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うちの子転生!  作者: 千国丸
104/107

104.うちの子転生④

――数日後――


晴れ渡った青空に浮かぶ太陽から、眩い光が燦々(さんさん)と教皇庁へ降り注ぐ。エウレカに遺された神器を介して気候制御すら可能になった中央島では、基本的に雲が空を覆うことはない。女神がもたらした恵みの象徴――燃え盛る炎球も聖教にとって礼拝すべき対象、というのが理由だ。教会や民家においてアイリスの祭壇を構築する際、必ず窓から光を取り入れるのは太陽への感謝を捧げるためだとも言われる。

そんな習わしが建築様式にも反映されたのか、教皇庁の中央区画には天まで届きそうな尖塔が存在した。塔の頂上には大きな鐘が設けられており、祈りの時間を知らせるという重大な役目を持つ傍ら、島全体を一望できる"神意の間"と呼ばれる広間も有する。国を揺るがすような有事が生じた場合、ここで大司教を中心とした対策本部が立ち上げられる決まりだ。

今日、神意の間ではまさにその組織体が結成されていた。神獣奪還を目的とした冒険者部隊が教皇庁へ向けて侵攻中だからである。各地から次々に入ってくる情報の処理に追われ、聖職者達は禄に休憩も取れず慌ただしく駆け回る。


「西部の街道封鎖に向かわせた守備隊が撤退を開始、援軍の要請を受けています! 城塞内で待機中の近衛隊ならば出せますが、如何しましょう?」


「待て、ここは教皇庁の防衛に専念すべきだろう。戦力を分散させるなど愚の骨頂だ! 戦力を集結させ、神獣を主軸とした迎撃態勢を整えるのだ!」


焦燥が滲み出る怒号が飛び交う広間。責任者である大司教の周囲を司教職およびその補助を担う専門員で囲む形を取ったため、あらゆる声がマハートの元へ届く。迅速な情報共有という観点で言えば好ましい配置なのだが、彼の表情は芳しくなかった。


「忌々しい冒険者共め……!」


額に刻まれた皺をさらに深くしながら、初老の高僧は部屋の中央へ投影された幻像を見上げる。中央島の立体地図を背景にして、各地の戦況をリアルタイムで表示する空中映像――オキデンスの豪商から買い取った最新型魔道具による三次元ビジョンは、聖教国の劣勢を容赦なく伝えていた。


「筆頭冒険者を除けば有象無象に過ぎないと思っていたが、英雄級の精鋭ばかりを投入してきたとはな……橋を落としてでも分断すべきであったようだ。恐らく、ローアならばそうしたであろう……」


マハートは自らの采配ミスを悔やんだが、いくら嘆いたところで時は戻らない。知略の要であった大司教ローアは処されてこの世におらず、残る大司教シンマも騎士団統括として対応中のため、陣頭指揮は彼の役目となった。目下の敵勢力である冒険者隊は島の東西に位置する主要街道の防衛ラインを突破し、教皇庁近辺の市街地に差し掛かかる一歩手前だ。

事の発端は数時間前に遡る。いつもと変わりない平穏な朝を迎えた教皇庁に対して、冒険者ギルドから最後通告という名の宣戦布告が届いたのだ。東大陸での神獣捕獲作戦以降、冒険者ギルドを主軸とする国家連合から直ちに獣を解放せよという要求が行われていたが、聖教国が応じる事はなかった。故に冒険者ギルドは総勢50名近い俊英達を投入し、神獣の奪還を強行したのである。

もっとも、()()()()は聖教国サイドも予想済みであった。痺れを切らした冒険者ギルドがどのような動きをしたところで、3体の神獣が負ける要素など無い。どれほど優れた戦士や魔法使いが束になろうとも、凄まじい力を誇る巨獣の前には無力だからである。

しかし、実際にはそうならなかった。主戦力である"半人半魚の歌女"と"燐火の黒大蛇"が異端の魔女との戦闘を境に姿を消してしまった今、聖教が従える神獣は"大口の悪魔"だけしかいない。最重要拠点である教皇庁の防衛は絶対であるため、冒険者小隊の迎撃は騎士団に託された。


