031.吸血鬼③
リセを迎えた日から、ビス達の生活は少しずつ変わり始めた。まず変化が著しかったのは労働時間である。毎日のように朝早く準備をし始めて、夜遅くまで仕込みをしていた生活が今では嘘のように大きく改善された。たった1人雇うだけでここまで変わるものかと、ビス自身も驚いたほどだ。おかげで家族と過ごす時間が増えて、カロンも喜んでいる。
次に変わったのは店で取り扱う品書きであった。リセが作る菓子にはビス達も知らないものもあり、それらはどれも美味であったので商品として売りに出してみたのだ。斬新な見た目の菓子達はすこぶる好評で、他の店では食べられない菓子が手に入ると購入客を通じて噂が広まり、多くの買い物客が訪れるようになった。売上が増えたことで仕入れる素材にこれまで扱ってなかった果物や調味料などが加わり、さらに菓子のバリエーションが増えたおかげで数週間でメニューは倍以上になっていた。
仕入れる材料が増えることで取り扱う菓子の幅が広がり、またそれが客を呼び込む――その好循環により店の経営状況は劇的に改善された。家族の生活を支えるだけで手一杯だった日々の売上は大きく伸び、今や菓子店ステラは帝都でも有数の名店に仲間入りしている。それなりに忙しくはあるが、あらゆる仕事を卒なくこなす器量の良いリセのおかげで、コクトス家の暮らし振りはかなり良くなった。そんなリセに感謝を示すべくビスは給金を倍以上にすると申し出たのだが、彼女は出会った時と同じくお金はいらないと答えるだけで受け取りはしなかった。
「困ったな……リセはこの店に尽くしてくれているというのに、全く賃金を受け取ろうとしない。食事も殆どとらないし、何なら受け取ってくれるんだ……?」
「お金がだめなら……そうだわ、服をプレゼントするなんてどうかしら? 女の子だし、きっと喜ぶんじゃないかしら!」
そんな妻の提案で、ビスはリセに新しい服を贈ることに決めた。普段はオーレアのお古をアレンジしたものを着ていた彼女であったが、新しい服には興味を持ったようだ。すんなりとビスの提案を受け入れた彼女を連れて、夫婦は帝都でも一流の服飾職人がいる店を訪れた。
「遠慮せずに、どれでも好きな服を選んでいいわよ? 私、娘がいたらこうやって一緒に衣服を買いに行きたいなってずっと思ってたの!」
「ん……なら好きなのを選ぼうかな」
オーレアは嬉しそうにリセに付き添いながら、「あれはどう?」「これも可愛いわよ」と声を掛けて店内を巡った。帝国随一の有名店というだけあって店内は広く、服だけに限らず靴やアクセサリまで取り揃えられている。すべて見て回ろうと思えば1日ではとても足りないだろう。
(もう半時間以上もあの調子だ……女ってのは買い物が本当に好きなんだな)
ここで俺の出番はないとばかりに、ビスは彼女達の様子を遠巻きに眺めていた。実際のところ、彼では女性向け衣類の良し悪しを判断できない。ただ、普段は口数が少なく表情の変化にも乏しいリセが、ここでは瞳をキラキラさせているように見えたので、連れてきてよかったと感じていた。
(それにしても、リセが来てからオーレアの機嫌が良かったのは、そういう理由だったのか)
リセをまるで自分の娘のように可愛がる妻の姿を見て、初日に彼女が嬉しそうにしていた理由がなんとなく分かった。生活苦のためこれ以上子供を作る余裕は無いと第二子を諦めていたが、心のどこかで娘も欲しいと願っていたのだろう。それが今、リセが居てくれるおかげで叶ったのだ。一方で、自身の甲斐性が無さを突き付けられた気がして、いたたまれなくなるビスであった。
「あ、これ可愛いかも……ゴスロリっぽくて良い」
不意にリセがピタリと立ち止まった。彼女の視線の先には黒を基調としたワンピースが飾られている。首元には真紅に染めたリボンが結ばれており、ふわりと膨らんだスカートにも同じ色のフリルが多用されている豪華な衣装であった。腰にも大きな帯が施されており、リボンと同じ結び方で添えられている。
「あらあら、可愛いわね! でも胸のところが開きすぎじゃないかしら?」
「これくらいなら大丈夫、問題ない」
ワンピースは胸の上部分が露出するデザインになっていたので、オーレアは大胆すぎるのではないかと心配した。というのも、見た目の幼さにそぐわずリセの胸には形の良い乳房が膨らんでおり、この服を身につけると谷間が丸見えになってしまうからだ。しかしリセがすっかりその衣装を気に入ってしまっていたので、オーレアは「若い娘はこういうのに抵抗がないのねぇ」と呟きながら店員を呼んだ。
「他に欲しいものはない? この際だから、靴とか下着も一緒に買ってしまいなさいな」
