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うちの子転生!  作者: 千国丸
106/107

106.うちの子転生⑥

「私の身体が消された……!?」


デイパラは唖然とした表情で呟いた。聖堂の一部を粉砕した桃毛の獣人少女――メルに石壁ごと蹴り飛ばされた触手が消失したからだ。ダメージを回復に反転させる異能が発動していない様子を目撃し、ココノアは力強く拳を握り締める。


「やっぱりメルならデイパラの能力に対抗できるみたいね。これで形勢逆転よ!」


「ヒール系の魔法を纏った状態ならあの厄介な触手を消せるってわけか! でも、どうしてメルは回復魔法を自分に付与してるんだい? デイパラの弱点はボク達もさっき掴んだばかりなのに」


「あっ、これは怪我した人達に辻ヒールしてたのを解除し忘れてただけです。聖職者っぽい人達が大変な事になってたので、少し手伝ってました! ちなみに後の事は通りがかったユースティアさんにお願いしたので、大丈夫だと思います」


キラキラ光る両腕をブンブンと回すメル。彼女が次元結晶を通じて取得した特殊スキル、"コラプス・オブ・ロウ"は、魔法スキルの効果を物理属性に変換する効果を持つ。回復魔法を使った場合は身体にその効果が宿り、触れるだけで対象の治癒が可能になるのだ。魔法としての特性が失われるため本来の射程や効果範囲は得られないが、詠唱が不要かつMPの消費がなくなるという利点は魔法系ステータスが低い殴りヒーラーの欠点を補って余りあった。


「よくも母上を……ッ! 予が自らお前達を断罪してやる!」


激昂したアーエルが神樹の覇杖で床を突く。杖が持つ魔力と神獣の力が共鳴し、聖堂内に亀裂のような空間の歪みを生み出した。


「これが世界に終焉をもたらす予の軍勢だ。たかだか4人如きで止められると思うなッ!」


口を開けた次元の裂け目に蠢く影――その正体はココノアから指輪を奪おうとした際に喚んだ黒い魔物の群れだった。人らしき輪郭はあるが、存在が不安定で常に揺らめいている。眼や鼻だけでなく口すらない不気味な顔は、意志を持たないマネキン人形を思わせた。


「メル! あの触手女がデイパラ本人なんだけど、色々あって対話できるような状態じゃないの。()()()()が効くからまずは大人しくさせて! 教皇の方はうちらで何とかするから!」


「分かりました! あのウニョウニョしてる部分を抑え込めばいいんですね!」


ココノアの説明を聞き、メルは自分のやるべきことを即座に理解する。再び触手による攻撃を試みようと構える聖母へ向かって、一直線に駆けた。


「レモティー、リセ! うちらは黒いのを蹴散らすわよ!」


魔物の群れは無尽蔵に裂け目から出てくるため、聖堂が埋め尽くされるのも時間の問題だ。しかしダメージ反転というチート特性を持たない相手であれば、ココノア達が後れを取ることはない。


「ん、分かった」


「ようし、反撃と行こうか!」


威勢の良い声を合図に、少女達と聖母の最終決戦が幕を開けた。レモティーによって繰り出された先制攻撃――緑葉の大渦が亡者を切り刻み、その存在を無に帰す。それでも魔物達は臆する事なく、怨嗟の叫びをあげながら前衛を担うリセへ襲い掛かった。


「オ゛オ゛ォォォ!!」


「まずは大掃除……無限の剣閃(ジリオン・ブレイド)


鮮やかな宝剣から繰り出される数多の斬撃。触れたもの全てを切り裂く銀色の旋風によって、軍勢の半数が一瞬で消え去った。さらにリセはジリオンブレイドを絶え間なく連携し、超連撃を産み出すジリオン・ループコンボへと突入する。


「馬鹿な!? 予の軍勢がこれ程までに呆気なくやられるなど……だがッ! 」


終末の獣は内包する膨大な魔力を杖に注ぎ込み、さらなる魔物の軍勢を召喚した。しかし数が1000体になろうと10000体になろうと、迎える結果は変わらない。相手が悪すぎたのだ。


新星爆発(ルミナリィ・ノヴァ)!」


ココノアが放った白雷の魔法が黒い群れを容赦なく飲み込む。聖堂を破壊しない程度に出力が抑えられても尚、その威力は凄まじい。跡形もなく魔物の塊を消し飛ばした。


「やっぱり魔法を極めし者(フォースマスター)はこうじゃないと!」


ドレスを太腿まで捲り上げた格好でガッツポーズを取る純白の花嫁。メルが西側の壁を破壊した事により、魔封じの結界は効果を失っていたのだ。本来の力を取り戻した彼女は、得意の新生魔法で魔物を生み出す元凶へ狙いを定める。


