020.トルンデイン防衛戦④
メルとココノアはトルンデインの上空を転移魔法で移動する。向かう先は東門だ。宿で気ままな自由時間を満喫していたはずの彼女達が防衛戦に参加することになったのは、ついさっきのことだ。冒険者ギルドの職員であるケントが緊急依頼書を持って彼女達の部屋へと駆け込んできた。
「女の子の部屋にノックもなしに突っ込んでくるとか、あの優男はどんな神経してんだろ」
「まぁまぁ、あの時は仕方なかったと思いますよ。大量の魔物さんに街が囲まれてたんですから」
ケントが無作法に部屋を訪れたことを思い出し、ココノアは頬を膨らませる。しかし彼がそのような行動をとった理由は、突然の魔物による侵略に急いで備えるためであった。ここ数百年単位でも類を見ない規模の魔物の群れ――しかも違う種族同士が徒党を組んで攻めてくるという有り得ない事態に冒険者ギルドは所属する全ての冒険者に対して緊急依頼を発していた。その内容は、"街を守っている自衛団と共に魔物と応戦し、街を防衛することができれば参加者全員に銀貨50枚を配布する"というものである。この依頼を受注した冒険者達は各門で防衛任務に当たっていた。
「ま、うちらにとってはちょろい仕事だし、お金稼ぎにはもってこいだったけどね」
「そういえば言われたとおりに派手に回復魔法使っちゃってましたけど、問題なかったですか?」
「いいのいいの、どうせこんな状況なら教会の連中に因縁つけられても誤魔化せるでしょ」
ココノアの言う通り、街の中は大混乱に陥っている真っ最中だ。一時的に領主が設営した避難所に向かう者達で大通りは混雑しており、アイリス教会にも救いを求める者が殺到している。この状況では教会の人間も外に目を向けている余裕はないだろう。
「それに、犠牲者なしで防衛できれば追加で金貨50って約束だし、そっちのが大事だかんね。あの宿みたいな美味しい飯、毎日腹いっぱい食べれるよ?」
「あんなに美味しいお料理を、毎日お腹いっぱい……! それは頑張らないとですね! よーし、ガンガンいきましょう! おー!!」
地方貴族の年収にも相当する報酬に、少女達は目を輝かせていた。冒険者が1回の依頼で得る対価としては異常なほどに豪華なこの依頼は、ギルド支部長のエルマルクから彼女達へ与えられた特別なモノである。街の存亡をかけた大規模な魔物との戦において、死者を1人も出さずに防衛を成功させる事が条件という無理難題な依頼内容ではあったが、エルマルクはその成果を以って彼女達の実力を測ろうとしていたのだ。
「……そういえば、こういう形の大規模戦闘ってNeCOでも覚えがあるような? ほら、毎週あったじゃないですか都市攻防戦イベント。大勢のプレイヤーさんで攻め込んでくるモンスターさんを撃退して、都市の陣地を奪われないようにする感じのが! 懐かしいですね」
ふとメルが呟いた言葉を聞き、その手を握りしめていたココノアの指がピクリと動いた。彼女は転移魔法を一旦中止し、近くにあった建物の屋根へと降り立つ。
「あれ? どうしましたココノアちゃん……?」
「いや、思い出したんだけどさ……あのイベント、確か外側からくる敵をやっつけたら、都市の中に巨大なボスがPOPしてこなかったっけ。ご丁寧に地下通路を突破された、とかナレーション付きでさ」
「ええ、そうでした。地下通路はNPCさんが抑えてる設定でしたけど、毎回突破されちゃうんですよね。で、プレイヤーさんが少なくなった街の中央にボスが出てきて、酷い事になってました!」
「そうそれ。でさ、この街にも地下水路があるんだよね……確か」
