた。硬い縄で手足を縛られ芋虫のように動くことしかできなくとも、必死に父の事を気遣う少年――普通の人間なら、その姿を見れば良心の呵責に苛まれただろうが、非情な傭兵達は顔色一つ変えなかった。彼の細い小指の根元へ鋭いナイフの刃があてがわれる。


「美しい親子愛だが……儂の目には茶番にしか映らぬな。愛する息子が悲痛に泣き喚くところを、目に焼き付けるがいい」


「やめろ……やめてくれッ! わかった、全部言う! 本当の事を話してやる! 菓子を作ったのは……うちで雇った娘だ。名をリセという……ひと月前から働きだした少女だ」


苦虫を噛み潰したような表情で真実を吐露すると、ビスは顔を俯けた。息子を助けるためとは言え、リセの事を喋ってしまったことに強い自己嫌悪を催す。


「ふむ……その様子なら嘘ではなさそうだな。おい、子供からナイフを離してやれ」


その言葉によりカロンの指から刃物は遠ざけられたが、依然として小柄な男は彼にむけてナイフの先端を突き付けている。それはまだ老人の要求が続くことを示していた。


「最初から素直に言えばいいものを……ではその娘とやらをここに連れてこい。そうすれば息子は返してやろう」


「リセに何をするつもりだ、あんた……!?」


「それを聞いてどうする? 儂の要求に従うしか貴様に選択肢はないのだぞ。それにしても……息子の命が懸かっているというのに、赤の他人の心配をするとはな。学のない平民はこれほどまでに馬鹿なのか。こんな下らない連中のせいで、息子は……」


苦々しい顔で拳を握り締めると、老人は燃え盛る焚き火へ顔を向けた。その虚ろな瞳に炎の揺らめきが映り込む。


「……良いだろう、少し話を聞かせてやる」


そう言うと老人はビスに向き直り、怒気を含んだ声で話し始めた。


「ある公爵が、貴様の店で作られた物珍しい菓子の話を耳にいれてな。屋敷に仕えていた専属の菓子職人に、同じものを食べたいから同じものを作れと命じた。だがその職人はどうやっても同じものを作れはしなかったのだ。業を煮やした公爵は職人から地位を剥奪し、追放してしまった……」


「なんだよ、その話は……俺の店が悪いって言いたいのか? 貴族連中が横暴なのは、今に始まったことじゃないだろう! そんな話、よくあることじゃないか!」


「ああ、貴様が言う通り、よくあることだとも……あの公爵は気に入らなければすぐに癇癪を起こすことで有名だったからな。だが、追放された職人は責任を感じたのだろう。翌日に庭の木で首を吊り……儂が見つけた時には冷たくなっていたのだ。」


「そんな事で自殺を……?」


「貴様、今……"そんな事"と言ったかッ!!」


ビスの呟いた言葉を耳にした途端、老人は激昂した。黒い瞳に憎悪の炎を宿してビスを捲し立てる。


「貴様らが下らない菓子など造らなければ、あいつは……息子は死ななくて済んだのだぞ!」


老人が傭兵を雇ってまでカロンを誘拐し、ビスを呼び出した理由……それは自死した跡取り息子の復讐であった。ビスからしてみれば到底理解できないような自殺原因ではあるが、老人の家系にとっては深刻な問題だったのだ。元々、彼らの一族は代々公爵家の菓子職人として仕えた功績を認められて、貴族位を授与されたほどの名家である。そんな名誉ある家系の職人が、平民が作る菓子を作れないという理由で職位を剥奪された――それはこのデクシア帝国において、最も恥ずべき没落の形の1つであると言えよう。

息子だけでなく一族の誇りすら失ってしまった老人は、しばらく茫然自失の日々を過ごしていた。しかし自死の真相を知ったことで、彼の頭は狂気に囚われてしまう。逆恨みにも等しいその怨嗟を菓子店ステラへと向けた彼は、今回の卑劣な計画を実行に移したのだった。