「その杖、破壊させてもらうわよ。魔光雷(ショック・ボルト)!」


小さな指先から放たれた魔法の稲妻が宙を駆け、アーエルのすぐ近くを掠めた。教皇本人を狙ったものではないため、彼の身体に直接的なダメージは見られない。だが長杖の方は先端が砕かれて使い物にならなくなった。


神樹の覇杖(カドゥケウス)が折れただと……!?」


狼狽(うろた)えながらも杖へ魔力を与えようとするアーエルに、機能を失った杖が応える事はない。空間の歪みは消え去り、終焉の尖兵も塵となって霧散した。エウレカに唯一つしか存在しない"至高の神器"が失われた今、デイパラによる世界再生の目論見は阻止されたに等しい。


「よくも杖を壊してくれたわね……もうココノアさんであっても赦しはしない。貴女達全員をこの場で喰らい尽くしてあげるわ!」


修道服のスカートから伸びた触手の束がココノアに牙を剥いた。もちろんそれをメルが見逃すはずもなく、残像を生み出すほどの勢いで蹴り上げる。赤黒い軟体は目標を大きく逸れ、天井付近で黒い塵と化した。


「あなたは私が抑えます!」


「アイリスに似て鬱陶しい子……ッ!」


デイパラは残っていた肉の根を総動員し、逃げ場すら与えない殲滅攻撃を仕掛けた。神核から供給される魔力によって音速近くまで加速した触手の乱舞は、一撃一撃が必殺の威力である。しかし相性最悪のメル相手では時間稼ぎにもならない。少女が繰り出した連続の回し蹴りが直撃し、デイパラの脚は数十本単位で塵となった。高すぎる物理ステータスを参照した回復魔法があまりに強く、触れただけで致命的なダメージを負ってしまうのだ。


「どうして……どうして邪魔をするの……ッ! 私達は穏やかで平和な世界を実現したいだけなのに……」


足代わりの2本を除く全触手を撃破されたデイパラは元の姿に戻り、力なく膝を突いた。荒く苦しそうな呼吸から、戦闘を継続できない程の消耗状態である事が伺える。アーエルの方も杖を失ったことで魔力切れを起しており、その場から動けずにいた。世界の命運を握る戦いは少女達の勝利で幕を閉じたのだ。遮るものがなくなったステンドグラスから再び明るい光が射し込み、聖堂内を満たした。


「ふぅ、これでようやく落ち着いて話せる状況になったかな」


転移魔法を発動し、ココノアはメルの隣まで移動する。その表情には恋人との再会を喜ぶ気持ちが溢れており、傍目にも上機嫌だと分かった。


「お疲れ様。メルのおかげで世界の終焉とやらは避けられたみたい」


「ココノアちゃん!!」


メルの方もココノアに対する感情が抑えきれなかったようだ。恋人の背中に腕を添え、人目も憚らずにムギュっと抱きしめる。


「ちょ、ちょっと!?」


「本当に無事で良かったです♪ ココノアちゃんはしっかり者なので大丈夫だとは思ってたんですけど、それでも心配なものは心配だったんですよ!」


「分かった、分かったから……そろそろ離れてってば! こういうのは人前ですることじゃないの!」


長耳の先端まで真っ赤にしたココノアはメルから離れ、コホンと咳払いをして体裁を整えた。そして頃合いとばかりに、教皇庁で見聞きした内容を仲間達へ語り始める。デイパラが神獣を従えてヒト種を滅ぼそうとした目的、およびその選択に到る経緯を伝えるためだ。一通りの話を聞き終えたメルは、床に伏せたままのデイパラへ声を掛けた。


「この世界の人達を滅ぼそうとしてたのは本当ですか……?」


「ええ、そうよ……欲望を満たすためなら星を壊す事も厭わないヒト種を、このまま野放しになんてできないもの。今だって世界のどこかで醜く争っているはず。このままではあの時と同じ悲劇を繰り返すことになるわ」


「確かに、この世界の人々は大きな過ちを犯してしまったかもしれません。でもこれまでの歴史を学ぶことで、正しい未来を選ぶことができるはずです!」


「その楽観的で無責任な言い方……まるでアイリスみたい。貴女達は戦乱の時代を知らないから、そんな風に思い込めるだけ。そうね……面白いものを見せてあげるわ。私には近くにいる眷属と感覚を共有できる力があるの」