宿の従業員から聞いた話から、ココノアはある可能性に行き着いた。突如降った大雨により地下水路は開門されていた上、その夜に城壁の外から魔物達が襲撃してきたという事実――これらがもし偶然でなければ、最も危ないのは街の内側ではないか、と結論づけたのだ。メルも彼女と交わした会話からヒントを得て、同じ考えへと至る。
「……そっか! 今一番危ないのは街の中かもしれないってことですね!?」
「そう! NeCOじゃ、加減の知らない運営が好き勝手やったから攻防戦が無理ゲーみたいな難易度になってたけど、ここでも同じ状況になったら守りきれない! メル、あんたは街の中央へ行って!」
「わかりました! ココノアちゃんは門の防衛をお願いします!」
今取るべき行動を判断した彼女達は、速やかに二手へと分かれた。大規模戦に適性のあるココノアは各門の防衛を、回復魔法で住人を救助できるメルは街の内側を担当する――それが今の最適解であると、言葉を交わさずとも理解できていたのだ。長年一緒に連れ添ってきた間柄だからこそ、彼女達は以心伝心で動くことができる。
「まずは街の中央、ですかね。どこで何が起こっても対処しやすいですし……!」
獣人特有の優れた脚力と身軽な体を生かして、メルは建物の間を跳ねるようにして素早く移動していく。レンガ造りの壁や屋根は硬くて安定しており、彼女から見れば自由に宙を移動できる足場も同然だ。桃色の毛に覆われた猫耳にも見られるように、その身体はネコ科動物のように優れたバランス感覚も備わっているのかもしれない。
「うわぁ、人があんなに大勢……こんなところを襲われたらひとたまりもないですね」
メルの赤い瞳が街の中央を捉えた。石畳に覆われた円形状の広場では避難民が大勢行き交っており、アイリス教会の玄関にも救いを求める人が押し寄せている。
(建物の密度が高いせいで、どこで戦闘になっても住民の人に影響が出てしまうかも。一番戦いやすい広場を確保しておきたいけど、その前にあの人達を避難所へ誘導しないと!)
彼女がそう考えていた矢先、地響きとともに広場の石畳が迫り上がり始めた。ミシミシと不穏な音をたてて盛り上がっていく地面を見た人々は、狼狽しながら逃げ惑う。
「何か下にいるぞ!?」
「逃げろ! 魔物かもしれない!」
「どこに逃げればいいの!!ねえ!!」
混乱に陥った広場では様々な叫び声が入り混じっていた。何人かの衛兵が落ち着くようになだめているが、一度恐怖に染まった心は簡単には抑えきれない。避難もままならないうちに、地面を割って巨大な影が浮上してきた。
――グォォォォ!!!――
慌てふためく人々の悲鳴に呼び寄せられたかのごとく現れたソレは、朽ち果てた悍ましい腐竜であった。死して相応の時間を経ているのだろう、生前にその身を覆っていた烈火の如き赤色の鱗はほとんど抜け落ちており、骨に絡みつくように残っている赤黒い肉は腐って異臭を放っていた。そんな体からは常にボトッボトッと音をたてて腐汁が滴っており、とても目を向けられたものではない。さらに、眼窩の奥では眼球の代わりに仄暗い青色の炎が揺らめいており、この世の生き物ではない威圧感を放っていた。
「うわぁぁぁぁ!!!」
「誰か!助けてくれぇ!!」
阿鼻叫喚のるつぼと化した広場に、もはや秩序など存在しなかった。誰もが我先にと逃げ始める。例え、倒れた他人の背中を踏んででも生き残ろうと、彼らは必死であった。
――ギュオォォォ!!――
陥没した地面から這い上がってきた腐竜は、瓦礫を踏み砕きながら咆哮をあげる。周囲の建物でさえミシミシと軋ませるその衝撃に驚いてしまい、1人の男児が逃げ遅れてしまった。新鮮な肉の気配を感じ取ったのか、竜の頭がそちらを向く。
