029.吸血鬼①
――時はメル達が初めてこの世界に降り立った頃まで遡る。
デクシア帝国において最大の規模を誇る帝都ウルズ――そこでは綺麗に切り出された石材を積み重ねた大型建築物が規則正しく並んでいた。発達した魔術を建築術に転用することで建築可能となったそれらの建物群は、他国の都市では困難とされる10階以上のフロアを持つ物も多い。また災害時や軍事等において人や物流の動きを妨げないように、道幅は決められた距離を維持できるように設計されていた。そんな整然とした街並みはある種の美しさを持ち合わせており、そこに住む住民達もまた上品な雰囲気を纏う者ばかりだ。
そんな帝都のはずれにはポツンと小さな菓子店が建っていた。『菓子店ステラ』という手作りの看板を掲げたその店では、夫婦と幼い子供の3人家族が細々と生活をしている。裕福な上流階級層が多いのもあって菓子店はそれなりに繁盛しており、熱した型に小麦で作った生地を流して火にかけて焼いた菓子や、卵と牛乳でつくったクリームを入れたカップ形の生地を焼いた菓子などを主に売りに出していた。
「オーレア、明日の仕込みはこんなところでいいだろう。もう上がって休もう。カロンを寝付かせないといけないしな」
「そうねあなた。あの子ったら7歳になってもまだ絵本を読んであげないと眠れないんだから、ふふっ」
夜の21時頃、店内の調理場では店主であるビス=コクトスとその妻オーレアが翌日の準備をし終えたところであった。朝から店を開けるために休日前以外はこうして夜まで仕込み作業をするのが日課となっている。
「ふぅ……菓子店も軍と変わらんな。毎日が戦争みたいなもんだ」
「あら、その割にはあなた随分と楽しそうよ? 軍人として働いていたころよりも全然、ね」
「そうか? そうかもな……」
そう言って微笑むビスは元帝国軍人であった。その肉体はとても精悍なもので、菓子店へ買いに来る客が菓子作りのイメージに全く合わないその姿に吹き出す事も多い。一方、オーレアは栗色のロングヘアが特徴的な慈愛に満ちた女性であった。夫婦はともに人間族としてデクシア帝国で生を受け、幼馴染同士として育ってきた。年齢は今年で34と33となる。仲睦まじい彼らは1人息子であるカロンをこよなく愛しており、毎日家族3人で同じベッドで眠りにつくのが至福の一時でもあった。
――ガチャリ――
寝支度を終えて店の2階へ上がったビスが寝室のドアノブを回すと、パジャマ姿のカロンが絵本を持ってベッドの上に座っていた。待っていたとばかりに満面の笑みをみせて、ボロボロになった本を頭上に掲げる。
「パパ! ママ! 今日はこの本を読んで欲しいんだ!」
彼のお気に入りであるその絵本は、夫婦が彼の誕生日として与えたものだった。何度も読み聞かせているため、今ではすっかりくたびれてしまっているが、それでもこの本は彼にとっての宝物だ。
「カロンは本当にその話が好きだな。今日はパパが読んであげよう」
ビスはベッドへ身体を預けると、息子から受け取った絵本を大きく開いた。この本は上半分に子供向けの大きな絵が描かれ、下半分は文章が並ぶ構成となっている。読み聞かせの時はカロンに絵の方を見せながら、夫婦のどちらかが文字を声に出して読んでやるというのが お決まりのパターンであった。
「さ、本をパパに読んでもらったら、きちんと寝るのよ?」
「うん!」
カロンの隣へ横たわったオーレアは、その手で彼の頭を愛おしそうに撫でる。父親は黄に近い髪色をしていたが、母親が持つ栗色の方が遺伝したのだろう。明るい茶色に染まったカロンの髪は母親に似て、つややかで美しいものだった。
「それじゃあ、読み始めようか」
その言葉に続けて、ビスは絵本に書かれていた文章を口する。その内容は魔族と似た吸血鬼という存在が人間と共に暮らす村にまつわる物語であった。
『むかしむかし、あるところに小さな村がありました。小さな村のはずれには大きな館があり、そこにはなんと人間の血を飲むと言われる吸血鬼が住んでいたのです。その吸血鬼は古くからその村に住んでいましたが、なぜ吸血鬼がそこに住んでいるのかは誰も知らなかったのです。
吸血鬼は夜になると村を歩いては、出逢った村人や動物たちの血を啜りました。そんな吸血鬼が恐ろしくて、村の人々は夜になると外を歩くこともできなかったのです。
みんなが困り果ててしまった時、ある勇敢な若者が立ち上がりました。彼は吸血鬼を退治するため、昼間のうちにその館の窓という窓を全て真っ黒な布で覆ったのです。そして中で眠っている吸血鬼にむけて「吸血鬼さん、日は沈みましたよ」と、建物の外から大声で嘘をつきました。
若者の声で目を覚ました吸血鬼は、外がすっかり暗くなっている事に気が付きました。館の外へ出ようとした吸血鬼が玄関の扉に手を掛けたとき、若者が扉を開け放ちました。外は昼間だったので、館の中には眩い太陽の光が射し込みます。
太陽の光を浴びた吸血鬼は、跡形もなく消えてしまいました。