「ここまで言えば頭の悪い貴様にも分かろう……儂の目的は復讐だ。息子を殺した者へのな!! 早くその娘を連れてこい! この手で首を締め、同じ苦しみを味あわせてやるわ!」


老人は顔を紅潮させてビスに詰め寄った。そして両手で彼の襟首を掴むと、揺さぶるようにして怒鳴りつける。


「お前……リセを殺すつもりなのかっ……!」


老人の細い腕を掴み、引き剥がそうとしたビスだったが、それをドロースは許さなかった。少しでも反抗の意思を見せた彼に容赦なく蹴りを浴びせる。闘牛のごとき太い脚が横腹にめり込み、肋骨がいくつか折れる音が響いた。


「うぐっ……!?」


「オラッ、離れろ。大事な依頼主になんてことしやがるんだ、お前」


上手く呼吸ができず、地面に横たわるビス。蹴られた部分が痛み、立ち上がることさえできなかった。その様子を目の当たりにしていたカロンが心配そうに叫ぶ。


「パパ、大丈夫!? パパーッ!!」


「チッ、あのガキもうるせぇな……もういいんじゃねぇか、イロニアの爺さん。アンタが殺したい相手は分かったんだ。こいつらはここで処分して、店に行ってそのリセとかいう娘が来るのを待てばいいだろ。こいつの嫁共々、可愛がってやろうじゃないか、なぁ?」


ドロースが周りに向けてそう言うと、傭兵達は下卑た笑みを浮かべて「そうだそうだ!」「男なんて甚振っても面白くねぇしな!」と賛同した。不幸にもこの場に集まっている傭兵たちは裏社会で生きる者ばかりであり、まともな倫理観など持ち合わせてはいない。幼い子供に刃を突き立てる事すら抵抗はなく、自らの欲望を満たすためなら他人の尊厳を悦んで踏みにじるような外道共だったのだ。


「ふん……儂はその娘をこの手で絞め殺せるのなら何でも構わん。好きにしろ」


イロニアと呼ばれた老人はそう吐き捨てると、ビスとカロンを殺害することを許可した。依頼主の承諾を得たドロースはニヤリを笑みを浮かべる。巨斧を振り上げると、その刃先をビスへと定めた。


「お前と息子はここで死んでくれや。店は俺達が好きに使わせてもらうが、悪く思うなよ? この世は弱肉強食、弱っちぃ奴は全てを奪われても文句は言えねぇんだからな」


「やめろ、やめてくれ……ッ!! 家族には手を出すな……!!」


ビスは必死に懇願するが、周囲の傭兵たちはヘラヘラと笑うだけである。自分が死ぬだけならまだしも、カロンやオーレア、そしてリセまでもが犠牲になる――そんな最悪の結末を前に、ビスの表情が絶望に染まった。


(俺はなんて無力な男なんだ……結局、何も守れやしなかったッ……!)


それでも、カロンだけでも助けてやりたい……その一心で息子の方へ腕を伸ばすビス。そんな彼の首に向かって、断頭台の刃を思わせる巨大な斧が無慈悲に振り下ろされた。


――ザシュッ!!――


斧の刃が深々と地面に突き刺さる。誰もがビスの生首がゴロンと転がる光景を想像していただろう。しかし、そこに彼の姿はなかった。大斧はそこに生えていた雑草を数本切っただけだったのだ。


「……なんだとっ!? 奴はどこに逃げた!」


ドロースと傭兵達が驚いて周囲を見渡す。重症を負った人間がそんなに遠くまで逃げられるはずが無いと松明を片手に壁の内側を探して回ったが、その姿は一向に見つからなかった。


「……そうだ、息子は確保してるんだろうな!? そいつさえいれば――」


カロンの存在を思い出し、後方を振り返るドロース。しかしそこにいたのは子供を取り押さえていた傭兵ではなく、紫の髪を持つ美しい少女であった。その傍らでは小柄な男が白目を向いて倒れている。


「ごめん、支度してたらちょっと遅れた」


「リセお姉ちゃんなの……?」


黒いワンピースを着た少女はコクンと頷くと、左腕で支えていたビスをゆっくりと地面へ下ろした。ついさっきまで殺されそうになっていた彼は何が起こったのか理解できず、唖然とした表情で彼女へ問いかける。