「坊や!!」
「ママぁ―!!」
子供の母親らしき人物が駆け寄ろうとしたが、すでに魔物の顎は子の頭上にまできていた。その場にいた誰もが、残酷に噛み砕かれて死にゆく彼の姿を想像しただろう。
「させませんよ!!」
その刹那、空から現れた少女が、剥き出しにされていた竜の牙を豪快に蹴り飛ばした。巨大な竜頭は真横に折れ曲がり、凄まじい勢いで石畳へと沈み込む。その華奢な脚の3倍以上はありそうな竜の牙は蹴られた部分でボキリと折れており、脆いガラス細工のように粉々に砕け散っていた。
「坊や、こっちへ来るのよ!! 早く!!」
唖然としていた子供であったが自分を呼ぶ母親の声には機敏に反応した。すぐに立ち上がって母親のところに駆け寄る。
「ここからは私が引き受けます。みなさんは離れててくださいな!」
足早に去っていく親子に背を向け、メルは巨大な魔物と対峙する。目の前の魔物は動く様子を見せていなかったが、まだ完全に死んではいないことをNeCOの冒険者としての勘で察知していた。
「メル! そいつは不死なる屍竜だ! まだ死んじゃいない!!」
広場を取り巻く群衆から、一人の青年――ギルド職員たる緑色の執務服に身を包んだケントが飛び出した。彼は住民の避難を手伝うように支部長に指示を受け、広場に向かっていた所であった。
「ケントさん、ここは危ないですよ!?」
「ギルド職員はこういう時こそ、人のために出来る事をしろって支部長に言われてね。避難民の誘導を手伝いに来たんだが、まさか街の中にドラゴンゾンビが入り込んでいたとは……」
広場の中央で沈黙し続ける巨大な死骸に、ケントは深刻な表情を浮かべる。
「ドラゴンゾンビは屍食鬼達と違って、魔力の量が桁違いなんだ。体をいくら傷つけても再生するから武器では倒せない上に、竜種としての性質も持ち合わせてるから魔法攻撃にも耐性がある。大規模な軍隊を組んで討伐するような、いわば災害級の存在だよ……!」
彼の言う通り、生物として強大な力を持つ竜が不死者と化した場合、他の魔物とは比べ物にならない程の厄災へと変貌する。この世界ではかつて大国がドラゴンゾンビによって滅ぼされた事例すらある程だ。しかしケントには1つ、腑に落ちない事があった。
「だけど、生物の頂点に立つ竜は気高い生き物だ……自ら不死の魔物になんてなることはない。何らかの外的要因があるはずだから、それを除去できれ――」
「オイオイ、何て事してくれてんだァ……! オレのドラゴンゾンビが壊れちまったじゃねェか! ま、直に蘇るがなァ……ヒヒッ」
メルとケントの会話を遮るようにして、突如ドラゴンゾンビの影から真っ黒なローブに身を包んだ男が現れた。ケントと同程度の年格好に思われたが、ボサボサの白髪に痩せた頬、そして生気のない肌の色は彼と正反対の見た目である。
「お前、一体どこから現れた……!?」
「ヒヒッ……オレは使役する死霊共の影を自由に移動することができるンだぜェ」
黒装束の男は濃いクマが刻まれた気味の悪い目元をケントに向けた。その出で立ちの特徴に覚えがあったケントは、記憶の中にあった冒険者の話から男の正体を推測する。
「漆黒の装束を着た白髪の男……冒険者から聞いたことがあるぞ。お前はデクシア帝国四魔導の1人、死霊魔術師のモルズか!」
「へェ……オレを知っているのかオマエ? だがそれを知ったところで意味など無い。オマエらはここで無様に死ぬ運命なんだからなァ?」