「持ち堪えているのはニールの部隊だけか……」


マハートは視線を島の中心を上下に走る中央街道へ向ける。副団長ニールが率いる騎士団の主力部隊は、冒険者隊の中で最も危険視されていた筆頭冒険者レイルスの一団と交戦中だ。銀壁の守護者(ランパート)の異名を持つ彼は個人でも戦況を左右するほどの力を持つが、仲間である獣人族の戦士とエルフ族の魔法使いが加わると手に負えなくなる。聖教としては真っ先に叩いておきたい驚異だった。


「流石はニール卿ですな。魔王討伐に大きく貢献したとされる冒険者を見事に抑え込んでおります。マハート様、ここはユースティア卿の謹慎を解き、一気に反撃を仕掛けるべきでは?」


立派な髭を貯えた男性司教がマハートに騎士団総長の復帰を提案する。古代エルフ族特有の膨大な魔力に加え、長い寿命の大半を修行につぎ込んできたユースティアは聖教最強を誇る最強の騎士だ。双牙の長槍――魔を穿つ槍(ブリューナク)という名の神器を握った彼が戦場に舞い降りれば、文字通り一騎当千の活躍を見せるだろう。今は決闘裁判での敗北に対する戒めとして教皇庁の懲罰房にて謹慎中だが、この状況で貴重な戦力を遊ばせておく余裕はない。


「ふむ……奴には教皇庁の防衛を任せるつもりであったが、冒険者共を勢い付かせてしまうのは避けたいところだ。よし、誰かユースティアに事の次第を伝え、出撃の準備を整えさせろ。東の街道を北上中の冒険者部隊を叩く」


「承知しました」

「その任、承ります」


マハートの指示に応じた数名の聖職者が広間から出て行った。それと入れ替わるようにして、高潔な雰囲気を纏った少年と仮面で顔を隠した女性が室内に足を踏み入れる。カドゥケウスの名で呼ばれる至高の神器を持った教皇アーエルを見て、聖職者達はピタリと手を止めた。隣に佇む聖母にも敬意を払い、恭しく(ひざまず)く。


「猊下、このような場所へご足労いただき誠に恐縮でございます」


「余計な言葉はいらぬ。速やかに状況を教えろ」


「はっ……! 現在、敵勢力は3部隊に別れて教皇庁へ進行中です。東西ルートの封鎖は破られましたが、中央については交戦中で……」


マハートは幻像を指し示しながら各地の様子を伝えた。数で勝るはずの騎士団が敗北を重ねてしまっているのは(ひとえ)に対策本部の失態である。その結果を伝える事は自らの至らなさを証明するのも同然であった。マハートは絞首台に送られる死刑囚にも似た心情を抱きながら教皇への報告を終える。


「……以上が現時点での情勢となります。冒険者共を市街地で足止めできなければ、ここが戦場となる可能性がございます。猊下におかれましては、ご安全のためにも教皇庁からの退避をお願いしたく……」


「なぜ逃げる必要がある? 予は敗北などしておらぬぞ」


「それはそうなのですが……もし猊下の御身に何かあれば、それこそ聖教の存亡に関わる大事になりかねません。近衛隊を手配しますので、聖母様と共に――」


教皇に避難を進言しようとするマハートだったが、急に声が掠れて出なくなった。それだけではない。歯がポロポロと抜け落ち始め、視界も霞んでいく。さらに両脚だけでは自重を支えきれなくなり、膝から崩れ落ちた。床に這いつくばった彼がミイラのような風貌になっていたので、広間にざわめきが広がる。


「せ、聖母……様……何故、このような……!?」


マハートは縋るような目付きで聖母を見上げた。肉体の若返り効果を強制的に解除し、一瞬で老化させる――この場においてそんな事ができるのは、聖母本人しかいない。


「私の坊やに向かって、敵へ背を向けろなどと……よく言えたものね。役立たずにこの先を生きる資格はないわ」


仮面の女性はそう言い捨てると、他の聖職者達を振り返った。途端に緊迫した空気が神意の間を包み込む。女神の神託を授かる聖母の発言は神の意思にも等しいものとされ、その発言に逆らうことは断じて許されない。