「リセ、何故ここに……?」


「ん……助けにきた。2人とも、ここでじっとしてて。あの連中はあたしが片付けるから」


そう言うと、リセは傭兵達に向き合った。彼女の右手にはビスが自宅に置いていた幅広の長剣(ブロードソード)が握られている。


「この剣、勝手に持ち出してごめん。でもよく手入れされてて、使えそうだったから」


「あ、ああ……それは別にいいんだが……」


軍人時代のビスが前線で振るっていたブロードソードは、両手で扱うものであり決して小さくはなかった。勿論、金属製なので重量も相応にある。だがそれを彼女は包丁でも持つかのように、軽々と片手で持っていた。ビスは半ば信じられない様子でその様子を見ていた。


「あの女がリセとかいう娘か? ふん、探す手間が省けたじゃないか。ドロース、適度に痛めつけてやれ。だがトドメは儂の手で下す。殺しはするなよ」


「……」


「おい、ドロース……聞いてるのか?」


「へへっ……おもしれぇな。まさかこの俺があんなガキに出し抜かれるとはよぉ!」


イロニアの話を無視し、ドロースは舌なめずりをしながら斧を構えた。同時に傭兵達も武器を取り出し、リセへと向ける。それまで弱者が痛めつけられる光景を笑って見ていただけの彼らであったが、少女の登場でその雰囲気はがらりと変わっていた。


「なんだお前達……相手はたかが小娘1人ではないか。そんなに気張る必要はなかろう? 武器など使ったら勢い余って殺してしまうぞ!」


「素人は黙って見てろ! 言っとくが、アイツは普通の人間じゃねぇ。なんせ俺が斧を振り下ろすよりも早く、男1人を抱えてあそこまで移動したんだからな」


戦場で幾度となく死戦を潜り抜けてきた戦士としての勘がドロース達に警鐘を鳴らす。現に、暗闇に佇むリセの全身からは底知れぬ威圧感が放たれており、傭兵達の動きを牽制していた。相手はたった1人であるにも関わらず、彼らは少女を見据えたまま動くことができない。


「来ないの? なら、こっちからいくよ」


リセは前傾姿勢をとり、勢いよく地面を蹴った。その小さな体は撃ち出された矢のような凄まじいスピードで傭兵達の集団へと突っ込む。そのあまりの速さに、その場に居た誰もが反応できなかった。時間がピタリと止まったような刹那の刻を支配した少女は、闇夜に紛れながら悠々と剣を振るう。


――シュッ!!――


暗闇の中で銀色の輝きが一閃した瞬間、傭兵の右腕が血飛沫と共に宙を舞った。しかし肘から先を失ったというのに、男は自分が斬られたことに気づいていない。夜風に撫でられたようにしか感じなかったからだ。


「な、なんだったんだ……今の――がぁぁぁっ!?」


遅れてやってきた激痛により、男はようやく自身の腕ががなくなっていた事を自覚した。汚い悲鳴をあげながら悶える彼の姿を見て、周りの傭兵達は浮足立つ。


――ズサッ!――


続いて、その隣にいた男の両腕が武器ごと斬り落とされた。ゴトンという音とともに戦斧が地面に転がった瞬間、手首から噴水のごとく鮮血が吹き出る。彼は金属製の分厚い篭手を身に着けていたが、リセの放つ剣閃にはどのような防具も全く意味を成さなかった。


「ぐぉぉぉ!? どうなってんだァァァ!?」


次に消えるのは胴か、それとも首か――そんな恐怖と鋭い痛みに顔を引き攣らせて、傭兵は失神した。知覚の出来ない攻撃ほど怖いものはない。流麗に闇を舞う刃に屈強な戦士達はあまりに無力であった。防御もままならず、一方的に斬り刻まれていく。