モルズが右手を上げると、その指先が紫色に光った。直後、動かなくなっていたドラゴンゾンビの体に禍々しい黒いオーラが宿り、破損していた顔や牙が復元を始める。周囲に散らばっていた肉や骨がオーラに絡め取られて、元あった場所へと吸い寄せられていった。
「まさか、お前がこのドラゴンゾンビを作ったのか……!?」
「察しがいいじゃねェか。そうだ、オレが作った。大森林にあった古代遺跡、そこで見つけた竜の骸を使ってなァ! 贄が大量に必要になったせいで時間はかかったがよォ……」
「何故そこまでして、この街を襲う!? 目的はなんだ!」
「これから死ぬだけのオマエらがそれを知っても意味ねェだろ。だが喜べよ? 死体は屍食鬼にしてコキ使ってやるからよォ……!」
「お前……人の命をなんだと思って……!!」
怒りに拳を握り締めるケント――だがモルズはそんな彼を意に介さず、復活したドラゴンゾンビを住人へ向かってけしかけようとする。メルが再びその顔面を蹴り飛ばそうと構えた時、広場に面していたアイリス教会の扉が勢いよく開け放たれた。
「ふんっ、何事かと思えば下賤なネクロマンサーごときが仕組んでいた事だったか。我らが女神様の天罰を受ける準備はいいのだろうな?」
教会から司祭風の中年男性と、白いローブの青年達が現れた。皆一様に女神の像を取り付けた純白の杖を握っている。彼らは一列に並ぶと、ドラゴンゾンビに向かって杖を掲げた。
「なんだァ、オマエら……? 雑魚がゾロゾロと群がりやがってよォ……随分と威勢がいいじゃねェか?」
「我らは、アイリス様の加護を受けしその信徒……不死者など恐れるに足りん! 地を這いずる悪しき亡霊よ、神の怒りを受けるがいい! 死者よ去れ!」
アイリス教徒達が放った魔法により、ドラゴンゾンビの体を囲むように眩い黄色の輪が現れる。そしてそれは腐った竜の巨体を縛るように締め付けた。光輪が深々と腐った肉へ食い込み、ドラゴンゾンビは唸り声をあげる。
「見よ! これぞ女神アイリス様の御力! さぁ街の者達よ、感謝の意を盛大に示すがいい! はっはっは!」
自らの勝利を確信し、笑い声をあげるアイリス教の司祭。この"ターンアンデッド"はアイリス教に伝わる不死者を浄化する魔法であった。生者には意味を成さないが、不死となった者であれば抗うこともできず、直ちに滅されるというアンデッド属性への特効魔法である。だが――
――ガオオオン!!!――
地の底から響くような咆哮とともに、ドラゴンゾンビが四肢を振り回して光輪を断ち切った。ターンアンデッドによる封印力よりも、この腐竜が持つ魔力の方が遥かに上回っていたのだ。
「ば、馬鹿な!? 不死者はこの魔法に抗えないはずではないのか!?」
「馬鹿はオマエだろうがァ! そんなゴミみたいな魔力で、ドラゴンゾンビが止まるわけねェだろ! あの目障りな連中から先に殺ッちまえ! ニーズヘッグ!」
モルズにニーズヘッグと呼ばれた腐竜はアイリス教徒達の方へ口を開き、灰色の煙のごとき息を吹きかけた。地面を這うようにして押し寄せた灰の波は、彼らが逃げるよりも早くその身を包み込んだ。
「ぎゃぁぁぁぁ!!!」
「助けてください、女神さまぁ!!」
「誰か、誰か!ワシを助け――」
断末魔が響いた教会周辺の一部始終を見ていた住民たちは顔面蒼白となり立ち尽くしていた。幸い、竜の吐息はそのまま教会へと雪崩込んだため教徒達以外に被害は出ていなかったが、ブレスの煙が消えた後に残っていたのは、苦悶の表情のまま石像と化した司祭達の姿であった。
「あれは石化の吐息……まずい! 少しでも触れたら体が石になって動けなくなるぞ! みんな逃げろ!」