「総力を上げて聖戦に勝利せよ、と全員に伝えなさい」


「全国民を動員しろと、そう仰るのですか……!?」


「それ以外の意味に聞こえたかしら?」


「い、いえっ……そのようなことは!」


有無を言わさない威圧感に押しつぶされそうになり、男性司教の額に汗が浮かんだ。聖教国において治安維持を担う組織は聖アイリス騎士団と、訓練された修道士によって結成された各地の自警団が該当する。ただし、これらはあくまで平時における役割分担だ。"総力を上げて聖戦に勝利せよ"――この命令が教皇庁から発せられた場合、例外なくあらゆる民が国防を担う聖戦士と化す。

当然、そこには老人だけでなく女子供といった荒事に向いていない者も含まれる。だが女神アイリスのためであれば、敬虔な信徒達は我が身の犠牲も厭わない。彼らは言われるがまま、敵を食い止める()()()となるのだ。


「それでは直ちに聖母様の御言葉を全ての民へ伝えます。しかしその……マハート大司教がこのような状態では、今後の指揮が……」


「この老いぼれは追い出して頂戴。これからはアーエルが指揮を執るわ。補佐としてシンマも呼び戻すから心配は無用よ。さあ愛しの坊や、私達に刃向かった愚者達を1人残らず駆逐しましょう」


「はい、母上」


広間の中央に陣取り、投影された幻像を見上げる若き教皇。鋭い銀眼で敵勢力の動向を睨むその横顔は精悍で逞しい。マハートは一抹の希望を求めてアーエルへ手を伸ばす。


「教皇……猊下……どうかお赦しを……ッ!」


だが枯れ木のような細腕が届く事はなかった。無能の烙印を押された老僧は居場所を失い、弟子であった司教達によって容赦なく部屋の外へと引き摺り出されたのだった。




――その少し前、中央島東部 急峻な山岳地帯の上空――




険しい山脈を凄まじい速度で超えていく茶色の翼。天然の城塞となって外敵を阻む断崖や深い谷も、空の神獣と畏れられる巨大スズメの前では障害物にもならなかった。


「このあたりを飛ぶのは久しぶりチュン。懐かしいチュンね~♪」


「チュンコさんに来て貰って凄く助かりました! 流石にこれだけの山を馬車で超えるのは大変だったでしょうから。おかげでかなり時間を短縮できそうです!」


「それは良かったでチュン! オイラもメルと一緒にエウレカを飛べて嬉しいチュンよ!」


上機嫌な様子で飛翔するチュンコ。その背にはメルとレモティー、リセの姿があった。一行はオキデンスから駆け付けた神獣に乗って教皇庁へ向かっている最中だ。全員が冒険用の装備を身に着けており、決戦に向けた準備は万端である。


「ボク達に対する迎撃の動きは見られないし、冒険者隊がうまく陽動してくれてるみたいだね。これなら教皇庁への突入は簡単そうだ。2人共、あっちに到着した後の作戦は覚えてるかい?」


「はい! 私はキヨピーさんと現地で合流して、()()()()()さんを解放します!」


「ん、あたしはレモティーと一緒にココノアを捜索する役」


「うん、バッチリだよ。ココノアがもしデイパラに操られていたとしても、ボクとリセなら対処できる。だからメルは大口の悪魔(メフィスト)の洗脳解除を優先して欲しいな」


メッフィーという名称は"大口の悪魔"の真なる名を指す。聖母の精神支配を解除するには、女神と同じ魔力を持つ存在が必要不可欠だ。メルはココノアの救出にも加わりたかったものの、冒険者隊への被害拡大防止を考慮して二手に分かれる案を承諾した。

一方、姿の見えないキヨピーとライは別行動中である。教皇庁が陽動に気を取られたタイミングを見計らってメル達が神獣を奪還する――そんな冒険者ギルドとの共同作戦はパワーバランスに不安を抱えた作戦だった。いくら選りすぐりの冒険者といえど、100人にも満たない数で数千人規模の騎士団と正面衝突すれば無事では済まない。そこで今回は人の姿に転身したキヨピー達に東と西の部隊を支援して貰う事になったのだ。基本的に原初の獣は人と関わる事を良しとしないが、今回は女神アイリスの魂を内包したメルの頼みでもあるため、快く引き受けてくれている。