「何なんだよ、これ!?」

「お頭っ! 助けてくだせぇ!!」

「こっちに来るなァァァ!?」


一陣の風が通り過ぎた後、廃砦は阿鼻叫喚に包まれた。リセが通った後の地面にはおびただしい数の血痕が飛び散っており、既に10人近い傭兵が倒れている。


「うん……やっぱりこの剣はよく切れるね」


ふわりと広がったスカートを風に靡かせる少女にはまだまだ余裕があった。目にも留まらぬ速さで剣を振るったにも関わらず、汗一つかいていないどころか、息すら上がっていない。さらに驚いたことに身体のどこにも返り血が付いていなかった。血飛沫が飛ぶよりも遥かに速い彼女の動きは、もはや化け物としか言いようがないだろう。


「やるじゃねぇか……! テメェ、どこの所属だ? 正規軍か? それとも冒険者か?」


強者と戦う時だけに見せるギラギラとした目つきで、リセを睨むドロース。興奮で全身の筋肉が膨張し、彼の体は肥大化していた。今にも突進していきそうなほどに鼻息を荒くしながら、じわじわとリセとの距離を詰めていく。


「……別に。強いて言うなら菓子職人、かな」


「ケッ、ふざけやがって……だが本気になった俺達を相手に、その余裕がどこまで続くか見物だな! おいお前ら、殺しても構わん! 全力でやっちまえ!」


イロニアの指示を破ることを承知の上で、ドロースは部下に檄を飛ばした。傭兵達は目的を生け捕りから殺害へ切り替え、リセへと遅い掛かる。


「このクソ女ッ!! 舐めやがって!!」


弩を手にしたスキンヘッドの大男が狙いを定めて矢を放った。機械式の弩によって射出された矢は、人力で扱う弓に比べて威力が数段高い。まともに当たれば、分厚いプレートアーマーの上からでも大きな穴が穿たれる程の威力だ。射程も弓より長く弾速にも優れているため、通常ならこの距離で避けることは不可能であるが――


「……霞斬り」


リセはそう呟くと、飛んできた矢を正面から切り払った。パキン、という音と共に真っ二つに折れた矢が地面へ落ちる。例え動体視力に優れる獣人族であっても、このような芸当は不可能だ。少女の強さは彼らの理解の範疇を超えていた。


「う、嘘だろ……化け物かよ!?」


「飛び道具はこっちにもある。これは、お返し……真空波斬(ソニック・ブーム)


彼女が素早く宙を切りつけた瞬間、斬撃が白い輝きを帯びた波動となって放たれた。それはスキンヘッドの男が反応するよりも遥かに早く着弾し、その巨体を吹き飛ばしたのだった


――ドォォン!!!――


轟音を響かせながら砦の壁に叩きつけられた男は意識が飛んでおり、そのままズルズルと地面に滑り落ちる。その様子を見ていた他の傭兵達は、恐怖で顔を歪ませながらその場から逃げ始めた。


「おい……お前達! 逃げるな!! 契約を破るつもりか!!」


イロニアが怒号をあげるが、彼らは耳を貸すこと無く一目散に走り去っていく。だがドロースだけは他の連中とは違った。斧を両手に構えると、地響きを鳴らしながらリセに向かって猛突進する。


「滾らせてくれるじゃねぇか! お前は俺がぶっ殺すッ!!」


「ん、相手ならしてあげるよ」


「なら受けてみろッ! 跡形も残らずミンチにしてやるぜェェェ!!」


膨張した筋肉をミシミシと鳴らしながら、ドロースが斧を振り下ろした。獣人族の筋力と巨躯を最大限活用した一撃は、まともに受ければ身体が縦に引き裂かれるほどの威力だ。だがリセはその動きを完全に読み切っており、向かってくる斧の側面を剣先で弾くことで軌道をずらした。


――ダァァァン!!――


斧はリセの立っていた位置よりも右側の地面に突き刺さり、周囲に砂煙を巻き起こす。渾身の一撃を避けられたドロースは、間髪入れずに次の攻撃を放った。


「なら、これはどうだァ!!!」


彼は巨大な斧を縦横無尽に振り回し、斬撃の乱舞を繰り出す。その風圧だけで周囲の草木が倒れるほどの凄まじい威力であったが、リセはどれも軽く受け流した。


「畜生ッ! なんで当たらねぇ!?」


血走った眼でリセを見据えながら、なおも斧で斬りかかるドロースであったが、その悉くが少女の細腕であしらわれる。未だかつて味わったことのない屈辱に、彼の額にはいくつもの血管が浮き出ていた。