その危険性をいち早く理解したケントは周囲の住民に避難を促す。石化してしまった体は元に戻すことが難しい上、体の1部でも石化してしまうと血流が止まるために命に危険を及ぼすからだ。魔物が吐くブレスには炎や氷、雷といった様々な種類が存在するが、その中でも最も死亡率が高いのが石化のブレスであった。
「逃げるだとォ……? ハッ! そんな事ができるもんかよ! コイツは元々火竜だからな……ブレスの射程は竜種で最長なんだぜェ? どこに逃げても無駄だァ!!」
モルズがやれとばかりに逃げる住民を指差すと、彼らに向かってニーズヘッグが口を開いた。腐肉に包まれた喉奥から、死の吐息が再び吐き出されようとする。
「助けてくれぇぇぇ!!!」
「いやぁぁ! まだ死にたくないわ!!」
「せめて子供だけでも助けてくれぇ!」
住人達の悲痛な叫びも虚しく、腐竜のブレスは容赦なく放たれた。呪われた灰色の波が、大通りを凄まじい勢いで突き進む。モルズが言う通りそれは走って逃げ切れるような代物ではなかった。故に大勢の人間がこの場で命を落とすことになったはずだ――そう、ここに彼女がいなければ。
「えいやっ!!」
いつのまにかブレスの正面に回り込んでいたメルは、右拳を勢いよく足元の地面へと叩きつけた。その衝撃で地面が大きく隆起し、灰色の波を阻むようにして食い止める。
「何だとッ……!?」
想定外の状況を前に、モルズは目を見開いた。ニーズヘッグの攻撃を1人の少女に食い止められた事も驚きであったが、拡散したブレスに少なからず触れているはずのメルが、石化もせずに動けている事がそれ以上に解せなかった。
「おいテメェ、なんであのブレスに触れて石化しねェんだ!」
「私こう見えて石化や毒、凍結なんかの状態異常には耐性があるんですよ。だからブレス?とかいうのは意味ないと思いますよ。何ならもう一度してみます?」
ほらどうぞ、と言わんばかりに自らの胸をポンポンと叩くメルに、モルズだけでなくケントも空いた口が塞がらなかった。生物が石化に対する完全耐性を有する事など、万が一にも有り得なかったからだ。
しかしNeCOという仮想世界で鍛えられた彼女の身体は、この世界における常識の外にある。カーディナルが持つ全状態異常への耐性スキルはこの異世界でも有効であり、彼女の身をあらゆる災いから守る盾となっていた。
「舐めやがってよォ……ブレスを無効化できたくらいで調子に乗るなッ!! ニーズヘッグ、あのクソガキの頭を粉々に砕け!!」
モルズの指示に従い、動き出したニーズヘッグがメルとの距離を詰める。そして骨が棘のように突き出た尾を大きく振り回し、彼女の頭上へと振り下ろした。いかに歴戦の冒険者であっても巨大な竜の質量攻撃をまともに喰らえば、無事では済まないはずだ。だがこの新人冒険者はそれすらも片手で受け止めた。
「NeCOよりも全然生ぬるいですね。もっと理不尽な攻撃じゃないと私は倒れませんよ」
メルは掴んだ尾骨ごとニーズヘッグの巨体をグルングルンと回転させて、広場の方へ向けて豪快に投げつける。圧倒的な力の差に為す術もなく、竜の身体は陥没していた広場へ叩きつけられた。
――ドォォォォン!!――
地面を伝わる凄まじい衝撃に、モルズは立っているのがやっとである。そんな彼の耳にコツ、コツという靴音が近づいてきた。得体のしれない力を持つ赤き瞳の少女が迫ってくる光景に、底知れぬ恐怖を感じた彼は後退りし始める。これまで圧倒的に有利な状況であったのに、何故自分が追い詰められているのか分からず、彼は混乱する。
「なんで、なんでこんな事になってンだァ……? 外周を魔物に襲わせて、ドラゴンゾンビで内側へ奇襲を仕掛ける作戦は完璧だったはずだ……! それなのに、オレの方が気圧されてるだとォ!?」
