001.プロローグ 終わりと始まり①
――20XX年8月31日 日曜日 23時55分
それはまさしく残暑という言葉に相応しい、深夜でも蒸し暑さを感じる日だった。そろそろ日付が変わるという時間にも関わらず、私は自室でパソコンに向き合っていた。いつも通りならベッドに入ってグッスリ眠っている時間だったけど、今日だけは夜更しすることに決めている。私にとって特別な日だったのだから。
「……だって、これで最後だもんね」
なんとなくセンチメンタルな気分に浸りながら、私は目の前のモニタに目をやる。そこにはほぼ毎日のようにログインをしてきたMMORPGの世界と、そこで生きる自慢の"うちの子"が映っていた。画面に広がった西洋風の街並みは程よくデフォルメされており、ずっと見続けても飽きない。
毎日のように友人達とダンジョン攻略を楽しんでいたためか、いつのまにかキャラクターの強さを示すレベルは上限値の120に到達していた。とはいえ、強さにはあまり興味がなかった私はアバターの見た目の方にばかり力を入れてた気がする。猫耳と尻尾で愛嬌をふりまくケモノっ子なマイキャラクターは、どこに出しても恥ずかしくない愛娘だと自負しているくらいだ。
『こうしてチャットするのも、これで最後だと思うと寂しくなりますね』
キーボードからカタカタと音をたてながら、ゲームを通して知り合った友人たちに語り掛けた。打ち込んだ言葉は自分のキャラから吹き出しとして表示されるので、周囲にいるキャラクターにはすぐに伝わった。といっても、サービス終了が決まったこのゲームにログインしている人は悲しいほどに少ない。レトロな町並みがRPGらしくて良いと人気のメインタウン内でさえプレイヤーは疎らだった。私のキャラクター"メル"の周りにいるのも友人たちが操作する3名の女の子だけだ。
『それ聞くの今日だけで4回目なんだけど! そんなに名残惜しいの、このクソゲー?』
『クソゲーって随分な言い様だねぇ……いやまー、ボクもガチャは酷い確率だったと思うし、ゲーム内容もバランス悪すぎて狂ってるところが多かったけども!』
『ん……この化石みたいな内容で、よく長生きした方じゃない。10年以上やってたわけだし』
三者三様な返事に、自然と笑みが溢れた。もうすぐお別れのときがやってくるのに、いつもどおりの時間を共に過ごしてくれているみんなには感謝してもしきれない。この世界が途切れるまでにお礼を言っとこうと、私はキーボードに指を這わせる。
『なんだかんだで長い間私と一緒に遊んでくれて、感謝してますよみなさん!』
ついでに感謝を示すエモートも動作させておこう。エモートボタンを押すと、ゲーム内の自キャラがお辞儀を始めた。このMMORPGはプレイヤー同士のコミュニケーションに重きを置いていたので、場面に合わせた色々な動きをさせることができる。
「こういう遊び心のあるとこ、好きだったんだけどなぁ……」
私が遊んでいる、このネクストクロニクルオンライン――通称NeCOはオンラインゲーム黎明期にサービスを開始した古いゲームだ。当時は可愛らしいキャラクターと豊富なアバター要素で注目を集め、次世代のMMORPGと言われた頃も……あった気はする。だけど、今どき敵を都度クリックして倒すような"太古のクリックゲー"が流行るわけもないし、おまけに極端な舵取りのゲームバランスに挫けたプレイヤーが少しずつ離れ続け、12年近くにおよぶサービスはついに幕を下ろすこととなった。そして今日がサービス最後の日だったりする。
『そろそろサーバーダウンのカウントダウンが始まるかな。やっても虚しくなるだけだし、わざわざ数えなくてもいいと思うんだけど』
