002.プロローグ 終わりと始まり②
その夜は不思議な夢をみた。暑くも寒くもなく、風すら感じない薄暗い夜空に私は佇んでいる。どうやらこの空間には目に見えない床があるらしい。その上に立っているという感覚はあるものの、足元に広がる空は暗雲に覆われており、地面が見えることはなかった。
「夢だよね、これ……?」
妙に体の感覚がはっきりしていたせいか、すぐにここが夢の世界であると気づいたものの、何をしたらいいのかわからず途方にくれてしまう。
体が目覚める気配もないので、少しこの空を歩いてみることにした。足元を見てしまうと少し怖かったので、天を見上げることにしよう。幸いにも夜空には細かな星々が煌めいていて、目を楽しませてくれる。
「この光景、どこかでみたことあるような……ないような……」
ひたすら夜空を歩くという状況に妙な既視感を覚える。かなり昔にこれと似たものを見たことがあった。でもそれがどこだったのか思い出せなくて、私はモヤモヤしていた。考え込みながらしばらく歩いていると前方にオレンジ色をしたネコのヌイグルミが見えたので、私は足を止める。
「今日も来てくれてありがタイニーにゃ!」
いきなりヌイグルミから発せられた言葉に、私は驚いてビクっとしてしまった。声自体は幼い子どものような、可愛げのあるものだったけど、まさかネコが喋るなんて思いもしていない。でも夢の世界だからこういうこともあるよね、と深く考えないことにした私は、ヌイグルミへと歩み寄ることにした。それにしてもさっきのセリフ、何度も目にしたことがる気がする。そう、確か昨日も――
「あっ! NeCOにログインした時に表示される文章だ!」
いつも読み流していた定型文だったので、声に出されても気づくまでに時間がかかってしまった。NeCOではログイン時にゲームのマスコットキャラでもある小さなネコのぬいぐるみ、タイニーキャットが表示され、先ほどの言葉と共にボーナスアイテムをプレゼントしてくれるという特典がある。
「こんな声だったんだ……初めて聞いたかも?」
最近のMMORPGと違い、NeCOは基本的にNPCの音声を実装していない。なので私もタイニーキャットの声を実際に聞いたのはこれが初めてだったりする。一部の人気キャラクターにはキャラクターボイスが設定され、ドラマCDなんかも出てたから、そっちなら聞き覚えがあるんだけども。
「えっと……タイニーキャットさん、でいいんですよね?」
とりあえずヌイグルミに近づいた私は話しかけてみることにした。黒いボタンで出来た瞳は虚ろで、私を見ているのか、それとも虚空を見つめているのか判別がつかなくてちょっと不気味だ。そもそも私の声が聞こえてるのかも怪しい、と思っていた矢先、タイニーキャットが私を見上げた。
「ありがとうにゃ! ボクの呼びかけに応じてくれて。君はボク達の世界でいつも楽しそうに過ごしていたから、ずっと話してみたいって思ってたにゃ。だからこうして会えて嬉しいにゃ!」
「えっ? はい、こちらこそ……?」
「君はボク達の世界を隅々まで探検してくれていたにゃ。色々なイベントも友達と一緒に楽しんでくれたし、それに……毎日遊びにきてくれたにゃー!」
「えへへ、確かにほぼ毎日遊ばせてもらっていた気がします。NeCOは私にとって、生活の一部みたいなものでしたから」
NeCOのサービス終了を引き摺りすぎてこんな夢までみてしまう自分に最初はちょっと引いてしまっていたものの、タイニーキャットの嬉しそうな声を聞いていると、こういう変な夢をみるのも悪くはないと感じてしまう。
「でもボク達の世界はもうなくなっちゃったにゃ……ごめんにゃ」
急にタイニーキャットの声が暗くなった。でもそれは運営会社の都合で仕方なかったものだし、彼が謝る必要はないと思う。だからそんなに悲しそうにしないで欲しい。私は少しでも慰めようと、NeCOの思い出を振り返りながら言葉を紡いだ。
「いえいえ、私は十分にNeCOを楽しませてもらいましたよ! 最後のアップデートで追加されたメインストーリーも、ハッピーエンドで終わってすごく良かったですし!」
「そっか……そう言ってくれると、ボクも嬉しいにゃ。やっぱり君を選んで良かったにゃ!」
「うん……? 選んだ、ってどういうことですか?」
「実は、君の助けを必要としている世界があるにゃ。ボクはその世界から強い"想い"を受け取って、こうして君に干渉することができたんだけど――」
タイニーキャットが話している途中、突如周囲の空気が揺れるのを感じた。驚いた私は咄嗟に周囲を見渡す。すると先程まで星々が煌めいていた美しい夜空には真っ黒なひび割れが走り、足元には炎を思わせる赤い閃光が広がっていくのが見えた。さらに大地震でも起こるかのような激しい轟音が、あらゆる方向から響いてくる。まるで世界が終わるかのような、恐ろしい光景が目の前に広がっていく。
「ああ、もう時間がないみたいにゃ! 君の魂を"メル"の体に込めて、これから異世界に飛ばすにゃ! 心配はしなくても大丈夫! LVもステータスも全部そのままだからにゃー!」
「……異世界!? 異世界って言いました!? もうちょっと詳しいお話をして欲しいんですけど!?」
「説明が足りなくてごめんにゃ! でも君なら、きっとあの世界も救えると思うから――!」
そう言ってタイニーキャットが右手を空に向けて掲げると、その指先からまばゆい光が放たれた。それまで暗かった周囲は急に昼間になったかのごとく白く照らされていく。次第に天地も全て真っ白く染まり、私の手や足も光の津波に飲み込まれて消えていった。
「そうだ、これってNeCOのプロローグに似てたんだ……!」
ふと古く懐かしい記憶が蘇った。キャラクターを作ったばかりの頃に見た、最初のメインストーリー。原因不明の文明崩壊に巻き込まれたプレイヤーが、ストーリーキャラクターの手を借りて時空を移動するというものだ。まさにその時の演出が、今私の身に起こっている事そのものだった。確かこの後はどうなるんだっけ……と思考を巡らせたものの、私の意識はそこで途切れてしまった。