再びニーズヘッグを使役しようと、モルズは必死の形相で右手に魔力を込める。しかし彼の作り出した不死たる竜は肉体の崩壊が始まっており、その形すら維持できなくなっていた。腐った肉をボロボロと落とし、その場で朽ちていく屍竜はもう二度と動くことはないだろう。自らが陥没させた広場が、結果的に墓穴となったのだ。
「ド、ドラゴンゾンビは物理ダメージと魔法ダメージの両方に耐性があンだぞ!? それを素手だけで倒せるわけねェだろうがッ……!」
アンデッドでも最強と謳われるドラゴンゾンビが容易く倒される様を見て、モルズは狼狽える。理不尽としか言いようのない少女の強さを前に、その胸には激しい焦りが渦巻いていた。彼にとって不幸だったのは、メルが不死化を強制解除する浄化の特殊能力を有していたことだろう。例え素手による攻撃であってもその力は適用され、いかなる高位アンデッドであってもダメージを受けると土に還る事になる。
「さて、モルズさんでしたっけ。どうしてこんな事をしでかしたのかは知りませんけど、覚悟はいいですか? 大勢の人を苦しめたんですから、少しは痛い目に遭ってもらいますよ」
「舐めンなよ、クソガキッ……!!」
その淀んだ瞳を怒りで震わせながら、モルズはローブの中から1本の杖を取り出した。先端に人の髑髏を模したオブジェが取り付けられた悪趣味な呪具ではあったが、相当な力を秘めた魔杖なのだろう。彼がそれを握り締めた瞬間から重苦しい淀んだ空気が周囲を包み込んでいった。
「オレに楯突いた事を後悔しやがれェ!! 混沌たる死者の領域ッ!!」
モルズがスペルを唱えて杖に魔力を込めると、髑髏が口を開いて「キケケケケケケ!!」と寄声をあげた。けたたましいその叫びは空気を震わせ、メルの周囲に黒いドームを発生させる。
「アヒャヒャヒャ!! 奈落に落ちたテメェはもう助からねェ! この秘術はなァ……生者を強制的に不死者に作り変えちまう、死霊魔術の最高位魔法だッ!」
勝ち誇ったモルズの声が聞こえた直後、メルは真っ暗な空間に閉じ込められていた。先程まであったはずの月明かりも遮られており、自身の体さえ見えない完全な闇が周囲を包む。
「どうやら閉じ込められてしまったみたいですね……」
聴覚と視覚をうばわれた上に、肌にまとわり付く冷気が死後の世界を思わせた。しかしメル自身の体には何の変化も現れない。モルズの言葉通りの効果が発揮されていれば、今頃彼女の心臓は止まり、生ける屍として彼の命令を聞くだけの奴隷に成り下がっていただろう。しかしジョブ特性として不死化無効を持つカーディナルに、この魔法は目くらまし以上の効果を持たなかったのである。
「この空間はなんだか闇属性っぽいですし、聖属性ならよく効きそうです! 何の魔法かは知りませんけど、力技で解除させてもらいましょう!」
この状況においてもメルは至って冷静であった。NeCOに限らず、あらゆるオンラインゲームのヒーラーに求められるのは、どんな危機にも動じない心だ。それを持ち合わせた彼女の精神は、この程度では一切揺るがない。鬱陶しい暗闇を打ち払うべく、少女は静かに拳を構えた。
「ガキが調子に乗るからそうなるんだぜェ! オレを怒らせた代償として、オマエの身体はズタボロになるまでオモチャにしてやるからよォ……ヒヒッ!」
擬似的に死者の世界を作り出す魔法結界でメルを捕らえたことで、自身の勝利を信じて疑わないモルズ。だが彼の表情は次の瞬間に一変することになる。
――バァァァァン!!――