天井に向けて手を伸ばし、空中に巨大な魔法陣を描くデイパラ。メル達が黙ってその様子を見守っていると、円紋の中心に市街地を映す幻像が出現した。視点が小刻みに上下しているため、翼を持つ魔族の視野を投影したものと思われる。


「これから貴女達に見せるのは街……いえ、街だった場所の様子よ。私が放った愛し子達から逃れたい一心で、ヒト同士が足を引っ張り合ってる光景が見られるはず。それを目の当たりにしても、同じ言葉を紡ぐ事ができるか見物(みもの)ね」


「そんな事ありません。より良い明日を迎えるために助け合う事ができる……それが"人"なんです! 私だってココノアちゃんやレモティーちゃん、リセちゃんに助けて貰えなかったら、ここには居なかったと思います。きっとこの世界の人達だって同じですよ!」


「……そう。そこまで言うなら直接見て、聞いて、感じて……そして絶望なさい。ヒトの愚かしさと、この世界の無意味さに!」


幻像に浮かんだ光景がズームされ、瓦礫が散らばる広場の一角を鮮明に映す。そこには逃げ遅れたと思しき大勢の住民と、それを四方から囲む魔族と魔物の群れがあった。期待した通りのシチュエーションが眼前に現れ、デイパラは唇の端を歪に吊り上げる。これまでがそうであったように、きっと狡賢い数人が裏切り、他者を犠牲にしてでも生き延びようとするはずだと彼女は信じて疑わなかった。

だが、広場の状況は思わぬ方向へ転がる。なんと魔族の包囲を突き破るようにして、騎士と冒険者の混成隊が駆け付けたのだ。騎士団と冒険者の代表者は互いに競うかの如く魔族へ立ち向かう。


『そろそろお疲れでしょう? ここは僕に任せて貰っていいですよ』


『筆頭冒険者を舐めて貰っちゃ困るな! このくらい日常茶飯事だぜ!』


英雄にも匹敵する実力を誇る2人の剣士が活路を切り開く――そんな映像に対して、デイパラは強く唇を噛んだ。見せたかったのはこんな茶番ではないとばかりに視点を切り替え、今度は市街地の東部を映し出す。

先程同様にこちらも建物への被害が酷く、大勢の避難民が大通りを南下して厄災を逃れようとしていた。彼らの多くは怪我をしており、歩く事すらままらない者も含まれたが、複数の冒険者パーティが手分けして護衛しているおかげで魔物に襲われることはない。

幻像には北の空から飛来する上級魔族、そしてそれらを相手に無双する黒鱗の大蛇も映っていた。長い尾で魔族を絡め取り、豪快に地面へ叩きつける神獣の姿は人々を大いに励ます。


『あのデケェ蛇、魔族を簡単に倒してやがる……なんて奴だよ』


『神獣が俺達の味方をしてくれるとはな……長生きはしてみるものだ』


『コラ男共! よそ見なんかせずに仕事に専念しな! 今あたい達がするべき事は、1人でも多くの民間人を救出することだよ!』


冒険者隊の中にはメル達の見知った顔もあった。トルンデインで共闘した赤髪の冒険者シーガと重装戦士ヴィルタン、弓の名手アンネッラである。彼らはギルド本部の要請に応じ、東大陸からここまでやってきたのだ。血の匂いを嗅ぎつけた狼型の魔物を手堅く処理し、住民を危険から守る。


「へぇ、懐かしいわねあの顔ぶれ。それに結構やるじゃない」


「みなさんお見事なのです!」


懐かしい人物達の活躍を眺めながら、ココノアとメルは嬉しそうに言葉を交わす。元々シーガ達はトルンデイン支部でも実力者に入る方であったが、精鋭とまで呼べるような能力はなかった。だがトルンデイン防衛戦やデミリッチ討滅戦における英雄達の活躍に刺激を受け、厳しい鍛錬を積んだ事で腕を数段上げている。他の高レベル冒険者と見比べても劣りはしなかった。


「争ってばかりだったヒトが、どうして……!?」


想定外の光景が続き、デイパラは頭を抱える。敵対する聖教国の民を冒険者が進んで助けるとは思っていなかったのだろう。他者を出し抜き、自分だけでも助かろうとする醜悪な生物――それが彼女の知るヒト種だった。


「私が知っているヒト種とは違うというの……? 本当に、助け合って生きる道を選べるの……?」


デイパラの中で種族間戦争時代の記憶が音を立てて崩れていく。彼女は混乱しつつも、最後に西の様子を投影した。西部街は教皇庁から近いため、今頃は召喚した魔族の群れによって大量の骸が生み出されていてもおかしくはない。それにも関わらず、幻像が映したのは一致団結して敵勢力に応戦する冒険者部隊と住民達だった。彼らは1人でも多くの命を救うべく手を取り合い、共闘する道を選んだのである。