「そろそろキヨピーさんとライさんが市街地に到着した頃でしょうか。無事だといいんですけども……」


「見た目は人と変わらないけど、中身は神獣だからね。きっと大丈夫さ」


レモティーが答えた通り、転身した状態でも原初の獣としての力は失われない。ライは美しい歌声に魔力を乗せる事で睡眠や沈黙の状態異常を多人数に付与する特殊技を持つ上、キヨピーは"魔眼睨み"で恐怖を植え付けて戦意を奪う事ができる。故に市街地の住民が相手となっても、傷つけずに無力化できる見込みがあった。聖教との対決においてはこれ以上ない理想的な助っ人だろう。


「ん、そろそろ教皇庁のシルエットが見えてきた」


「よーし、それじゃ作戦開始といこうか。まずはボク達が東門から突入するよ。チュンコはメルを乗せたまま旋回して、上空から大口の悪魔(メフィスト)を探して欲しい」


「分かったでチュンよ!」


馬車では踏破に3日以上掛かる難所であっても、空を飛べば数時間で辿り着ける。巨鳥の翼によって大幅ななショートカットに成功した少女達は、颯爽と教皇庁へ降り立った。




――教皇庁 神意の間――




広間の中央に投影された幻像は依然として聖教の劣勢を示したままだ。街の住民を総動員したというのに、ほんの少し時間稼ぎが出来た程度で、敵勢力を押し返すには至らなかった。既に東西の市街地も突破されており、冒険者が教皇庁へ到達するのは時間の問題だろう。マハートの代行として教皇補佐に就いた大司教シンマは、理解できないといった形相で(げき)を飛ばす。


「何故、たかだが数十人の冒険者を止められないのだ……!」


「情報が少ないため詳しくは分かりませんが、現地からの報告では不可思議な歌が聞こえた直後に市民の大半が気を失った模様です。いずれも深い眠りに入っており、癒やしの術も効き目がないと――」


「その歌……精神に干渉する類の術式ね、きっと。半人半魚の歌女(ローレライ)に施した支配を解ける者が居るとは思えないけれど……念には念を入れておくべきかしら」


シンマ達の会話に聖母が反応した。詩とリズムに魔力を乗せることで特殊な術式を発動する技法は古来から存在するが、大規模な昏睡状態を引き起こせる程の能力を有する存在は原初の獣くらいしかいない。彼女は"半人半魚の歌女"が裏切った可能性について思案を巡らせる。


「どこかに獣がいないか探して。見つけ次第、封印陣を用いて捕獲するのよ」


「恐れながら……現時点において、神獣の出現は一切確認されていません。奇妙な見た目の女が歌っている、という報告はありましたが……」


「ヒト種の女……まさか、転身したとでもいうの!?」


建物より巨大な獣が姿を隠して行動するのは物理的に不可能だ。しかし原初の獣がヒトの姿へ変化したのであれば、この矛盾は解消される。さらに、"転身"を行う条件がアイリスの魔力を取り込む事だと知っていたデイパラは、ある仮定へと行き着いた。


「ふふっ……想定外もいいところだわ。ココノアさんのお友達は異端の魔女なんかじゃなく、正真正銘の()()だったなんてね。どうやってアイリスの加護を得たのかは分からないけれど、そうでないと説明がつかないもの」


「聖母様、一体何を仰って……?」


「敵は冒険者ギルドだけではないということよ。そして相手がアイリスであるのなら、こちらも本気を出さないといけないわ」


言い終えるなり、デイパラは足元に複数の魔法陣を展開していく。神代文字の術式が刻まれた円から吹き出す魔力は広間が黒く染まるほどに禍々しく、アーエルを除く者全てが言葉を失った。聖教の魔法ではないどころか、ヒト種にとって最大最悪の禁忌魔法――魔族の召喚術が程なくして成立する。