「ん……それなら、あっちにあったのもお願いしていい?」
リセはその後、灰色のひし形を縦に並べたような独特のデザインをもつ真っ黒なソックスを選んだ。膝上まであるそれは帝都では珍しいものであったが、彼女が選んだワンピースとよく合っていた。他にも靴や髪留め、肌着類などを購入した後、夫婦達とリセは自宅へと戻ったのだった。
本日休店の看板を掛けた菓子店の1階では、かすかに甘い残り香が漂っている。普段は商品を乗せるのに使っている大きなテーブルの上を布巾で拭くと、オーレアは買ってきた商品を丁寧に並べ始めた。皺にならないように形を整えてクローゼットへ入れるためだ。
「今日はありがと。買ってもらった服、今度出かける時に着てみようかな」
「ふふっ、どういたしまして。でも買った服だけじゃ足りないだろうし、また買いにいきましょうね♪」
「そうだな。いつもオーレアのお下がりだけじゃ飽きるだろうし、もっと買い足していかないとな」
上質な素材を使った一点モノの服だったので、決して安くはない買い物だった。しかしビス夫妻は家族同然となったリセにはできることをしてあげたいと常々思っていたので、出費も全く気にならなかった。3週間以上経っても相変わらず自分の事は一向に話そうとしないリセであったが、彼女なりにコクトス家に溶け込もうと頑張っているのはよく伝わっていたからである。
最初はぎこちなかったカロンも、今ではリセのことをお姉ちゃんと慕っていた。そして彼女もカロンのことを弟のように可愛がってくれている。本当の姉弟のように見える2人を見ていると、自然と微笑みがこぼれてしまうほどに愛おしく感じる夫婦であった。
「そういえばいつも髪型はそのままだけど、髪留めはどうやってつもりだったのかしら。良ければ私が好きな髪型にしてあげるわよ?」
「なら、ポニーテール……って言って伝わるのかな。後頭部で纏めて結ってほしいんだけど」
「分かったわ。それじゃあ少し失礼して……」
買ってきたばかりの髪留めを使って、オーレアがリセの髪を結い始める。腰まで届く長い髪が一つの束となり、馬の尻尾のようにしなやかに垂れた。そのままでも十分に美しいが、まとまると紫色がより深くなり、夜明けの空を思わせる鮮やかさが際立つ。
「あら、可愛いじゃない! リセちゃんの髪は本当に綺麗ね! 羨ましいくらいよ♪」
「本当にリセの髪は美しいな。いつも食事は少ししか食べてないのに、どうやって維持してるんだ?」
「ん……こんなの、普通だから」
容姿を褒められるのは苦手なのか、少し照れくさそうに視線を泳がすリセ。彼女はその日からポニーテールにして過ごすようになった。
――1週間後――
それからもリセの働きっぷりは変わらず真面目であった。開店前の雑務から菓子作り、そして翌日に向けた下準備まで、彼女は完璧にこなしてみせた。他国の民に比べて真面目な者が多いと言われるデクシア帝国であったが、自らを顧みない彼女の働き方はそれ以上であり、ビスとオーレアをしばしば心配させることもある。もっとも、リセに言わせれば「こんなの故郷じゃ普通だったよ」ということらしいのだが。
1ヶ月近くリセと過ごす中で、ビスは色々と不思議な点に気づいた。菓子職人でさえ舌を巻くほどの調理技術を持っている一方で、彼女からはこの世界に関する常識がすっぽりと抜け落ちていたのだ。帝都の住人なら当たり前のように知っていること――例えばデクシア帝国を含むこの大陸の地名や魔法の知識、それから人間族と亜人族の違いといった初歩的な内容ですら知らなかった。幸い言葉は問題なく通じていたので、一度教えてやるとすぐに覚えたが、随分と偏った知識しか持っていない事に違和感を感じざるを得なかった。
それ以外でも、リセに関して不可解に感じる点はある。例えば、彼女が夜に殆ど眠っていない事だ。ある日、深夜に尿意で目を覚ました彼が手洗いに行こうと寝室を出ると、リセに与えた部屋からランプの灯りが漏れていることに気づいた。灯りの消し忘れかと思い、念の為ノックをして入るとネグリジェを纏った彼女が本を読み耽っている所だった。眠れないのかと尋ねてみたが「ちょっと眠ればそれで十分だから」と答えるだけで、それ以上は話してくれない。それからリセの様子を観察していた判明したことであるが、どうやら彼女は夜2時間程度の短い仮眠をとり、昼休みに半時間ほど横になるだけで、日々の睡眠を補える体質のようだった。
また、食事もほんの少ししか口にしない。豆スープを椀に1杯飲めば良い方で、それ以外の物を食べているところは目にしたことがなかった。ただ甘い菓子は好んでいるようで、たまに自分で作った分を試食している事はあるが、育ち盛りの少女にしてはあまりにも不健康な食事内容だ。普通の人間であればとっくに倒れてしまっていることだろう。
