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うちの子転生!  作者: 千国丸
105/107

105.うちの子転生⑤

――教皇庁内 アルティ大聖堂――


広大な教皇庁の敷地内に堂々と構えるアルティ大聖堂は、アイリス聖教が有する教会の中でも最大を誇った。20メートルを超える高い天井には虹色に輝く着色ガラスが敷き詰められており、見上げただけで心が奪われる。

鮮やかに染めたガラス板を接ぎ合わせて絵や模様を表現する技法は、地球でステンドグラスと呼ばれていたものに等しい。由緒ある建築物としてだけではなく、芸術品としても稀代の傑作――数知れない賛辞を浴びてきた礼拝堂には、古代語で"工芸"を意味する栄誉ある名が与えられた。

本来であれば幻想的な光景を一目見ようとする観光客や、女神に祈りを捧げる信徒が引っ切り無しに訪れるため、アルティ大聖堂から人の姿が絶えることはない。しかし今日だけは違った。聖母デイパラと教皇アーエル、そして幼いエルフ少女の貸し切り状態だ。


「はぁぁ……滅茶苦茶豪華な聖堂ね。どれだけの人手とお金が掛かってるのよ」


光が織りなす綺羅びやかな光景を前にして、深い溜息を吐き出すココノア。彼女の視線は一際美しい輝きを放つ円形ステンドグラスに吸い込まれていた。四葉のクローバーをモチーフにしたと思しき図柄は細部まで拘った造りになっており、クリエイターとしての感性を刺激する。


「式場は気に入って貰えたかしら? そのドレスもココノアさんのために特注で作らせたの。間に合って良かったわ」


「……ま、デザインは悪くないんじゃないの。子供向けの花嫁衣装なんて初めて見たから、比較する対象も無いけど」


ココノアは自身のウェディングドレスを見下ろした。胸元をハート型にカットしたビスチェと、風船のような膨らみを持たせたスカートはどちらも純白のシルク生地で作られており、手触りだけで相当な高級品であることが分かる。端部まで糸1本のほつれもない仕立ては、まさに職人技の領域だ。

意匠にも数々の工夫が凝らされている。元々細い腰を強調するコルセットは、少女特有の儚い可憐さを余すことなく表現し、さらには滑らかで上品なシルエットの演出にも寄与した。また小さな足を守るブライダルシューズはヒールによって背を高く見せる一方、爪先への負担が緩和される形状が採用されたため履き心地も悪くない。ベージュに染まった髪を彩るのは、白銀の羽根をあしらった清楚なティアラだ。潤いのある初々しい髪に良くマッチし、少女の整った顔立ちを際立たせる。

華やかに着飾った花嫁とは対照的に、花婿として連れ添う教皇アーエルは普段と変わらぬ装いだった。聖布を巻き付けた法衣と神杖カドゥケウスのみしか身に着けていない。


「他に誰もいないし、そっちは普段着だし……てっきり結婚()()()の予行練習でもやるのかと思ってたけど、まさかこれって本番?」


「そうだ。如何なる儀式も予はこの姿で執り行う(ゆえ)に問題はない。立会人も母上が居てくだされば十分だろう」


淡々と答えるアーエル。しかしデイパラの子煩悩ぶりを考慮すると、彼の衣装が用意されていないのは違和感がある。小さな花嫁から説明を求める視線を向けられたデイパラはそれに応じた。


「……本当なら坊やにも素敵な衣装を着せてあげたかったわ。でも間に合わなかったの。婚儀だってココノアさんが心を開いてくれるまでは待つつもりだったのよ?」


「随分と気の長い話をするじゃない。アンタが何十年待とうが、心変わりなんてしないってば。だってうちには……その……こ、恋人がいるんだから!!」


ココノアはそう言って左手を見せた。小さな薬指には光沢のある指輪が嵌められており、彼女が大切な人と結ばれているという事実を証明する。世俗に対する興味が薄くとも、婚約の証となる装飾品を身につける慣習がある事くらいはデイパラも把握済みだ。


「……そんなもの、決して認めない。旧き世界の終焉が始まった以上、ココノアさんに残された道は坊やと共に生きる事だけよ」


静かな憤りを孕んだ低い声が天井へと響く。自分の息子だけを想い、一心不乱に世界の再創造という壮大な計画を進めてきた母親にとって、花嫁の気持ちはノイズに過ぎなかった。相手の言い分を受け入れるつもりなどない。