『助かるぜ姉ちゃん、あんたの歌を聞くと力が漲ってくる!』


『俺達みたいな凡人でも、力を合わせれば魔族と戦えたんだな……!』


幻像を通して聞こえてくるライの歌によって身体能力が強化されているらしく、人々は魔族相手でも押し負けていない。中でも一際目立つのが中性的な風貌の美しい青年だ。上級魔族と対等に渡り合える身のこなしは、人間族とは思えない程にキレがある。彼とその支援を担う亜人冒険者団が健在であれば、西部が陥落する事はないだろう。


『ナナシ殿に続け! 今度はオレ達があの少女達を助ける番だぞ!』


『おおーっ!!』


唐突に聞き覚えのある名が飛び出したので、リセとレモティーは思わず顔を見合わせた。ナナシといえば古代人リーデルによって魔物にされた元賞金稼ぎの男性の名前である。メルによって救われ、オキデンスでの決戦を終えた後、ナナシはふらっと姿を消してしまった。その後も連絡は取れなかったので、彼が今回の任務に志願したという事など彼女達が知る由もない。

幻像に目を凝らしたレモティーは、ナナシを援護する亜人冒険者達にも見覚えがある事に気付く。目標であった奴隷制度廃止を達成した後、亜人解放団の中でも腕に覚えがある者は冒険者へ転職していたのだ。そして彼らはオキデンスを正してくれた恩人達のため、危険を承知で駆け付けた。幻像を通して伝わってくる感謝の気持ちを受け取り、2人の胸中に熱いものが込み上げる。


「……ボク達の旅は意味あるものだった。こんなに嬉しいことはないよ!」


「ん、たまにはこういうのも良い」


朗らかに微笑むレモティーとリセ。そんな彼女達と対照的に、デイパラは幻像を見上げたまま涙を流していた。所属や人種の異なるヒト同士が助け合う姿に心を大きく動かされたのだ。アイリスやメルが信じた通り、人々は手を取り合って困難を乗り越える事ができる――それが証明された事で、デイパラの思考を歪めていた古の呪縛が解けていく。彼女が世界を作り直さなくとも、穏やかで平和な時代はすぐ目の前に迫っていた。


「アンタが思ってる以上に変われるのよ、人って」


デイパラの表情から想いを汲み取ったココノアは、彼女の隣にゆっくりと腰を降ろす。さらに目線の高さを合わせてから、優しく語りかけた。


「たまに馬鹿げた選択をしちゃう事だってあるけど、何が悪かったのかを反省できれば良い未来を掴み取れる。だから絶望する必要なんてないの。これでもまだ、アンタは世界を終わらせたい?」


「……いいえ、もうそんな気は失せたわ。結局、私がやってきた事は全て無意味だったのね」


真珠色の髪を揺らし、聖母は哀しげな表情を浮かべる。原初の獣でもある彼女が再創世に思い至ったのは、ヒト種がいずれ星の滅亡を招く未来を予見して絶望した事が原因だ。だが戦場を映す幻像によって垣間見たヒトの在り方を見る限り、その恐れは無い。間違っていたのは自身の行いだと、デイパラは改めて自覚した。


「無意味なんかじゃありません。あなたがこの世界の人達に与えた癒やしの術は、きっと生活の役に立ってると思いますよ?」


「メルの言う通りよ。信仰を集めるのが目的だったとしても、アンタが与えた恩恵だってあるはず。だから、今後は他の神獣みたいに人と一緒に生きてみたらどう? もし間違った道を選びそうになったら正してあげればいいの。それがこれまでの罪に対する償いにもなるかもしれないでしょ」


「……こんな私にも優しく言葉を掛けてくれるのね。もっと早くに貴女達みたいなヒトと出会っていれば、アイリス()()を裏切らずに済んだかもしれない……」


今まで心の奥へ押し込んでいた想いを吐露するデイパラ。それはアイリスを呼び捨てにしていた13番目の獣が、初めて創造主を母と呼んだ瞬間でもあった。"母様(かあさま)"という言葉に込められた感情を察したココノアは、デイパラとの交流を通して掴みつつあった彼女の本質について口にした。


「うちね、少し思ってた事があるの。原初の獣として生まれたばかりのアンタは、子供も同然だったんじゃないかって。なのに種族間の戦争を止めろなんて無茶な話よね。そんな状態で眷属も好き勝手やり始めたら、育児ノイローゼになってもおかしくないでしょ」