「こんなものか……大したことないね」


「クソがっ……なんなんだよ、テメェ……!!」


全力で仕掛けたはずの攻撃を完璧に捌き切られ、ドロースは息切れを起こした。激しいラッシュの反動で筋肉はすっかり疲弊してしまい、動きが鈍くなる。全身から煙のごとき湯気を立たせながら目の前の少女を恨めしそうに睨みつける彼とは対称的に、リセは涼しい顔をしていた。


「連撃っていうのはこうやるんだよ」


そう呟いた彼女は獣人の巨体を剣先で捉え、反撃の剣技を放つ。


猛攻の剣舞(ソード・アセイル)


銀色に輝く剣閃が、瞬く間にドロースの身体を刻んだ。まずは斜めに斬り上げられた鋭い軌跡によって、その太い右角と右腕が切断された。続いて剣身を返した袈裟斬りが左角と左肩を斬り落とす。さらに身体を横に一回転させて放った横薙ぎの一撃が彼の右脚を裂き、太腿からその先を斬り離した。そんな流れるような剣舞の最後を締めくくったのは、魔力を帯びた斬り降ろしである。それは金属片を何枚を重ねた鎧をスポンジケーキを切るかの如く簡単に斬り裂き、男の胸板に深い傷を刻み込んだ。


「グアァァァッ!?」


自らの血飛沫で真っ赤に染まったドロースは地面に崩れ落ちる。リセの剣捌きが全く見えなかった彼は、気がついた時には暗い宇宙を見上げていたような状態だった。


「う、嘘だろ……俺がこんなガキに……?」


両腕をもがれた彼は、地面に落ちた斧を拾う事もできなかった。このまま俺は殺されるのかと、息も絶え絶えに少女を見上げる。


「大丈夫、殺しはしない。()()()()になる可能性はあるだろうけど」


「なんだと……!? ま、待ってくれ!! 俺達は雇われただけで、お前達には何の恨みもなかったんだ!! ほんとなんだよ!」


血の気が引いた顔で命乞いを始めるドロース。しかしリセは突き放すような表情で彼を一瞥するだけであった。元より彼女が傭兵達のトドメを刺さなかったのは、息子を魔物の餌にすると脅してオーレアに恐怖を与えた事への意趣返しだったのだ。廃砦内にいた傭兵達を全員戦闘不能に追いやった少女は、踵を返してビスとカロンのところへと戻る。


「2人共早くここから離れて。血の匂いを嗅ぎつけた獣や魔物が、ここに来るだろうから」


カロンの手足を縛っていた縄を剣先で切断しながら、リセは注意を促した。しかし自由になった彼は真っ先に父親へ抱きつくのであった。


「怖かったよぉ、パパ!!」


「すまなかったなカロン……怖い思いをさせてしまって」


栗色の髪を優しく撫でるながら、ビスは息子を強く抱きしめた。その姿にリセは優しく微笑み、彼らに向けて手を差し伸べる。


「リセ、ありがとう……色々ありすぎて、なんと言えばいいのか分からないんだが、君は俺達の命の恩人だ。本当に、感謝している……」


差し出された小さな手が、ビスにはとても大きく見えていた。彼女の手を取って立ち上がった彼は、改めて周囲を見渡す。しかしそこに広がっていた光景はあまりにも凄惨で、思わず目を伏せてしまいそうになった。


「カロン、見てはだめだ……」


ビスは右手でそっと息子の両目を覆った。リセに斬られた傭兵達はまだ息があったが、身体の一部を失った状態で倒れている状況だったからだ。地面は真っ赤な血に濡れており、生臭い血の匂いが辺り一面に漂っている。しかしそこに今回の事件における主犯、イロニアの姿は無かった。ドロースがリセに破れたと知るや否や、彼は廃砦から逃げ出していたのだった。


