022.ハーヴェスト②
トルンデインの地下水路は四方に伸びる大通りに沿って設けられており、雨水や生活排水は北部方面を流れる河川へ流す構造となっていた。四角く切り出された石を高く積み重ねて造られたトンネルは頑丈に設計されており、竣工から気が遠くなるほどの年月を経た今も住民の生活を支え続けている。
――パシャ、パシャ――
底から20cm程度の茶色い濁り水が溜まった水路を、黙々と進む人影があった。湿気が籠もり、カビ臭い地下水路はネズミや虫が這い回る不衛生な環境である。だがその人物はそんな場所にも慣れているらしく、不快な臭気を気に留めることもなく進んでいく。
「はァ……ッ! はァ……ッ!」
息を切らしながら、何かから逃げるように出口を求める男。彼の頬は左側だけ紫色に変色しており、元の顔が分からないほどに酷く腫れ上がっていた。生気のない白い髪は汗でベッタリと額へ貼り付いており、引き摺り気味の脚からも既に肉体の限界を迎えていることが分かる。
「クソがッ……! もう脚が動かねェ……」
半ば倒れ込むようにして、男は壁にもたれ掛かった。せめて息を整えようとその体勢で休みながら、彼は自身の置かれている状況を振り返る。
(そろそろ連中には脱走がバレてンだろ……時間はそう残されてねェな……)
数日前、トルンデインを襲撃した彼――モルズは冒険者の少女によって返り討ちに遭い、衛兵団に捕らえられていた。全身打撲を負った状態では喋ることもままなら無かったため、尋問を受けさせるための回復薬を飲んではいたが、それでも完治には程遠い。体を動かすだけで精一杯な憔悴した男がここまで逃げて来られた理由は、その死霊魔術の才にあった。
(牢にいたネズミを不死化させたまではよかったが、今の魔力じゃ1匹を操るのが限界なんてな……他の四魔導に見られたら笑われちまうぜェ……)
モルズは小さなネズミを殺し、ゾンビラットとして使役することに成功していた。そして看守の目を盗み、ネズミに牢の鍵と手錠の鍵を取りに行かせる事を試みる。無謀な作戦にも思えるが、まさかネズミが鍵を狙っているとは思わなかった彼らは簡単に鍵を奪われてしまい、モルズはそれを使うことで地下水路へ逃げ込んだのだ。
(だが杖や服を取り戻すことはできなかった……魔杖があれば、追っ手をグールにして時間を稼ぐこともできたかもしれねェが……)
流石に装備を回収することは叶わず、モルズは罪人であることを示す無地の麻製シャツとズボンを身に着けたまま脱走せざるを得なかった。体内の魔力が底を突いている今、魔力を蓄えた魔杖なしでは魔法を行使することもできない。
「早く出口まで行かねェと、追っ手が来ちまう……ッ」
冷たい水に浸かり続けた足先は既に感覚がないが、それでもモルズは脱出を諦めてはいなかった。真っ暗な水路の奥に視線を向け、出口までの距離を目算する。この地下水路は採光用の開口部が設けられておらず、灯りがなければ歩くこともままならないのだが、暗視能力を習得した彼には出口へ続く道がはっきりと見えていた。
「あと少しだッ……!」
動かすたびに全身に走る激痛を堪えて、モルズは再び走り出す。
――パシャ、パシャ、パシャ……――
泥濘んだ足元のせいで何度も躓きながら、なんとか点検用の通気口までたどり着いた。地下水路というものは空気が淀みやすく、酸素が薄くなってしまうため、人が立ち入る時のために地上から空気を取り込む通気口が何箇所か設けられている。彼はその1つを使って地上への脱出を試みていたのだ。
「狭ェな……ギリギリ通れるかァ……?」
だが通気口といっても、小柄な男性が辛うじて通れる程度の隙間しかない上、地上とは鉄格子により隔たれている。外から射す光が目に染みるのか、クマの刻まれた目元を歪ませながらモルズは思案した。
(オレの魔法で錆びさせて、1本くらいなら外すことはできそうだな……)
死霊魔術を極める一方で、不老不死の研究に没頭していたモルズは高位の錬金術師としての腕も持ち合わせていた。魔力により強制的に化学反応を生じさせ、触れた対象を変質させる魔法くらいであれば今の状態でも行使できると踏んだ彼は、3本ある鉄格子の真ん中にあった鉄の棒を右手で掴んだ。