「それは……」


「私もココノアちゃんに同意します。アイリスさんはデイパラさんと和解したいと言ってました。きっとそれは、あなたに謝りたい気持ちもあったからじゃないでしょうか。本当は直接お話して貰えればいいんでしょうけど、もうアイリスさんは姿を現せるほどの力も残ってないみたいで……」


メルは自らの胸に両手を当てて、アイリスを呼び出そうとする。しかし女神が応じる様子はなかった。元々消失の危機にあった彼女が再び現界するのは、もう不可能なのかもしれない。だからこそメルは彼女の分まで、デイパラと話をしようと決めた。


「アイリスさんがどんなお話をするつもりだったのかは分かりません。だから私は、私達が旅してきたこの世界のお話をしたいと思います。ちょっと長くなるかもしれませんが、それでもいいですか?」


「……ええ、お願いするわ。私は今の世界について、もっとよく知らないといけないのだから」


「はいっ、任せて下さい♪」


八重歯を見せて笑った少女は、仲間と綴ってきた異世界の冒険譚を話し始めた。ココノアやレモティー、リセもそこに混ざり、会話は大いに盛り上がる。多くの人々と触れ合い、困難を乗り越えてきた幾多の物語は、人々が紡ぐ未来への希望を抱かせるのに十分なものだった。いつしかデイパラの頬は自然と緩み、少女達の旅話を心から愉しむような表情を浮かべていたのである。


「ふふっ……アイリス母様が貴女達に加護を与えた理由がよく分かったわ。私もエウレカに閉じ籠もらず、世界を見て回るべきだったかしら……ねぇ坊や?」


「母上がそうされたいのであれば、予はどこまでも共に参りましょう……」


聖堂の奥で話に耳を傾けていた教皇アーエルは、母親の問い掛けに応じて立ち上がった。相変わらずの無表情ではあるが、そこに憎悪や敵意といった感情は無い。少年は折れた杖を支えにし、弱々しい足取りでデイパラの方へ歩み寄っていく。


「無理をしなくてもいいの。私のせいで坊やには随分と辛い思いをさせてしまったわ……母親失格ね」


斯様(かよう)な事を申さないで下さい……母上と共に生きる事こそが、予の願いなのですから。これからも予は母上のお側に――ごふっ!?」


何の前触れもなくアーエルの口から大量の血が吹き出した。同時に彼は膝から崩れ落ち、床へ倒れ込む。悲鳴をあげたデイパラは這うようにしてアーエルのところへ辿り着き、その体を抱き締めた。


「坊や! しっかりして、坊や!」


アーエルの意識は朦朧としており、返事することもできない。口から流れる血も止まらず、どんどん肌から血の気が失われていく。このままでは確実に息絶えてしまうだろう。


「メル、アイツに回復魔法を掛けてやって!」


「任せてくださいな!」


ココノアの要望に応じ、メルはコラプス・オブ・ロウを解除して回復魔法を唱えた。物魔反転モードに比べると効果は低下するが、魔法として発動すれば対象を確実にアーエルに絞る事ができる。これならばダメージ反転の性質を持つデイパラに影響しないはずだ。


「しっかりしてください、アーエルさん!」


メルは習得済みだったあらゆる回復魔法を使った。肉体の治癒と復元、状態異常の解除、そして蘇生……だがいずれも効果は生じず、アーエルの生命力は失われる一方である。デイパラも必死に魔力を送り込むが、彼の様態が改善する兆しはない。


「なんで回復魔法が効かないのよ……!? レモティー、鑑定で調べて!」


「もうやってる! でも原因が分からないんだ! 状態異常も無いのに、どんどんHPのパラメータが下がっていく……!」


「どうしてこんな事に……まさか、神核の魔力だけでは不十分だったとでもいうの……?」


大粒の涙を落としながら我が子を抱きしめるデイパラ。彼女にはアーエルの症状について思い当たる節があった。原初の獣を創るという行為は世界の(ことわり)を生み出すに等しく、眷属を生成する権能とは別種の力――女神アイリスの魔力が必要となる。しかし神核に残された魔力だけでは足りず、デイパラは不足分を自身で補った。


「きっと、アイリス母様と私の魔力が混ざったせいね……異なる力を宿した事で、坊やは不安定な存在として生まれてしまった。今までは何とか生命を維持できていたのでしょうけど、肉体の本格的な崩壊が始まった以上、治す方法なんてないわ……」


どんな手段を尽くしても息子が助からないと悟ったデイパラは、メルに向かって首を左右に振る。しかし猫耳少女は回復魔法の詠唱を続けた。彼女が望むのは全員が笑って迎えられるハッピーエンドだ。決してビターエンドなどではない。