「あいつ……逃しちまったか。リセの事は知られたし、また因縁を吹っ掛けて来なければいいんだが……」


「ん、大丈夫。あたしが後で懲らしめておく。だから2人は心配せずに先に帰っててくれればいい……そうだ、これ返しておくね」


リセは手にしていた剣をビスに差し出した。だが彼は首を横に振る。


「いや……それは君が持っててくれ。俺よりも相応しい持ち手のほうが、こいつも喜ぶだろう」


「ん、なら貰っとく。それじゃもう行くから」


軽く手を振りながら、リセは砦の外へ向かって歩き始めた。その佇まいはいつもどおりの"菓子店の少女"に戻っており、目の前に広がる血の池を作り出した鬼神の如き存在と同一人物には思えない。


(君は本当に何者なんだ……? 何故それだけの力を持ちながら、素性を隠す必要があった……?)


彼の胸中にはある疑問が芽生えていた。武装した傭兵団を1人で制圧し、巨体を誇る獣人をも圧倒する彼女が、何故寂れた菓子店で職人の真似事なんかをしていたのか――納得のいく理由が見つからない。彼女なら冒険者や軍人として世界に名を轟かせることも容易かったはずだ。

それに、敵対していたとはいえ生きた人間を顔色一つ変えず切り刻む彼女の姿は、菓子作りの好きな無口な少女という心象とは全く異なるものだった。もしかしたらこれまで本性を隠していただけで、先程の姿こそが"本当のリセ"なのではないか……そう考えてしまうと、もう彼女を今までと同じ様に見ることはできなかった。


(これからも彼女に対して、今まで通り接することができるのか……? オーレアやカロンの隣に、彼女がいることを許容できるのか……?)


漠然とした不安はすぐに畏れへと変わった。自分達を救ってくれた事への感謝よりも、得体の知れない存在への恐怖が勝る。魔物という存在に常に脅かされてきたこの世界の人々にとって、それは至極当前の帰結だった。


(今ここで聞かなければ……リセの事を……)


彼女の素性を明らかにする必要がある――そう感じたビスは、小さな背中が闇に溶け込む前に思い切って口を開いた。


「リセ、待ってくれッ! 約束を破ってすまないが、どうしても聞きたいんだ! 君は一体、何者なんだ? 本当の事をここで話して欲しい……!」


その言葉に立ち止まるリセ。しかし振り返ろうとはせず、黙り込んだままであった。しばらくの沈黙の後、彼女は困ったような表情をビスへ向ける。


「……それじゃ、正直に言うことにする。多分信じてもらえないと思うけど、あたしはこことは違う世界からやってきたの」


「ここと違う世界、だって? 何を言ってるんだ……? そんなものがあるわけないだろう! 俺は真面目にリセのことを知りたいって――」


「うん……やっぱりそうなるよね。この1ヶ月、本当に楽しかった。みんな元気で」


寂しそうな表情でそう呟くと、リセは夜闇に姿を消した。それからいくらビスがその名前を呼んでも、彼女が応えることはなかった。


「パパ、リセお姉ちゃんはどこへ行ったの? お店に帰って来るんだよね?」


悲しそうな顔で見上げるカロンに、ビスは目を逸らしながら答える。


「あ、ああ……もちろん帰ってくるさ。俺達も帰ろう、オーレアが心配してるだろうからな」


息子の手を引きながら廃砦から足早に立ち去るビス。だがその言葉とは裏腹に、彼の胸中にはもう二度とリセが帰って来ないのではないかという予感が渦巻いていたのだった。






――ロベリ砦跡から東に1kmの平野――





「クソ、あの役立たず共が……!」


イロニアは傭兵達を誹りながら、帝都へ向けて何も無い平野を走っていた。廃砦までは馬車を使って移動していたのだが、逃げ出した傭兵に奪われてしまったため彼は自力で逃げざるを得なかったのだ。老化で脆くなった体が悲鳴を上げ、磨り減った関節には痛みが走ったが、もしあの化け物が追いかけてきたらと思うと、勝手に体が動いた。