「焼灼魔法……ッ!」
僅かに残された魔力を振り絞り、変質魔法を発動させる。するとモルズの手が触れていた部分が変色し始め、数分と経たない内に表面がボロボロになった。そのまま彼が力を込めて腕を引くと、ガコンという音とともに棒が外れたのであった。
「いいぜェ……これで道は通じたッ!」
狭い四角形の通気口に体をねじ込ませ、モルズは地上へと這い出る。痩せ細った彼だからこそ何とか通過できたが、追ってきた衛兵達がここから出るのは不可能だろう。
「やっと地上か……追手はまだいねェか……?」
周囲に広がる草原を見渡して人影の有無を確認するモルズ。視界の範囲では衛兵や冒険者の姿は見当たらず、安堵の溜息を付いた。彼が現在いるのはトルンデイン北西を流れる河川の近くであり、街道からは離れているため人目にもつきにくい場所である。
「オレの作戦はしくじっちまったが、国境まで行けば軍と合流できるはずだ……」
周囲を警戒しながら、モルズは国境へ向けて歩き始めた。頭上から注ぐ陽の光が、水路で冷え切った体には心地よく、彼は生まれて初めて太陽の暖かさを実感する。
(物心ついた時から、暗い場所でしか生きてこなかったからなァ……)
青い空を見上げたモルズの頭に、自然と過去の記憶が呼び覚まされてきた。高名な死霊魔術師の生まれである彼は、幼い頃より父親からその術法を厳しく叩き込まれており、外で自由に遊んだ記憶など殆どない。不死者を使役する魔法は、生き物の死骸に魔力を吹き込み、意のままに操ることを繰り返すことで成熟していくが、その訓練は死骸が朽ちにくい地下の冷暗所で行われるため、彼は生まれてこの方まともに陽の光を浴びることはなかったのだ。故にその頭髪はボサボサで白く、肌も不気味なほどに色素が薄かった。
(この姿のせいで、周りはオレを嫌う奴ばかりでよォ……)
その気味の悪い見た目と死体を触媒にする死霊魔術の使い手であることを理由に、周囲の人間は彼を迫害してきた。さらに追い打ちをかけるように、帝国内に蔓延った流行病が唯一の理解者であった両親をも奪ってしまう。まだ若かった彼は身に付けていた死霊術で、母親だけでも生き返らせようとしたが――
(……あんなのは母さんじゃねェ。ただの醜いグールだ)
出来上がったのは、息子の命を喰らおうとする悍ましい魔物だった。死霊術は死者を蘇生する魔法ではなく、魔物へ作り変えるだけの術でしかない。死体が起き上がったとしても、それは生前とは全く別の生き物なのだ。死霊術に限界を感じた彼は、死者を真に蘇らせる術法を求めて不老不死の究明に傾倒していく。
(で、それから……アイツが声をかけてくれたンだっけか)
デクシア帝国でも指折りの魔術師へと成長していた彼の元を現皇帝が訪れた。皇帝は彼の実力を高く評価しており、その力を貸してほしいと申し出たのだった。それまで他者に理解されることが無かった彼は、初めて人に必要とされたことで自分の居場所ができた気がした。
(だから、オレはアイツのためにどんな任務でもしてきた。今回も、そうだ……)
皇帝が差し出した手をとった彼は、帝国四魔導としてあらゆる任務をこなしてきた。元より人から蔑み嫌われてきたモルズは、人道から外れた行為への抵抗感はない。今回のトルンデイン侵攻作戦ではドラゴンゾンビで街の住民を皆殺しにし、死体から不死者の兵を作ることで王国侵攻の足掛けとするつもりだったのだ。しかしその企みも化け物じみた強さを持つ新人冒険者に阻まれた。
「ケッ……! 何だったんだ、アイツはよォ……!!」
街の1つや2つなら容易に蹂躙できるドラゴンゾンビを素手で屠り、最高位の死霊魔術をも無効化した獣人の少女は今でも瞼に焼き付いている。モルズはズキズキと痛む頬を左手で押さえつつ、街道へと差し掛かった。
「こちらに例の男はいない! もう少し国境の近くを探すか?」
「ああ、そうだな。水路の衛兵からはまだ見つかった連絡はない。恐らく既に地上に出たと考えてもいいだろう」
少し離れた場所から聞こえてきた声に、モルズは咄嗟に反応した。近くにあった林へと駆け込み、身を潜ませる。
(クソッ……冒険者か……!)