こうして吸血鬼がいなくなったことを、村の人々はとても喜びました。彼らは勇敢な若者を英雄とたたえ、夜まで盛大なお祭りを開いたのです。しかし喜んでいたのは村の人たちだけではありませんでした。夜になっても村の人たちが外で騒いでいる事に気付いた魔物たちは、「あの邪魔な吸血鬼がいなくなったんだな」とほくそ笑み、村を襲ったのです。魔物の群れによって、人間は全て食べられてしまいました。
真夜中、誰もいなくなった村の館で吸血鬼は生き返りました。そして滅んでしまった寂しい村を見てとても悲しみました。むかしむかし、この吸血鬼は人の血を分けてもらう代わりに、村を魔物から守るという約束をしていたからです。その事を忘れてしまった村の人たちは、心優しき吸血鬼を一方的に悪者だと決めつけ、恩を仇で返してしまったのでした。
この事があってから、吸血鬼は人間を信じなくなりました。そして空腹を満たすために、人間を襲うようになったのです。今もこの吸血鬼は世界のどこかで、人間の血を求めて彷徨っているのかもしれません……おしまい』
もう何度読んだかも忘れた本をパタンと閉じるビス。しかしカロンは眠るどころか、クリっとした大きな瞳を興奮気味に父へと向けていた。彼はこの本を読んでもらった後、いつも決まってこう尋ねる。
「この吸血鬼って魔族のことだよね? 僕達が約束を守れば、魔族も優しくしてくれるのかな?」
「前にも言ったけどな、魔族って奴はこの吸血鬼みたいに優しい生き物じゃないんだ。あいつらはいつだって人を食べることしか考えてないんだよ……」
そう険しい顔で答える彼には、魔族と剣を交えた経験があった。軍隊に従事していた頃に味わった恐ろしさは今でも脳裏に焼き付いて離れない。不気味な羊の頭をもつ大型の魔族に仲間が1人、1人と喰われていく光景は、今でも夢に見ることがあるくらいだ。トラウマとして刻まれた恐怖を打ち払うことができない彼は、2階にある物置の奥に昔使っていた幅広の長剣を護身用に保管している。
「あなた、絵本の話なんだからもっと優しく応えてあげて。カロンは純粋で、心優しい子なのよ。魔族の恐ろしさを教えてあげるのは、もっと大きくなってからでいいと思うの」
「ああ、すまない……つい、な」
オーレアが諌めるとビスは申し訳無さそうな表情を浮かべた。妻が言う通り、今はその純粋な心を育もうと決めた彼は息子の頬に手を添えて言い聞かせる。
「カロン、この絵本みたいに人間って生き物は大切な約束をしても忘れてしまうんだ。だから忘れないようにみんなで言い伝えたり、本にして残したりしていれば、吸血鬼とも仲良くやっていけたかもしれないな」
「うん! 僕もパパやママと約束したことは忘れないように、口で何回も言ったりするようにするよ!」
「よしよし偉いぞ。それじゃあもう遅いから、寝ような。灯りを消すから、本は枕元においておくんだ。おやすみカロン」
「おやすみパパ、ママ!」
お気に入りの絵本を枕元に立て掛けて、カロンは両親に挟まれながら幸せそうに瞼を閉じた。その様子を確認してからビスはランプに灯していた魔法の炎を消す。木組みの枠に綿を敷き詰めて布で覆っただけの簡素なベッドであったが、家族3人で寝るのにはちょうどいい大きさだった。大きな1枚の羊毛の掛け布団が家族を暖かく包み込む。
「すぅー……すぅー……」
すぐに寝息を立て始めた息子の頭を撫でつつ、夜の静寂が訪れた寝室でビスは目を閉じながら考え事をしていた。
(共生できる魔族なんて、この世にいるものか……!)
絵本の物語ではあたかも人間が悪いように描かれていた。だが人の生き血を啜るような化け物が、心優しい存在なわけがないと彼は心の中で呟く。もっとも、絵本のテーマは魔族と人の共生ではないことは彼もよく分かっていた。ストーリーの根幹にあるのは、交わした約束事を忘れてはいけないと戒める内容だ。この点においては良くある寓話だろう。長命種族と短命種族が過去に大切な約束を交わしたにも関わらず、何百年と時を経てから短命種族がそれを破ってしまう事象が過去にも多く存在していたのだ。実際にそういった事が原因となり、人間族とエルフ族による大規模な争いへ発展したこともある。
(そういえば帝都周辺での魔族の目撃情報が増えていると仕入先で聞いたな……皇帝陛下が代替わりしてから帝都の治安も悪化しているし、用心するに越したことはないか。オーレアには確実に戸締まりするように言っておくとしよう)
ここ最近、ビスは寝る間も家族のことを気にかける事が多かった。というのも、数年前からデクシア帝国では軍備増強に力を注ぐため庶民への搾取を増しており、治安も悪化の一途を辿っていたからだ。比較的裕福な層が多い帝都でさえ、宝石店に強盗が押し入ったという事件が先日起きている。しがない菓子店で盗みを働くような人間はいないだろうが、いざという時に自分が愛する妻と子を守れるかどうか、彼は不安で仕方なかったのだった。
(あとカロンにも外で遊ぶ時は遠くまでいかないように、言い付けて……知らない人にも……ついていってはダメだと、教えないとな……)
ビスの意識が次第にまどろみの中へと溶け込み始めた。いくら心配事が多くとも、一日中働いて疲労の溜まっている体は睡眠への欲求に抗えない。深いモヤがかかったように頭の中がぼやけていき、そのしばらく後にはすっかり深い眠りへと誘われていた。