「私は諦めません! カーディナル、発動!」


ジョブ名と同じ名を冠する専用スキルにより、メルの背中に純白の翼が出現した。カーディナル状態では回復魔法の効果が飛躍的に高まるため、魔力が低くとも十分な回復量を得られる。しかしこれでもまだアーエルを救うには足りない。


「うちらの魔力も持っていきなさい、メル!」


ココノア達がメルの周囲に駆け寄り、魔力を分け与え始めた。膨大な力の流れがメルの背に作用し、さらに1対の光り輝く翼を授ける。


「アーエルのHP低下は確実に緩くなってる! でもまだ止まってはいない! このままじゃ()ってあと数分の命だ……!」


「もっと踏ん張りなさいよ! ここで死なれたら目覚めが悪いでしょうが!」


少女達はアーエルの治療に全力を尽くす。デイパラが聖教を操って大勢の人々を苦しめてきたという事実は消えないが、子を慈しむ母に罪はない。それに彼女もヒトの欲望によって歪められてしまった被害者の1人なのだ。困っている人の力になってあげたい――そんな純粋で強いメルの想いが、さらなる奇跡を呼んだ。


――諦めないでください。残された魔力を全てメルさんへ注ぎます――


聖堂内にどこからともなく声が響く。それは水中神殿で耳にしたものと同じ、女神アイリスの声だった。


――これが私にできる、せめてもの償い。後は任せましたよ、異界の勇者達――


暖かな光がメルの身体を包み込み、女神の力を発現させる。3対6枚の翼を身に宿した少女は、NeCOに存在するNPC専用の最強種族――最上級の熾天使(アーク・タイタニア)への()()を果たしたのだ。その治癒能力は想いの力によって無限に拡張され、あらゆる不可能を可能にする。

救済の聖光によって死にかけていたはずのアーエルの身体には生気が戻り、身体の欠陥も消え去った。それだけではない、眩い波動が教皇庁を中心にエウレカ一帯へと広がり、傷ついた人々を別け隔てなく癒やす。聖堂に浮かんだ幻像は、魔族に殺された人々が息を吹き返す様子をリアルタイムで伝えていた。


「母上……どうやら予は、生きる事を赦されたようです」


「ええ、ええ……分かっているわ。アイリス母様が力を貸してくれたの」


しばらくの間、デイパラは息子を抱き寄せて咽び泣いた。母親の腕に抱かれたアーエルもまた、穏やかな表情で涙を流す。そんな親子の様子を見つめながら、少女達は互いに笑顔を咲かせた。


「……メルさん、お願いしたい事があるの。聞いて貰えないかしら」


おもむろに顔をあげたデイパラは、強い決心を感じさせる口調でメルの方を振り返る。


「貴女に私が持つ神核と魔力の全てを捧げるわ。今なら蘇生の術式でアイリス母様を蘇らせることができるはずよ」


「いけません母上……そのような事をすれば、あなたが消えてしまいます……!」


「心配しないで、坊や。私は母様の一部に()()だけ」


「し、しかし……!!」


アーエルは言葉を詰まらせた。全魔力を失うということは、この世界の生物にとって死に等しいからだ。メル達にもデイパラが自死を選んだとしか思えなかった。


「アンタはそれでいいの!? アーエルと一緒に世界を旅するんでしょ!」


「ふふっ……気遣ってくれて有難う、ココノアさん。でもこれは決めた事なの。アイリス母様なら原初の獣達をまとめあげ、世界を正しく導くことができるわ。それに貴女達の魂も元の世界へ送り返せるはずよ」


「それは……そうかもしれないけど……」


メルとの対話を通して、デイパラは少女達が異界からやってきた事を知った。だからこそ次元を隔てる壁へ干渉術式を扱える創世神の再臨を提案したのだろう。女神と同じ色をした瞳には揺るぎない意志が映る。


「迷ってる時間はないわ。その力は一時的なものだから、長く続かないはず。帰る機会を失ってしまう前に母様を蘇らせるのよ」


「……分かりました。私の回復魔法でアイリスさんを復活させます。デイパラさんがアイリスさんの中で生き続けられるように、精一杯の想いを込めて……!」


メルは瞼を閉じ、蘇生魔法リザレクションを唱えた。対象はデイパラが差し出した神核の破片だ。透き通った結晶に、あまねく生命を司る神秘の力が注がれる。


「母上……予は……」


「そんな顔をしないで坊や。貴方にはこれからやるべき事がいっぱいあるのよ。特に花嫁探しは大変なんだから。ココノアさんと同じくらい素敵な女性を探さないとね、ふふっ……♪」