凄まじい衝撃音とともに、メルを包んでいた黒い半球は破裂するかのごとく消し飛んだ。彼女は聖属性付与魔法により聖なる力を拳へと纏わせた状態で、内側から暗黒の檻を殴り壊したのだ。白いオーラを放つ両手を携えた少女は、唖然とするモルズの方へ視線を移した。
「う、嘘だろォ……!? 内側からアレを破るなんて、そんな事出来るわけがッ……!!」
「さて次はこちらの番です。死なない程度に手加減はしておくので、大人しくしてくださいね?」
そう言うなり、メルが両脚に力を込めた。蹴られた石畳が跳ね上がるほどの凄まじい反動によって、その姿は常人の目では追えない速度まで加速する。一瞬にして大通りから広場まで跳躍した彼女の右拳がモルズの顔面を捉えた。
「や、やめろォッ!? やめてくれェェェェ!!!」
恐怖に顔を引き攣らせるモルズ。彼はこの時になってようやく理解した。ドラゴンゾンビをたった1人で……しかも素手で殴り倒すような異次元の存在がいる時点で、トルンデインの制圧など不可能であったことに。そして死霊魔導師の頂点に立った自分でさえ、その足元にも及ばない化け物がこの世には存在していることを。
「がぁァァァァァァ!?」
痩せこけた骨と皮ばかりの頬へ、小さな握り拳がクリーンヒットした。見た目こそ愛らしいが、メルの一撃には物理法則すら捻じ曲げる膨大なエネルギーが込められている。モルズの身体はきりもみ回転しながら何メートルもの距離をふっ飛ばされた。
――ガッッシャァァァン!――
勢いよく石畳に突っ込んだ彼は、土煙に包まれた瓦礫の中でピクリとも動かずに横たわっていた。辛うじて息はあるものの全身がボロ雑巾のように打ちのめされており、自力で起き上がることも出来ないだろう。周囲で様子を見ていた住民達は、命を脅かす驚異が消え去ったことに歓喜の声をあげた。近くでメルと襲撃者の戦いを見ていたケントも胸を撫で下ろす。
「ありがとう、助かったよ……被害を最小限に留めることができて、本当によかった。ところで君の方は大丈夫なのか? その、体調とかに問題は……?」
「ご心配なく! 自慢のうちの子ですから!」
ニッコリと微笑むメルに、ケントは心配する必要もなさそうだなと苦笑いした。いつのまにか警報を知らせる鐘の音も静まっており、広場に生き残った事を喜ぶ人々の歓声が沸き上がる。
「広場の被害は大きいものの、死者が出なかったことは奇跡としか言いようがない。まあ、あのドラゴンゾンビの死骸撤去には手を焼くかもしれないけどね」
「確かにあれ、すっごく臭いですもんね……ところで、教会のみなさんはどうしましょう? 石化したままっていうのも可哀想ですし、よかったら私の方で解除しておきましょうか?」
「えっ、石化を解除できるのか君は!? しかし石化の解除は失敗すると、粉々に砕け散ってしまう恐れもあって、相当難易度が高いはずだが……」
「んー、問題なく出来ると思います。とりあえずやっておきましょうか、住民さんは全部守るって約束もしてますし」
戸惑うケントを連れて教会前までやってきたメルは、石像のように並ぶ教徒達を見渡す。表面だけでなく身体の深部まで石となった彼らは息をしておらず、まだ生きているのかさえ分からない状態だ。確かにこれは普通の方法だと治すのは大変そうだと思いながら、彼女は思案を巡らせる。
(NeCOの魔法なら元には戻せるとは思ってたけど、教会の人に回復魔法を使うところを見られる可能性もあるのかな、これ……いやでも、頭まで石化してるなら魔法を使った瞬間は見られないはず! ギルド支部長さんとの約束もあるし、パパっと治して立ち去ればいっか!)