「これから消えゆく者に未練を残しても、辛いだけではなくて? 貴女には何もかも忘れて、新しい世界で生きていく事だけを考えて欲しいの」


「勝手に人の未来を決めないで! そもそもアンタの企みは成功しないっての。教皇庁の騒動、気付いてないとでも思った? メル達が乗り込んできたんでしょ。終焉だろうが終末だろうが、うちらが絶対に食い止めてやるわよ!」


「この期に及んで口の減らない子……坊や、あんな子供騙しのリングは棄ててあげなさい。それで目が覚めるわ」


「分かりました、母上」


デイパラに言われるがまま、アーエルはココノアへと歩み寄っていく。虚無と言っていい程に虚ろな銀色の瞳に、ピクリとも動かない口元。人形のような冷たく凍った少年の表情は不気味としか言いようがなかった。


「こっちに来るなっての!」


ココノアはジリジリと壁へ追い詰められる。聖堂の守護を目的とした魔封じの結界が構築されているため、ここで転移魔法を使うことはできない。また室内では礼拝者用の椅子や机が障害物と化しており、逃げ道を塞いでいた。その隙間を縫って走ったとしても、子供の足ではすぐに追い付かれてしまうだろう。


「予の伴侶にそのような(ゴミ)は似合わぬ。大人しく差し出せ」


「これはメルとお揃いのペアリングなんだから、ゴミ扱いしたら許さないわよ!」


「……どうやらその指輪には相当な想い入れがあるようだな。ならばそれを目の前で破壊し、お前の心に巣食った愛執を断ってやるとしよう」


アーエルは右手で長杖を掲げ、そこに秘められた魔力を解放する。それと時を同じくしてココノアの周囲に空間の裂け目が出現し、影のような気味の悪い魔物が這い出てきた。人の形はしているがその輪郭は揺らめいており、亡者のような呻き声を漏らしている。


「何よこれ、気持ち悪っ!?」


悲鳴にも似た声をあげるココノア。彼女の背は硬い壁に押し返されているため、これ以上の後退は不可能だ。それでも諦めず指輪を嵌めた手を抱え込んで守ろうとするが、黒い腕は華奢な手足を鷲掴みにし、幼い身体を抉じ開けようとする。


――シュルルルッ!――


その瞬間だった。突如として現れた緑色の蔦が影の亡霊へ絡みつき、速やかにココノアから引き剥がしたのである。さらに飛翔する斬撃が空中で魔物を真っ二つに裂いた。思わぬ横やりを入れられたデイパラとアーエルは聖堂の入口を振り返る。


「百合の間に挟まろうとするなんて許せないなぁ!」


「ん、今回ばかりはレモティーに同意する」


開け放たれた扉に立っていたのは2人の女性だった。新緑のワンピースに身を包んだ大地の収穫者(ハーヴェスト)、そしてゴスロリ風衣装の上から魔銀の篭手と胸当てを装着した華麗なる剣闘士(グラディエイター)――いずれもココノアと冒険を続けてきた仲間達だ。


「レモティー、リセ……! アンタ達、来るのが遅いっての!」


「あはは、ゴメンゴメン! ちょっと手間取っちゃってさ! でもココノアの書き置きがなかったら、もっと時間が掛かってたかもしれない。ナイス判断だよ!」


そう言ってレモティーは教皇庁の見取り図が描かれた紙を取り出す。それはココノアが軟禁されながらも密かに作っていたものだった。迷路を思わせる複雑な教皇庁の構造を初見で把握するのは不可能に近いが、大聖堂の所に赤い丸が付けられたこの絵さえあれば難なく彼女の元へ辿り着けるだろう。それまで強張っていたエルフ少女の表情が和らいだ。


「うちが捕まってた場所、よく分かったわね。似たような部屋ばかりなのに」


「うん。協力者のおかげで花嫁の私室がある区画は判明してたから、まずはそこから調べてみたんだ。で、ココノアの代わりにこの紙を見つけて大聖堂へ急行したってわけさ。さてと……その少年が例の教皇なら、そっちにいるシスター風の人が聖母かい? 女神とそっくりな顔をしてたなんて、ちょっと驚いたな」