最期にそう言い残し、デイパラは光の粒子となって消えた。代わりに神々しい姿の女性が聖堂へ降り立つ。数千年の時を経て、ようやく母と娘のすれ違いに終止符が打たれたのだ。




――それから数日後 教皇庁――




教皇の花嫁用に用意された私室で、ココノアは自作品の仕上げに取り掛かった。画架に置かれた紙とモデルとなる人物達の間を、澄んだ紫色の瞳が何度も往復する。絵自体は殆ど出来ており、色を塗り切れば完成だ。


「ちょっと、大人しくしなさいっての!」


頬を膨らませて筆を振り回すエルフ少女。彼女の視線の先には真っ白な壁を背にして並ぶメルとレモティー、リセの姿があった。身長の都合で一番前にメルがいるため、レモティーはどうしても桃色の尻尾に気を取られてしまう。


「あはは、ごめんごめん! ついメルの尻尾をモフりたくなってさ」


「ん、嫌だったらレモティーを蹴り倒してもいいよメル」


「もうっ、みなさん! ココノアちゃんに絵を描いて貰えるチャンスなんて滅多に無いんですから、じっとしてないと! ()()()()()前に思い出を1つでも多く作るのが、今の最優先クエストです!」


女神が復活した事で、少女達には地球へ帰るという選択肢が生まれた。もちろん、必ずしも帰る必要はなく、このまま異世界に残り続ける事もできる。最強を目指して武者修行に明け暮れるのも良し、スローライフを楽しむのも良し、幼女ハーレムを築くのも良し……まさに選り取り見取りだ。

それでも、全員が地球への帰還を希望した。互いに理由は明言しなかったものの、世界を救うという使命を果たした今、それが最も収まりの良い終着点だと判断したのだろう。

ただし、アイリス曰く地球が存在する次元への道を開くには少々時間を要するらしい。そのため教皇庁の一室を借り、帰るまでのひと時を過ごす事になったのだ。


「……よし。まあ大体こんなもんでしょ」


「あっ、出来たんですね! 私達も見ていいですか?」


「当たり前じゃない。この絵の主役はここに居る全員なんだし」


教皇庁に軟禁されていたココノアが暇つぶしを兼ねて描き始めたパーティ全員の集合絵――それが今日、完成した。メル達は喜び勇んでココノアの後ろへ回り込み、出来上がった絵に視線を落とす。


「わぁ、素敵です♪ みんな楽しそうで、こっちまで笑顔になっちゃいますよ!」


「いいねぇ、特にこのココノアとメル! 愛らしいなぁ~! 額縁に入れてパソコンの上にでも飾っておきたいくらいさ!」


「ん、地球にこれは持って帰れないよレモティー」


「そこなのよね、問題は。身体ごとあっちの世界に移せればいいんだけど」


次元の壁を超える事ができるのは魂と呼ばれる精神体のみに限られた。従ってNeCOのアバターもこの世界に残していく事になる。魂を失った肉体はいずれ消えてしまうが、役目を終えた今となってはそれでも問題ない。


「あっ、そういえばこの身体でやっておきたい事があったんです!」


そう言ってメルはココノアの肩に手を回した。さらに鼻先をグイグイと恋人の顔へ近づけていく。


「えっ、いきなり何!? 何なの!?」


「恋人同士になったんですから、キスくらいはしておかないと! 地球に戻ったら、私はくたびれたアラサーに戻っちゃいますしね!」


「いやいやいや、そういうのはもっとムードとか、シチュを選ぶべきでしょ!?」


「そんな事言って……良い雰囲気になっても、ココノアちゃんは照れていつも逃げちゃうじゃないですか。だからこうやって不意打ちでやっちゃいます♪」


チュッという音と共に、小さくて瑞々しい桃色の唇が重なった。ココノアは慌てて離れようとするが、獣人族の腕力からエルフ族が逃れる術はない。幼い少女同士と思えない濃密な口付けは、ココノアが軽い酸欠を起こすまで続いた。


「うぅ、もう無理……全然酸素が足りないし、恥ずかしくて死にそう……」


「あれっ? ココノアちゃん大丈夫ですか!?」


「イチャイチャするのは構わないけど……知らないよ、あたし。こんなの見たら、絶対レモティーが興奮して面倒なことに……」


呆れた表情でリセは隣のレモティーへ視線を移したが、友人の姿は何故か見当たらない。おかしいと思って振り返った彼女の視界に入ってきたのは、床で仰向けに転がるレモティーだった。鼻血で顔を汚した金髪碧眼の乙女は、幸せそうな顔付きで気絶している。