(吸血鬼、か……)
今日も手際よく客の対応をするリセを見ながら、ビスは初めて彼女と出会った日のことを思い出していた。焼き菓子を食べる時に見せた異形の牙――普通の人間と異なる歯をリセが持っている事については、オーレアも既に知っていたのだが、「個性的でいいじゃない♪」と特には問題視していない。一方、カロンはリセのことを絵本に載っていた吸血鬼だと思い込んでいるようで、彼女の生い立ちについては言及しないという約束を頑なに守っていたのだった。結局のところ、少し変わったところも含めてみんなリセという少女を愛していたのだ。
(……そうだよな。リセはもう俺達の家族なんだ。すべてを話してくれる日がくるまで気長に待とうじゃないか)
いずれ彼女の口から素性について説明してくれる事を期待しつつ、ビスは自分の仕事に戻った。熱された石窯から、焼き上がったばかりの茶色い菓子を取り出していく。リセが考案したこの"ココアマフィン"は毎日50個以上作ってもすぐに売り切れる大人気商品だ。口に入れた途端にしっとりと濃厚なココアの甘さが広がり、噛みしめると生地に混ぜてある砕いたナッツが小気味よい食感をもたらしてくれる。他にも"ザッハトルテ"や"プディング"、"マカロン"といった新メニューが飛ぶように売れていた。ちなみにリセの故郷で食べられているという"ずんだロール"なる菓子も新商品の候補にあがっていたが、こちらは甘く煮た豆が帝都の住民には抵抗感がありそうだということでお蔵入りになっている。ただオーレアは絶賛していたので、いずれまた復活するかも知れない。
「洗濯物も取り入れたし、そろそろカロンを迎えに行ってくるわね。あなた、留守番を頼めるかしら?」
家の裏口からオーレアが入ってきた。いつのまにかカロンが通う学校の授業が終わる時間になっていたようだ。息子の送り迎えはいつも妻だけに任せていたビスであったが、今日は働き詰めになっているリセの息抜きを兼ねて行って貰うことにした。
「リセ、今日の仕事はもう上がってくれていいぞ。あとは俺だけでなんとかなるから、気分転換にオーレアと初等学校まで散歩してきたらどうだ? カロンもそのほうが喜ぶだろう」
「ん……まだ仕事あるんでしょ?」
「はは、大丈夫だよ。今日は天気もいいから歩くと爽やかで気持ちいいぞ。せっかくだし、服も着替えてくるといい」
「……なら、この前買ってもらった服に着替えてみようかな」
区切りのいい所で仕事を切り上げると、リセは2階にある自室へと戻った。しばらくして着替えを済ませてきた彼女は、先日帝都で購入した黒いワンピースに身を包んでいた。ついさっきまで着ていた質素なエプロンドレス姿とは見違えるほどに華やかになっており、思わずビスは息を呑んだ。
「それじゃあ行きましょうか♪」
オーレアに手を引かれて、リセは心地よい日差しが降り注ぐ帝都へと繰り出したのであった。
――その頃、帝立初等学校――
授業を終えたカロンは迎えを待つために校門の前で立っていた。母親譲りである栗色の髪は他の子供達に比べても鮮やかであり、遠目からでもすぐに分かる。
「まだかなぁ、ママ……」
早く帰ってリセに遊んでもらおうと思っていたカロンは待ちきれない様子で呟いた。本来なら彼は1人でも帰ることのできる年齢であるが、最近の帝都は物騒だということもあり親同伴の登下校が義務付けられている。そのため迎えが来るまでは校門の前で待ち続けなければいけなかったのだ。つま先で地面をトントンと叩きながら、カロンは暇を潰す。
「坊主、あの街外れにある菓子店の子供か? ステラとかいう名前だったはずだが」
そんな彼のところに、2人の男が近寄ってきた。1人は丸坊主の頭を剃っている強面の巨漢で、もうひとりは痩せ型で小柄な長髪の男だった。どちらにも見覚えが無かったが、店の名前を出されたことで警戒心が解かれ、話に応じてしまう。
「うん! そうだよ! 僕のパパはすっごく美味しいお菓子をつくるんだ!」
「そうかそうか……お前がコクトスの息子で合ってたか」
カロンの身元を確認すると、小柄の男は芝居がかったような口調で話し始めた。
「実は坊主のお母さんが近くで事故に遭っちまってな。
大変なことになっているから、急いで一緒に来てくれないか?」
「ママが大変なの!? はやくママのところまで連れてって!!」
それは典型的な誘拐の手口であったが、まだ7歳の男児にその真否を判別するだけの知恵はなかった。騙されているとも知らず、彼は人目につかない路地へと連れ去られてしまうのであった。