赤いフレームの眼鏡が修道女を捉える。そこに映ったデイパラはレモティーへ向き直り、自らが聖母である事を認めた。


「ええ、そうよ。貴女達はココノアさんのお友達かしら。こんなに早く来るなんて……(ことごと)く私の思い通りにはさせてくれないのね」


「聖母……いや神獣デイパラ、お前が何を思ってこんな事をしたのかは知らない。でもこれ以上ココノアに執着するようなら、手加減はしないよ」


「坊やの婚儀は誰にも邪魔させないわ。例えアイリスから加護を受けていたとしても、貴女達では私を止めることなんてできない……だって、この身体は既に創世神にも等しい力を宿しているのだから」


一瞬にして黒い魔力の奔流が聖母を包み込んだ。女神の神核と信仰の力を取り込んだ事により、デイパラの保有魔力は原初の獣を遥かに上回っていた。肌を刺す苛烈なプレッシャーに危機感を覚えたレモティーは、即座に鑑定スキルを発動して最低限のステータス値だけを素早く読み取る。


「レベル250!? まるでチートみたいな数字じゃないか……! ココノアを助けたらデイパラと女神が対話できる状況を作るつもりだったけど、これは思ってた以上に厳しいかもしれない……」


驚くべき数字を目の当たりにしてレモティーは警戒を強めた。プレイヤーのレベル上限が120であったNeCOに置き換えると、デイパラの強さは高難易度レイドバトルの最終ボスに相当する。カンストしたプレイヤーを100人近く用意して、ようやくまともに勝負できる相手だ。


――グシュ……ブシュ……――


薄気味悪い音を立てて膨れ上がるデイパラの下半身。急激な魔力の解放に伴い、肉体が変貌し始めたのだ。美しかった両脚は(おぞ)ましい触手の束となり、聖堂に置かれていた机や椅子を次々に薙ぎ倒す。しかもそれらは単なる()でなく、それぞれの先端に獣の顎を備えたものであった。そこに目や鼻は存在していないため、酷く奇怪でグロテスクに見える。


「この姿を見せたからには、生かして帰すつもりなんてないわ。愛しいアーエルのためにも、貴女達はここで消しておかないとね」


グラマラスな女性の上半身に対し、腰から下が多脚の化け物となった恐ろしい風貌――それはギリシャ神話に出てくるスキュラを彷彿とさせた。デイパラは伸ばした触手を力任せに叩きつけ、出入口を周辺の壁ごと粉々に砕く。レモティー達の退路を断ったのだ。


「こうなったら仕方ない、応戦するよリセ! この建物じゃ魔法を上手く使えないみたいだから、まずはココノアの保護を優先しよう!」


瓦礫で埋め尽くされた通路を一瞥し、戦闘態勢を取るレモティー。彼女の主力スキルは植物操作であるため、魔封じの結界下でも支障はない。まずは足元から全方向に蔦を這わせて、攻撃や防御の起点となる足場を生成し始める。


「ん、あたしが突破口を開く」


大量の触手群に向かって剣を構えたリセが駆けていく。数歩で一気に加速した彼女の身体は最短距離で突き進み、デイパラの数メートル手前まで接近した。だが相手も黙ってはいない。伸ばした脚で醜悪な檻を作り、眼前の獲物を喰らい尽くそうとする。


「愚かなヒトの子達だこと。そんな脆弱(ぜいじゃく)な刃では私に掠り傷すら与えることもできないのに」


「試してみないと分からないよ、そんなの」


絶え間なく襲い掛かってくる触手を左右へのステップで避けながら、リセは鋭い一閃を放った。銀色の軌跡が数本の触手をまとめて斬り裂き、真っ二つに分断する――と思われたが、触手には少しの傷も付いていない。目を疑う結果にリセは思わず声を漏らした。


「ん……!?」


「創世神が持つ力は時に(ことわり)すら捻じ曲げるのよ。己の無力を知りなさい」


カウンターとばかりにデイパラの猛攻が始まった。少女剣士の胴体を食い破ろうとする触手の群れがあらゆる方向から飛来する。リセは持ち前の反射神経を生かしてそれらを的確に剣で捌くが、何度斬ったところで手応えがない。一向に相手の手数が減らないので、徐々に壁へ追い詰められてしまう。