「き、緊急事態発生! 教皇庁周囲に魔族の出現反応あり! この数は一体何なんだ……1000を超える軍勢だぞ!?」


「この魔力規模……上級魔族も含まれておるではないか……!!」


幻像上の地図を埋め尽くしていく第三勢力。それらはヒト種の天敵である魔族の群れであった。特殊な魔力波長を持つ彼らを魔道具が誤検出する事はないため、全ての表示が魔族の実在を証明する。現に、通信用魔道具からは惨い断末魔が絶え間なく聞こえており、想像を絶する地獄となっている様を生々しく伝えた。未曾有の危機に直面したシンマは、動転しながらも人命を優先するように指示を出す。


「至急、市民を避難させるのだ! 冒険者連中の対応は後回しで良い! 一刻も早く民をこの島より脱出させねば、全て死なせてしまう事になるぞ!」


「む、無理です! 既に魔族が街へ雪崩込んで大混乱に陥っています!」


「なんという事だ……!!」


広間に集まった聖職者達の表情から血の気が失われていく。既存の武器や魔法で殲滅できる魔物と異なり、魔族はヒト種がまともに戦える相手ではない。魔力を吸収するという異能があるため魔法や魔道具による攻撃が通用しないのだ。上級魔族ともなると数万人規模の軍隊で挑んでも勝てるか分からない。


「やむを得ん……冒険者ギルドと協力し、この状況を切り抜けるしかあるまい。すぐ連絡を取れ!」


元騎士団総長を務めていただけあって、シンマの状況判断は的確であった。魔族に対抗するにはヒト同士が手を結ぶしかない。その場に居合わせた司教のうち、数人が通信用魔道具を手に取った。現地の信徒を介して冒険者達に共闘を打診するためである。しかしアーエルは彼らの行動を良しとはしなかった。神樹の覇杖を構え、従わなければ命はないとばかりに殺意を向ける。


「それらは母上が喚んだものだ。余計な手出しをする者は予が許さん」


「聖母様が何をお考えなのか……当方には全く理解できません。ただ1つ言えるのは、魔族が襲っている相手に聖教国の民が含まれるという事。大司教として、この事態を看過するわけにはいきませぬ」


「それがどうした。予の敵を屠るための礎となれるのだ。民にとってこれ以上の栄誉など他に無かろう」


「……もはや、猊下に義なし! 当方はアイリス様の教えに従い、街に残された民を救いに参ります。どうか、ご容赦を」


シンマは法衣を翻して神意の間から立ち去った。それを皮切りにして、他の聖職者達も次々に出ていく。アーエルは無表情のまま杖に魔力を込め、去ろうとする者を葬り去ろうとしたが、デイパラがそれを止めた。


「大丈夫よ、坊や。下賤なヒト種如き、放っておけばいいの。いずれ私の愛し子達が喰らい尽くしてくれるわ」


「母上……」


「外を見て頂戴。これが()()()()()()……美しい景色だとは思わない?」


聖母が広間の南側に面した窓を指し示す。そこには透き通る青空と対照的な焔色に染まる街が映っていた。美しかった白亜の街並みは無惨に破壊され、黒煙を伴う炎が何もかもを焼き尽くす。逃げ場を失った人々が異形の者達に生きながらにして貪り食われていく様子は、世界の終わりと呼ぶに相応しい残酷な光景だった。


「予定より随分と早くなってしまったけれど、ココノアさんとの婚儀を執り行いましょうか。彼女のお友達に邪魔されたくはないもの」


デイパラの唇が微笑みを優しげな作る。しかし仮面によって隠された本当の表情はアーエルにさえ分からなかった。




――アイリス聖教国 中央島南部の街道――




激しい剣戟(けんげき)と共に交差する水色と黄金色の頭髪。副団長ニールと筆頭冒険者レイルスの戦いは1時間以上も続いていた。彼らの周囲には騎士と冒険者ギルドの所属員から成る円陣ができており、あたかもコロッセウムのような熱気を醸し出す。


「天才剣士って名は伊達じゃないようだな! オレの盾をここまでボロボロにした男はアンタが始めてだ」


「筆頭冒険者というのも嘘じゃなかったみたいですね。僕の剣を捌き切った相手は貴方が2人目ですよ」


ニールが纏う蒼銀のプレートアーマーは半壊しており、受けた剣閃の鋭さを物語る。一方でレイルスが持つ菱形の大盾も原型を留めていなかった。互いの実力は拮抗しており、勝負の行方は誰にも分からない。ただ、疲弊しているにも関わらず両雄の表情は晴れやかだ。