うちの子にもたれ掛かるようにして座っているエルフ耳の少女が発言した。魔法少女を思わせる華やかなゴスロリ服に、明るいベージュ色に染めたセミロングヘアがとても似合っており、少し吊り上がった強気そうな紫色の瞳も可愛らしい。そんな外見に反して口が悪いのが玉に瑕だけど、それはそれでギャップがあっていいと思う。そう感じるのはずっと一緒に遊んでくれていた彼女のことを、心から愛しく思ってるからかもしれないけど。
『みんなNeCOに感謝を込めてカウントしたいんじゃないでしょうか! ココノアちゃんも割とそういうの好きそうなイメージありますけども』
『そんな感傷に浸るようなキャラでもないんだけど!? ……まったく、毎日一緒にいたのに全然理解されてないってどうなの!』
『ええー!? 結構分かってるつもりでしたよ!?』
『いいや、全然分かってないね。サービスがあと3年続いててもムリだと思うわ』
『ぐぬぬぬ……!』
吹き出しに表示されては消えていく文字列を眺めながら、私は彼女達の"中の人"を良く知らないままだったのを思い出した。オンランゲームではリアルの話はタブーになることもあるので、私達は"中の人"――つまり現実世界のプレイヤー本人の情報についてはあまり多くを語らなかった。このゲームを離れたら一緒に過ごすことはできなくなるのだから、もっと色々と話をしておけばよかったと今更になって後悔の念が浮かぶ。できることなら、この世界が終わった後もこの4人で集まって過ごしたい――そんな想いを巡らせたときだった。
『これまで遊んでくださったすべてのユーザーのみなさまに感謝を!』
唐突に画面上部へ紫色の文字が表示され、私は少しびっくりしてしまった。これは誰かのセリフではなく、運営者であるゲームマスターでしか使えない特殊なチャット形式だと知っている。ログインしているユーザーへ向けた、運営なりの最期のお礼なのだろう。いよいよサーバーダウンが近づいてきたようだ。
『あー……やっぱりカウントダウンしてみよっか。最後の思い出くらいにはなるかもしれないし?』
『ほら、やっぱり! ココノアちゃんは素直じゃないですね!』
『せっかくだし、やるならみんなでタイミング合わせてカウントしようよ!』
『うん……3秒前から合わせよう』
『オッケー!』
刻々と終わりが迫るNeCO世界――そんな閉鎖された世界でも、残っていたプレイヤー達は各地でカウントダウンを唱えているのだろう。そう思うと、数字を打ち込むだけでも一緒に遊んでいた全プレイヤーと想いを共有できたようで、妙に嬉しかった。
『『『『3!』』』』
『『『『2!』』』』
『『『『1!』』』』
カウントに続けて最後に「お疲れ様でした」と打とうとした瞬間、ゲームウインドウが暗転してしまった。ほどなくして、真っ暗な画面にポツリとエラー表示が浮かび上がってくる。
――ゲームサーバーに接続できません――
その文字をマウスカーソルでなぞりながら、私は10年に及ぶNeCO生活は終わりを迎えたのだと実感していた。たかがゲームではあるものの、生活の一部になっていた世界が消えたと思うと寂しい気持ちもある。親しい友人達――とりわけココノアちゃんと会うことができなくなるのは、やっぱり悲しい。迷惑に思われるのが怖くて直接的な連絡手段を伝える事は控えていたものの、せめてメールアドレスくらいは交換しておいてもよかったかもしれない。
「みんな、一緒に遊んでくれてありがとね」
何かがポッカリと抜けたみたいに気分が落ち込むけど、明日からも日常は続いていく。仕事にも行かないといけないし、気持ちを切り替えないといけない。私は心を落ち着かせるように深呼吸をしてから、PCの電源を切った。
「さて、夜ふかしおわり! 寝ちゃいますか!」
私以外誰もいない狭いワンルームに独り言を響かせつつ、寝支度を済ませていく。週明けからいきなり寝不足はちょっと不味いかも――そんなことを考えながらベッドにもぐりこみ、ゆっくりと瞼を閉じた。