「これならどうだ! 万緑の暴風(リーフ・テンペスト)ッ!」


レモティーの声と共に無数の葉が緑色の大渦を形成した。魔力を帯びて鋭利さを増した樹葉はミキサーのようにグルグルと高速回転し、触手を細かく刻む。リセはその隙に壁を蹴ってデイパラから距離を取った。


「ん、助かった。でもあれ、多分効いてないよ」


「みたいだね……こっちの攻撃は全て無効化されてるというか、()()()()()()()()()()()()()感じだ」


険しい表情でレモティーが呟く。ハーヴェストの取得スキルにおいて最大火力を誇る必殺技が直撃したというのに、デイパラの触手脚は1本も減っていなかったのだ。それどころか最初より数が増えているようにすら見える。


「ふふっ、驚いているようね。無理もないわ。貴女達の技が限界まで研ぎ澄まされている事は、私にだって分かるもの。きっとこれまではどんな相手だって捻じ伏せることが出来たはず……でもね、現実というものは常に理不尽なのよ。自分じゃどうしようもない運命に抗っても虚しいだけ」


「……それは、アイリスの教えってやつかい?」


「違うわ。永きを生きた先達として助言してあげたの。抵抗しないのであれば、痛みを与えずに終わらせてあげる。良い子だから大人しくして頂戴」


子供をあやす母親のような声色で語り掛けるデイパラだが、下半身から生えた肉根は殺意に満ちた動きでレモティーとリセを襲う。肥大化した触手の顎は非常に獰猛であり、それ単体で高レベルの魔物にも匹敵しそうだ。2人は防御重視の動きに切り替えて攻撃を捌いた。


「これはどうしたものかな……!」


「ん、何かギミックがあるはず。それを見つけるのが最優先」


デイパラの異能を封じない限り、勝ち筋は存在しない。じわじわと体力を削られ、触手の餌になるしかないだろう。しかし圧倒的不利な状況でも、異界の少女達は諦めてなどいなかった。


「言っとくけど、うちらはこの程度じゃ折れないわよ! NeCOでやるボス戦の方がよっぽど理不尽だったんだから!」


不意にココノアの声が響く。直後、彼女が立っていた場所に大きな衝撃が走った。愛息子の身に何かあったのかもしれないと危惧したデイパラは、攻撃の手を止めて聖堂の奥へと下がる。


「大丈夫、坊や!?」


「母上、予は無事です。それよりも花嫁が……!」


アーエルに怪我はなかった。だがココノアの姿がどこにも見えない。まさかという顔付きで振り返ったデイパラの視界に、宙を舞う純白のドレスが映る。


衝撃瞬退射(インパクト・ショット)、ここで役立つなんてね」


いつの間にか弓を手にしていたココノアは、スキルのバックステップ作用によって離脱した後だった。自分の足元を狙ってインパクトショットを発動することで、疑似的なテレポートを行ったのである。さらに空中でもスキルを発動して移動距離を稼ぎ、レモティーの隣へ着地した。


「ふぅ……助かったわ。ありがと、弓を持って来てくれて」


「お礼ならメルに言ってあげて欲しいな。ココノアちゃんに持って行ってあげてください、って渡してくれたのはメルだからさ」


デイパラがリセに気を取られている間に、レモティーは蔦を使って木製の弓矢セットをこっそりココノアに渡したのだ。装備さえあれば弓スキルは使える。魔法が使えない状況でも戦える術を習得した機転が生きた。


「囚われのお姫様なんて役柄、うちの性に合わないのよね。ここからは3人で相手してあげる」


「どうして……どうして私達を拒絶するの? ヒト種は平気で他者を騙し、傷つけ、蹂躙する危険で野蛮な存在……そんなものと一緒に生きても、貴女は決して幸せになれないのよ」


「本当にアンタが言うような連中ばっかりだったら、とっくの昔に人類は絶滅してたはず。でもそうじゃなかった。少なくとも、うちらが旅で会ってきた人達は違ってたわ。勝手に絶望なんてしてないで、今を生きてる人々にもっと目を向けてみなさい!」