木の陰から様子を伺うと、街道には冒険者と思しき身なりの男達が数人いるのが見えた。何かを探すかのように周辺を彷徨く彼らを見て、その目的が自分であることにモルズはすぐ気づく。
「オレの考えは全部お見通しってわけか……」
この街道を越えない限り、国境へ向かうことはできない。ついに命運はここで尽きたかと、諦めにも似た表情で座り込んだ彼の前に紫黒色の炎が灯った。只人であれば視た時点で眼球を灼かれる呪怨の炎――その正体をモルズは知っている。
「……今更、何しにきやがった」
「無力なお前に力を貸してやろうと思ってな」
そう言い放つと、禍々しい魔力を放つ黒い炎は一際大きくなった。その燃え盛る炎から、漆黒の獣毛に覆われた逞しい腕と脚が生え出てきた。降り立った地面が深く沈み込むほどの質量を持った巨大な蹄は、それが人外の化け物であることを示唆する。
「バフォメット、テメェ……!」
炎の中から現れた黒い山羊の頭を持つ異形を前にし、モルズは額に汗を浮かべた。滅多な事では姿を現さないこの強大な魔族が、わざわざ顕現した理由など1つしかない――今この場で、自分への処刑が執行されると察した彼はその場から逃げようとする。だが異形の右腕が彼の頭を鷲掴みにするほうが早かった。
「ぐあァァ……や、やめろォ……ッ!」
「お前が望んでいたモノを授けてやるのだ。有り難く思え」
バフォメットの名を持つ魔物の腕から黒いオーラが放たれ、モルズの体へ膨大な量の魔力が注がれる。人の身では耐えられるはずのない力の奔流に、体中を引き裂かれた彼は声にならない悲鳴をあげた。やがて器は変質し、その意思とは無関係に魔物の姿へと変貌していく。
「どうだ、求め続けていた不老不死を自身で体現できた気分は? お前はもう死ぬことも老いることもないのだぞ」
「オ、オレは……こんなモノ……望ンジャ、イネェ……!!」
皮膚も肉も血も不死者の魔力へと変換され、モルズは肉体を失ってしまった。膨大な魔力により肥大化した骨の魔物と化した彼に、もう意思や記憶は残されていない。生者が持つ魔力を求めて殺戮を繰り返すだけの不死者へと堕ちたのである。
「不滅の魔導師と成ったか。死霊魔術師の末路としては上出来ではないか……これは手向けだ。受け取るが良い」
バフォメットが手をかざすと、眼窩に赤い光を宿す骸へ黒いローブが被せられた。それは生前のモルズが身に付けていた黒装束とよく似たものであった。さらに、骨と化した両手には銀色に光る巨大な鎌が握られている。
「さぁ行け、憐れな人の子よ。求めるがままに命を刈り取り、喰らうが良い……」
そう言い残すと、魔族は再び黒い炎となりその場から消え去った。残されたデミ・リッチは魔力による浮力を得て浮き上がると、近くに迫っていた冒険者へ音もなく襲いかかるのであった。