しばらく考えた末ここで彼らを復活させても問題ないと判断した彼女は、石化した教徒達へ向けて両手をかざした。
「全状態異常解除!」
メルの声と共にスペルが発動し、石像達を優しい緑色の光が覆う。その直後、灰色に固まっていた肌は見る見るうちに元の色を取り戻していった。冷たくなっていた身体も体温と鼓動を宿し、無事に息を吹き返す。しかし今まで意識を失っていた彼らは石化が解除されてもすぐに目を覚ますことはなく、皆一様に穏やかな顔で眠りこけるのであった。
「本当に、石化の完全治癒まで……!? たった1人であのドラゴンゾンビを倒した上に、この場にいた全ての人を守ってみせるなんて、まるで君は……ッ!」
興奮した面持ちでそう語るケントは、子供の頃に憧れた英雄の姿をメルに重ねていた。強大な悪に立ち向かい、弱き人々を守る――そんな英雄譚が、彼は大好きだったのだ。難関と言われる試験を突破してギルド職員になったのも、今なお心のどこかで幼き日に夢見た存在に憧れていたからであった。
「メル……その、もし良ければでいいんだけども、僕の専属担当冒険者になって――」
「さてケントさん、後はおまかせします! 私は念の為に街の中を見回ってきますので! それではまた!」
「えっ……もう警報は鳴り止んでるし、大丈夫じゃないかな!?」
困惑気味なケントの視線を背に感じつつも、メルは教会の屋根へ飛び上がり、そのまま隣接する建物を伝って移動を始める。教会の人間が目を覚ますと面倒な状況になりそうだと感じていた彼女は、すぐにでもその場を離れたかったのだ。
「さて……ココノアちゃんはどこにいるんでしょうか?」
壁外の様子は街からでは見えない。そのためメルは最初にココノアと向かっていた東門へ赴くことにした。
「こんなとき、NeCOにあった個人間チャットが使えれば便利なんですけども……」
そんな独り言を呟きながら移動していると、遠方から彼女に向かって高速移動してくる人影が視界に入った。その存在に気づいたメルは、すぐさま近くにあった建物の屋上へ降り立って様子を伺う。
「あれは……!!」
空を飛ぶかのごとく転移魔法を繰り返すその姿は、紛れもなくココノアであった。彼女もまたメルを探して街中を移動していたのだ。
「はぁ、手間取らせないでよ……探したじゃない」
疲れたような顔のココノアがメルの上空へ転移してきた。ふわりと宙から落ちてくる華奢な身体を、メルは両手で抱きしめるように受け止める。
「ココノアちゃん! おかえりなさい!」
「こ、こらっ! 誰もキャッチしてくれなんて、言ってないから!!」
メルは嬉しそうに尻尾を揺らしながら、じたばたするココノアを優しく降ろした。一方のココノアは頬を赤く染めながら、そそくさとメルから距離を取る。
「……そいえば、街の中央で魔物が出たって聞いたけど、やっつけたの?」
「ええ、大きなドラゴンのゾンビさんとネクロマンサーを名乗る人でした。ココノアちゃんの方はどうだったんですか?」
「うちは東門と北門、あと西門の防衛を手伝ってきたよ。まぁ範囲魔法ぶっぱして雑魚を蹴散らせただけだから、楽なもんだったけど」
涼しそうな顔で話すココノアだが、その活躍っぷりはエリクシア王国の歴史に名を刻んでもおかしくないものであった。4桁に及ぶ魔物の群れが、彼女1人の手で漏れなく消し炭と化したのだから。城門の防衛に当たっていた兵士達が、魔物が消し飛んでいく光景を見てドン引きしていたのは言うまでもないだろう。
「とりあえずこれで今回の依頼は達成、ってところですかね?」
「そうだと思うよ。もう魔物の気配はないっぽいし、多分この騒動の親玉が中央に出た奴なんじゃないかな。はぁ……そろそろ眠いし、宿に帰ろうよ。ギルドへの報告なんて明日でもいいっしょ」
「確かに私も眠くなってきたかも……もう1回お風呂に入って、今度こそぐっすり眠りたいですね♪」
メルとココノアは微笑みながら互いに見合わせた後、手を繋いだ。離れないように指同士をしっかりと絡ませ、転移魔法で宙へと飛び出した仲睦まじい少女達は、白み始めた空へと消えていったのであった。
――こうして、トルンデイン史に残る一大事件に終止符が打たれた。隣接するデクシア帝国の死霊魔術師による強襲と魔物達の襲撃は少なくない被害を残したが、幸いにも人的被害は軽微なものであった。本来であれば街ごと滅んでいてもおかしくない状況を避けることができたのは、2人の新人冒険者によるところが大きい。彼女達の存在こそがトルンデインの命運を分けた分水嶺であったのだ。