「そう……どうやら言葉だけでは理解して貰えないみたい。ヒトの愚かしさを直接見せてあげればいいのかしら? でもその前に……ココノアさんを惑わす悪い虫を叩き潰しておきましょう」


レモティーとリセを睨みつけた後、デイパラは黒い魔力を滾らせた肉根を聖堂全体に走らせた。数え切れない触手の群れがステンドグラスを覆ったために、夜が訪れたかのように薄暗くなる。


「お友達が肉塊になるところを間近で見る事になってしまうけれど……それは坊やを悲しませた罰だと思って我慢して頂戴、ココノアさん」


死刑宣告にも等しい口上が終わると同時に、少女達に向かって触手が一斉に飛びかかってきた。正面だけでなく、天井や壁からも伸びてくるため全て避けるのは至難の業だ。しかも歯茎を剥き出しにした顎は物質を溶かす危険な唾液を分泌しており、掠っただけで致命傷を負いかねない。


「メルが到着すれば立て直せる! とりあえず今は防衛に集中しよう!」


「ん……分かった」


姿を消すスキルを駆使して触手を翻弄するリセと、蔦で作った繭を囮にして攻撃を凌ぐレモティー。そんな彼女達の援護をする形で、後方からココノアが弓で応戦する。筋力こそ貧弱だが、突出した器用さから繰り出される矢は百発百中の精度で対象を穿つ。


「何よこいつら……実体はあるはずなのに、血も出てないなんて!」


「魔法じゃないと攻撃が通らないって可能性も考えたけど、それだと物理と魔法の性質を両方持ってるボクのスキルでダメージを与えられないのはおかしい。一体どうやってこっちのスキルを無効化してるんだ……!」


デイパラの脚は影や幻の類ではなく、物理的に押し返す事もできた。しかし一切のダメージを与える事ができない。いくら鋭い刃で斬り付けようとも、傷にすらならないのだ。そして戦えば戦うほどに触手の数は増えていく。悪夢のような攻防が続き、流石の少女達にも疲労感が募る。


「ん……このままじゃ埒が明かない」


「もう後ろは無いわよ! 壁を壊すなり上に逃げるなりしないと!」


先程とは反対側の壁際へと追い詰められるココノア。聖堂内を埋め尽くす勢いで増殖したデイパラの下半身に対し、有効な対処法は無かった。それでも少女の瞳から闘志が消えることはない。攻略の鍵を握っていそうな情報を隅々まで精査する。


「ねえ、レモティー! デイパラが女神に与えられたのって、あらゆる魔力を吸収して新たな命として還元する能力だったわね?」


「うん、チュンコはそう言ってた。でもリセの斬撃が効いてないってことは、こちらの魔力を吸収してるわけじゃなさそ――ぐうっ!?」


レモティーが繭で作った盾に数十本の触手が同時に突撃したことで、彼女の体勢が大きく崩れた。さらにスキルによる植物の再生成が間に合わなくなり、絶体絶命の危機に陥る。リセは身体能力と剣技スキルをフル活用して仲間のフォローに回った。一時的に触手の群れを散らせる事には成功したが、依然として厳しい戦況に変わりはない。


「助かったよ、リセ! でもこの調子じゃ、メルが到着するまで持たせるのも難しい。せめて攻撃が通らない原因さえ分かればやりようもあるんだけど……」


「ん……魔力じゃなくてダメージを回復に変換してると考えれば、この状況にも説明がつく」


「ダメージを回復作用に変換って……まさかダメージ反転バフがこの世界にも存在するっていうのかい!?」


レモティーの脳裏に蘇るNeCOの記憶。サービス終了の約1年前、エンドコンテンツ用ダンジョンに魔法ダメージ吸収バリアを使うモンスターが投入されてプチ炎上した事件があった。物理攻撃であれば普通に倒せる一方、魔法ダメージは全て回復に変換されるという仕様のため、魔法系ジョブが軒並み役立たずになってしまったのである。言うまでもなく大量の苦情が入り、しばらく後のアップデートで修正されたものの、攻略Wikiに"魔法職はオワコン"という辛辣なまとめ記事まで作られたので印象に強く残っていた。