「はぁ、はぁ……見ておれ、平民共……! なんとしてでも生き残って、儂が貴様らに裁きを下してやるからな……!」


完全なる敗北を喫しても、イロニアは復讐に囚われ続けていた。息子が死んだのは菓子店ステラのせいだとこじつけて、歪んだ怒りの矛先をリセへと向ける。見当違いの逆恨みは既に妄執と化していた。


「む……なんだ、この音は?」


自身の足音と呼吸音以外に何かの息遣いが聞こえたように思い、イロニアは慎重に足を止めた。だが周囲は真っ暗で何も視えない。改めて彼が耳を済ませると、獰猛な獣の鳴き声が近づいている事に気づいた。


――グルルルッ……!――


その唸り声が聞こえた時には既に遅かった。狼のような魔物達に周りを取り囲まれており、イロニアは逃げ場を失っていたのだ。それは奇しくも彼がビスを呼び出した時とよく似た構図であった。


「な、なんだ貴様ら!? 獣如きが、儂を喰おうというのか……!?」


人肉を好む、赤い魔狼――ブラッドウルフ達は帝国領土内でも珍しくはない魔物だ。しかし帝都の近くにこれだけの数が出没することは滅多に無い。廃砦から漂う血の匂いに誘われたのか、飢えた魔物達は一様に口から涎を垂らしていた。


「や、やめろ! こっちに来るんじゃないっ!!」


老人が声を上げた瞬間、狼達が一斉に飛びかかった。為す術もなく地面に叩きつけられた彼は、次々と太い牙で貫かれる。着ていた高級そうな衣服には大量の血が滲み、赤黒く染まっていった。


「ぐあぁぁぁ!!!」


四肢を裂かれる痛みに目を見開くイロニア。そんな彼の視界へ不意に人影が映った。助けが来たのだと思い込んだ彼は縋るように手を伸ばす。


「た、助けてくれ……頼む……!」


しかし伸ばした腕の先にいたのは、彼の企みを打ち破った張本人だった。背は腹に変えられない状況であったが、憎き相手に助けを求めることは彼のプライドが許さない。イロニアは激痛に歯を食いしばって耐えながら、腕を引っ込めた。


「結局、自分が魔物の餌になったんだ。自業自得ってやつだね」


鋭く光る白い牙を覗かせながら少女は呟いた。蔑むような表情で傍観を決め込む彼女にイロニアは悔しそうに吐き捨てる。


「くっ……なぜ、なぜだ……なぜ貴様は魔物に襲われない!?」


せめて1匹か2匹でも少女に食らいつけば、息子の仇を取ることが出来るかもしれないと彼は考えていた。しかし魔狼達は彼女を襲うどころか、見向きすらしていない。どんな人間にでも容赦なく襲いかかる魔物がここまで無関心なのは異常であった。


「貴様、もしや……――ごふっ!」


イロニアの口から赤黒い血が大量に吹き出る。ブラッドウルフ達が競うようにその身体を貪ったことで、血液が体内を逆流したのだ。既に彼の体の半分以上は食われており、吐き気を催すような生臭さと共に真っ赤な内臓が盛大に地面にばら撒かれている。そんな惨たらしい死の間際を黙って眺める少女に向けて、最期に彼は一言呟いた。


「魔族か……?」


しかしその問いに少女が答える事はない。代わりに黒みを帯びた青色の瞳を妖しく光らせると、彼女は夜の闇へと消えゆくのだった。






――翌日、菓子店ステラ――






「んん……もう、朝か?」


ビスは窓から射し込む眩い朝日で目を覚ました。見慣れた寝床には穏やかな寝息を立てるカロンの姿もあった。


「お前が無事で本当によかったよ……」


微笑みながらその頭を撫でようとしたビスであったが、暴行を受けた脇腹がズキズキと痛むせいで、顔をしかめる。


「いたたた……あの後、すぐに眠っていたのか俺は……」


まだぼんやりとする頭に活を入れ、昨晩の記憶を振り返った。無事に自宅まで帰り着いたビスとカロンは、オーレアと感動の再開を果たすことが出来た。しかし重症を負っていた彼は応急手当を受けた後、気絶するように眠り込んでしまったのだ。そこから先の意識は途切れており、リセが帰ってきたのかは確認できていない。