「レイ、頑張って……!」


「ヌハハッ、楽しそうに戦いやがってよぉ! 俺様だってあんなワクワクする闘いをしてみたいもんだぜ!」


エルフ族の魔法使いノルンと獣人族の戦士コドルガもギャラリーの一部と化していた。本来ならレイルスと共に戦うはずの彼女達が大人しく見守るだけとなったのには理由がある。最初にニールの方から代表者による一騎打ちの提案があったのだ。

見るからに怪しげな細目の優男が言う事など信用ならないと思ったノルンだったが、レイルスはあっさりと承諾した。今のところ約束が守られているおかげで、消耗が見られるのは双方のリーダーだけである。どちらの部隊も力を温存しており、まだ十分に戦える状態だった。


――ガキンッ!――


何度目になるのか分からない金属同士の衝突音が響く。火花を散らすほどに苛烈な攻防によって両者の剣は刃こぼれが酷く、まともに機能しなくなっていた。そろそろ武器を交換すべき頃合いだろう。ニールはまだ神器の護神剣(ジブリール)を抜いておらず、レイルスが今使っているのも予備の剣だ。


「……さてと、時間稼ぎはこんなもんでいいだろう。これ以上やっても剣が可哀想なだけだ」


「同感です。それに、これ以上やると僕も本気になってしまいそうですからね」


そう言葉を交わすなり、レイルスとニールは同時に構えを解いた。生死を賭けて決闘していたはずの2人が急に剣を降ろした様子を見て、誰もが頭上に疑問符を浮かべる。何かあったのかと心配したノルンがレイルスに駆け寄ろうとした瞬間、耳の奥まで響く甲高い声が戦場に響いた。


「大変ですわーっ! 魔族が街を襲ってますのよー!!」


市街地へ続く街道から、ネズミ耳を生やした修道女が走ってくる。その姿を目の当たりにして、ニールはすぐさま自分の馬へと跨がった。さらに部下へ騎乗するように命令を出し、市街地方面へ向けて方向転換を始める。


「レイルス殿、あの少女達の読みは正しかったみたいです。僕達はこれから市民の救助へ向かいますが、そちらはどうしますか?」


「もちろん助けに行くに決まっているさ。困ってる人を助けるのが冒険者なんだからな! ノルン、コドルガ、これから住民の救援へ向かうぞ!」


目まぐるしい状況変化に冒険者達は呆気に取られていたが、遠方に立ち昇る黒煙を見て即座に意識を切り替えた。冒険者ギルドは人同士が協力して困難を乗り越える事を信条とする組織であり、そこに所属する者達も同じ想いを共有する。例え敵対する国の民であろうとも、魔族に襲われているのであれば助け出す――それが彼らの下した判断だった。


「はぁ、はぁ……全速力で走ってきたので少し疲れてしまいましたの。申し訳ありませんけど、後は任せて宜しいかしら。後で必ず追いつきますから」


「ああ、君はここで少し休んでいくといい。それにしても馬を使わずに街からやってくるとは……獣人族ってのはみんな健脚なんだな」


「修道女が馬に跨っていると怪しまれますから、止む無くこのような手段を取るしかありませんでしたのよ。ささ、時間がありませんわ。わたくしに構わず、お行きになって!」


「その想い、決して無駄にしないと約束しよう。よし、行くぞみんなッ!」


冒険者隊と騎士団が肩を並べて駆けていく光景を見送りながら、カタリナはその場で座り込んだ。無事に役目を遂行できた事で気が抜けてしまったのかもしれない。


「ふぅ、ここまでは皆様の想定通りですわね……」


聖教国内を自由に移動できる修道女の立場を利用し、カタリナはメル達から受けた()()()()を完璧にやってのけた。ニールに一芝居たせ、デイパラの魔族召喚によって生じる市民の被害を最小限にするという案は、彼女の協力無くしては実現不可能だっただろう。


「どうか、アイリス様の御加護があらん事を……」


街道に残された修道女は教皇庁がある方を見つめ、親しい者達の無事を祈った。

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