「可能性としてはありそうだけど、ボク達の攻撃が相手を回復させてしまうなら、どうしようもなくないかな……?」


「何言ってんの! ダメージが反転するなら、回復系のスキルが対抗手段になるって事でしょうが!」


ココノアがそう叫んだ瞬間、触手による攻撃がピタリと止まった。代わりに拍手するような音とデイパラの声が聞こえてくる。


「御名答よ、ココノアさん。まさか私の弱点に気付くなんて、思わず感激してしまったわ。ただ、残念なお知らせだけど……癒やしの術のような()()魔法は通じないの。貴女達に私を止めることなんてできないと言った意味、改めて理解して貰えたかしら?」


「……なるほどね。癒やしの術を聖教が独占してる限り、それ以上の効果をもつ治癒魔法は生まれない。なのに聖教のトップが回復魔法じゃないと倒せない特性持ちとか、無理ゲーにも程があるっての」


「癒やしの術自体、魔力を生命に還元する私の能力をヒトが扱えるようにした術式なのよ。だから無効化するのは容易いわ。それにこの大聖堂では魔法の一切が掻き消されるから、異端の治癒魔法が使えたとしても結末は変わらない。例えアイリスの加護を受けた聖女が相手であっても、ね」


聖教が頑なに癒やしの術を秘匿してきた理由――そこにはデイパラの欠点を補うという要素も含まれていたのだ。この世界において存在する治癒魔法は、アイリス聖教に伝わる癒やしの術のみしかない。長い星の歴史において独自の治癒魔法を生み出した者が出現したとしても、異端審問という名の制裁を行う聖教がある限り芽を摘まれてしまう。故に、この星でデイパラを脅かす存在は生まれなかった。


「いくらなんでも()()りすぎでしょ……その上で魔法を使えないところに相手を誘導するとか、ガチ勢にも程があるんだけど!」


「ふふっ、その理解が早くて聡明なところ、とても気に入ってるのよ私。坊やにとって理想的な個体だからこそ花嫁として欲したのは事実だけど、色々とお話をしているうちに貴女を愛おしく思える気持ちが湧いてきたの。だから今なら赦してあげる。お友達と決別して私達の元へ来れば、決して悪いようにはしないから……」


作り物のような笑顔で両手を開き、聖母は花嫁を自らの胸へ誘う。ダメージ反転という異能に対抗する手段が乏しい3人では、これ以上戦い続けても勝ち目など無いだろう。だが、ココノアは察知していた。絶対無敵を誇るギミックを素殴り1つでぶち壊す、最強のイレギュラーが到着した事を。


「まさか、もう勝ったつもりでいるの? ま、千年以上掛けて自分に有利な環境を整えてきたわけだし、その気持ちは分からなくもないけどね。だからこそ、アンタには同情するわ。ほら聞こえるでしょ、鈴の音が」


「音……? 一体何を言って……」


ココノアが示唆した音を聞き取ろうとデイパラが耳を済ませた直後、轟音と共に西側の壁が大きく歪んだ。張り巡らされた触手によって聖堂の石壁は元の何倍にも分厚くなっているのだが、それでも膨らんだという事は、外に居る者が規格外の化け物であるという証拠に他ならない。


「外から無理やり壁を開けようとしているの……!? 私が全力を出しても抑え込めないなんて、そんな事あるはずが……ッ!!」


さらに触手を重ねて聖堂の破壊を防ごうとするデイパラ。だがその奮闘も虚しく、彼女は力負けを喫した。聖堂全体に凄まじい衝撃が走り、壁の一部が吹き飛ぶ。


――チリン、チリン――


舞い散る土埃から響き渡る鈴の音。同時に猫耳と尻尾を携えた少女の姿が浮かび上がった。彼女が身につけた巫女装束風の冒険服は、ココノアのデザイン画をレモティーが具現化した絆の結晶でもある。


「迎えに来ましたよ、ココノアちゃん!」


声の主は桃色のツーサイドアップを靡かせ、デイパラの前へ躍り出た。既存の治癒魔法を遥かに超える癒やしの力を帯び、神々しい輝きを放つ肉体――それはまさしく聖母の天敵と成り得るものだ。防戦一方だった英雄達の反撃が始まる。

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