「し、昇天してる……」


「レモティーちゃんまで大変なことに! ここは私の回復魔法を使う時ですね!」


メルが回復魔法の詠唱を開始しようとした瞬間、唐突に扉が開いた。なんと女神アイリス本人が訪れたのだ。ただし間が悪かったためか、アイリスは見てはイケナイものを見てしまったような素振りで瞳を泳がせる。


「あのぅ……私、お邪魔しちゃったでしょうか?」


「き、気にしなくていいってば。ところで要件は何よ」


キスの余韻が残る唇に指で触れつつ、ココノアはアイリスに会話の続きを促した。復活して間もなく地球へ繋がる時空トンネル構築に取り掛かった彼女が、昼間から教皇庁に顔を出すのは珍しい。


「2点、お伝えしたい事があって参りました。1つ目は地球へ繋がる道が完成したので、いつでも皆さんを送り帰せるようになったというご連絡です。あと2つ目は……」


「2つ目は?」


「ええっとですね……これは私からのお願いなのですけども、これからもこの世界へ来て貰えないでしょうか? トンネルさえ残しておけば、行き来は自由にできますから!」


予想外の申し出にメル達は目を丸くした。世界を脅かしていた危機は全て取り除かれたはずだ。しかも女神が蘇った今、わざわざ異界から力を借りる必要性は感じられない。大きな疑問符を頭上に浮かべた少女達を見て、アイリスは説明を加えた。


「実は……行方不明になった原初の獣達を探すに当たり、ぜひ皆さんにお手伝いをお願いしたいな、とか思っちゃったりもするわけで……!」


「行方不明って……チュンコとかキヨピーに聞けば分かるんじゃないの?」


「それが、あの子達も姉妹達の住処は知らなかったみたいなんです。私は一応、女神って立場ですし……あまり人前へ出るわけにもいかず……うぅ」


困り果てた様子で頭をペコペコと下げるアイリス。"女神の姿見"を通して邂逅を果たした時よりも砕けた彼女の姿を目の当たりにして、ココノアはやれやれといった様子で肩を竦める。


「神様がこんな感じだと調子狂うわね……で、どうする? 引き受ける?」


「もちろんです! また冒険ができるなんて、最高じゃないですか!」


「ボクも構わないよ。ユキちゃんに会いたいと思ってたしね。あとリギサンにある爺ちゃん婆ちゃんの家にも顔を出して、冒険の話を聞かせてあげたいな」


「ん、あたしも問題ない。この世界なら現実でやれない事が色々できるし」


「……ま、アンタ達ならそう言うと思ったわ。満場一致でオッケーよ、()()()


直接言葉にはしなかったが、ココノアもこの世界に愛着を持っていた。神獣探しはそこそこ面倒な事になりそうな気配はするものの、メル達となら楽しくやれるに違いない。断る理由は無かった。


「有難うございます皆さん♪ なんとお礼を申し上げればよいか……!」


抱きつきそうな勢いでアイリスがメル達のところへ駆け寄る。しかし彼女の足は画架の前でぴたりと止まった。どうやらココノアの絵が気になったようだ。


「素敵な絵ですね。なんというか、眺めているだけで心が暖かくなってきます。もし宜しければ、私の神殿に飾らせては貰えないでしょうか?」


「別に良いわよ。どうせ地球には持っていけないし」


「ふふっ、感謝します。きっとチュンコ達も喜ぶでしょう。ところでこの作品、タイトルが見当たりませんが……?」


「あー、何も考えてなかったわ。ちょっと待ってて、書き加えるから」


メルとアイリスが見守る中、空きスペースに筆を滑らせるココノア。少しの間を置いて、絵の上部に『うちの子転生』という文字列が刻まれた。


「そっか。あんまり実感は無かったですけど、私達って転生してたんですね。私にとってはNeCOの続きみたいな感覚の方が強かったかもしれません」


「元の身体に戻れるから、厳密には違うのかも。ま、分かり易いしこれで良いんじゃない?」


「はいっ、生まれ変わってもみんな一緒って感じで、私も気に入りました♪」


メルは満面の笑みで頷いた。どんなに楽しかった思い出も、時が経つにつれて風化し、日常に埋没してしまうものだ。この世界に転生しなければ、メルがココノアと結ばれる結末は迎えられなかっただろう

NeCOを愛したプレイヤー達から生まれた想いの力、星の未来を求め続けた女神の願い――それらが生んだ奇跡によって真に救われたのは、異世界でなく彼女達自身だったのかもしれない。



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