「リセは……リセはどうしたんだろうか……?」


彼女がここに帰ってきたのか確認するべく起き上がろうとしたが、腹部の痛みで身体が上手く動かせなかった。しばらくベッドで悪戦苦闘していると、ガチャリと音を立ててオーレアが寝室へ入ってきた。


「あらあなた、まだしばらくは安静にしておかないとダメよ? 一応市販の回復薬は飲ませたけど、それでも油断はできないんだから。当分お店は休みにしておくから、気にせず寝てなさいな」


「大丈夫だ、それほど悪くはないさ。ところでオーレア、リセはいるのか……?」


「リセちゃん? 昨日から見てないけど……呼んできましょうか?」


ビスが首を縦に振ると、オーレアはリセが使っていた元物置部屋へ向かった。ノックをしても返事がないので、彼女はゆっくりと扉をあげて中の様子を伺う。


「た、大変よあなた! リセちゃんが居なくなってるわ!! あの子の私物が全部綺麗スッキリ片付けられていたの!!」


大慌てで寝室へ戻ってきた彼女は、小さな便箋を手にしていた。綺麗に折りたたまれた紙には、リセのものと思しき丁寧な字が透けて見えている。


「この手紙、リセちゃんが置いていったみたいなんだけど……」


オーレアが差し出した手紙を受け取ると、ビスはすぐに広げて目を通し始めた。そこには飾らない言葉で書かれた素直なリセの気持ちが綴られていたのだった。何も分からず彷徨っていた時に店に迎え入れて貰った事への感謝や、一緒に菓子を作った日々がとても楽しかった事、そして買ってもらった衣服が可愛くて嬉しかった事――そんな内容が紙面にみっしりと書かれていたのである。


「リセ……」


ビスの瞳はいつのまにか潤んでいた。この家で過ごした全ての時間を喜んでくれたリセと同じく、自分達もまた彼女と過ごした日々を幸せに感じていた事を思い出したからだ。さらに手紙を読み進めると、この家を出ていく決心をした事について書かれていた。ヒトとは違う力を持つことを自覚している事、そしてそのせいで迷惑を掛けるかもしれないと不安に思っていた事――そんな悩みから、自らここを立ち去る選択をしたと彼女は記している。そして手紙の最後は、家族3人の安泰を願う心温かい一文で締めくくられていたのだった。


「なんてことだ! すまない、リセ……うぅ……!」


リセの想いを読み終えたビスは嗚咽を漏らした。紛れもなく彼女は家族の一員だったのに、疑心暗鬼になってその素性を問い詰めた自分が間違っていたのだと深く後悔する。もしあそこで違う言葉を掛けていれば、心優しい少女はこの家から去らなくても済んだかもしれないからだ。


「あなた……大丈夫よ。いつかまた、リセちゃんは笑顔を見せに帰ってきてくれるわ」


夫の様子から手紙の内容を察したオーレアは、優しく彼の肩を抱きしめた。しばらくそのまま妻に身体を預けていたビスであったが、ふと枕元に倒れていたボロボロの絵本に気が付く。それはカロンのお気に入りである心優しい吸血鬼の物語だった。


「そうか、俺は――」


自分が絵本の村人と同じ過ちを犯していたのだと悟るビス。約束を違えて大事な物を失うという末路までそっくりだった。しかし、この寓話とは違う点が1つだけある。村が滅んでしまい彷徨うことになった吸血鬼の物語とは異なり、リセにはまだ帰ってくる場所(ステラ)が残されているのだ。


(いつリセが戻って来てもいいように、この菓子店を守り続ける……それが俺の贖罪だ)


美しい紫の髪を持つ()()()の姿を想い浮かべながら、ビスは硬く決心する。いつか彼女が帰ってきたら、今度こそ本当の家族として迎え入れようと。

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